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2020/07/03

「語源500 -面白すぎる謎解き日本語-」を読みました。

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『語源500 -面白すぎる謎解き日本語-/日本語倶楽部・編(KAWADE夢文庫)」という本を読みました。

さまざまな日本語の語源をたどる本なのですが、なにせ500もの語について書かれているわけですから、面白いけど読んでも読んでも終わらない( ̄O ̄;)・・350頁まるごと語源で息をもつかせぬ感じでした。
・・だから勝手に息をついて…σ(^_^;)休み休み読みました。
でも面白かった(゚ー゚*)。oO

「駄目押し」が囲碁の用語だということも知りませんでした。
勝ち負けにも関係なく、無駄で無益な着手点のことを「駄目」と呼んでいたのだそうで、その無駄なことをあえてやっておくこと、念には念を入れることを「駄目を押す」と言うようになった・・ほう・・そうだったんですか。という感じで読み進みましたd(^_^o)

「バドミントン」は、もともとインドのスポーツで、「プーナ」と呼ばれていた(インドの西部地方の都市“プーナ”で生まれたため)が、その植民地であるインドに赴いていたイギリスのボーフォート侯がその魅力にとりつかれ、別荘の庭にコートをつくり、楽しんだとのこと。
その別荘の名が『バドミントン荘』だったんだって!'(*゚▽゚*)'知らなんだぁ~。

サンドイッチがイギリスのサンドイッチ伯爵の名に由来しているこはけっこう有名だけど、博打の最中でも食べやすくハムや野菜をはさんで食べたのがことの始まりで、日本の「鉄火巻き」も賭場の別名である「鉄火場」で手にご飯粒がつかないように、マグロでべたつかないように、と考案したのが「鉄火巻き」だと知り、サンドイッチも鉄火巻きも同じような必要性から出来たのだと知りました。

こんなんが500件も掲載されているので、覚えたような気になりつつ読んでいても、「えっと、あの語源は何だったっけ?!」と、思わず読み返してしまうので、結局時間がずいぶんとかかってしまったのでした。

とても楽しく、興味深く読めました。
すこしばかり利口になったような気がする(^_^;)気のせいかもしれないけど。

 

2020/06/23

「音の館 2020/音楽之友社」という MOOK を読みました。

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『音の館 2020 stereo編/音楽之友社』というムック本を読みました。

オーディオ専門誌『stereo』で、1981年1月号から2009年3月号までの30年弱、続いた連載記事をまとめたものです。

私はオーディオ・マニアではありませんが、でもこういう本を読めば、やはり興奮してしまう(^^;)

単に「あのアンプと、あのスピーカーの組み合わせで聞くと、どんな音がするのだろう」というようなことから、この本に掲載されているようなインシュレーター、ノイズフィルター、ケーブルなどによる音の変化など、実に興味深い。

私が学生時代には、よくブロック塀に使われているコンクリート製ブロックをスピーカー台として使っているオーディオ好きのお兄さんが友達の家にいたりしました。
当時は、カッコイイ!きっといい音がするんだろうな、などと思っておりましたd(^_^o)

で、この本は専門誌の編集者がオーディオ界に名だたる“つわもの”達と共に、「音の館」と当時呼ばれていた“実験室”のような部屋で様々な試みをしている様子が、呆れるくらいいっぱい(^_^;)写真と共に書かれていました。

先に述べたような割と私にも考えられるような「いい音」へのアプローチなどだけでなく、マイナス・イオン・ドライヤーの風をCDにあてると音がよくなるのでは・・( ̄O ̄;)という“説”があり、実際に試してみたり・・結果としてものすごく音が良くなったり (・_・;、リスニングルームにいる全員が靴下を脱ぐといい音がするのでは…(^_^;)とか、全員腕時計を外して部屋の外に出すといい音がするに違いない・・など、もう私には何がなんだかわからない試みまで行われています。

当時のオーディオ雑誌で私もよく見た「ブチルゴム」というベトベトしているらしいゴムをスピーカー・ケーブルにぐるぐる巻きにしてみたり、結束バンドでアンプとプレーヤーを縛り付けたりするというSMまがいの、何のために何の効果を期待しているのかわからない良い音へのアプローチも恥ずかしそうな様子もなく書かれていました(*^_^*)
もうわけわかりません。

でも、それが・・おもしろいんだよなぁ~(#^.^#)

というわけで、ものすごく興味ある実験から、ただ笑ってしまうような実験の結果まで、楽しく読ませてもらいました。

私もちょっとスピーカー・ケーブルを変えてみようか、なんて思いだしました・・あぶない、あぶない・・“どツボ”にはまってしまいそう・・(^_^)

