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2018/07/16

映画「終わった人」を見てきました。

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映画『終わった人/2018年・日本 監督:中田秀夫 出演:舘 ひろし、黒木 瞳、広末涼子、臼田あさ美、今井 翼 原作:内館牧子「終わった人」(講談社刊)』を見てきました。

公開前に、この映画に出演している黒木瞳さんの早朝のラジオ番組で、黒木さんが、同じく出演している舘ひろしさん、広末涼子さんを呼んでインタビューしていたのを聞いて、気になっていたのです。

で、ちょっと時間が出来たので見てきました。


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タイトルの「終わった人」というのは、主演の舘ひろしさん演ずる主人公が退職を迎え、ようするにサラリーマン生活が“終わった”人という意です。
高校時代はラグビー部のキャプテンで、東大に進学し、一流銀行に就職したが、出世争いには敗れ、出向先の会社で退職を迎えた舘さん。
インタビューでもおっしゃられていましたが、わざと胴回りに肉布団のようなものを入れ、太り気味で気力の失せた様子を演じられていました。
・・私も自分のことを考え、ちょっと胸の中に暗雲が垂れ込めました。

舘さんの奥さん役である黒木さんは、美容院に勤め、コツコツとお金も貯め、自分の店を持とうというところまできている。つまり、夫がリタイアする時期には自分の方向性をすでに見出している状況です。


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その後の舘さんは、無気力の状態から大学院に行こうと決心し、そのためにカルチャーセンターに通う。
そこで受付をやっている文学好きな広末涼子さんと知り合う、・・そして「恋」のようなものをしてしまう。

なもんで、ジムで体を鍛えはじめ、広末さんと食事をしようとしたり、ジムで知り合ったIT企業の社長から会社の顧問に迎えられ、仕事を再開したり、そしてその社長が急死し、なんていう巡り合わせか社長になってしまい・・その後は大変な展開に・・。

監督の意図とは異なるのかもしれませんが、私は“仕事に生きること”しか人生に無い人の悲哀を感じました。
舘さんが頑張ろうとすればするほど、奥さんの黒木さんは呆れる。
そして、舘さんは空回りする。
それは仕事をすることで、自分を確立するというタイプの人には、「何故仕事をするのか」「自分にとって仕事の中にある意味は何?」という感覚が抜けているんじゃないか、と思ったのです。・・たぶん監督の意図するところはもっと角度が違うんだろうと思うけど。


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ラストが近づくにつれ、舘さん、黒木さん夫婦の人生模様がしみじみと浮き上がるように見えてきます。とどめは、二人の長女を演じた臼田あさ美さんの別れをすすめる叫ぶような言葉でした。

そして二人が選んだ道は・・。
映画を見てね(*^_^*)

見ているうちに舘さん、そして舘さん夫婦を自分の今の状況になぞらえることしばし、でした。
哀しくなったり、心の中にざわざわとするものを何度も感じたりしました。

形としては「コメディ映画」なんでしょうけれど、でも残るものは深く大きいものでした。
舘さんと黒木さんという人生の、そして役者としての“荒波”を乗り越えてきた二人が演じたからこそのものだったかもしれません。

まだ上映されていますので、定年間近、あるいは、今、仕事人生の岐路に立っているような人、または夫婦間で何らかの問題を抱えている人に見てもらいたいと思った映画でした。


【Now Playing】 須田慎一郎のニュースアウトサイダー / 猪瀬直樹、蜷川有紀 ( Podcast )

2018/07/13

バス亭の変化にしみじみとした

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写真は、今朝、職場の飲み会があるためにバスで出掛けたときに撮った、家に一番近いバス亭の様子です。

うしろには新しい家も建ち、そんなに田舎には見えないでしょう?
でも、私の家の近辺はここ数年でどんどん家が建ち、だいぶ様子が変わってきました。


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6年前に3年続いた東京勤務から千葉の職場に戻りましたが、当時の同じバス亭の様子はこんなです( ̄O ̄;)
特に朝5時に起きて、6時前にはこのバス亭でバスを待っていましたので、寒いときは厳しかったし、暗かったし、寂しかった。

