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わたしのいきつけ

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2019/01/19

旅の窓・沢木耕太郎を読んだ

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『旅の窓/沢木耕太郎 文・写真(幻冬舎文庫)』を読みました(見ました)。
これは著者の沢木さんが世界のいろいろな国を旅しているときにフィルムを使って写真撮影したものに、その時々のキャプションを加えて本にしたものです。

カメラマンでなくとも誰が撮った写真でも興味を持ってしまう私。
で、この本に載っている沢木さんの写真は独自の視点で撮られていて、とても惹かれるものでした。

旅の途中で、その街で出会った人にふと感じた何かを、その瞬間に撮ったもの。

なぜか広大で雄大な景色を撮った写真の端っこにぽつんと小さぁ~く人が写っている作品が多いのも、偶然が重なったのかもしれませんが(ご本人もそう書いている)、とても印象的で素敵なものになっています。

子供や、家族、一人で物思いに耽る人、などの写真も魅力あるものになっていました。
もちろん文章は風景や街、人々の様々な様子などについて優しい視線で書かれたものでした。

その中でちょっと私が気になったエピソード。

「旅をなぞってはいけない。それがこの何十年かの旅で得た教訓のひとつである。」

というもの。

著者が若い頃の旅の記憶を求めてスペインのマラガというところに再訪したが、かつての宝石のような空間だった所が、二十年も経ってすっかり変わってしまって・・というお話でした。
「私はやはり失望しないわけにはいかなかった。」と、書かれていますが、私にも似たような経験があります。
でも、時には最初の探訪からの年月の良い変化を感じて涙してしまうこともあります。

「旅のなぞり」は多くは失望となり、時には感動を呼ぶことも・・。面白いエピソードでした。

2019/01/13

「ことばの食卓」を読んだ

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『ことばの食卓/武田百合子著・野中ユリ画(ちくま文庫)』を読みました。
以前にもこの武田百合子さんが書いた「日日雑記」をご紹介したことがありますが、今回もその文の妙技に舌を巻きました。

一眠りしたあと、晩ごはん食べる。
あたし、うなぎが大好物。昨夜なんかも、うなぎ入れた小田巻蒸しこさえてもらった。
それと付け合わせに、ほうれん草のおひたし。
まぐろの山かけも大好物。
でも、くどいもの二つはいやだから、一つくどけりゃ、片方はさっぱりと。
そいで、お酢の物が大好きだからね。
ワケギと、それからあのー何か、貝あるでしょ。それでこさえたりなんかすれば、本当にうんとおいしいねぇ。

・・という具合で、誰も真似できない書きっぷり、文体だと思いました。

描写もいいし、本人の気持ちが語調にうまく出ている。
短い文でも、本人の「人」が見えてくるように感じます。

さらに、この本1984年に刊行されたものの文庫化ですが、武田さんの文により、当時の町の様子、人の様子、店の様子、様々な風俗なども描かれていて、それも非常に興味深いものがありました。
こういう人が、こういう書き方をしないと当時の「時代」は脚色されたものとなって残ってしまったかもしれません。

文良し、そして野中ユリさんの挿絵も素晴らしい、私の大好きなタイプの本でした。


【Now Playing】 It Could Happen To You / Horace Parlan ( Jazz )

2019/01/09

「人生の結論」小池一夫著を読みました

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『人生の結論/小池一夫著(朝日新書)』を読みました。
著者の小池氏は、作家で漫画原作者だそうで、『子連れ狼』の原作で知られている方とのこと。小説を書き、作詞、脚本も手掛けておられます。80歳を越え、氏のツイッターはフォロワー80万人を超え、驚きを覚えながら、この著書を読みました。

完全書き下ろしのこの本、人間関係や働くことについてのヒントが満載でした。
しかも私でもわかるような、やさしい言葉で書かれていて、さすがの人生経験を感じました。

「一流は競う、二流は群れる」「人間関係を突き詰めれば、無理をして付き合わないこと」「仕事ができるフリをやめると、目的にたどり着ける」・・などなど、タイトルだけでハッとするのです。中身はさらにわかりやすくて濃いっ!