オーディオ好きで、ちょっとイタズラ好きな人には“超おもしろ本”だと思いました。

 

2020/06/21

「ビートルズ/マークハーツガード著」を読みました。

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『ビートルズ(A DAY IN THE LIFE)/マークハーツガード(Mark Hertsgaard)著・湯川れい子訳(ハルキ文庫)』という本を読みました。

これは、1994年1月に発行され、日本では湯川れい子さんの訳で1997年7月に単行本化されたものだそうで、今回2019年11月にそれが“文庫本”化されたものです。

私、実はこの本を存知上げませんでした。
時期としては、ビートルズが「アンソロジー」を企画していて、来年出るんじゃないかという時期だったようです。文中にその旨の記述がありました。

で、その時期の文献としては、かなり冷静にビートルズのデビューから解散までを丁寧に音楽的な面から、さら四人個々の関係、そしてブライアン・エプスタインやジョージ・マーティン含め周囲の人たちとの関係なども偏りも感じさせず書いていて、ビートルズ・ファンの一人として読み応えのあるものでした。

筆者はこの文を書くにあたり、EMIに残されていたテープをそれこそ、あのアンソロジーに入っていたような制作過程の部分をかなりの時間聞くことが許されていて、それを聞いた上でのものなので、当時の四人の様子、ジョージ・マーティンらスタッフとのやり取りなども理解した状態での文となっており、今現在の私が読んでも知らなかったことや、著者にとっての「ビートルズ」という音楽・芸術・現象・人としての姿が丹念に書かれているものだと感じました。

1994年頃の文ですが、よくあるビートルズ本に書かれている、ゲット・バック・セッションの頃は四人の関係は最悪だった・・みたいな安易で一方的な偏りのある記述も、丁寧にその時の状況を拾い出して実際はこんなであったろう、ということも書かれていました。

そしてビートルズの四人は家族、あるいはそれ以上のようなものになっていた、という記述にも共感しました。
いくらなんでも家族四人にそれぞれ結婚してパートナーが出来たり、子供が出来たり、大家族になってしまえば、一緒に暮らしていくのは無理だろうという考え方にも納得がいきました。
つまり、あの頃、四人の団結、結束の強さは誰にも想像出来ないものだったのではないかと。

さらにビートルズが創り上げたものは、単なるロック・ミュージックとか、時代に生きる若者達の成功物語でもなく、残されたものはある種の「芸術」としての一形態なのではないか、というような記述もあり、・・そうかもしれない、と思いました。

私は今でもビートルズの曲を毎日聞いています。たぶん聞かない日はありません。
それだけ魅力のある楽曲ばかりであり、アルバムは作品として今でも鑑賞に耐えうるものであり、これだけ聞いてもまだ日々発見がある、ということも驚きです。
しかも、こんだけ何十年も聞いているのに飽きない。さらに新鮮に聞こえる。

私、かつてビートルズ研究室というホームページを作り、2004年から数年かけて全曲について研究し、掲載したことがあります。
ホームページはプロバイダーの都合で閉じることになりましたが、その原稿はまだ手元に残っています。
何とか、今年中にでもその原稿を生かし、追記等をして(それぞれの曲を聞きながら書いていましたが、2009年リマスターの前のCD音源を中心にしていたので、あらためて聞き直してもよい部分があるのでは、と思っている)このブログで復活させようという思いをあらたにしました。

ビートルズ、いつまでたっても私の心の中に人生の支えとして生き続けているのです。

 

2020/06/09

「百鬼園先生雑記帳」を読みました。

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『百鬼園先生雑記帳 -附・百閒書簡註解-/平山三郎著(中公文庫)』という本を読みました。

著者は内田百閒先生の「阿房列車」に同乗、「内田百閒全集」の編集・校訂にもあたった方です。
「詩琴酒の人」「わが百閒先生」などの著書もあります。

内田百閒先生にまつわる本は何冊か読み、このブログでも読後感を度々書いていますが、いつ読んでも「何だこの人」っていう感想は変わりません(^_^;)
でも、そんな人で魅力のある人ってのは、なかなかいるもんじゃあありません。

夏目漱石先生との師弟関係というか、なんというか、思わず吹き出してしまうようなエピソードも書かれていました。
漱石先生にむかって、「私は耳を動かせます」と言って、実際に耳を動かしてみせ、それをまた漱石先生が別の機会に文にして書いているのには、「なんだこの人たちは?!」と思いましたが、男と男の師弟関係みたいなものはそんなものです。
・・傍から見ているとバカみたい(^^;)

漱石遺品のペン先の折れたオノトの万年筆を形見として百閒先生は貰っているが、「行人」「心」「硝子戸の中」「道草」などもそのペンで書かれたとのこと、そういう話題もうらやましい。

阿房列車の克明な旅中小遣帖も興味深く見ました。

上野駅サンドイッチ百五十円
盛岡駅そば屋にて盛四玉子二 百五十円
青森市内にて床屋(二人) 八十円

などなど。

読んでいて何が面白いのか途中でわからなくなったりするのだが、やはり面白い!

また本屋に行ったら百閒先生関係の本を探してしまうでしょう。

 

2020/05/30

「ジャズ喫茶 ベイシー読本」読み切った。

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『ジャズ喫茶 ベイシー読本/別冊ステレオサウンド(株式会社ステレオサウンド)』を読みました。
発売日の5月28日に手に入れ、本日完読!あっという間に読み終えました。

ジャズ喫茶・ベイシーと言えばジャズ好きな人であれば知らない人はいない、岩手県一関市にあるレコード盤でジャズを掛ける、そして空前絶後の良い音で、しかも大音響でJBLのユニットをマスター作成のエンクロージャで固め、鳴らしているジャズ喫茶です。

そのベイシーが50周年を迎えるということで、ステレオサウンド社が一冊まるごとの大特集本です。
ベイシーの映画も完成されているとのことですが、この“コロナ感染騒ぎ”でまだ上映に至っておりません。

マスター・菅原さんの子供の頃から高校、大学、プロのドラマーとしての就職、そして病気のため一関に帰り、ジャズ喫茶を始めるところから現在に至るまで、マスターと音の格闘物語を中心に編集されていました。

そして野口久光氏はじめ、伊藤八十八氏、御大カウント・ベイシー、エルビン・ジョーンズ、タモリさん、村松友視氏、JBLのアメリカ本社の方々など、様々な人達との交流の様子も感動たっぷり、味わいたっぷり、洒落や冗談も交え、文章が掲載されています。

もう、全部が読みどころヽ(=´▽`=)ノ

何といっても、マスター菅原さんの音への探求心・追求心にこちらも心躍り、熱くて一本気な人生に“ジン”ときました。

私も一度だけベイシーを訪れたことがあります。二十数年前・・。
大音響なのに、ひそひそ声で注文を取りに来た女性の声もよく聞こえ、会話も小声でできる、ベイシーならではの良い音がそんな現象を生み出しているのだ、と驚嘆しました。

そのときマスターが掛けてくれたウエス・モンゴメリーのライブ盤では、ウエスのギター・アンプの“箱鳴り”の音が聞こえ、同じ音源を持っている私には今まで一度も聞こえたことのない音に驚きました。

さらにマイルスのライブ盤も掛かりましたが、トランペットを吹きながらソロの部分でセンターに歩いてくるマイルスの足音というか、ステージの軋み音が聞こえたときには震えが来ました。
すごいっ!凄すぎる!どういうことだ、自宅のオーディオでは同じレコードを掛けてもこんな音、影も形も無いっ!・・と、ベイシー・サウンドの素晴らしさにただただ心洗われるように音の滝壺の裏側に入ったような気分で、その貴重な時間を過したのでした。

最後にこの本の中で菅原さんが語っていたことで印象に残ったひと言を。

「有り難かったことが当たり前になっちゃうのは、ある意味不幸なんだよ。それに、どっかちょっと不便なほうが有り難いんだけどな・・。」・・・まったくもって同感でした。

 

2020/05/28

太田和彦さんの「BARへ行こう。」を読んだ。

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『BARへ行こう。/太田和彦著(ポプラ新書)』を読みました。

BARというのは私にとってほとんど馴染のないところです。
場所もよく知らないし、一人で入るっていうのはなかなかハードルが高く、踏み入ることに躊躇を感じる所です。

で、その世界を知るための“太田さん頼み”となった。

読み始めると、まずは簡単にBARに入ったときの心構えや、カクテルの大まかな種類などのレクチャーがあり(ほんとうに簡単でわかりやすかった)、さらに太田さんお勧めの全国のBARの紹介がありました。

で、さあ本編!

