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2022/09/21

それでいいのか、「一喜一憂せず」・・。

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ここ数日、報道関係各社の世論調査結果が出ています。

どこも内閣支持率は大きく下落しています。
で、支持率を落としている肝心の内閣総理大臣である岸田さんは・・

「一喜一憂しない。政治の責任を果たすべく、具体的な課題に一つ一つ結果を出すことが重要だ」と述べたそうです。新聞によると。

でもね、「一喜」はしなくていいけど、「一憂」はした方がいいんじゃないんですか?

『聞く耳』をお持ちだとのことでしたが、あの一年に三冊くらいしか書かないと本人がおっしゃっていた“岸田ノート”には「支持率下落」の要因として考えられることを書いてみたんですかね。
書いたんだったら、それを何度も読み返して“国民の声に耳を傾けた”あとに“実行”することをおすすめしたいです。

よく“危険水域”なんてことを言いますけど、もう腰を超えて胸元まで水は上がって来ていると思います。早くしないと“溺れ”ますよ。
風呂につかっているんじゃないんだから、のんびりしていると顔まで水は上がって来て、“SUGA”さんの末期の時のように大慌てで“足掻いて”みっともない姿を国民に見せることになってしまいます。

本当のことを言い、こうした方がいい、と進言できる側近はいないのでしょうね。

 

2022/08/17

『対談集「気骨」について/城山三郎」を読みました。

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『対談集「気骨」について/城山三郎著(新潮文庫)』を読みました。
この本は、平成15年に新潮社から刊行されたものの文庫化です。例によってブックオフにて購入。

城山さんの著書、あるいはこのような対談についても、読み始めるといつも“居住まいを正す”ような感覚になります。
物事について、生き方について、いつも正面から真摯に取り組んで文章を書かれています。

澤地久枝さんとの対談でも、「日本は腐敗と劣化がすすみ、ひどい国になりつつある」と澤地さんが個人情報保護法について話を向けると、「本来は民間人中心の検討部会で、データを漏らす役人を処罰するという法案を作りかけていたのに、スキャンダルをつかまれたくない政治家たちが強行に働きかけ、個人情報保護法を違う方向に膨らませてしまった。」

「役人を罰する法律だったはずが、役人や政治家の腐敗を書いたら罰する。じつに懲役刑まで持ち出してきた。」と怒りを露わにしています。
ジャーナリストはなぜ徹底的に法案を“叩いて”国民に訴えなかったのか、と私も思います。

同じ澤地さんとの対談の中で、「戦争をしていいことは何もない。だから何としても戦争は食いとめなくちゃいけないが、それには、やはり言論・表現の自由です。戦争は嫌だと言う自由がなければ権力者はやりたい放題。言論を押さえ込んでおけば、次の戦争だってやれるんです。」

と、おっしゃっています。・・今の日本にその自由はあるのか、と思います。

何をおいても戦争をしないことが、亡くなった人たち、遺族への責任だとおっしゃっていて、そのとおりだと思いました。

伊集院静さんとの対談では、ナポレオンの話が出て来て、

「あれだけ戦争を繰り返す日々を送っていると、人間としての成長というのは望めないかもしれない。ナポレオンをナポレオンたらしめるのは戦争での勝利しかなかった。たぶんナポレオンは、己の存在は何たるかを考える時間はなかっただろうし、自分を見つめる思考の回路というか、思索法は最後まで身につかなかったんじゃないでしょうか。」

という話になっていきます。

今のどこかの国の「プ」のつく人に聞かせてあげたい・・。

この本では、8人の方と対談された内容が記されていますが、どれも読み甲斐のあるものばかりでした。
城山さんの本、まだ何冊か手持ちがあるので、また読んだら感想をこのブログに書こうと思います。

 

2022/08/03

中島義道氏の「偏食的生き方のすすめ」という本を読んだ。

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『偏食的生き方のすすめ/中島義道著(新潮文庫)』という本を読みました。
またしても、ブックオフにて100円で購入。

このブログで最近椎名誠さんの著書の感想を書いたときに、椎名さんが中島さんに対し「この人は非常に変わった人で、ぜったいにお目にかかりたくないが、ファンである」と書かれたことを紹介したその中島義道氏の著書となります。

この椎名さんの気持ちが、この本を読んでさらによくわかりました。
私もお目にかかりたくはないし、もし遭遇してしまうことがあれば、1分以上は近くにいたくない・・そんな気持ちが強くなりました。

駅の照明が、晴れて明るい日に点いていたり、ホームでのアナウンスの音も嫌いなので、職員は捕まり、さらに助役・駅長を呼び出し、“コンコン”と説教をし、後日改善されていなければまた乗り込んで行く。

商店街などでのお店の店頭での音楽やアナウンスなども乗り込んで行って、この本に書かれているエピソードでは、スピーカーを持って歩きだし、沿線の家の庭に投げ込んでしまい、スピーカーは池に落ちて壊れてしまいます。

「何をしてもすらっと事が進まない。何をしてもつまずく。他人を叱ってばかりいる。責めてばかりいる。このことは決して快適ではないが、これも“偏食家(※この本のタイトルにあるように、筆者はものすごい偏食家だが、そのような人間ゆえこうした行動をすると説明している)の運命なのだ。

・・と、おっしゃっています (・_・;

さらに、「偏食家とは、すでに確認したように“マイナスのこだわり”の人であり、みずからがイヤな仕打ちに遭うと、俄然気力が充実してくる。不思議な気力が体内に燃え上がり、あえて言えば生きる勇気が湧いてくる」

・・などとも、“ぬかし”・・おっしゃっていますd( ̄  ̄)おそろしいかぎりです。

コーヒーショップに行って、お客さんが入ってくるたびに店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けるのも許せないらしい・・。

でね、店員さんのところに行って

「あのう、お願いがあるんですが」

「はい。何でしょう?」

「あのう、いらっしゃいませという声がうるさいんですが・・」

「はっ?」

「すみませんが、あなたの声不愉快なんですけれど・・」

「・・・」店員さんは泣きそうな顔をして中に引っ込んでしまった。
酷だったかもしれない。と中島氏は自分で書いていますが、・・・ここを読んで、この人が心底嫌いになったのでした(T_T)
私が広聴や相談の仕事をしていたときによくきたタイプのモンスターと同じです。こういう人は自分の満足感以外、人の気持ちなどは一生考えないのだと思いますが、とても怖ろしい。

で、“大っ嫌い”になったところで読了いたしました。
非常に後味の悪い、イヤな本でした。以上です。

 

2022/07/31

「トンカチからの伝言/椎名誠」を読みました。

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『トンカチからの伝言/椎名誠著(文藝春秋)』を読みました。
2007年刊行となっていますから、ざっと15年前の本です。これまたブックオフにて購入。

この頃は、椎名さんも、そのお仲間も皆元気!
あっちに釣りに行っては、キャンプして、その夜は“酒盛り”(^_^)
また昼にヒマができると砂浜で野球に興じるd(^_^o)・・でもって、その空き地の管理をしている公務員が出て来て「規則を守れ」と追い出される(^_^;)

マイナス40度の地に出かけてアザラシの肉を食ったりもしているし、まあいつもどおりの本です(*^^*)

私が「おっ」と思ったのは、「中島義道さんという哲学者の新刊が出るとすぐに読む」と書かれた部分でした。
でもって、椎名さん「非常に変わった人で、絶対にお目にかかりたくないのだが、大ファンである」というのです。私とまったく同じ…σ(^_^;)

「私の嫌いな10の人びと」というのを中島さんが挙げていて、椎名さんも負けじと10人の嫌いな人を書いていました。
ついでだから、私も「10の嫌いな人びと」っての、考えてみようと思いました。

①「簡単だよ、やってごらん」と、人をそそのかして自分がやりたくないことをやらせるヤツ。

②「オレだったら、“こう”するな」って言って、自分はやらないヤツ。

③『みんなが“いい”“いい”って言っているのに「サザンは“いけ好かない”から嫌いだ」なんてあなたに言う資格はない』って言ったヤツ。・・なんでだよ。

④「宝塚なんて、あんな“学芸会”みたいなもの見てるなんて、気が知れない」って言ったヤツ。
※でも今は、お前みたいな“アホタレ”が気が知れないって言うくらいだから最高にいいものだと保証されたようなもんだ、と思って安心している。

⑤人が懐かしい歌謡曲の話をしているのに「私はクラッシックしか聞かないので」と言って、話をそこで終わりにしてしまう人・・けっこう多い。

⑥人の話の“腰を折る”人、人の話を“横取り”する人。

⑦バンドで、曲をコピーしようとすると「譜面はないの?」って聞くヤツ。・・そんなもん、ねぇよっ!

⑧「ふれあい」とか「寄り添う」って言葉を使いたがるオヤジ。・・気持ち悪い。

⑨ツイッター、インスタグラム、フェイスブックなど、いち早く始めるが、どれもこれも最初の一回か二回目で更新は途絶え、フェイスブックなどのタイムラインには、“誕生日おめでとう”のコメントがいっぱい並んでいるのに、なんの返信もせず、早や、5年経過しているヤツ。

⑩あんな役職に就いていたのに、あんなに“エラそう”にしていたのに、その立場を降り、SNSなどを始めると、美術館に行っても、舞台を見ても、本を読んでも、美味しいものを食べても、「なかなかいい」とか「よかった」くらいしかコメントを書けないヤツ。
今までみんな人にやらせたり、書かせたりしていたからそんなことになっちゃったんだね。
・・でも、写真だけはいっぱい載せるんだよ(^_^;)ヘタな写真・・。

すいません、書き始めたら私に何か“降りてきた”みたいです…σ(^_^;)
きょうはこのへんでやめときます。

 

2022/07/12

事件と選挙と、いろいろあったここ数日を考えてみた。

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先週金曜日に、あの銃撃事件の一報を聞き、このブログで急ぎその時感じたことを書きました。

まだ、事件の概要、背景さえもよくわからない状況でしたが、知人らのSNS等ではほとんど誰も何も事件のことについてはふれていなかったので、その時の気持ちだけでも書き記そうと思ったのです。

あの事件下で、・・何食ったとか、観光地に出かけたぞ・・みたいなものばかりだったので思わず、という感じでした。

そのときは、「これは民主主義を破壊する愚かな行為だ」と書きました。

その後一日も経たずに、「民主主義だとか、暴力による言論弾圧などという問題じゃないよ、個人の怨恨によるものだ」という意見も出ていましたが、私は「そうとは言えない」と思っています。

選挙期間中でもあり、その行為によって政治家の言論が阻止されたわけで、その時には、どの政党も一時的に演説を止めたりして、言論に大きな影響を与えたことに違いはありません。

個人的な怨恨もあるかもしれませんが、その後の報道からも、大きな団体と政党との結び付きにも問題が波及していて、なぜだか、マスコミ報道の“歯切れが悪い”・・。
大きな組織に属する要人の命を狙うことで、団体含め、世間、社会への報復を行なうということになっている構造について、もっと突っ込んだ意見が出て来てもいいんじゃないか、と思いました。

さらに、TBSの一部報道を除いては、亡くなった元首相の功績を称える報道が溢れました。これは選挙に影響を与えたんじゃないかと感じました。

さらに、「赤木ファイル事件」、「森友学園問題」「さくらを見る会に関する一連の疑惑」についてふれることはほとんどなく、亡くなった赤木さんの奥さんの気持ちは“いかばかりか”と思いました。

通夜、葬儀などの報道を見ていると、そこに出かけて故人を偲ぶ人達の多さに驚きました。そんなに人気があったっけ?

コロナ禍直前に消費税の増税をして、その時点で経済は下降し始めていた。
危険な法案もいくつか通していたし、赤木ファイル事件以下、それらへの対応は国民や議会を愚弄するような対応だった。また、野党議員を“小バカ”にするような答弁ぶりも一国の宰相としてどうかと思うこと度々だった。

で、選挙は与党圧勝でした。

野党のふがいなさは歴史に残るようなものでした。

しかも野党を謳っているのに、最右翼的派閥になって与党に入ったらどうだ、という政党や、小派閥としてもう与党に入っちゃえよ、というような政党もあって、これらみんな与党だというような状況でした。
さらに与党の“部活動”的な新しい政党もいました。これも与党の“カルト倶楽部”として派閥化してし与党に入ったらいい、と思いましたよ。
そんなんばっかです!

この騒動で大きな見落としを私達皆がしでかしているんじゃないかと不安になります。
別に国民が懇願しているわけじゃないのに、「憲法改正」という言葉がすでに大手を振って歩きだしています。

頼みもしないのに、「増税」への意欲は地下でマグマとなって、“噴火”を待ちわびています。

せめて参院選で“与野党拮抗”という形になれば、“うかつなこと”は出来ない、ということになったのに、これから3年間は国政選挙も無く、与党の自由自在です。
こうなっちゃったのは、私達のせいです。
あとで「そんなこと頼んでない」なんて言っても“後の祭り”ならぬ、“後の増税”です。

核を持ちやすく、戦闘に入りやすい憲法が出来上がったら、そのときに「ああ、あの選挙が分かれ目だった」と、思うことになるのでしょう。

気分がどん底なので、本日これにて。

 

2022/07/08

参院選投票日を前に恐ろしいことが起こりました。

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最初は、ネットに「選挙演説の場で倒れている人がいる」という報が出て、なんだろう?と思っているうちに今回の恐ろしい出来事の詳細が次第に伝わってきました。

まさに言論による「選挙」という戦いの場に、暴力、殺人という蛮行によって言論を封殺し、自分の思いどおりにしようという人間の、最悪の愚挙が行なわれてしまいました。

その報を知るに至り、民主主義を破壊する愚かな行為のあまりの悲しさに涙が出そうになりました。
このブログを何度も見ている方には、私が安倍政権に対してどのような気持ちで対峙していたかはおわかりになるかもしれませんが、決して応援などしていない、むしろほとんど批判を繰り返してきたわけです。

それでも、今回の愚かな行為については、許せないし、日本の今や今後のことを考えると、あまりにも悲しい。

既に報道では、元首相本人が亡くなった直後ですから、その「功績」のようなものについては伝えていますが、「赤木ファイル事件」、「森友学園問題」「さくらを見る会に関する一連の疑惑」などについては、ふれているメディアはありません。

このまま事件の解明などは“うやむや”のままになってしまうのでしょう。

そして、今回の事件が日本の民主主義の根幹を揺るがすものであるにも関わらず、SNS等で自らの考えを書き示しているような人も見当たりません。
そんなに“冷めて”て、いいのか、と思いましたし、警備が甘かったんじゃないか、とか、「暴力による言論弾圧」の是非にはふれず、周辺の些事についてなんだかうれしそうにアップしている人を多く見かけます。

ほんとうに“がっかり”です。

ひとりくらい、暴力で言論を封じることについて怒っている一般人がいることを示したくて急遽この文を書きました。

 

また感染が拡大してきました。

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コロナウイルスの感染者が、ここ二週間くらい、前週の数を上回り、昨日はついに47都道府県すべてが拡大傾向になったと報道がありました。

これを受けて、さすがに全国的な旅行への支援・補助のようなものの発動は見送るということになったようですが、県単位、近県単位での割引的なものはすでに実施されていて、「第7波は必ず来る」と6波の最中に言っていたのに、気分的には全国的に“ゆるゆる”になりました。

浮かれまくり、テレビのニュース画面などを見ていると、雷門あたりは人・人・人・・という混みようでした。ついこのあいだまで、急激な感染拡大に怯えていたのに。

いまのうちに医療機関の“逼迫”が起こらないように対策を取らないと、また大変なことになりそうです。

各種報道メディアは、感染者増加が明らかなのに、報道は控え目でした。第6波のときは、あんなに連日「たいへんだ、たいへんだ」って報道したのに。

国外からの入国者数など、いろいろ緩めてきたのは私のような世捨て人にもわかりましたが、私個人としては、国内の遠いところに観光で出かけられる人っていうのは、お金を持っている人で、そんな人達に支援しなくてもいいのではないか、と思います。

観光業界をうまく支える方法を別の方法で考えた方がいい。
それに、「経済を回さなくてどうする」っていう人にも、だからって感染拡大について目をつぶって“やっちゃえ”っていうのもおかしいですよ、と言いたい。
さらに、“旅行だ、豪華飲食だ”なんて、そんこと言っている場合ではない収入減少に苦しんでいる人に支援・補助をすることを考えた方がいい、とも思いました。

ついでに書くと、上記に書いたような“お金を持っている人”が遠出をして、その観光の様子をSNSにアップしているのを見かけますが、単によく撮れた写真を何枚も載せているだけで、それなりの役職などにかつて就いていたであろうに、今のこの状況下での現地の様子、人の様子などにもふれていません。
“どうだ、見てみろ”みたいなものは、もう、ごちそうさまです。

昨日の報道や、今朝の新聞を見て感じたことを書いてみました。

 

2022/06/29

「寂聴随想 無常を生きる」を読みました。

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『寂聴随想 無常を生きる/瀬戸内寂聴著(講談社文庫)』を読みました。
1996年に刊行されたものの文庫化です。いつものとおりブックオフにて“100円プラス税”で手に入れました。

この本は、随筆ながら、当時の世相、事件なども取り上げ、“怒り”の寂聴さんの姿も屡々登場いたしました。
薬害エイズに対する国や製薬業界の対応、オウム真理教の事件について、阪神淡路大震災のときのさまざまな出来事に対して、など、感情を露わにするような場面も多々ありました。

私が今まで読んできた寂聴さんの本の中でも一番上記のような印象が強い本となりました。
これを書いたときの寂聴さんが、まだ70歳を越えたばかりであった、ということもあるのかもしれませんが。

「こんなに腐りきった日本は、二十一世紀を迎えられるのだろうかと案じている」などと、書かれていたところもありました。

寂聴さんの本を読んで、いつも思うことは、自分は世間や社会の理不尽な出来事について憤っているのに、“誰か”に遠慮して、そのトーンを下げていやしないか?!ということです。
ほんとうにそれはよくないことだ、と思っていても、遠慮会釈なく物の本質に突っ込んでいかない自分に気づいてしまいます…σ(^_^;)それじゃいけないんだけど。

だから、皆、寂聴さんの本を読んだり、法話を聞いたりして、自分も本当はそう思っているんだ、と力づけられていたのかもしれません。

寂聴さんがいなくなってしまった今、もうこれから起こる事件・出来事について、寂聴さんの歯に衣着せぬ発言を聞くことは出来ません。
だから、意を決して、もっと自分の思うところを前に出して進んでいかなければならない・・そう、あらためて思うこととなった「随想」でした。

力強い本でした。

 

2022/05/20

やったと見せかけるために作るシステム

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「ココア」ってアプリ、覚えていますか。
新型コロナウイルスの感染が拡大し始め、国が「入れろ入れろ」と、しつこく言って来た“感染者接近通知”をするようなアプリだったと思います。

導入直後に作動していないことが発覚し、修正するなどと、いろいろアナウンスがありましたが、現在はダウンロード数が合計でいくつになったかはわかるが、実際の利用者数も通知件数も国ではわからないんだそうです・・今朝の新聞より。

新聞の見出しにもありましたが、「アプリ 作って終わり」っていうのが、このシステムを一番表現している言葉だと思いました。
私の周囲にも、ひとりも通知があったという人はいません。
当初、「オレは入れたぞ」と自慢している人(ほとんどが公務員上がりのOB)は、とてもよく見かけました。

結論。「何の役にも立たないが、大金を掛けて作ったシステム。“作った”という実績をつくりたい人のためだけに存在しているシステム。」ということだと思います。
メディアも、国民も、もっと監視する視線をビームのように出して、こんなもの作った人間を牽制しないといけないと思いました。
だから、このブログもその牽制のひとつです。

そして、上記のような不始末の代表格が「マイナンバーシステム」だと思います。
国民全員に番号を付けたのに、世帯も、夫婦関係も親子関係も把握出来ず、もちろんコロナ禍でワクチン接種時の確認、接種券発送、接種証明どれにも使えず、給付金に使えると国が言い出したから「あやしいな」と思っていたら、実際は自治体職員に裏で手作業させ、マイナンバーシステムで交付申請が出来たと思わせるという、この時代には考えられないポンコツ・システムぶりを発揮しました。

保険証として使える・・っていうから作って実際に薬局で使おうとしたテレビ・ラジオのコメンテーターの方が時間を掛けてその様子をお話ししているのをラジオ番組で聞きましたが、すったもんだの挙げ句、ものすごく時間が掛かっただけで、最初から保険証とお薬手帳を出せばすぐに終わったと結んでいました。
そのコメンテーターの方は、マイナンバーカードの良さを伝えたいという意志でやってみたのに・・と、嘆いていました。

保険証として使えるようにすると、「何万円分だかのポイントが付くから、頼むからカードを作ってくれ」と国はまたキャンペーンを始めました。
テレビやラジオでも「マイナンバーカードを作ると“何かいいらしい”」(^_^;)という、結局いいことはほとんど無いので実に力の入らないような“腑抜け”なCMを流しています。
出演しているタレントも、あんなCMの仕事をよく引き受けたな、と思いましたが、仕事なんでしょう。ご愁傷さま。

マイナンバーカードを皆に作ってもらいたいなら、役に立つように作って、これもできるあれもできる、こんなときにこんなに便利、というシステムにすればいいだけのことです。

ただ、税金の取りっぱぐれを将来無くそうとするだけの、「高邁な理念」の無いものを作るから、あとで苦労しているのです。

ということで、書くことによって怒りが少し静まってきましたので、この辺で。

 

2022/05/17

「自分は死なない」って人

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ラジオを聞いていたら、こんなこと言っていました。

人間は、部位によってその期間は異なるみたいだけど、体中の細胞が、ある一定期間で入れ替わるというか更新されている。
更新される細胞は、自らが死んで新しい細胞に更新され、人間本体は生き続けていく・・。
という話だったんです。

でね、それになぞらえて、現在、世界に迷惑をかけている「プ」のつく人を例に挙げ、「自分だけは絶対に死なない。生き続ける。自分はずうっと生き残る。」と居座り続ける細胞みたいだ、というわけです。
それは、人体で言うと、《がん》だというのです。

《がん》は仲間を増やし、増殖しながら生き続けようとして、結局は本体である人間が死んでしまう・・というわけです。

自分は死ぬのだ、自分が亡くなったあとは、新しい人が受け継ぎ、そして社会(世界)はその更新により生き続けていく。・・とは、考えられない人です。

こういう人、日本にもたくさんいそうで、私思うんですけど、一度首相になったら、その職を辞したあとは、政治の世界から去る・・っていうふうに出来ないものですかね。
第一線を退いても、“院政”を敷こうとする。

自分の命は永遠だとでも思っているのでしょう(たぶん本気)、そして自分の思うが儘の世界にしようとする。

でも、そんなこと考えているから、「人々のしあわせ」なんて一度も考えたことがないんだと思うんですよ。
家族皆で晩ご飯を食べた。それだけで「しあわせ」と思う人がたくさんいるなんて、夢にも思わないことでしょう。

どこそこの国の領土をこれだけ“ぶんどった”。あの民族を全滅させた。
財産をこれだけ蓄積した。宮殿のような家を建てた。

・・そんなこと、つつましく、ささやかに生きている人たちにとっては、「しあわせ」とは何の関係もありません。

あなたの身の回り、職場組織の中にも「プ」のつく人みたいな“自分は死なずに、永遠に君臨する”って人いるんじゃありませんか。

自分がエラくなったら、あわててルールを変えて、任期を伸ばしたり、“院政”が効くような居場所をつくったりする人が、まさにその人ですよ。

ちょっとラジオを聞いていて思ったことを書いてみました。

 

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