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2019/04/18

今回のことをもう一度振り返ってみた

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前回のこのブログで、先週、私が突然下血し、倒れたことを書きました。
それ以降、いろいろなことを思い、また多くの方から声をかけていただきました。

滅多に無いと言っては何ですが、こんな体験は一生のうち何回もあることではありませんので、もう一度振り返ってみたいと思いました。
記憶に残っているままに書きます。

あの倒れた日は、朝からたしかに具合が悪かった。
職場に着いて、最初に会った同僚の女性に「体調がいまいち」だと自分が言っていたことを思い出しました。

その前週が新しい職場での仕事始めでした。
きつかった・・。体力的にも精神的にも。

そして、もう翌週には自宅で下血して倒れた。
帰宅し、最初は家の階段も上れなくなっている自分に気づき、やがて立っていることさえしんどくなってきて、トイレに行って大量出血。
胃から降りてきた血というものは“真っ黒”で、自分でも驚き、止らない下血にえも言われぬ“恐怖”を感じました。
悪魔に魅入られたような、逃げ出すことができない恐怖。

心の中では、今まで潜伏していた大きな病気が今突然姿を現したのではないか、もう取り返しのつかない病状になっているのではないか、と絶望感が拡がりました。
何せ、その時点では歩くことも出来ないし、這って個室から出ることくらいしか出来なかった。

「もう何もいらない、大好きな音楽も、本も、演劇も、何もかも」・・と、人間って切羽詰まると思うものなのですね。だって、ひょっとしたら明日くらいには死んでいるのかもしれないと思ってしまったのですから。

でも、人の顔はどんどん浮かんできました。
これは自分でも意外でしたが、家族や、私と関わってくれた人たちの顔が次々と頭に浮かんできたのです。浮かんでくるたびに「ありがとう、今までありがとう」と本気で心の中で叫びました。そんなふうになるのですね、経験しなければわからなかった。

前回のブログでも書きましたが、翌日家を妻と出て、病院に向かうときに庭の景色を見ると、今まで感じたことの無い感覚で、庭の草花がキラキラと輝き、あまりにも美しく見えることに感動しました。
もう自分では“ヤバい”状態なのに、雲の上を歩いているような軽い感覚も感じました。

病院での検査、治療を終え、「死んじゃうんじゃないか」という…σ(^_^;)私の取り越し苦労は一蹴され、回復に向かい始め、そして前回のブログでの報告に繋がります。

ブログ、フェイスブックにアップしてからは、皆さんからたいへん温かい言葉をいただきました。
これはほんとうにうれしかった。
そして勇気づけられました。SNSの良さはこういうところにある、と実感いたしました。
何十年も前なら、ごく親しい人にだけ、手紙などで、「実は私、一ヶ月前に倒れまして」などと報告するくらいだったでしょう。

悪いことばかり書かれるSNSですが、私が今でも続けている理由はこんなところなんだったのだ、とあらためて感じました。

と言うわけで、私、順調に回復しつつあります。
たくさんのやさしくも温かいお言葉、皆さんありがとうございました。
このことは絶対に忘れません。

回復したら、また楽しいブログ、再開いたします。
近々だと思います(*゚▽゚)ノ

2019/04/12

突然起こったこと

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10日の水曜日にそれは始まり、起こりました。
いきなり尾籠な話で恐縮ですが、朝、トイレに行って一瞬錯覚かと思いましたが、便の一部が真っ黒だったような気がした。

不安な要素を残しながら出勤。

4月1日からの新しい職場は滅茶滅茶忙しく、ひと息つく間も全く無い強烈な環境でした。
休憩時間もやっと取れるような状態。
覚えることや、初めてのことで理解できないことも多く、はっきり言うとフラストレーションの塊のような感覚が体中に拡がり、それでもなるべくニコニコして日々仕事を一週間やり通し、今週に。
でも丸々一週間、激しい腹痛が常に自分を襲っていた。ストレスも限界な感じ。

10日は休みが三人出て、忙しさがさらに加速。
どうにかこうにかやっていたのですが、便意をもよおし、用を足すと・・。
コールタールのような真っ黒いものが。
しかも二回も。

なんとか仕事を終え、胃痛によるものかどうか、もう気は動転して思考能力も無くなる中、薬局で気休めに胃痛の薬を買うが、頭の中は真っ白に。

帰宅し、家人には何も告げず(そのときに妻も長女も私の表情の異変には気づいていたとのこと)、夕食後、そろそろ寝る頃にまた便意。

そしてトイレに行ってからが大変なことに。
真っ黒いものが出て(血液が胃から出て下血するとこうなるんだそう)、さらにもう血液そのものが大量に出て来て意識が薄れていく。
倒れ込んで、既に二階で寝ている家人に携帯で「助けて」と。

それからは大変だったのですが、横になっていると何とかなっていたので、リビングに布団を敷き、妻に一緒に寝てもらい、朝を待って胃腸関係を見てもらってきた近くの胃腸科へ。

このとき、家を出るときには、ひょっとして帰って来れないかもしれないと内心思っていました。
そんな気持ちになると、庭の花々や、景色、家の猫、皆、きらきらと輝いて見えました。不思議なものです。こういう気持ちになるのですね。

医者に着き、先生に話をすると、大急ぎで様々な準備が始まり、レントゲンや胃カメラ、色々な検査を一気に進めてくれました。小さな医院だとこういうことが出来るから、昨夜救急車を呼ばなくてよかったと思いました。

妻も付き添ってくれましたが、結果は4月に入ってからの短期間の状況が身体に異変をもたらし、胃から大出血していたとのことでした。
点滴を打ち、止血剤も投入され、様々な薬もいただき、帰宅することが出来ました。

正直言うと、もう病状は深刻なところまで来ていて、それがたまたまここで出たのじゃないかと思っていて、このまま入院して家には帰れないだろうと・・そんなふうに勝手に考え(長女もそう思っていたとのこと)ていたので、帰宅できたのは夢のようでした。

お医者さん、薬局の方の言うとおりに薬を飲み、驚いたことにどんどん回復を実感しています。
きょう、医師に電話で他の検査結果を聞きましたが、貧血以外は良好。貧血も早くに止血剤を入れてもらったので、自然回復できるとのことでした。

静養につとめます。

だからしばらくはブログ、facebook、Instagramも更新はお休みします。

良くなったらまたお会いします。

2019/03/23

年度末になり

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昨日は自分にとっていちばん身近な職場で送別会を開いていただきました。
ここ二年間は、いろいろなことは起こりつつも、職場は笑顔の絶えない環境でした。
それも二年間まったく変わらなかったメンバー(とても珍しい)、そして途中で一人増えるというこれまた奇跡のようなこともあり、明るい職場でした。
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昨日の宴会中も、職場での日々の様子と変わらず、終始爆笑の連続でした。
思ったんだけど、毎日ただ仕事をして、そして帰宅する、なんていう日々を過しているとそんな笑いも職場には生まれないだろうなと・・。
互いにジョークを言い合ったりする環境がないと、せっかく生きていて、仕事をしていて、もったいないと思いました。
こういうことを言うと、「“馴れ合って”仕事するもんじゃねぇんだよ」という声も聞こえますが、私からは「一生やってろ!」という言葉をお返し
いたします。
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人を人と思わない扱い、自分の成績のためには何人もの人を犠牲にして平気の平左、誰も幸せにならないのに自分のためだけに無理を通して道理を引っ込めさせる・・そんなことが近年多すぎるし、まかり通っていると思う。
そんなことを感じつつ、帰宅し、妻と「ありがたいことだね」と頷き合いました。
新しい職場でもいいことがありますように。

2019/03/11

あの日から8年、震災後18日目と19日目に書いたブログを振り返ってみた。

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今日で東日本大震災から8年、当時私は東京勤務でした。
震災直後の気持ちや感覚などは、よく思い出したり、周囲の人と話したりもしてきましたが、それから二週間以上を経たときのブログを振り返ってみると、・・自分でも忘れていたことが書かれていました。
あのときの気持ち、もう一度思い起こして“たいせつなもの”とは何か、あらためて心に刻もうと思いました。

