フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2022/01/23

古本の頁を繰っていて見つけるもの

20220123_used_books_001

最近はコロナ禍で東京まで出掛け、古本屋、古書店めぐりをしていませんで、専らブックオフで古本を買い求めているのですが、買って来た古本をパラパラとめくっていると、いろいろなものを発見します。

「謹呈」と書かれた栞が挟まれていることがあります。
“著者謹呈”というやつです。せっかく著者からいただいたのに売ってしまった本というわけで、売るときに除けばいいのに、と思いますがせっかくの謹呈本を売り払うような人なので、そんなこと“お構いなし”なのでしょう(^_^;)

さらにいろいろなものに出会います。
飲物などのレシートが入っていることもあるし、病院の領収書や、乗車券の半券などが入っていることもあります。

人からもらった葉書が挟まれていることもあって、ドキッとします。
病気がなかなか良くならない、でも日々なんとか頑張っています・・なんて書いてあったことがありました。どんな人がどんな間柄の人に送ったのか、などと暫し想いを馳せたりすることもあったのです。

出版記念パーティー会場で売られ、その領収書が入っていたこともありました。
まるで新品だったので、即座に売ったのだと思いますが、あんまりだよ・・と思ったりします (・_・;

あとは、栞代わりに読み終えたところまでページの“耳”を折ってあるもの・・(T_T)
いっぱい折ってあるので、私としては気になり、全部元に戻します。だって気になるもの。

それから、赤ペンや鉛筆などで本人が大事だと思ったらしき部分に「線」を引いているものがあります。
ただでさえ“うっとうしい”のに、これがさぁ・・どう読んでも重要でも何でもない“お門違い”な部分に線が引かれているのです(>_<)
それが気になってもう読むことが出来ないし、苛立たしい!(^^;)

だから、お店でパラパラとやってみて、線が引かれているものはもう買わないっ!d(^_^o)

逆に古書店などに行くと、とても古い個人のアルバムなどが売られていることがあります。
古本に写真が一枚挟まっていたというのでなく、最初っから写真満載のアルバムが単体で売られているのです。

私は、若い頃に、軽井沢のあの上皇様と上皇后様のロマンスの場となったテニスコート近くの公民館で何かの企画だったのでしょうか、古書が売られていたところに出くわし、そこにもアルバムがいくつか売られていて、昔の上流階級であったであろう家族のものがあり、その華麗な生活が写されているアルバムに驚いたことがあります。
ちょっと怖くて買うことはしませんでしたが・・。

ということで、古本、古書には様々な過去の発見物がついてくることがある、というお話でした。

 

2021/12/21

中学生時代から今に至るまで、「レコード盤を貸してくれ」「CDを貸してくれ」「本を貸してくれ」と言われる話。

20211218_book_cd_001

表題どおり、私が中学の頃から、友達が家に遊びにくると、本棚やレコード・ラックなどを友達がジロジロと見て、やがて「これとこれ、貸してよ」となることが何度もありました。

でもね、貸した本やレコード、CDは絶対に返っては来ません。

私の棚にある本や、レコード、CDは、気に入って手元に置いているものです。
何度も読んだり、繰り返し聞いたり、また大事な心の宝物としても扱っているものなのです。

なのに返っては来ない・・。
相手は借りたことさえ忘れているし、「その話はされたくない」みたいな態度をとる人もいる。

たとえば、私が大学生くらいの頃。
糸井重里さんが突然脚光を浴びてウケだしました。

友達は、「お前もこの人のいいところに気づいたのか」などと言い、「読んでみたいから貸せ」と(・・なんだ、まだ読んでねえのかよ)、戸惑っている私から本を取り上げ持って行ってしまいました。・・そして返してくれなかった。

糸井重里さんについては、椎名誠さんの「本の雑誌」などに文が載り、まだ一部のマニア的な人しか知らない頃から私は読んでいたのです。ブームに乗って読むなんて愚かで恥ずかしいことなんかしていなかったのだ。
でも、ヤツは周囲に“乗り遅れ”ないように、興味も無いのにちょっとだけ見とくか、程度のつもりで人の本を持って行ったのでしょう。

