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2023/09/21

「逆境を乗り越える技術/佐藤優・石川知裕」を読みました。

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『逆境を乗り越える技術/佐藤優×石川知裕(ワニブックスPLUS新書)』を読みました。
古本で見つけましたが、十年近く前の本です。

著者というか、この本は佐藤優氏と石川知裕氏の対談形式で構成されているのですが、このお二人はともに過去、東京地検特捜部に逮捕され、有罪判決を受けた外交官と衆議院議員としてご存知かと思います。

佐藤氏の逮捕から判決までのことについてはご本人が書かれた本があります。
さらに石川氏については今回ご紹介しているこの本に当時の様子なども語られています。
その経緯については、あの当時の騒ぎから徐々に様々な事実が語られていますので、ここでは触れません。

私が気になったのは、タイトルにあるように「逆境を乗り越える」にはどうすればいいのか、という部分で、そこが読みたくて手に入れたのです。

佐藤氏も石川氏も、東京地検特捜部の目的の“本丸”は、お二方の上にいる鈴木宗男氏であり、小沢一郎氏でした。
“ハナ”から「国策捜査」として進められたものであり、有罪は動くことのないものとして二人は逮捕され、鈴木宗夫氏は逮捕されましたが、小沢一郎氏については当時の石川氏の状況を見た佐藤優氏から石川氏への経験に基づくアドバイス(取り調べ時の様子をIC録音して証拠として後に提出する)が生きて、石川氏の逮捕のみという結果になりました。

この本で、佐藤氏が何度も言っているのですが、最初から決められた結果は、個人対組織としての戦いになるので、覆ることはないというものでした。
自分として納得がいかない、そして事実は異なる、正義を貫きたい・・などと思っても決められた結果は動かないので覚悟して、一定のところで自分の今後について考え、捲土重来を期すなどとは考えず、目標をもっと下のところに置いて生きていくのがいいのだ、と書かれていました。

意外な展開でしたが、でもそれが現実であり、真実なんじゃないかと思いました。
私も仕事上で、あるいは職場の人間関係で、問題が発生した時に明らかに相手方に非があったとしても、それは相手が組織であれば、もう勝ち目はほぼ無いので、自分の身の振り方を考えておいた方が良いのです。
そういうことが書かれていました。

なんだがっかり・・と思うなかれ、仕事や人生ってそういうものだと、私もわかったのはつい最近ですが、そういうものでした、結果として。

生きてきて、特に仕事上で相手方に大きな「瑕疵」「非」があったうえで自分が責めを負い、逆境に立ったことが何度かありました。
結論としては、相手が組織であれば個人的に争って勝っても、結果的に組織が動き出してこちらが負けるという形になる・・のでした。

一度だけ、「死なばもろとも」という大反撃を行ったことがありましたが、双方“痛み分け”という結果がせいぜいでした。

そんなこんなを思い出しつつ読了。
人生の辛酸をしみじみと感じたのでした。

 

2023/06/29

永六輔さんの「老い方、六輔の。」という本を読みました。

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『老い方、六輔の。/永六輔 構成・矢崎泰久(飛鳥新社)』という本を読みました。
平成16年発行のこの本は、永さんとはあの「遠くへ行きたい」という有名なテレビ番組の時代から付き合いがあった「話の特集」編集長の矢崎泰久氏がインタビュー形式でまとめたものとなっています。

読んでみたら、けっこう内容は“濃い”ものでした。
永さんが幼かった頃に病弱で学校に行けず、病院で過ごしていた頃から始まり、その後の疎開先でのいじめを受けたことについて、様々な時代を経て、やがて奥さんを看取ったことから「死」を考えることになり、「死」についても多くの頁を割いて書かれています。

そして今度は自分が亡くなるまでをどう生きるか、どう死ぬか、までを永さんらしくどんどん語って行きます。

また、言葉についての発言も多く、言葉に込める思いが手紙・葉書となって毎日ラジオのリスナーや手紙をくれる人達への年間何万通にもなる「心の通い」となって投函している話も出てきます。

