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わたしのいきつけ

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2018/09/17

「知的ストレッチ入門」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からしばらく続いたブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『知的ストレッチ入門/日垣隆著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで購入。初出が平成18年で、平成22年に加筆・修正し、文庫化されたものです。
なので、時代を感じさせる部分はあるにはあるのですが、著者日垣氏の情報の取り方、処理の仕方などは非常に合理的で、ひと言も差し挟めない感じの突っ走るような文章でした。
有無を言わせない(^_^;)感じ。

オーダーメイド鞄を使い、理想の書棚に蔵書を収納、早くから iPhone を利用し、その使い勝手についても“立て板に水”の説明。『使わんヤツはアカン』状態!

さらに世間で一般的になる前にブログやツイッターの利用方法についても、今現在の状態を推測して当時から活用。悔しいがその想定は当たっていた。

新しいツールには“超敏感”な著者なのでした。

ただ、しばしば、過去に達人と言われたような人を“小馬鹿”にしているような文があり、文中で馬鹿にしているわけではない、と断りを入れてはいますが、でもやはり人物に対しても、世間一般のちょっと遅れている人たちに対する“嘲笑”のようなものを時に感じて、それはちょっと言い過ぎじゃないのかな、と思うこともありました。

著者は、“冴えまくる”頭脳と行動で時代の先陣を切って突っ走っている様子ですが、文中からは、「恋愛」に関してもシステマティックに考え、そんなことにまで、情緒的なところの全く無い書きぶりにはちょっと違和感もありました。

ただ、この本は、現在の情報が溢れかえる社会で生きて行く人にとっては、とても参考になることがたくさん書かれていると思いました。
読物としても面白いので、読んでみて損のないものでした。
気になる方はぜひ。


【Now Playing】 Fancy Free / Donald Byrd ( Jazz )

2018/09/16

「駅前旅館/井伏鱒二」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からしばらく続いたブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『駅前旅館/井伏鱒二著(新潮文庫)』を読みました。
昭和35年に発行されたもので、平成20年には49刷を重ねています。たいした小説です。
もともとは、昭和31年に新潮に連載されたものだそうで、駅前にビルが建ち並ぶ以前の、日本家屋で、瓦葺きの二階建て、ガラス戸がひろく開けられ、コンクリートのたたき、片方に下駄箱、もう片方に鉢が置いてあるような・・そんな東京の駅前旅館のお話。
当時の読者には、そんな様子が目に浮かび、いかにも我が事のようにこの小説を楽しんでいたのではないかと思われました。

主人公の駅前旅館の番頭、生野次平が語り手となって、旅館で起こる様々な出来事、当時の客(団体客なども多く、トラブルをよく起こす)の様子や、それに絡む観光先、そこでの客の楽しみ方、旅館内での符丁のおもしろさ、独特の個性豊かな旅館周囲の店や、関係者とのエピソードなど、テンポよく、語り口もよく、コロコロと転がるように読めてしまいました。

さらに、ちょっと艶っぽい話が出てくるにもかかわらず、それが行き着くところまで行かず、ちょっとだけ読者をドキドキさせる微妙に色っぽい感じで、当時の奥ゆかしさを感じて、これまたいい感じ・・。

まだテレビも一般的ではなかったであろう時代に、これだけドラマチックでコミカルな展開のお話はさぞかし面白かったであろうと想像に難くありません。
この駅前旅館は映画にもなって人気だったと聞きます。
森繁久弥さんや、伴淳三郎さん、フランキー堺さんなどのキャストで繰り広げられていたらしく、見てみたいなぁと思いました。

移ろって行く時代をたくましく、そして哀歓を含めて描かれた独特の世界にひたることができました。

2018/09/14

「モヤモヤするあの人」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からしばらく続いたブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『モヤモヤするあの人 -常識と非常識のあいだ-/宮崎智之著(幻冬舎文庫)』という本を読みました。
著者は、カルチャー、男女問題、日常生活における違和感などをメインに書かれているフリーライターだそうです。

取り上げている材料が“今どき”なテーマだったので、読んでみたのです。

スーツにリュックは失礼なのか?

焼き鳥の串外しは無粋な行為か?

エスカレーターの“片側空け”は間違いか?