レコードなども同じでした。
ずうっと昔からそのミュージシャンの音楽を聞き続けてきたのに、ある盤がヒットすると、あわてて私の棚からそれを見つけ出し、「ちょっと聞かせろよ」と持って行ってしまう。・・そして返してくれない。

それらの本やレコードなどは、仕方なく私はもう一度買い直しました。二重にお金を払うのです。
そんなことになっているなんてアイツらは思ってもいないでしょう。

だから、「貸す」ということは「さしあげる」ものだと思うことにしました。
いやだと言っても無理やり借りていく(返してくれないけど)ので、そう思うことにしたのです。

でも、さすがに今はもう貸しません。もったいないから。

近年、久しぶりに本を貸すことがありました。
生まれて初めて返ってきましたd(^_^o)・・何度も念を押したのがよかったのか、その借りた人がいい人だったからなのか。・・いい人だったんですね。

でも、もう誰にも貸しません。自分の心の一部を持っていかれるような感じがして、気持ちが“ざわざわ”するのです。

本もレコード・CDも、ほんの時間つぶし程度に思っている人にはわからないでしょうが、本も音楽も大好きな人間には、人生の中でとても大事なものなのだ・・ということを言わせてもらって、本日はお終いです。

 

2021/10/03

「日本人も知らなかったニッポン/桐谷エリザベス」を読みました。

20211003_kiritani_elizabeth_001

『日本人も知らなかったニッポン/桐谷エリザベス著・吉野美耶子訳(中公文庫)』を読みました。
ブックオフで目について、安価にて。

著者、桐谷エリザベスさんは、アメリカで心臓と肺の研究をされ、大学病院で血液専門家として働いていた方で、休暇で来日し、その後1983年に日本人と結婚されています。

1985年から2001年まで東京の下町、台東区谷中にある大正時代に建てられた長屋に住み、その後フリージャーナリスト、NHK二カ国語放送アナウンサーなどをされています。

桐谷さんは、エアコンなどもない、汲み取り式トイレの京都の住まいにも何の違和感もなく過し、読んでいるだけで日本の古くからある生活様式がとても好きで、ご本人に“合って”いたのだと思いました。

読んでいて、「そうか」とあらためて気づいたことがありました。
例えば京都の五重の塔の写真で、周囲の電線・電話線の撤去があり、撤去前と撤去後の写真を見て、単にこんなに見栄え良くなったのか、という話ではなく、実は撤去前から電線などを脳裏から消して見ていたことに気づいているのです。

これは私たち日本人には、ほとんど備わっている能力なんじゃないでしょうか。
電線などが気になって仕様が無い、という人もいるかもしれませんが、ふだんは全くと言っていいほど私も意識していません。

そして、この話で出て来たように、五重の塔などの鑑賞物に勝手に視線がクローズアップしたりして、それそのものの美しさを愛でることができます。決して特殊能力なんかじゃなくて・・。

それに、ごちゃごちゃしている下町に行った時などには、電柱・電線などはむしろ“味わい”を増す付属品的なものになっていることに気づきます。
不思議なことです。
桐谷さんは、それを下町の人と人の人情のつながりになぞらえています。そういうこともあるかもしれない。

また、自然現象が特有の文化的営為を生むことになる、ともおっしゃっていて、今や日本人でも鈍感になっている金属やガラスで出来た風鈴の音に涼しさを感じたり、くず桜やところてん、かき氷などの夏にはおなじみの透明感のある食べ物にも、“目の錯覚”をおこす不思議な力があるとおっしゃっています。「みただけで涼しくなるような気がする」と。

うちわや、蚊取り線香などにも夏の香りを感じています。どっちが日本人だかわからなくなってきました(^_^;)

この本を読んでいると、私たち日本人がほぼ忘れかけている、季節の情緒などを思い出すことが出来ます。
どんどん生活形態が変化している中で、どれほど忘れてしまったことがあるのだろうか・・と思いました。

 

2021/09/28

「小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム -名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏-」を読みました。

20210928_kobayashi_hagimoto_001

『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム -名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏-/小林信彦・萩本欽一(集英社文庫)』を読みました。

けっこう読み応えというか、対談形式なので聞き応えがあるという感じでした。
小林信彦さんは、雑誌編集長から作家、コラムニストとなり活躍。喜劇関係のテレビ番組や喜劇人にも多く関わってこられた方です。

萩本欽一さんは、言わずと知れた「コント55号」での爆発的な人気から、その後多くの高視聴率テレビ番組を作られた人、“欽ちゃん”です。

対談は、コント55号が日劇に出ていた頃の、小林さんが一番面白がっていた時期のエピソードなどから始まりました。
私は、もちろんテレビ番組に出始めた頃の55号しか知らないわけですが、それでも爆発的な人気と炸裂するギャグは今でも強く印象に残っています。

この本を読んでいると、欽ちゃんは“真面目”で“勉強家”で“どん欲”です。
対談相手の小林信彦さんのところにも、人気テレビ番組を作っている現場が見たくて、製作関係者が集まっている場所にお願いして、その“作り方”を熱心に観察している姿が書かれていました。

アメリカのショーが面白いと聞けば、ブロードウェイに飛び、舞台上の全てを吸収しようとします。そして向こうのテレビ番組がどういう構成なのかも参考にしています。
この本に書かれていませんでしたが、ピンマイクを作らせ、初めて日本で使ったのは、たしか欽ちゃんではなかったかと思います。
舞台、テレビ番組を面白くするためには、どんどん試行錯誤を繰り返す、その姿勢があの隆盛をもたらしたのではないかと思いました。

エノケン、ロッパ、ターキー、渥美清、森繁久弥、由利徹、東八郎(トリオ・スカイライン)、てんぷくトリオ、トリオ・ザ・パンチらの話題も盛りだくさんで出て来ました。

私のまったく知らなかった話ばかりだし、浅草から出て来た芸人達のその時の様子や、どな人だったのか、また欽ちゃんが直接かかわった人達と、どう接していたのか、また、小林氏が見た昭和の喜劇についての話は聞き処がいっぱいでした。

この本も、あっという間に読み終えました。
欽ちゃんの「笑い」や「舞台」に対する真剣な取り組み、「先輩達から学ぼうとする気持ち」がヒシヒシと伝わってくる本でした。

 

2021/09/25

坪内祐三の「最後の人声天語」を読んだ。

20210925_tsubouchi_yuzo_001

『最後の人声天語/坪内祐三著(文春新書)』を読みました。

著者、坪内祐三さんは昨年1月に亡くなられています。
世代的にも私と同じ方だと思うのですが、同じことにも興味を同時期に持ったりしていて、共感もするが、でも・・知識量というか、読書量というか、興味のアンテナの張り方がほぼ全方位に向いていて、何もかもが圧倒的な人です。
そして、“歯に衣着せぬ”ぐいぐいと行く筆致は、ただもう茫然と見守るのみ、という感じです( ̄O ̄;)

子どもの頃に雑誌「大相撲」を読んでいたりするのも似ています。
この本の中でも二度目の相撲ブームを迎えたようで、その時の相撲界の話題にふれられています。あまりに本気なので、私は二度目の相撲ブームが来なかったため“どん引き”しました。

永井荷風が最晩年に毎日のように通い、判で押したようにカツ丼ばかり食べていた京成八幡駅近くの「大黒家」に行き、荷風にお酌していた女将と話しをしたりいている場面もありました。
私も、大黒家に行き、「荷風セット」を頼んだことがあります。
カツ丼に漬物、味噌汁、お銚子が一本ついていましたっけ。

外国映画の俳優についても書かれていましたし、日本の俳優、鶴田浩二や渡瀬恒彦などについても書かれていて(選択が渋い)、映画についても造詣が深い。
かと思うと、「ウルトラQ」や「快獣ブースカ」にも詳しくふれています。こういうところもまさに私と興味・共感が一致しておりました。