近年、手紙の配達は土日が休みとなり、その週に相手方に手紙が届くようにするには水曜日までに投函せねばならなくなりました。
手紙というものが郵便事業の一番たいせつなものなんじゃないか、と日頃思っていた私には、もう紙に書いた「言葉」はそんなに大事なものではなくなってしまったのだな、とがっかりしていた矢先に、上記の永さんの日々手紙を書くお話しを読んで、・・大事なことだったんだよな、としみじみ思うことになりました。

永さんと言えば旅の話も、もちろん書かれていました。
日本全国いろいろなところに行っていますが、家に帰るのは“旅の合間”だったらしく(^^;)奥さんにはたまに会うみたいなことだったらしいです・・ちょっと信じられませんが、旅先から奥さんには葉書を送っていたとのこと。
旅先か家か、どっちが生活の根拠かわかりません(^-^;

で、奥さんが亡くなられてからも、旅先から奥さんあてに葉書を出していたとのこと。
それを自分が帰宅したときに郵便受けから受け取るわけですが・・どんな気持ちなんだろう。

と、あれこれ書いてしまいましたが、最後には“かかりつけ医”の大事なこと、どういうふうにお医者さんと付き合うか、なども書かれていましたし、自分の具体的な最後についても淡々と書かれていました。

私にもいろいろと心に残る部分がありました。
永さんの本、まだまだストックがありますので、また読みましたら読後感を載せようと思っています。

 

2023/06/11

遠藤周作の古い講演の活字化「人生の踏絵」を読みました。

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『人生の踏絵/遠藤周作・講演(新潮社)』を読みました。
これもブックオフで見つけたのですが、1960年代から1970年代にかけて、作家の遠藤周作氏が自らの著書とキリスト教についての講演について活字化したものです。

発行が2017年になっていますので、近年、遠藤氏原作の「沈黙」がマーティン・スコセッシ監督で映画化された際に古い講演で「沈黙」などの作品について語っているものを長い年月は経ていますが、活字化したものと思われます。

遠藤周作さんについては、私は中学・高校時代に愉快な「狐狸庵シリーズ」などのエッセイをよく読みました。シリアスな文学としては、「沈黙」と「イエスの生涯」他数点を当時読んだきりです。

バラエティー番組に回答者として出演している時もユーモアあふれる人でしたが、この講演でも内容はシリアスなものながら、所々に(爆笑)と添え書きのあるようなユーモアも交えながらの講演であったことがわかります。

何度も遠藤さんは書かれていますが、キリスト教作家などと言われるが、「キリスト教はいいよ」だとか、本文の筋がキリスト教礼賛の結論に向けて動いていくようなそんな作品を書いているわけではないことと、作品「沈黙」の中で踏絵を踏んでしまう人物について書かれているように、大変な局面で踏絵を踏んでしまうような人、そのときの人間の心の中、葛藤や、その他去来するものについて・・それが自分が書いている作品の大きな部分を占めている、というようなことが講演で語られていたと私には読めました。

ようするに、キリストが、宗教が、なんらかの助けをしてくれるわけでなく、道の方向を示してくれるのでなく、その極限的な状態にするっと入り込んできて、自分というものを見つめるきっかけのようなものになる・・というようなものなんじゃないかと書かれていたと私には読めました。

そこで、ハッと思い出したのは、ジョン・レノンがビートルズを解散して出したソロ・アルバムの中の曲「GOD(神)」で、「神というものは、私たちが自らの“痛み”を感じるときの“物差し”のようなものだ」と歌っていることでした。

似ている感覚なんじゃないか、と思いました。

私たちが人生の中で様々な苦悩を抱え、傷つき、苦悶し、自らを見つめなおすときには何らかの指標のようなものがそこに存在していると、私も今までに何度か感じてきました。
それがこの講演で語られていたことの中にあったのではないか、というのが今回この本を読んでの一番の感想です。

ジョンもビートルズ時代を経て、ソロになり、自分のことを赤裸々に語る曲を作るにあたって、あのような歌詞が生み出されたのではないかと思いました。

いつも本を読むと、今まで霧がかかっていたようなことが少し見えてきたりします。
それが私の読書するときのモチベーションとなっているのです。

 

2023/06/09

すごいタイトル「妻がどんどん好きになる」を読んだ。

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『妻がどんどん好きになる/梶原しげる著(光文社)』という本をブックオフで見つけ、あまりの“衝撃”のタイトルに驚き、買っちゃいました^_^;

梶原さんは、私の認識ではラジオ局のアナウンサーであった頃の印象が強く、のちにテレビなどでも局の枠を越えて活躍をされ、やがてフリーになり、かなり忙しい日々を送られていたことがこの本を読んでわかりました。

そして上記のようにあちこちで引っ張りだこになった梶原さんは、仕事一筋の生活に突入してしまい、奥さんや子供たちを“ないがしろ”にしてしまった・・ということが書かれていました。

さらにマンションを買い替えたりして住居も移転することを繰り返したりもしたのですが、奥さんが黙っていることをいいことに“やりたい放題”だったとのこと。
よくある仕事ばかりが人生のほとんどを占めているような男になってしまったのでした。

そして、奥さんが大病を患い、一緒に病院に行くと先生から「あなたは一緒に暮らしていて、奥さんのこの状態に気づかなかったのですか。何をしていたんだ。」と叱られてハッとし、そこから今まで奥さんが自分をはじめ家族のためにどれだけ苦労してきたか、文句のひとつも言わず頑張ってきたか、いつも世間的なことに疎かった自分を支えてくれたのは奥さんだったと気づくのでした。・・読んでいて、「遅すぎる」と思いました、私(^_^;)

それからは、仕事も生活も変えて、奥さんとの時間を大事にする様子がいろいろなエピソードを含めてたくさん書かれていました。
手をつないで歩くなどしたこともなかった梶原さんは、今では病気で足元がおぼつかない奥さんをささえ、病院その他一緒に出掛けます。

新婚当時よりも、奥さんが好きだと思った・・と書かれていて、「そうか、それでこんなタイトルだったのか」と思いました。

我が家でも、梶原さんのところとは逆に私が倒れ、入院し、半年もかけてやっと普通の生活ができるようになり、その後は一進一退の状態が続き、今も良くなりはしましたが、時々体調を大きく崩すことがあります。

私は、仕事でIT部門に異動になったときに、一日中キーボードを打っていたら両手の皮膚がボロボロになってしまったことがありました。ずっとプラスチックに接触していたのが良くなかったとお医者さんから言われたのですが、その後も両手は治りはしたものの、時々ひどい状態になっていて、最近妻が、朝のひとときに手をクリームをつけてマッサージしてくれるようになりました。

おかげさまで、かなり状態は良くなったのですが、毎日妻が私の手を握っていることがとてもいいことなんだと気づきました。

梶原さんが日々奥さんと手をつないでいることで、夫婦間の大事なものを感じているように、私も似たようなことを感じているのです。

全国の仲のいい夫婦も、そうでない夫婦も、たまには手を握り合うことをおすすめいたします。きっと何かを感じると思います。

この本のタイトルを見たときに、梶原さん、大丈夫か?!と思ったけれど、大丈夫じゃなかったのは私だったのかもしれない。

 

2023/04/30

日仏共同制作の映画「アダマン号に乗って」を見てきました。

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映画『アダマン号に乗って(Sur L'Adamant)/2022年 フランス・日本 監督:ニコラ・フィリベール [ドキュメンタリー]』という映画を見てきました。
本年度のベルリン国際映画祭金熊賞<最高賞>を受賞した作品でした。

地味で良い映画はやはり大手のシネコンなどには掛からないのか、千葉劇場で見られるようになっていました。チケットを買ったらこの映画の鑑賞記念カードをいただきました。些細なことですがうれしいものです。

“まさか”の金熊賞受賞だったらしく、内容はパリのセーヌ川に浮かぶ船のデイケアセンターに毎日いろいろな人たちがやってきて、創造的な活動などを行う、その様子をドキュメンタリーとして捉えたものでした。大掛かりな仕掛けやストーリーはありません。

精神疾患のある人々を無料で迎え入れ、即興コンサートや、色とりどりの絵を描いたり、船内にカフェを開きお客さんのお気に入りのカップにコーヒーを淹れるなど、小さくてもいろいろな活動を通じて社会とつながりを持てるようにサポートしているのが「アダマン号」です。

 

 

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この映画を見ていると、監督が『アダマン号の日々』をやさしく、そっと見ていることがわかります。
映像に生き生きと残されたアダマン号での人々の表情、語らいがその人たちの心の底にある部分にふわっと触れているような感じを持ちました。

社会的マイノリティーとされる存在との共存、その価値、それらをまったくあたりまえのものとして、とてもやさしい眼差しで捉えている作品だと思いました。
現代社会を見つめるその視線は、私にもとても参考になりました。

まだ上映が開始されてから間もないので、気になられた方はご覧になられるとよいと思います。人としての自分の立ち位置が少し“修正”されたような気になるかもしれません。

 

2023/04/12

「夫婦公論/藤田宜永・小池真理子」を読みました。

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『夫婦公論/藤田宜永・小池真理子著(毎日新聞社)』という本を読みました。
ブックオフでまた見つけたのです。この本。
初出は1993年10月~95年3月の毎日新聞日曜版連載と記載されていました。

藤田宜永さん(作家)と、小池真理子さん(同じく作家)のご夫婦がリレー形式で自分達夫婦のことを書いたものです。
当時、ご夫婦は40代後半、軽井沢に移り住み、作家同士なので二人の生活はその家で密接しています。
そんな中、夫婦互いが互いをどんなふうに思っているのか、感じているのかを互いの文を読んで「ふざけんな」状態でリレーしているのでした(^^;)

私にはよそのご夫婦がどんなふうにして仲良くしているのか、喧嘩しているのか、お出かけしているのか、留守番しているのか、などなど知る由もないのですが、この本でのお二人は遠慮会釈無く(^_^;)お互いを“ののしり”つつ、“褒め殺し”しつつ様々なテーマで夫婦の「有り様」を書いていました。

スポーツ観戦や、車の運転、買い物、献立、節約と浪費などという、いかにも夫婦で“揉め”そうなテーマについても書かれています。
作家だろうが、サラリーマン夫婦だろうが、基本的には男と女が一緒に住んで夫婦をやっていると揉める様子は変わらない(^-^;ようです。
なんか、すこし安心しました。

本自体が古かったので、調べてみたら夫の藤田さんは2020年に亡くなられていました。
なんだかんだ言いながら結局互いを認め、仲はいいんだこの夫婦、と読後に思っていたのですが、ちょっと寂しい気持ちになってしまいました。

夫婦というものは、傍から見ていると仲が悪そうな二人が意外と仲が良かったりするもので、その実態は如何なるものかはわかりません。私ども夫婦がよそ様からどう見えているのかわかりませんが、まあ“中の上”くらいの仲の良さ具合なのかもしれません。

夫婦生活の「50」の難関について“夫婦リレー”で書かれた本、あなた方夫婦も読んでみた方がいいと思いますよ。

 

2023/04/10

【はっPのアナログ探訪_0172: STEPPIN' INTO ASIA / RYUICHI SAKAMOTO ( Single )】

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坂本龍一さんが亡くなられて、音楽の世界でも大きな損失でしたが、その他坂本さんは歯に衣着せぬ形で様々な発言もされていました。
日本は自由な国であるはずなのに、放送や新聞などのメディアも統制下にあるような“及び腰”な態度が昨今、目につきます。
そんな中、坂本さんは勇気のある方だと思っていました。
私のような、なんの権力も身分もない一市民の発言でもTwitterなどではちょっと国の施策にこれはどうかと思うと書いただけで表示が控えられるようなことが何度もありました。
なので、Twitterにはそのような発言は流れないようにして別のメディアで発言するようにしています。

話を元に戻して、このピクチャーレコードです。
どのような経緯で、どこで買ったのかも記憶にないのですが、たぶん、ふつうのレコード屋さんで買ったと思います。
盤面には1985年の表示があります。

 

 

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「ステッピン・イントゥ・エイジア」というタイトルのこのシングル盤、掛けてみるとまさに“坂本龍一ワールド”な音楽とサウンドです。
テイストは“アジアン”な感じ。メイン・ボーカルは若い女性の声で、ラップ風に歌われていて、トモコ・アサノと表示されていて、英詩は矢野顕子さんと盤面に印字されています。

途中、コーラスで矢野顕子さんの声も聞けます。

 

 

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製造上の理由で音質についてはご容赦を、というような注意書きが同封されていました。
でも、逆にこういう音楽にはあえてこんな、ややロー・ファイな音が似合うのではないかと思いました。

B面も続編が入っていて、よりその“ワールド”の深みに入っていく感じです。
サウンドも演奏もより“実験的”な雰囲気が漂います。
それに矢野顕子さんのボーカルもさらにフィーチャリングされています。

とても面白いレコードでした。
久しぶりに聞いて思い出しました。

坂本さんのご冥福をお祈りいたします。
私の学生時代に様々な音楽で台頭していた方が次々と亡くなり、寂しいかぎりです。

 

2023/03/03

おんじゅくまちかど・つるし雛めぐりに行ってきた

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すでにインスタ経由でfacebookにも載せたのですが、ブログを読んでいただいている方も数多いので、ブログ経由でもご紹介しようと思います。

御宿町観光協会・御宿町商工会などが中心となる実行委員会が行っている表題の「おんじゅくまちかど・つるし雛めぐり」に、妻、長女と行って来ました。
おんじゅくの町のいろいろなお店なども含めあちこちで「つるし雛」を展示しているものです。

 

 

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私たち家族はスタートが遅かったので、とりあえずメイン会場とも言える「月の砂漠記念館」と「手づくりの蔵」の二か所に行ってみました。

私はこの「つるし雛」というものをよく知らなかったのですが、妻と長女はとても興味をもっていたようで、私も“一緒に行ってみる”ことになったのです。

facebookでは“どお~ん”とたくさんぶら下がっている写真を載せたのですが、こちらブログでは割と近接して撮ったような写真を載せています。

いろいろな形のものがあって、見ているだけで楽しいし、とても明るい気持ちになりました。

 

 

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また、「月の砂漠記念館」の前には当然砂浜があり、そこには「旅の駱駝」に乗った、歌に出てくる王子様とお姫様の像がありました。写真では見たことがありましたが、初めて間近に見ました。けっこうインパクトのある大きな像でした。
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そして次に、「手づくりの蔵」へ。
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ここでも素敵な展示があり、案内してくださった方も、訪ねてきた人たちも、とてもフレンドリーでいい雰囲気が蔵に満ちていました。
こんな感覚久しぶりです。
近頃、“ささくれだった”気持ちの人がいたり、そんなふうにしなくてもいいでしょうと思うようなイヤな行動をする人が多く、沈み込んでいた自分の心が少し浮上したような気がしました。
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いい時間を過ごすことが出来ました。

2023/02/05

伊集院静さんの「誰かを幸せにするために -大人の流儀8-」を読みました。

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『誰かを幸せにするために -大人の流儀8-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
一連のシリーズ化されたものですが、ブックオフで見つけると楽しみに買って帰ります。

前にもこのブログで書きましたが、伊集院さんのこのシリーズでは他の人のエッセイなどには見られない“歯に衣着せぬ”堂々たる書きぶりがあり、「そうそうそれが言いたかったんだけど、言えなかった」・・という気持ちになるのです。
だからまた読んじゃう^_^;

今回書かれていた内容で特に印象に残ったのは、大切な人や飼っていた犬などが死んでしまったときの悲しみについて。
それは結局消えることは無いのだけど、でも残された人が亡くなった人の想い出と共に生きていくことが大切なんだということ。
最近、私もそれを実感しています。涙が出てくることもあるけど、でも一緒にいろいろなことをしたあの想い出、この想い出を大切にすることが亡くなった人のためにもいいことなんだと思って過ごしているのです。

もうひとつ、自分でもどうしたらいいのかと思っていて、いい方法が見つからないこと。
コンビニの入口にペタッと座り込んで他の人の邪魔になっている若者や、今飲んだ飲料のペットボトルなどをその場に平気でポンッと置いていってしまう人。

伊集院さんはすぐに注意するのだそうですが、相手は返事もせずにちょっと避けたりするとのこと。で、奥さんが「何をされるかわからないから、やめて」と言う。
私も思わず注意してしまうのですが、妻に叱られるのです。

もっと極端な例では、以前、新幹線内で起こった事件について。
凶悪な人間が客を襲ったときに、女性客などを守ろうとして立ちはだかり、殺されてしまった方がいました。
伊集院さんは、自分もそうしただろうとおっしゃっていて、他の乗客を守り亡くなられた方への敬意について書かれているのです。
でも、これは難しくて、結論的なものは見いだせないです、私。

いつも自分で何かしら考えねばならないことが提示され、読んだあとも、しばらくずっと考えてしまう伊集院さんのこのシリーズ、まだ何冊か手に入れているのでまた読後感をここにアップいたします。

 

2023/01/31

鮎川誠さんが亡くなった

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ロック・バンド「シーナ&ザ・ロケッツ」の鮎川誠さんが亡くなったことを報道で知りました。
鮎川さんが大学在学中に「サンハウス」というバンドを結成していたのは当時、バンド名は知れ渡っていましたが、私はまだその音を聞いたことがありませんでした。

初めて鮎川さんのサウンドを聞いたのは、たぶん当時ラジオのニッポン放送でやっていたと思われる「スネークマンショー」に「シーナ&ロケッツ(※当時のCDを見ると“ロケット”と表示されている)」の曲「レモンティー」や「ユー・メイ・ドリーム」が掛かりだした頃からでした。

「レモンティー」は、ヤードバーズの「トレイン・ケプト・ア・ローリン」をシーナ&ザ・ロケッツ風にアレンジしたもので鮎川さんのギターは特筆もののカッコよさでした。

“生の”「シーナ&ザ・ロケッツ」を初めて見て、そして聞いたのは、1980年、ニューヨークのパンク・バンド「ラモーンズ」のコンサートが渋谷パルコの西武劇場(※当時の名称)で開催されたときのオープニング・アクトでした。

鮎川さんの「ラモーンズがどんな演奏するのか、俺たちも楽しみにしている」という挨拶と共にシーナ&ザ・ロケッツの演奏が始まり、骨太で硬派で、“剛球一直線”な演奏は凄まじいものがありました。
ラモーンズもそうでしたが、あんなデカい音量でロックを聞いたのは生まれて初めてでした。

「シーナ&ザ・ロケッツ」というバンド名もひょっとすると、ラモーンズの傑作アルバム「ロケット・トゥ・ロシア」と、その中の一番いい曲「シーナ・イズ・ア・パンクロッカー」から取っていたんじゃないのかな、とその時思いました。

鮎川さんがロックに対する考え方や、自身の生き方について語っているのを何度かテレビ・ラジオその他で聞いたことがありますが、不器用だけど、真摯で、そして熱い情熱を感じました。それに先立たれてしまいましたが、奥様のシーナさんへの愛も。

また愛用の黒のレスポール・スタンダード(1969年製・地元の友人から譲り受けたもの)がカッコよかったですねぇ。
鮎川さんはレスポールに「お前は凄いやつだ」と語りかけながらステージに上がっていて、ギターに対する愛情もギタリストならではの深いものを感じました。
何かで見た記憶があるのですが、そのレスポールのテール・ピースが割れていて、それでもなぜかガッシリとネジで留まっていて“気合い”でギターとしての機能を維持しているのではないかと思われるものでした。鮎川さんの魂そのものみたいなギターです。

鮎川さんの訃報を聞き、いろいろなことが思い浮かべられてこのブログに書いてみました。
これからはあちらの世界で奥様のシーナさんと再会し、また豪快なロックを永遠に続けていかれるのだと思います。

 

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