フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2024/01/05

「人間の関係/五木寛之」を読みました。

20240105_itsuki_hiroyuki_001

『人間の関係/五木寛之著(ポプラ社)』という本を古本で手に入れ、読んでみました。

2007年第一刷発行のものです。

この本は、五木さんが長く生きてきた中で得た人としての“生き方の知恵”のようなものが書かれていました。
私自身も最近長いこと生きてきて色々なことを考えだし、自分なりの生き方、人付き合いのやり繰りなどを少しずつ見出してきたところですが、この本も納得しながら参考にさせてもらえるようなことがいくつも書かれていました。

人脈というものについて、親子関係について、格差社会にどう生きるか、夫婦関係について、などが五木さんの人生経験から滋味豊かに書かれていました。

特に私が気になったのが、「鬱からぬけだすためのノート」という項目でした。

五木さんが、四十代の後半から五十代にかけて、何をしても興味がわかず、鬱状態が続いたときに書いたノートが「歓びノート」というもので、「・・・でうれしかった。」という話。
なにかうれしかったことを一つだけ思い返して日々ノートにつけることによって次第に鬱状態から抜け出したというのです。

やがて、五十代になり、男の更年期というか今度はそんな鬱な気分が続くことになった時には、歓びノートは役に立たず、今度は「悲しみノート」をつけたそうです。
鬱な気分のなかに沈みこんでいると、つよい悲哀を具体的にたしかめるように「今日の悲しかったこと」を書くとかえって気持ちが解放されるような気がして風がふっと吹きすぎるような気配があったというのです。

そして今度は、七十歳を過ぎた頃から三たび鬱な気分が訪れて・・。
ありがたいと思ったことをノートにつけたそうです。
「あんがとノート」と言うんだそうで(^_^;)びっくりするほど効果があらわれたとのこと。

私も未知の年齢ですので、これは是非参考にしたいと思いました。

新年に入り、早くもいろいろ刺激を受ける本を読みました。
次はちょっと軽い感じの本を読みたいと思います。

 

2024/01/04

「結局は自分のことを何もしらない/アルボムッレ・スマナサーラ」を読みました。

20240104_sumanasara_001

『結局は自分のことを何もしらない -役立つ初期仏教法話6-/アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』を読みました。

暮れに同じ著者の「あべこべ感覚」という本を読み、このブログでご紹介したのですが、たまたまブックオフに行ったときに同じシリーズの本を見つけたので、前回面白く読めた記憶が残っていたため、また購入。読んでみました。

今回のテーマは人間というもの、自分というものはどういう存在か、ということについて書かれているのですが、我の強い人、自分中心に世の中が回っていると思っている人などには“チンプンカンプン”だと思います。

「人間がなぜ生きるのか」それは、長い間皆が考えていたが、答えは見つかっていない。

詳しい内容は読んでみてほしいのですが、つまり生きること自体が人にとって「苦」であり、生きることは「動く」ことで、動いていないと「苦」が続いてしまうから動き続け、苦から逃れている。

・・きっとよくわからないと思いますが、著者の何度も様々な例示をしながらの文章表現を読むと、なんとなくわかってくるのです。

人は結婚して幸福に、子どもをつくって育てて幸福に、お金を儲けて幸福に、痩せて幸福になろうとしているが、そのような俗世間の幸福の探し方は、火の中で氷を探すようなものだと著者は言っています。

それらが実現して幸福になった人は今までに一人もいない、なのに人は全く諦めない、それくらい無知だ・・(^^;)・・と著者は言います。
それについては私もなんとなく理解できます。
一例を挙げれば、結婚したからって別に幸福になるわけじゃあないですからね。

またお金を儲けることが出来ても、出来なくても、どっちも苦しいです、と言っています。それもそのとおりだと思いました。
子どもが欲しいと思うが、子どもが生まれたら苦しいのです・・というのもわかる気がする。

お釈迦さまは、俗世間の幸福を求めて生きる生き方を「卑しい探求」とおっしゃっているとのこと。

お金を探し、結婚相手を探し、子どもを求め、財産を求め、長生きを求め、健康を求めている人は多いが、それらを「得ても苦しいのですよ、得なくても苦しいのですよ。得ようと思って得ることが出来なくてもそれも苦しいのですよ。」とおっしゃっているのだ・・ということなんですね(^-^;

長く生きれば、長く生きる苦しみが待ち構えている・・と。
長生きしたいと思っても出来なかったら、ものすごく苦しい・・と。

こんなことがどんどんと書かれていて、困惑するやら、納得するやら、悲しくなるやら、ほっとするやら、という読書になりました。

でも、今、自分が生きている上で、心の中に何か明かりが灯ったような気持ちにはなったのでした。

 