よく知っているカクテルから、初めて聞く名前のカクテルなどの紹介となるのですが、そのカクテルごとにそれぞれ物語仕立てになっていて、これが面白かった。

カクテルをからませた物語を作ると、自然に男と女のストーリーが多くなり、それがまたちょっとドキドキするような話で、これまた愉しく読みました(゚ー゚*)。oO

私がこの本に書かれているような本格的なBARに行ったことがあるのは、二十代の頃でした。
当時、年上の彼女が馴染のBARに連れて行ってくれて、手慣れた感じで自分と私が好きそうなカクテルを頼んでくれました。
バーテンダーの見事な手捌きに驚き、スイッとカウンター上に出来上がったカクテルを出されたときに「カッコイイ~」と素直に思いました。

この本に書かれていた、男が女性をBARに連れて行き、自分の飲み物と女性に合うカクテルをサッと頼む格好良さとは全く逆の私の若い頃の体験でした(^_^;)

あれから幾数十年・・BARにはいまだ行けていません。

コロナの騒ぎが収まってきたら、今度はBARを体験・開拓するのもいいかもしれない、と思いつつ読了。

少し未来に楽しみが出来ました。

 

2020/05/24

「ブコウスキーの酔いどれ紀行」を読んだ。

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『ブコウスキーの酔いどれ紀行(SHAKESPEARE NVER DID THIS)/チャールズ・ブコウスキー著・マイケル・モンフォート写真・中川五郎訳(ちくま文庫)』を読みました。

著者のチャールズ・ブコウスキーは、ドイツ生まれで3歳のときにアメリカに移住。
カレッジ中退ののちアメリカ各地を放浪、その後郵便局に勤務しつつ創作活動をしたとのこと。
100冊に及ぶ著作が刊行されたのだそうです。

それらについては読んだことがないのですが、今回本屋で気になって手に取ったのが、この「酔いどれ紀行」です。

表紙のイラストは、本文中に出てくるブコウスキーの写真から描かれたものですが、そのハチャメチャで無頼な感じが面白そうで、思わず手にしたのです。

中をパラパラとめくってみると、ワインをボトルごと手にしてガブガブと飲み、好き勝手なことを喋りまくり、同行の女性とドイツ、フランスを訪れ、そこで出くわす様々な出来事に体当たりしたり、相手にしなかったり、自由奔放、我が道を行くブコウスキーのほとんどドキュメンタリー的な文になっていました。

ブコウスキーの著作を読んでもいないのに、この私にもその破天荒な著者の性格が面白く、あちこちで朗読会を開くと若者がたくさん集まったり、テレビへの出演でも泥酔してそのままスタジオを飛び出したりする奇行がかえって人々に“ウケたり”して、つまりはこの人の人間的な魅力に惹かれていく人が多かったのだな、と思いました。

ブコウスキーは、1920年生まれで、1994年に亡くなっています。
時代がその奇行、蛮行、暴言なども許すような時代だったのでしょうが、もう今の時代にこういう人が現われるのはなかなか難しいでしょう。

SNSやその他、人を取り巻く環境も変わりました。
今に生きていたら、“炎上”必至、“生真面目”な人達の砲火を浴びたことでしょう。

いい時代に自由奔放に生きた作家の豪快な旅の記録、楽しく読みました。

 

2020/05/18

井上荒野さんの「森のなかのママ」を読んだ。

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『森のなかのママ/井上荒野著(集英社文庫)』を読みました。

この本の世界はなんとも小説ならでは、っていうか「ありえねぇだろ?!」っていうくらいの設定で進んで行きます。

画家だった父親の突然の死。

浮き世離れした主人公の母親(ママ)はその未亡人。
美術館に改装した家にその母娘が住みます。

無くなった画家のアトリエだった離れは、なんだか過去に上記のママと何かあったのかもしれない渋い老人が間借りする。
その老人に主人公の大学生の娘がいきなり告白するところから物語が始まる。

浮き世離れしたママにはその間借り老人のほか、妻と愛人がいてもなおママに憧れる男や、ママをなんとか口説こうとするもうひとりの男、さらに画商で、次々と無くなった画家の遺作で家に残されているものを買い取り、その間にやはりママに何か好意以上のものを秘めている男が登場。

先に書いた主人公の大学生の娘は、老人に告白しているのだが、同じ大学の友人である男性も主人公に好意を寄せている。

これだけの関係の中に、さらに無くなった画家は生前かなり“モテ”ており、宿で突然亡くなったときも女性と一緒だった。
で、その女性が途中から物語に参戦してくる!

