フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2020/06/30

気の毒な人

20200628_garden001

スマートフォンに入れているアプリ、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」、『今日のダーリン』の中でみつけたフレーズ。

「会ったとたんに、なにか文句を言っている人もいる。そういうことをやめようよ、と思う。せめてじぶんはそういうふうでいたくないと思う。なぜなら、文句ばっかり言ってる人は気づいていないけれど、聞かされているほうの人は、気分がよくないからだ。」

現在の職場に行ってから出会うことの多い人たちです。
ほぼ毎日です。

何かこちらが話そうとすると、「いいわけを聞きに来たんじゃないっ!くちごたえするなっ!」・・ばかり・・で、ほんとうにヘコみます (・_・;

入り口から入って来た時からもう、「やってやろう」って感じがしていてすぐにそういう人だと気付きます。

私が思うに、たぶん仕事もずいぶん前にリタイアして、現役時代はかなりの役職に就いていたのでしょう。
数々の業績もあるのでしょうが、それはあの高度経済成長期や、バブル期など、「いいからやれっ!」って言って、そんな時代だから部下は、家族、休日など全てを犠牲にして“無理が通れば道理が引っ込む”という“理不尽を飲み込み”、“わがまま上司”のために身を粉にしてやってあげたにもかかわらず、その“わがまま上司”は“自分のおかげ”と思い込んで過し、やがて退職したのだと思います。

それがそのまま老後期に突入し、そんな人だから家族も顧みずに仕事をしてきた(したつもりで人にやらせていた)ので、もう家人は誰もこの「爺/じじい」の言うことなんか聞きやしません(^_^;)

でもって、ご近所の人もそんなジジイを相手にしません。だって威張ってばかりで面倒くさいもの。

町内会や様々な集まりでも誰も関わり合いになってくれません。だって威張ってばかりなんだもん。

ひどい症状の人などは、「〇〇株式会社 元〇〇部長」なんて名刺を作って手渡したりする( ̄O ̄;)・・それがどうした・・。

もう、お店や銀行、公的機関の窓口にいる何でも聞いてくれる人くらいにしか威張ることが出来なくなっている状況なのに、それに気づかない・・(気付けよっ!)・・気の毒な人。

大声で怒鳴る前に、自分が様々な迷惑を掛け、お世話になってきた部下だった人や、あんたがこんなにロクでもない人なのに気に掛けてくれた人に感謝の言葉をどう掛けたらいいか考えた方がいいと思いますよ。

現在の職場に就いて、日々やって来る、あまりに多い「気の毒な人」に気付いて、書いてみました。

 

2020/06/18

【南先生の玉手箱_0011_あなたは感動を忘れていませんか 倉本聰 北の國からの一説】

20200618_minami_data001

ほんとうにできるのか、やれるのか心配しながら始めた私の中学時代の担任の先生が現役時代に書いたメモや資料を掘り起こして私のブログにアップするという作業。
なんとか岸壁を離れて海に漕ぎ出した感があります。
少しずつ沖に向かいます。

今回は、平成17年の通信誌の裏面の「らくがき号外」と書かれたものを掘り起こします。

以下、先生の「らくがき 号外」文です。


あるお茶の先生のお話しだが、習いものとか日常の暮らしについてちょっとした提言のようなものがあった。

ごくあたりまえのことなんですが、日頃気がつかずに暮らしていることが多い。
そのひとつとして習いものや勉強が毎日楽しいですか。
楽しいかどうかは自分の心に問いかけてください。
そしてつまらないと感じていることは改善しましょう。
何を勉強するのか、何を身につけたいかが分からないのは本人の問題です。

絵を描いている時にもよく話題にすることですが、何を描きたいかが分からなければ何も先に進まないです。
自分が感動のないものには先がない。
そのとおりなんですが、難しいこともある。

お茶の席などでも何かひとつ工夫をしてみんなをびっくりさせたいものをとり入れたい。
それは花であったり、茶わんであったり、着物や服装、そして家のたたずまいなど、空間環境への気くばりなど感動の要素はたくさんあるものです。

それにびっくりする側の心の持ちかたが大切なんでしょうね。
感じ取る側に自分がなければ何も感じられない。
こんなあたりまえのことがなかなか難しいものです。

学校の勉強も、運動も、そしてあそびも、まず本人のやる気、感じとる心の強さが基本ですね。
作家、倉本聰の言葉、北の國からの一説にある「あなたは感動を忘れていませんか」を時々耳にします。(日曜朝TBS)

感動がないところに魅力はない。このような心の原点について時に自らをふりかえりたいものですね。
現代の暮らしは特に五感を使って体で感じる部分が大変少なくなってきているように思います。
この体感することの積み重ねが命の重さにも大きく関係してくるように思います。

マスコミ情報から毎日のようにどうすればそのようなことになるものか理解することなどまったくできない許せない凶悪な犯罪の数々も、私ごとですが、すべてのものが感動することの欠如にはじまっているように思うこの頃です。


以上が先生の「らくがき 号外」の文でした。


このぐるぐる回りながら書かれた原本を苦労に苦労を重ねながら(どこまでタイプしたかすぐにわからなくなり、何度も何度も最初から文字を追いかけることになる、しかも繋ぎの部分を間違って何がなんだかわからなくなる (・_・;)活字化する作業をしていて、私も思うところがありました。

昨年の今頃倒れて救急搬送され、入院、療養生活をし、退院後の生活、特に仕事については意欲もかなり落ちました。それに興味を持ったり、“意欲”が出て来ないという今の状況に、自分でどうしたらよいのかわからないのです。

先生の、この15年も前の文を読んで、もう一度自分の心に問いかけ、日常生活や、特に仕事についての考え方、心の持ち方を再点検したいと思います。

始めてしまったこの難作業ですが、いろいろと感じること、勉強になることがあります。


【Now Playing】 Someday My Prince Will Come / Bill Evans ( Jazz )

 

2020/05/26

緊急事態が解除されて

20200523_garden001

写真は現在の我が家の庭に咲く花々。
世の中の大変な状況とは打って変わってほのぼのとした気分にさせてくれます。
ありがたい。

緊急事態宣言の前から我が家は非常時警戒モードに入っておりました。
マスク装着や、手洗い励行などはもちろん、まだ警戒態勢に入っていなかった職場にも自費でアクリルボード等の材料を購入し、設置。何と言われようと感染対策を自ら行いました。
あのとき顔をしかめていた人も今では感謝してくれているようです。

 

 

20200523_garden002

本屋にも行かなくなりました。
市内いろいろな本屋、ブックオフなども巡廻するようによく出掛けていたのに、今やまったく・・。

ジャズ喫茶などのジャズが流れている珈琲屋さんなどもお店自体が自粛していたりで行くこともなくなりました。
そこで友達や、よくこのブログに登場する中学時代の先生とも話に花が咲いていたのですが・・。

 

 

20200523_garden003

映画にも行けなくなりました。
私の大好きな千葉劇場も感染対策で閉めていたためです。
他の映画館では上映されない“いい映画”がいつもかかっていたのです。これも残念。

そして何よりも宝塚歌劇が上演休止となり、人生の大事な部分にぽっかり穴があいたようです。
観劇後のヅカ友との飲み会も、もちろん無くなりました。
いやもう寂しい。

 

 

20200523_garden004
早くもとのように、などと当初は思っていましたが、現在の状況をみると、なかなかそんなことにはならないようですね。
へたをすると、この緊急事態解除が“ゆるみ”の発端となって、再び緊急事態が訪れるかもしれません。
20200523_garden005
とにかく油断せずに日々過していこうと思います。
なにか「光」が見えてくるような明るい話題がほしいですねぇ。

2020/05/06

心にゆとりを

20200505_garden001

5月のゴールデンウィークを新型コロナウイルスの感染拡大の中、迎え、そしてその連休も終わろうとしています。

我が家に関してもそれぞれの出勤日以外は皆自宅におりました。
その間、草刈や、剪定後に保管してあった木々の枝類を環境事業所から事前に機械をお借りしておいて、チップにする作業などをしておりました。

なので、出勤日と食料の買い出し以外は外出しませんでした。

買い出し時に見た交通量もかなり減っていたと思います。
もうひと頑張りなんでしょうかね。

特に出勤したときに感じるのですが、突然不安になることがあります。
気のせいであるとは思うのですが、なんとなく呼吸が苦しくなったような気になったり、熱が上がったような気になったり、ひとりでパニックのようになってしまうのです。
聞くと、同じ職場の女性も「私も夜に、急に不安になり、症状が出始めたのではないかとパニックになります。」と言っていました。

