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わたしのいきつけ

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2024/09/28

「大人の達人/村松友視」を読みました。

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『大人の達人/村松友視著(潮出版社)』を古本で見つけ、読みました。
2010年発行のもので、内容は月刊「潮」2007年5月号~2010年4月号に掲載された連載エッセイ「大人の流儀」を改題のうえ、加筆・修正したものです。

300頁のボリューム、中身も充実したもので、次々と若かりし頃の村松さんと出会う“大人の達人”たち。村松さんが“達人”と思うような人ばかりですからそれはもう凄い人ばかり。

吉行淳之介の大人の交流の仕方、鶴田浩二の酒の飲み方、幸田文の粋で無邪気な気遣いなど、どの“大人”も唸るような言動と振舞いでした。

私も若い頃にかなり年上の先輩達にお世話になりましたが、多くの人が“さすが”の大人の振舞いで色々なことを教えてくれました。
あのときの先輩方はたぶん30代から40代でしたが、今の感覚でいうと50代から60代後半の人のような感じでした。

自分がそんな大人になれたかというと・・新人の頃とあまり変わらず、たいした成長も無く、歳ばかり増して、恥ずかしい限りです。

この本に登場した大人たちの中に、まだ映画製作をする以前の伊丹十三さんがいました。
当時出版社の編集だった村松さんが小説を書かないかと話を持ちかけるのですが、役者として、そしてエッセイストとして活躍していた伊丹さんは、もう映画にその眼差しは向いていたようです。

今までまったく知らなかった伊丹さんの(最初の結婚生活をしていた頃)自宅での様子、自宅内部がどんなだったかまで書かれていて、中学生時代に伊丹さんのエッセイを読んで、その奇想天外な内容に夢中になっていた私にはとても興味深いものでした。

読んでいると、様々な“大人たち”との付き合いの中で、村松さんも達人の域にどんどん近づいていく様子がわかりました。

そして、作家としてデビューし、私も当時「ものすごく変わった視点を持つ人が現れた」と思ったのでした。

深くて味わいのある話ばかりでした。いい本に出逢いました。

 

2024/09/24

俳句を詠んでみる_0233【 秋の宵 安否の電話 待ち遠し 】

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中学時代の先生との夜の電話で一句詠みました。

【 秋の宵 安否の電話 待ち遠し 】

《背景》季語:秋の宵[秋]
夜も8時頃になると、中学時代の担任で美術の先生からよく電話が掛かってくる。
ジャズやオーディオ、先生の作品のこと、世間の出来事などを話すのが楽しい時間となっている。
先生から2~3日電話が来ないと、ちょっと不安になり、こちらから掛けてみる。
「先生、安否確認の電話です」とふざけて言うと、「おぉっ、生きてたぞ」と、うれしそう。
安否の電話を待ち遠しくしていたようで、二人して笑ってしまう。

 

 

2024/09/14

俳句を詠んでみる_0223【 秋暑し 喫茶ブーケで一休み 】

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中学時代の美術の先生の作品を見に出かけて、そのお昼に一句詠みました。

【 秋暑し 喫茶ブーケで一休み 】

《背景》季語:秋暑し[初秋]
中学時代の担任で美術の先生の絵を見にギャラリーに出かけた。
まだまだ日中は暑い中、久しぶりに訪れた通りを歩き、先生と昼食をとることになった。
懐かしい風情の喫茶店を見つけ、ランチを頼んだ。
「ブーケ」という店名だった。
通りの懐かしさとお店の昭和の時代を感じさせる懐かしさに先生と顔を見合わせ、笑顔になった。

 

2024/09/10

2024九月会展@画廊ジュライ

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既にインスタなどでご紹介した、千葉市中央区の「きぼーる」2F画廊ジュライで開催されていた『2024九月会展』、本日最終日でした。