けっこう“しっちゃかめっちゃか”なストーリー展開で、登場人物皆が騒々しいのに、“ママ”は呑気なんだか、無神経なんだか、のほほんとしていて、とらえどころがない。
でもって、かなりの美人ときている。

テレビドラマにでもしたら、これはもう面白くて、毎回毎回起こるハプニングがとてもドキドキかつ、愉快で、ミステリアスなものになって、こたえられんだろうと思いました。

とにかく奇想天外な展開が面白くて、あっという間に読み終えました。

それぞれのキャラクターの人間模様が絡み合い、絶妙のドラマとなっておりました。

ストーリーそのものを書くわけにはいきませんが、かなりのおすすめ本です。
たのしめますよぉ~(^-^)/☆

 

2020/05/15

「文豪と酒 -酒をめぐる珠玉の作品集-」を読みました。

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『文豪と酒 -酒をめぐる珠玉の作品集-/長山靖生・編(中公文庫)』を読みました。

この本は、漱石、荷風、谷崎、太宰などの作家や詩人、歌人などが書いたウイスキー、ビール、ジン、紹興酒などに思いを託した作品を集めた作品集になっています。

鴎外の作品などは、今の時代の私からみると、かなり“文語調”に感じ、けっこう読むだけでも難儀しました。
「いま着きし汽車にて、ドレスデンより来にければ、茶店のさまの、かしことこことことなるに目を注ぎぬ。」なんて・・わかったようなわからないような・・。

でも、それぞれの文豪らの、酒を巧みに登場させ、演出する文を読んでいると、昨今の小説などに登場する「酒」には、これほどの意味合いや物語への影響は無いな、と思いました。
昔の文豪が書く「酒」は深くて味わいのあるものになっていて、登場人物の気持ちや、時間の経過、小説全体の雰囲気を絶妙に演出しています。

特に印象に残ったのは、岡本かの子の作品に、パリでの食事風景が描かれていて、アペリティフ(食前酒)が語られ、「ペルノーやベルモットなんてポピュラーな食前酒だ」、などと語られていますが、私はたぶん両方とも一度も飲んだことがないかもしれない。

荷風の「夜の汽車」では、女が手にしているのは古風な日本酒でも、汽車内にそぐわない瓶ビールでもなく、やさぐれた焼酎でもない、ウィスキーでした。
懐から取りだして飲むのがウィスキーだからこそしっくりくる、そんなシーンも味わうことが出来ました。

そんなわけで、飲んでもいないのに“ほろ酔い気分”で今回のブログはおしまいです(゚ー゚*)。oO

次は井上荒野さんの小説を読もうかと思っています。

 

2020/05/10

「昭和恋々」山本夏彦・久世輝彦共著を読んだ。

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『昭和恋々 -あのころ、こんな暮らしがあった-/山本夏彦・久世輝彦共著(文春文庫)』という本を読みました。

この本は写真がふんだんです。
それも昭和10年頃から20年代~30年代~40年代と、私には懐かしい時代もあるし、時々ニュース映像などで見かけたことのあるような昭和初期のものなども。

そして、山本夏彦、久世輝彦という“一筋縄”ではいかない両人の無駄のない文章がそれら写真の時代に思いを馳せ、ただ懐かしむというではなく、現代に無くなったそれらが何を意味していたのか、世間とは、家族とはどういうものだったのか、という部分にまでふれていきます。

かつてデパートなどにあった蛇腹式の折りたたみ扉と共に二重扉となっていた「OTIS(オーチス)」のエレベーターの写真・・たしか日比谷の三信ビルが取り壊される前にあったと思う・・、もちろん“デパートガール”も映り込んでいる、どこの家でもあった縁側の人達の風景、そしてなぜか縁側に置いてあることの多かった足踏みミシン、柱時計、床屋のサインポール、原っぱで遊ぶ子ども、物干し台、などの写真と共に両人が書いた文章はなかなか読ませます。そして私には経験のないものもあるのに何故か懐かしいのです。

その時代にあって今にないものって何だろう?
と、私も思いましたが、でも具体的に言おうと思ってもうまく言えません。

人と人のつながり、みたいなものでしょうか。
それに便利になるからといって使い出した様々な家電品を筆頭とする道具などが、果たして人の生活をほんとうに豊かにしたのか、なんてことも思いました。

携帯電話、スマートフォンなどで人と人が繋がった・・?!・・めでたいようだが、ほんとうの繋がりなんて実際にはなくて、個々はとても孤独で寂しいような気もします。

そんなことにも思いが至った本でした。

最後に山本夏彦氏の本は、もう新刊書店で見かけることはほとんど無くなりました。
今の時代、まったく売れない本となったのか、それとも著作権関係などの都合なのか、または時代柄、抹殺されたのか、理由はわかりませんが、今の時代にはまったく見ることのない文体、言葉、考え方がふんだんに書かれた偏屈王の翁の本を私も何冊か保有しておりますので、大事に読み返したいと思っています。

 

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