結婚式でのフラッシュモブって・・

周囲からウザがられる「意識高い系」の人たち

ビジネスシーンに蔓延するカタカナ語を使う人たち

などなど・・。

テーマだけ見ていると、興味津々なのですが、でも読んでみると、「どっちつかず」な結論ばかりが書かれていて、期待していた著者の独断でバッサリと断じてしまうようなエンターテインメント的に語り尽くすようなものではありませんでした。
それはそれで、そういうふうに読めば、読物として面白いのですが、私としては“今ひとつ”な印象となってしまいました。

でも、デートに遅刻した彼女に、「原因と対策」を求める“意識高い系・彼”の話や、ライブやフェスで舞台に合わせて“熱唱する観客”に「歌が聞こえないよ!」と怒る人の話などの話題は笑いながら、あるいは共感しながら読みました。

仕事の場で、カタカナを使いまくる人の話も、思い当たるところがたくさんありました。
「あの件はリスケで」って、なんだか鼻についていましたよ、私も(^_^;)
それに私には「利助」って聞こえてました(*^_^*)

「エビデンス」って、ふつう使うか?!

「ASAP/エーエーエスピー/アサップ」・・アズ・スーン・アズ・ポッシブルのことだってさ(^^;)・・一生やってろ!っつうの(#^.^#)

「コミット」・・使ってるのはライザップの人か、そのCM好きな人でしょ、気持ち悪い言葉だよねぇ。

というわけで、「焼き鳥の串外し」などは、もうどうでもいいことだと思いましたが、それなりに面白く読みました。

2018/09/12

「小さなことにくよくよしない88の方法」を“くよくよしつつ”読んだ(^_^;)

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

例によって、これはブログ休止中にメモしておいたもの、そういうタイミングで綴ったものです。
『小さなことにくよくよしない88の方法/リチャード・カールソン著 訳:和田秀樹(三笠書房・王様文庫)』を読みました。

読み始めたときには家庭内のいろいろなことを解決しつつ、なんとか前に進んでいたのでした。
でも、今度は仕事上のことでまた難問というか、事件というか、アクシデント発生!!

「ああ、時間を巻き戻したい。そうすれば解決など簡単なこと・・。」と、この本のテーマである“くよくよしない”から正反対の“くよくよ”しっ放し( ̄O ̄;)な状態に陥りました。
人間なんて、そんなものです。自分で自分の不甲斐なさに呆れました。

答えといえるものは、今読んでいるこの本に書いてある。
「過去を悔やんで、どうにかならぬものか」と悶々とすることに解決の“か”の字も無い!

小さな問題を心の中で大きくしている自分はいないか?!
焦って解決しようとすると、墓穴を掘る。
問題解決の糸口は、まずは冷静に。そして、一つ一つ真摯に問題に向き合っていくこと。

また、逆の立場で、とにかくあらゆることに文句を付けたり、自分は特別な人間だから、特別な扱いを受けるべき立場にある、などと言う人にはなるべからず・・と、書いてあった。
そんな人、月に一度は会うことがあるが、まさに“みっともない”人だと思ったことがある。この本の指摘どおりだ。

今回も、“事を荒げよう”とする第三者がいた。
なんだか、事件性を帯びる度にうれしそうにしている。人のミス、不幸は、その人にとってこの上ないものなんだろう。

結局、落ち着いて、事象を整理し、その説明と解決への方法を丁寧に説いた。
それが解決への一番の近道だった。

グッドタイミングなのか、バッドタイミングだったのか、たまたま読んでいたこの本が役に立った。

2018/09/11

「インテリジェンス人間論」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『インテリジェンス人間論/佐藤優著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフで買っておいたもので、平成19年刊行の本を平成22年に文庫化したものです。
内容は、懐かしい話題が随所に出て来ましたが、それでも佐藤優さんの常人では考えられない情報の取り方、分析の仕方には、あっと驚かされる本です。いつものことですが。

著者の佐藤さんは、外務省のラスプーチンと言われることになってしまい、この本の中でも書かれていますが、策略か陰謀か・・それとも・・2002年5月に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けたことはご存知の方も多いと思います。
早い話が、歴代総理やロシア首脳の素顔を間近に知り、国際政治の最前線で“ヤバい”仕事をしていたからこその顛末と言うべきでしょうか。

外交官・政治家が使っている「インテリジェンス」という言葉とその意味を知ったのも、佐藤さんが著述業に転向して、その本やラジオ等メディアでの発言を聞いてからのことでした。
人間観察力を磨き、情報を入れ、分析する。そのインテリジェンスが、佐藤さんがかつて所属した外務本省国際情報局分析第一課で「外交の武器」となっていたことがよくわかりました。

その中で、意外だったのは、橋本龍太郎首相と“ガチ”で取り組んだ日露外交のぎりぎりのやり取りでした。
橋本さんのロシアとの外交へ懸ける意欲は、まさに“命懸け”とも言えるもので、著者の佐藤さん含め、あの鈴木宗男氏が絡んできた当時の克明な様子には息を呑みました。
橋本さんて、執念とさえ思える外交への情熱があった人なのだと、この本を読んで、今まで知らなかった一面に驚きました。

また、小渕恵三首相の見た目は温和な印象の人物像なのに、怖ろしいような人柄であったことが事実として書かれていたり、実はあの政治家はこんな人だった、とか、あのときの政治の舞台裏ではこんなことがあったということが、まさにその場に立ち会っていた佐藤さんから赤裸々に語られているのです。
この本は中身が濃いっ!