とにかく、書きっぷりが軽快かつ、パンチが効いていて読みやすい、坪内さんらしいご著書でした。
亡くなる数日前に相撲のチケットをもらい、一緒に行く日が告別式になってしまった中野翠さんが最後に送る言葉を書かれていました。

あっという間に逝ってしまったという感じの坪内さん、今後また著書を読んでみたいと思っています。
その際には、またこのブログで読後感を書きたいと思います。

 

2021/09/24

伊集院静さんの「大人の流儀6 不運と思うな。」を読みました。

20210923_ijuin_shizuka_001

『大人の流儀6 不運と思うな。/伊集院静著(講談社)』を読みました。

この「大人の流儀」シリーズは、帯にも書かれていますが、ベストセラーなんですね。
あまりベストセラーに手を出さないのですが、私はこの本には手を出しますねぇ。
ふつう、こんなこと言っちゃったら、ちとマズいだろ・・っていうような“もの言い”も度々出てくるのですが、伊集院さんの場合は「OK」なんですよね(^_^;)

それは「叱られたい」「ほんとうのことを言ってもらいたい」「他の“へっぴり腰”な言い方をしている人達とは違うってところを見せてもらいたい」というようなことがあるんだと思います。・・私もそう。

何かわからないことがあったときに、スマホで調べ、画面を「ほらっ」って見せるヤツ・・私も伊集院さんと同じで大嫌いです。「図書館に行って、本で調べて出直せ」って言ってみたかったが、そもそも図書館も行ったことないし、本なんか5年で一冊くらいしか読まない人ばっかです・・多勢に無勢で、もうそんな頑固親父みたいなことは誰も言えない。

あと、この本のタイトルにもなっていますが、「不運と思うな」という言葉。
不運と思ってしまったら、己を不運と考えた瞬間から、生きる力が停滞するから・・とおっしゃっています。
同時にその人の周囲の人たちを切なくするだけで、生きる上で大切な、誰かのために、生きる姿勢が吹っ飛んでしまう・・と書かれていて、そうだよ、そうなんだよ、と頷きました。

ヤンキースにいた松井秀喜が守備の際に左手首にひどい骨折を負ったとき、不運とは口にしなかったと懇意にしていた伊集院さんは書かれています。私もそれは感じていました。
だから、あのあとの再度の活躍があったのだと思います。

また、「宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いずれは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、『自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んで行く』が、決してそれが永遠に続くことはない。」と書かれていて、たぶんもっと以前の私だったらあまり理解できなかったと思いますが、でも、今なら何となく、沁みるようにわかる気がします。
本は、読む時期によって、また新たなことに気づかせてくれます。
今回も気づいたことは多かった。

 

2021/09/22

「B面昭和史 1926→1945/半藤一利」を読みました。

20210921_handou_kazutoshi_001

『B面昭和史 1926→1945/半藤一利著(平凡社ライブラリー)』を読みました。
なんと、600ページもありましたので、たいへんでした。

そして、“B面”となっておりますので、各章冒頭では歴史的事実としての教科書的なその時代の記述があり、そのあとに新聞で言えば三面記事、その他世間で話題になっていたこと、当時の実際の町の様子などが書かれていました。

1926年から1945年の間について書かれているわけですから、徐々に日本の国際情勢は悪化していって、軍部の力が増していき、戦争に突入。
やがて・・第二次大戦終戦・・。ということになります。

中国のどこそこを陥落させたと言っては、提灯行列などを行い、お祭り騒ぎをしている様子を見て、ほんとうに昔の日本人は困ったものだ・・などとは言っていられない、と思いました。

あれほどコロナウイルス感染拡大に困った、困ったと言っておきながら、オリンピックが始まると“大騒ぎ”の“お祭り騒ぎ”。
さっきまで困ったねぇという顔をしていたアナウンサーが「うっほほぉ~い」と突然の表情変化を見せると、皆んなが皆んなモードが変わって浮かれ出す!

日本人の基本的な様子は、あまり変わっていないんじゃないのか、と思いました。

そんな日本人気質を考慮に入れて、“あの方”はこのコロナ過の只中、オリンピックを開催し、浮かれ気分のまま総裁選、そして総選挙に突入しようとしていたんじゃないでしょうか。

そしてそんな緊急時に“自粛警察”みたいな人が現われたりするのも当時に似たようなことがあったと書かれていました。
浅草・本法寺境内に「はなし塚」といって、落語の「明烏」や「居残り佐平次」「品川心中」などの花柳ネタや、妾ネタを塚に封じ込めるなどという・・馬鹿げたことをやっていたことが書かれていました。

また、昭和19年の雑誌「科学朝日一月号」では、朝永振一郎らが集まって核分裂の話をしています。
アメリカがひょっとしてウランを売らなくなったのは・・と、鋭いところをついていました。
話っぷりを読んでいると、「まさにウランを売らん」などと冗談を言っていて、“まさか”という感じなのですが・・。

もうひとつ感じたのは、人間、コロナ過でも、戦時下でも、毎日毎日、そして一日中“深刻”で“真っ暗”な生活をしているわけではない、ということです。
そりゃそうです。24時間心配の“しっ放し”なんかしていたら生きていけませんものね。
そんな中にあっても、思わずプッと吹きだして笑うようなことも必要なんですよね。

そして気持ちを緩める場や時間も時には必要なんだ、ということも感じました。

とにかく、A面を語るときには、まるで歴史書を読むようですが、B面を語るときには、“煙突男”の話や、“アベサダ”の話もどんどん飛び出してくる、ヘビー級のボリュームを持つ、歴史の裏の姿を映した本でした。

完読。疲れた・・。

 

2021/09/17

「詩人の旅/田村隆一」を読みました。

20210917_ryuichi_tamura_001

『詩人の旅/田村隆一著(中公文庫)』という本を読みました。
詩人・田村隆一氏(大正12年生、平成10年没)が隠岐、若狭、伊那、越前、越後などを旅していく、というだけのものですが、これがなんだかおもしろかった。

ひとりで行くときもあるし、著者よりも若い“イキのいい”男性が連れて行ってくれる場合もあるし、奥さんと出かけた場面も出て来ました。
著者の目に映る旅先の光景は、景色だけでなく、その地の空気や光、においまで感じました。詩人たるが由縁なのではないかと感じました。

それから、田村さん、よく“飲み”ます(^_^;)
列車内ではビールから始まって、ウイスキーを相当量っていうか、多量っていうか、しこたま・・飲んでいます。
そんなに飲んで旅先に着いたときに、あちこち動けるの?って思いますが、いやもう“きびきび”と、しかも好奇心たっぷりに旅を楽しみます。

おいしいものにも“行く”し、地酒も嗜みます。そしてその土地の人とも実にうまくふれ合います。
“達人”の域だと思いました。

ひとり旅について、「自分がひとりで旅をしていくってことに対してどんなにいろいろな、さまざまな力がそのひとり旅を助けているかということを具体的に経験すること。」と語られていますが、それを聞いて“目が覚めた”気がしました。

また、風景について「どんな乗りものに乗っても窓わくがあるんです。その窓わくで見た景色が大事なんです。窓わくがなかったら、まったくのっぺらぼうになっちゃう。」ともおっしゃっていて、これも納得してしまいました。
窓わくが風景とか印象をとどめてくれる・・そんな感じでしょうか。

というわけで、詩人独特の旅にふれることができました。
とても潔い本という印象でした。

 

2021/09/15

「にんげん住所録/高峰秀子」を読みました。

20210914_takamine_hideko_001

『にんげん住所録/高峰秀子著(文春文庫)』を読みました。
大正13年生まれの著者・高峰さんは、平成22年に亡くなられています。

この文庫に収められている文は、平成10年から平成11年にかけてオール読物や週刊文春などに書かれたもので、単行本としては平成14年に刊行されています。

自らの生い立ちを書き、養母に育てられ、自分が女優として売れてからは養母はステージママと化し、子供として遊ぶことも、学校で勉強することも、本を読むことも「お金さえあればそんなものいらない」と取り上げられてしまった時代の話を読むと、なんだかとても気の毒でした。駄菓子屋でたむろす同じ年頃の子供達を見て、“一緒に遊びたい”と、じっと見ていたら、養母はその子供達を蹴散らし、店のお菓子をたくさん買い占め、自宅に戻ってから部屋にざっとまいて、「さあ好きなだけ」という感じでされたことも書かれていて、哀しい情景でした。

