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2022/06/30

「一日一言 -人類の智恵-/桑原武夫編」を読みました。

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『一日一言 -人類の智恵-/桑原武夫編(岩波新書)』を読みました。
これまた、ブックオフにて“100円+税”で、手に入れました。

この本は、人類の歴史上、偉大な行為をした人々の「英知」に輝く言葉、名言を偉人の生没日にあわせ、一年366日に配列し、略伝・肖像を付したものです。
ほんとうに、いろいろな偉人の様々な名言などが網羅されていて、人類の歴史をなぞっていくような感じで読みました。

今の私に響いた言葉をあげてみます。

【壮士】

人為で天下を治めようとするのは、海や河を歩いて渡ろうとし、蚊に山を負わせようとするものである。
・・・民は自然のままに放任するのが一番よいのである。
聖人はこの放任と自由をしっかりとつかんでゆく。


【墨子】

一人を殺せば、不義の行為として、かならず死罪にされる。
この論法でゆくと、十人を殺すものは、十不義を重ねたのであり、十倍の死罪にしなければならず、百人を殺すものは、百不義を重ねたのであり、百倍の死罪にしなければならない。
・・・しかし、大きく不義を犯してひとの国を攻めると、非難しないで、名誉とし、正義とする。
それが不義であることを全然ご存じない。
・・・天下の君子は、義と不義の乱れを見わけなければならないものである。


【トレーズ】

戦争、それは破滅した家庭であり、雨露しのぐ屋根もなく、パンもなく、金銭もなく、仕事もなく、路上をさまよう生活であり・・憲兵であった。
・・・そして私は誓うのだった、私の一切の力をもって、この憎むべき元兇と、戦争と、戦うことを、それを準備しそれで生活している者どもと戦うことを、戦争の永遠のギセイ者である人民を防衛することを!


かなり端折ってご紹介していますが、現在の戦争の状況を見て、とても重い言葉を過去に残していたんだな、と思いました。

なぜ、人類は、何度も戦争をして、結局、市民が犠牲になり、反省をして、そのときに残された言葉があるにも関わらず、そして後々にはその反省の言葉には目もくれず、また戦争に突入していくのだろうかと思います。

今回の戦争がなんらかの形で終結しても、また人類はもっともらしい理由を見つけてきて戦争を始めるんでしょうね。
人類は、地球上でも意外と下等な部類の生き物かもしれません。

 

2022/05/12

コロナ過で仕事や生活が大きく変化していく

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ここ何ヶ月、報道を聞き、悲しくなったことはいくつもあります。
戦争のこともそうですし、俳優の渡辺裕之さん、コメディアンの上島竜平さんが亡くなられたことも、ものすごく悲しく、落ち込む出来事でした。

渡辺さんは、とても前向きな方で実直そうな方という印象でした。
上島さんは、芸能人の後輩達にやさしく、面倒見がよさそうで、笑いのことをいつも考えている明るい人、そんなふうに感じていました。

どんどん前に進んで行くような人にとって、ここ二年間のコロナ禍は仕事や日々の生活に大きな影響があったと思いますし、それが今回の事に影響が無かったとは言えないと思います。

思うようにいかない、こんなはずではなかった、こうしたかったのに、などという思いもあったのかもしれません。

私も、病気で二年連続の入院を経験し、さらに世間ではコロナ禍、職場などでもそれに伴って仕事も増えたり、加えて台風などの自然災害も加わり、体力の低下から仕事を辞めざるをえなくなってしまいました。

そんな中で、自分自身の心や体を保つこと、維持すること、気力を出すこと、というのは並大抵のことではありませんでした。

「置いていかれる」という気持ちも強く、「自分はもういらない人間じゃないのか」と、何度も思いました。

渡辺さん、上島さんの身の上にどのようなことがあったのか想像することもできませんが、ご本人の悩み、苦しみはとてつもないものだったのだと思います。

私はドラムを叩くのですが、渡辺さんのドラムを演奏する姿を動画で見ると、実に真面目に、丁寧に、ご本人の性格そのものというドラムを叩いていました。同じドラマーとしてよくわかりました。
逆にいうと、“遊び”がなく、どこか“ハズレ”ていくようなハチャメチャなところなど微塵もなくて、「真面目な人なんだろうな」と強く思いました。

私も仕事が苦しくて「死」を意識した時期がありました。「死んだ方がずっと楽だ」と思い始めたときが一番危ない時でした。
でも、そんなときに人はあまり頼りにならないのです。そんなにひどいことになっているとは誰も思っていません。
だから、誰かの言葉によって助かるということも、非常に稀なことなんだと実感しました。
そこでどう持ちこたえるかは、とても難しくて、今になっても私は自分がどうやってその地獄から抜け出したのか記憶が無いのです。

今にして言えることは、日々を丁寧に過し、ほんのちょっとしたことにありがたさや、うれしさ、よろこびを感じながら静かに生きて行くしかない・・ということかもしれません。
悲しいニュースに接して思ったことを書きました。

 

2022/05/10

中学時代の先生が送ってくれた本、読みました。

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『103歳になってわかったこと -人生は一人でも面白い-/篠田桃紅著(幻冬舎文庫)』という本を読みました。
これは、このブログで何度も登場する私の中学時代の担任で美術の先生が、ついこのあいだ送ってくれた本です。

著者、篠田さんは美術家。この本を世に出したのが2015年で、その後2021年、107歳で亡くなられています。

この本を送ってくれた中学時代の担任の先生も、もう75歳。私との電話でも「生きて行くこと」についてよく話されます。そして、この本がとても参考になったとおっしゃっていました。

その教え子の私が読んでも、今後生きて行く、そしてやがて死を迎えることについて参考になりました。気が楽にもなりました。

私の先生もよく言っていたことで、この本の著者、篠田さんも書かれていましたが、個展などの会場で来場者の方から「これはなにを表わしているのですか?」と、よく聞かれるというのです。

絵というものは、自分のなかに湧いてくる思いを、目に見えるようにしたものなので、「なにを」という質問には、いつも戸惑ったと書かれています。

絵に表われているものこそが、質問の「なにを」で、そしてその「なにを」は見る人によって、どのように受け止めてもいいものです。
と、書かれていますが、私もこういう質問をする人のことがわかりません…σ(^_^;)
でも、いるんですよね、かならず個展などの会場にd(^_^o)

人にとって、生きているのがいいのか、死んだほうがいいのか、誰にも判断はつけられないのですが、著者もそうであるように、生きていたからこんなことに出会えたと思うこともあれば、こんなことになるなら生きているんじゃなかった、などと思うこともあります。

わからないから、一日、一日生きて行くんだ・・などと思いました。

あと、私が気になった部分は、「時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生だが、無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができる」という部分でした。

いろいろあって今がある私ですが、まったくそのとおりだと思っている昨今です。
無駄だと思っていた部分、“余白”のような部分が人生にとって、とても貴重だったのだ、と今にして思うわけです。

先生には、いい本を送ってもらいました。
忘れそうになったら、時々この本を開いて、生きて行くことに前向きに、よろこびを感じつつ過して行こうと思います。

 

2022/04/29

また皆んなが浮かれだした。

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コロナ騒ぎが始まってから初めて、「緊急事態宣言」の無いゴールデンウィークとなりました。
朝のラジオを聞いていたら、アナウンサーの方がタクシーの運転手さんから、ゴールデンウィーク前夜28日木曜の夜は渋谷、新宿、新橋、六本木など、タクシー待ちの列が午前2時頃まで続いていたのだと聞いたそうです。

「まるでバブルの頃みたいだった」って・・。

大騒ぎしてお酒を飲んで、酔っ払ったからきっとその場がどんなだったか覚えていないでしょうけど、ゴールデンウィーク明けて一週間くらいすると「ああ、あのときの馬鹿騒ぎが・・」ということにならなきゃいいけど・・なるんでしょうね。

ニュースなどを聞いていると、「久しぶりに飛行機に乗って遊びに行けるんでワクワクです!」とうれしそうな旅行客のインタビュー音声が流れておりました。

皆んな、浮かれていますねぇ。

2020年のGWの時も、皆んな“浮かれまくり”で、なんの心配もしていない人の姿をあちこちで見かけました。
そのあと、大変なことになりました。今現在の数字でも、その頃の数字より、はるかに上回っていると思いますよ。

東京では、前週の感染者数を今週は下回った、なんて言っていますが、実際には数千人です。
全国では、まだまだ3万人を上回っています。4万人に近い。
今はまだ『第六波』の中にいるのです。いや、『第六波』が終わり、すでに『第七波』の入り口にいるのかもしれません。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、もう何度も喉元過ぎて来たのに、“忘れっ放し”じゃあありませんか・・。
もう少し我慢した方がいいんじゃないか、というのが私の気持ちですが、さて、「もう我慢の限界だ」とGW中に遊びまくり、ほっつき歩きまくり、大勢の人のいるところに飛び込んでいく人が圧倒的かもしれません。

連休明けの感染拡大の度合いが低いことを祈ります。

 

2022/04/25

あれから一年以上経って

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一昨年末に倒れ、明けて去年の一月に入院、ほぼ一ヶ月の入院を経て、仕事に出ることもできなくなり退職。
その後は、身体を治す、体力を回復することに専念することになり・・一年と二ヶ月が経過しようとしています。

最初は家の階段も上がれない、自力で洗顔等も出来ないような状態で退院し、どうなることかと思いましたが、去年の夏頃には家での日常生活ができるようになり、その後は公園に行き、歩くことをして、徐々に距離を伸ばしていき、かなりの回復をみたのですが、その後は一進一退です。

“三歩前進二歩後退”あるいは“一歩前進三歩後退”というようなことを繰り返しているところです。
右肩上がりで良くなっていた去年の夏までの状況を考えると、今、その遅々として回復が遅れている状況に精神的に落ち込んでしまう日々が多くなってしまいました。

今が“頑張り時”だと何度か自分に言い聞かせ、今もまた自分に言い聞かせているところです。それを残しておこうと、これを書いているのです。

気力を失わないように、日々頑張ります。

 

2022/03/29

「千年の読書 -人生を変える本との出会い-/三砂慶明」を読みました。

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『千年の読書 -人生を変える本との出会い-/三砂慶明著(誠文堂新光社)』という本を読みました。

新聞で著者の三砂慶明(みさご・よしあき)さんを取り上げた記事を読み、大阪の梅田蔦屋書店で“本のコンシェルジュとして活躍されている三砂さんにとても興味を持ったことと、その後ラジオ・文化放送の「浜美枝のいつかあなたと」に三砂さんが出演されていた放送を聞き、三砂さんという“人”にも興味が拡がったからです。

300頁もある立派な本でしたが、実に丁寧に書かれ、静かに読める本でした。

この本は、人が本というものと付き合うことについて実に真摯に考えられ、書かれています。

三砂さんが書店に勤めてわかったこと・・。
  ↓
どれほど恵まれた人生を歩んでいるように見える人でも「避難所」が必要である。

そして、本は困難と向き合った人に新しい扉を開いてくれる、ということ。

私も生きて行く中でつらいことはたくさんありましたが、そのたびに「本」が助けてくれたと感じることがありました。

逆に言うと、本なんて読まない生活をしている人というのは、ある意味「幸福」なんじゃないか、とも言えるわけですが、でも、私を含め多くの人は様々な困難、悩み、辛さの中で人生を少しずつ歩んでいるわけで、そこで「本」があるか、ないか、は大きな意味があると思うのです。

この本では、人生を変える本との出会い、生きづらさへの処方箋、新しい働き方を探す、お金から見た世界、現代の食卓と料理の起源、瞑想と脳と自然、本から死を考える、など多岐にわたるテーマで、人と本の関わり方を考えています。

三砂さんが書かれているのですが、私達は千年前の本の作者や、それを読んだ人の想いに、本を通して触れることができます。
気の遠くなるような時間を超えて、生まれた場所も、年齢も、立場も関わりがなく、その人が向き合い、感じ、考えたことそのものに、本を通して出会うことができるわけです。

最近、私同様、本好きの妻ともよく話すのですが、「本があったことで、本を読むことでなんとか切り抜けることが出来たことは多かった」とあらためて感じています、この歳になって、やっとわかってきた感じです・・。

あまりの自然体な書きぶりに、読書に対する気持ちがリセットされ、これからも新鮮な気持ちで読書ができそうだとあらためて思っているところです。

 

2022/03/26

石川渓月さんの「よりみち酒場 灯火亭(ともしびてい)」を読みました。

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『よりみち酒場 灯火亭(ともしびてい)/石川渓月(いしかわ・けいげつ)著(光文社文庫)』を読みました。

今まで石川渓月さんの作品を読んだことがなかったのですが、ミステリーやハードボイルド小説を書かれる方のようです。
そして、今回私が読んだ作品は、“人情が心に沁みる”あったかいお話でした。

物語の中心になるのは、駅近くの路地奥の行き止まりの場所にある居酒屋と、その店主。
店主はちょっぴり辛口なもてなしをするものの、あったかい常連達と共にこの店に迷い込んできた悩み多き人の心を解きほぐしてくれる・・というストーリーの短編が綴られていました。
そして、物語に登場する料理も、ひと味・ふた味ちがう美味しそうなものです。

読んでうれしかったのは、どの物語も冒頭では、なんということかという哀しい出来事や、ひどい目にあった人たちが登場するものの、この物語の舞台である灯火亭で店主や、常連達との人情あふれる交流で光明が見えてくるところです。

最近の小説は、これでもかと登場人物が悲惨な状況に追い込まれ、救いようのない話になったりするものがあります。
そして救いようのないまま終わる・・というのもけっこうある。

でも、この「灯火亭」のお話は、悩んでいた人と共に読者である私がうれしくなるようなお話ばかりで、なんだかほっとしました。

心安らぐ本でした。
「まだまだ足りない!がっつりいきたい!という人には第二弾があります。」と帯に書かれていたので、書店で見つけたらきっと私は買うことでしょうd(^_^o)

 

2022/03/05

「歌集 街樹」を読みました。

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『歌集 街樹/秋葉四郎著(短歌新聞社)』を読みました。
今年に入り、古書店で見つけた「房総のうたびと」という本に「秋葉四郎」という歌人の名を見つけ、それが私の中学一年のときの担任の先生であったことに気付きました。

中二・三年の担任であった美術の先生とは今だ付き合いがあるので、その先生に秋葉四郎先生のご住所をご存じないかと問い合わせ、秋葉先生にお手紙を差し上げたところから話は始まりました。

私が“本好き”になったきっかけは、中一のときに秋葉先生から放課後「これを読んでごらん」と渡された三冊の本でした。
それからは“本の虫”となりました。

話は戻って、私がお手紙を差し上げた先生は、ご健在なら八十五歳。
既に書きましたが、先生からお便りが届き、先生の歌集と、先生著作の短歌入門まで同封されていました。

さっそく歌集を読んでみました。

この歌集に入っている「歌」は、ちょうど私が先生に教わっていた頃と、その前後数年です。
あの、三十代だった頃の先生の姿を思い浮かべながら、先生の歌に接しました。

秋葉先生の師である、佐藤佐太郎氏に従ってオーストラリア、ニュージーランドや、その後のアラスカ、シンガポール、マレーシア、インド、マニラ、ロスアンゼルス、サンフランシスコの風景様子を描いた歌も印象的でしたが、私には、中学教師時代に書かれたものが衝撃的なくらいの印象を受けました。

奥さまと共働きで教師を勤め、喘息持ちの幼い子供さんを保育園にあずけながらの日々の厳しい現実と対峙するように、真っ正直に書かれた歌に心うたれました。

美しい歌も数ありましたが、でも

〇吾に拠り生きつつ幸ひの薄き妻この玄関の灯のうちにゐる

〇室内に衣類干しつつ頽廃の日々のごとくに妻と勤むる

〇預けつつ育て二歳になりし子が朝はみづから衣服をまとふ

など、あの頃、きちっとスーツを身に着け、颯爽として厳しかった先生からは想像できないものでした。

後記で先生が書かれていたのですが、「あらゆる芸術に功利性はない筈だが、芸術に関係なく人は生きられない。何らかの形で芸術はその人の糧となり生を支えているようである。真詩としての純粋短歌は単なる小文芸にとどまらず、本物の芸術としての力を発揮している。」とあり、まったくの同感を覚えました。

〇折ふしの怒りに自浄作用ありわがからだ軽くなりて歩みつ

先生の「怒り」は、雷鳴のごとくでした。ものすごく恐かった。
あの怒りが自浄作用のひとつだった・・(^^;)のかと思うと、私も先生に何度か自浄作用を起こさせていたのかもしれない…σ(^_^;)

 

2022/03/02

今の世界を生きている人間として書いておきたい。

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ウクライナへのロシアの侵略は続いています。
市街地を砲撃し、子供を含む市民にも死傷者が出ています。
どうやら、人道的に使用してはならないと言われている兵器も実際に使われているとの報道もありました。

先だってこのような状況下に、「日本も核の共有について議論が必要だ。タブー視してはならない。」という発言をした元〇相がいましたが、広島、長崎の人達はもちろんのこと、日本人としてこの発言に怒りを感じなければ、日本はやがて現在のウクライナのような戦火にまみれるようなことになると思いました。

現在のような緊急時に、もっともらしく人の心の動揺につけ入って、国民、市民のことなどまったく考えない、現在のロシ〇大統領のような考えで発言する人間の言うことを聞いてはいけないと思いました。

それに加えて、維〇のあの松〇という人物が、「核の共有についてタブー視するのは、きわめて“昭和的”な考えだ。」という、この男の本性を見るような発言をしている。
核を持ちたいんでしょうねえ、おそろしい人達だ。

今、ウクライナで起こっていることは、私達人類に起こっていることで、人が殺され、家族が殺され、建物が破壊され、都市も破壊されている・・それは今日本で暮らしている私達に起こったら、いったい日々をどう暮らしていけばいいのか、家族とのささやかな幸せのある生活はどうなるのか、と真剣に考えねばならないことです。

何度かこのブログに書いてきましたが、その時代にこんな発言をしている者がいた、世の中の空気、雰囲気はこういうふうだった、と後々残ったらいいなと思って書いている・・というのがブログを書くひとつの理由なのです。

この時代、さまざまなSNSを見ることになるわけですが、今のおそろしい戦争について、知人を含め書いている人はきわめて少ない。

こんなときに声をあげないで、なんのSNSか、と思うのですが、ふだんたいそうなことを書いているのに、何の発言もしない人ばかりで、ほんとうにがっかりします。

私のようなものが何を書いても、何の影響もない、と思われると思いますが、それが何十人、何百人、何千人、何万人となれば、それは「力」になるのです。

今、強く思っていることを書きました。

 

2022/02/26

「女の机/小林登美枝」を読みました。

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『女の机/小林登美枝著(オフィスエム)』という本を読みました。
ブックオフで安価で見つけたものですが、1959年から2000年まで、42年間にわたり信濃毎日新聞のくらし・家庭欄に連載した「女の机」をまとめたものです。

あとがきで発行元のオフィスエム代表の寺島純子さんが書かれているのですが、この42年間の原稿はご本人がホスピスに入られる前に処分してしまい、最初は図書館に残っていたマイクロフィルムのチェックから始まり、膨大な作業になる・・と、気の遠くなるような作業を覚悟した矢先に、すべての記事をスクラップしていた人から連絡が有り、それをもとに編集作業をされたんだそうです。
でも、それだけの作業をする価値のある本にまとめられていた、と私は感じました。

私は恥ずかしながら小林登美枝さんを存知上げなかったのですが、お店で見つけて何頁かめくって見ただけで、今ではまったく見ることのできない“きちっ”とした文章に背筋が伸びました。

著者、小林登美枝さんは1916年生まれ、大阪時事新報記者から毎日新聞記者を経て、日本婦人団体連合会の常任理事となり、女性解放運動に関わっています。
そして、女性解放運動の先駆者、「平塚らいてう」の研究者として、自叙伝の編纂、著作に関わっています。

その文章は、“真っ直ぐ”で、前を向いて“胸を張って歩いている”ような、先ほども書きましたが、今では見ることのできないような素敵なものでした。
そして、読みやすいのです。

【二十一世紀を生きる女たちの〈らいてう百年祭〉】のときに、壇上で大岡昇平氏が、

「とにかく男性はダメでございます。戦争したいなんてトンチンカンなことを言う。女性の方がたが日本の将来のために主張を大きくかかげて、どうぞよろしくお願いいたします。」
と挨拶をされていたシーンが書かれていました。

2022年の今も戦争をやろうとして、やっているどこかの大統領が現にいるのです。男性は“ダメ”なのでございますよね。

かと思うと、夫を亡くした友人宅でおしゃべりをしていたときに、友人が庭に夕日が薄れかけると、そそくさと雨戸をしめはじめた。
西空の茜色がひたひたと闇に溶けてゆき、光を失う一瞬が惜しまれると思っていたが、夫を失って日が浅い友には、昼と夜のあわい感傷は、たえがたかったにちがいない・・としんみりする場面も描かれていました。
こういうことを書ける人も、ほとんどいなくなったんじゃないか、と感じました。

八十代になってからの文では、長く生きてみて、はじめて会得できる人の世の不可知の姿を思うとき、人おのおの自己の寿命を生ききることは人権の一つである・・という思いを綴っています。

でも、そういった成熟への旅を完了させるためには、今の日本(1997年現在)はなんとひどい状況か、とも書かれていました。

自分にとって今の今さえしのいでゆければよいと、風のような言葉だけで政治が牛耳られている・・・支配層すべての無責任体制。
歴史にたいするおそれへの想像力さえみえない、荒廃の構図は今にはじまったことではないが、私は胸のなかで敬慕する天上の先人たちに、あとはつづく女たちへのさらなる元気の加護を祈るばかりである。

と、思いを語られていました。齢81歳のそのときにこれだけのことを書かれる・・。
心に大きく留めました。

 

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