特に私の心に響いたのが、

「自分の使っている言葉が、他人からのいちばんの評価の対象になるのは仕方ないこと」
というところでした。

内面がいちばんわかりやすいのはその人の使っている言葉だ・・というわけです。

人間は言葉で思考する。だから、年を重ねたアイドルに向かって・・「劣化した」などという言葉を平気で投げつける。

精神が弱った人に向かって「メンヘラ※私はこの言葉を知らなかったのでこの本を読みつつ調べてみた」、さらに一線から外れた人に「オワコン※この言葉もよく知らなかったのでさらに調べた」という流行り言葉をぶつける。

これらの言葉が浮かんだら、自分の思考は汚い言葉に毒されている、負けていると思った方がいいと、著者は書いています。
私もそう思いましたよ。

「劣化しているのは自分自身だ」と、著者は強く言い放っています。

いい言葉を使う人には、いい人生をつくる力がある・・という著者の言葉に力強く背中を押されたような気持ちになりました。

『日頃使っている言葉とは、人生を変えるものであると言っても過言ではない、言葉の選択力と人間力は正比例だ!』・・涙がでるほど同感した!

言葉に鈍感な人が多すぎるっ!私はそう思う。

2019/01/06

「月夜のサラサーテ」を読んだ

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『月夜のサラサーテ/森博嗣著(講談社文庫)』を読みました。
1957年生まれのこの著者を、私、恥ずかしながら存知上げておりませんでした。
人気作家で、Amazon.co.jpの10周年記念で殿堂入り著者にも選ばれているそうで、すまん!って感じなんです。
本屋で立ち読みして、こりゃ面白そう!と手に取った次第です。

著者・森博嗣氏が100のつぶやきをしているというこの本、「謝罪会見は、いったい誰に謝っているつもりなのか」とか、「リストラで駄目な部分が切られるが、原因は駄目だからではない」、「感動の不適切な扱いが目立っているこの頃」などなど、目次を見ているだけで面白そう、と感じたのでした。

しかしながら、この本のカバーにもかかれているように、著者・森博嗣氏は理屈っぽい・・っていうか、理詰めでどんどん攻めてくるので読んでいるこちらも“ぐうの音も出ない”状況に陥ります。

人として生きていると様々な出来事、事象に出くわしますが、それを著者は観察、考察して、こちらが長いこと信じてきたような世の考え方をバッサリと切り捨てます。
でもって、今まで味わっていた世の中の慣わしとは異なる世界が見えてくるのです。
それが痛快である場合もありますが、あまりの切り捨て度にガックリくることも・・。
非常に私にとっては、微妙な本となりました。

読んでいて、納得がいった項目も多々ありましたが、その中で最も共感したのは・・

自分の欠点や悪行など、防御が難しい部分を持っていると、そこを攻められるくらいなら、さきに相手を攻撃しよう、となる。そうならざるをえない。

と、書いていて、具体的な例として・・

ネットで散見される事あるごとに他者を非難する人達。
この人達は、多く自分が非難されたくないという心理によるものである。
と言っています。

人の行為に対する賛否ではなく、人格を攻撃する場合が多々見られるが、例外なく、自分に人格的な欠点があって、そのコンプレックスを抱えているから、ついその攻撃が「有効だ」と思いついてしまうのだという。

・・共感した。

自覚もなく、人格を攻撃し、単に貶め(おとしめ)たいというだけのもの。
理屈が述べられないからそうなる。・・まったくだ!

相手の能力的な部分を攻撃する人は、自身に能力的な欠陥があるのだと断じています。

こうして、人間社会の構図が見通せるのだと書かれていて、今まで何となく感じていたことが理路整然と述べられていて、わたしゃ唸っちゃいましたよd(^_^o)

この著者の本は、もう一冊持っているので、それを読んだときには、またこのブログで感想を書こうと思います。

結局は手に取ってよかった本でした。

2019/01/01

山本夏彦翁の「完本 文語文」を読みました。

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あけましておめでとうございます。
今年は読書で始まりました。というか、実は大晦日に読み終えた本です。
年末にふさわしく?けちって108円でブックオフにて手に入れた文庫本『完本 文語文/山本夏彦著(文春文庫)』でした。

感想は新年になってしまいましたが、心のみならず、全身に染み渡るような本でした。

著者は大正生まれの昭和育ちであるが、文語文を国語の遺産、柱石だと思っていて、明治以来欧米の文物が入ってこのかたそれまで淀んでいた文語文がにわかに活気を呈した、そしてそれを捨て去ってしまったことを嘆いていますが、そもそも大正生まれの著者にしてからがそんなことを知りうる時代に生まれていない。

でも、幼い頃に父が遺してくれた様々な書物を勝手に紐解き、その時代の空気を知り、時代の様子を知り、その時代の文章に馴染んでいたので、その時代の人物とは旧知の仲のように文筆を通して知古の存在となっているのです。

例として適切かどうかわからないが、私が現役時代のビートルズをほとんど知らずに過し、解散後にその全ての遺産を聞きまくり、まるで旧知の人のように感じていることと、やや似ているのかもしれません。

樋口一葉、二葉亭四迷、中江兆民などは筆者には既知・旧知の人となっています。

佐藤春夫、中島敦ら諸家の名文を引き、失った父祖の語彙を枚挙し、現代口語文の欠点を衝く、そんな本で、私も知らぬことばかりの恥をここで素直に白状しますが、読めば読むほど納得させてくれる本でした。

また、著者が世間に通用してしまって残念に思っている言葉が挙げられていました。

「生きざま」・・死にざまはあるが、生きざまはない・・と言っています。私もまだそっちのくちです。

「告白」と言って白状と言わない・・とも言っています。告白だって、・・イヤな言葉だねぇ・・と、私もまだ思う者の一人です。

「奇しくも」は、目で覚えるから<きしくも>になってしまう、『くしもくも』だろう、と言っていますが、もう間に合わない。
「床の間」を「ゆかのま」と読むがごとしです。

などと、くどくど書いてしまいましたが、少ししゃっきりして新年を迎えることになりました。この本のおかげで!

今年も自分らしく、長いものには巻かれず、札束には切られず、皮肉な返答のひとつもしながら生きて行こうと思います。
それじゃ今年もよろしく。

2018/12/22

「プールサイド小景・静物」庄野潤三の小説を読んだ

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『プールサイド小景・静物/庄野潤三著(新潮文庫)』を読みました。
昭和40年に発行されたこの文庫本、平成25年の8月時点ですでに38刷となっているので、よく売れた本なのだと思います。

昭和29年に芥川賞を受賞した「プールサイド小景」を含む七編が収録されていますが、どれも不思議な雰囲気、味わいを醸し出していて、文学というよりも、短編映画のような印象が心に残ります。

最初に出てくる「舞踏」では、うまくいっていない夫婦が描かれています。妻は、自分の気持ちをわかってほしいが、その方法がわからずに、家で泣き出したり、当時のあまりよくないウイスキーの貰いものを一気に飲んで倒れてしまったり、どうにも夫は困ってしまうのです。
でも夫は、若い妻がいて、幼い子もいるのに職場のさらに若い娘にほのかな恋心を抱いている・・。

物語は静々と進むが、何の解決もなくスッと終わってしまう。どうすんだぁ~この話!などと突然の終了に驚いていると、次の「プールサイド小景」が始まる。
ここでは、会社の金を使い込んだ夫が“クビ”になり、結局、毎日家にいることとなり、妻は今までの平穏な生活がいったい何だったのか、過去の日々を思い出すことも出来ずに茫然とその日暮らしの生活をして、その際の心模様が描かれたかと思うと、またもやそのまま未解決極まりない状態で物語はフェイドアウト。

油断も隙もない著者の作風に、最初は驚くが、実はその不思議な余韻にひたってしまうのでした。

たまたま列車内で知り合った外国人夫婦。数年後にとあることからその外国人のアメリカの家を訪ねることになるのだが、その家でも不思議な家族関係と、それぞれの人物が特異なキャラクターを持っていて、でも、小説でなくとも、こんなことってあるよ、きっと・・と、思いました。不思議な感覚。
そんなこんなを思いつつ読んでいるとこれまた人生のやるせなさが浮き上がってくるような気にさせてくれる作品。

