フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2022/10/20

「脳には妙なクセがある/池谷裕二」を読みました。

20221020_ikegaya_yuji_001

最初にお知らせ。

現在使用しているパソコンが不調となり、更新がままならない状況が続いています。
今、この瞬間は無事動いているのですが、いつ止ってしまうかわからない状態です。
パソコンは新調することにして、現在届くのを待っている状況です。
来週半ばあたりからは、通常に更新できるのではないかと思っているところです。

では、本編。
動いている間に大急ぎでアップします。

『脳には妙なクセがある/池谷裕二著(扶桑社新書)』という本を読みました。
これもまたまたブックオフです。
ま、いろいろと脳の仕組みが影響して人はこんな行動をするのだ、というようなことが書いてあるのです。

いろいろと面白いことが書かれていたのですが、PC不調のため端折って書きます。
気になったのは、珈琲の香りを嗅ぐと、人は親切になるのだ・・ということが実証されているという部分でした。

だから、ショッピングモールなどに珈琲店を入れておくと、通りかかった人たちも心和んで親切な気持ちになるので、そういう意味もあるのではないかということでした。

なんか、「そういえば」という感じがしました。

我が家も『珈琲』が“団らん”を取り持っているような気がするのです。

というわけで、大急ぎで書きましたので、アップいたします。

 

2022/10/05

阿川佐和子さんと大石静さんの対談本「オンナの奥義」を読みました。

20221005_agawa_ohishi_001

『オンナの奥義 -無敵のオバサンになるための33の扉-/阿川佐和子・大石静(文芸春秋)』という本を読みました。お二人の対談本です。

2018年発行となっておりました。相変わらずのブックオフで200円での購入。
ブックオフには毎度私の読書欲を全うするのを助けてもらっています。ありがたい。

阿川さんが脚本家の大石さんにオファーをして実現した対談本ということですが、お二人のある意味“豪快”?な生き方が文中の遠慮のないやり取りの中でよくわかりました。

しかも、似ているのかなと思っていたら基本的には正反対と言えるくらいの人生観、死生観をお持ちだということもわかりました。

たとえば、大石さんは苦しいこと、苦しいこと、悲しいことこと、苦しいことと、苦しい・悲しいが10ある中でそのうち1度くらいちょっと楽しいことや幸せと感じることがある・・というのが人生なのだという考え(読んでいて驚いたが、私も全く同じ気持ちです)で、阿川さんはその10と1が逆なのです。

人生は、楽しいこと、楽しいこと、ときどき苦しくて、また楽しいことがあって、また泣いて、なぐさめられて喜んで、ちょっと落ち込んで、また楽しくなって喜んで・・というわけです。

身体に良いと言われれば、ホルモン注射をしたり、医師にすすめられれば子宮を取る手術をしてしまったりする大石さん、そしていくら良いからと医師にすすめられたりしても、一ヶ月後くらいに・・と思いつつ結局何年も何もしない阿川さん。
対称的なお二人でした。

そして共通点と言えば「更年期障害」の時期をどうやって乗り越えたかというのは、お二人ともかなり厳しい状況について書かれていました。
男にはわかってもらう必要がある・・とのことでしたが、私の想像以上に厳しいことがわかりました。
かつての私の職場でも更年期障害に悩んでいる方がいましたが、仕事上手助けをしたり、悩み、お話を聞いたりしていたことを思い出しました。まさにお二人がおっしゃっているような状況下にあったのです。

長くなってしまいましたが、もうひとつ大事だなと思った部分がありました。

オリンピック選手だとかアスリートと呼ばれる人達が「夢は必ず叶う」って当たり前のように使うが、気軽に言っちゃあかんのでは、というところでした。

「普通、かなわないでしょ」ってことです (・_・;

人間はどれも尊い命だけど、“身の程”というものがある。
能力にも確実に差があり、それぞれの能力を全開にして、精一杯に生きることこそ尊い、そんな考え方がないがしろにされている気がするというのです。
私も同感。

しかも夢が叶えば幸せなのか、描いていた夢そのものが間違っていたという場合もあるんじゃないか、人それぞれだし、何が幸せかは自分で判断しないと・・ということをおっしゃっていて、今の私にはその言っていることの意味がよくわかります。