そんなこんなで、あっという間に読み終えましたが、内容が重い割には、知って驚く意外な事実にびっくりしている間にずんずん読み進むことができました。
書かれている話題はやや古い時代のものでしたが、とても興味深く読めましたよ。

2018/09/07

「墨東綺譚/永井荷風」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『墨東綺譚/永井荷風著(角川文庫)』を読みました。
“墨東”の「墨」の文字の表記は、このブログで表示されているものと異なるのですが、PCでインターネット上で見るためには簡単な“当字”を入れました。

この本は、荷風が近所から聞こえる「ラディオ(※文中にこう表現している)」のうるさい音に辟易して夕刻から夜にかけて東京の町を歩き、たまたま知り合った「お雪」という女性と奇妙な関係になり、遊里にいるその女性「お雪」に逢いに“行きがてら”の道中、街並み、世間の様子などを表現豊かな文にしたものです。

当時の人々の服装や、町の様子、世間の“流行り”、5.15事件当時の銀座などの実際の様子も書かれていました。
それが実に意外。
昭和ひとケタからふたケタに入る頃が描かれているのですが、銀座に柳の苗が植えられ、朱骨の行灯が設置されたところで、「田舎芝居のようになってしまった」と嘆いているのです、荷風さん。
何年か前に、銀座の柳を復活させようだとか、永く保存しようなどという銀座っ子の人たちが話題になったことこがありましたが、当時はそんなだったようです。

しかも、「震災(※関東大震災のことでしょう)のあとには、九州や大阪から人が出て来て、一本裏通りでは、そんな人たちが「ふぐ」の店を出したり、路上に出て食べるような店を出してしまったとも嘆いています。

路上で水着を着て客寄せをしたり、そうまでしなくも、お客を誘うような女性が店頭にいるのはどんなもんだろうと言っていたりします。

でも、遊里にいるお雪には、度々に逢いに行く荷風先生(この本の中ではとある作家として描かれているが)。
女と男の“機微”にもふれて、この本、いい味だしていました。

とにかく、初めて聞く表現が80%以上を占めていると感じた永井荷風のこの著書。
昭和初期の東京の様子などがフィルムを見ているかのように眼前に浮かびます。
リアルなタイムスリップ感があり、希少感もある面白い本でした。

2018/09/04

「極上の孤独」下重暁子さんの本を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『極上の孤独/下重暁子著(幻冬舎新書)』を読みました。
著者の下重さんは、かつてNHKのアナウンサーとして活躍された方。
フリーとなってからの文筆活動などについては存知上げておりませんでした。
旧・日本自転車振興会の会長を務められたことも・・。

でも、この下重さんの著書とは知らず、本屋さんで平積みになっていた「家族という病」という本は気になっておりました。ちょっとこわくてまだ読んでいなかったのですが。

さて今回の「極上の孤独」は、野際陽子さんがNHKの一年先輩という下重さんがその年齢に達しても、ご本人の主観的な年齢は七十まではいかず、六十代後半だという感覚。
でも“持ち時間”は確実に減ってくる。
その残された時間を大切に使いたいという思い、だが時間は確実に飛ぶように過ぎていく中でどう生きて行くか・・という話です。

まずは「孤独」というものをネガティブにとらえる社会、世間の風潮、考え方が“違っている”んじゃないか、というところから始まります。

つまり、「孤独」をポジティブに、アクティブにとらえて、“贅沢”で“愉快”な環境であり、時間であるという考え方です。

現在のSNSが発達し、ただ単に返信や、“いいね”がつかないというだけで孤独と考えてしまうようなお粗末な心の持ち様についてもふれていますが、たしかにあまりにも貧相な生き方の中に自分の生活があるから、そんなことになるのではないか、と私も感じることがあります。

自分の中に「品格」がないと孤独を感じ、味わい、歩みを進めていくことは出来ないのではないかと、先達の良寛さんや、洋画家・小杉小二郎氏の例や、インタビュー時に感じたことを挙げて「孤独」の世界へいざなってくれるのが、この本の一番の「筋」であると感じました。

