『syunkon日記 スターバックスで普通のコーヒーを頼む人を尊敬する件/山本ゆり著(扶桑社)』という本を古本で見つけ、読みました。
正直言って大変な衝撃を受けました。
面白過ぎる!面白過ぎるうえに終盤では実に切実で人の生き方、人生に関わる重大なことが真剣に書かれていて、涙が出るほどの感動もありました。
自分の身に起こった出来事、友達との間の出来事、様々な身近な事象に対して、どんどん斬り込み、そしてその斬り込みには“大いなるボケ”が入っていて、それにまた自分で思いっきり“ツッコミ”を入れるのが、“一人漫才”をやっているかの如くで、腹の皮がよじれるほど笑ってしまった。
この人タダ者じゃないっ!おしゃべりとエッセイの「モンスター」と呼んでもいいんじゃないかと思いました。
妻に「ねぇねぇ面白い人見つけたよ」と、この本を紹介したら、「とっくに知っているよ、私の持っている本は料理中心に書かれていて(※現在の本職は料理関係とのこと)、それでもめちゃめちゃ可笑しいんだよ」とのことでした。
本の帯には、ブログ月間800万アクセス、著書累計430万部超となっていました。
まさに“モンスター”!!
ひいこら言って笑った後には、終盤の3分の1の部分で著者自身が経験してきた仕事上の厳しい話、そしてもっと厳しい家族の話が書かれていて、私は次々と著者の身に起こる大変な事を色々な方法、考え方で切り抜け、そして人としてどう考え、生きていけばよいのか、自問自答する姿に思わず涙してしまいました。
著者は色々な仕事を現在に至るまでに経験していますが、「仕事やバイト、習い事でも、手広くすると色んな経験は積めるけど1つのことだけを続けてる人にはその分野ではかなわないし、かといって1つだけを極めたら他のことは一切何もできない」と書いていて、私も様々な種類の仕事を経験してきたことから考えさせられました。
そして、「親」という、自分がいないと生きていけない物が存在する一生変わることがない役割を与えられた・・とも書かれていました。
まさに親になるって大変なことで、仕事だけでなく、その親という役割もこなしていく人生ってなんだろうと深く考えさせられることにもなりました。
笑いで十分楽しませてもらったあとに、こんな涙が出るようなことまで考えることになって・・この本自体も“モンスター”だと思いました。
とてもいい本でした。
『しがみつかない生き方/香山リカ著(幻冬舎新書)』を古本で見つけ、読んでみました。
2009年第一刷発行のものです。
この本が書かれてから15年を経ているのですが、現在の社会の状況を見ると、ここに書かれていることがより進化したというか、具体化され、深刻化しているのではないかと感じました。
特に強く書かれていたのは、小泉改革を経て、日本社会は他人のことに思いを馳せる余裕がなくなり、自分のことしか考えないメンタリティが強くなったのではないか・・ということでした。
今現在の社会状況で私が感じるのは、上記のようなことを顕著に示しているのは「政治家」ではないか、ということです。
近年、いろいろなことが明るみに出て、政治家はほとんど“脱税まがい”のことをして裏金を貯め、国民には素知らぬ顔をしています。
能登の地震であんなに被害が出ているのに、その県の知事も国会議員もそこで苦しんでいる国民には関心が無さそうに見える。
特定の宗教集団にべったりだが、悪びれるところがない。
大手不動産から一定の見返りがあれば、百年の歴史を持つ森など平気で伐採する。
大きな広告を持つ企業からも見返りがあるのでしょう、子供騙しの映像をビルに映して数十億のお金をジャブジャブ使う。自分の金じゃないから知ったこっちゃないのでしょう。
知らぬ間に日比谷公園まで破壊しようとしていると聞きました。
さらにこの本に書かれているのは、現在の自分の状態は決してそんなに不幸でもなく、むしろ幸せなんじゃないか、と傍から見て思えるような人が「まだまだ幸せになれる」とか「私の実力はこんなもんじゃない、だからもっともっと幸せになれるし、皆から羨ましがられるくらいの身分が相応だ」という自分中心の人が多くいるということでした。
