『出口王仁三郎 言霊 大祓 祝詞 CD/武田崇元・監修(八幡書店)』という、いわゆるCDブックを、ここ一年くらい通っている鍼灸院で先生といろいろお話しをしていたのですが、その先生から「このCD本を古本屋で見つけ、まだ中をよく見ていないのですが、たぶんご興味があるかもしれないと思って」と手渡されました。
次の施術までにちょっと読んでみては?
という感じだったわけですが、私はこの出口王仁三郎という方を存じ上げませんでした。
どうやら大正時代から昭和の始め頃にかけて存在した、かなり高名な宗教家であったことと、それと異端の思想家でもあった、さらに異色の芸術家でもあったらしいということがわかりました。
とりあえず深く調べたり、追及したりすると膨大な時間がかかりそうなので、この本を読み、実際にCDを聞いてみて、その感想を書いてみるところから始めようと思いました。
さて、この本に同梱されているCD音源の最初の部分は、なんとメガフォン状の喇叭に取り付けられた振動板で直接針を振動させてレコード原盤にカッティングする方法で録られていました。
つまりエジソンがレコードを発明した頃のやり方です。
その後の部分はマイクロフォンを通して電気的に増幅してカッティングしたものも入っていましたが、驚きです。
たぶん多くの人が聞いた後であろうレコード盤からノイズを取り除いてデジタル・マスタリングする作業は専門家がたいそう苦労したものだと思います。
実際に聞いてみて、その当時の空気というか雰囲気はわかりました。
しかし、これがどういうふうに当時の人に受け入れられていたのかは、現代に生きる私にはいまひとつわからないままでした。
で、本の内容についてですが、大正から昭和初期の頃のものなのに、現代の我々にも通じるようなことが多く書かれていました。
少しばかり例を挙げていきたいと思います。
〇なんでもかでも、人の上になりたがる人が多い世の中だ。なりたかったらならしてやったらよいのだ。
実力がなくて上になっても永くはつづかない。
上になりたがる人は、ただもうそれだけの人間である。
・・今、現在もこんな人ばかりだと思います。
〇心に天国なきものは、死後また天国なし。心に地獄なきものは、死後また地獄なし。
人はみずから神を造り、鬼を造る。感謝の念は天国の鍵である。
・・現在生きる人、特に政治家や金儲け第一の人達は地獄に行くんだなぁと思いましたよ。
〇偉人も、聖人も、天才も、英雄も、一定の距離をとり去ってしまうと、畢竟(ひっきょう)、偉人でも英雄でも、天才でもなくなってしまう。学者はこれを社会学の距離説とかいってる。
・・実際に経験することは普通に生きていると無さそうですが、たぶんそうなんだろうな、と思いました。
〇真の無我の境というのは人間としてあるものではない。
あることに没頭して他のことに無我の境に入ることはあるが、夢中になって没頭していることにはけっして無我ではない。
精神統一というが、これまた言うべくしてでき得べきことではない。祝詞を奏上しながらも、いろいろなことを思い浮かぶるのが本当である。
・・つまり、雑念はつねにあるもので、それを想うのは別に悪いことではない、と言っているのです。“雑念を捨てろ”とはよく言われますが、雑念あって当たり前と言われて私はホッとしたのでした。
なんか、“あたらしい”と感じました。
〇今の人間は、一、金、二、金、三、人物、だからなにもできはせぬ。
度胸のたしかな人のところには人物が寄る。人物が寄れば、金なんかいつでも集まるものである。度胸がなければ仕事はできない。学者というものは、多く書物の研究にふけるだけでわりあいに度胸というものがないから仕事ができない。
一、度胸、二、度胸、三、度胸、四、人物、五、金だ。人は何といっても度胸が一番だ。
・・英断できる人が必要だ、ということか。
それにしても、そのときの人達は金が第一だと嘆いているのを見るにつけ、今の裏金議員を思い出すのでした。
以上、ざっと読んでみて、感じたことを書いてみました。
この本を渡されて、そして読んでみて時代は繰り返す、人は繰り返す、とつくづく感じました。
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