以下、当時のブログ、原文のままです。


2011/3/29

震災、その後の東京。
わたしが見た簡単な感想です。

駅やビル、コンビニなどでの節電による消灯により、かなり照明の数は間引きされました。
最初は暗いと思いましたが、もう慣れてきました。

駅、電車内、歩道など、人が今までよりも少なくなりました。
それに、いつもはちょっと帰宅が遅くなると電車のホーム、車内は酔っぱらいがたくさんいましたが、ほとんどいなくなりました。

駅構内などで、せかせかと歩き、人に体当たりするようにぶつかってくる人がとても少なくなりました。

コンビニのパンやおにぎりなどの棚に何も置いていなくても自然に感じるようになりました。

皆、静かになりました。

ばか騒ぎする人をあまり見かけなくなりました。

ただ、原発の様子や、被災地の話を楽しそうというか、まるで人ごとのように話す人達は、震災直後にはしゃいでいた人達と同じ人達でした。
そして、その人達は“買い占め”の人達と同一人であることが多いです。
で、その人たちはまた「テレビで度々繰り返される被災時の様子を見ていられない」というと、「被災した人のことを考えろ、考えてないから、ずっと見ていられないのだ」と言う。
この人達はずっと見ていられるのだろう、ひとごとだと思っているから・・・。


とにかく暗い表情の人が多くなった(私を含め)。

無口になった人も多い。


だいたいこんな感じです。

・・・つらいです、毎日。


2011/3/30

あの地震からもうすぐ三週間にもなろうとしています。
その時は、東京の職場にいて、「震度5強」の揺れをビルの9階で経験しました。

あっという間にビルの機能は麻痺し、鉄道その他の公共交通機関は停止し、道路も大渋滞。
人は歩道にあふれ、自力で帰宅しようとする人や、コンビニなどに買い物に行く人が行き交いました。

日常、普通に動いていたもの、ことが、全て機能不全に陥りました。

当たり前だと思っていたことが当たり前ではなかったことに気づきました。この歳になって。

たいせつだと思っていたことが、それほどたいせつではなく、それほどでもないと思っていたことが、ほんとうはたいせつなことなのだと気づきました。

それほど余裕のある家計でもないのに、妻や子供達が被災地の支援のために気持ちはもちろんですが、お金を使ってでも物資支援しようとしたことに、ほんとうのたいせつなことを知りました。

計画停電の区域から結局外れたにも関わらず、我が家では電力をほとんど使わない生活を全員が始めました。
寒くても暖房も入れず、コートにくるまっての生活は日常のことになりました。

ほとんどの人たちが立派な心をもって、この難局を耐え、支援もしたいと考えていることがわかりました。
日本人は、まだまだ捨てたものじゃない、と心を強くしました。

・・でも、まだまだ続く余震(つい先ほども、今もまた揺れています)、いいニュースが流れてこない原子力発電所の状況、野菜や水にまで汚染被害が出ている状況に変わりはなく、不安は常につきまといます。

それに通勤時には、「きょうは帰ってこれるだろうか」ということが頭をよぎることもあります。
まだまだ気を弛めるわけにはいかず、精神的には厳しい状況ですが、・・・がんばります。

今年中には、何か“良い話題”が出てくるといいのですが。
それを期待したいです。


以上です。

そうか、そうだったよな、そう思ってもいたんだよな、と強く心に刻みました。

2018/12/31

今年もいろいろありました。

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今年も様々なことがありました。
いちばんは家族の中で大きなことがあったのですが、なんとか乗り越えようとしています。
まだまだ家族内の問題は、来年も辛抱のしどころな感があるのですが、きょうもそれに役立ちそうな本を二冊ほど買ってきました。

本というものは、直接役立つものではなく、何か自分に少しずつ取り入れたものが、じわっとあるときに漢方薬的に効いてくるものです。
だからここでもご紹介しているようにけっこう私は本を読みます。それは来年も続けて行こうと思います。