逆に自分を卑下して、「生まれてくるんじゃなかった」とか「何のために私は生きているの」と思う人も増えているのだとも書かれていました。
そして、過去にひどいことを言った人のことや、現実に起こったひどいことは絶対に忘れないが、過去の嬉しかったことや、楽しかったこと、人生の中でのハイライトのようなシーンは悉く覚えていないというのが自己を卑下する人の特徴であるという。
15年ほど前に書かれたこの本の内容が、今、如実に表面化しているような気がします。
「自分はもっと幸せになれるはずなのに」という人と「自分ほど不幸な人間はいない」という人・・どちらもある意味“病んでいる”のではないでしょうか。
そして、世の中は増々“いびつ”な様相を呈しているように思います。
SNSなどでの誹謗中傷や、罵り合い、政治家の発言、行動についても、もう一定の域を越えて醜い人間社会を体現しているかのように感じます。
しかも、日本の報道の自由度が発展途上国以下になっていると最近また発表されたことを知り、暗澹たる気持ちになったのでした。
そんなことを香山さんのこの本を読んで、あらためて感じたところです。
『いちげんさん/デビット・ゾペティ著(集英社文庫)』を読みました。
古本屋で手に取り、「これは何かありそう」と思い、購入しました。
この作品は、1996年に第20回すばる文学賞を受賞しています。
著者は1962年スイス、ジュネーブ生まれとなっていて、同志社大学を卒業され、その後テレビ局で記者兼ディレクターとして活躍されていると記されていました。
古本屋で棚から取り出し、チラッと見ただけで文章に独特の“みずみずしさ”を感じました。それがこの本を読もうとしたきっかけです。
この小説は著者ゾペティさんの経験も生かされていたのでしょうか、京都に下宿する外国籍の留学生のお話しでした。
そして、大学にアルバイトの依頼に来ていた母娘に興味を持ち、その家にアルバイトに行くことになるのですが、娘は成人していて家に居り、盲目なのです。
その盲目の女性に本を読んでさしあげるというお仕事。
最初のうちはたどたどしい日本語で色々な本を読むのですが、そのうち娘とも心が通じ合い、本を読むだけでなく、カラオケに行ったり、その外国籍の主人公が好きな中華料理屋にチャンポンや餃子を食べに出掛けたり、公園や文学記念館のようなところも訪ねます。
銭湯にまで女性は興味を持ち、連れて行くことになったりもします。
二人の交流の様子はもちろんストーリーの中心となっていますが、主人公の留学生が京都で経験する外国人への対応に疎外感を感じたり、ひょんなことからヤクザの親分さんへの取材を手伝うことになり、逆にそこには外国人としての区別がなく疎外感が無かったりして、その心模様の描き方も新鮮でした。
ドキドキするような留学生と盲目の女性との付き合い方、性愛の描写もありますが、不思議とドロドロしたものはなく、美しく感じ、こういう真っ直ぐな、そして潔い文章表現には今までほとんど出会ったことがありませんでした。
ストーリーもひねくれたようなところも無く、最後には何か心に染み渡るようなものがありました。
最初の“勘”は当たっていたようです。
心に残る良い小説でした。
『折れそうな心の鍛え方/日垣隆著(幻冬舎新書)』を古本で見つけ、読んでみました。
2009年第一刷発行となっています。
内容としては、主に仕事上のことで精神的に追い込まれ、医療的な視点で見れば「うつ病」の状態である人でも、そこには段階的な症状の見方もあるし、原因からくる症状の出方、などなど、個々の状態によっては、この著者が経験したように医師からの投薬に依らず、ある程度の状態にまで回復できるのではないか、という趣旨のものでした。
冒頭から著者がどのような過酷な状況に置かれたことがあったか、特に信頼している人や姻戚関係で身近な人の次々の死、さらに仕事環境の苛烈さなどが加わってどうにも大変な状態になった経験が書かれていました。
そんな状態からの復帰は困難極まるだろうと読んでいて思いましたが、家族に三か月自分をフォローしてくれと期限を告げ、段階的に著者が実際に行ったことが細かく書かれていました。
完全復活とまではいかないまでも、ある程度の状態にはなれるのだということがわかりました。
しかし、ここに書かれていることを理解して、実行するのは並大抵のことではないと思いました。
自分のその時の状態をある程度客観的に把握できなければならないし、効果が出るのはその人の症状の深さにも依るので、常に自分の状態を観察しながら、周囲の理解も得ながら、徐々にそしてある程度の大胆さをもって実行することが必要なのだと思いました。
実際の実行内容については、商売の邪魔になるので書きませんが、メタメタにひどい状態ではなく、復活、回復に一縷の望み、光を少しでも感じているような状態の人であれば、効果はかなりあるのではないかと思いました。
最後の方では、「泣ける映画ベスト30選」という項目がありました。
悲しくて泣くのでなく、感動のために泣いてしまい、ストレスが飛んでいきそうなもののリストアップでした。
私もまだ見たことのない映画が多かったので、一度試してみようかと思っています。
『人生の結論/小池一夫著(朝日新書)』を古本で見つけ、読んでみました・・ら、5年前に一度読んでいたことが読書記録を調べてみてわかりました・・^_^;
そのときのブログを確認しましたが、やはり年齢を重ねた今とは感想は少し異なりました。
今の私の読後感を書いてみようと思い、気になった部分をいくつか抜き出してみます。
〇幼児性の強い人は、人の興味がそれほど自分にないことが理解できず、自分語りを続け、自分の要求ばかりを押し付けてくる。それを「自分中毒」と読んでいる。
・・という部分は、仕事をしていた頃の上司からずいぶんと感じたことでした。私にはそういう分析が出来ずに苦しんでいたことを思い出しました。
今にして冷静に物事を考えることが出来て、はじめてわかったことです。
〇歳を重ねたアイドルを見て「劣化」だとか、一線から外れた人に「オワコン」という言葉を使ったりする人。自分の思考は汚い言葉に毒されていると思った方がいい。劣化しているのは自分自身だ。
・・いまだSNSでよく見かける言葉です。私も見ていてイヤになる。
いい言葉を使う人には、いい人生をつくる力があるとも書かれていて、私も“いい言葉”を使うことに心を配りたいとあらためて思いました。
〇優しい人は信じる。優しすぎる人は信じない。本当に優しい人は、ちゃんと厳しい。厳しい人は信じる。厳しすぎる人は信じない。本当に厳しい人は、ちゃんと優しい。」
・・ちょっと禅問答的ですが、でもほどよく優しい人、ほどよく厳しい人は現実にいて、やはりそんな人は自分にとっても大切な人であったと思います。
〇不機嫌は無言の暴力
・・これも仕事をしていた時に、私が苦手だった上司によくいるタイプでした。
なんというか、不機嫌さをもって他者をコントロールすることを悪い方向で学習しているのだと思います。そして、当時は“術中”に嵌った私・・。
〇人には得意分野と不得意分野が生まれながらにしてある。
不得意な分野に手を出して努力しても、結果はせいぜい人並。それなら得意分野に特化してその才能を伸ばすことが、自分にも他人にもいい結果を出すことになる。
・・これは、仕事をしていた時に、年に一度「今年は何をやって、どういう結果をもたらしたいか」という書類を上司に出すのですが、私が自分が得意と思っている方法で色々かなり踏み込んだことをしようと思って書いた書類を見て、上司が「自分の得意なことやろうとしてんじゃねぇよ。苦手にしていて絶対に出来ないことに挑戦しろ。ズルすんじゃねえっ!」と言われて、がっくりと肩を落としたその瞬間を思い出しました。
正直言って、大嫌いな上司でした。
というわけで、今にして思えば・・というようなことをあらためて認識することになりました。
結局、二度読んだことになったわけですが、でも読み直すことが出来て良かったと思いました。
『「むなしさ」の味わい方/きたやまおさむ著(岩波新書)』を読みました。
浜美枝さんのラジオ番組にきたやまさんが出演され、この本のお話しをされていたのを聞いて読んでみたくなりました。
今年2024年1月に初版発行で、すでに4月の時点で第4刷発行となっていました。
「むなしさ」を感じている人が多いんじゃないか、と思いました。
最初の方では、今の世の中、人は、「間」をなくすことに汲々としているということが書かれていました。
「間」をなくすことに“もってこい”なのは、“常にスマホを見ていること”だとも。
もうどんな時でもスマホを見ている人だらけな世の中だと私も日々感じます。
「むなしさ」に慣れていない現代社会では突然襲ってくる「むなしさ」に圧倒されがちで、それに耐えられない、そして隙間を埋めて常にスマホを見ていれば紛らわせるかの如く前かがみでスマホの世界に没入しています。
でも、きたやまさんは、「むなしさ」を感じ、味わうということは大切なことで、それにより人生に深みがでてくるのではという趣旨のことを書かれていました。
一面、相手の反応に敏感でありながら、若い人のリアルなコミュニケーションは、多くの言葉を発するにもかかわらず、相手の話は聞いていない。
一緒の場にいるのに相互のコミュニケーションに取り組むことをほとんどせず、スマホに向き合っているのでは、とおっしゃっていて私も同感です。
本の大半は、学術的な考察がなされていて、難しい表現で私には書けませんが、ようするに困ったこと、心配ごと、困難、トラブルなどさまざまなものを心のプールというか、「沼」のようなスペースを持ち、いったんそこに溜めておくことが出来れば、今の人達が陥っている「厭なこと、困りごとなどをどんどん捨て去り」そして「間」が出来て、その「間」を必死に埋めようとまたスマホに“かかり切り”になる悪循環を断てるのではないか、そんなことが書かれていたと私は感じました。
沼には、自己の厭な部分、陰の部分なども泥のように溜まり、臭いますが、でもそういう心の沼は必要なのだとおっしゃっています。
探していたものは見つからず、築いたものは壊れるし、人に対する期待は裏切られる、そして「むなしさ」が生じて自分のやってきたことや自分の存在に意味も価値もなかったのではないか、という気持ちになるのが人。
でも、その「むなしさ」は、かけがえのない「私」が見つかるという確かな事実があるという・・そういう考えが、今までの多くの意見や、私の考え方にもほとんど無かったことだと思いました。
いろいろなものを失い、幻滅が繰り返されてきたけど、そう感じてきた「私」自身は失われることなく、いまここに“生き続けている”・・そんな考え方がうまく出来ていたら・・と今更ながら思いました。
最後に、「あの素晴らしい愛をもう一度」を共作した加藤和彦さんのことも書かれていました。
「あのとき同じ花を見て美しいと言った二人」は、きたやまさんと加藤さんだったのだと書かれていました。
もちろん、男女の愛のことを歌っていたと思っていましたが、でもそれは男と男の間でも様々なすれ違いがあって別れていくのだ、とあらためて思いました。
音楽で通じ合ったお二人が、再会してまたあの歌をステージで歌いましたが、それはあの最初のヒットから後の二人を歌っていたのですよね。
自死した加藤さんとの「あの素晴らしい愛」は再生することはありません。
取り返しのつかない喪失は味わうしかないとおっしゃっていました。
ぽっかりあいた心の穴だと。
『出口王仁三郎 言霊 大祓 祝詞 CD/武田崇元・監修(八幡書店)』という、いわゆるCDブックを、ここ一年くらい通っている鍼灸院で先生といろいろお話しをしていたのですが、その先生から「このCD本を古本屋で見つけ、まだ中をよく見ていないのですが、たぶんご興味があるかもしれないと思って」と手渡されました。
次の施術までにちょっと読んでみては?
という感じだったわけですが、私はこの出口王仁三郎という方を存じ上げませんでした。
どうやら大正時代から昭和の始め頃にかけて存在した、かなり高名な宗教家であったことと、それと異端の思想家でもあった、さらに異色の芸術家でもあったらしいということがわかりました。
とりあえず深く調べたり、追及したりすると膨大な時間がかかりそうなので、この本を読み、実際にCDを聞いてみて、その感想を書いてみるところから始めようと思いました。
さて、この本に同梱されているCD音源の最初の部分は、なんとメガフォン状の喇叭に取り付けられた振動板で直接針を振動させてレコード原盤にカッティングする方法で録られていました。
つまりエジソンがレコードを発明した頃のやり方です。
その後の部分はマイクロフォンを通して電気的に増幅してカッティングしたものも入っていましたが、驚きです。
たぶん多くの人が聞いた後であろうレコード盤からノイズを取り除いてデジタル・マスタリングする作業は専門家がたいそう苦労したものだと思います。
実際に聞いてみて、その当時の空気というか雰囲気はわかりました。
しかし、これがどういうふうに当時の人に受け入れられていたのかは、現代に生きる私にはいまひとつわからないままでした。
で、本の内容についてですが、大正から昭和初期の頃のものなのに、現代の我々にも通じるようなことが多く書かれていました。
少しばかり例を挙げていきたいと思います。
〇なんでもかでも、人の上になりたがる人が多い世の中だ。なりたかったらならしてやったらよいのだ。
実力がなくて上になっても永くはつづかない。
上になりたがる人は、ただもうそれだけの人間である。
・・今、現在もこんな人ばかりだと思います。
〇心に天国なきものは、死後また天国なし。心に地獄なきものは、死後また地獄なし。
人はみずから神を造り、鬼を造る。感謝の念は天国の鍵である。
・・現在生きる人、特に政治家や金儲け第一の人達は地獄に行くんだなぁと思いましたよ。
〇偉人も、聖人も、天才も、英雄も、一定の距離をとり去ってしまうと、畢竟(ひっきょう)、偉人でも英雄でも、天才でもなくなってしまう。学者はこれを社会学の距離説とかいってる。
・・実際に経験することは普通に生きていると無さそうですが、たぶんそうなんだろうな、と思いました。
〇真の無我の境というのは人間としてあるものではない。
あることに没頭して他のことに無我の境に入ることはあるが、夢中になって没頭していることにはけっして無我ではない。
精神統一というが、これまた言うべくしてでき得べきことではない。祝詞を奏上しながらも、いろいろなことを思い浮かぶるのが本当である。
・・つまり、雑念はつねにあるもので、それを想うのは別に悪いことではない、と言っているのです。“雑念を捨てろ”とはよく言われますが、雑念あって当たり前と言われて私はホッとしたのでした。
なんか、“あたらしい”と感じました。
〇今の人間は、一、金、二、金、三、人物、だからなにもできはせぬ。
度胸のたしかな人のところには人物が寄る。人物が寄れば、金なんかいつでも集まるものである。度胸がなければ仕事はできない。学者というものは、多く書物の研究にふけるだけでわりあいに度胸というものがないから仕事ができない。
一、度胸、二、度胸、三、度胸、四、人物、五、金だ。人は何といっても度胸が一番だ。
・・英断できる人が必要だ、ということか。
それにしても、そのときの人達は金が第一だと嘆いているのを見るにつけ、今の裏金議員を思い出すのでした。
以上、ざっと読んでみて、感じたことを書いてみました。
この本を渡されて、そして読んでみて時代は繰り返す、人は繰り返す、とつくづく感じました。
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