2024/01/03

波乱と激動の年が明けました。

20240103_newspaper_001

元旦、二日とブログを書こうとしていたら、大変なことが起きました。

元旦にはいきなり能登地方の大地震。
昨年から幾度も石川県方面での地震が起こっているのが気になっていましたが、新しい年の最初の日に震災となって襲い掛かってきました。

驚いたことにその時、私と妻はあるお店にいたのですが、お客さんの誰もの携帯電話が不気味な警報音を鳴らしているのに、私と妻以外は携帯にさえ目もくれませんでした。
無反応でした・・。
帰宅して風呂に湯を入れると我が家は建てた頃には田舎の一軒家だったので井戸から水を汲んでいるのですが、湯はかなりの濁りをみせていました。

これは東日本大震災の時も、その前の新潟での大地震のときもそうでした。
地中では何かがこんなに遠くても繋がっていて、影響するのだと感じました。

明けて二日、今度は羽田空港での航空機事故。
乗客が400人近くいたのに、脱出できたのは奇跡的でしたが、それにしても年が明けてから二日間で一年間通しても大きな事象、事故が続けて起こりました。
我々に、「これからの世の中は油断していると突然大変なことが起こるぞ」と、何処からか暗示されているかのように思いました。

自然災害(温暖化の影響含め)、事故、そして人が起こす事件、特に昨年あたりから顕著になってきました。
どう対応すればいいのか、などと一個人ではやれることに限界がありますが、とにかく準備と覚悟を心に、そして何か起こった時には冷静に、落ち着いて行動することが大切だとあらためて思い直しました。

明けまして、あまりおめでたくない正月になりましたが、今年も変わらず、自分らしく、ずるいことなどせずに、日々何かを成しながら生きて行こうと思います。

 

2023/12/30

「あべこべ感覚/アルボムッレ・スマナサーラ」を読みました。

20231229_albomulle_001

『あべこべ感覚 -役立つ初期仏教法話7-/スリランカ初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ著(サンガ新書)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

古本屋で見つけ、パラパラと頁を繰ってみたらちょっと興味深かったので読んでみました。

読んでみれば、難しいような、易しいような、でもなんだかわからない・・(^_^;)みたいな感じで、なかなか捉えどころというか、そういうものが見つからないまま読み進みました。

で、途中でこんなことかな・・と思ったのが・・

生きているもの、つまり人間にとって「生・老・病・死」「憂い・嘆き・苦しみ・悲しみ・悩み」というものは皆が皆、人全員がそれらをセットにして生きているのだということ。

生きる・・っていうことはそういうことなんだということ・・。

年をとり、病気になる。死ぬ。
憂いや嘆き、悲しみ、悩むこと、それが生きるということ。

でも、我々凡人の社会は、病気にならぬようにという宗教でもあったら人気が出てしまう。

で、お医者さんなどにいって、自分が「死につつある」とわかっただけで、人というものは悪いことをしなくなってしまう。

なんとかして自分が満足することを優先していた人、自然の流れに逆らってまで頑張っていた人、人を脅したり、騙してまで商売をする人、戦っている人、それらを見ても“自分は死につつある”とわかると・・なにもそこまでしなくてもいいんじゃないのか・・という気分になるのだということが書かれていたのだと思います。

悪いことなどしなくなってしまう、そんな人になる。

今、戦争をしている人や、裏金づくりにいそしんでいる人、何がなんでも何兆円かかっても万博を開こうとする人、など・・「自分がもうすぐ死ぬ」となったらどうするんでしょう。

などと私如きが少しでも考えることになったのは、この本のおかげです。
二日間で読みましたが、自分に良い影響を与えてくれたと思う本でした。

 

2023/12/22

「遺言未満、/椎名誠」を読みました。

20231222_shiina_makoto_001

『遺言未満、/椎名誠著(集英社文庫)』を読みました。
私にしては珍しく新刊です。2023年11月第一刷発行となっています。

椎名さんは、1944年(昭和19年)生まれなので79歳になられています。

以前、このブログで「ぼくがいま、死について思うこと」という椎名さんの著書をご紹介したことがあるのですが(2016年頃だったか・・)、そのときは、今まで死についてさして深く考えずに世界のあちこちを旅したり、仲間と釣りに行ったり、キャンプしたり、自由奔放にそれこそ椎名さんらしく生きてきた・・でも、「自分も死ぬのだ」とハタと立ち止まった様子が書かれていました。

で、今回のこの新刊では、“より具体的”に、自分よりも若いのに亡くなってしまった友人や大切な人たちのことを振り返ったり、どうやって死んでいったのか、自分はどういうふうに死んでいくことになるのか、葬儀はどうすればいいのか、世界の葬儀、埋葬はどんな状況なのか。

奥さんは一歳下で、互いに墓をどうするか、墓自体がいらないのではないか、どうしよう・・そうだ遺言も書かねばと友達の弁護士に相談したり、とにかく今回は“切羽詰まった”感じで「死」と「葬儀」について考えている椎名さんでした。

この本で椎名さんも書かれていますが、「最後に葬送の列」を見たのはいつだろうという一文もありました。
そういえば、私も、もう何十年も「葬送の列」というものを見たことがあまりません。

椎名さんの記憶に残っている千葉県内で見た葬列では、「ドラ」やシンバルのような形をしたジャラジャラ鳴るものを『ジャン・ボン』と鳴らしながら列が進んでいく様子が書かれていて、「葬儀そのものを<ジャン・ボン>と呼んでいたようだ」と語られていました。

私の地元でも、同様の楽器のようなものを鳴らし、葬儀のことを<ジャン・ボン>と呼んでいたことを思い出しました。

この本を読んでいくうちに、私も自分の今後のことを考えました。
妻とも話すことがあるのですが、果たして「墓」というものが必要なのか、ということまで話し合っています。

椎名さんが世界で見てきた葬儀や、様々な「死」について書かれたこの本。
あらためて自分の今までの生き方、そして今後の死に方について考えるきっかけとなるものでした。

 

2023/11/24

伊集院静さんの「あなたに似たゴルファーたち」を読みました。・・この文を書き終えたときに伊集院さんの訃報が入ってきました・・。

20231124_ijyuin_shizuka_001

 

 

『あなたに似たゴルファーたち/伊集院静著(文春文庫)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

伊集院さんの、ゴルフに関連する短編小説をまとめたもので、底本は1998年頃のものかと思われます。

伊集院さんのゴルフに対する考え方を反映してか、物語のほとんどが“いい話”でした。
男同士の友情の話もありましたし、仕事上で競い合ってきた仲の二人がゴルフでさらに深い絆を感じるような話もありました。

ちょっとミステリーっぽい話もありましたが、全体に読んだあと爽やかな気持ちになるものが多かった・・。

私は人生でたった一度しかゴルフをしたことがありません。
勤め始めたばかりの頃、職場でコンペをやるから雑用をしながらお前も回れ、ということになり、関西にいたゴルフ好きの叔父さんがくれた古いクラブを持って、練習もしたことないのにぶっつけ本番で参加したのです。
この本にもそんな新入社員の話がありました。

いったい何打したのかまったく覚えていないし、夢中でしたが、「パー3」のホールで二つ「パー」を取ったことだけが記憶にあります。
その時だけ、「自分は天才だ」(*^^*)と思ったのでした。

そんな結果でも、何かしら心に残るものがありました。
一緒に回る人や、その時の会話、クラブハウスに戻ってからの時間など色々なことが不思議とずっと残っているのです。
私はゴルフを続けることが出来ませんでしたが、続けている人達が感じている魅力みたいなものが伊集院さんのこの短編に様々な形で書かれていました。

読んだあとに“いい気持ち”になる、やさしいタッチの物語が散りばめられた短編集でした。

と、ここまで書いたら伊集院さんの訃報が今入ってきました。
近年伊集院さんの本をたくさん読み、このブログにも読後感を書いていましたが、私の生きる道しるべのようなものがたくさん書かれていて、いつも感謝しながら読んでいました。
驚きと悲しみが同時に来て、つらいです。
伊集院さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

2023/10/27

「ぼんやりの時間/辰濃和男」を読みました。

20231027_tatsuno_kazuo_001

『ぼんやりの時間/辰濃和男著(岩波新書)』という本を読みました。
2010年発行のものです。
著者は、朝日新聞でニューヨーク特派員や編集委員、論説委員など歴任、1975年から1988年までは「天声人語」を担当していた方とのこと。

そんな方です。さぞ忙しい日々を過ごしていたと思いますが(実際忙しかった時の様子も書かれていた)、でもこの本の内容はとにかく“ぼんやり過ごせ”“ぼぉっとする時間を持て”それが自分の人生の「豊かさ」を生むのだと力説されています。

私も特に若い頃は、仕事と家庭での様々な事に追われ、自分が自分でないというか、今は昼なのか夜なのか、自分は何者だ・・というようなまさに“忘我の境地”に居るみたいな時期がありました。

毎日がピンチの連続で、心休まる時間などほとんど無かった。
世の風潮もそんなことは“当たり前”という感じだったと思います。

それで、この本です(^_^;)

著者は、たしかに忙しい時間を過ごしてきたのでしょうが、それでも「ぼんやりする時間」を“価値ある”ものであるとしています。

時間に追われ、効率を追い求め、自らの心はどんどん破壊されていく、そんな日々の生活を過ごしていく中で、「ぼんやりする時間」というものをいかに充実させるか、それには何が必要か、さまざまな書物にヒントを求めて著者自らの体験もまじえつつ書かれていました。

今や、“コストパフォーマンス(コスパって言ってる人が最近多い)”ではなく“タイムパフォーマンス(タイパって言うんだって・・私は使わないけど)”だなどと言って一分一秒でも時間を短くしてパフォーマンスを出すんだそうです。
映画も早送りで見るんだってね、それは人生で一番たいせつな豊かさを自ら捨てていると私は思うけど・・。
そんな時間の節約をして何をしたいのでしょうか。本人もよくわかっていないんじゃないでしょうか。

ゆっくりと映画、お芝居、物語、音楽などを楽しんだり、ぼぉっと自然を眺めているだけでも、それはとても豊かな時間だというのが私の今の考えです。
だから、この著者が書いていることは今にしてよくわかります。昔だったらわからなかったかもしれないけど。

ということで、この本を読んだおかげで、さらに「気持ちをゆっくり」しながら過ごすことの大切さを感じたのでした。


【NowPlaying】秋風 / 城之内ミサ ( Piano Instrumental )

 

2023/10/10

「見事な死/文藝春秋編」を読みました。

20231010_bunsyun_edit_001

『見事な死/文藝春秋編(文春文庫)』という本を読みました。
2008年発行の本で、古本で手に入れました。

著名人の最後の様子について故人の身近にいた方々が記したものです。

作詞家の阿久悠さんや、プロ野球・長嶋茂雄夫人の亜希子さん、映画の黒沢明監督、映画評論の淀川長治さん、世界的なモデルの山口小夜子さん、プロレスのジャイアント馬場さん、俳優の岸田今日子さん、作詞家・安井かずみさん・・四十数名の方々の亡くなる前と亡くなったそのときの様子について書かれていました。

中には有名人といっても犯罪者もいたりして、決して「見事」とは言えない「死」もありましたが、それはそれで驚きつつ、興味深く読みました。

最後の最後まで“前進”を止めない人、周囲に対してやさしくなっている人、突然のことで自らの死を覚悟することも出来なかった人、自分の死を何歳だと決めてそれに向かって事を成していく人、最後を悟って旅に出たりする人、自分が死ぬ前に親や配偶者が亡くなり逆にオロオロする人・・実に様々な様子が描かれていて、正直、私も自分の最後について考えてしまいました。

読んでいて、亡くなったあとに、いい思い出と共に周囲の人たちの心に残る人であることがいちばんなんじゃないかと思いました。
難しいけど、それは頭の中に入れておこうと思います。

具体的な個々の最後の様子について、ここではふれませんが、人にはその人なりの亡くなり方があって、案外「なるほど、この人らしい亡くなり方だ」と思ったのも事実です。
つい数年前に生死をさまようような経験をした私ですが、あのとき覚悟したことを思い出し、これからの毎日を生きようと思います。

 

2023/09/21

「逆境を乗り越える技術/佐藤優・石川知裕」を読みました。

20230921_satou_ishikawa_001

『逆境を乗り越える技術/佐藤優×石川知裕(ワニブックスPLUS新書)』を読みました。
古本で見つけましたが、十年近く前の本です。

著者というか、この本は佐藤優氏と石川知裕氏の対談形式で構成されているのですが、このお二人はともに過去、東京地検特捜部に逮捕され、有罪判決を受けた外交官と衆議院議員としてご存知かと思います。

佐藤氏の逮捕から判決までのことについてはご本人が書かれた本があります。
さらに石川氏については今回ご紹介しているこの本に当時の様子なども語られています。
その経緯については、あの当時の騒ぎから徐々に様々な事実が語られていますので、ここでは触れません。

私が気になったのは、タイトルにあるように「逆境を乗り越える」にはどうすればいいのか、という部分で、そこが読みたくて手に入れたのです。

佐藤氏も石川氏も、東京地検特捜部の目的の“本丸”は、お二方の上にいる鈴木宗男氏であり、小沢一郎氏でした。
“ハナ”から「国策捜査」として進められたものであり、有罪は動くことのないものとして二人は逮捕され、鈴木宗夫氏は逮捕されましたが、小沢一郎氏については当時の石川氏の状況を見た佐藤優氏から石川氏への経験に基づくアドバイス(取り調べ時の様子をIC録音して証拠として後に提出する)が生きて、石川氏の逮捕のみという結果になりました。

この本で、佐藤氏が何度も言っているのですが、最初から決められた結果は、個人対組織としての戦いになるので、覆ることはないというものでした。
自分として納得がいかない、そして事実は異なる、正義を貫きたい・・などと思っても決められた結果は動かないので覚悟して、一定のところで自分の今後について考え、捲土重来を期すなどとは考えず、目標をもっと下のところに置いて生きていくのがいいのだ、と書かれていました。

意外な展開でしたが、でもそれが現実であり、真実なんじゃないかと思いました。
私も仕事上で、あるいは職場の人間関係で、問題が発生した時に明らかに相手方に非があったとしても、それは相手が組織であれば、もう勝ち目はほぼ無いので、自分の身の振り方を考えておいた方が良いのです。
そういうことが書かれていました。

なんだがっかり・・と思うなかれ、仕事や人生ってそういうものだと、私もわかったのはつい最近ですが、そういうものでした、結果として。

生きてきて、特に仕事上で相手方に大きな「瑕疵」「非」があったうえで自分が責めを負い、逆境に立ったことが何度かありました。
結論としては、相手が組織であれば個人的に争って勝っても、結果的に組織が動き出してこちらが負けるという形になる・・のでした。

一度だけ、「死なばもろとも」という大反撃を行ったことがありましたが、双方“痛み分け”という結果がせいぜいでした。

そんなこんなを思い出しつつ読了。
人生の辛酸をしみじみと感じたのでした。

 

2023/06/29

永六輔さんの「老い方、六輔の。」という本を読みました。

20230629_ei_rokusuke_001

『老い方、六輔の。/永六輔 構成・矢崎泰久(飛鳥新社)』という本を読みました。
平成16年発行のこの本は、永さんとはあの「遠くへ行きたい」という有名なテレビ番組の時代から付き合いがあった「話の特集」編集長の矢崎泰久氏がインタビュー形式でまとめたものとなっています。

読んでみたら、けっこう内容は“濃い”ものでした。
永さんが幼かった頃に病弱で学校に行けず、病院で過ごしていた頃から始まり、その後の疎開先でのいじめを受けたことについて、様々な時代を経て、やがて奥さんを看取ったことから「死」を考えることになり、「死」についても多くの頁を割いて書かれています。

そして今度は自分が亡くなるまでをどう生きるか、どう死ぬか、までを永さんらしくどんどん語って行きます。

また、言葉についての発言も多く、言葉に込める思いが手紙・葉書となって毎日ラジオのリスナーや手紙をくれる人達への年間何万通にもなる「心の通い」となって投函している話も出てきます。

近年、手紙の配達は土日が休みとなり、その週に相手方に手紙が届くようにするには水曜日までに投函せねばならなくなりました。
手紙というものが郵便事業の一番たいせつなものなんじゃないか、と日頃思っていた私には、もう紙に書いた「言葉」はそんなに大事なものではなくなってしまったのだな、とがっかりしていた矢先に、上記の永さんの日々手紙を書くお話しを読んで、・・大事なことだったんだよな、としみじみ思うことになりました。

永さんと言えば旅の話も、もちろん書かれていました。
日本全国いろいろなところに行っていますが、家に帰るのは“旅の合間”だったらしく(^^;)奥さんにはたまに会うみたいなことだったらしいです・・ちょっと信じられませんが、旅先から奥さんには葉書を送っていたとのこと。
旅先か家か、どっちが生活の根拠かわかりません(^-^;

で、奥さんが亡くなられてからも、旅先から奥さんあてに葉書を出していたとのこと。
それを自分が帰宅したときに郵便受けから受け取るわけですが・・どんな気持ちなんだろう。

と、あれこれ書いてしまいましたが、最後には“かかりつけ医”の大事なこと、どういうふうにお医者さんと付き合うか、なども書かれていましたし、自分の具体的な最後についても淡々と書かれていました。

私にもいろいろと心に残る部分がありました。
永さんの本、まだまだストックがありますので、また読みましたら読後感を載せようと思っています。

 

より以前の記事一覧

2024年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    

最近のトラックバック