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2021/04/05

伊集院静さんの「ひとりをたのしむ」を読みました。

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『ひとりをたのしむ 大人の流儀10/伊集院静著(講談社)』を読みました。

このシリーズの最新刊です。
なので、コロナ禍での否応なしの「ひとりで生きることとの向き合い」についても書かれていました。

伊集院さんは、「コロナに負けてたまるか」というのが基本姿勢で、「“WITH コロナ”という発想を今までも、これから先も持つつもりはない。」とおっしゃっていて、これは私も同感です。
「あの人もひとりで耐えている。ひとりを経験したから(伊集院さんは去年倒れて復帰したばかり・・私も倒れて復帰した直後です)、そう考えられるようになった。その心境を言葉に、歌に、詩歌に、舞台に、戯曲に、小説に、絵画に、彫刻に、舞踏に活かす何かがあるはずだ。」とのことでした。
これにも同感です。

それから、ひとりにならざるをえない人も大勢いるが、敢えてひとりで生きようとしている人もかなりの数だと。
“ひとりで何かを楽しむ”ためにどうするか、それは自分を肯定できる性格と慣れを持つことだとおっしゃっいます。
「ひとりをたのしむ」ことができるのは、誰かの力ややさしさが介在しているからだ、ということを忘れぬようにと言葉を添えています。そのとおりだと思いました。

で、その他気になったトピックをいくつか挙げてみます。

伊集院さんは、“学校閥”に属するのが嫌いだ、とおっしゃっています。
それは一流大学の者が大半で、同時に一流に属していない人から見ると排他的であったり、上から見られている嫌な感触があるからではないか・・と。
「己の力量でもない傘の下で、雨、風をしのぐのは大人の男らしくない。」と書いていて、またまた同感しました。

「そこに属さない人(自分もそうだが)から見ると、その集団は、やはり眉根にシワを寄せたくなるのである。」「妙なことを書いていると思う。」「ただ、何人か、わかる人もいると確信する。」とおっしゃっていて、私はその“何人か”です。

もうひとつ、

「△△って何のことだかわかりますか?」

「××がなぜああなるか知っていますか?」

という話し方をする人がいる。それが気にかかる、というわけです。

訊かれた人がその答えを知らなければ、そんなことも知らないのか、と相手を試しているように聞こえるし、仮に知らないとわかって、その答えを話し出せば、まるで相手より物事を知っているように見える。そういう話し方は下品で、傲慢にしか聞こえない。

というのが、伊集院さんの取り方で、私もこういう訊き方をする人が周囲にけっこういて、上記伊集院さんのように取り方の整理が出来ず、なんだかいつも嫌な気分になっておりました。

これを読んでスッキリしました。
ほんとうに面倒くさい人達でした。

まだまだ“溜飲が下がる”トピックがたくさんあったのですが、今回はこれまで。
伊集院静さんの新刊を読んでの拙い感想でした。
伊集院さん、いつもありがとうございます。

 

2021/04/04

「いちいち気にしない心が手に入る本」を読みました。

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『いちいち気にしない心が手に入る本/内藤誼人著(王様文庫)』という本を読みました。
自分のこともあるけれど、家族の悩みなどを聞いていて、それに応える自分にも自信を持たないと、と思い読んでみることにしました。

過去にも、若い時、そしてある程度の年齢になった時にも、この手の本は何度も読みました。
でも、決定的な解決方法っていうものは無いんですよね。
「どうしても気になってしまい、気に病むことは絶えない」のです。

ある程度、「人は人、自分は自分」という気持ちでいないと身体がもたないし、「ふ~ん」と受け流せるような部分も持っていないといけない。

まずは体を動かしてしまう、とか、表情や姿勢を基本的に少し無理してでも“ニッコリ”させたり、“胸を張って”いないと、どんどん悪い方向に行ってしまう・・というようなことも、わかっちゃいるけどやらないと、と思いました。

少し気になったところでは、「勝てるところで勝負する」という項目がありました。
「負けてばかりいると、人は弱くなる」というのです。
だから、自信をつけたいなら、「勝てるところでだけ、勝負する」ということも重要だと書かれていました。

何度も「勝ちの味」を覚えるからこそ、自信も強化されるのだ、とのことでした。
“優秀な先生は、勉強のできない生徒に、難しい問題などやらせません。”と締めくくられていました。

かつて、私は職場で「今年一年間で何にチャレンジするか」というシートを上司に提出したときにこの例とは逆のことを経験しました。

私が自分で得意だと思っている「IT」「SNS」等を使ってその部署の業務である広報・PRを思い切ってやってみたい、と書いたら・・、

「自分の得意なことで成果を上げようなんてずるいことをするな。一番苦手なことをやれ。甘いんだよ。」と直属の上司に言われ、最後に「ダメェ~っ!!」と、シートを突き返されたことがありました。
そういう考えならそれでもいいかもしれないけど、人をバカにした突き返し方だと思ったし、この人は信頼に足らない人だと思いました。

そういうことが今までに何十回もありました。
機会があれば、またこのブログにそれらも書こうと思っています。

途中から“グチ”っぽくなりましたが…σ(^_^;)きょうの読後感の報告はこれまで!

 

2021/03/12

『新「感情の整理」が上手い人下手な人/和田秀樹』を読みました。

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『新「感情の整理」が上手い人下手な人/和田秀樹著(新講社)』を読みました。
精神科医の和田秀樹氏が書いたものです。一年に何度かはこういう本に手を出します。
なかなか書いてあるようには実際問題としていかないのが常ですが、それでも“本”に頼ってしまうんですよねぇ(^_^;)

いろいろと「やってみては」ということが書かれていたのですが、私が気になったところから取り上げてみたいと思います。

豊かな感情生活を送る人は、自分を気持ちよくさせてくれるものをいくつも知っていて、それを毎日の暮らしの中にちりばめている・・というところでした。

たとえば、ワイン。美味しいワインを飲むために、努力をいとわず、いい店を知っていたり、ワインの本を読んだり、ネットからも情報を集めたりする、それもその日の仕事はきちんと片づけている・・というわけです。

こうすれば、一杯のワインが心地よく舌に広がる・・。
美味しくて、幸せな時間となるはずでしょう・・と。

ようするに、生活全般にわたって、“快体験”をちりばめている人が、豊かな感情生活を送る人ということになるわけです。

それがためには、部屋もこざっぱりとしておく必要があるし、それに向けていろいろな準備に時間をかけることも、“心地よい時間”となり、張り合いが生まれると。

また、ショッピング、映画、音楽などの無心になって過ごせる趣味や遊びの世界も、いやなことを忘れさせてくれるとも書かれています。
“忘れ上手”な人はふだんの生活の中に気持ちのよい時間をたくさん持っている人とのこと。
・・よしわかった!やってみるか(^_^;)・・なんてね。

ただ、この本に書かれている、仕事上で納得のいかないことについては、「ケンカ」するといいということも書かれていました。

でも、私は男の仕事の世界しかよくわからないのですが、私の生きてきた仕事の世界では、男というものは、戦国時代は相手を殺して、自分の目指すところに向けて生き抜いていったわけですが、今でも仕事上で人を殺していくのが多くの男達だと思います。

私は、「戦国武将なんて人殺し」はどいつもこいつも大嫌いなのですが、男は皆、好きな人が多いです。そして仕事の上で次々に殺したり、殺しはしないが、“生かさず殺さず”のような状態にすることがあると思います。
・・もう、そんな世界にいるのは、ほとほといやになりました。

私も若い頃、すぐに殺されましたし、その後は現在に至るまで「屍」として過してきました。
生き返りそうになると、すかさず槍で突き刺されました。
このことについては、後日、またこのブログに書こうと思っています。

というわけで、自分にとっての“いいとこ取り”のみをして読了しました。

いい歳になると、そんな読み方も出来ます。

 

2021/03/08

「兎が笑ってる/伊集院静」を読んだ。

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『兎が笑ってる/伊集院静著(文春文庫)』を読みました。
1994年8月~1995年8月に週刊文春「二日酔い主義」に連載されたものの単行本化を経て、文庫本になったものです。
またもやブックオフにて購入。二十数年前の伊集院さんの本です。

兎に角、飲んでいる。酔っている。どこで飲んだか忘れている。
ひどいときには、公園のベンチで翌朝目覚めている。
そして二日酔いになっている。
また、旅に出る目的はほとんどが競輪・競馬などのギャンブルをするため。
また、麻雀はすでに日常生活の一部になっている。
その合間に、文を書く・・(^^;)。

なのに、伊集院さんの周囲の友や、鮨屋の大将、バーのママ、ギャンブル仲間達に対する観察眼というか、人生の観察文のような書きぶりは“滋味”に富んでいる。
そういう人々の中に生きている自分への達観ぶりも凄くて、でも時にはいろいろ慌てたりするところもお茶目だ。

このブログにも書きましたが、私、今年の1月に三週間ほど入院しました。
退院後一月半経ちましたが、現在も体力・体調が戻らず、静養しております。

入院時、家を出る間際に何か本を持って行こうと、本棚から掴んだのが伊集院さんの本、数冊でした。
なぜ選んだのだろうと、あとで思いましたが、たぶん伊集院さんの人生に対する接し方、生き死に対する対峙の仕方が自然体で、病床で読んだとしても胸騒ぎを起こしたり、妙な気持ちにならないんじゃないかということだったのだと・・。

この本の頃の伊集院さんは、かなりな“無頼”ですが、でも現在の伊集院さんの本を読んで感じることは同様に書かれていました。
私にはほど遠いと思われる感覚と生き方にあふれていますが、でもなぜか勇気づけられるのです。
そんな本でした。

 

2021/03/01

体調のこと

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いろいろと本の読後感や世間で起こっていることなどについて、このブログに書いておりますが、実生活では、昨年12月末に体調をくずし、1月頭から末までの入院。
退院後も現在まで静養というか、療養の日々を過しています。

体調についてはこのブログに書くことがありませんでした。
退院してきたときが、健康な時を「10」とすると、「1」くらいの状態でした。
そして、現在までの療養を経て、今の数値はどのくらいかというと「3」程度でしょうか。

想定していたのはもうちょっと良くて「5」くらいまで行けばと思っていたのですが、なかなか思うようにはいきません。

一昨年も職場が変わってすぐに体調をくずし、大量出血の末、入院。
今回も入院となってしまい、もう身体のことを第一にすることにしました。

こんな生活をするのは初めてですが、神様から「休め」と言われていると思って静養に努めています。

頭と指は普通に動いていますので(^_^;)ブログにいろいろ書くことを励みにして、日々生活しています。
そんな中でまた発見することもあるかもしれないし、発見したことがあったらここにまた書いてみます。

今、やっと晴れ間が見えてきました。
紅茶でも淹れて、本など読みながらゆっくりします。

 

2021/02/10

向田邦子さんの「父の詫び状」をあらためて読んでみた。

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『父の詫び状/向田邦子著(文春文庫)』をブックオフで購入し、読みました。

向田さんのエッセイ、著作については何冊か読んでいますし、この「父の詫び状」に収められているエッセイの一部も「ベストエッセイ集」などで既に読んでおりましたが、でも「父の詫び状」については一冊まるごと読んでみたいと思い、全部読んでみました。

向田さんの幼い頃から、就職してテレビドラマの脚本を書くようになるまでの間に経験した様々なことが人間関係、当時の家の中の様子、世間の状況など実に細かい部分まで描写されているし、人間というものの心の中にはこんなつまらないことにこだわる部分があるのか、など絶妙な部分が描かれています。

これにはただ脱帽。
私もリアルタイムで見た向田さん脚本によるテレビ・ドラマ「寺内貫太郎一家」の、あの家族とその周囲にいる人の人間関係から巻き起こるドラマチックな展開と、どこの家にでもある頑固親父とそれに翻弄される家族の様子など、書こうと思っても(書こうという当時の発想もなかなかすごいことだ)誰にも書くことができないものだと思います。

そして、ただ愉快な思い出だけでなく、不思議と暗い部分を感じさせるエピソードも多く、それがなんだか我が事のように心に沁みてくるのです。
これがまた向田さんの文の魅力なのだと思います。

巻末の沢木耕太郎さんの解説で紹介されている雑誌の連載時評「笑わぬでもなし」の中で故・山本夏彦氏が書いた『向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である』という一文がありました。
これは、私も当時「笑わぬでもなし」の単行本でリアルタイムに読みました。
そうか、山本夏彦氏にして向田さんの文は“名人”と呼ばせるくらいのものなか、と強く印象に残りました。

そんな向田さんの「父の詫び状」は、やはり名著でした。
ものすごく「力」を感じるもので、読後も心の中に残ったものが、ずっと引っかかって消えない・・可笑しいような、哀しいような、懐かしいような、恥ずかしいような、そんな気持ちが消えないのです。

向田さんについては、エッセイ以外に、様々なものが残されていて、妻もファンなので、妻所有の向田さんの陶器コレクションの写真集や、その他の残されている文献についても今後触れてみたいと、あらためて思いました。

 

2021/01/30

体調をくずしておりました。

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久しぶりにこのブログをアップします。

実は、昨年末に倒れました。
その後は床に伏しておりましたが、結局年始にかけて病院に何度も行き、この月末まで療養することになってしまいました。

今、やっとキーボードを打てるくらいにまで回復しましたが、まだ日常生活にも支障を来している状態で、家族に面倒を見てもらいながらの日々を過している状況です。

医師からは、「あとは毎日良くなっていくはずですが、自分の“気持ち”の持ち方が大事です。元に戻ろうという気力と、自分の現状の体力と相談しながら復帰目指して頑張って!」という言葉をもらい、今に至っています。

私が倒れてからの家族の頑張りに感謝し、今はただ、回復目指して気持ちを前向きにして生活を始めたところです。

というわけで、ブログも復活させてみました。
同時に Facebook にもこれがアップされますので、今まで約一ヶ月、まったく何もネット上に投稿、掲載されなかったことの理由のご説明に代えさせていただきます。

今後は、ある程度以前のようにいろいろアップしていこうと思っています。
それがまた回復へのエネルギーになると思いますので。

 

2020/08/10

NHK 「SWITCH インタビュー」で望海風斗さんと浅田真央さんの話を聞いた。

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ヅカ友から連絡をいただき、表題の番組放映があることを知り、録画して翌日見てみました。

宝塚歌劇・雪組トップスターの望海風斗(のぞみ・ふうと)さんと、フィギュアスケートの浅田真央さんが互いの活躍の場を訪ね、交互にインタビューするという番組でした。

浅田さんが東京宝塚劇場を訪ね、望海さんにインタビューした後に、今度は望海さんが浅田さんのアイスショーを訪ねるはずだったのですが、新型コロナウイルス感染拡大により、浅田さんが練習するスケートリンクを訪ねることになりました。

浅田さんが、最初に東京宝塚劇場を訪ね、観劇後に劇場内やステージなどを案内された後、望海さんにインタビューしたのですが、そのときの浅田さんは、あのオリンピックや、競技会での厳しい表情はまったく無く、普通の可愛い女の子のようでした。

浅田さんは、望海さん率いる雪組75名のチームワークと、望海さんがトップとしてどのように組を引っ張っているのかに興味を示していました。

浅田さんはコロナ過が無ければアイスショーのツアーを自ら率いて行うことになっていたので、今までの個人競技と異なる団体での行動がきっと頭にあったのでしょう、真剣に聞いていました。
そのときも、表情はとても優しく、普通に宝塚を見てよろこんでいる女性という感じでした。

そして、望海さんが今度は浅田さんを訪ね、浅田さんの数々の逆境とそこから立ち直っていく姿がとても参考になったという話に。
浅田さん、最後のオリンピックの前半ショートの演技で16位という大逆境から、あのファイナルでの全てを出し切った演技は私も涙ながらに見ました。考えられない集中力と精神力でした。

ビデオを見ながらそのときを振り返っていましたが(浅田さんはこわくて見たことがないと言っていた)、演技開始直前に「真央ちゃん頑張れ~」という大きな声が聞こえ、浅田さんはそこで「私は一人じゃない」とスイッチが入ったとのこと。

そして最初のトリプルアクセルが成功したときの歓声が聞こえ、さらにスイッチが入り、次々と技を決めるたびに大歓声、「パズルが次々と埋まっていくようにスイッチが入った」とおっしゃっていました。

オリンピックは最高の場所だけど、とても残酷なところでもあると浅田さんはおっしゃっていましたが、たった一人の掛け声であの絶望の淵から立ち直った浅田さん、すごい人間力だと思いました。

そして、歌、演技共に卓越したトップスターである望海さんは、ほんとうに謙虚な姿勢でいつも舞台に取り組んでおられます。
雪組全体にもそれが伝わっているのでしょう。不安になったときに後ろを振り返ると、組の皆が「大丈夫ですよ」と支えてくれていると感じるという話にも、望海さん率いる雪組らしいと思いました。

望海さんも、浅田さんも、この大変な時期に耐えて、頑張って、辛い思いをされていることと思いますが、きっとお二人が観客の前で輝かしい演技を見せてくれる日がやって来ると思います。
それまで、私たちも耐えて、頑張って、その日を待ちましょう。
心を強くして生きて行くしかない。

 

2020/07/05

「気の毒な人」の続き・・“馬鹿者っ”て怒る人

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6月30日の、このブログで「気の毒な人」というタイトルで、窓口で威張り、人を罵倒する人のお話を書きましたが、きょうはその続き。

そんな気の毒な人に多いパターンのひとつ。

ロビーに入ってきて、いきなり

「馬鹿者っ!なぜこんなに混んでいる!!」って怒鳴ります。

「もうしわけありません」・・(※心の中の言葉・・「あんたが来たからじゃない?」)

「駐車場に入ったら私のクルマを駐める場所がないっ!どういうことだ!!」

「もうしわけありません」・・(※心の中の言葉・・「あんたがクルマで来たからじゃない?」)

月曜日の午前中、パニックになるくらい毎週“めちゃ混み”するし、問い合わせがあれば、その時間帯は避けた方がよろしいと思います、とアナウンスしているし、ネットでも混雑情報は流されている。
・・が、そういう人は一番混んでいるときに必ずやって来るのです。
自分が行った時には空いていて、皆が平身低頭して受け付けするのだ、という確信があるらしい・・だから、その妄想が崩れた時の怒りは凄いみたい(^_^;)

駐車場には無限のスペースがあると信じているらしいが、このご時世そんな駐車場を完備するのは逆に「無駄」のひと言だと思う。

皆が譲り合えばほとんど何の問題もないし、少し待てばすぐ空くのです。

それに身体のためには、2キロメートル以内くらいだったら歩いて来た方がよいと思いますよ。
健康保険の負担も全体的に減ることに貢献するでしょう。

なぜ、日々「怒り」を前面に出して暮らしているのでしょう。
きっと、そんなだから、もう誰にも相手にされていないんでしょう?

怒りを露わにできるのは、お店や銀行、公的機関の窓口など、どんな人でも笑顔で迎えてくれる窓口しかないのだと思います。
だったら、そんな貴重な場所、あなたも笑顔で行ったら幸せなひとときが過ごせると思いますよ。
帰宅しても、そんなふうにすれば、一日いい気分になれるのに。

まぁ、言っても無駄だからこんなことになっているわけで、・・一生やっててください。


【Now Playing】 This Guys in Love with You / David Gibson ( Jazz )

 

2020/06/30

気の毒な人

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スマートフォンに入れているアプリ、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」、『今日のダーリン』の中でみつけたフレーズ。

「会ったとたんに、なにか文句を言っている人もいる。そういうことをやめようよ、と思う。せめてじぶんはそういうふうでいたくないと思う。なぜなら、文句ばっかり言ってる人は気づいていないけれど、聞かされているほうの人は、気分がよくないからだ。」

現在の職場に行ってから出会うことの多い人たちです。
ほぼ毎日です。

何かこちらが話そうとすると、「いいわけを聞きに来たんじゃないっ!くちごたえするなっ!」・・ばかり・・で、ほんとうにヘコみます (・_・;

入り口から入って来た時からもう、「やってやろう」って感じがしていてすぐにそういう人だと気付きます。

私が思うに、たぶん仕事もずいぶん前にリタイアして、現役時代はかなりの役職に就いていたのでしょう。
数々の業績もあるのでしょうが、それはあの高度経済成長期や、バブル期など、「いいからやれっ!」って言って、そんな時代だから部下は、家族、休日など全てを犠牲にして“無理が通れば道理が引っ込む”という“理不尽を飲み込み”、“わがまま上司”のために身を粉にしてやってあげたにもかかわらず、その“わがまま上司”は“自分のおかげ”と思い込んで過し、やがて退職したのだと思います。

それがそのまま老後期に突入し、そんな人だから家族も顧みずに仕事をしてきた(したつもりで人にやらせていた)ので、もう家人は誰もこの「爺/じじい」の言うことなんか聞きやしません(^_^;)

でもって、ご近所の人もそんなジジイを相手にしません。だって威張ってばかりで面倒くさいもの。

町内会や様々な集まりでも誰も関わり合いになってくれません。だって威張ってばかりなんだもん。

ひどい症状の人などは、「〇〇株式会社 元〇〇部長」なんて名刺を作って手渡したりする( ̄O ̄;)・・それがどうした・・。

もう、お店や銀行、公的機関の窓口にいる何でも聞いてくれる人くらいにしか威張ることが出来なくなっている状況なのに、それに気づかない・・(気付けよっ!)・・気の毒な人。

大声で怒鳴る前に、自分が様々な迷惑を掛け、お世話になってきた部下だった人や、あんたがこんなにロクでもない人なのに気に掛けてくれた人に感謝の言葉をどう掛けたらいいか考えた方がいいと思いますよ。

現在の職場に就いて、日々やって来る、あまりに多い「気の毒な人」に気付いて、書いてみました。

 

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