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2022/11/02

「大往生/永六輔」を読みました。

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『大往生/永六輔著(岩波新書)』を読みました。

1994年に第一刷発行となっていて、この本は2016年第96刷となっていますので、長年にわたるベストセラーであることがわかります。

この本もブックオフで購入したのですが、続編の「二度目の大往生」もすでに同店で購入していますので、それについても後日読後感を書こうと思っています。

タイトルどおり、この本は「死ぬこと」について書かれています。
前半は、すでに刊行されていてる「無名人名語録」から、「老い」「病い」「死」についての市井の無名人から得た“お言葉”が集められ、収録されています。
これだけ読んでも今の私の年齢で読むと、“重く”“つらい”・・。

思わず笑ってしまうような“お言葉”もあるのですが、なんだか“泣き笑い”になってしまいます。

そのあとは、永さんの仲間、歌手・淡谷のり子さんの「歌いながら死んでいきたい」という意志から発生したシンポジウムの様子。
さらに映画評論家・淀川長治さんが、毎年「今年の自分の命日」を発表するというおもしろく、不思議な行動についてなど、「死ぬこと」について色々な角度から話題を提供しています。

永さんは「中村八大」「いずみたく」という稀代の作曲家とコンビを組んで「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などを生み出していますが、突然作詞をやめて25年間の沈黙を守ります。

その理由を直接私はラジオから永さんの声で聞いたのですが、この本に書かれていた理由はそれとは異なっていました。わざとそう言ったのか、そのときの気持ちで言ったのかわかりませんが、ラジオでは・・

永さんが中村八大さんに対し、「詞とメロディーの“譜割り”が合わない。せっかくの詞が台無しだ、直してくれ」と言ったら「楽曲はメロディーがすべてで、別に詞の意味が取れなくてもどうでもいい。メロディーさえ良ければそれでいいのだ」と八大さんに言われて怒り、それ以後作詞をやめた。

と言っていたのですが、この本では異なることが書かれていました。

この本には・・

いみずたくさんからは「八大さんの今度の曲の詞はいいね」と言われ、中村八大さんからは「たくサンに渡した詞のようなものを」と言われ、二人と友達でいるためには、自分が作詞をやめればいいと思った。
二人には、いい作詞家の仲間(青島幸男、岩谷時子、山上路夫、藤田敏雄)があるのだから。

ということでした。
前述した八大さんとの“いざこざ”についても、「こういう曲づくりもあるのかと勉強になった」というようなことが書かれていました。

かなりの違いがあるのですが、でも人の記憶や気持ちというものはそういうものかもしれません。
私自身も、過去の記憶について周囲の人から「そうじゃなかったじゃないの」と言われることがよくあります。
いつの間にか自分の気持ちと共に記憶も修正されてしまうのかもしれません。

というわけで、200頁ほどの本でしたが、内容は多岐にわたり、しかも重いものが多く、考え込んでしまうようなことになりました。

続編の「二度目の大往生」は少し間をあけてから読もうと思います。

 

2022/07/21

「老いを愛づる -生命誌からのメッセージ-/中村桂子」という本を読みました。

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『老いを愛づる -生命誌からのメッセージ-/中村桂子著(中公新書ラクレ)』という本を読みました。
著者の中村桂子さんは、理学博士。国立予防衛生研究所を経て、日本における「生命科学」創出に関わってきた方だそうです。現在はJT生命誌研究館名誉館長。

この本を読むきっかけとなったのは、たまたま聞いていたラジオに中村さんが出演されていて、あまりにもそのお話が素晴らしかったからでした。

中村さんは現在86歳。とてもお元気で明るく、優しく、そして人というものを生命の起源から考えていくのですが、他の動物、植物などいろいろな生き物と同様に慈しみ、人というものの考え方が変わっていく自分をすぐに感じて驚いたのです。

38億年前に生命の起源と呼べるような、細胞というかバクテリアのようなものができて、そのときは「死」というものがなく、分裂して同じものが拡大していって生き続ける、というようなことであったが、やがて「雄」と「雌」というものが出来たときに、生き続けるということが子へ、その子へ、そのまた子へと続いていくものになったというわけです。

「生」と「死」が対語ではなく、「性」と「死」が対語になっている、というお話には、ハッとしました。

人間で言えば、男と女の間に生まれる子は分裂とは異なり、すべてが唯一の存在であり、やがて死が訪れ、またその子が唯一の存在として人類が生き続ける・・だから人それぞれが大事なんだ、というお話に目から鱗が落ちるようでした。

「死」というものが、どういうものか認識も出来たし、老いるということが人間が時を紡いでいく連綿とした流れの中にあるということも理解出来ました。

だから、人間一人一人のことを「労働力」と単純に認識したり、社会の「機能」とだけ認識したりしている現在に疑問を投げかけることになるのでした。

みんなちがっていて、みんな一人一人が個性を持ち、その時代を生きている・・そんなことを考えていくだけで、ものの考え方が変わっていくんじゃないかと思いました。

・・そう考えれば戦争だってなくなるはずなんですけどね。

機能的に優れた人間にしようとして、効率的に良い人間になろうとして、人に先んじて無理やり勉強させたり、競争させたりするというのが今の世の中ですが、極端に言うと、一番効率がいいのは「生まれてすぐに死ぬこと」が一番“効率がいい”ということになるのですよ、と中村さんはおっしゃっています。

自分が今生きている時代は選べないが、でも、自分のたとえば10歳、50歳など、その時々の年齢を生きて行くことで紡いでいけばいいというのです。
なんとか人を出し抜いて先んじよう、などという生き方をしているのが今の人達の多くだというのです。

読めば読むほど「腑に落ちる」、そんな本でした。

 

2022/07/12

太田和彦さんの新刊「75歳、油揚がある」を読みました。

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『75歳、油揚がある/太田和彦著(亜紀書房)』を読みました。珍しく今回は新刊です
d(^_^o)

前回読んだ太田さんの新刊「70歳、これからかは湯豆腐」の続編であろうということは、タイトルからわかります。豆腐のあとの油揚ですから(^_^)

豆腐は料理の脇役、ときに主役として、懐の深さをみせ、融通無碍(むげ)、毎日でも飽きない、栄養もある。
人も年齢を重ねたら、このように在りたいと太田さんは言っているのですが、その豆腐を油で揚げた「油揚」。
姿も食感も味も一変!
新たに生まれた独自の個性は煮ても焼いても包んでもよし・・ということで、人生にも進化や昇華はあるだろうが、経験が昇華して新たな境地に至るのなら、長く生きる価値がある、と、この本のタイトル「油揚がある」となった心境をまとめられています。

こりゃ面白いにちがいない!と、さっそく読んでみたのです。

太田さんは、残りわずかな人生を“消化試合”にしてしまっては面白くないとおっしゃって、生きる実感や、日常を離れた冒険についてもこの本で書かれています。

75歳を過ぎて、あらためて身に付けるものについて考えてみたり、日々の過ごし方についても、もう一度見直してみたり、また「ひとり旅」をすすめてみたり・・、私はまだまだ75歳の境地はわかりませんが、今後の参考にさせてもらおうと思いました。

また、「死は来るときには来るのだから考えてもはじまらない、死生観なんて必要ない」とも。

「そんなことを考えるより、毎日を充実させるほうが大切だ。」

「好きなことを見つけて毎日続ける、社会に役立てば御の字だが、まあ無理せず」

という結論でした。

この本に書かれている旅の仕方、お酒の呑み方、人とのつきあいなどは、いつもながら面白く、興味深く、参考になりました。

私も日々、一歩ずつそんな境地の75歳に近づいていきたいと思います。
まだ、ちょっと早いけど…σ(^_^;)

 

2022/07/05

二十年の時を経て、町内のひとたちの心模様は変わっていた

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約二十年前に順番で回ってくる町内の役を引き受け、今年またその役が順番で回ってきました。
私が受け持つ各世帯は、二十年前からそのほとんどが代替わりして、次の世代になっていました。当時は、私がいちばん若かったのです。

あの頃は、何か取り組まなければならないことがあれば、皆を招集しそれぞれに役割を振ってお願いをすると皆さん熱心にやっていただけました。

言い方が難しいのですが、当時の約二十世帯は、ある意味“物理的”な問題に取り組んでいました。

で、今回会費の集金もあり、八世帯増えた皆さんのところを就任早々に回ると、そこには“メンタル”な問題が存在していると感じました。

“いらいら”している人、何年も前のことに“くよくよと悩んで”いる人、誰にも相談できずに“不安の中”にいる人、代替わりして亡くなった自分の親のように“尊大なふるまい”を再現しようとする人、新しく越して来て“この田舎者役員を少し脅かしていろいろ自分のためにやらせよう”とする人・・(クレーマーに著しく近く、なるべく密室的に話をしようとして、私が周囲の人たちに声をかけようとすると激しく拒否する)・・。

必死に行動して頑張ればよかった二十年前とちがって、奥が深く、どうしたら解決の糸口を見つけられるのかわからない事態を感じて、私も一時(いっとき)、ぐらぐらと心が揺れました。はっきり言ってここ二年間、体調が思わしくないこともあり、今度は精神的にも揺さぶられました。

そんなこともあって、私と同じ役をやった方々を三年前までさかのぼって話を聞きに行ってみたところ、皆さん、私みたいにメンタルな部分をぶつけられてはいないのです。

つまり、私に対して今回は「何か話を聞いてもらえそうだ」という印象を持たれたのだと思いました。
「そりゃ迷惑だ」という考え方もあるかもしれませんが、いい意味で捉えれば、「この人なら話を聞いてくれる」「今考えていることについて何か対応してくれる」「何らかの形で取り組んでくれるんじゃないか」と思ってもらえたのかもしれない、と考えました。

そう思い直して、今、心を落ち着けて、ひとつずつ対応しているところです。
それが自分の持ち味だと信じて。

体調のこともあり、“全力で”というわけにはいきませんが、今出来ることを少しずつやってみようと思っています。
ここに書いてみたのは、その決意が揺らぐことのないように、という思いからです。

きのうもひとつ、持って来られたお話が片づきました。
明日からも、またひとつずつ片づけられるようにゆっくりと動きます。

 

2022/06/30

「一日一言 -人類の智恵-/桑原武夫編」を読みました。

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『一日一言 -人類の智恵-/桑原武夫編(岩波新書)』を読みました。
これまた、ブックオフにて“100円+税”で、手に入れました。

この本は、人類の歴史上、偉大な行為をした人々の「英知」に輝く言葉、名言を偉人の生没日にあわせ、一年366日に配列し、略伝・肖像を付したものです。
ほんとうに、いろいろな偉人の様々な名言などが網羅されていて、人類の歴史をなぞっていくような感じで読みました。

今の私に響いた言葉をあげてみます。

【壮士】

人為で天下を治めようとするのは、海や河を歩いて渡ろうとし、蚊に山を負わせようとするものである。
・・・民は自然のままに放任するのが一番よいのである。
聖人はこの放任と自由をしっかりとつかんでゆく。


【墨子】

一人を殺せば、不義の行為として、かならず死罪にされる。
この論法でゆくと、十人を殺すものは、十不義を重ねたのであり、十倍の死罪にしなければならず、百人を殺すものは、百不義を重ねたのであり、百倍の死罪にしなければならない。
・・・しかし、大きく不義を犯してひとの国を攻めると、非難しないで、名誉とし、正義とする。
それが不義であることを全然ご存じない。
・・・天下の君子は、義と不義の乱れを見わけなければならないものである。


【トレーズ】

戦争、それは破滅した家庭であり、雨露しのぐ屋根もなく、パンもなく、金銭もなく、仕事もなく、路上をさまよう生活であり・・憲兵であった。
・・・そして私は誓うのだった、私の一切の力をもって、この憎むべき元兇と、戦争と、戦うことを、それを準備しそれで生活している者どもと戦うことを、戦争の永遠のギセイ者である人民を防衛することを!


かなり端折ってご紹介していますが、現在の戦争の状況を見て、とても重い言葉を過去に残していたんだな、と思いました。

なぜ、人類は、何度も戦争をして、結局、市民が犠牲になり、反省をして、そのときに残された言葉があるにも関わらず、そして後々にはその反省の言葉には目もくれず、また戦争に突入していくのだろうかと思います。

今回の戦争がなんらかの形で終結しても、また人類はもっともらしい理由を見つけてきて戦争を始めるんでしょうね。
人類は、地球上でも意外と下等な部類の生き物かもしれません。

 

2022/05/12

コロナ過で仕事や生活が大きく変化していく

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ここ何ヶ月、報道を聞き、悲しくなったことはいくつもあります。
戦争のこともそうですし、俳優の渡辺裕之さん、コメディアンの上島竜平さんが亡くなられたことも、ものすごく悲しく、落ち込む出来事でした。

渡辺さんは、とても前向きな方で実直そうな方という印象でした。
上島さんは、芸能人の後輩達にやさしく、面倒見がよさそうで、笑いのことをいつも考えている明るい人、そんなふうに感じていました。

どんどん前に進んで行くような人にとって、ここ二年間のコロナ禍は仕事や日々の生活に大きな影響があったと思いますし、それが今回の事に影響が無かったとは言えないと思います。

思うようにいかない、こんなはずではなかった、こうしたかったのに、などという思いもあったのかもしれません。

私も、病気で二年連続の入院を経験し、さらに世間ではコロナ禍、職場などでもそれに伴って仕事も増えたり、加えて台風などの自然災害も加わり、体力の低下から仕事を辞めざるをえなくなってしまいました。

そんな中で、自分自身の心や体を保つこと、維持すること、気力を出すこと、というのは並大抵のことではありませんでした。

「置いていかれる」という気持ちも強く、「自分はもういらない人間じゃないのか」と、何度も思いました。

渡辺さん、上島さんの身の上にどのようなことがあったのか想像することもできませんが、ご本人の悩み、苦しみはとてつもないものだったのだと思います。

私はドラムを叩くのですが、渡辺さんのドラムを演奏する姿を動画で見ると、実に真面目に、丁寧に、ご本人の性格そのものというドラムを叩いていました。同じドラマーとしてよくわかりました。
逆にいうと、“遊び”がなく、どこか“ハズレ”ていくようなハチャメチャなところなど微塵もなくて、「真面目な人なんだろうな」と強く思いました。

私も仕事が苦しくて「死」を意識した時期がありました。「死んだ方がずっと楽だ」と思い始めたときが一番危ない時でした。
でも、そんなときに人はあまり頼りにならないのです。そんなにひどいことになっているとは誰も思っていません。
だから、誰かの言葉によって助かるということも、非常に稀なことなんだと実感しました。
そこでどう持ちこたえるかは、とても難しくて、今になっても私は自分がどうやってその地獄から抜け出したのか記憶が無いのです。

今にして言えることは、日々を丁寧に過し、ほんのちょっとしたことにありがたさや、うれしさ、よろこびを感じながら静かに生きて行くしかない・・ということかもしれません。
悲しいニュースに接して思ったことを書きました。

 

2022/05/10

中学時代の先生が送ってくれた本、読みました。

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『103歳になってわかったこと -人生は一人でも面白い-/篠田桃紅著(幻冬舎文庫)』という本を読みました。
これは、このブログで何度も登場する私の中学時代の担任で美術の先生が、ついこのあいだ送ってくれた本です。

著者、篠田さんは美術家。この本を世に出したのが2015年で、その後2021年、107歳で亡くなられています。

この本を送ってくれた中学時代の担任の先生も、もう75歳。私との電話でも「生きて行くこと」についてよく話されます。そして、この本がとても参考になったとおっしゃっていました。

その教え子の私が読んでも、今後生きて行く、そしてやがて死を迎えることについて参考になりました。気が楽にもなりました。

私の先生もよく言っていたことで、この本の著者、篠田さんも書かれていましたが、個展などの会場で来場者の方から「これはなにを表わしているのですか?」と、よく聞かれるというのです。

絵というものは、自分のなかに湧いてくる思いを、目に見えるようにしたものなので、「なにを」という質問には、いつも戸惑ったと書かれています。

絵に表われているものこそが、質問の「なにを」で、そしてその「なにを」は見る人によって、どのように受け止めてもいいものです。
と、書かれていますが、私もこういう質問をする人のことがわかりません…σ(^_^;)
でも、いるんですよね、かならず個展などの会場にd(^_^o)

人にとって、生きているのがいいのか、死んだほうがいいのか、誰にも判断はつけられないのですが、著者もそうであるように、生きていたからこんなことに出会えたと思うこともあれば、こんなことになるなら生きているんじゃなかった、などと思うこともあります。

わからないから、一日、一日生きて行くんだ・・などと思いました。

あと、私が気になった部分は、「時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生だが、無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができる」という部分でした。

いろいろあって今がある私ですが、まったくそのとおりだと思っている昨今です。
無駄だと思っていた部分、“余白”のような部分が人生にとって、とても貴重だったのだ、と今にして思うわけです。

先生には、いい本を送ってもらいました。
忘れそうになったら、時々この本を開いて、生きて行くことに前向きに、よろこびを感じつつ過して行こうと思います。

 

2022/04/29

また皆んなが浮かれだした。

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コロナ騒ぎが始まってから初めて、「緊急事態宣言」の無いゴールデンウィークとなりました。
朝のラジオを聞いていたら、アナウンサーの方がタクシーの運転手さんから、ゴールデンウィーク前夜28日木曜の夜は渋谷、新宿、新橋、六本木など、タクシー待ちの列が午前2時頃まで続いていたのだと聞いたそうです。

「まるでバブルの頃みたいだった」って・・。

大騒ぎしてお酒を飲んで、酔っ払ったからきっとその場がどんなだったか覚えていないでしょうけど、ゴールデンウィーク明けて一週間くらいすると「ああ、あのときの馬鹿騒ぎが・・」ということにならなきゃいいけど・・なるんでしょうね。

ニュースなどを聞いていると、「久しぶりに飛行機に乗って遊びに行けるんでワクワクです!」とうれしそうな旅行客のインタビュー音声が流れておりました。

皆んな、浮かれていますねぇ。

2020年のGWの時も、皆んな“浮かれまくり”で、なんの心配もしていない人の姿をあちこちで見かけました。
そのあと、大変なことになりました。今現在の数字でも、その頃の数字より、はるかに上回っていると思いますよ。

東京では、前週の感染者数を今週は下回った、なんて言っていますが、実際には数千人です。
全国では、まだまだ3万人を上回っています。4万人に近い。
今はまだ『第六波』の中にいるのです。いや、『第六波』が終わり、すでに『第七波』の入り口にいるのかもしれません。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、もう何度も喉元過ぎて来たのに、“忘れっ放し”じゃあありませんか・・。
もう少し我慢した方がいいんじゃないか、というのが私の気持ちですが、さて、「もう我慢の限界だ」とGW中に遊びまくり、ほっつき歩きまくり、大勢の人のいるところに飛び込んでいく人が圧倒的かもしれません。

連休明けの感染拡大の度合いが低いことを祈ります。

 

2022/04/25

あれから一年以上経って

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一昨年末に倒れ、明けて去年の一月に入院、ほぼ一ヶ月の入院を経て、仕事に出ることもできなくなり退職。
その後は、身体を治す、体力を回復することに専念することになり・・一年と二ヶ月が経過しようとしています。

最初は家の階段も上がれない、自力で洗顔等も出来ないような状態で退院し、どうなることかと思いましたが、去年の夏頃には家での日常生活ができるようになり、その後は公園に行き、歩くことをして、徐々に距離を伸ばしていき、かなりの回復をみたのですが、その後は一進一退です。

“三歩前進二歩後退”あるいは“一歩前進三歩後退”というようなことを繰り返しているところです。
右肩上がりで良くなっていた去年の夏までの状況を考えると、今、その遅々として回復が遅れている状況に精神的に落ち込んでしまう日々が多くなってしまいました。

今が“頑張り時”だと何度か自分に言い聞かせ、今もまた自分に言い聞かせているところです。それを残しておこうと、これを書いているのです。

気力を失わないように、日々頑張ります。

 

2022/03/29

「千年の読書 -人生を変える本との出会い-/三砂慶明」を読みました。

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『千年の読書 -人生を変える本との出会い-/三砂慶明著(誠文堂新光社)』という本を読みました。

新聞で著者の三砂慶明(みさご・よしあき)さんを取り上げた記事を読み、大阪の梅田蔦屋書店で“本のコンシェルジュとして活躍されている三砂さんにとても興味を持ったことと、その後ラジオ・文化放送の「浜美枝のいつかあなたと」に三砂さんが出演されていた放送を聞き、三砂さんという“人”にも興味が拡がったからです。

300頁もある立派な本でしたが、実に丁寧に書かれ、静かに読める本でした。

この本は、人が本というものと付き合うことについて実に真摯に考えられ、書かれています。

三砂さんが書店に勤めてわかったこと・・。
  ↓
どれほど恵まれた人生を歩んでいるように見える人でも「避難所」が必要である。

そして、本は困難と向き合った人に新しい扉を開いてくれる、ということ。

私も生きて行く中でつらいことはたくさんありましたが、そのたびに「本」が助けてくれたと感じることがありました。

逆に言うと、本なんて読まない生活をしている人というのは、ある意味「幸福」なんじゃないか、とも言えるわけですが、でも、私を含め多くの人は様々な困難、悩み、辛さの中で人生を少しずつ歩んでいるわけで、そこで「本」があるか、ないか、は大きな意味があると思うのです。

この本では、人生を変える本との出会い、生きづらさへの処方箋、新しい働き方を探す、お金から見た世界、現代の食卓と料理の起源、瞑想と脳と自然、本から死を考える、など多岐にわたるテーマで、人と本の関わり方を考えています。

三砂さんが書かれているのですが、私達は千年前の本の作者や、それを読んだ人の想いに、本を通して触れることができます。
気の遠くなるような時間を超えて、生まれた場所も、年齢も、立場も関わりがなく、その人が向き合い、感じ、考えたことそのものに、本を通して出会うことができるわけです。

最近、私同様、本好きの妻ともよく話すのですが、「本があったことで、本を読むことでなんとか切り抜けることが出来たことは多かった」とあらためて感じています、この歳になって、やっとわかってきた感じです・・。

あまりの自然体な書きぶりに、読書に対する気持ちがリセットされ、これからも新鮮な気持ちで読書ができそうだとあらためて思っているところです。

 

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