仕事としての飲み会も多く、当時は終電の特急で帰宅し、このバス亭に降り立ったときの泣きたいような気持ちは、きっと誰にもわからない。


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そして、この写真の畑道を街灯も無いのに懐中電灯を持って家まで歩いたのでした。
誰かが、しゃがんで潜んでいるんじゃないかと、とても怖かったのです。真っ暗だった。

そんなことを今朝、ふと思い出したのでした。

でも、東京でいろいろな人に出会い、いまだ交流のある人がたくさんいます。
あの時出会った人達は私の「宝」です。

なぜ私が東京勤務に選ばれたのかは今だ謎ですが、でも比較的幸せな毎日を過している現在、様々なことを思い起こしては、夢のような時間だったとあらためて感じているのです。


【Now Playing】 Bluesnik / Jackie Mclean With Junko Onoshi ( Jazz )

2018/07/05

ふつうにうまい・・か

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最近よく感じるのは、自分が歳を取った証拠なのか、若い人と話したり、付き合ったりしたときにけっこう“ギャップ”を感じるのです。

卑近な例で言えば、今回のワールド・カップで注目を浴びた「ハンパない」。
「半端なことではない」などと自分では言ってきたが、“ハンパない”は、もう当たり前のように世間では使われている。・・自分はまだ使えない・・どうしても。
いいオトナが使う言葉じゃないと、まだ思っているんですよ。

何年か前に若い部下を現場回りのお昼時に、“とっておきの洋食屋”さんに連れて行った。
ここはランチでも何でもどんなメニューでも“ウマい”店だったが、食べているときに「どう?」と聞いたら、「ふつうにウマいっすね」と言ってた。
そのときにはウマいのか、マズいのか、どうにもこうにも普通の味なのか、まったく判断できなかった。
子供に聞いてみたら「美味しい」と捉えてよい!(^_^;)とのことでした。ああそうかい。

「落語を聞いてるんですってね」と、上記と同じ部下に聞かれた。
「うん、聞いてるよ、今度行ってみるかい?二人会があって、演目もわかっていて〇〇を噺すらしいよ」と誘ったら、「その話なら知っているので、聞いても意味がないので、行かないです」と言われた。
落語はそれぞれ演目のストーリーを知りに行くのではない。誰もがほとんど知っている話だが、誰が噺し、どんなふうに演じるのか、またその場の客との間合いでどう変化するか、などなど、「生」の高座の面白さを味わうものだが、そんなこと関係ないのでしょう。
“落語好き”としては小学生レベル以下と言わねばならないが、そんなこと言うのも面倒くさいので放っておきました。

最近、クルマで走っていてよくあることなのですが、細い脇道から若い人が本線に入ろうとしてクルマの窓から本線を走るこちらを見ている。
・・目が合う・・当然間に合わないから私のクルマをやり過ごしてから入るのだろうと思っていると、「目が合ったからには大丈夫!」とばかりに、強引に本線に入ってくる。
あわてて急ブレーキを踏んでなんとか事故から逃れたが、九死に一生を得るようなことにここ二週間で二回遭遇した。
自分のことしか、自分のためなら周りが無理してくれると信じている、“超最近人種”だ。

仕事では、メールでのやり取りで、若い人の文面には主語がなく、しかも時系列が滅茶苦茶、さらにひと言聞いては、ひと言返し、その繰り返しを延々続けようとするから話が一歩も先に進まない。

「ここで言っている〇〇は△△の意で、“何月何日何時”から“どこそこで”“これこれこういう内容”について決定するため、会議を開きたいということですね」と全てをまとめて一回のメールで送ってみると「そうです」・・と返ってくる(^^;)そのひとことだけだけどね。

あらかじめこちらが質問してくるであろうことも想定さえせず、ひとつ質問する度に「なるほどですね、さっそく調べて回答します」とメールをくれるが、その返事もいつの間にか忘れている。
私よりも超優秀な頭脳の持ち主であることは間違いない人達だが、どこかネジが緩んでいるというか抜けている。

仕事の会話の中でも、ちょっとだけ思わず笑顔になってしまうようなひと言を入れると、茫然として“固まる”。
そんなこと言われたことがないのだ。潤いのない生活と仕事をしているんだな、と思う瞬間です。

まだまだ“枚挙に暇がない”というのがほんとうのところですが、きょうはここいらでやめときます(*^_^*)・・ジジイ死ね・・と言われるので。
んじゃね。


【Now Playing】 Sesami Street / 中村たかし ( ウクレレ )

2018/07/01

「一流の人間学」を読んだ

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『[品性ある人間関係を築く101項]一流の人間学/山﨑武也著(PHP文庫)』という本を読みました。またまたブックオフで108円d(^_^o)

パラパラとめくってみて“いいこと書いてある”と思い、手を伸ばしました。

1992年に刊行された本ということで古い本ですが、でも書かれていることは、ごくまっとうなことで、私には参考になりました。日々、生きて行く上で、仕事上でも心がけなければならないことがいっぱい書かれているのです。

中身について詳しく書いてしまうと、“ネタバレ”に過ぎるので、101ある項目のタイトルだけでも挙げてみると・・。


外見や地位で判断しない

人は長所を見て付き合う

自慢するのは未熟な証拠

怒りは明日まで温存する

悪口を言うなら本人の前で

嫌な奴とのつき合いは人生修行

隠れて叱り人前でほめる

悪いニュースは早く伝える

時間に遅れるのは強盗と同じ

脅しは最低のテクニック

人を追い詰めない


などなど、内容を読んでいくと、どんどん深い話になり、私としては自分がまだまだまったく出来ていない人間だということを痛感するのでした。
そして、“謙虚”にならなければと、自分を戒めました。

「古い人間なんかに言われたくない」というような人もたくさんいるけれど、でも、古くから言われていることには大切なことが含まれている・・そんな本でした。


【Now Playing】 Cocuette / Paul McCartney ( Rock )

2018/06/30

Tea Time

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ブログの更新がいつもみたいに頻繁でなくなりましたが、特に何か大きなことがあったわけではありません。
ただちょっと“ぼーっ”とする時間が帰宅してから多くなり、気づくと夜になっていて寝てしまうため(^_^;)更新できなくなっていただけです。

で、表題のように“Tea Time”に少し考えていたことを書きたいと思います。

ついこのあいだ、メンタルヘルスで悩んでいるのであろう後輩から相談がありました。
職場もずっと離れていたし、会わなくなり、話をする機会もなく、たぶんそんな状態から10年以上経ったような状態です。

でも、ものすごく久しぶりなのに、私にメールで今の自分の状態に悩んでいること(たぶん文面からそれはメンタルの問題があると察することができた)、今後の仕事のことや、何かアドバイスみたいなものをもらえないだろうか、というような内容でした。

現在の状況説明もほとんど書かれていなかったので、実際に会って話をしようということになりましたが、でも、悩んでいることはたぶんこんなことじゃないかと感じたので、私が同様のことで悩んでいた時期がずいぶんあったので、私の場合は、ということで少しだけ返信メールにアドバイスというには差し出がましいかと思いましたが、書いたことがあります。

私の現在の立場で言うのは問題があるかもしれませんが、「仕事は二の次、三の次だ」ということ。「昇進なんてそれこそ四の次だ」ということも。
自分の生き方を大切に、それを一番の中心にもってくるのだということ。

私のような仕事の面でも“イケてない”、人柄でも“いまいち”、頼りがいも“もうひとつ”の人間にわざわざ相談してくれたのですから、そんな私なりの考え方を書きました。
正直に自分の考えを伝えることが大事だと思ったのです。

メールの返信には、「メールを読んだだけで少し元気が出て来た、会って話したい」とありました。なんとか力になりたい。

それから、ひょっとするとこんなことも必要かもということが私の頭の中をよぎりました。

「俺にまかせろ」とか「俺の言うことを聞いていれば大丈夫」、「俺の集まりに来ない?」などという人の話をまともに聞くな、ということです。
私の経験上、こういう人が一番事態を悪化させます。
さんざんこき使って、あとは“知らん振り”です、こういう人。

会ってお話できたときに必要であればこの話もしようかと・・。

たった一度の人生、自分らしく生きるのが一番。で、それを支えてくれる家族がいればそれが一番。
言いたいことはそれだけなんですけどね。


【Now Playing】 Milestones / Miles Davis ( Jazz )

2018/06/26

宮下奈都さんの「遠くの声に耳を澄ませて」を読んだ

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『遠くの声に耳を澄ませて/宮下奈都著(新潮文庫)』を読みました。

宮下さんの小説を読んだのは初めてでした。
幾編かの短編によるものなのですが、登場人物はそれぞれの短編に“かぶって”いて、それが絶妙の効果を発揮しています。人生が何か織り込まれてつくられているのだ・・っていう感じ。

それぞれの話は、私達が日常に感じている“些細な”ことを取り上げているのですが、でもね、それらが重なって私達の人生が構成されているわけですよね。
私自身が夢で見たような、ほんのちょっと軽く、でも忘れられないような出来事、他者からのひと言、など、いろいろなピースがはめ込まれて日常が出来上がり、やがてはそれが人生となっていく・・、そんな感じなのです、この短編小説集。

付き合っている男女、ふと、なぜこの人と一緒にいるのか、などと思うと、そこからまた自己の摩訶不思議で迷宮的な精神世界に迷い込んでしまったり、田舎のおじいちゃんとの幼い頃の思い出の断片が、おじいちゃんの具合が悪くなり見舞に行ったときに瞬時に蘇ってきて、当時おじいちゃんが語っていた謎の国の名前を思い出したりする話もありました。
そして、その国は実在し、おじいちゃんの想い出の「缶・かん」にその謎解きが仕舞われていた話など・・、ちょっとキュンとしたり、記憶の片隅から風が吹いてくるような話ばかりでした。

で、私も小さい頃に不思議だと思っていたことや、大人になってからの人とのつき合いの中で感じた、“妙な”心にささる棘のような出来事などをいくつか思い起こしてしまいました。

人生の中での特別な出来事や、生死にかかわる重大な話、などではなく、日常の中にある私達人間のちょっとしたわだかまりのようなものを描いて秀逸の作品でした。
読後の今も、何かざわざわと、そしてそよそよと何か心の中に風が吹いています。


【Now Playing】 Paul McCartney / Hello Goodbye ( Rock )

2018/05/22

「葬送の仕事師たち」を読んだ

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『葬送の仕事師たち/井上理津子著(新潮文庫)』という本を読みました。
これはフリーライターの著者が、自らの父母を相次いで失い、そのときに葬送の仕事をしている人に興味を持って、その後“葬送”という仕事の「表」と「裏」で働く人達にインタビューをしながら書いたノンフィクションです。

私も父母を数年前に続けて亡くし、今までで一番身近に葬儀と葬儀に関わる様々なことを体験しました。
そのときにこの本の著者や、この本に登場する葬送に関する仕事に就いている人達の経験にもあるのですが、人の死と、そして亡くなった直後から様々な人達が表側でも、裏側でも大変なことをしているのを感じました。

亡くなった直後の葬儀屋さんとのやり取り。遺体への処置、運搬、納棺師が現われたり、自宅で通夜までの間遺体と暮らすことになった数日。
通夜、葬儀・・四十九日頃まで、ものすごい数の人々が一人の葬送のために足を運んだり、様々な作業、供養、その他数え切れないことをするのでした。

そのときの私には、葬送に関わる仕事をしている人達がとても気になりました。

亡くなった直後に現われ、静かに、そして淡々と今後の話をする葬儀社の担当の方。
あの冷静さと、家族への心配りは私のような“並みの人間”には到底できないものでした。
「この人にも家族があり、日々の暮らしがあるのだろうけど、この仕事と家庭での生活の区分けというか、心の切り替えなどはどうしているのだろう?」などと咄嗟に思ったりもしました。

この本に登場する葬儀社社員、納棺師、エンバーマー(日本ではまだあまりポピュラーではないが、血管から特殊な薬液を投入するなどして生前の本人そのままのような復元的なことをする技術者)、火葬場職員など、それぞれの人にそれぞれの思いがあり、亡くなった人、その遺族に対する心配り、そして自らの仕事への誇りを非常に強く感じました。

様々な葬送に関する仕事をする人の葬儀の際の遺族とのエピソードには何度も何度も泣いてしまいました。人の死と、その家族などに向き合うことは、人とはなんだろうという人生のテーマに等しいことなのだと、あらためて感じました。

この本に登場する葬送の仕事に就いている人たちの多くが、若い頃身近な人の死に接して、その別れ方に“悔いが残る”ようなことがあり、それを自分の手で亡くなった人にとってもその家族にとっても良いものにしてあげたい、そんな職業に就きたい、そんな職業はないのか?!とその仕事に就いています。

また、逆に仕方なくその仕事に就いたのだが、でも今ではその仕事を誇りに日々生きている人にもふれていて、いい本を手にすることができたと、感謝するような気持ちになりました。

「人の死」は、「人の生」の確認でもあり、まだまだじっくりと考えたいことだと思いました。


【Now Playing】 チェリー / 星羅 ( JPop )

2018/05/20

本は紙で読みたいし、街に見つけに出掛けたい

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このブログでは自分が読んだ本は、ほとんど感想を書き、紹介しています。
だいたい年間70~80冊は読んでいると思う。

で、それだけの本の紹介を載せていると、いろいろと言ってくる人もいます。
ずいぶんと本を読んでいるのに、ブログを見ていると、古本屋やブックオフ、町の書店などに立ち寄っているようだが、“ムダ”なんじゃないの?!
アマゾンがあるじゃないのっ!・・って。

私だって、長いこと探している本で、アマゾンで見つけることができたら買っていますよ。
でもね、本屋などに出掛けていって“出会う”本が大事なんだよ、わかるかね。

神田などの古書店で見つけるものには、まったく新たな世界の発見があったり、こんな本が過去に出ていたのか、と驚くこともあります。
人生のうちでこういう出会いを“ふい”にすることは、私の考えだけど、まことにもって“もったいない”!!

それに、地方の「町の本屋さん」に行くと、その店ならではの“品揃え”に唸ることがあります。
去年、鎌倉に行ったときに、駅前の本屋さんに寄ってみたが、「う~ん、すごいっ」って、立ちすくんだことを思い出します。
普通の町の本屋さんで、私が今まで見たこともない、読みたい本のオン・ステージだった。
所持金のこともあって数冊しか買えなかったが、うれしさが止らなかった。

それから、わざわざ本を手に入れて読んでいるけど、「電子書籍」ってのがあるでしょ!こっちの方が断然持ち運びに便利、いつでも読めるし、便利だよ!って言われることも多々あります。

それもちがうんだよなぁ(*^。^*)

私だって iPad に何冊かの本を入れていますよ。いますが、まあそれを使って読むことは・・ほとんど無いね。旅に出るときくらいか。

紙の本をめくるってことは「経験」なんだよね。
「ああ、あと少しで終わっちゃう」なんて思うこともあるけど、それは紙ならではの感覚です。
そして手にとってその重みや、頁を繰るときの感触、装丁の素晴らしさを感じる時、手に持ったまま自分の椅子にゆったりと座って外の風を感じながら読み、そして居眠りをする・・そんなことも“紙”ならではのことです。

きょうのお昼、NHKのFM放送で、書店で本を売ることについてのトーク番組(再放送だった)を聞きながらそんなことを思ったのです。

出演していた中江有里さんも、私と同様なことをおっしゃっていた。
だから、本はほとんど“紙”で読むし、街に出て本と出会うことはやめられないのですよね・・そういうことなんです(*^_^*)わかってね、“デジタルっぽい人”たち。


【Now Playing】 名物カツオの刺身 / 太田和彦 ( YouTube )

2018/05/19

きょうは完全休養にした

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きょうは、本当はかかりつけの漢方のお医者さんに定期的に行く日だったのですが、延期して来週に延ばし、一日ゆっくりと休むことにしました。


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朝食をとってからふらりと床屋へ。
床屋の兄ちゃんは妻と同年代ですが、クルマやネットの話、その他日々の出来事などでなぜか話が合います(゚ー゚*)。oO
よく話をしてきました。


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そのあとは帰り道、ちょっと古本をチラチラと見るだけで帰宅。

妻と長女は体のメンテナンスで特殊な治療をしているところに出掛け、そのまま妻の実家へ。

長男も出掛けました。


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私はひとり昼食を家でとり、そのあとは肌寒いくらいの風が吹き渡る庭をながめつつ、小さなスピーカーで様々なジャンルの音楽をシャッフルして居眠りしつつゆっくりと過しました。
写真はその庭です。


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ときどき今読み途中の本のページをめくって、感動する話にほろっと涙を流してしまいました。


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先週も仕事の関係である人のために必死に、その人のためを思い、あちこちにお話をして説得したり、納得してもらったり、その人の今後によかれと全力で動きました。
でも・・当のご本人には理解されていないみたい・・。ひょっとして少し恨まれているような様子もうかがわれ、心の中はとても苦しい。
だから、心身ともに疲れて、きょうの医者に行くこともやめてしまいました。

できるだけ何もせずに平静を保とうと思ったのです。
少しだけ、回復したかもしれません。

明日は、また起きてみてどうするか決めようと思います。
というわけで、おやすみなさい。
皆さんの明日もいい日でありますように。


【Now Playing】 ラジオ深夜便 / 早見優他 ( NHK-AMラジオ )

2018/05/17

先生はいつまでも先生

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このブログに度々登場する私の中学時代の担任で美術の先生。
実際に中学時代にはそんなに仲良くしていたわけではありませんでした。
中学を卒業して翌年、先生宅に友だちと泊まりがけで出掛けて、銚子電鉄に乗ったり、焼き物を体験させてもらってからは30代後半まで音信不通でした。

30代後半になったある日、中学時代に先生からもらった暑中見舞や、年賀状を発見!そこに描かれていた絵にあらためて「これはすごい作品なんじゃないのか?!」と驚き、先生にそれらを写真に撮って手紙で送ってみたのです。

先生も若かりし頃の自分の絵を見て「ショックを受けた」とおっしゃっていましたが、「展覧会をやっているから見に来い」と手紙をいただき、20年近くぶりの再開をしました。

先生は変わっておらず、むしろその絵画や作品に対する感覚は若々しいくらいに新鮮なものを持っていらして私を驚かせました。

ちょうどその頃ジャズにも目覚めた私に、「ジャズが好きか、それはいい」と先生も好きな音楽はジャズだと言ってくれて、その直後、驚きの展開に。

先生が匝瑳市の松山庭園美術館のアトリエで、先生の作品を展示しつつ、ジャズの生演奏を行うという企画をされ、私が行ってみると、そこには、ジャズの巨人(※偉人と言った方が適当か)「エルビン・ジョーンズ」や、デルフィーヨ・マルサリス他、ニューヨークのそうそうたるジャズ・ミュージシャンが登場し、演奏を始めたのでした。夢を見ているみたいだった。

千葉の田舎の田んぼの中の美術館で世界一流のミュージシャンが先生のために訪れ、ライブを行っている・・。

もうそれからは先生とはずっとずっとのお付き合いになり、今に至っています。

このあいだも、絵画ではなく、造形の展示を今までとは全く異なる人達とギャラリーで行い、大盛況でした。若い作家の人にもまったく対等にくったくなくコラボする先生に感服したのでした。

ギャラリーでお話していると、そこの近所に革細工をしている日本家屋があるが、ツタがからまってなかなかいいぞ、一緒に行こうと私と他の若い作家を連れ出し、そこで私が撮った写真がこのセピア色の写真です。写っているのは先生です。

とっさの判断で私はセピア・モードでこの写真を撮ったのですが、あとで先生に郵送すると、すかさず電話が!

「この写真はいいっ!」何か自分の紹介をするときなどに使わせてくれとのことで、快く応じました。どんな形で使ってくれるのか楽しみです。

私の大事な大事な担任の先生は、今でも私を担任してくれているみたいです。
ますます元気で多くの作品をつくり続けてほしいのです。

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