今年はまた、あらたに知り合った方もいました。
その方のイベントに出掛けて行って、またひとつ何か人として勉強することもありました。

ここ数年で知り合った方も、よい感じでおつき合いできました。
何年かぶりで出会って、また感動をあらたにした方もいました。

そして、このブログに度々登場する私の中学時代の担任の先生とは長~いつき合いになり、今年も何度も何度も個展に足を運び、また、ジャズのイベントにもお誘いいただいて、大きな刺激を受けるライブも見せていただくことができました。
何年経っても先生の域には追いつくことができませんが、楽しく来年もついて行こうと思います(゚ー゚*)。oO

映画、本、音楽、宝塚の舞台にも親しみ、それらをこのブログに記していくことは、もう自分のライフワークのようなものになりつつあります。
それから友と飲むお酒も人生の潤いのひとつになっています。

来年がどういう年になるか、想像もつかないというのが今の気持ちですが、今年同様、力を尽くして生きて行きます。

このブログをご覧いただいている皆さん、いつもありがとうございます。
ブログへのアクセス数は113万アクセスを超えました。
今までどおり、“手抜きなく”書いていきますので、どうか来年もよろしくお願いします。

皆さんにとって新しい年が良い年でありますように。

2018/12/29

「化け物使い」は落語の世界だけではない

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このあいだ USEN放送で落語を聞いていたら、談志の「化け物使い」をやっていて、この話は、とあるご隠居の人使いが荒く、雇われる使用人が三日ともたずやめていく、でも我慢して勤め上げた使用人が一人いた。

ご隠居は安い屋敷を見つけ、そこへ転居することにしたが、安いには理由があり、化け物が夜な夜な出るという。

それをきっかけに文句も言わず勤め上げていた使用人は辞めていく。
あなたみたいに人使いが荒いと私以外には誰も勤まらないと、さんざん嫌味をご隠居に言いつつ・・。

でもね、ご隠居はまったく反省も懲りもせず、次の使用人を見つけようとする。
そんな中、家移りした化け物が出る家で迎えた夜に・・一つ目小僧がでてくる。
ご隠居は驚きもせず一つ目小僧に次から次へと用を言いつけ、次の晩には、のっぺらぼう、その次の日には大入道が現われるが、皆仕事を次から次へと言いつけられ、消え去ってしまう。

最後に狸が現われ、自分が全部化けていたのだという。
そしてまた用事を言いつけられると・・・「おひまをいただきたい」と言う(^_^;)

こんなことが現実にもあるよなぁ、と思った。

私の10年以上前の上司は、私を呼びつけると、私の通常業務以外に自分がつい最近知った様々な世間のトレンド的な事柄や、事業、ネットワーク関係の新技術などなど、次から次へとレポートを作って報告しろと言いつけました。
通常、それらを調べて考えをまとめ、報告するには一~二週間はかかるが、それを一日で作れと言い、取りかかった直後にまた別のことを思いつき、それについて同様のことを言い出す・・。

日にそれが三度も四度もあるので、もう地獄のような忙しさになる。
どんどん宿題が雪だるま式に増えた上に、本来の自分の仕事は滞る・・( ̄O ̄;)

「あれはまだか?」などと覚えているので油断もならない。

挙げ句に、宿題をやっている最中に次の宿題を被せられるのを避けるため、年休を取って自宅で宿題をやることになったのでした・・もう苦肉の策です。
日に何度も出される宿題は業務終了後、帰宅してから深夜まで、さらにもちろん土日は宿題をやり続け、自分の生活は無くなりましたよ。

まさに談志が演っていた“化け物使い”そのままに、考えられないほどの矢継ぎ早で次から次へと仕事を言いつける。
今だったら、何か返答できたかも、と思いますが、後の祭りです。

自分が“化け物使い”になっていませんか?!
自分が“化け物使い”に使われていませんか?!

談志の落語を聞いていて思ったこと、書いてみました。


【Now Playing】 酔いどれかぐや姫 / 南高節とかぐや姫 ( フォークソング )

2018/11/18

映画「あいあい傘」を見てきました。

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映画『あいあい傘/2018年・日本 監督:詫間孝行 出演:倉科カナ、市原隼人、原田知世、立川談春、高橋メアリージュン、やべきょうすけ、入山杏奈、トミーズ雅、他』を見てきました。

監督がラジオ出演して、「いい話だから見てください」とおっしゃっていましたが、ほんとうに“いい話”でした。

主演の倉科カナさんは、25年間自分と母親を放っていた父を探しに父(立川談春さん)の住む町を訪ねて来ます。

父の談春さんは、25年前に、幸せな家庭を妻と娘の倉科カナさんと築いていたが、ある日会社の不祥事で、社長秘書をしていたため、全てを自分の責任として背負って遺書を書いて死んでくれと社長にひざまずいて頼まれ、「家族の面倒は会社がみるから」と、死なねばならない状況に追い込まれたのでした。

雨のそぼ降る神社わきの山林で死のうとしたところに傘をさしかけたのが原田知世さんでした。神社の近くで食堂を営んでいる女性でした。
命を助けられ、それから25年間、知世さんの娘を実の娘同様に可愛がり、育て、籍も入れぬまま談春さんは別れたきりになった妻と娘のことも思い、毎日神社でかつて住んでいた横浜の方向に祈って過してきたのでした。


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倉科さんは、父の周囲の人間から様子を探り始め、想像と異なり、静かに、そして平凡に、見た目は幸せに暮らしている父にやがて怒りを爆発させます。
そのときには、父以外の周囲の人達にも素性がバレてしまっているのですが、その際の演技は倉科さん、一世一代の迫真の演技を見せてくれました。素晴らしかった。

でも、どうみても内縁の妻である原田知世さんも、周囲の人達も皆いい人ばかり、逆に倉科さんのことをみんなで心配するという・・こういう物語としては意外な展開でした。

皆がみな、人生をつらくても精一杯生きて、そして家族や、周りの人達のことを考え、思い、やさしく生きて行く、その姿にもうこの時点で涙腺やばい状況です。

最後、25年ぶりの再会をお祭りの夜の幻想的な映像の中で果たす父と娘のあまりにもいい演技に、ついに私は嗚咽してしまいました。
はばかるところなく、もう泣きまくり、ハンカチは“ぐしょぐしょ”です。

今の世の中、殺伐としたテーマの映画、殴る蹴るの暴力、そして破壊、恨み辛み、怨念、邪悪な者を礼賛するかのような妙な話など、私の大嫌いなものが多いのですが、久しぶりに心が浄化されたようでした。

“いい人ばかり”が出てくるなんて・・という人もいるんじゃないかと思いますが、主人公の倉科さんの哀しみや、怒りがあふれてくる中、談春さんの住む町の人たちが、倉科さんをあたたかく迎え、心配する様子に胸がじんとなり、自分もささやかだが、静かに、そして力強く生きて行きたい、とあらためて思ったのでした。

2018/10/30

映画「ライ麦畑で出会ったら」を見た

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映画『ライ麦畑で出会ったら(Coming Through The Rye)/2015年・アメリカ 監督:ジェームズ・サドウィズ 出演:アレックス・ウルフ、ステファニア・オーウェン、クリス・クーパー』を見ました。

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読み、その不朽の名作に心を奪われ、不器用にも真っ直ぐ生きて行こうとする主人公の高校生が、馴染めない高校生活から飛び出し、「ライ麦畑でつかまえて」を演劇化しようとする物語です。

そして舞台化のため、作者のサリンジャーの許可を得ようとして、連絡を取ろうとするものの、まったくたどり着かない。
ついには隠遁生活をするサリンジャーの居場所を求めて、演劇サークルで出会った少女と、サリンジャー探しの旅に出るのでした。


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主人公とその少女の淡い恋愛のような感覚の距離感も初々しいし、サリンジャーを求めて旅に出た場所の自然の景色もあまりにも美しい。
まるで自分が青春の旅に彼女と出かけたような感覚になりました。
いいおじさんなのに、あの高校生の頃のみずみずしい感覚が呼び戻されてきたのでした・・ちと恥ずかしい・・(^_^;)

何とか、どうにか出会えたサリンジャーの“つっぱね方”も強烈だったし、演劇化後に再度サリンジャーに会いに行ったときにも厳しい態度で接せられることになるのですが、それでも、その裏にある何か人間的なものがひしひしと感じられて、ますます“青春時代的”に胸がキュンとなりました。

日本の若い人達がこの映画を果たして見るのかはわかりませんが(たぶん見ないと思う)、でも、青春時代の大事な何かが全面的に表現されているこの映画は、ピュアで、美しいものでした。

おじさんでもいい、おばさんでもいい!ぜひ見て、若い頃に感じた人として大切なものをもう一度感じてほしい・・なんて思う作品でした。

2018/10/05

人生いろいろ、起こる出来事に休みはない。

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ちょっとブログの更新が滞りました。
仕事上での波乱はここ最近なくなってきましたが、家族内の悩みがまた出て来てその解決に心血を注いでいます。

いろいろな本も読み、自らの考えの及ばないところについても何とかそんなことで知恵や力をつけようとしていますが、まあ大変なことが多いですね、人生。

そんなとき、力強く、あるいは淡々と生きている人を見ていると参考になります。

何か起こっても力強く前に進んでいく人、うまく“いなして”切り抜けて行く人。
私とはその人の存在する「境地」が異なるんじゃないか、といつも思います。

いい歳こいて、まだまだ経験不足で、うまく人生の落とし穴から脱出出来ない自分が情けないと思うこともありますが、これは自分の実力なのだから仕方ない。
やれることをやろう、がんばれることを頑張ろう、などと考え、一歩ずつでも前に進んで行こうと思います。

とりあえずは会ったら元気になれる人のところに、この休みに行ってみようかと思います。
少し元気になったらまたこのブログでご報告いたします。

2018/10/02

福田恆存の「人間・この劇的なるもの」を読んだ

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『人間・この劇的なるもの/福田恆存著(新潮文庫)』を読みました。
昭和31年に刊行されたものを文庫化したものですが、それも昭和35年のことで、古い本です。
ブックオフにて108円でまたも購入。

福田恆存については、シェイクスピアの作品のほとんどをこの人の訳で読みましたが、何名かの訳者の中では、けっこう文語調の“固い”文体が印象に残っています。

そのシェイクスピアのハムレットやオセローなどの作品の台詞なども例示しながらの人間の生き方の本質に迫るような本でした。

時代が昭和30年代ということもあってか、実に真面目で、丁寧に微細に探求していて、途中でそのあまりに詳細な研究の様子と、ある意味くどいくらいの読者へのフォローを含めた解説に疲れました(^_^;)・・すこしうんざりもしました。

この本の言いたいことって、つまり・・人間はただ漫然と生きているだけでは満足できる動物じゃなくて、自分の人生が“劇的”でないと納得がいかないものだ。っていうことでしょうか。

だから、自分の身に起こったことは、人生のドラマとして劇的であるが“必然”なのであるっていうふうに考えないとこれまた納得が出来ない・・そんな人が多いのだ!みたいなことが書いてあると思うんですよ( ̄O ̄;)・・いくら読み込もうと思っても私のお粗末な頭脳と思考では「わかった!なるほどね」というわけにはいかんかったのです(^^;)

人間て、面倒くさいというか、複雑というか、ただ楽して暮らせればそれでいいってわけじゃないんですよね。
自分の人生の今までと、今後の未来についても、何らかの必然性、あるいは劇的な何かを求めるわけですよ。
それじゃないと、自分の生きている証しっていうんでしょうか、それが曖昧模糊としてしまい、自分の生き方がつまらないものになってしまうなんて、許せないってことになるでしょ。

私が特にシェイクスピアの戯曲に惹かれるのは、そんなところも影響しているのかもしれません。
シェイクスピアが書いたものは、いずれも主人公が考え過ぎなくらい考えてしまうし、ちょっと異常なくらいの“心配しい”だし、物語の展開もあまりと言えばあんまりな「そして皆死んじゃった」みたいなことが多いし・・。

ドラマチックな舞台に思わず引きずり込まれるわけです。それはある意味疑似体験的でもあります。
そんなこともあって、宝塚も好きなのかもしれません、私。

自分の人生に意味づけするということは、自分が生きて行く推進力にもなってきます。
そして人生そのものを味わう・・ということにもつながっているように思います。

難しくて私には手に負えない本でしたが、読んでみて以上のようなことを考えたのでした。

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