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2024/06/11

突然手渡された「出口王仁三郎」という人の本

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『出口王仁三郎 言霊 大祓 祝詞 CD/武田崇元・監修(八幡書店)』という、いわゆるCDブックを、ここ一年くらい通っている鍼灸院で先生といろいろお話しをしていたのですが、その先生から「このCD本を古本屋で見つけ、まだ中をよく見ていないのですが、たぶんご興味があるかもしれないと思って」と手渡されました。

次の施術までにちょっと読んでみては?
という感じだったわけですが、私はこの出口王仁三郎という方を存じ上げませんでした。
どうやら大正時代から昭和の始め頃にかけて存在した、かなり高名な宗教家であったことと、それと異端の思想家でもあった、さらに異色の芸術家でもあったらしいということがわかりました。

とりあえず深く調べたり、追及したりすると膨大な時間がかかりそうなので、この本を読み、実際にCDを聞いてみて、その感想を書いてみるところから始めようと思いました。

さて、この本に同梱されているCD音源の最初の部分は、なんとメガフォン状の喇叭に取り付けられた振動板で直接針を振動させてレコード原盤にカッティングする方法で録られていました。
つまりエジソンがレコードを発明した頃のやり方です。
その後の部分はマイクロフォンを通して電気的に増幅してカッティングしたものも入っていましたが、驚きです。

たぶん多くの人が聞いた後であろうレコード盤からノイズを取り除いてデジタル・マスタリングする作業は専門家がたいそう苦労したものだと思います。

実際に聞いてみて、その当時の空気というか雰囲気はわかりました。
しかし、これがどういうふうに当時の人に受け入れられていたのかは、現代に生きる私にはいまひとつわからないままでした。

で、本の内容についてですが、大正から昭和初期の頃のものなのに、現代の我々にも通じるようなことが多く書かれていました。
少しばかり例を挙げていきたいと思います。

〇なんでもかでも、人の上になりたがる人が多い世の中だ。なりたかったらならしてやったらよいのだ。
実力がなくて上になっても永くはつづかない。
上になりたがる人は、ただもうそれだけの人間である。

・・今、現在もこんな人ばかりだと思います。

〇心に天国なきものは、死後また天国なし。心に地獄なきものは、死後また地獄なし。
人はみずから神を造り、鬼を造る。感謝の念は天国の鍵である。

・・現在生きる人、特に政治家や金儲け第一の人達は地獄に行くんだなぁと思いましたよ。

〇偉人も、聖人も、天才も、英雄も、一定の距離をとり去ってしまうと、畢竟(ひっきょう)、偉人でも英雄でも、天才でもなくなってしまう。学者はこれを社会学の距離説とかいってる。

・・実際に経験することは普通に生きていると無さそうですが、たぶんそうなんだろうな、と思いました。

〇真の無我の境というのは人間としてあるものではない。
あることに没頭して他のことに無我の境に入ることはあるが、夢中になって没頭していることにはけっして無我ではない。
精神統一というが、これまた言うべくしてでき得べきことではない。祝詞を奏上しながらも、いろいろなことを思い浮かぶるのが本当である。

・・つまり、雑念はつねにあるもので、それを想うのは別に悪いことではない、と言っているのです。“雑念を捨てろ”とはよく言われますが、雑念あって当たり前と言われて私はホッとしたのでした。
なんか、“あたらしい”と感じました。

〇今の人間は、一、金、二、金、三、人物、だからなにもできはせぬ。
度胸のたしかな人のところには人物が寄る。人物が寄れば、金なんかいつでも集まるものである。度胸がなければ仕事はできない。学者というものは、多く書物の研究にふけるだけでわりあいに度胸というものがないから仕事ができない。
一、度胸、二、度胸、三、度胸、四、人物、五、金だ。人は何といっても度胸が一番だ。