ここに書かれていた「品格」というものが、一番難しいことであるわけなのですが、著者の下重さんも、自己主張したいという思いばかりが先行し、その出口さえ見つからぬままに悶々と自分の中で堂々めぐりを続け、そんな自分を人に悟られてはならじと鎧(よろい)を身につけ、「引く」ということを幼い頃から続けてきてしまったのではないか、と自問しています。

読み終えて、下重さんの自己に厳しい態度、生き方は私にとっては“力の入れすぎ”のようにも感じましたが、著者のお母様の辞世の歌

「人の世のなべてのことに堪えて来し今さらわれに物おじもなし」

・・この死を前にして、今さら物おじすることもない。どんと来い、覚悟は出来ているという歌に全てが語られているような気がしました。

この本も私に何か今後の生きるためのヒントを与えてくれた一冊になりました。


【Now Playing】 We Got Married / Paul McCartney ( Rock )

2018/09/03

椎名誠さんの古い文庫本「日本最末端真実紀行」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『日本最末端真実紀行/椎名誠著(角川文庫)』を読みました。ブックオフで手に入れた昭和61年初版発行のものです。
だからもう30年以上前のもの。
阪神淡路の震災も起こっていないし、日本中が何か変なものに浮かされて調子に乗りすぎていた時代。
悪いことなんて起こらない、世の中ガンガン開発して古いものは馬鹿にして、どんどん廃棄したり壊したりしていた時代です。

そんな時代の真っ只中で、椎名さんはなんと30代!若いねぇ。
そして、神戸や札幌、倉敷、飛騨高山、渋谷スペイン通り、幕張などへと旧知のイラストレーター・沢野ひとし氏らと旅立ち、その実体を見て感じて、呆れて、嘆き、怒り、笑い、ちょっと感動したりの“珍紀行”と相成っておりました。

たぶん、当時、まだ頭の中に“正気”な部分が残っていて、実際に“るるぶ”、“an・an”、“non・no”などを読み、妙に人工的な観光地などに集まっていた少女、女性らを見て「なんだこの人たちは?なぜここに来た!」と思える理性が残っていた人にはわかるであろう、当時の実際のその地の様子が描かれていました。

この本を読んでいると、すでに“妙ちくりん”なお店などは閑古鳥が鳴き始めている様子が書かれていますので、そんな“浮かれ状態”の日本も、やや衰退への道を歩み始めていた頃なのかもしれません。

上記のような有名“おしゃれ”観光地のほかにも、突然、離島に行ったりして、民宿や、島唯一の観光ホテルでの気恥ずかしいような対応や、しみじみと“ひなびている”島の様子、人々・子供の様子なども描かれていて、それはたぶん現在でも味わえるようなものじゃないかと思いました。
そんなことを書くのも当時から現代まで、たぶん椎名さんしかいないんじゃないでしょうか。

終盤に書かれていた椎名さんが小学校から高校生のあいだに住んでいた千葉の幕張の文にはしみじみとしました。
この文が書かれていた頃に、椎名さんは幕張の遠浅の浜が新しい人工の街になってしまったことを知ります。
タクシーで今の千葉市美浜区(マリンスタジアムや、高層ホテル群のある街)にたどり着き、幕張の人工海浜や稲毛の人工海浜を見て、あきれるというよりは、愕然として、そのかつては区全体が海底だった(椎名さんが夏休み一日も欠かさず通った)地を去ります。
貝や、海苔などの漁で生活の糧を得ていた静かな漁師町的な部分は何も残されていませんでした。
・・私の記憶の彼方にも幕張の遠浅での潮干狩りの様子、人でいっぱいだった浜の様子が残っていますが、そんなものの欠片も今はありません。

読んでいて、終盤のこのあたりで妙にしんみりとしてしまいました。

今や、椎名さんの古い文庫本などは絶版になりつつあるものも出ていて、かつての若かりし頃の椎名さんの、今よりもぶっきらぼうな文章に出会う機会も少なくなってきそうなので、この本、久しぶりに刺激を受けました。


【Now Playing】 My Sweet Lord / George Harrison ( Rock )

2018/08/30

「本当にあった幸せな気持ちになる50の物語」を読んだ

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【※このブログでの文は、8月中、ブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

『本当にあった幸せな気持ちになる50の物語/西沢泰生著(王様文庫)』という本を読みました。
著者は子供の頃から読書好き、そして数々のクイズ番組などに出演して優勝したりしています。
就職後は、社内報の編集を担当し、さらにこの本の中でもエピソードが登場しますが、社長秘書も経験しています。

とにかく“本当にあった、いい話”を丹念に拾い集め、紹介してくれる本で、たぶん私達が日常生活してれば社会生活や、テレビ、本の中で出会えるような“小さないい話”なのです。でも、それを「いい話だ、覚えておこう」とは普通の人には思えないような些細なことが多いのです。
そういうことを、心に留め、記録し、こうして本にまでもってきている作者が持ち合わせている“人間力”に驚くのです。

“小さなこと”のエピソードのひとつをご紹介すると、1956(昭和31)年、日本初の南極観測隊の話。
1年以上の長い時間を南極で過す隊員にとっての支えは家族からの電報。
それも当時は技術上の問題から一文字が高額なので、短い電文でなければならないとのこと。

そこで・・たった3文字のメッセージが隊員たちの心に響き、それを見て嗚咽した隊員もいたという・・3文字。

『ア・ナ・タ』だったそうです。あなたのあとにいろいろな言葉が想像されます。
私も、名打文だと思いました。

でも、後日談で、隊員の奥さんは「飲み過ぎないようにしてね!」という意味を込めてのものだったとのこと(^^;)
それもそれでいい話です。

その後お酒を飲み過ぎて夫が失敗した話をもれ聞いた奥さん、今度は
『プンプン』・・(*^_^*)という電報を送ってきたとのこと。

なんだかいい話。

こんな話をいろいろなシチュエーションから集めたこの本、面白かった。

2018/07/29

泉谷閑示さんの「仕事なんか生きがいにするな」を読んだ

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『仕事なんか生きがいにするな -生きる意味を再び考える-/泉谷閑示著(幻冬舎新書)』という本を読みました。
著者の泉谷さんは、精神科医で、精神療法を専門とするクリニックの院長です。

巻かれている“腰巻き”を見ると、『会社、お金、世の中、他人、出世、生活・・・「のために」生きるのをやめる!』と書かれていて、精神医療というよりも、むしろ仕事や、それに伴う日常生活上の考え方、アドバイス的なものを中心に展開されるのかと思いましたが、でも、そういう方向ではなく、かといって専門の精神医療世界を中心に展開されたものでもありませんでした。

もっと根源的な、今現在の人々、人間が何を思い、生活の根拠というか、“人間としてのささえ”は、何なのか?というような、歴史的にも遡って人間社会を見直していくようなものだったのです。深くて、単に論理的に理解するような“お手軽”な本ではなかったのです。

私も若い頃からずっと、自分の生きがいってなんだろう、自分が生きている意味ってどういうこと?などとよく考えることがありました。
この本でも書かれているのですが、「自分さがし」みたいなことを言うと真っ向から否定する仕事人間というか、実は説明できないから“頭ごなし”に叱っている人は以前からたくさんいました。

でもね、昔は仕事をして物を作ったりすると、それは後世の人達にも使われたりして、その仕事自体に意味があり、仕事することそのことがそのまま“生きがい”にもつながっていて、毎日生きて仕事をすることに誇りのようなものを持てたんだと思うんです。
しかし、今は「仕事」=「労働」となっています。
「労働」は金銭的価値に置き換えられ、労働そのものに金銭的な価値以外のものが見いだせない。
職人が作ったような「物」は、簡単に誰でもシステマティックに製作することができるような代物になり、「物」=「消費材」になってしまったのです。

さあ、つらくなってきた。そのつらくなってきたのが、つまり私です。

先に書いた会社や出世、お金のために生きて行くと、どつぼにはまるのです。
自分自体に意味なんて無いんじゃないかってね。
そこで現代の人間に特有の精神的な病が増加する・・ってことになる・・そういうふうに書かれていました。

あまり詳しく書くと、この著者の商売の邪魔になってしまうので簡単に書くと、人が人らしく生きるってことは、人生や世界に向かって「意味」を求めるベクトルを出すことだということなんだと思います。

そのベクトルってのは、私達の「心」が発する「愛」の作用だということ。

つまり、「愛」は、単に他の人に向かうのではなくて、世界の様々な物事や人生そのものに向けられて、その対象に潜む本質を深く知ろうとしたり、深く味わおうとしたりするものだ・・って、そんな感じのことが著者の言いたいことなんだと思うんです、簡単にしちゃうと。

・・わかんなくなってきたでしょう?(^_^;)でも、なんとなくわかる人は、そろそろ長い人生の中で何かをつかみ始めてきた人なんじゃないでしょうか。
私もまだまだ入り口付近にいるのですが、なんとなくわかり始めたところに今いると実感しています。

ま、詳しくはこの本読んでみてください。
わかんない人には全くわからない論理だと思います。特に今まで仕事上で私を苦しめてきた数々の人達には・・一生・・。

以上ですよ、それじゃまた。

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