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2023/08/15

「コンビニ人間/村田沙耶香」を読みました。

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『コンビニ人間/村田沙耶香著(文藝春秋)』を読みました。
2016年に芥川賞を受賞された作品で、読みたいと思っていたのですが、基本的にこういう有名な賞の受賞作品は読まない、または読みたくなった場合は5年以上は間をおいて、世間が忘れたころに読むことにしておりまして、今になって古本を手に入れて読んでみました。

主人公は幼い頃から世の中の“枠”というか、社会の掟というか、そういうものに馴染めない・・というよりも、その“枠”のようなもの自体を理解できない女性でした。

それがどうやら社会的には問題有りだと気づいた主人公は学生時代を友人などとはほとんど関わり合いを持たずに過ごして何とか切り抜け、でも就職が出来ない。
しかし、コンビニのアルバイトに関しては、本人がコンビニの“一機能”としてシステマティックに働くことが出来、なんとか生活していくという物語でした。

そんなにして何とかやっていても、どうしても社会の“決まり事”のようなものの考え方で主人公は括られようとされ、困ってしまうのです。

ストーリーを書いてしまうと営業妨害になるのでそれはしませんが、読んでいてこの当時でもこのような人はたくさん実際にいたのではないかと思い、さらに今現在はどんどんこのように日々流れていく社会の中で苦しんでいる人って確実に増えているだろうと思いました。

この物語の主人公も独身のままコンビニアルバイトを大学生時代から三十代半ばを過ぎてもやっていて、コンビニの仕事中心に動いていれば、なんとか社会の一角で生きていける・・というような状況になっていました。

世の中、「少子化問題」だなんて言って、いろいろと対策を考えているようですが、収入などの経済的問題や子育て環境の整備を考える前に、日々生きていることだけでもたいへんな思いをしている個々の人達の内面的な部分にも心を寄せる必要があるのではないかとまで考えてしまいました。

今の世の中、生きているってことだけでその意味を自ら問うたりするようなご時世だと強く思います。
どちらかというと、“変な人たち”がなんだかいい思いをしているような、“いびつな”世の中に生まれたこと自体が苦悩の根源になっているんじゃないかと・・。

いろいろ考えましたが、たぶん何度か読み返すと、またちがった感想を持つんじゃないかとも思いました。
だからきっと賞を取るような作品になったのだと思います。

 

2023/06/29

永六輔さんの「老い方、六輔の。」という本を読みました。

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『老い方、六輔の。/永六輔 構成・矢崎泰久(飛鳥新社)』という本を読みました。
平成16年発行のこの本は、永さんとはあの「遠くへ行きたい」という有名なテレビ番組の時代から付き合いがあった「話の特集」編集長の矢崎泰久氏がインタビュー形式でまとめたものとなっています。

読んでみたら、けっこう内容は“濃い”ものでした。
永さんが幼かった頃に病弱で学校に行けず、病院で過ごしていた頃から始まり、その後の疎開先でのいじめを受けたことについて、様々な時代を経て、やがて奥さんを看取ったことから「死」を考えることになり、「死」についても多くの頁を割いて書かれています。

そして今度は自分が亡くなるまでをどう生きるか、どう死ぬか、までを永さんらしくどんどん語って行きます。

また、言葉についての発言も多く、言葉に込める思いが手紙・葉書となって毎日ラジオのリスナーや手紙をくれる人達への年間何万通にもなる「心の通い」となって投函している話も出てきます。

近年、手紙の配達は土日が休みとなり、その週に相手方に手紙が届くようにするには水曜日までに投函せねばならなくなりました。
手紙というものが郵便事業の一番たいせつなものなんじゃないか、と日頃思っていた私には、もう紙に書いた「言葉」はそんなに大事なものではなくなってしまったのだな、とがっかりしていた矢先に、上記の永さんの日々手紙を書くお話しを読んで、・・大事なことだったんだよな、としみじみ思うことになりました。

永さんと言えば旅の話も、もちろん書かれていました。
日本全国いろいろなところに行っていますが、家に帰るのは“旅の合間”だったらしく(^^;)奥さんにはたまに会うみたいなことだったらしいです・・ちょっと信じられませんが、旅先から奥さんには葉書を送っていたとのこと。
旅先か家か、どっちが生活の根拠かわかりません(^-^;

