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2024/02/20

「新釈・びょうき事典/渡辺淳一」という本を読みました。

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『新釈・びょうき事典/渡辺淳一著(集英社文庫)』という本を古本で見つけて読んでみました。
1996年に単行本として刊行され、のちに文庫化されたものです。

病気について、医学博士でもあり、直木賞作家でもある著者の渡辺氏が事典のようにそれぞれの病気を「身近な病気」「ガン(悪性腫瘍)」「成人病と心の病気」「女性の病気」「感染する病気」などのジャンルに分けて、それこそ“お医者さん”から視線でメディカル・エッセイとして書かれていました。

当時の感覚としては割とユーモラスな部分もあるような書きぶりなのですが、今読んでみるとけっこう真面目な印象を受けました。

いや、私が年を取り、様々な病気についてかなり神経質にドキドキしながら読んでいたから、そう感じたのかもしれませんが・・。

この歳になると、ほんとうにいろいろな病気を経験しているし、倒れたことが何度もあり、入院も何度も経験しています。
だから、読んでいるうちにちょっと恐ろしくなってくるのです。自分がこの病気に今なったらどうなってしまうのか、と。

というわけで、著者の意図するように少しはユーモアを感じつつ、かなり病気への恐怖も感じつつ、読み終えました。

結局、今、自分は病気と日々対峙して生きているような状態だとあらためて感じたのでした。

 

2024/02/04

「大河の一滴/五木寛之」を読みました。

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『大河の一滴/五木寛之著(幻冬舎)』という本を古本で入手。読んでみました。

平成10年発行の本ですが、書き下ろしの「人はみな大河の一滴」と共に「プレジデント」「家の光」「別冊サライ」からの文章も同時収録、さらにNHKラジオの「ラジオ深夜便」での語りも収録されたものとなっています。

読んでみて全体の印象は、五木さんが生きてきた中で、世の中の動きやその様子というものを自分はどう理解したらよいのか、また、そんな世の中で自分はどういう存在なのか、どう行きていったらよいのか、ということが書かれていたと思います。

この本のタイトルどおり、人は滔滔と流れる大河の中のまさに水の一滴という存在ではないか、というところから始まります。
でも、たった一滴でもそれは大河の構成のひとつとなっている、それを一人一人がどう考えるか・・ということが冒頭に書かれていたのです。

私が印象の残ったのは、私たちは「地獄の中に生きている」という言葉でした。
人にとっては、日常が地獄であって、“ときとして”思いがけない小さな歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもある・・と。

さらに人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえある。皆とともに笑いころげるときもある。

その一瞬が極楽だというのです。私は今まで生きてきた中で上記の話に納得する部分が多いと感じました。

次に印象に残ったのは、聖徳太子が最後に残した「世間虚仮(せけんこけ)」という言葉の話です。
「虚仮」とは仏教の世界で「真実でないもの」、目に見える仮の現象的世界を言うのだそうです。

聖徳太子の本音の底に「なんとでたらめな世の中であることよ」という苦笑とも絶望ともとれるやりきれない気配が横たわっていると感じられるというのです。

この世には「真実」もあれば「虚仮」もある。人というものは、おかれた状況や立場、そのときの他者との関係の中で、あるときは善意を、あるときは悪意を露出させる不確かであやうい存在なのではあるまいか・・と五木さんに問われ・・そうかもしれないと思いました。

次に印象に残ったのは、「世の中おかしいぞ」と数年前まではだれもが事あるごとにそう思ったが、今はどんなことが起きても、そのつど大きなため息をつくだけで、嵐のとおりすぎるのを肩をすくめてやりすごしているように思える、という部分です。

まさに今がそれじゃないかと私は思いました。
そんな中、人はどういう選択をして行けばよいのか、ということが書かれていましたが、これについてもはっきりと選択を決めつけず、生きてゆけないものかということが書かれていました。
私には今の世の中のことを思うと憤りが先に来て、まだ冷静に考えられなかったのでした。

五木さんが語りかけるように書かれたこの本、二十年以上も前のものですが、私にとってとても参考になるものでした。

生きているってことは、つらいことがいっぱいで、やりきれないことがもろもろですが、でも、生きていこうと思いました。生きているだけで、それは素晴らしいことなんだと思いながら。

 

2024/01/21

心理学博士・榎本博明氏の「かかわると面倒くさい人」を読みました。

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『かかわると面倒くさい人/榎本博明著(日経プレミアシリーズ)』という本を古本で見つけ、読んでみました。2018年刊行の新書版の本です。

・思い込みが激しくて、小さなことで大騒ぎする人
・他人の成功や好意を素直に受け止められない人
・場を凍らせる発言をする人
・不必要な言い訳が多い人
・独りよがりの正義感を振りかざす人
・どうでもいい手続きにこだわり、融通が利かない人
・持ち上げられないとすねる人
・内心、忖度を期待している人
・話が長くて何が言いたいのかわからない人
・肩書にしがみつき、定年後になお嫌われる人

などの“面倒な人たち”が ^^; 紹介され、後半ではどうしてそうなっているのか、〇〇型というふうにタイプ別に分析し、そういう人たちへの対処法、つきあい方、さらに自分がそういう人だったらどう考えるのか (^_^;)ということが書かれていました。

そういえば、私の人生、特に仕事の中で上記のような“面倒くさい人”には多々出会いました。そして悶絶するくらい苦しみました。

経験上から少し思い出してみると、自分が部下から尊敬されているのか、軽く見られていないか気にしている上司がいました。
よくいう「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」は、そんな上司への“心のケア”として行うという話が載っていて、わかるよ・・と思いました。

頼られることで、それが上司への心理的報酬になるんだ・・そうです。部下の方が気にして支えているんですね。

私が窓口のある職場にいた頃には、リタイアして何年も経つOBがやって来て「私はかつて部長だった」と若い職員に言ってるけど、若い職員は「なに?この人」って感じになっていて、ヘヘェ~って誰もならず、憤慨している姿を何度か見たことがあります。

そして管理職席にそのOBが部長をしていた頃に新人職員で入ってきた顔を見つけると「おぉ~っ!〇〇君じゃないか、私だよ」などと声を掛け、迷惑そうに呼ばれた管理職は窓口に出て行ってそれなりに丁寧にお辞儀して扱うのですが・・そんなにまでして自分のアピールをせずともよいのに、と思ったのでした。

「自分の価値 = 肩書」の人が肩書がなくなると・・「その人そのもの」になって、自分の魅力、価値の乏しさに気づくという、寂しい話なのでした。

もうひとつご紹介しておきましょうか。

世の中のあらゆることがらを「支配 - 被支配」の構図でとらえようとするタイプの人。

自分の思うように人や組織を動かすのが快感であり、その手応えが堪らない・・っていう人です。
周囲の人たちを皆ライバルとみなして、有能な人には闘争心を燃やす、権力の追及があらゆる行動を貫いています。

でもね、打算と利害で結びつく人間関係に囲まれて、結局とても寂しい世界に生きている人なんじゃないかと思います。

・・で、私は体調を崩し、仕事を辞める時期にそういう人達、職場で関係のあった人でも、友達関係などでも、そんな人達との関係を断ちました。

皆、私から関係を絶ったあとに、「いいのか、俺と友人という人からうらやまれるような関係が無くなるぞ」と言ってきた人もいたし、関係を維持しておけば、何かの手伝いをさせてやるという話を持ってきた人には「初めて自分の力でやってみるのもいいですよ」と言ってあげました。
いろいろな相談ごとを持ってきて関係を維持しようとした人もいましたが、「自分で解決方法を考えて、それから詳しい人に相談した方がよいですよ」と断りました。

それ以降は、快適な精神状態になりました(#^.^#)

仕事を辞めたおかけで、人を配下に置いておかないと何もできない人と関係を断つことが出来たわけです。それだけは良かったことかもしれません。

いろいろ書きましたが、でも面倒くさい人にはあまりこちら側からアクションを起こさず、そういう人なんだと、遠目に見ているのが一番だと思いました。
それが結論だと思います。この本にもそう書かれていました。

 

2024/01/05

「人間の関係/五木寛之」を読みました。

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『人間の関係/五木寛之著(ポプラ社)』という本を古本で手に入れ、読んでみました。

2007年第一刷発行のものです。

この本は、五木さんが長く生きてきた中で得た人としての“生き方の知恵”のようなものが書かれていました。
私自身も最近長いこと生きてきて色々なことを考えだし、自分なりの生き方、人付き合いのやり繰りなどを少しずつ見出してきたところですが、この本も納得しながら参考にさせてもらえるようなことがいくつも書かれていました。

人脈というものについて、親子関係について、格差社会にどう生きるか、夫婦関係について、などが五木さんの人生経験から滋味豊かに書かれていました。

特に私が気になったのが、「鬱からぬけだすためのノート」という項目でした。

五木さんが、四十代の後半から五十代にかけて、何をしても興味がわかず、鬱状態が続いたときに書いたノートが「歓びノート」というもので、「・・・でうれしかった。」という話。
なにかうれしかったことを一つだけ思い返して日々ノートにつけることによって次第に鬱状態から抜け出したというのです。

やがて、五十代になり、男の更年期というか今度はそんな鬱な気分が続くことになった時には、歓びノートは役に立たず、今度は「悲しみノート」をつけたそうです。
鬱な気分のなかに沈みこんでいると、つよい悲哀を具体的にたしかめるように「今日の悲しかったこと」を書くとかえって気持ちが解放されるような気がして風がふっと吹きすぎるような気配があったというのです。

そして今度は、七十歳を過ぎた頃から三たび鬱な気分が訪れて・・。
ありがたいと思ったことをノートにつけたそうです。
「あんがとノート」と言うんだそうで(^_^;)びっくりするほど効果があらわれたとのこと。

私も未知の年齢ですので、これは是非参考にしたいと思いました。

新年に入り、早くもいろいろ刺激を受ける本を読みました。
次はちょっと軽い感じの本を読みたいと思います。

 

2024/01/04

「結局は自分のことを何もしらない/アルボムッレ・スマナサーラ」を読みました。

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『結局は自分のことを何もしらない -役立つ初期仏教法話6-/アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』を読みました。

暮れに同じ著者の「あべこべ感覚」という本を読み、このブログでご紹介したのですが、たまたまブックオフに行ったときに同じシリーズの本を見つけたので、前回面白く読めた記憶が残っていたため、また購入。読んでみました。

今回のテーマは人間というもの、自分というものはどういう存在か、ということについて書かれているのですが、我の強い人、自分中心に世の中が回っていると思っている人などには“チンプンカンプン”だと思います。

「人間がなぜ生きるのか」それは、長い間皆が考えていたが、答えは見つかっていない。

詳しい内容は読んでみてほしいのですが、つまり生きること自体が人にとって「苦」であり、生きることは「動く」ことで、動いていないと「苦」が続いてしまうから動き続け、苦から逃れている。

・・きっとよくわからないと思いますが、著者の何度も様々な例示をしながらの文章表現を読むと、なんとなくわかってくるのです。

人は結婚して幸福に、子どもをつくって育てて幸福に、お金を儲けて幸福に、痩せて幸福になろうとしているが、そのような俗世間の幸福の探し方は、火の中で氷を探すようなものだと著者は言っています。

それらが実現して幸福になった人は今までに一人もいない、なのに人は全く諦めない、それくらい無知だ・・(^^;)・・と著者は言います。
それについては私もなんとなく理解できます。
一例を挙げれば、結婚したからって別に幸福になるわけじゃあないですからね。

またお金を儲けることが出来ても、出来なくても、どっちも苦しいです、と言っています。それもそのとおりだと思いました。
子どもが欲しいと思うが、子どもが生まれたら苦しいのです・・というのもわかる気がする。

お釈迦さまは、俗世間の幸福を求めて生きる生き方を「卑しい探求」とおっしゃっているとのこと。

お金を探し、結婚相手を探し、子どもを求め、財産を求め、長生きを求め、健康を求めている人は多いが、それらを「得ても苦しいのですよ、得なくても苦しいのですよ。得ようと思って得ることが出来なくてもそれも苦しいのですよ。」とおっしゃっているのだ・・ということなんですね(^-^;

長く生きれば、長く生きる苦しみが待ち構えている・・と。
長生きしたいと思っても出来なかったら、ものすごく苦しい・・と。

こんなことがどんどんと書かれていて、困惑するやら、納得するやら、悲しくなるやら、ほっとするやら、という読書になりました。

でも、今、自分が生きている上で、心の中に何か明かりが灯ったような気持ちにはなったのでした。

 

2023/12/30

「あべこべ感覚/アルボムッレ・スマナサーラ」を読みました。

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『あべこべ感覚 -役立つ初期仏教法話7-/スリランカ初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

古本屋で見つけ、パラパラと頁を繰ってみたらちょっと興味深かったので読んでみました。

読んでみれば、難しいような、易しいような、でもなんだかわからない・・(^_^;)みたいな感じで、なかなか捉えどころというか、そういうものが見つからないまま読み進みました。

で、途中でこんなことかな・・と思ったのが・・

生きているもの、つまり人間にとって「生・老・病・死」「憂い・嘆き・苦しみ・悲しみ・悩み」というものは皆が皆、人全員がそれらをセットにして生きているのだということ。

生きる・・っていうことはそういうことなんだということ・・。

年をとり、病気になる。死ぬ。
憂いや嘆き、悲しみ、悩むこと、それが生きるということ。

でも、我々凡人の社会は、病気にならぬようにという宗教でもあったら人気が出てしまう。

で、お医者さんなどにいって、自分が「死につつある」とわかっただけで、人というものは悪いことをしなくなってしまう。

なんとかして自分が満足することを優先していた人、自然の流れに逆らってまで頑張っていた人、人を脅したり、騙してまで商売をする人、戦っている人、それらを見ても“自分は死につつある”とわかると・・なにもそこまでしなくてもいいんじゃないのか・・という気分になるのだということが書かれていたのだと思います。

悪いことなどしなくなってしまう、そんな人になる。

今、戦争をしている人や、裏金づくりにいそしんでいる人、何がなんでも何兆円かかっても万博を開こうとする人、など・・「自分がもうすぐ死ぬ」となったらどうするんでしょう。

などと私如きが少しでも考えることになったのは、この本のおかげです。
二日間で読みましたが、自分に良い影響を与えてくれたと思う本でした。

 

2023/12/22

「遺言未満、/椎名誠」を読みました。

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『遺言未満、/椎名誠著(集英社文庫)』を読みました。
私にしては珍しく新刊です。2023年11月第一刷発行となっています。

椎名さんは、1944年(昭和19年)生まれなので79歳になられています。

以前、このブログで「ぼくがいま、死について思うこと」という椎名さんの著書をご紹介したことがあるのですが(2016年頃だったか・・)、そのときは、今まで死についてさして深く考えずに世界のあちこちを旅したり、仲間と釣りに行ったり、キャンプしたり、自由奔放にそれこそ椎名さんらしく生きてきた・・でも、「自分も死ぬのだ」とハタと立ち止まった様子が書かれていました。

で、今回のこの新刊では、“より具体的”に、自分よりも若いのに亡くなってしまった友人や大切な人たちのことを振り返ったり、どうやって死んでいったのか、自分はどういうふうに死んでいくことになるのか、葬儀はどうすればいいのか、世界の葬儀、埋葬はどんな状況なのか。

奥さんは一歳下で、互いに墓をどうするか、墓自体がいらないのではないか、どうしよう・・そうだ遺言も書かねばと友達の弁護士に相談したり、とにかく今回は“切羽詰まった”感じで「死」と「葬儀」について考えている椎名さんでした。

この本で椎名さんも書かれていますが、「最後に葬送の列」を見たのはいつだろうという一文もありました。
そういえば、私も、もう何十年も「葬送の列」というものを見たことがあまりません。

椎名さんの記憶に残っている千葉県内で見た葬列では、「ドラ」やシンバルのような形をしたジャラジャラ鳴るものを『ジャン・ボン』と鳴らしながら列が進んでいく様子が書かれていて、「葬儀そのものを<ジャン・ボン>と呼んでいたようだ」と語られていました。

私の地元でも、同様の楽器のようなものを鳴らし、葬儀のことを<ジャン・ボン>と呼んでいたことを思い出しました。

この本を読んでいくうちに、私も自分の今後のことを考えました。
妻とも話すことがあるのですが、果たして「墓」というものが必要なのか、ということまで話し合っています。

椎名さんが世界で見てきた葬儀や、様々な「死」について書かれたこの本。
あらためて自分の今までの生き方、そして今後の死に方について考えるきっかけとなるものでした。

 

2023/12/10

とげぬき地蔵尊「高岩寺」に行ったときの話

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12月3日に落語会を聞きに巣鴨に行ったお話しを書きましたが、そのとき当然ながら「とげぬき地蔵尊」にも行ってみようということになりました。

商店街沿いに大きな門があり、すぐに場所はわかったのですが、不心得な私、すっかり油断して“物見気分”で入ろうとして、持ってきたカメラ『PEN』の電源を入れたのです。

すると・・驚いたことに電源は入れど、モニター画面は真っ暗!
何度も電源を入れ直したのですが、カメラの状態を表示する数値などは表示されても、画像は一切表示されません。まだ買ってから数か月の新品です。
何度も何度も試みましたが、駄目でした。

「はっ!」と気づきました。
神社仏閣やその他霊的な場所で、何かモノが見えたり感じ取ったりする人間にはよくこういうことがあると本で読んだばかりの妻が教えてくれました。

「お前が気楽に入ってくるような処ではない」と言われているのだ、と思いました。

あわてて、不心得をわびて、真面目にお参りしますと手を合わせると・・カメラの画像表示は復活しました・・。

 

 

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ということで、今回の写真の中には一番肝心な『とげぬき地蔵』のお姿は撮っておりません。※初代のお地蔵様はタワシで長いことゴシゴシされたので、ほとんど形が無くなってしまい、現在は二代目がその役目を果たしているのです。お姿は地蔵ではなく、観音様となっておりました。

今は、タワシではなく、皆さん持参したタオルで自分が痛くて治したい部分を洗っているのでした。
私もその写真は撮らずに、自分が首から右腕にかけて痛みが激しいので一生懸命持参したタオルで撫でました。

 

 

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かなりの行列になっていましたが、やはり気軽にお参りするような場所ではありませんでした。皆さん必死に自分の痛いところを水を掛け、タオルで必死に撫で洗いしていました。

帰りの電車に乗った頃には・・・あら不思議、さっきまであんなに痛くて物を持つのにも激痛が走っていたのに、痛みは消えておりました。

あれから一週間、まだその効果は消えておりません。
残念ながら妻は腰痛持ちで腰を撫でたのですが、いまだ効果が出ておりませんが(^-^;

 

2023/12/09

「人生ノート/美輪明宏」を読みました。

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『人生ノート/美輪明宏著(PARCO出版)』という本を見つけ、読んでみました。
1998年刊行で、1983年の「獅子の座布団」からも一部抜粋・加筆をしているので内容としてはかなり古いものになります。
巻末に掲載された美輪さんの写真も若く、男性とも女性ともつかない不思議で魅惑的なものになっていました。

さて、この本は美輪さんが日頃感じている人生上のモットーというか、こういうふうに心がけていれば、こんなふうに覚悟していれば、人生の荒波をなんとか乗り越えられますよ、という感じのものになっていました。

読んでいて、私もそんな気がする・・と思った部分があります。

最近のスピード時代の人間は結果を急ぎ過ぎる。
すぐ効果が出ないとダメだと思います。
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり、努力なしでは何事も成功しないようにこの世の中は出来ている。

でも、なんとまあこの世の中は、人になりきれないで動物のまんま年を重ねていく人の多いことでしょう。
もっとひどいのは、人の方角へ近づかず、けだもののほうに近づいている者も多いようです。困ったものです。

と書かれていました。
この本が刊行されてから25年、現在はよりそんな状態が深刻化しているように思います。


それから気になった部分をもうひとつ。

政治家も官僚も商人もみなみなすべて、精神的栄養失調の重病人です。
その証拠に、あらゆる演劇や音楽界や美術館に定期的に足を運んでいるそれらの人たちを、みなさん見かけたことがおありですか?

これもまた年月を経て、今現在が最もひどい状態だと感じます。
裏金や、無理強いのインボイス制度、性被害を起こした興行界のドンなど、上記重病人の症状が出ている人たちではないでしょうか。
演劇や音楽、美術にふれて少しは人としての心を持てるようになればよいと思いますが、そのお顔を見ていると、そんな感じの人は皆無です。

その他、特に夫婦というものはどういうもので、どう人生を過ごして行けば良いのかという部分に多くが割かれていましたが、これは読んでいてそのとおりだと思うことが、そして思い当たることがいくつもありました。

古い本ですが、とても生きるということに参考となる、しかも面白い本でした。
278頁、三日で読了いたしました。


【NowPlaying】 オトナのjazz time / DJ:沙理 ( ラジオ日本 )

 

2023/11/30

「眠れぬ夜のラジオ深夜便/宇田川清江」を読みました。

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『眠れぬ夜のラジオ深夜便/宇田川清江著(新潮新書)』を古本で見つけ、読んでみました。
2004年発行のもので、著者宇田川清江さんは「NHKラジオ深夜便」の放送開始時からアンカーを務めた方です。

私もほんとうはラジオ深夜便を聞いて夜を過ごすということをしたかったのですが、仕事があるのに朝までラジオに付き合うことは出来なかったので、休日の夜に最初の部分くらいしか聞くことが出来ずにおりました。

でも、数年前仕事を辞めるきっかけとなった入院時に「ラジコ」を使ってベッドで聞いていました。
図らずも念願かなったわけですが、その頃は退院の見通しもなく、暗い気持ちで聞いていることが多かった・・。
で、希望を持てるような会話などを聞くと心に明かりが灯り、いい音楽やそのエピソードを聞くと少し元気になったりしました。

この本では、宇田川さんが深夜便が始まった頃の話題や、その後リスナーとの手紙や実際に会ったりしたときのエピソードなどを書いてくれていて、宇田川さんがその手紙や自分が冒頭のあいさつに使った原稿の実際の文章を載せています。

いろいろなジャンルの人がゲストで来たときの飛び切り面白い話は、私も何度か聞いていて、あのリラックスしたスタジオの雰囲気とともに、とても心地良いものです。
こんな考え方もあるんだ、こんな気持ちで過ごしていると心も体も弾むようになるんだな、などと思うのですよね。それがラジオ深夜便のいいところでもあります。

私は「深夜便」というのは、ラジオから送られてくる手紙のような感覚で聞いていたのですが、宇田川さんは「列車」をイメージしていたようです。
なので、私は午前5時に番組が終了するときに宇田川さんがラジオの向こうから「深夜便、到着です」とおっしゃっていたのを聞いたことが無いので「ああ、そうだったんだ」とあらためてびっくりしました。

ラジオ深夜便は、どこから聞いてもいいし、どこで眠ってしまってもいいという、あのゆったりとした感覚の流れのようなものが良くて、今でも時々聞いています。
これからも緩く長い付き合いとなりそうです。

いいエピソードが満載の心温まる本でした。

 

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