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2018/09/18

ブログ休止期間中に思ったこと

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やっとリアルタイムでブログが書けるようになりました。
それまでは、このブログをご覧になっている方はご存知だったかと思いますが、時々メモをデジタルでとっておいて、その過去に書いたメモをアップしておりました。
ようするに9月に入ってからアップしたものは、8月中に書いたメモがほとんどでした。

8月いっぱいから9月前半にかけて、自身を含め、家族に起こった深刻な問題を克服してきました。
そんなときは、寝ているときもその夢を見てしまい、寝ても覚めても難題が頭から離れず、真綿で首を絞められるような感じ、苦しい思いをしました。
でも、やっとこうして正気でものを書けるところまで来ました。長かった・・が、油断してはならないと思っています。いつ何時、何が起こるかわからないと、今回身に染みたのです。

そんな家庭内の深刻な状況をなんとか克服していた最中に、また仕事関係で深刻な問題が勃発しました。
心身共に限界に来ていたところでした。
神様って、ずいぶんと酷なことをするもんだ、とも思いましたが、ここまで家族内の問題に真剣に取り組んで来た自分を信じることにしました。

問題は直接私のところに第一報が来たわけではなく、問題を発見したところがあちこちに連絡し、すっかり外堀が埋まったところでやって来ました。
最初は少し慌てましたが、腰を据えて取り組むことにしました。
関係する部署をすぐに回り、話を通し、過去の同様な案件の資料を収集し、通常業務終了後に夜間に残り、全てのことを時系列で整理し、文書はデジタルで作り、いつでも各種報告に利用できるように事細かに網羅しました。

あとは何度も何度も、何日もかけての関係部署との折衝と、直接行動せねばならないことを実行、最終的な報告も終え、事態は収拾しました。その間も、事の展開を知らぬのに、うれしそうに無関係の末端のところまで“がせネタ”を流布する輩もいました。腹も立ちましたが、そんなろくでもない輩は無視することにしました。結局、それも良かったようです。

そうこうしているうちに、我が家の周囲の状況もずいぶんと変化し、畑の中の一軒家という静かな環境からたぶん数ヶ月後には、大きく変化することになりました。それについても今までの、のんびりとした感覚を少し捨て去らねばならないようです。

様々な事が次から次へと起こるのも、自分の年齢がそういう時期に入ってきたのだと、自らを納得させ、これからも日々生きていきたいと思います。
たいへんだけどね・・。

2018/09/12

「小さなことにくよくよしない88の方法」を“くよくよしつつ”読んだ(^_^;)

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

例によって、これはブログ休止中にメモしておいたもの、そういうタイミングで綴ったものです。
『小さなことにくよくよしない88の方法/リチャード・カールソン著 訳:和田秀樹(三笠書房・王様文庫)』を読みました。

読み始めたときには家庭内のいろいろなことを解決しつつ、なんとか前に進んでいたのでした。
でも、今度は仕事上のことでまた難問というか、事件というか、アクシデント発生!!

「ああ、時間を巻き戻したい。そうすれば解決など簡単なこと・・。」と、この本のテーマである“くよくよしない”から正反対の“くよくよ”しっ放し( ̄O ̄;)な状態に陥りました。
人間なんて、そんなものです。自分で自分の不甲斐なさに呆れました。

答えといえるものは、今読んでいるこの本に書いてある。
「過去を悔やんで、どうにかならぬものか」と悶々とすることに解決の“か”の字も無い!

小さな問題を心の中で大きくしている自分はいないか?!
焦って解決しようとすると、墓穴を掘る。
問題解決の糸口は、まずは冷静に。そして、一つ一つ真摯に問題に向き合っていくこと。

また、逆の立場で、とにかくあらゆることに文句を付けたり、自分は特別な人間だから、特別な扱いを受けるべき立場にある、などと言う人にはなるべからず・・と、書いてあった。
そんな人、月に一度は会うことがあるが、まさに“みっともない”人だと思ったことがある。この本の指摘どおりだ。

今回も、“事を荒げよう”とする第三者がいた。
なんだか、事件性を帯びる度にうれしそうにしている。人のミス、不幸は、その人にとってこの上ないものなんだろう。

結局、落ち着いて、事象を整理し、その説明と解決への方法を丁寧に説いた。
それが解決への一番の近道だった。

グッドタイミングなのか、バッドタイミングだったのか、たまたま読んでいたこの本が役に立った。

2018/09/08

お誘いをうけて竹久夢二美術館・弥生美術館に行ってきました

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

日々いろいろなことがあり、毎日ひとつずつ少しでも良い方向へと歩みを進めているところです。

そんな中の休日。
中学時代の担任の美術の先生の個展で知り合うこととなった「銚子浪漫ぷろじぇくと」の関根真弓さんからお誘いを頂いて、文京区の弥生にある「竹久夢二美術館・弥生美術館」に足を運びました。


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そこでは、関根さんを中心とした“歌と語り”で「夢二ひと夏の恋」と題した公演が行われ、まさに夢二の作品群の中でのイベント、素晴らしいものでした。

障子状の衝立が館内に置かれていたのですが、公演が始まると、それはスクリーンにもなっていて、夢二のひと夏の恋が語られる中、銚子の美しい風景が映し出されていました。
感情表現豊で、夢二が銚子で過した夏の空気感まで感じられるようなひととき、いい時間を過すことができました。来てよかった。


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夢二の美術館ですから、夢二の作品に囲まれて、こりゃファンにとってはたまらない美術館です。
挿絵を描いた本や、広告、夢二の書いた葉書、興味深い作品、展示がたくさんでした。


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また、併設の弥生美術館では、「文豪・泉鏡花×球体関節人形展」も開催され、写真の人形ほか、何体もの人形には、心臓がドキッとするような、ぞくっとするような、魔界を感じるもの多数・・ちと怖かったぁ~(^_^;)

というわけで、悩み多い日々の中、少し心の栄養をつけてきた一日となりました。
また、前回倒れて出来なかった草刈も東京から帰宅後に、涼しい夕方を利用して少しばかり進めてみました。

なんとか少しずつでも、一歩ずつ歩みを進めたいと思います。

2018/09/06

近況について

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

これを書いている今は、8月半ば。

家の中もだいぶ落ち着いてきたところです。
家人の病も良い方へ向かい、突然の問題を抱えた者も家族皆で応援し、本人も努力し、少しずつですが、やはり良い方向へと動き出しました。

私の体調については、まだまだ不安が残っていますが、それでも仕事に出るときにはなぜか元気が出て来て、どうにかなっています。
医者にも掛かり、今後良くしていきたいと思っています。

そんなこんなで、リアルタイムにブログを書くことができるようになるのも、もう少しという状態です。

あせらず、家族の様子を見つつ、ゆっくりと復帰するつもりです。

それじゃまた、何日か後に。

2018/08/31

8月半ばの話

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【※このブログでの文は、8月頭からのブログ休止中にデジタルでメモしておいたものをアップするものです。なので、現在とタイミング的にマッチしないものもアップされるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。】

残しておいたメモを使ってこのブログをアップしていますが、これも残されたメモから・・。

8月半ばのこと。
このブログが8月のほとんどを休止してしまった理由についてはこのあいだ書きました。
精神的にも身体的にも次から次へとつらいことが起こり、それを一つ一つ何とか頑張って乗り越えてきていた状況だったのですが、そんな中、庭の草は茫々になってしまい、そこまで時間を回すことが出来ずにおりました。

天候的にも猛暑日に行うことは避けねばならず、なんとか見つけた日時に草刈を行ったのですが、“曇り時々晴れ”のような天候の中、ものすごい湿度を感じながらの作業を行っていて、身体がものすごく熱くなってきたのを感じ、「あれ?」と思った直後に動悸が激しくなり倒れてしまいました。

幸い、長男が気づいてくれてその場に横になり、身体を冷やしてくれ、水分も補給し、夕方にはもとに戻るくらいのところまで回復しました。

いろいろなことがやっと回り出して、少し息をついたような時にまたこんなことに。
ちょっと安心してしまった“隙”をついて、物事は起こるのだ、と気持ちを引き締めました。

2018/08/28

ブログお休み期間中のことについて

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ブログをしばらくの間、お休みいたしました。
問い合わせいただいた方もいらっしゃいましたが、詳しくはお伝えしないまま、お休みしていました。

そのままというわけにもいかないと思いますので、簡単に理由のいくつかをお伝えしてから再開しようと思います。
再開といっても、お休みしていた期間中にデジタルでメモしておいたものを使ってのアップです。
しばらくはそんな感じでやってみて、少し経ってからは、勢いもついてくると思いますので従来通りの形で更新して行こうと考えています。

さて、いくつかの理由のひとつ、ふたつを。

家族内にけっこう重い病気を患ったものがおりました。
家族皆で家事を分担するなどして乗り切りましたが、やはり家族に重い病気の者がいると、たいへんなことでした。

さらに家族内に、仕事関係で今後の人生に関わる大きな出来事がありました。
毎日、家族全員で話し合い、事にあたり、労基署などへの相談など、様々なことも伴い、家族に病人がいる中での事でもあり、精神的にも体力的にも大きな負荷が掛かりました。

また、両親が亡くなってからの土地の処分に伴うことがあり、単に精神的なことだけでなく、物理的に大量の物を短期間で移動させなければならない事態も発生しました。
これも病人の家族がいる中で、さらに天候のことなどもあり、家族皆で協力体制をつくり、どうにか乗り切りましたが、まだ来年にかけて移動した物の収容先を確保せねばならない問題も残っており、まだまだ解決方法がはっきりとはしていない状況です。

さらに、私自身の体にもいくつかの問題が起こり、実際に半身が痺れ、歩くこともままならない日が突然あったり、心臓にも不安が感じられる事象もあり、自身が暗い気持ちになりがちで、全てがうまく回らない状態になってしまいました。

というわけで、大好きな宝塚歌劇も観劇するには至らず、当然このブログでのいつものご紹介も出来ませんでした。

また、仲の良いお友達にも、そんな不安な気持ちから、会って少しほっとしたいという気持ちが強くなり、無理を言って会おうとしてしまい、相手の都合なども考えず、申し訳ないことをしてしまいました。
ここで、あらためてお詫びしたいと思います。ほんとうにごめんなさい。

まだまだ不安要素、解決していない事が山積みですが、何とか気持ちを強く持ってやっていこうと思っています。

まずは、少し書いてあったメモを使ってリハビリ的にブログのアップから始めます。
ぼちぼちとですが、あらためてよろしくお願い申し上げます。

2018/07/29

泉谷閑示さんの「仕事なんか生きがいにするな」を読んだ

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『仕事なんか生きがいにするな -生きる意味を再び考える-/泉谷閑示著(幻冬舎新書)』という本を読みました。
著者の泉谷さんは、精神科医で、精神療法を専門とするクリニックの院長です。

巻かれている“腰巻き”を見ると、『会社、お金、世の中、他人、出世、生活・・・「のために」生きるのをやめる!』と書かれていて、精神医療というよりも、むしろ仕事や、それに伴う日常生活上の考え方、アドバイス的なものを中心に展開されるのかと思いましたが、でも、そういう方向ではなく、かといって専門の精神医療世界を中心に展開されたものでもありませんでした。

もっと根源的な、今現在の人々、人間が何を思い、生活の根拠というか、“人間としてのささえ”は、何なのか?というような、歴史的にも遡って人間社会を見直していくようなものだったのです。深くて、単に論理的に理解するような“お手軽”な本ではなかったのです。

私も若い頃からずっと、自分の生きがいってなんだろう、自分が生きている意味ってどういうこと?などとよく考えることがありました。
この本でも書かれているのですが、「自分さがし」みたいなことを言うと真っ向から否定する仕事人間というか、実は説明できないから“頭ごなし”に叱っている人は以前からたくさんいました。

でもね、昔は仕事をして物を作ったりすると、それは後世の人達にも使われたりして、その仕事自体に意味があり、仕事することそのことがそのまま“生きがい”にもつながっていて、毎日生きて仕事をすることに誇りのようなものを持てたんだと思うんです。
しかし、今は「仕事」=「労働」となっています。
「労働」は金銭的価値に置き換えられ、労働そのものに金銭的な価値以外のものが見いだせない。
職人が作ったような「物」は、簡単に誰でもシステマティックに製作することができるような代物になり、「物」=「消費材」になってしまったのです。

さあ、つらくなってきた。そのつらくなってきたのが、つまり私です。

先に書いた会社や出世、お金のために生きて行くと、どつぼにはまるのです。
自分自体に意味なんて無いんじゃないかってね。
そこで現代の人間に特有の精神的な病が増加する・・ってことになる・・そういうふうに書かれていました。

あまり詳しく書くと、この著者の商売の邪魔になってしまうので簡単に書くと、人が人らしく生きるってことは、人生や世界に向かって「意味」を求めるベクトルを出すことだということなんだと思います。

そのベクトルってのは、私達の「心」が発する「愛」の作用だということ。

つまり、「愛」は、単に他の人に向かうのではなくて、世界の様々な物事や人生そのものに向けられて、その対象に潜む本質を深く知ろうとしたり、深く味わおうとしたりするものだ・・って、そんな感じのことが著者の言いたいことなんだと思うんです、簡単にしちゃうと。

・・わかんなくなってきたでしょう?(^_^;)でも、なんとなくわかる人は、そろそろ長い人生の中で何かをつかみ始めてきた人なんじゃないでしょうか。
私もまだまだ入り口付近にいるのですが、なんとなくわかり始めたところに今いると実感しています。

ま、詳しくはこの本読んでみてください。
わかんない人には全くわからない論理だと思います。特に今まで仕事上で私を苦しめてきた数々の人達には・・一生・・。

以上ですよ、それじゃまた。

2018/07/16

映画「終わった人」を見てきました。

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映画『終わった人/2018年・日本 監督:中田秀夫 出演:舘 ひろし、黒木 瞳、広末涼子、臼田あさ美、今井 翼 原作:内館牧子「終わった人」(講談社刊)』を見てきました。

公開前に、この映画に出演している黒木瞳さんの早朝のラジオ番組で、黒木さんが、同じく出演している舘ひろしさん、広末涼子さんを呼んでインタビューしていたのを聞いて、気になっていたのです。

で、ちょっと時間が出来たので見てきました。


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タイトルの「終わった人」というのは、主演の舘ひろしさん演ずる主人公が退職を迎え、ようするにサラリーマン生活が“終わった”人という意です。
高校時代はラグビー部のキャプテンで、東大に進学し、一流銀行に就職したが、出世争いには敗れ、出向先の会社で退職を迎えた舘さん。
インタビューでもおっしゃられていましたが、わざと胴回りに肉布団のようなものを入れ、太り気味で気力の失せた様子を演じられていました。
・・私も自分のことを考え、ちょっと胸の中に暗雲が垂れ込めました。

舘さんの奥さん役である黒木さんは、美容院に勤め、コツコツとお金も貯め、自分の店を持とうというところまできている。つまり、夫がリタイアする時期には自分の方向性をすでに見出している状況です。


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その後の舘さんは、無気力の状態から大学院に行こうと決心し、そのためにカルチャーセンターに通う。
そこで受付をやっている文学好きな広末涼子さんと知り合う、・・そして「恋」のようなものをしてしまう。

なもんで、ジムで体を鍛えはじめ、広末さんと食事をしようとしたり、ジムで知り合ったIT企業の社長から会社の顧問に迎えられ、仕事を再開したり、そしてその社長が急死し、なんていう巡り合わせか社長になってしまい・・その後は大変な展開に・・。

監督の意図とは異なるのかもしれませんが、私は“仕事に生きること”しか人生に無い人の悲哀を感じました。
舘さんが頑張ろうとすればするほど、奥さんの黒木さんは呆れる。
そして、舘さんは空回りする。
それは仕事をすることで、自分を確立するというタイプの人には、「何故仕事をするのか」「自分にとって仕事の中にある意味は何?」という感覚が抜けているんじゃないか、と思ったのです。・・たぶん監督の意図するところはもっと角度が違うんだろうと思うけど。


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ラストが近づくにつれ、舘さん、黒木さん夫婦の人生模様がしみじみと浮き上がるように見えてきます。とどめは、二人の長女を演じた臼田あさ美さんの別れをすすめる叫ぶような言葉でした。

そして二人が選んだ道は・・。
映画を見てね(*^_^*)

見ているうちに舘さん、そして舘さん夫婦を自分の今の状況になぞらえることしばし、でした。
哀しくなったり、心の中にざわざわとするものを何度も感じたりしました。

形としては「コメディ映画」なんでしょうけれど、でも残るものは深く大きいものでした。
舘さんと黒木さんという人生の、そして役者としての“荒波”を乗り越えてきた二人が演じたからこそのものだったかもしれません。

まだ上映されていますので、定年間近、あるいは、今、仕事人生の岐路に立っているような人、または夫婦間で何らかの問題を抱えている人に見てもらいたいと思った映画でした。


【Now Playing】 須田慎一郎のニュースアウトサイダー / 猪瀬直樹、蜷川有紀 ( Podcast )

2018/07/11

「ぼくは眠れない」を読んだ

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『ぼくは眠れない/椎名誠著(新潮新書)』を読んだ。
帯には『35年間、不眠症。』と力強く?!書かれている・・。
あの椎名さんが不眠症だったのか、と驚きました。

世界中の過酷な地に行ったり、日本全国でも釣をしたり、キャンプをしたり、カヌーに乗ったり、浮き球ベースボール大会をやったり、ラーメンすすったり(^^;)、およそ「不眠症」という言葉が似合わないことこの上ないような人と思っていたのですが・・。

でも、本当だった。
ブックオフでこの本を見つけ、パラパラと頁をめくってみたときの衝撃はけっこう強かった。

会社員だった頃の椎名さんのガシガシ仕事をして、夜は人と酒を飲み、家に帰ってくると、“がお~っ”って寝てしまう椎名さんから、物書きとして独立し、フリーランスとなり、いかにも作家っぽい夜更かしの生活が当たり前になってしまった頃から不眠の悩みが始まっていました。

いっきに倒れ込むように寝てしまおうと、酒を飲んでから寝るという・・椎名さんも書いているが、実は午前二時頃に起きてしまう要因となるそれがますます問題を根深いものにしていくのでした。

そういえば、かつて読んだ椎名さんの本の中にわずかではあるが、ダイビング中の閉所恐怖症の話や、ひとつのことが気になると、トコトン考えてしまうような様子、一歩間違えば「鬱」一直線みたいな、“引き金”のようなものを感じたエピソードがありました。

この本を読んでみると、精神的に自分を追い詰めていく椎名さんが垣間見えてきます。

それが、特に外国での豪快な旅をする椎名さんとかけ離れたイメージのため、読者である私が受ける衝撃はかなりのものでした。

外国人と日本人の睡眠の比較や、どんな動物がどのくらいの時間眠っているのか、また睡眠について書かれた国内外の書籍から椎名さんが考えたことなど、これを書いている時点でもまだ「不眠症」に苦しむ椎名さんが、光明を見いだそうとしてもがく様子がうかがえます。

それから、医師から処方された睡眠薬についても書かれていて、でもそれが問題の根本的な解決にはならないということも書かれています。
問題は、現代に生きる人間にとって(文明社会に生きると言い換えてもよい)不眠症となる要因があちこちに、其処此処に、自分を取り巻くような状況になっているということでしょうか。
要するに「文明社会病」みたいなものなのかもしれません。

椎名さんの意外な一面を見ることになったこの本、不眠症について深く入り込んで探求していくと、現代の人間が抱える悩みが見えてくるというものでした。


【Now Playing】 Solar / Miles Davis ( Jazz )

2018/07/01

「一流の人間学」を読んだ

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『[品性ある人間関係を築く101項]一流の人間学/山﨑武也著(PHP文庫)』という本を読みました。またまたブックオフで108円d(^_^o)

パラパラとめくってみて“いいこと書いてある”と思い、手を伸ばしました。

1992年に刊行された本ということで古い本ですが、でも書かれていることは、ごくまっとうなことで、私には参考になりました。日々、生きて行く上で、仕事上でも心がけなければならないことがいっぱい書かれているのです。

中身について詳しく書いてしまうと、“ネタバレ”に過ぎるので、101ある項目のタイトルだけでも挙げてみると・・。


外見や地位で判断しない

人は長所を見て付き合う

自慢するのは未熟な証拠

怒りは明日まで温存する

悪口を言うなら本人の前で

嫌な奴とのつき合いは人生修行

隠れて叱り人前でほめる

悪いニュースは早く伝える

時間に遅れるのは強盗と同じ

脅しは最低のテクニック

人を追い詰めない


などなど、内容を読んでいくと、どんどん深い話になり、私としては自分がまだまだまったく出来ていない人間だということを痛感するのでした。
そして、“謙虚”にならなければと、自分を戒めました。

「古い人間なんかに言われたくない」というような人もたくさんいるけれど、でも、古くから言われていることには大切なことが含まれている・・そんな本でした。


【Now Playing】 Cocuette / Paul McCartney ( Rock )

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