などなど、それぞれの作品は、あまり日本の小説ではお目にかかれないようなたたずまいで存在しています。
勉強不足でこの作者、作品を存知上げませんでしたが、突き刺さるものは鋭く、大きなものがありました。

2018/12/20

ただいま、今までの読書と映画鑑賞の記録をまとめる作業をしております。

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ブログを書く手をとめて、ただいま、今までこのブログにアップしてきた本の読後感と映画鑑賞したときの感想を記録としてまとめる作業をしております。

ブログのカテゴリー欄をクリックすれば過去の掲載文を見ることができるのですが、一覧表にして自分で過去をちょっと振り返ってみようと思い立ったのです。

ただ、始めてみるとその量に我ながら驚き、映画の方はなんとか7割方作業が進みましたが、読書記録の方はまだまだ先が長い・・(^_^;)。

でも、途中まででも出来上がった一覧表を見ると、いろいろと思い出すことや、この頃読んでいたのか、など、その年と読んだ時期がシンクロしてきて、なかなかいいものです。

あと一週間から二週間くらいでなんとかなるかもしれませんが、あせらず頑張ります (・_・;

その間、ブログの更新も滞りがちになるかもしれませんが、長い目で見てやってください。
それでは、また次回。

2018/12/17

『河童が覗いた「仕事場」』を読んだ?見た!d(^_^o)

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『河童が覗いた「仕事場」/妹尾河童著・絵(文春文庫)』を読みました。
天井から見た形で、今回取材した方々の仕事場の絵も掲載されているので、「見た」とも言えます。1997年の本です。

とにかく細密で、測ったような・・(実際にメジャーを持って行って測っている)・・それぞれの各界で有名な方々の仕事場の絵が有無を言わせぬ圧倒的な様子で描かれています。

坂東玉三郎さんの楽屋、冨田勲さんのスタジオ、辻村ジュサブローさんの人形工房、玉村豊さん宅の台所、立花隆さんの書斎、野坂昭如さんの書斎など、さらにもっともっと様々な方、世界で、各界で活躍されている方々の仕事場の様子が描かれ、しかもこの本では河童さんが訪ねた相手方からの文も添えられています。
そこには河童さんの訪問を受けた方々から、「事前にかなり勉強してきているぞ」と、驚かれている様子が書かれていました。
細密なのは絵だけではないのです。河童さんの仕事そのものについてもです。
河童さんが思うところのそれぞれの訪問先の方々の仕事、世界についての鋭い意見も書かれていました。そこがまたすごい。

取材時間もかなり長い様子がうかがわれ、河童さんが時間をかけて説得し、取材の了承を得たからにはとことんやる、ということがよくわかりました。

河童さんと親しい人からの文に書かれていたのですが、河童さんから深夜に電話が掛かってくると、とても長い電話になることを覚悟しなければならない・・ということも書かれていて、もう夢中になると話が止らない方なのですね。

絵と文で構成されたこの本を読んでいると、取材相手の仕事が進められていく様子、その仕事場の環境がひしひしと伝わってくると共に、河童さんの息づかいまで感じてくるのでした。
突っ込んで突っ込んでいく河童さんの取材の息詰まるような雰囲気が本から滲み出している、そんな感じです。

古い本で、ここに出てきた訪問先の方々は、今、このブログを書いている時点で、既に亡くなられている方も何人もいらっしゃいますが、その方々を思い出し、またあらためてお元気だった頃に思いを馳せたのでした。

2018/12/12

『タモリさんに学ぶ「人生の後半」を生きるコツ』を読んだ

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『タモリさんに学ぶ「人生の後半」を生きるコツ/内藤誼人著(廣済堂新書)』という本を読みました。
著者の心理学者・内藤誼人氏は、タモリさんとは面識が無いそうだが、タモリさんの過去の雑誌、書籍、テレビ・ラジオなどのメディアからの発言の数々を丹念に拾い、それをこの本の各章の項目にして、まさにタモリさんの生き方のエッセンスのようなものを描き出していました。

著者が感じているタモリさんの、他のお笑いタレントやその他芸能界で成功している人と異なる生き方がうまく表現されていて、私もタモリさんの存在の仕方にいつも感心していたのですが、なぜ私もそんなふうに感じていたのか、あらためてわかったように思いました。