また、北野武氏と氏の母親との関係は自分とは正反対のものであろう、と北野氏の書いた本から抜粋した文も載せられていましたが、北野氏のお母さんが、さんざん憎まれ口をきいていたのに、最後に北野氏をどんなに思っていたかがわかる部分になると泣いてしまいます。
自分と養母の関係があまりにも殺伐としていたことが逆に涙を誘ったのでしょう。私も哀しくなりました。

ほかにも佐藤栄作首相の夫人、寛子さんとの遠慮会釈のない付き合いも書かれていて、これはほんとうにテンポもよく、愉快なお話になっていました。

子供の頃に、あの歌手の淡谷のり子さんと映画館の“どさ回り”をしていたことも書かれていて、淡谷さんの気取らない、あっけらかんとして、でもステージに立つとスターになってしまう姿も臨場感あふれ、見事な筆致で書かれていました。

この本は、様々な人との出会いや、不思議な出来事、愉快な話、美味しい食べ物についてなど、実に軽快に書かれていて、高峰さんは、まさに自然体な人だと感じました。
気取っているところもないし、妙にへりくだるようなところもない。
人生、ありのままの姿で歩まれた様子は、一人の人間として見習いたいくらいでした。
文章もめちゃめちゃ上手い!

まだ高峰さんが書かれた本はたくさんあるのではないかと思いますので、また書店、古書店などで見かけたら手に入れて読んでみたいと思います。

 

2021/09/13

「50代からしたくなるコト、なくていいモノ/岸本葉子」を読みました。

20210912_kishimoto_yoko_001

『50代からしたくなるコト、なくていいモノ/岸本葉子著(中公文庫)』を読みました。
読んでみると、シニアに向かう世代向けの本なのですが、女性向けな内容も多く、欲しい服を求め“東奔西走”したり、家具などについて工場まで行って見てみようか、などというかなり本気の吟味をしている部分もあったりして、あまり男には多くない動きもあり、「へぇ、そうなんだ」と思うところがありました。

ただ、やはり男女共通の“いらない物は減らして身軽に”という年齢に達して来たのだ、という、ちょっと“あせり”の入った感覚や、ゆとりは少しできたけど、もう無理はきかない年代に入ったという・・ちょっとさびしい感覚も理解できました。
・・というか、自分もそういう年代・・。

この本に書いてあって、私も感じていることに、注文や申込みなどが、今や圧倒的に電話よりもネットになっているという現実がありました。

ここで、岸本さんも電話した相手に言われている「ネットの方が早いですよ」という決まり文句・・やだなぁといつも思っていました。
あの面倒くさい入力、ちょっと質問したいだけなのに、「電話の1を押してから♯をお願いします」みたいなの・・ストレスがマックスになります (・_・;

ここで紹介された事例では、電話で問い合わせをちょっと無理してでもしたおかげでお得意様セールが近々あり、望んでいる商品が並ぶのだということを知ったりもしています。
でも、それは電話に出た相手方の気の利き方、気転の良さなどがあってのことですが。

もうきっと望んでも無理かもしれませんが、相対してお話しながら、商品にふれながらの買物なんて無くなってしまうのでしょうね。世代的に覚悟しておかねば・・。

その他、ご本人が尾道などに旅行に行ったときの実に達人とも言うべき身軽で素敵な立ち回り方、名所などの歩き方も、うっとりするくらいで、とても参考になりました。

ま、歳取ってきても、まだまだやること、楽しむことはいっぱいあるってことですd(^_^o)

少し勇気も出て来ました。がんばります(*^_^*)

 

より以前の記事一覧

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック