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わたしのいきつけ

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2024/05/24

俳句を詠んでみる_0110【 黒南風(くろはえ)や 登校拒否の朝 裸足で 】

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黒南風という季語の意味を知り、思い出したことを詠みました。

【 黒南風(くろはえ)や 登校拒否の朝 裸足で 】

《背景》季語:黒南風[夏]
季語「黒南風」は、梅雨の最中に吹く湿った南風。
梅雨時の空がさらに黒い雲に覆われることから、そう言われるのだそう。
私が小学三年の頃、風邪で学校を休んだのがきっかけとなり、学校に行かなくなった。
登校拒否の“はしり”だった?!
何度も親に言われ、先生に叱られ、行こうとしたが行けなかった。
ある朝は、雨が降り、やがて湿った風が吹く中、裸足で遠い山の中まで逃げて、そこに泣きながら潜んでいたことがある。
詳しい記憶はないが、その部分だけ心の中に残っている。

 

2024/04/29

「大晩年/永六輔」を読みました。

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『大晩年/永六輔著(中央公論新社)』という本を古本で読みました。

2014年初版発行となっていますが、内容としては婦人公論、週刊文春、中央公論などに掲載された2011年から2013年の永さんの文や対談をまとめたものです。

文中で話題となっているのが、46年間続いた永さんのラジオ番組で話の聞き役となったアナウンサー遠藤泰子さんとの対談です。
遠藤さん、今でも朝のニュース番組に森本毅郎さんと毎日出ています。言葉少なで、でもビシッと締めています。

遠藤さんでなければ、永さんと数十年も番組を付き合うことなど出来なかったでしょう。
そして、その後のラジオ番組では、外山惠理さんと組んだわけですが、“介護”込みの面倒見の良さが光っていました。

永さんは、六十代から「大往生」などの本を書かれていますが、この本を読むと、そのときはまだ死に対する恐怖感があったようです。
でも、奥さんと死に別れ、盟友の小沢昭一さんとも別れ、かつてご自身と関わって様々な仕事を一緒にしてきた方達も亡くなられて、「あの人たちに会いに行ける」という気持ちも出てきて、それほど死を怖れなくなったと書かれています。

そしてパーキンソン病とガンという病気にもなって、今まで信じてもいなかったお医者さんと仲良くなり、話をして病気に関する知識も得て、さらに人はどうやって死ぬことに対して準備していくか、などを日々考えるようになり、この本ではそれを余すところなく書かれ、そして対談でもわかりやすくお話しされていました。

私自身にも参考になりました。
やはり、命にかかわる病気などをしないとその領域まで心が追いつかないのだと思いました。
せっかく助かった命、もったいないことなので、私も生かしていきたいと思います。

 

2024/04/28

俳句を詠んでみる_0079【 検査値は 春のかたみか 基準超え 】

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調子に乗り過ぎた四月を反省するような句を詠んでみました。

【 検査値は 春のかたみか 基準超え 】

《背景》季語:春のかたみ[春]
コロナ禍以前の四月は歓送迎会やその他飲み会が多く、連夜帰宅も遅くなった。
かかりつけ医で検査をしたら・・基準値超えがちらほら・・。
まさに“春のかたみ”か!晩春の想いを詠んだ。

 

2024/04/24

俳句を詠んでみる_0072【 冬の星 血中濃度 見て祈る 】

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以前倒れて、集中治療室入り直前までになった時の様子で一句。

【 冬の星 血中濃度 見て祈る 】

《背景》季語:冬の星[冬]
数年前に倒れ、病院に運ばれ、胸や手に様々なセンサーが装着され、ナースセンターに刻々とデータが送られていた。
自分にも脈拍や血中酸素濃度の数値などがモニターから見て取れる。
病室の窓から見える冬の澄み切った空に浮かぶ星に祈るような気持ちになった。

 

2024/04/22

俳句を詠んでみる_0068【 かかりつけの 漢方苦し 春の泥 】

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現在、かかりつけ医は漢方内科の先生です。漢方中心にしてから調子がいい!そこで一句詠みました。

【 かかりつけの 漢方苦し 春の泥 】

《背景》季語:春の泥[春]
春先のぬかるんだ道での歩きに難儀するように、かかりつけ医から新たに処方された漢方の苦さにはなかなか慣れない。

 

2024/04/18

瀬戸内寂聴さんの「愛することば あなたへ」を読みました。

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『愛することば あなたへ/瀬戸内寂聴著(光文社)』という本を古本で読みました。
2018年発行のものですが、出展一覧を見ると書籍、新聞、雑誌など約30誌ほどありました。
瀬戸内さんの光る言葉、ぐっとくる言葉がたくさん集められていました。

私の心に入ってきたものをすこし挙げてみます。

一度も失恋したことのない人は、失恋した人の悲しみや苦しみがわかりません。
一度も貧しい思いをしたことのない人は、ほんとうにお金がなくて苦しんでいる人の辛さがわかりません。(※国会議員に聞かせてやりたい)
健康そのものの人は・・・体の弱い人の苦しみを想像できません。

さらに読んでいくと・・たくさん苦しみ、たくさん悩み、たくさん涙を流した人は、人の悲しみ苦しみに同情することができます。
その人は、人に対して優しくなります。(※ああ、これも国会議員に聞かせてやりたい)

憎いという気持ちは相手に必ず通じるのだということも書かれていました。
そしてその毒に自分も冒されると。
おおらかな気もちで包んであげよう、いつしか自分も温かい気持ちに自然になるとも。
(※肝に銘じます)

生きている以上はたくさん人を愛し、愛することは苦しみを伴う。
不幸、理不尽な経験をするが、それでも生き続けるのだ。
自分が死ぬときに、私はこう生きたと振り返る際に何の苦しみも知らず、だれの苦しみにも無関心なままで、それで人生を生きたといえるかしら。ともおっしゃっています。
そんな人生は、つまらないと思いますよ・・って。(※若いときはそんなふうになかなか思えなかった自分を思い出しました)

政官財の腐敗、子供の心の荒廃を考えるとき、今の日本ではほとんどの人が自分以外の何か大いなるものの存在を信じなくなって、目に見えない聖なるものへの畏怖の念を全く失っているのではないか、ともおっしゃっていました。

目に見えない聖なるものに、常に自分の心のあり方や行いのすべてが見つめられているのだという、心の慎ましさを失っている・・と。

私自身も戒めねばなりませんが、「心の慎ましさ」・・失っている人があまりにも多すぎる。

そんなふうに思いながら読了いたしました。
少し元気になったように思います。

 

2024/03/28

俳句を詠んでみる_0026【 春愁(はるうれい) 職場への通路(みち) 階段で 】

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勤めていた頃の人事異動後、新しい職場へ向かうときの様子で一句詠みました。

【 春愁(はるうれい) 職場への通路(みち) 階段で 】

《背景》季語:春愁[春]
人事異動で問題・難題山積の職場に動いた。
やることは沢山・・。
朝、職場の建物に入ると、皆はエレベーターに乗り込んでいる。
自分は、もう帰りたいし、誰とも顔も合わせたくない心境。
暗く、誰も歩いていない階段室を選び、職場のある三階へ向かった。

 

2024/03/14

俳句を詠んでみる_0012【 冬の風 点滴の管 空分ける 】

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病室のベッドにいたときのことを思い出して句を詠みました。

【 冬の風 点滴の管 空分ける 】

《背景》季語:冬の風[冬]
数年前、大病し、入院。結局仕事を辞めるきっかけとなった。
ベッドから起き上がることも出来ず、身体には点滴、酸素吸入、心電図、その他モニターの線などがくくりつけられた。
窓の外はビュウビュウと冬の風が吹き、ベッドから見上げると数々の管を透していくつかに区切られた空が見えた。

 

2024/03/06

「三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久」を読みました。

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『三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久著(PHP文芸文庫)』という本を読みました。

著者、玄侑宗久さんが雑誌、新聞、広報誌などに寄せた文をまとめたもので、当初「玄侑和尚と禅を暮らす」というタイトルで2007年に刊行され、その後加筆し改題、2010年に文庫化されたものです。

なので、自分を楽しむ、仕事を楽しむ、学ぶことを楽しむ・・など八章に分けてまとめられているものの、内容的はあまり“つながり”を感じるものではありませんでした。
文体もかなり異なったり、重きを置いている部分が異なったり、気楽な感じがするところもあるが、かなり専門的な用語を用いて難しい話をしているところもありました。

私が特に気になったところというか、参考になったのは、目標を決めてそれに向かって邁進していくのもいいのかもしれないが、少しでも計画からずれてしまったり、進捗状況がはかばかしくない時などの精神的な落ち込みや、あせりなどは、生きていく上であまり深刻に捉えるものではないのだ、というようなことが書かれた部分でした。

上記のような“妙なゾーン”にはまってしまうと、けっこう苦しんだり、道を誤ったり、人間関係や家族関係などにも大きく影響してしまうことが多々あることを経験上学んできたからです。

でも、それが人として生きていくうえでの一番の悩みになってしまうのもわかっています。
だからそこで宗教が登場するのだと思います・・。

それからもうひとつ。
時間という概念自体がある意味間違った概念じゃないかという話でした。
私たちが今生きていて、この一瞬、この一瞬が次々と切り取られ、時間軸というものに並べられて「時間」という連続的なものになっていると皆が思っているかもしれないけれど、でもそういう、並べられたもの、あるいは流れて行くもの、というものではないという概念もあるんじゃないかということでした。

今は、今。今ある自分、今いる自分を良くして生きていく、そんな考え方もあるのかもしれません。
私の感覚でいうと、成功したことなどはいわゆる時間的概念が大きく“ものを言って”「あのときあそこで我慢したからよかったのだ」そして自分は成功したのだ、などと気分的にも高揚して思い返したりするのですが、でもそれが失敗経験だったりすると、“永遠の後悔”になりかねません。

ようするに考え方、気の持ち方で自分というものをうまく生かしていくことがある程度可能なんだ、ということなのだと私は捉えました。

深く読めば、かなり重い話も書かれていましたが、少し気分を軽くして読んでみたので、参考になることがたくさん書かれた本として楽しめました。

 

2024/02/20

「新釈・びょうき事典/渡辺淳一」という本を読みました。

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『新釈・びょうき事典/渡辺淳一著(集英社文庫)』という本を古本で見つけて読んでみました。
1996年に単行本として刊行され、のちに文庫化されたものです。

病気について、医学博士でもあり、直木賞作家でもある著者の渡辺氏が事典のようにそれぞれの病気を「身近な病気」「ガン(悪性腫瘍)」「成人病と心の病気」「女性の病気」「感染する病気」などのジャンルに分けて、それこそ“お医者さん”から視線でメディカル・エッセイとして書かれていました。

当時の感覚としては割とユーモラスな部分もあるような書きぶりなのですが、今読んでみるとけっこう真面目な印象を受けました。

いや、私が年を取り、様々な病気についてかなり神経質にドキドキしながら読んでいたから、そう感じたのかもしれませんが・・。

この歳になると、ほんとうにいろいろな病気を経験しているし、倒れたことが何度もあり、入院も何度も経験しています。
だから、読んでいるうちにちょっと恐ろしくなってくるのです。自分がこの病気に今なったらどうなってしまうのか、と。

というわけで、著者の意図するように少しはユーモアを感じつつ、かなり病気への恐怖も感じつつ、読み終えました。

結局、今、自分は病気と日々対峙して生きているような状態だとあらためて感じたのでした。

 

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