こういうことってあるんです。

職場では私が作ったアクリルボードの遮蔽板の他、上層部がやっと用意してきたビニールの垂れ幕のようなものが設置されていますが、果たしてどのくらい効果があるのか、そういうアナウンスもメディアからは聞かないです。

職場には、「体温を毎日計れ」と上層部から組織宛メールで指示があり、記入用紙も配られましたが、実際に計っているのを皆に見せ、「〇.〇度です」と声に出し安心してもらおうとしているのは私だけです。
他の人達が体温を計っているのを見たこともないし、紙に記入しているのも、記入した紙を見たこともありません。
これじゃあ駄目だと感じる毎日でした。

 

20200505_garden002

連休明け、また4月と同じような日々を送るのかと思うと暗澹たる思いになりますが、ここはひとつ、心にゆとりを持とうと、今思っているところです。

やれることをやり、自分でそれについて納得をしながら日々過していきたいと思います。
自分ができることをやるしかないのですから。

というわけで、明日からの出勤に備えます。
皆さんもお身体気をつけて。


【Now Playing】 voice of workers / 飯田浩司他 ( ニッポン放送-AMラジオ )

 

 

2020/04/27

日々厳しい状況下、今の気持ちを。

20200426_garden001

このブログの中でご案内しているとおり、現在の仕事は、市民生活に必要であり、窓口を閉めたり、時間短縮などの対応が出来ないもので、日々カウンターでの応対には恐怖が伴っている状況です。
精神的にも肉体的にもきつい・・というのが本音です。
自腹でアクリルボード他材料を購入し、長時間応対を伴うカウンターに設置、飛沫感染を防ぐ工夫をしたのですが、それでもやはり怖いものは怖い。

感染が拡大の一途を辿り始めた4月上旬は例年よりも来客数が減りましたが、中旬を経て、下旬に入ってくるに連れ、徐々に混雑するような状況も見え始めました。
毎日毎日マスクをするのはもちろん、手洗いを頻繁にし、アルコール消毒などもまめに行っていますが、それでも一日に例年よりも少ないとは言え、数十人から百人以上にもなる人と相対するのは・・きつい。
気が休まるという時間がまったく無いのです。

現場で工夫できることは、現状これ以上無いように思えるし、あとはオンラインで何か出来ることはないのか、上層部に考えてもらいたい、そんな感じです。

また、やって来る方々の“温度差”がかなりあって、マスクに手術用みたいな手袋をし、ロビーの椅子には座らず、部屋の隅から自分が呼ばれるのを待っているような用心深い人がいるかと思えば、まったくの無防備な状態の人もいる。
それが交互に次々とやって来ると、自分の態勢、態度が“がくがく”と崩れていくようで、それもダメージが大きいのです。

すでに二回、この新型コロナウイルス感染拡大に伴う状況を記すような内容の記述をしてきましたが、今回は世間の状況というよりも、主に自己の精神状態について書いてみました。

 

2020/04/25

2020/04/24 現在の状況をまた残しておきます。

20200425_tulip001

写真は庭のラベンダーの中に一輪咲いたチューリップです。

4月11日に、新型コロナウイルス感染拡大に伴う周囲の状況について記録に残しておこうと思い、このブログに書きましたが、今回は昨日4月24日(金)の状況を書き記しておきます。後々に思い起こすためにも。

昨日は、病院に行きました。
昨年6月に病に倒れ、救急搬送された病院です。
ここ半年くらいは大学病院を紹介され、検査等を行ってきたのですが、体調も回復し、当初入院した病院に戻されたわけです。

病院はいつも駐車場も、院内も混雑していて大変なのですが、駐車場はガラガラでした。
さらに病院の入り口には白衣の男性(医師?)と看護師さん、さらに事務服を着た方の三人で入ってくる人の検温(おでこにピッと光をあてるやつ)を行い、それから院内に入りました。

また、受付の機械も、番号札を取ったあとに係の方から皆離れて待つように言われたあと、一人一人番号を呼ばれ、機械操作を行いました。
これも「三密」対策です。

さらに自分が受診する科に行くと、そこでも体温計を使って検温。二重の検温です。
さらに診察開始直前には、待合室のシートを全て消毒していました。
まさに厳戒態勢です。
よほどの差し迫った方以外は、やはり病院には来ていないのだと思います。

診察もいつもみたいに予約時間から遅れることがなく、すんなりと始まり、じっくりと診察、お話が出来ました。
次回は7月に様子見をすることになり、その際は状況によっては遠隔で診察することになるかも・・という話も出ました。
先生の話し方、表情から読み取ると、7月くらいに状況が好転していることはあまり期待出来なさそう・・。

診察後、薬局に行ったのですが、いつものように混んでいたら地元の薬局まで行こうと思っていたものの、客は私ひとりでした。
なので、ここもすんなり薬を短時間でいただくことが出来ました。
そうそう、処方箋の受け渡しもこちらと薬局の担当の方の中間点にトレーが設置され、直接近づいて渡すようなことはありませんでした。

病院も薬局も厳戒態勢でした。
幹線道路のクルマの量は、いつもより少し減少している程度か。

街は静かに静かに動いている、そんな感じでした。

 

2020/04/09

ブログもなかなか更新するような気分になれなかった

20200409_at_night001

政府の緊急事態宣言も出て、毎日暗い気分で過してきた日々でしたが、いよいよ緊迫感も加わってきました。

職場においても、人の集まるような場所は閉館、休止となりました。
でも、私の職場は“最前線”として通常どおりの勤務体制を維持することになり、繁忙期の今、多い日には一日200人を超える来客があり、その応対を4~6人で行います。

書類のやり取り、会話をする場合もかなり多く、わずか1メートル幅のカウンターを挟んで相対するわけです。互いにカウンターに身を乗り出して書類を見たり、書いてもらったりするので、実際の互いの距離は70~80センチ程です。
・・飛沫感染を考えると危険極まりない・・。

職員の側、お客さんの側、双方にとって危険であると感じ、その恐怖感、緊迫感は深い疲労感を伴い、一日が終わると心身共にダメージが大きい。

所属長にお話して、最近のラジオ局のスタジオではアクリル板を向かい合って喋る互いの間に設置していると聞き、我が職場でも向かい合うカウンターの中央にアクリル板を設置させてもらうことにしました。
全部私の自腹、そして自分で工作して設置しました。
はっきり言って、命を守るにはこうするしかないと思ったからです。

そうしたら、今朝の新聞に千葉県のある市の市民課で、私がやったと同様に市民との窓口カウンターにアクリル板を設置したことが載っていました。
これがぎりぎりのやらねばならない対応だと思います。

双方がマスクを装着していても、それでも至近距離での会話は恐怖を伴います。
マスクをしていない人も多くやって来る。

上の立場の人は最前線で頑張る人がどういう気持ちで仕事に挑んでいるか、まだわかっていないと思います。
接客カウンターへのアクリル板設置という簡易的な対応さえ思いつかないのか、実施しない。
感染が増加してから、「健康には十分注意させていたのに」などと軽々しく言わないでほしい。

私が自ら工作して設置したアクリル板は、クリアーでそこにあるかどうかもわからないくらいの出来映えで、お客さまもこの対応に安心していただいた様子がうかがえました。
もちろん、応対する私たちにも安心感が増しました。

頼むからそのくらいのことは「最前線で頑張れ」という前に対応してくれ、これは使命感とか勇気とかそういう話ではないのだ。

 

2020/04/05

こういうときにどうすればいいのか

20200405_study001

世の中、新型コロナウイルスの感染拡大で、この休みも何か外に出て活動のようなこともなく、人に会うということもありませんでした。

夏の雑草対策として最近三週間は庭の草刈を連続で行い、いつもの年より先行して庭に手を入れることができた・・というか、人と会わずに外で作業をすることくらいしかやることはあまり無かったのです。

あとは色々と年度がわり時の通勤用駐車場手続き等、さらには全て中止となっている宝塚歌劇のチケット払戻し手続きなどを行っていました。

それからそれから、読書と音楽に身を浸す・・そんなことくらいでしょうか。

今後の観劇もまったく目処が立たないので、休日の予定は未定な部分が多く、せっかくですから読書にその時間を費やそうと思っています。

けっこう買い溜めた本があるので、多くの時間を取れる結果になった現在の状況を生かして、楽しみながら読み進めることにいたします。

でも、どうしても会っていろいろと話したい人もいて、それがどうにもならず、やきもき、もやもやしてしまいます。
割と家に居るのが好きなタイプなのに、こんなことになると会いたくてたまらなくなる人がいることに気づきました。

とりあえず読書と音楽を聴くことに、この降って湧いた時間を使いたいと思います。
忙しい中、慌てて読んだり聴いたりしている時よりも、じっくりと読書や音楽鑑賞をすると、何か新しい発見があるかもしれません。

これを読んでくださっている皆さんも家での時間、有効にお使いくださいね。

 

2020/03/22

森毅氏の「ベストエッセイ」を読んだ。

20200322_mori_tsuyoshi001


『森毅ベスト・エッセイ/森毅著・池内紀編(ちくま文庫)』を読みました。

著者、森毅氏は稀代の数学者。数学関係の著書ももちろん多いようですが、私が今回手にした池内紀編(※池内紀さんの編、というだけで間違いないっ!)のこのベスト・エッセイは、実に面白かった'(*゚▽゚*)'

文章自体も読んでいる人を引きつける独特のものがあるし、さらに著者の物事に対する考え方、対応の仕方が唯一無二というか、“目からウロコ”の斬新さでした。
最初に書いちゃいますけど、脱帽です。

未来のことを考えるなら、十年先、二十年先がどうなるかよりも、「今を疑え」、今の「異」に気付け!ということをおっしゃっていました。

私もよく思うことがあるのですが、今の常識や考え方、モノの見方などがまるで正しいという感覚でモノをしゃべったり、他人を批判したりする人がいます。
たしかに、こういうヤツがいちばん先の見えないヤツであることが多いd(^_^o)

「結局、そのときの現在に距離をおいたことだけが正解で、未来はさっぱり予測できなかったとも言える。」と森氏は書かれています。

「人間社会のあり方は十年もすれば変わるが、十年後を予測することはできない、というのが自分の歴史から学んだこと」と結んでいました。

まさにそのとおり。

今の状況にまったく疑いのないヤツなんかに現在も未来もわからない!そう思います。

その他心に残ったことは、

六十ごろで定年になれば、「会社ばなれ」。これからは、社会での位置づけでなくて、自分のあり方で生きていかねばならぬ。・・この言葉も身に染みます。

決して人生“斜に構え”ているわけではなく、でも、生真面目に真っ直ぐ生きるでもない、その絶妙な姿勢が私にはとてもいいものに感じました。

380ページ、あっという間に読みました。

 

2020/03/05

山本甲士さんの「ひかりの魔女 ~にゅうめんの巻~」を読んだ。

20200304_yamamoto_koushi001

『ひかりの魔女 ~にゅうめんの巻~/山本甲士著(双葉文庫)』を読みました。

著者山本甲士さんの本については、「ひなた弁当」「わらの人」「戻る男」「俺は駄目じゃない」「ひかりの魔女」などを読んできました。

「わらの人」を読んだ時のブログに掲載した感想文については、著者山本さんから直接、私が疑問を抱いたタイトルの謂われについてメッセージをいただいたりして感激したのですが、今回も読んでいるあいだずっと心に何か染み渡るものがありました。

今回の本については、以前、私が「ひかりの魔女」の第一弾を読んで感動していたのを妻が覚えていて、この第二弾を買ってきてくれたのです。
こんな形での第二弾との出会いも、この「ひかりの魔女」らしい感じがします。
偶然なのか、必然なのか、どちらでも“出会い”というものは大事です。本でも人でも、出来事でも、その“出会い”を大事にしたいものです。

この物語の主人公のお婆ちゃんが行くところ、そして出会う人達、皆がささやかな幸せにつつまれます。

そのささやかな幸せにつつまれる人達は、「真崎ひかり」という主人公のお婆ちゃんを通じて物語中どこかでつながっているのですが、喫茶店を営む引っ込み思案の独身女性、社内クーデターによって会社を追われた元社長、倒産寸前の町工場を営む中年夫婦、ラーメン屋の経営に失敗して車上生活を送る男性、などが“ひかりの魔女”と知り合うことによって、何か人生の「ヒント」を得て、人としてささやかだけど幸せ、つつましいけど豊かな家族との生活にめぐりあいます。

それぞれのエピソードを読んでいるだけで、なんだか涙が出てしまうのです。

この本は、私が人間ドックで何度もある待ち時間に読んでいたのですが、待合の椅子でこの本の世界に入り込み、気づくと泣いていました。
人の幸せってなんだろう・・と、この歳になってあらためて再確認することになるのでした。

読後も甘酸っぱくて、つんとくる幸せ感が広がりました。

世の中の不条理や、世知辛さ、人との付き合い方に小さな悩みを持っている“あなた”におすすめの漢方薬的な“お薬”となる本です。

 

より以前の記事一覧

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック