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2024/07/23

俳句を詠んでみる_0170【 月涼し ナイフで切る泡 ビアホール 】

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初めて銀座のビアホールに行ったときを思い出して詠みました。

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【 月涼し ナイフで切る泡 ビアホール 】

《背景》季語:月涼し[夏]
二十代半ば、宴会以外に外でお酒を飲むなんてどうしたらよいのかわからなかった。
そんな時、付き合うようになった彼女は行動派。
仕事が終わって会ったら、そのまま電車に乗って「銀座に行こう」。
連れて行ってくれたのは「銀座ライオン」という老舗のビアホール。
重厚な煉瓦の内装、照明、絵画。
驚いて見ていると、サーバーから注がれたビールの泡をスパッとナイフで切って、そのジョッキが運ばれてきた。
勤務終了から一時間ちょっとで“大人”に変身しました。

 

 

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2024/07/20

俳句を詠んでみる_0167【 サンデー マガジン キングの夏休み 】

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子供の頃の夏休みはマンガ週刊誌で過ごしたという句を詠みました。
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【 サンデー マガジン キングの夏休み 】

《背景》季語:夏休み[夏]
小学生の頃の夏休みは、宿題もせずに蝉取りに行ったり、自転車で友達と出掛けたりしていた。
そして家では少年サンデー、少年マガジン、少年キングの三誌を文房屋さんの店頭で週遅れのものを15円で売っていたので読みまくっていた。
藤子不二雄先生、貝塚ひろし先生、横山光輝先生、赤塚不二夫先生、石森章太郎先生、森田拳次先生などの全盛期だった。

 

 

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2024/07/18

俳句を詠んでみる_0165【 竿継いで 背伸びして取る 油蝉(あぶらぜみ) 】

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子供の頃の蝉取りの様子を思い出して詠んでみました。

【 竿継いで 背伸びして取る 油蝉(あぶらぜみ) 】

《背景》季語:油蝉[夏]
小学生の頃、夏休みになり、7月後半から8月に入ると、今までの“ニイニイゼミ”から鳴き声は“アブラゼミ”の「ジイジイ」という声に変わり、比較的低いところにとまっていたニイニイゼミと異なり、アブラゼミは木の高いところで鳴いている。
“物干し竿”などを補虫網に継いで、それを取ろうとするのだが、あと少し足らず、思わず背伸びする様子を詠んだ。

 

2024/07/16

俳句を詠んでみる_0163【 夏の夕 階下のクラリネット聴く 】

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中学の頃の放課後の様子を詠みました。

【 夏の夕 階下のクラリネット聴く 】

《背景》季語:夏の夕[夏]
中学生の頃の放課後。
彼女は吹奏楽部でクラリネットを担当し、部室に練習に。
私はその音楽室の窓を階下に見る生徒会室で、彼女の練習の様子を見ながら、クラリネットの音を探し、その音色に耳を澄ましていた。

 

2024/07/08

俳句を詠んでみる_0155【 浜昼顔 恋忘れても 風に揺れ 】

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あの頃のあの浜昼顔、まだあそこに咲いているのか・・という句を詠んでみました。

【 浜昼顔 恋忘れても 風に揺れ 】

《背景》季語:浜昼顔[夏]
若かった頃、彼女と海岸を歩き、そこには浜昼顔が咲いていた。
遠い過去となった出来事で、もうその時の光景や気持ちも記憶の彼方、忘れてしまったが、あの浜辺ではまだあの時のように浜昼顔は風に揺れているのだろうか。

 

2024/07/04

俳句を詠んでみる_0151【 夏の夕 喫茶 萌音(もね)にて 待ち合わせ 】

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就職したばかりの頃、仕事を終えた後のひと時におしゃべりしていた楽しい思い出を詠みました。

【 夏の夕 喫茶 萌音(もね)にて 待ち合わせ 】

《背景》季語:夏の夕[夏]
就職したばかりの頃の夏の夕方、突然職場に中学時代の同級生の女子から電話が掛かってきた。
人づてに私の就職先を知り、懐かしくなり調べて電話を掛けてきたのだそう。
中学卒業以来で懐かしく、中学校の先生になっていた彼女と久しぶりに会って話そうということになった。
互いの通勤経路途中の大きな駅近くの喫茶店「萌音」がいいと彼女が指示した店で会い、楽しい話をした。
いつの間にかそれが一週間のうち1~2日程度のルーティンとなり、やがて土日のうち1日は会って尽きることなく話をして過ごした。
日々の仕事の不満や、楽しかったことなどお互いに報告し合った。それが息抜きになっていたのだと思う。
この不思議な関係は、別の同級生男子がそんな状態でいる私達の関係に気づき声をかけてきて二人の間に割って入るまで数年続いた。
あんなに一人の人とお話しをしたのは彼女が唯一の人だったと思う。

 

2024/07/02

俳句を詠んでみる_0149【 初めての 彼女の部屋で 出た桜湯 】

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学生の頃、はじめて桜湯というものを飲んだときのことを詠みました。

【 初めての 彼女の部屋で 出た桜湯 】

《背景》季語:桜湯[春]
学生時代、彼女の家に遊びに行き、彼女の部屋に入ると、しばらくして彼女が茶托にのせて奇麗な湯呑みに桜湯を淹れて運んで来た。
これはお目出度い席や、春を喜ぶ心をあらわすときなどに出すのだよ、と教えてくれた。
まだ学生で何も知らなかった私は、とても嬉しくて素敵なことだと思った。
この家で桜の花を塩漬けしているのだろうと思うと、そんな家の彼女を大切にしなくては・・と思ったのでした。
その後、社会人になり、色々な人の結婚式に招かれ、控室に入ると桜湯が出てくる。
その度に彼女が運んで来た姿を思い出した。

 

2024/06/30

俳句を詠んでみる_0147【 ロシアひまわり見て泣く 彼女の過去 】

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古い映画に因んだ遠い過去の記憶を詠んでみました。

【 ロシアひまわり見て泣く 彼女の過去 】

《背景》季語:ロシアひまわり[夏]
結婚する前のとても古い昔の話。
当時の彼女は明るく天真爛漫で、男性陣の人気の的だった。ファンクラグまであった彼女とまさか私が付き合っているとは誰も知らなかった。
そして時々ある映画をもう一度見たいと言っていたことがあり、それを覚えていた私が東京に一緒に出かけた時にその映画のビデオを買ってあげた。
後に、二人でその「ひまわり」という映画を見てみると、イタリアの映画で、ロシアでの戦争にともなう数奇な運命の男女の物語だった。
映画を見終わり、涙がとまらぬ様子だった彼女には、つらく深い過去があることをそこで知った。
この映画が、ソフィア・ローレン主演の名作であることも、その時初めて知り、彼女との付き合いは別次元に深く進行することとなった。

 

2024/06/28

俳句を詠んでみる_0145【 夏の潮 葉山で見た ビキニのへそ 】

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ずうっと昔、学生時代の記憶を呼び起こして詠んでみました。

【 夏の潮 葉山で見た ビキニのへそ 】

《背景》季語:夏の潮[夏]
大学時代の彼女は高校生だった。
彼女の美しい叔母さんの家は葉山の御用邸のすぐ隣にあって、そこで着替えて浜はすぐそこ。
さらに彼女の妹もついてきて、それがまた美少女。
こんな夢のような状況で、しかも葉山のビーチで遊んでいいんかい!とまさに夢心地。
高校生の彼女のビキニは眩しく、おへそが見えてドキドキした。
ビニールのボートに乗り、沖へ漕ぎだし、葉山の青い海と潮風を感じた。
今では信じられない幸せな光景だった。
帰りのクルマでは、自分のクルマを提供してくれた私の同級生が運転してくれ、ナビを引き受けた私の彼女は助手席に。
彼女の妹と私は後席に。
彼女の妹は私の腕の中ですやすやと眠りだし、私の彼女は妹に「テメエ、ふざけるな、殺す!」と助手席で叫んでいた。
あの夏の出来事でした。

 

2024/06/27

「思いちがい辞典/別役実」を読みました。

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『思いちがい辞典/別役実著(ちくま文庫)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
1999年第一刷発行となっておりまして、当時の世相の中で書かれているわけで、「辞書・事典類はありきたりの説明しかしておらず、人々が“思いちがい”をしたくても出来ない状況にある」としています。
そして、“思いちがい”がいかに日常を豊かにしているか、思いちがいをうながすべく書かれたものだとしています。

こういう本は、十年ひと回りくらいすると、再度そのときの面白味が熟成されて増していくことが多いのですが、すでに“二回り半”している感じです。
二回り目くらいの頃だったらよかったのですが、今現在で読んでみると、丁度時期を外している感じになってしまいました。

たとえば、「電話機」という項目では、すでに“家電話”が無くなりつつある現在、しかも通話はあまりせずに、メール、Lineで連絡を取り合っている現在では、読んでもわからない世代がいるくらいで、完全に外している感じがしてしまいます。

「電球」にしても然りです。
LEDが普及している現在では、「電球の切れた音」について語られているのですが、若い人には何のことやらわからなくなっています。
三回りしたら、逆に時代の証拠資料的な文となってくると思いますので、三十年目にしてまたこの文章に価値が出てくるような気もします。

「テレビ」の項目では、食事中にテレビを見ることについて書かれていますが、家族でテレビを見ること自体がやはり無くなりつつあるし、テレビ番組よりも、個々にスマートフォンなどで動画を見たりしていることが多く、これも若い人にはわかりにくいことになっていました。

また、時代が時代だけに、女性の扱い方が今では“差別的”に感じてしまうものもいくつかありました。
こういうことについては、同時代の他の本にも多々見受けられ、時代を感じてしまいました。
もう歴史的な資料価値のあるものとして、今後は読まなければならないものになってしまうのかもしれません。

結局、私もあまり強い興味は持てずに読了。
あと五年くらい“寝かせる”といい味が出てくるかもしれません。

 

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