そして今、私も、自分の生き方、幸せというものについて少しずつ考えているところなのです。

 

2022/09/16

文春ムック「伊集院静の流儀」を読みました。

20220916_ijuyin_shizuka_001

『伊集院静の流儀/伊集院静著(文藝春秋)』という本を読みました。
いわゆる“ムック本”・・マガジンとブックの中間・・というものでした。
平成23年発行となっていますから、十年以上前の本です。

その内容は“濃く”、写真も多数、東日本大震災時とその後の様子や仙台に住まわれている伊集院さん自身の思い、成人した若者への言葉が何度も書かれ(当時、何年かに渡って書かれたものか)、さらにはさまざまな立場の人からの相談に応え、多彩な方々との対談もありました。

そして二篇の短編小説も掲載されていて、この「少年譜 笛の音」、「親方と神様」は、どちらもつらいことに堪えたり、一途にものごとに取り組んだり、そして不遇の身にある少年にそそがれた義父や職人の親方からの愛情溢れる扱い、やがて少年がどうなっていったのか・・二篇とも読んでいるうちに涙が頬をつたいました。
いい話でした。

この本に書かれていたことで私の心に響いたことを少し書き残そうと思います。

城山三郎さんとの対談の中で、

「国会議員だから国のことをするんだということを公約して当選していく。選挙民にも、この人は国事を託す人、という思いがあるから、進んでボランティアで選挙運動をしてくれる。本来そういう形にならないとおかしいんで、この反対の姿がいまの土下座選挙だよね。ああいうことで選ぶというのは、世界のなかで非常に恥ずかしいことですよね。」

との城山さんの言葉です。今の選挙運動などをどこかの団体に「こりゃ好都合」と喜んで任せて支持率を落としている人達の耳にいれたいお話です。ずいぶん古い発言ですよ、その頃にもう予言しているかのような発言でした。

もうひとつだけ

「二十歳の君の手に。」という文の中に書かれていたものです。

「大半の二十歳の君たちは成人、大人と言われてもこころからうれしいと思っていないんじゃないか。むしろ本音は大人になりたくないのだろう。テレビには毎日戦場が映り、人が死んでいく。君が住む近くで誘拐、殺人が起き、罪のない人が拉致されている。政治家は平気で嘘をつき、法を犯しても金が儲かれば成功者と呼ばれる。金が力で、人の価値まで計れると口にする愚かな輩があふれる。こんな社会を作った大人になりたいはずがない。当たり前だ。」

「価値ある生き方をしている大人はいるのか。誇るべき生き方はあるのか。私は断言する。そういう生き方をしている大人はいるし、生き方はある。今の君たちの目に見えないだけだ。その人たちも、君と同じ年頃、見えない明日を懸命に探り、一人で歩いていたんだ。」

この引用部分を読んだだけで、若い人だけでなく、私も勇気づけられ、気持ちを強くしました。

 

2022/09/13

「つい、そうしてしまう心理学/深掘元文」を読みました。

20220913_fukabori_motofumi_001

『つい、そうしてしまう心理学/深堀元文編・著(日本実業出版社)』という本を読みました。これもブックオフで見つけたもので、2010年に刊行されたものです。

人の「しぐさ」や「好み」には無意識の“ワケ”があるというものでした。

書かれていたことは、私も年齢を重ね、薄々気づいていたようなことも多くありました。
いろんな人に出会い、いろいろなパターンのしぐさなどを見てきたので、自然と身についたのかもしれません。

少し面白かったところをピックアップしてみます。

よほど自信があるのか、鏡に映った自分の姿に見ほれているナルシスト・・。
東京勤務時には、よく駅のトイレの洗面所でこのような若い男性を見かけました。
手洗いしたくて後ろに並んでいても、ずっと髪の毛をいじってなんども何度も自分の姿を点検していました。
いくらいじっても変わったようには見えないんですけど(^_^;)

この本では、誇大な自尊心の持主ということになり、自分へのまわりからの評価が気になり、劣等感も生じやすい・・らしいです。
でも、優越感を感じていたい、そんなことのようです。