「立派な人間」になることをあえて拒否する

「他人からの評価」に縛られすぎない

他人に期待しなければ、失望することもない

いちいち細かいことで反省しない

「頑張らない」ことを座右の銘にする

などなど、この本に書かれていることの一部ですが、タモリさんの過去の発言から得た人生の渡り歩き方が、上記5つの項目だけでもわかる気がします。

タモリさんのようなお笑いタレント、あるいは司会業のタレントさん、芸能人は、ある程度の地位を得ると尊大になります。それはほとんどの人がそんな感じに見えますが、タモリさんはそんなことを感じさせません。
何より、子分を作らない。

無理難題をふっかけ、自分の子分などがあわてふためき、右往左往する姿を、高みの見物状態で笑いものにするなどという最低のギャグもやらない。

急にコメンテーターみたいなことをやり始め、なんだかえらそうにする。そんなこともやらない。そもそも自分がそんなにご大層なことを言えるものだとも考えていない。

長いことタモリさんをテレビその他で見てきたけれども、私には漠然としかわかっていませんでした。それらのことが人生をストレスフリーで生きて行く極意なのだということが。

「心も身体も疲れない自分のために生きる人生の極意」と帯にも書かれていましたが、ここ数年で少しずつわかりかけていたことが明快に書かれているこの本、ある程度人生半ばまできて、これまでの自分を反省しつつ過している人や、まだまだ若いけど、辛く苦しい社会人生活を送っている人にもおすすめできる本だと思いました。

とても読みやすかったd(^_^o)


【Now Playing】 Cloud 9 / George Harrison ( Rock )

2018/12/11

東海林さだおの「目玉焼きの丸かじり」を読んだ

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『目玉焼きの丸かじり/東海林さだお著(文春文庫)』を読みました。
毎度のことながら、東海林さだおさんのこういう食べ物関係の本に関しては、本屋で立ち読み時には、“めっちゃおもしろそう”に感じて手を出すのです。
ほんとに毎回そう!で、このブログにも何度も書きましたが、帰宅して読み始めると、題材としては“いいとこついて”いてワクワク気分で読み始めるのですが、話の展開が私の考えていた方向、好きなところには行かず、“東海林わーるど”に入り込み、結局どうでもいい話題となって、その題材でのお話は終了・・ってことになる。

毎回なのに、またまた本屋で見かけるとまた買ってしまう (・_・;
不思議なんだよなぁ。

「サンマに大根おろしがない不幸」という項目では、「いまサンマがおいしい」から始まり、当然サンマと大根おろしの関係に話は突入し、「大根おろしが無ければはじまらない」という展開から、大根おろしとサンマの相互関係に深く突っ込んだ内容になるかと思いきや・・。

和風おろしハンバーグに大根おろしが無い場合の不幸とサンマに大根おろしが無い不幸の比較に入る。

さらに、

刺し身にワサビがない不幸

ワサビどころか醤油がなかったら

カレーライスに福神漬けがなかったらどうする

きつね蕎麦に七味唐辛子がなかったらどうする

あんパンにアンコがなかったらどうする

という話題になってしまい・・・

どうでもいいよ、無かったらなんとかすりゃいいんじゃないの?!
と思い始める私・・。

ほんとうにどうでもいい話になっちゃうんだよね、ほとんどの項目で。

よくある「つぶあん」と「こしあん」どっちがいい、という話も出て来ましたが、こしあんはスキマがないからその分得。だからこしあん派は何事も損得勘定で考える。
一方、つぶあん派は、疑り深く、小豆を徹底的につぶして漉してしまうと原料の確認が難しくなってしまうのを懸念している。

などという生まれてから一度もそんな考え方をしたこともない考察が加えられていて、まったく、こしあん派とつぶあん派のほんとうの好みの話からは乖離しているように思いました。ねぇ、そう思わない?

というわけで、今回も空振りだったのです。私としては、ですよ。
すごく売れている本だと思うから、私のような感想は少数派なのかものしれませんが、一応多読でいろいろな方の本を読んでいる私からの感想ってことで、戯れ言だと思ってご容赦を。
今回はこれでお終いっ!

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