で、奥さんが亡くなられてからも、旅先から奥さんあてに葉書を出していたとのこと。
それを自分が帰宅したときに郵便受けから受け取るわけですが・・どんな気持ちなんだろう。

と、あれこれ書いてしまいましたが、最後には“かかりつけ医”の大事なこと、どういうふうにお医者さんと付き合うか、なども書かれていましたし、自分の具体的な最後についても淡々と書かれていました。

私にもいろいろと心に残る部分がありました。
永さんの本、まだまだストックがありますので、また読みましたら読後感を載せようと思っています。

 

2023/06/20

映画「青いカフタンの仕立て屋」を見ました。

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映画『青いカフタンの仕立て屋(The Blue Caftan)/2022年 フランス、モロッコ、ベルギー、デンマーク 監督・脚本:マリヤム・トゥザニ 出演:ルブナ・アザバル、サーレフ・バクリ、アイユーブ・ミシウィ』を見ました。

モロッコ、サレの旧市街、海沿いの町にある小さな工房でカフタンと呼ばれる結婚式やフォーマルな席に欠かせない、コードや飾りボタンなどで華やかに刺繍された伝統衣装をつくる職人と、その奥さん、若い弟子のお話しでした。

舞台となっているモロッコの首都ラバトと川一本隔てた古都、サレ。コーランが響く旧市街の市場や大衆浴場、カフェ、食卓に上がるタジン料理などの映像を見ているだけで素顔のモロッコを感じました。

また、色とりどりの滑らかなシルク地に刺繍を施す繊細な手仕事のクローズアップ、伝統工芸の美しさと、登場人物三人の“不思議”だけど濃厚な時間がこの映画の見どころでした。

 

 

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主人公の職人ハリムは、夫を誰よりも理解して支えてくれる妻ミナと暮らしていますが、ミナは病に侵され、余命わずかとなってしまいます。
妻をいたわり、最後の時間を大事にするのですが、実はハリムは男性を愛することもあり、弟子として入ってきた若い職人ユーセフとの関係もだんだんとわかってくるのです。

でも、「愛したい人を愛し、自分らしく生きる」という愛の物語になっていき、三人はミナの病状もあり、やがては一緒に住むことになり・・そこからはこの不思議な愛の物語をぜひ映画館で見ていただきたいと思いました。

上映時間は二時間もあり、ヘヴィーなシーンもけっこうあるので、精神的にもちょっと強いものが必要かもしれませんが、「愛する人にありのままの自分を受け入れてもらう」という美しいテーマが貫かれていて、良い映画だと感じました。
カンヌ映画祭や、アカデミー賞などでも部門賞を受賞しているとのことで、LGBTQ+に関連する法律を通したばかりの日本の議員さんたちにも見てもらいたいと思いました。
あの後退に後退を重ねて出来た法案に賛成した議員さんたちには理解不能なんじゃないかな・・。

ラストシーンは胸に沁みました。多くの人に見てほしいと思いました。

 

2023/06/18

「アガワ流 生きるピント」を読みました。

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『アガワ流 生きるピント/阿川佐和子著(文藝春秋)』という本を読みました。
ブックオフで古本として購入、2021年発行のものですから比較的最近の本です。

内容は、仕事、恋愛、家族、生活について読者からの悩み事を人生相談的に阿川さんがお答えするというものです。
もちろん阿川さんが答えるのですから、ラジオなどでやっている「テレフォン人生相談」のような弁護士さんやその他専門の先生方がお答えする回答とは異なって、阿川さんの人生経験からくる独自の不思議な説得力ある回答が返ってくるのでした。

読んでみて、意外と阿川さんの回答は“実戦的”だと感じました(^^;)

妙に相談者に対してやさしい声も掛けないし、自分が若い頃はこうだった、とか、厳しい結果を覚悟しつつこうしてみなさい、だとか、けっこう私も参考になりました(^_^;)

家族が認知症になったりだとか、介護が必要になったときなどの実際に直面する実例なども挙げられていて、かなりその部分などは真剣に読ませてもらいました。私にもいつ直面する事態かもしれない。

あと、話はちょっと逸れますが、今のマイナンバーカードの不具合というか、事故というか、不祥事というか、こういう事態のとき、上に立つ人の姿勢はこうでなきゃいけない・・ということも、かつていろいろなリーダーと言われる人達にインタビューした経験から書かれていた部分があって、私もそのとおりだと思った部分がありました。

かつてパナソニックで、石油温風器による事故が起きた際の当時の社長のとった態度、行動について書かれていたのです。

すべての商品コマーシャルを中断させて、ユーザーに回収を促す告知CMに切り替えた。
そしてその実行が速かった!
「すべて回収するまで通常のコマーシャルは出しません」という決断をよくぞなさったと感動した阿川さん。

社長の中村氏にインタビューすると、「誰でも失敗するんです。大事なのは失敗したあとの処置。そこで躊躇したらダメですね」とおっしゃったとのこと。
どこぞのデジタル大臣に聞かせてやりたい。

「社内外のコンセンサスを取ってからとか、マスコミに漏れないようにしばらく伏せておこうなどと、姑息なことは考えない。まっすぐに堂々と即座に立ち向かう。トップは誰もが肝に銘じておくべき覚悟だと思います。勇気がいりますけどね。」

「システムの信頼になんの揺らぎもない」だとか「ヒューマンエラーによるもので心配ない」だとか言っている人がいますよねぇ、上記の社長さんの言葉、よく噛みしめて、自分の拙い行動に照らし合わせてみるといいと思いますよ。

というわけで、ちょっと脱線しましたが、阿川さんの人生相談本、興味深く、そして楽しく読ませていただきました。
よい本でした。

 

2023/06/11

遠藤周作の古い講演の活字化「人生の踏絵」を読みました。

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『人生の踏絵/遠藤周作・講演(新潮社)』を読みました。
これもブックオフで見つけたのですが、1960年代から1970年代にかけて、作家の遠藤周作氏が自らの著書とキリスト教についての講演について活字化したものです。

発行が2017年になっていますので、近年、遠藤氏原作の「沈黙」がマーティン・スコセッシ監督で映画化された際に古い講演で「沈黙」などの作品について語っているものを長い年月は経ていますが、活字化したものと思われます。

遠藤周作さんについては、私は中学・高校時代に愉快な「狐狸庵シリーズ」などのエッセイをよく読みました。シリアスな文学としては、「沈黙」と「イエスの生涯」他数点を当時読んだきりです。

バラエティー番組に回答者として出演している時もユーモアあふれる人でしたが、この講演でも内容はシリアスなものながら、所々に(爆笑)と添え書きのあるようなユーモアも交えながらの講演であったことがわかります。

何度も遠藤さんは書かれていますが、キリスト教作家などと言われるが、「キリスト教はいいよ」だとか、本文の筋がキリスト教礼賛の結論に向けて動いていくようなそんな作品を書いているわけではないことと、作品「沈黙」の中で踏絵を踏んでしまう人物について書かれているように、大変な局面で踏絵を踏んでしまうような人、そのときの人間の心の中、葛藤や、その他去来するものについて・・それが自分が書いている作品の大きな部分を占めている、というようなことが講演で語られていたと私には読めました。

ようするに、キリストが、宗教が、なんらかの助けをしてくれるわけでなく、道の方向を示してくれるのでなく、その極限的な状態にするっと入り込んできて、自分というものを見つめるきっかけのようなものになる・・というようなものなんじゃないかと書かれていたと私には読めました。

そこで、ハッと思い出したのは、ジョン・レノンがビートルズを解散して出したソロ・アルバムの中の曲「GOD(神)」で、「神というものは、私たちが自らの“痛み”を感じるときの“物差し”のようなものだ」と歌っていることでした。

似ている感覚なんじゃないか、と思いました。

私たちが人生の中で様々な苦悩を抱え、傷つき、苦悶し、自らを見つめなおすときには何らかの指標のようなものがそこに存在していると、私も今までに何度か感じてきました。
それがこの講演で語られていたことの中にあったのではないか、というのが今回この本を読んでの一番の感想です。

ジョンもビートルズ時代を経て、ソロになり、自分のことを赤裸々に語る曲を作るにあたって、あのような歌詞が生み出されたのではないかと思いました。

いつも本を読むと、今まで霧がかかっていたようなことが少し見えてきたりします。
それが私の読書するときのモチベーションとなっているのです。

 

2023/06/09

すごいタイトル「妻がどんどん好きになる」を読んだ。

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『妻がどんどん好きになる/梶原しげる著(光文社)』という本をブックオフで見つけ、あまりの“衝撃”のタイトルに驚き、買っちゃいました^_^;

梶原さんは、私の認識ではラジオ局のアナウンサーであった頃の印象が強く、のちにテレビなどでも局の枠を越えて活躍をされ、やがてフリーになり、かなり忙しい日々を送られていたことがこの本を読んでわかりました。

そして上記のようにあちこちで引っ張りだこになった梶原さんは、仕事一筋の生活に突入してしまい、奥さんや子供たちを“ないがしろ”にしてしまった・・ということが書かれていました。

さらにマンションを買い替えたりして住居も移転することを繰り返したりもしたのですが、奥さんが黙っていることをいいことに“やりたい放題”だったとのこと。
よくある仕事ばかりが人生のほとんどを占めているような男になってしまったのでした。

そして、奥さんが大病を患い、一緒に病院に行くと先生から「あなたは一緒に暮らしていて、奥さんのこの状態に気づかなかったのですか。何をしていたんだ。」と叱られてハッとし、そこから今まで奥さんが自分をはじめ家族のためにどれだけ苦労してきたか、文句のひとつも言わず頑張ってきたか、いつも世間的なことに疎かった自分を支えてくれたのは奥さんだったと気づくのでした。・・読んでいて、「遅すぎる」と思いました、私(^_^;)

それからは、仕事も生活も変えて、奥さんとの時間を大事にする様子がいろいろなエピソードを含めてたくさん書かれていました。
手をつないで歩くなどしたこともなかった梶原さんは、今では病気で足元がおぼつかない奥さんをささえ、病院その他一緒に出掛けます。

新婚当時よりも、奥さんが好きだと思った・・と書かれていて、「そうか、それでこんなタイトルだったのか」と思いました。

我が家でも、梶原さんのところとは逆に私が倒れ、入院し、半年もかけてやっと普通の生活ができるようになり、その後は一進一退の状態が続き、今も良くなりはしましたが、時々体調を大きく崩すことがあります。

私は、仕事でIT部門に異動になったときに、一日中キーボードを打っていたら両手の皮膚がボロボロになってしまったことがありました。ずっとプラスチックに接触していたのが良くなかったとお医者さんから言われたのですが、その後も両手は治りはしたものの、時々ひどい状態になっていて、最近妻が、朝のひとときに手をクリームをつけてマッサージしてくれるようになりました。

おかげさまで、かなり状態は良くなったのですが、毎日妻が私の手を握っていることがとてもいいことなんだと気づきました。

梶原さんが日々奥さんと手をつないでいることで、夫婦間の大事なものを感じているように、私も似たようなことを感じているのです。

全国の仲のいい夫婦も、そうでない夫婦も、たまには手を握り合うことをおすすめいたします。きっと何かを感じると思います。

この本のタイトルを見たときに、梶原さん、大丈夫か?!と思ったけれど、大丈夫じゃなかったのは私だったのかもしれない。

 

2023/06/06

横尾忠則さんの「死なないつもり」を読みました。

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『死なないつもり/横尾忠則著(ポプラ新書)』を読みました。
いつもどおりにブックオフで見つけ、格安購入、2016年刊行の本なので横尾さん80歳の時のものです。

齢を重ねた横尾さんですが、突発性難聴になったり、身体のあちこちが痛かったり、しんどかったりするのは80歳ともなれば当然のことであると思います。
でも、それを“受け入れ”て、戦ったり、克服しようとしたりせずに、そんな状態で何か新しいことができるかも・・という、いわば自然体なのが横尾さんの生き方だと思いました。

「完璧をめざすのではなく、あえて未完にする。未完は明日に続くものだから。」

という言葉も、そうか、そう考えれば「できなかった・・」と悔やむこともないんだな、と思いました。

「美術鑑賞に知識も決まりもありません。夕焼けを眺めるように しばらく絵の前に立って、胸を開けばいいのです。」

これは、私が美術館やいろいろな個展などに出掛けたときにいつもそうしていることでした。
展示されている絵そのものをろくに見ずに、添えられている説明文を熱心に読んでいる人が美術館に出掛けるとよくいますが、まず真っ先に絵の前に立ち、自分が何を感じるかがたいせつだ、といつも思います。

「一日のうちで何もしない無為な時間をどれだけ持てるか。ムダを悪徳と思うような現代において、これは大変に贅沢な過ごし方だと思います。」

いまや「コスパ」から「タイパ(タイム・フォー・パフォーマンス?!)」だなんて言って、ぼんやりする時間などをムダだと思う人がいるようです。もっと人生楽しく、豊かに過ごした方がいいよって、いつも思います。

「病気や怪我は、変化を巻き起こす風のようなもの。その変化を面白がることで、僕はなんとか生き延びています。」

これは、私も今まで生きてきた中で何度も倒れたり、入院したりしていますが、そのたびに身体にも心にも変化が起きて、ある意味“あきらめる”ことによって別の道を見出したり、人生への考え方そのものが変わったことがありました。
病気や怪我をしたことによるマイナス面をいつまでも引きずるよりも、その後の状態で何ができるかを考えた方がよいのだ、とその都度思いました。

横尾忠則さんの動向はいまだ気になります。
ご自身のTwitterや、著書、作品などに今後もふれていきたいと思いました。

 

2023/05/20

「何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣/ジム・ドノヴァン」という本を読みました。

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『何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣/ジム・ドノヴァン著 弓場隆訳(ディスカヴァー携書)』という本を読みました。

いつもならあまりこのような本は手に取らないのですが、ポジティブに考える方法や、立ち直る力を身につける、などの章立てや項目が気にかかりブックオフ去り際にこの一冊を加えました。

私にとってはちょっとショッキングなLineを受け取った直後にお店に入ったので、そのことが頭から離れず、思わず手に取ってしまった・・というわけです。恥ずかしい話、“うろたえて”いたのです、みっともない・・。

でも、この本で言っていることも一部参考に、自分が思っていることを正直に丁寧にLineの返信をしたら、私が思っていたような深刻なものではもともと無かったようで、結果としては良かったと思える顛末となりました。
・・・よかった。

さて、せっかくのこの本のご紹介なので、少しだけ私が気になった部分について書いてみます。

『私たちは解決のめどが立たない愚問を自分に向かって発している。たとえば、「私はどうしてこんな目にあうのだろう?」とか「なぜもっといい仕事(恋人)が見つからないのだろう?」といった具合。自分に向かってこういう愚問を発することで、幸福を阻害する。』

という部分でした。

答えを見つけようとしても心の中で堂々めぐりを繰り返し、質問の答えが見つからないというわけです。

「それを実現するために自分の取るべき行動は何だ?」という考え方をしなければいけないんですね。
私も今まで“堂々めぐり”的な自問をしていたことが多かった・・と思います。

ついでにもうひとつ。

マーク・トウェインの言葉を「人との関わりを築く」という章の最初に取り上げていたのが心に残りました。

『自分を元気づける一番いい方法は、誰か他の人を元気づけてあげることだ。』

という言葉です。

これは、わかるような気がします。
人を元気づけているうちに、自分自身も元気づけている・・というようなことはあると思います。

たまたま見つけて、あわてて買った本ですが、少し役立てることができました。
ああ、よかった。

 

2023/05/15

「歎異抄入門」という本を読みました。

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『「歎異抄」入門 ~無宗教からひもとく~/阿満利麿(あま・としまろ)著(河出新書)』という本がちょっと気になって読んでみました。

「歎異抄」そのものは学生の頃、教科書に出てきて耳にしていましたが、それっきりで、どんなものだろうなどと思うこともありました。
また、最近、休日の早朝にラジオを聞いていると、「歎異抄って何だろう」というような番組をやっていて、寝ぼけながら聞いてみたこともあり、本屋でこの本を見つけたときに、「よしっ、思い切って読んでみよう」と思ったわけです。

この本は、NHKのEテレ「こころの時代~宗教・人生~」で放送された「歎異抄にであう」がきっかけとなって生まれたものだそうです。
だから、ちょっと想像していたものとはちがって、歎異抄自体についてけっこう詳しく解説されていて、「生きていくうえでのヒントになるような言葉と出会えたらいいな」くらいの思いで買ってきたのですが、当てが外れた感じになりました。お勉強する感じなのです。

安易に読み始めたので、ついていくことが出来ない・・(^-^;

ただ、自分がなぜ「歎異抄」に“ひっかかった”か、というのは読んでいたわかったような気がします。

歎異抄に書かれている仏「阿弥陀仏」は、「五濁悪世(ごじょくあくせ)」という人間とその世界の悲惨のただ中に登場してくるということで、五濁悪世については、五通りに分けて説明されていました。
以下のとおりです。

一.戦争・飢饉・疫病が絶えない時代のひどさ。

二.思想の貧弱化、思考力の劣化。

三.人の考え方が自己中心を免れず、自己の価値観にこだわり、世界と人間をより深く考察する意欲が欠けていること。

四.人間自身の身体の資質が低下して、多病となり、精神もまた病む。

五.人間の寿命が短くなる。

どうでしょう、まったくもって“現在”の世界の状況、人々の状況だと思えませんか。
だから、歎異抄が気になって気になって仕方なかったのだと思います。
ラジオなどでも、そのエキスのような部分が語られていたからです。

煩悩についても書かれていて、人が生きてゆく上で不可欠の諸々の欲望が自分の都合に合わせてときに過度になる、という状態、それが「煩悩」ではないか、というわけです。
これについても「同感」です。

結局、読んでみて、今現在の私がまだまだ様々なことに“迷って”生きているのだということがわかりました。
それだけでも少しは読んでみた意義があったように思います。

難しい教えをわかりやすい事例で紹介している本もありそうなので、今度はそういうものを探してみようと思います。

 

2023/05/14

「夫婦という他人/下重暁子」を読みました。

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『夫婦という他人/下重暁子著(講談社+α新書)』を読みました。
いつものとおりブックオフにて安価購入(#^.^#)
読書人の雑誌「本」2017~2018年に掲載されたエッセイ「その結婚、続けますか?」を書籍化し、2018年に刊行されたものです。

下重さんの著書については、このブログでも何冊か既に読後感を書いていますが、私も自分の年齢が上がれば上がるほどその内容が身に染みてまいります(^-^;
今回は、『夫婦』という人類が永年にわたり形成してしてきた形態について、いつもどおり“ガツン”と書かれています。

全編に渡り、下重さんのどちらかと言えば現在社会一般で維持されている「夫婦」という形態に疑問を投げかけている考え方が綴られているのですが、その中で私が気になった部分をご紹介します。

「結婚生活の悲劇は、相手に期待しすぎるから起きる」

というものです。

下重さんは、人に期待しない・・を基本にしています。
家族、親や子や夫・妻も自分と違う人なのだ、と考え(私も近年このような考え方が強くなっています)、期待したら裏切られるのは当たり前で、いちいち傷ついていたのでは身が持たない・・と。

思いがけず向こうが何かをしてくれると、期待していないだけに余計嬉しい・・とも(^-^)・・そうかもしれない。

後半に入ってくると、夫婦でも互いに異性の別の人といろいろな関係を持ってもいいんじゃないか、とか、夫婦という形態の間で子供が出来なくてもそれはいいのではないか、とか、子供を育てる形態についても新たな考え方を書かれていました。

今のこの時代、様々な考え方、生き方、人との関係の持ち方、異性との関係の持ち方、あるいは同性でも同様のことが考えられるし、下重さんがここで書かれていることに時代が追いついてきた感があります。

LGBT関連の法案が与野党で揉めていて、「差別は許されない」を「不当な差別はあってはならない」に変更しようとする議員などには考えも及ばない下重さんの考え方が書かれていました。
きっと、変更しようとする議員さん、「あってはならないことが起こってしまいました」という対応で差別をしても逃げてしまいたいんだろうというのが見え見えです。

そんなことがいっぱい書かれていた本ですが、NHK入局当時の一年先輩の野際陽子さんとの想い出なども書かれていました。
初めて知ることがたくさん書かれていて、驚いたり、なんだかしみじみとしたりもしました。

下重さんのかなり“力強い”語調にあふれた本、読み応えがありました。

 

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