私の中学時代の担任で美術の先生だった南隆一先生から夜に電話があり、今回は全日千葉まで行って画廊につめたとのことで、“喜寿”の先生、旭市から毎日通われて大変だったと思います。
・・今の私でも体力的にはかなりきついかもしれません。
先生・・尊敬してます、いつも。

 

 

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インスタや FacebookPage では、他の方々の絵もご紹介しているので、今回このブログでは南先生の作品のみ掲載いたします。
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電話では、作品を撤収して、多古町の方の作品も運んだらしく、たいへんな量の作品を運ばれたとのこと。
電話の声はとても元気で笑いも飛び出して、どっちが生徒かわかりません(^_^;)
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今回も齢を重ねていくうちにどんどんポップになる先生の作品を直接見て感じて来ました。

毎回、毎回、楽しそうに作品を見せてくれながら説明もしてくれて、うかがった日も愉快な一日になりました。

 

 

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まだ今年もきっといくつかの展示機会があるのだと思います。
そのときは、インスタ、Facebook、ブログなどを通じてその様子をお知らせしようと思っています。

2024/08/14

宝塚歌劇を長いこと見てきたという人に会った。

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このところ、このブログ、俳句を詠むばかりになっていて、あとは本の読後感という感じになっている。
けっこう書きたいことも色々あったし、自分が出来る一番のことは文を書くことなので、ちょっとモードを元のブログに戻しつつ、俳句も日々詠みたいと思っているところです。

では、今回の本題に入ります。つい最近経験したことです。

ホントいうと、会いたいとはあまり思わなかったが、以前の職場で一緒だった方から、まだ私と繋がっている人経由で「会いたい」と連絡をもらった。

「ついては、自分の住むマンションの知り合いが宝塚を何十年も見てきた人で、宝塚ファンのあなたとその時に会ってもらいたい」とのことでした。

その何十年来の宝塚ファンの“おば様”は、“断捨離”というか“終活”というか、今まで見てきた公演のパンフレットを処分するとのことで、引き取ってもらえないかとのことでした。

私は大病して家での療養後に、部屋の整理をして既に一万冊の本を処分しているので、「困ったなぁ」と思いつつ、「見せていただいて、欲しいというものがあれば」という形で会うことになりました。

会う前から想像していたとおりだった。

その方は、お嬢様として育ち、中学生の頃から東京で行われた公演はすべて見てきたのだという予備知識を得ておりました。
全ての公演のパンフレットを買ってもらい、たいへんな量を所持し、その処分に困っていたらしい。
私は、自分から苦労してむさぼるように見てきたような人には共感できるが、果たしてこの人は・・などとも思ったりしていました。

顔を合わせて深く辞儀をしたが、いったん目を逸らし、再度頭を下げた私に今気づいたというふうに「あらこんにちは」という感じで“ハス”に構えて目礼をされました。

帰りたくなったが、待ち合わせ場所のファミレスの席に付き、私の宝塚観劇での経験や、今までに感動した公演や、劇中でのハプニングなどの話、歌劇団の方達とのエピソードを話したが、反応は“あまり興味がない”というふうで、時々「それは間違っている ※この反応が一番多かった」と言い、私の「あの公演は誰それのこういう演技がよかった」というような話には、「それ誰?知らない」とつれない返事。

たとえば花組・真飛聖さんトップ時代の「太王四神記」での冒頭、未涼亜希さんの長い物語の説明シーンは話題にもなり、素晴らしかったが、その話をすると「そんなことあった?未涼亜希って名前、初めて聞いた」などと、まるで話は盛り上がらないし、乗ってこない。
そのときの二番手大空祐飛さんのヨン・ホゲ役の素晴らしさを語ったら、「二番手に大空さんがいたの?覚えていない、花組に大空さんがいたっていうの?」とか、長老プルキル役の壮一帆さんの演技の話をしたら「そんな人いた?」・・息を呑みました。

トップスター以外の人はほとんど覚えていない、知らない。
どのトップがどのくらいの栄華を誇ったか、というような話にはお茶会の話などで話をしてくれるが、何か特別面白いエピソードもない。

パンフレットを示しながら「この公演ではこんなことがあった」と私が話し始めると、「私はどの公演も見ているときだけ覚えていて、終わった公演の記憶はない。パンフレットがあるから見たんでしょうねえ。」と言われ、言葉を失いました。

というわけで、“いい時間を過ごした”ということにはなりませんでした。
宝塚関係で、こんなことってほとんど経験したことがない。

がっくりと肩を落としつつ、帰ってきました。
もうお誘いは断るつもりです。

 

2024/08/02

あさひ街ぶら芸術祭2024 8月8日(木)まで

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すでにインスタグラム経由でご紹介した表題の芸術祭、今度の土日がいちばんのにぎわいを見せるのではないかと思います。
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ガイドブックを覗いてみると、協賛企業も多く、またクラウドファンディング支援者も数多いようです。
46箇所の場所でさまざまなアートが展示されていて、さらにスタンプラリーもやっていて、景品も出て、なかなかこれだけの規模でこういった芸術祭をやっているところは珍しいと思いました。
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すべてのスポットを徒歩でまわると、約4km、歩数は約5,500歩になるとのこと。
熱中症に注意して土日を楽しんでみるのもいいかもしれません。
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私の中学時代の担任で美術の先生だった南隆一先生も参加していて、インスタでは一部写真をアップいたしましたが、芸術祭の方からもコメントをいただいたり、その影響で私のインスタも多くの方から見ていただけて、アップしてよかったと思っています。
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このブログでもインスタでは載せなかった先生の作品をアップいたします。
旭市に足を運んでみようか、と思われたら、ぜひ「あさひ街ぶら芸術祭2024」にお出かけください。
カタログを見ただけでも、素晴らしい作品ばかりです。

2024/07/26

俳句を詠んでみる_0173【 冷酒(れいしゅ)で再会 上野大統領 】

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上野で友と会ってお酒で乾杯って句です。

【 冷酒(れいしゅ)で再会 上野大統領 】

《背景》季語:冷酒[夏]
どこで会うか。
鈴本での寄席の帰りに上野駅で待ち合わせた。
にぎやかな通りの活気ある居酒屋「大統領」に入り、まずは冷酒で再会を祝った。

 

 

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2024/07/22

俳句を詠んでみる_0169【 LINEの一縷(いちる)あり ビールほろ苦し 】

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あのコロナ禍以降、頻繁にとっていた連絡も途絶えがち・・そんな一句を詠んでみました。

【 LINEの一縷(いちる)あり ビールほろ苦し 】

《背景》季語:ビール[夏]
あんなに連絡を取り合って愉快なひとときを過ごしたが、ここ数年はLINEで少しのやり取りが残るのみ。
でも一縷の光がLINEに繋がっているように見える。
そんな夜に飲むビールのほろ苦さを詠んだ。

 

2024/06/11

突然手渡された「出口王仁三郎」という人の本

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『出口王仁三郎 言霊 大祓 祝詞 CD/武田崇元・監修(八幡書店)』という、いわゆるCDブックを、ここ一年くらい通っている鍼灸院で先生といろいろお話しをしていたのですが、その先生から「このCD本を古本屋で見つけ、まだ中をよく見ていないのですが、たぶんご興味があるかもしれないと思って」と手渡されました。

次の施術までにちょっと読んでみては?
という感じだったわけですが、私はこの出口王仁三郎という方を存じ上げませんでした。
どうやら大正時代から昭和の始め頃にかけて存在した、かなり高名な宗教家であったことと、それと異端の思想家でもあった、さらに異色の芸術家でもあったらしいということがわかりました。

とりあえず深く調べたり、追及したりすると膨大な時間がかかりそうなので、この本を読み、実際にCDを聞いてみて、その感想を書いてみるところから始めようと思いました。

さて、この本に同梱されているCD音源の最初の部分は、なんとメガフォン状の喇叭に取り付けられた振動板で直接針を振動させてレコード原盤にカッティングする方法で録られていました。
つまりエジソンがレコードを発明した頃のやり方です。
その後の部分はマイクロフォンを通して電気的に増幅してカッティングしたものも入っていましたが、驚きです。

たぶん多くの人が聞いた後であろうレコード盤からノイズを取り除いてデジタル・マスタリングする作業は専門家がたいそう苦労したものだと思います。

実際に聞いてみて、その当時の空気というか雰囲気はわかりました。
しかし、これがどういうふうに当時の人に受け入れられていたのかは、現代に生きる私にはいまひとつわからないままでした。

で、本の内容についてですが、大正から昭和初期の頃のものなのに、現代の我々にも通じるようなことが多く書かれていました。
少しばかり例を挙げていきたいと思います。

〇なんでもかでも、人の上になりたがる人が多い世の中だ。なりたかったらならしてやったらよいのだ。
実力がなくて上になっても永くはつづかない。
上になりたがる人は、ただもうそれだけの人間である。

・・今、現在もこんな人ばかりだと思います。

〇心に天国なきものは、死後また天国なし。心に地獄なきものは、死後また地獄なし。
人はみずから神を造り、鬼を造る。感謝の念は天国の鍵である。

・・現在生きる人、特に政治家や金儲け第一の人達は地獄に行くんだなぁと思いましたよ。

〇偉人も、聖人も、天才も、英雄も、一定の距離をとり去ってしまうと、畢竟(ひっきょう)、偉人でも英雄でも、天才でもなくなってしまう。学者はこれを社会学の距離説とかいってる。

・・実際に経験することは普通に生きていると無さそうですが、たぶんそうなんだろうな、と思いました。

〇真の無我の境というのは人間としてあるものではない。
あることに没頭して他のことに無我の境に入ることはあるが、夢中になって没頭していることにはけっして無我ではない。
精神統一というが、これまた言うべくしてでき得べきことではない。祝詞を奏上しながらも、いろいろなことを思い浮かぶるのが本当である。

・・つまり、雑念はつねにあるもので、それを想うのは別に悪いことではない、と言っているのです。“雑念を捨てろ”とはよく言われますが、雑念あって当たり前と言われて私はホッとしたのでした。
なんか、“あたらしい”と感じました。

〇今の人間は、一、金、二、金、三、人物、だからなにもできはせぬ。
度胸のたしかな人のところには人物が寄る。人物が寄れば、金なんかいつでも集まるものである。度胸がなければ仕事はできない。学者というものは、多く書物の研究にふけるだけでわりあいに度胸というものがないから仕事ができない。
一、度胸、二、度胸、三、度胸、四、人物、五、金だ。人は何といっても度胸が一番だ。

・・英断できる人が必要だ、ということか。
それにしても、そのときの人達は金が第一だと嘆いているのを見るにつけ、今の裏金議員を思い出すのでした。

以上、ざっと読んでみて、感じたことを書いてみました。
この本を渡されて、そして読んでみて時代は繰り返す、人は繰り返す、とつくづく感じました。

 

2024/06/04

俳句を詠んでみる_0121【 新茶汲み 妻 友と 夫を語る 】

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月に二回ほど学生時代の友に会いに行く妻、そのときのことを詠みました。

【 新茶汲み 妻 友と 夫を語る 】

《背景》季語:新茶[初夏]
妻は月に2回、それぞれの日に別々の友と一日語り明かす日を設けています。
夕方に帰宅すると、いったいどんな話がされていたのか戦々恐々です。
互いに夫の話を必ずしているのが見え見えです。
その日に「ねぇ、〇〇の旦那ったらねえ」と向こうの夫の話が始まったらしめたものですが、翌日「あのさぁ・・」と、向こうの夫に比べて私の不甲斐無さについての指摘が静かに始まった時に心臓がキュンと痛くなる。

 

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