・・英断できる人が必要だ、ということか。
それにしても、そのときの人達は金が第一だと嘆いているのを見るにつけ、今の裏金議員を思い出すのでした。

以上、ざっと読んでみて、感じたことを書いてみました。
この本を渡されて、そして読んでみて時代は繰り返す、人は繰り返す、とつくづく感じました。

 

2024/06/04

俳句を詠んでみる_0121【 新茶汲み 妻 友と 夫を語る 】

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月に二回ほど学生時代の友に会いに行く妻、そのときのことを詠みました。

【 新茶汲み 妻 友と 夫を語る 】

《背景》季語:新茶[初夏]
妻は月に2回、それぞれの日に別々の友と一日語り明かす日を設けています。
夕方に帰宅すると、いったいどんな話がされていたのか戦々恐々です。
互いに夫の話を必ずしているのが見え見えです。
その日に「ねぇ、〇〇の旦那ったらねえ」と向こうの夫の話が始まったらしめたものですが、翌日「あのさぁ・・」と、向こうの夫に比べて私の不甲斐無さについての指摘が静かに始まった時に心臓がキュンと痛くなる。

 

2024/04/20

俳句を詠んでみる_0065【 春の風 恋文代わりの 花林糖 】

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今回は「花林糖」をつかって詠んでみました。

【 春の風 恋文代わりの 花林糖 】

《背景》季語:春の風[春]
「誰々も来ますよ、出てこれますか?」と春の風のようにお誘いの連絡がきた。
そして集まった場で、「あ そうだ そうだ」とバッグの中から出てきたのは“恋文”ならぬ“ちょっぴり塩味”赤穂の天塩がかかった塩対応の花林糖。
彼女の心は読めぬまま・・・。

 

2024/04/15

俳句を詠んでみる_0055【 風光る きょうの日に生まれたあなた 】

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誕生日に因んだ句を詠んでみることにしました。

【 風光る きょうの日に生まれたあなた 】

《背景》季語:風光る[春]
私にとって、人生の中で出会えて良かったと思える人のうちの一人。
その人の誕生日が今日だ。
春光あふれる中、風が吹くさわやかな今日のような日に生を受けたのだろうなあと思う。

 

2024/04/12

俳句を詠んでみる_0049【 ぬくめ酒 温度計差す手 鮮やか 】

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セルフで燗酒にするお店に行ったときの様子で一句。

【 ぬくめ酒 温度計差す手 鮮やか 】

《背景》季語:ぬくめ酒[秋]
銘酒を選び、セルフで燗をする店に、お酒好きな女性と行ってみた。
温度計が用意されていて、自分の好みの温度を探るのが楽しい。
彼女は鮮やかな手つきでスッと温度計を差し、「ここだ」というところでコップに移し、笑顔で呑みだした。

 

俳句を詠んでみる_0048【 師との旅 菜の花色の ローカル線 】

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元職場の上司とあちこち歩いた想い出を詠みました。

【 師との旅 菜の花色の ローカル線 】

《背景》季語:菜の花[春]
かつての職場の上司は、同じ課に勤務している時も良くしていただいたが、その後ご本人の退職前あたりから、退職されてからも色々なところへ誘ってくださった。
私は“師匠”と呼んで、名所や山、川、海、おいしいものなども沢山教わった。
千葉のローカル線、いすみ鉄道も楽しい想い出となった。
菜の花の中を、黄色い車体の列車が走る姿が印象的な鉄道だった。

 

2024/04/03

俳句を詠んでみる_0032【 春再会 マダムはマダム 美人にて 】

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とても久しぶりに、過去親しくさせていただいたマダムと再会して一句。

【 春再会 マダムはマダム 美人にて 】

《背景》季語:春[春]
四~五年ぶりに、以前の職場でも、観劇や宝塚談義や、飲み会など仲良くさせていただいたマダムと再会し、ランチしながらちょっと一杯。
マダムのマダムらしさは変わらず、相変わらずの美人でした、という一句。

 

2024/03/22

俳句を詠んでみる_0020【 麗(うらら)かな日 言葉の花束受け取る 】

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職場を去るときに受け取ったもの・・

【 麗(うらら)かな日 言葉の花束受け取る 】

《背景》季語:麗か:[春]
妻が新しい仕事を見つけ、長年勤めた職場を辞めることにした。
職場を去る日には、今までお世話になった人や、一緒に働いた人、思わぬ人からも花、手紙や品物をいただいた。
大きな花束と共に大切な言葉も花束のように受け取った様子を詠んでみた。

 

2024/03/12

南隆一先生の絵画造形展に行ってきました。

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JR飯岡駅に併設されている「海上ふれあい館」で開催されている『南隆一 絵画造形展』に先週出かけました。
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南隆一先生は、私の中学時代の担任で美術の先生です。毎度このブログには登場するのでお馴染みかと思いますが。
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今回も、スピーカーを何台か持ち込み、アナログ盤を中心にジャズや古い歌謡曲などが流れる中、先生独自の作品がところ狭しと並べられていました。
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「長年こういうふうにやっていると、絵が動いて見えるんだよ」
などと“南節”も出て ^^; 先生、“ノッて”いました。
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今回は、割と大きな作品も持ち込まれていたり、造形作品もたくさんあって、楽しい展示になっていました。
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造形作品は、作品そのものにモーターが取り付けられていて、回転しているものもありました。これも近年、先生がよくつかう展示方法です。
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また、額縁の周りを流木でデコレートした作品もあり、変化にとんでいるし、それを見た人たちと先生の会話も弾んでいました。
おかけで、私も初めてお目にかかる方何人もとお話しすることができました。貴重な機会です。
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今回の展示は、14日(木)まで開催されています。
飯岡駅辺りなら行けるぞ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ足を運んでいただければと思います。
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バラエティーに富んだ作品と、南先生ご自身が会場にいれば楽しい会話に、いい時間が過ごせると思います。
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2024/01/28

「龍を呑んだ写真家の 奇跡の写真/秋元隆良」を読み(見)ました。

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『龍を呑んだ写真家の 奇跡の写真/秋元隆良著(マキノ出版)』という作品に出会いました。

著者(写真家)は、友達から「駐車場に変なものがいるから撮影してくれないか」と頼まれ、実際に行ってみると水たまりの中で泡を立てたり、回転したり、クネクネと水を広げたり、水しぶきをあげたりしている小さな生き物がいたという・・・。

それを撮影し、近づいて地面に這って撮影していると口の中に何かが飛び出して入ってしまった。
それが「龍」だっというのです。

それ以後、この本に掲載されている龍のような雲が写真に撮れたり、実に不思議な写真がどんどん撮れて、しかもその写真を手にした人たちに幸運が訪れるという展開となり、信じられないけど、その写真をこの写真集で見せられたら・・本当なんだろうな・・と思うしかないような、そんなすごい写真ばかりが載っていました。

富士山の写真にも、『御神渡り富士』という山中湖の湖水が氷の膨張と収縮の繰り返しにより氷が舞い踊るようになった湖とその背後に霊峰富士というすごいものもありました。

驚いたのは出雲の神在月に、稲佐の浜(日本中から神々がやってきて上陸する浜)の弁天島を撮った写真には、白い物体が現れていて、「これは神様が大挙してやってきた」様子じゃないかというくらいの不思議かつ迫力のあるものでした。それが刻々と変化する様子が何枚も撮られているのです。

私も昨年の神在月に稲佐の浜に行きましたが、波と共に何か正体のわからない勢いのある「気」のようなものを感じました。
それがこれだったのか!と驚くばかり。

奇跡のような写真ばかりで驚きました。

実は、中学時代の友人が久しぶりに我が家を訪ねて来てくれて、二人して話をしていた時にこの写真家の話が友人から出たのです。
その話を妻にしたら、「その写真家の本、たぶん私持っているよ」となり( ゚Д゚)、あまりの偶然でしたが、こうして読んで、見て、ということになったのでした。

友と、そして写真家とのいい出会いになりました。

 

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