次に、なんでも他人から教わろうとする心理について書かれていたところが気になりました。
Facebookのオーディオの集まりなどでよく見かけます。しょっちゅう「〇〇について教えてください」と書き込み、内容は具体的でなく、とにかく情報をもらう一方で、自分からは何も教えないし、そんな立場には立たないのです。
そのまま大人に成長すると、つねに受容的構えをとることになってしまうとされていましたが、・・いるいる、いっぱいいる。

最後に、私も若い頃によく友だちとの集まりで経験したこと。
30歳も過ぎてそれなりに貯えもできはじめると、集まった席上で誰も聞いていないのに、「この時計気になるだろ」なんて高級時計を見せる友だち・・何人もいた・・。

ワインのボトルを手に取り、ラベルを見ながら自らの知識を披露し、蘊蓄を語り出す友だち・・何人もいた・・。

休日に集まって飲んでいるのに、わざわざ取引先の外国人に電話して、皆の前で英語で笑いながらしゃべり始める友だち・・ひとりいた・・。

自分の社会的評価を「物」や「行動」で示そうとしたものというふうに書かれていましたが、そういうことなんだろうな、と思いました。

で、今やそういう人たちはとは一線を引いてなるべく関わりを減らしました。
もっと楽しい話がしたいのです。

というわけで、ちょっと古い本でしたが、気軽に頷きながら読んでしまいました。

 

2022/09/11

「怒る技術/中島義道」を・・読んだ。

20220911_nakajima_yoshimichi_001

『怒る技術/中島義道著(角川文庫)』を・・性懲りもなく読みました…σ(^_^;)

このブログでは以前に「偏食的生き方のすすめ」というこの著者の本の読後感を載せましたが、あのときは「もうイヤ、うんざり」と思ったわけです。

とにかく怒ることに人生の喜びを見いだし、トラブルになればなるほど、相手がムキになればなるほど“ふるえる”ほどの喜び方をする著者には“あきれ”、“うんざり”し、“怖ろしく”なったのでした。

・・なのにまた別の本を手に入れ、読んでしまった・・。

怖いもの見たさというか、遠くから凶暴で残忍な生き物を見てみたいというか、そんな気持ちなのだと思います。

今回読んだこの本では、前回の著書とは異なり、別のアプローチで「怒り」に取り組んでいます。

人は「怒らなければいかんっ!」というのが一番の著者が言いたいことのようです。

それが、引き籠もる人や、自らの気持ちが充足されない人、極力怒るのを我慢することを生きてきた中で体に染み込ませてしまった人、などにとって、ある意味解決方法になるというのですが・・、ほんとうだろうか。

相手の言っていることを“ひと言一言”分析し、自らの怒りをも事細かに分析し、相手にぶつけるときの効率の良さや、反論されても動じない理論&精神武装についても書かれていました。

怒るといっても、政治や、物価高、世の事件などに対して怒っているのは自分、世間への誤魔化しで、偽善的な行為に著者には映るらしいし、著者がよく怒りの対象にしている「駅のアナウンス」や「照明等の無駄な点灯」「決まり切った定型のお礼状」などについては、相手がどんなに戸惑おうと、相手に何度でも立ち向かい、どんなに性格の良さそうな人でも、優しい人でもトドメを刺そうと全力で、しかも理論的に怒りの刃を振りかざします。

歌舞伎や、その他様々な舞台などを見て、残忍な人やずる賢い人、理不尽な境遇などが物語の中で繰り広げられても、家に帰ってそのようなことが自分に起こりうるのだと常に身構えるようでなければ、そんな輩は掛け値無しのアホだと言うのでした。

・・そんなことはわかっていて、人生の中では何ごとが起こるのかわからないことなど皆しみじみ感じて過しているのだ・・と言ってもこの人は聞かないでしょう、逆に乗り込んで来て“ギタンギタン”にされるでしょう。恐ろしい人だ。

「怒らない」ことをテーマにしてベストセラーになっている本がある中で、この「怒らなければならない」ことをテーマにした本もたぶん売れているのだと思います。

どちらかと言えば「怒らない」方が自分の身体にも精神にも健康上良いと思うのが私です。

怒っているあいだに、怒りを相手に時間をかけてぶっつけているあいだに、もっともっと自分の人生を豊かにする行為や、出来事、人との関係、その他読書や旅行や、楽しいことがいくつもあって、それを体験することに時間を費やしたいと思うのが、今の私です。

私も、多くの怒っている人の相手をする仕事を何種類も何度も経験しましたが、そのほとんどの人が“かまってちゃん”でした。

そういうことでしか、人と接したり、関わり合いになったり出来ないんじゃないかと・・私は思うのですが、こんなこと言ったら何度でも乗り込んで来て、降参しても、謝罪しても何をしても叩きのめすまでやられちゃうんでしょうね。
一生やってるんでしょうね。たぶん心をゆるして語り合ったり、時と空間を過したりするような人は、この人には一人もいないと思う。

私は、楽しく、ゆったり、おだやかに過します。

 

2022/09/03

和田秀樹さんの「感情的な人に負けない本」を読みました。

20220902_wada_hideki_001

『感情的な人に負けない本 -いつも機嫌よく-/和田秀樹著(新講社)』を読みました。
またまたブックオフで安価にて購入。

精神科医・和田秀樹氏による表題のタイトルの本、気になって読んでみました。
今まで書店などでよく見かけたのは、「感情的にならない本」だとか、「感情的にならない話し方」など、自らが感情的にならない方法が書かれたものだったのですが、今度は自分が相対する相手方が感情的な人だったらどうするか、という本でした。

なぜこういうテーマが気になったかというと、仕事から離れ、療養生活をしている現在、たまたま町内会の役員という立場が回ってきて、会員各戸を回る機会に“感情的な人”がいた・・そして、仕事をしていたときにはクレーマーなどの相手をする職場にいたこともあったのに、その感覚がよみがえって来ず、久しぶりに苦労してしまったことが原因です。

あらためてこの本を読んでみて、相手との距離感がつかめなかったことが原因だったな、と反省しました。

相手の言うことに、まともに反応し、距離をつめて正面から話をしてしまったことが良くなかった。
相手からの攻撃(口撃?)には、ボクシングでいう「スウェー」で、かわしていくことが大事だと再三書かれていました。
こちらが心を落ち着かせて、相手とまともに“打ち合わない”ようにしなければいけなかったのに、そんなことあの頃はわかっていたのに、すっかり忘れてしまっていたのでした。

この本では、感情的になる人が、いったいどんな人なのか、様々な考察をしていましたが、それも役立つと思いました。
そんなに緊迫した場面でなくとも、人とつき合う中で、相手を知ることは大切なことです。
その“コツ”のようなものを忘れずにおこう、と、あらためて思った次第です。

また勉強しちゃいました。

 

2022/08/30

スリランカ初期仏教長老の方が書いた「心は病気」を読みました。

20220830_sumanasara_001

『心は病気 -役立つ初期仏教法話2-/アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』を読みました。
これもまたブックオフにて安価購入。
2006年に刊行されたものです。

読んでいくと、まず意外なことを言っているのに気付きます。

仏教では、自信がありすぎてなんにでも手を出す状態は病気だというのです。
一般的な社会では、うつ病だとか、対人関係に自信がないとか、人に会うと心臓がドキドキするとか、そういうものを精神的な病気として見るのに、“自信がありすぎるバカ者”(※文中でもこう表現している)のことは、誰も病気だと思っていない、というわけです。

“活発”だとか“やり手”だとかいってほめているが、誰も病気だとは言わないと。
これが最大の驚いたことでした。

仏教的に考えると、うつ病などと言われる症状も、やり手などと言われる人の言動も、どちらも危険な道で病気に変わりないというのがこの本に書かれていることなんです。

仏教の世界では、「自我」「エゴ」という“高慢”を捨てることを教えているのだという・・(-_-)

私が驚いたいわゆる“やり手”みたいな人って、上り調子の時は打つ手・打つ手が当り、比較的出世街道を歩む人が多いと思いますが、現実としては、自分の傲慢さに気づかず、むしろ周囲を“病の淵”に誘い込むようなことが多々あると感じていましたが、でも、ひとたび路線から外れてしまったり、予定外の窮地に陥ったときには意外と“脆い”人がいます。

自己が崩壊してしまったり、ひどいときには“自殺”・・なんてことも、むしろこういう人に多いのかもしれません。

「自我・エゴ」を捨てるというのは、とても難しいと思いました。

「すべての問題は自我から生まれる」なんて書かれていましたが、自我を捨てるということは、「自分の心は、弱くて脆くて大したことないものだ。どうでもよくてくだらない心だから、誰のものでもべつに同じだ。」という事実を認識すること・・なんだそうですけど、わかったようでわからない (・_・;

最後までそこのところをどう解決するのか読み進みましたが、結局よくわからなかった。読み切れなかったのか・・。

でも、少しばかり“ヒント”はもらった気がしました。

ニュートラルな心を少しでも持てるようにしよう、などと思いつつ読了いたしまた。

 

2022/08/20

「行動することが生きることである/宇野千代」を読みました。

20220820_uno_chiyo_001

『行動することが生きることである -生き方についての343の智恵-/宇野千代著(集英社文庫)』を読みました。
たまたまブックオフにて手に取ったものです。ちょっと見ただけでなんというか、肯定的な印象の文と、あまり悲観的にならない雰囲気が伝わってきて思わず買ったのです。

タイトルどおり“行動する”ことが、すべてにおいて苦難、困難を抜けきる方法なんだ、というふうに私には読み取れました。

“精神を積極的に保つコツ”なんていうのも書いてあって、宇野さんの嫌いな人は「あたし、駄目なんです。生まれつき、文章なんて書けないんです」という人だと書かれていました。

ほんとうに自分のことを駄目だなんて思ってやしないんじゃないか、ただ人前を作って、そう言っているだけなのかも知れない。・・と、おっしゃっています。
自分のことを駄目だ、駄目だと言っているうちに、ほんとうにそのようなことになってしまいやしませんか、ということなのです。

自分は書ける・・、嘘でもそう言い切ることで、言葉の反射によって、自分は書けると思い込むようになる、ということで、私もそんな気がいたしました。

時代が時代なだけに、手紙のことも書かれているのですが、宇野さんが若かった頃の昔でも「近頃は電話で何でもすませるのが普通である」などと書かれています。
「電話」と、その後にででくる「メール」は手紙を完全に日常から追いやりました。

宇野さんの若い頃は、周りに文士がたくさん住んでいて、毎日のように手紙が来たと書かれています。
梶井基次郎からは毎日のように手紙が来た。その手紙を持って萩原朔太郎や、川端康成の家に梶井さんが遊びに来ますよ、と知らせて廻ったことなどが書かれていて、なんだかうれしい話を聞いたな(*^^*)と思いました。

「電話の無かった頃の方が情緒があったような気もする」とおっしゃっていて、その頃の葉書の便りなどを見ると、その人との友情の深さまで思いやられるから、ほんとうに面白いものだと書かれていました。
・・私も、たいせつな人からの手紙や葉書は大事に保管しているのです。
その頃の雰囲気や、交流の様子が今でもよみがえってくるからなのです。

実に心が真っ直ぐに、そして明るく、希望が見えてくるような文ばかりの本でした。
近頃は、こんなこと書く人なんてあまりいないかもしれない。暗いこと、不安なこと、怯えるようなことばかりという気がします。
なので、読んでよかったd(^_^o)

 

2022/08/13

「医者の個人生活366日/米山公啓」を読みました。

20220813_toneyama_kimihiro_001

『医者の個人生活366日/米山公啓著(集英社文庫)』という本をブックオフで見つけて読んでみました。

著者の米山公啓さんは、医学博士で、専門は神経内科。
「大学病院・医者ものがたり」「医者語・ナース語」「午後の電話はぼけはじめ」「医者の半熟卵」などの著作があるお医者さんです。

今回読んだ本は、書き下ろしの文庫本で、1995年に第一刷が刊行されています。
27年も前のものですから、けっこう現在のコンプライアンス上では、やや問題ありな発言も多いのですが、でも逆にお医者さんの事情もよくわかるし、なんとなくオブラートに包んだような発言が多くて何が言いたいのかわからない本が多い昨今、もやのようなものを感じず、気持ち良く読めました。

大学病院に勤務されていたときの生活を書かれたものでしたが、研修生に教えたり、看護学校で教鞭を執ったり、論文を書いたり、この本のような著作物も書いて、さらに各地で開かれる学会への出席、講演も行なわれているし、訪問介護に出かけたり、アルバイトでいろいろな病院に出かけて行っての診察も、さらに実家の医院の手伝いもしていて、目まぐるしい仕事ぶりです。

ご自身では、あまり生き生きとした生活じゃないような書きぶりですが、読んでいるこちらには生き生きとしているように感じました。

私のように若い頃からお医者さん、病院のお世話になってきた者が、このような本を読むと、「そうか、先生は患者をこんなふうに見ているのか」と新鮮に感じました。

また、先生の側からいうと、病院にいるときの患者と医師という関係をはずれて、患者さんが家で暮らしている場に行ってみると(往診もされている)、診察室では気づかなかったその人の生活実態がわかり、ただ単に薬を投与したりしているだけでなく、その生活に合わせた対応が必要なんだと気づくこともあるようです。

タイトルどおりの、366日の“日記”として書かれているこの本は、お医者さんの実態や、気持ちが垣間見えて、興味深く読めました。

現在の“かかりつけ”のお医者さんに今度会う時の気持ちの持ちようも少し変わりそうな気がしました。いい意味でd(^_^o)

 

2022/07/21

「老いを愛づる -生命誌からのメッセージ-/中村桂子」という本を読みました。

20220721_nakamura_keiko_001

『老いを愛づる -生命誌からのメッセージ-/中村桂子著(中公新書ラクレ)』という本を読みました。
著者の中村桂子さんは、理学博士。国立予防衛生研究所を経て、日本における「生命科学」創出に関わってきた方だそうです。現在はJT生命誌研究館名誉館長。

この本を読むきっかけとなったのは、たまたま聞いていたラジオに中村さんが出演されていて、あまりにもそのお話が素晴らしかったからでした。

中村さんは現在86歳。とてもお元気で明るく、優しく、そして人というものを生命の起源から考えていくのですが、他の動物、植物などいろいろな生き物と同様に慈しみ、人というものの考え方が変わっていく自分をすぐに感じて驚いたのです。

38億年前に生命の起源と呼べるような、細胞というかバクテリアのようなものができて、そのときは「死」というものがなく、分裂して同じものが拡大していって生き続ける、というようなことであったが、やがて「雄」と「雌」というものが出来たときに、生き続けるということが子へ、その子へ、そのまた子へと続いていくものになったというわけです。

「生」と「死」が対語ではなく、「性」と「死」が対語になっている、というお話には、ハッとしました。

人間で言えば、男と女の間に生まれる子は分裂とは異なり、すべてが唯一の存在であり、やがて死が訪れ、またその子が唯一の存在として人類が生き続ける・・だから人それぞれが大事なんだ、というお話に目から鱗が落ちるようでした。

「死」というものが、どういうものか認識も出来たし、老いるということが人間が時を紡いでいく連綿とした流れの中にあるということも理解出来ました。

だから、人間一人一人のことを「労働力」と単純に認識したり、社会の「機能」とだけ認識したりしている現在に疑問を投げかけることになるのでした。

みんなちがっていて、みんな一人一人が個性を持ち、その時代を生きている・・そんなことを考えていくだけで、ものの考え方が変わっていくんじゃないかと思いました。

・・そう考えれば戦争だってなくなるはずなんですけどね。

機能的に優れた人間にしようとして、効率的に良い人間になろうとして、人に先んじて無理やり勉強させたり、競争させたりするというのが今の世の中ですが、極端に言うと、一番効率がいいのは「生まれてすぐに死ぬこと」が一番“効率がいい”ということになるのですよ、と中村さんはおっしゃっています。

自分が今生きている時代は選べないが、でも、自分のたとえば10歳、50歳など、その時々の年齢を生きて行くことで紡いでいけばいいというのです。
なんとか人を出し抜いて先んじよう、などという生き方をしているのが今の人達の多くだというのです。

読めば読むほど「腑に落ちる」、そんな本でした。

 

より以前の記事一覧

2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック