フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2024/05/18

「自分のための人生/ウエイン・W・ダイアー」を読みました。

20240412_wayne_w_dyer_001

『自分のための人生/ウエイン・W・ダイアー著・渡部昇一訳・解説(三笠書房)』という本を読みました。
古本で見つけ、ちょっと立ち読みした感じで読んでみようということになり手に入れました。

翻訳と解説をした渡部昇一氏については今まで何冊も著書を読んでいますが、このウエイン・W・ダイアーという方については存じ上げておりませんでした。

しかし、帯にも書かれているように全世界でベストセラーになっているとのことで、何かひとつでも参考になることがあればと思いました。

著者のいちばん言いたいことは、過去にあったことに自責の念を感じ、それにばかり囚われて“今”行動が取れなくなっている人が多く、あなたもそうではありませんか?
ということ。

そして、これは未来についても同じような感じで、まだ起こってもいないことに不安を感じ、その不安感が自分を支配し、またもや“今”の自分が行動を取れなくなっている。
一歩踏み出したり、新たなことに挑戦したりすることに臆病になっていませんか?
ということでした。

さらにその過去の自責の念や、未来への不安をことさら強調して意識させ、他人を、あるいは家族などもコントロールしようとする人が周りにいませんか?
ということも書かれていました。

言われてみれば・・というか、多くの人が多かれ少なかれそんな精神状態というか、肉体的にも身動きが取れないような状況を経験しているのではないか、と私は思いました。
まさに、私もその一人です。

過去のあのこと、あれも、ああもうひとつあのことも、思い出しただけで叫びだしたくなることがいくつもあります。
そして特に現役で仕事をしている時には、それが大きく自分にのしかかり、さらに未来のことについても、あんなことになったら大変だ・・と怯え切っていたことがありました。
今でもそんな感覚に囚われて居ても立っても居られない気持ちになることがあります。

その解消方法について書かれているわけですが、内容については著者の商売の邪魔をしてはいけないので詳しく書くことはしません。
でも、かなり難しいというか、人生をぐるっと返してしまうようなドラスティックな転換が必要であると思いました。著者自身も苦労していたように書かれていました。

参考になったかというと、「気持ちの持ちようを変えてみよう」というくらいのものとして受け取った感じです。
とにかく難しそう。

また後日、もう一度も二度も読み返す必要がありそうだ、ということで今回の読後感はおしまいです。

 

2024/05/03

俳句を詠んでみる_0084【 盆踊り かけつけ 紙コップ 一杯 】

20240430_03_bonodori_001

盆踊りの本部テントを訪れる偉い人は大変だなぁと思って一句。

【 盆踊り かけつけ 紙コップ 一杯 】

《背景》季語:盆踊り[秋]
以前、〇長のアテンドの仕事があった。
一夜の内に次から次へと盆踊り会場を訪れる〇長をそれぞれの会場に車で先回りして次々とその地区の本部テントに案内する仕事。
どこの会場でも“かけつけ一杯”のビールが大きな紙コップに注がれ、町内会長から手渡される。
グッと一気に飲み干して、踊りの櫓(やぐら)に向かい、一曲踊る〇長。
あれだけの数の会場でどれほど飲むことになるのか、普通の人には出来ない・・。

 

2024/04/25

俳句を詠んでみる_0075【 バス停 ひとり待つ始発 冬の朝 】

20240422_05_bus_stop_001

始発に乗って通勤していた頃を詠みました。

【 バス停 ひとり待つ始発 冬の朝 】

《背景》季語:冬の朝[冬]
東京勤務だった頃、情報収集のため、7時半から行われる情報入手先機関の会議に合わせて早朝出勤した。
その頃のバス停付近には草が伸びた原っぱ以外何も無かった。
寒いし、さびしいし、つらいし、眠いしの大変な思いでバスを待った。

 

2024/04/17

俳句を詠んでみる_0059【 秋燈下 ひとり 対話会の片付け 】

20240410_taiwakai_001

十年以上前の苦労していた頃、頑張っていた頃の仕事で一句

【 秋燈下 ひとり 対話会の片付け 】

《背景》季語:秋燈[秋]
ずっと以前、仕事を必死にしていた頃、その仕事上で地域住民との対話会をすることになり、相手先まで出掛け、相手の都合に合わせ夜間に行うという考えで事を進めた。
準備、計画、設営、運営を残業代が付かない立場なので部下は使わず全て一人でやるということになっていく・・。
こちら側の対話会出席者も、機材も乗せ、運び、現地で設営、運営、そして撤収もして、えらい人を駅まで送り、その後職場に機材を持ち帰り、倉庫に片付けまで一人で行った。
まさに“秋燈下”。
体の芯まで疲れ果て、泥のようになって帰宅した。

 

2024/04/05

俳句を詠んでみる_0034【 花曇(はなぐもり) なやみのとげを 抜く仕事 】

20240412_togenuki_001

俳句も苦しみつつ、それでも楽しく作っています。
ストックもかなり出来ました。
なので、今まで一日一句のアップを二句にしてみようかと思います。まずは午前中にひとつアップいたします。

だいぶ前にやっていた仕事から一句詠みました。

【 花曇(はなぐもり) なやみのとげを 抜く仕事 】

《背景》季語:花曇[春]
春だが、重苦しくどんよりと曇る日にも、日常生活上の悩みを持ってくる相談者がいる。
相談係に配属され、やってきた人たちに刺さった“なやみのとげ”を抜くのが仕事だった。

 

2024/03/28

俳句を詠んでみる_0026【 春愁(はるうれい) 職場への通路(みち) 階段で 】

20240328_kaidanshitsu_001

勤めていた頃の人事異動後、新しい職場へ向かうときの様子で一句詠みました。

【 春愁(はるうれい) 職場への通路(みち) 階段で 】

《背景》季語:春愁[春]
人事異動で問題・難題山積の職場に動いた。
やることは沢山・・。
朝、職場の建物に入ると、皆はエレベーターに乗り込んでいる。
自分は、もう帰りたいし、誰とも顔も合わせたくない心境。
暗く、誰も歩いていない階段室を選び、職場のある三階へ向かった。

 

2024/03/22

俳句を詠んでみる_0020【 麗(うらら)かな日 言葉の花束受け取る 】

20240322_flower_001

職場を去るときに受け取ったもの・・

【 麗(うらら)かな日 言葉の花束受け取る 】

《背景》季語:麗か:[春]
妻が新しい仕事を見つけ、長年勤めた職場を辞めることにした。
職場を去る日には、今までお世話になった人や、一緒に働いた人、思わぬ人からも花、手紙や品物をいただいた。
大きな花束と共に大切な言葉も花束のように受け取った様子を詠んでみた。

 

2024/03/21

俳句を詠んでみる_0019【 内示受け 辛夷(こぶし)の蕾(つぼみ) 固くなる 】

20240321_kobushi_001

人事異動、内示のシーズンです。そんな時のことを詠んでみました。

【 内示受け 辛夷(こぶし)の蕾(つぼみ) 固くなる 】

《背景》季語:辛夷(こぶし)[春]
毎年、こぶしの花がつぼみを持つ頃になると、人事異動の内示が出る。
意に添うような異動先であれば、これからつぼみが開き花を咲かせるような気持ちになるのだが、意に添わぬ厳しい職場への異動であれば、不安と緊張で委縮して、つぼみは固いままになりそうだ・・という毎年この時期にやってくる感情を詠んでみた。

 

2024/03/06

「三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久」を読みました。

20240306_genyu_sokyu_001

『三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久著(PHP文芸文庫)』という本を読みました。

著者、玄侑宗久さんが雑誌、新聞、広報誌などに寄せた文をまとめたもので、当初「玄侑和尚と禅を暮らす」というタイトルで2007年に刊行され、その後加筆し改題、2010年に文庫化されたものです。

なので、自分を楽しむ、仕事を楽しむ、学ぶことを楽しむ・・など八章に分けてまとめられているものの、内容的はあまり“つながり”を感じるものではありませんでした。
文体もかなり異なったり、重きを置いている部分が異なったり、気楽な感じがするところもあるが、かなり専門的な用語を用いて難しい話をしているところもありました。

私が特に気になったところというか、参考になったのは、目標を決めてそれに向かって邁進していくのもいいのかもしれないが、少しでも計画からずれてしまったり、進捗状況がはかばかしくない時などの精神的な落ち込みや、あせりなどは、生きていく上であまり深刻に捉えるものではないのだ、というようなことが書かれた部分でした。

上記のような“妙なゾーン”にはまってしまうと、けっこう苦しんだり、道を誤ったり、人間関係や家族関係などにも大きく影響してしまうことが多々あることを経験上学んできたからです。

でも、それが人として生きていくうえでの一番の悩みになってしまうのもわかっています。
だからそこで宗教が登場するのだと思います・・。

それからもうひとつ。
時間という概念自体がある意味間違った概念じゃないかという話でした。
私たちが今生きていて、この一瞬、この一瞬が次々と切り取られ、時間軸というものに並べられて「時間」という連続的なものになっていると皆が思っているかもしれないけれど、でもそういう、並べられたもの、あるいは流れて行くもの、というものではないという概念もあるんじゃないかということでした。

今は、今。今ある自分、今いる自分を良くして生きていく、そんな考え方もあるのかもしれません。
私の感覚でいうと、成功したことなどはいわゆる時間的概念が大きく“ものを言って”「あのときあそこで我慢したからよかったのだ」そして自分は成功したのだ、などと気分的にも高揚して思い返したりするのですが、でもそれが失敗経験だったりすると、“永遠の後悔”になりかねません。

ようするに考え方、気の持ち方で自分というものをうまく生かしていくことがある程度可能なんだ、ということなのだと私は捉えました。

深く読めば、かなり重い話も書かれていましたが、少し気分を軽くして読んでみたので、参考になることがたくさん書かれた本として楽しめました。

 

2024/02/17

河合薫さんの「働かないニッポン」を読みました。

20240217_kawai_kaoru_001

『働かないニッポン/河合薫著(日経プレミアシリーズ)』という本を読みました。
私には珍しく“新刊”です。

読んでみて、ひと言で内容を言うと、「“働き損社会”というものに慣れっこになってしまった私たち」ということに尽きると思います。

仕事って、「人生を豊かにする成長の場」っていう共通理解のようなものが昔は有ったような気がします。今の頑張りが将来的な地位と給与である程度補償されていた・・そんな感じでした。

でも、今や人口ピラミッドが変わり、年功賃金や年功序列では企業が回らなくなり、50歳過ぎたらお荷物扱いされ(私もそうだった・・トップにいるボスから直接「あなたの給料は今後退職するまで昇給しません」というメールを受け取った)、どんなに頑張ったところで見返りはなくなりました。

自由裁量や能力発揮の機会もなければ、キャリアを積んできた社員の業務上の貢献や協調性に対して敬意を示し、評価することもなくなります。

経営側は、人の可能性を信じることが大事なのに、その可能性を最大限に引き出そうとはせず、人に投資せず、可能性という目に見えない力をないがしろにしている・・読んでいて深く同感しました。

また、世の中は当事者意識を持った人が政府や企業の小手先政策を批判すると、「批判するばかり」「対案を出せ」と攻撃してきます。・・毎日そんなのを見かける。

「働く」というのは能動的ですが、「労働」は強制的・・。
今の日本で日々繰り返されているのは「労働」ではないかというのです。

最近、大きな企業で様々な「不正行為」が問題となっています。
でも、現場は一生懸命働いているのだと思います。
上の層は数字や生産性ばかりを見ているんじゃないでしょうか。

意思決定の場は例えば今の政治で言うと、あの長老たちが壁となり、結局決定権のほとんどを握っています。

変わろうとしても、長老達は、かつて自分達が排除してきたことに拘り、自分が損をすると思っています。
だから長老の顔色ばかりうかがって忖度し、責任を果たすべき人が責任を果たさない。
小手先だけの絆創膏を貼るような手だてをするだけです。
今の日本は国からしてそんな状態のように感じます。

自分が打った銃弾で血を流している人には絆創膏を貼るだけ、そして銃を打ち続け、批判されると「対案を示せ」と言い、全てが他人事になっています。

見て見ないふり、やがて「冷たい社会」となり、それが今です。

で、話は戻ってきますが、人は“働く”のではなく、“働かされる”状態であるのが悲しや今の人たちのほとんどじゃないかというのです。

そんな気がします。

読んでいて、暗くなりそうでしたが、でもそんな人たちが希望を少しでも持てるような方法も書かれていました。それはここでは書きませんが、光が見えてくるので、気になった方はぜひ読んでみてください。

 

より以前の記事一覧

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック