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2023/03/28

春風亭一之輔さんの「人生のBGMはラジオがちょうどいい」を読みました。

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『人生のBGMはラジオがちょうどいい/春風亭一之輔著(双葉社)』を読みました。
2021年に刊行された本で、気になっていたのですが、ブックオフで見つけました。200円は安い。

この本は、要するに中学生の頃から“ラジオっ子”だった一之輔さんが、家で聞いていた時の経験や、友達関係の中でのラジオの存在などを語っているもので、ラジオファンというものがいるならば、その人達は私を含め、かなりの驚きをもって読むことになると思われる本です。

一之輔さんは、若者向けの番組もおじちゃん、おばちゃん向けの番組も、お年寄り向けの番組も実によく聞いていたことがわかります。
とにかく聞きたい番組ばかりの一之輔さんはカセットに録音してでも気になる番組を網羅して聞き倒しています。

やがて一之輔さんはここに書かれているよく聞いていた番組に自分が出ることになります。
そして中高生時代に番組をやっていた人達にも実際に会うことになるのですが、私もラジオ好きな者のひとりなので、そのときの気持ちってどんなんだろうと思いました。うれしいだろうな・・感慨もひとしおだろうな・・と、思わず感情移入してしまいました。

私自身のラジオ体験で強烈だったのは、TBSの番組で、学校から帰ってきてラジオのスイッチを入れると、ほとんど新人だった久米宏さんと平野レミさんがスタジオ外に飛び出してやっていたものがありました。

ハチャメチャというか、もうルールが無いような奇抜なコーナーを二人が受け持っていて、爆発、炸裂するような勢いのあるものでした。

やがて、テレビの「ぴったしカンカン」で初めて久米さんの姿を見たときには、「こんな感じの人だったんだ」とびっくりしたことを思い出します。

一之輔さんは、現在ニッポン放送で「あなたとハッピー」という帯番組の金曜日を担当していますが、実に“緩い”感じでやっていて、しかも一之輔さんがかつて楽しみに聞いていた加藤茶さんの同時間帯の番組でアシスタントをしていた増山さやかアナウンサーと二人でやっています。
一之輔さん、どんな気持ちでやっているんだろう。

ラジオは明らかにテレビとちがって聞いている人は自分に語りかけてくれていると感じる媒体です。
そしてしゃべっている方も、漫然と全国的平均リスナーに向けてしゃべっているわけではなく、特定の人に語りかけているような気がします。

そんな特別な存在感のラジオというものと自分の関係についてじっくりと一之輔さんが書いた本、面白かったです。

 

2023/03/04

【はっPのアナログ探訪_0171: TBS系テレビ放映 ガッツ・ジュン主題歌 / ティー・カップス ( Single )】

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今回は1971年にTBS系列でテレビ放映された野球もののテレビドラマ「ガッツ・ジュン」の主題歌レコードです。

記憶に定かではありませんが、どうやらヒット作「柔道一直線」のあとをうけ、“スポ根”ドラマとして制作されたもののようです。

 

 

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主演は藤間文彦、父は日本舞踊藤間流の藤間勘十郎、母はやはり日本舞踊家で女優の藤間紫です。一時期はNHK銀河テレビ小説などにも主演されたりしていたようですが、今は後に母の夫となった三代市川猿之助の事務所「おもだか」の社長をされている方とのこと。

私の記憶の彼方にあるこのテレビドラマですが、前半は前作の柔道一直線にもあった特撮を生かして魔球が出てきたりしていて、野球を知っている人、野球好きな人には「なんだかなぁ」という番組だったと思います。
後半は方針を変えてチームワークなどを主にした野球ドラマに変わっていったようですが、その頃にはもう見なくなっていたかもしれません。

 

 

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この主題歌はとてもいい曲で、爽やかでメロディーも良く、思わず歌ってしまうようなものでした。
レコードを聞いてみると、うしろの演奏はテレビ放映時のものと同じだと思いますが、ティー・カップスというコーラスグループの歌声は明らかに異なるものでした。
「ビュン・ビュン・ビュン」という輪唱的に歌うところがちょっとコメディチックになってしまい、ややがっかり・・。
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わざわざこのドラマに出てくる架空の高校「名雄高校」の“校歌”まで入っていて、念がいってるなと思いました。この校歌もいい曲でした。
ほんとうにどこかの高校の応援歌にしてもかなりいい線いっていると思うような曲です。

かすかな記憶の中にあるこの曲とドラマですが、聞いたらけっこうよみがえってきました(#^.^#)
昔のテレビドラマの雰囲気を思い出しました。

 

2023/01/31

鮎川誠さんが亡くなった

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ロック・バンド「シーナ&ザ・ロケッツ」の鮎川誠さんが亡くなったことを報道で知りました。
鮎川さんが大学在学中に「サンハウス」というバンドを結成していたのは当時、バンド名は知れ渡っていましたが、私はまだその音を聞いたことがありませんでした。

初めて鮎川さんのサウンドを聞いたのは、たぶん当時ラジオのニッポン放送でやっていたと思われる「スネークマンショー」に「シーナ&ロケッツ(※当時のCDを見ると“ロケット”と表示されている)」の曲「レモンティー」や「ユー・メイ・ドリーム」が掛かりだした頃からでした。

「レモンティー」は、ヤードバーズの「トレイン・ケプト・ア・ローリン」をシーナ&ザ・ロケッツ風にアレンジしたもので鮎川さんのギターは特筆もののカッコよさでした。

“生の”「シーナ&ザ・ロケッツ」を初めて見て、そして聞いたのは、1980年、ニューヨークのパンク・バンド「ラモーンズ」のコンサートが渋谷パルコの西武劇場(※当時の名称)で開催されたときのオープニング・アクトでした。

鮎川さんの「ラモーンズがどんな演奏するのか、俺たちも楽しみにしている」という挨拶と共にシーナ&ザ・ロケッツの演奏が始まり、骨太で硬派で、“剛球一直線”な演奏は凄まじいものがありました。
ラモーンズもそうでしたが、あんなデカい音量でロックを聞いたのは生まれて初めてでした。

「シーナ&ザ・ロケッツ」というバンド名もひょっとすると、ラモーンズの傑作アルバム「ロケット・トゥ・ロシア」と、その中の一番いい曲「シーナ・イズ・ア・パンクロッカー」から取っていたんじゃないのかな、とその時思いました。

鮎川さんがロックに対する考え方や、自身の生き方について語っているのを何度かテレビ・ラジオその他で聞いたことがありますが、不器用だけど、真摯で、そして熱い情熱を感じました。それに先立たれてしまいましたが、奥様のシーナさんへの愛も。

また愛用の黒のレスポール・スタンダード(1969年製・地元の友人から譲り受けたもの)がカッコよかったですねぇ。
鮎川さんはレスポールに「お前は凄いやつだ」と語りかけながらステージに上がっていて、ギターに対する愛情もギタリストならではの深いものを感じました。
何かで見た記憶があるのですが、そのレスポールのテール・ピースが割れていて、それでもなぜかガッシリとネジで留まっていて“気合い”でギターとしての機能を維持しているのではないかと思われるものでした。鮎川さんの魂そのものみたいなギターです。

鮎川さんの訃報を聞き、いろいろなことが思い浮かべられてこのブログに書いてみました。
これからはあちらの世界で奥様のシーナさんと再会し、また豪快なロックを永遠に続けていかれるのだと思います。

 

2023/01/22

「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!/武居俊樹」を読みました。

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『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!/武居俊樹著(文春文庫)』という本を読みました。
ブックオフで見つけたものです。2007年発行となっていますので15年以上前なので、著者がこの文を書いている時点では、赤塚先生は入院はされていたもののご存命です。

漫画家、「赤塚不二夫先生のことを書いたのだ」とタイトルにありますが、著者の武居氏が編集者として赤塚先生と35年に渡り連れ添った中で、先生の生い立ちから漫画家になるまでの苦悩、苦闘、担当編集者になってからの先生の漫画がどのように作られていったかの詳細な描写、出版社同士の戦いの中での先生の様子、先の奥さんと再婚後の奥さんの話、先生の仕事場の戦場のような様子、その他女性関係や毎日繰り出して飲んだくれる姿など、内容は多岐に渡り、重く・・、つらく、読んでいるだけでこちらの具合が悪くなってくるようなものでした。

赤塚不二夫先生といえば、私には少年時代から親しんだ漫画がたくさんありますし、アニメ化されたものもいくつも見ていました。
手塚治虫先生、藤子不二雄先生に並び、私の漫画と共に過ごした時間の大切な漫画家です。

先生は終戦後母親、兄弟姉妹と共に満州から帰国しますが、父親は抑留されたままで、後に帰国することになります。
満州でのあまりにも過酷な状況や、引き上げ前後に妹を二人亡くしていることを知り、驚きました。
帰国後もたいへん厳しい生活だったことがわかりましたが、読んでいるだけで気絶しそうに苛烈なことが書かれていました。

東京に出てきてからの仕事の話や、その中で漫画を描き続け、やがて手塚先生に会いに行き、そこからまた苦労して漫画家になるまで・・そこまでで読んでいて倒れそうになりました。

著者の武居氏が赤塚先生の六代目編集者として赤塚先生の仕事場を訪れてからの話は怒涛のように展開し、戦場のような仕事とお酒、アイデアを生み出していく様子が映画のラッシュを見ているように目まぐるしく繰り広げられ、それらが文章化されていました。

出版社同士が先生の連載作品を奪って自分の週刊誌に移動させてしまったりする話も、これを読んで初めて知りました。
これらのことについてここで書くのもいいかもしれませんが、私には赤塚先生がアシスタントとして入れた人たちを成長させ、一本立ちさせ、有名漫画家にまでなるところが一番心に残りました。

実際には弟子をひとり立ちさせると自分の“片肺”がもぎ取れられるようで、たいへんなことになるわけですが、それでもあえてその人のためにそうする姿が大変印象的でした。

人に対してもよく動く人でしたが、レコード会社を作ったり、映画に携わったり、クルーザーを買って、たったの二回しか乗らなかったり、キャンピングカーも一度も乗らないのに買ってしまったり、とにかくよく動きます。
信じていたスタッフに何億円も横領されたりもしましたが、とにかくアグレッシブに行動した人だと思いました。

あのタモリさんも、「私は、赤塚先生の作品のひとつです」と自らのことを先生の弔辞として読み上げていました(実際はアドリブだったらしい)。

プロデュース能力にも長け、創作されたギャグについては日本一だったと思いますし、何と言っても漫画に登場するキャラクターが素晴らしい。
しかも、その秀逸なキャラクターは主人公ではなく、脇役です。

イヤミや、ニャロメ、ちび太、レレレのおじさん、ココロのボス、めんたまつながりのお巡りさん、ダヨンのおじさん、はた坊、最高なのは脇役なのに主人公になっている「バカボンのパパ」・・タイトルは「天才バカボン」で、バカボンが本来の主役なのに・・実に面白い(*^^*)

それに、「シェーッ」をはじめとする流行語的な決め言葉も数々生み出しました。
「これでいいのだ」とか「賛成の反対なのだ」とか「〇〇だ、ニャロメ!」などなど、ほとんど天才的です。
ビートルズも来日時にヒルトンホテルで「シェーッ」のポーズをしている写真が残っています。

これらを思い起こすと、この本の過酷な内容については少し忘れ、笑顔になることができます(#^.^#)

赤塚不二夫先生の作品、私の子供時代をとても愉快なものにしてくれました。
先生、ありがとうございました。

 

2023/01/17

高橋幸宏さんが亡くなって

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高橋幸宏さんが亡くなったと報道で知りました。
私が学生時代にドラムを手に入れ、叩き始めて一・二年くらいの頃でしょうか、サディスティック・ミカ・バンドのレコードを買いました。

それは写真を掲載している「黒船」というアルバムでした。
アルバムジャケット裏側に高橋幸宏さんが空中を飛ぶように写っています。
これが高橋幸宏さんのドラム・プレイを聞いた最初の音源でした。

 

 

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アルバム二曲目の「何かが海をやってくる」のドラムは実に“キレ”のいいもので、リズム感が今まで聞いてきたものとは異なるとすぐに感じました。
確実でキレがあるハイハットは、アクセントを入れるときにハーフオープンを使い、それがまたカッコよかった(*^-^*)
スネアもキレキレで、さらにタムの音はズドンと深い音で震えがくるような迫力でした。
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そして「黒船(嘉永6年6月2日)」が始まると、当時としては珍しいというか、最先端な感じに私には聞こえたタイトなリズムが素晴らしかった。

自己流で叩いていた私には大いに参考になるドラムでした。こういう風にちゃんと叩かねば、と心に刻みました。

その後 YMO のドラマーとなったわけですが、私はテクノ・ポップに反応しなかったのでアルバムも持っていなく、有名曲しか知りませんでしたが、高橋幸宏さんのドラムの叩き方には注目していました。
叩くドラム・セットの構成は変わっていましたが、でも基本的にキレがいいことと、あまり大きなストロークで叩かないこと、派手なアクションもしないこと、フィル・インは短いが非常に効果的であることは変わっていないと感じました。

何年か前に木村カエラさんをボーカルにサディスティック・ミカ・バンドを再結成したときの高橋さんのプレイを見聞きしましたが、基本的にその姿勢は変わっていなくて、とてもうれしい気持ちになりました。

私が存じ上げないところで、様々な活動をされていた高橋さん、原田知世さんの映画に出たときにインタビューを受け、「ぼくは知世ちゃんのお父さん役で出ていた」と言ったあとに、「回想シーンなのでスクリーン上では共演していないんです、でも“遺影”として同じ画面には映っていました」とやって笑いを取ったりして、人柄も素敵な方なんだと感じたことを思い出しました。

残された作品は、これからも特にドラマーには大変参考になるものだと思います。
70歳と、まだまだお若かったのにとても残念です。
今、「黒船」を取り出して、また聞いているところです。

 

2022/12/29

「自動車ロン/福野礼一郎」という古い文庫本を読みました。

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『自動車ロン/福野礼一郎著(双葉文庫)』という本をブックオフで見つけ、読んでみました。
けっこう古い本だし、「自動車評論短編エッセイ」などとうたっていて、私にとっても懐かしく、ちょっと“昔はよかった”みたいなノスタルジーを感じるような文もあり、たのしく読みました。
昔、クルマについての本、雑誌などをよく読んでいた時期がありましたが、著者の福野礼一郎さんのお名前は頻繁にお見掛けしておりました。

トヨタの「アルテッツァ」について「やはりトヨタ車だ、ダメだ」と、より硬派なクルマを当時期待していた著者ががっかりする文もありました。
私は、当時「アルテッツァ」を見て、このボディーサイズとスタイルで日産が「スカイライン」を作ったらけっこういいスポーツカーになるんじゃないか、などと思ったことを思い出しました。
著者は「R34スカイライン」をかなり褒めていますが、私にはちょっと図体がデカ過ぎるんじゃないかと思っていました。

トヨタの「ソアラ」が出てきたときの衝撃も書かれていて、著者はすぐに惚れ込んで購入してしまいます。
あれは1980年代初頭でしょうか、当時の私にも“未来のクルマ”に見えました。
で、せっかく「ソアラ」を買ったのに、そのパワートレインを乗せた「セリカXX」が出た途端に「これだ」と思い、買ったばかりのソアラを下取りに出して「セリカXX」を購入。
そして購入してすぐに高速に乗ると、「やや、これはセリカの鼻先にソアラのエンジンを載せただけで、足回りはダメダメだ・・。」とがっかりするのでした。
怒った著者は無理な改造に改造を重ねスピードアップをはかり、やがて無理がたたり、エンジンを破壊してしまいます・・。

さらに私が「おお、懐かしい」と思ったのが、マツダの初代「RX7」です。
コンパクトで、いかにも走りそうで、スポーツカーっぽくて、しかもエンジンはロータリーという・・当時に私にはどんな走りをするのかとても興味がありました。

次から次へと懐かしいクルマが登場するのですが、この本に書かれている時代のクルマは実際はどうだったのか乗ったことがないのでわかりません。
でも現在の“旧車ブーム”は、あの頃のあのクルマに乗ってみたいという気持ちになる人が多くいるからでしょう。

懐かしいクルマが出てくると「そうそう、そうだった」などと一人で合いの手を入れながら読み切りました。

今、私が乗ってみたいと思うクルマは、日産の“鉄仮面スカイライン”、トヨタの初代「MR2」、ホンダの「4WSプレリュード」です。
皆さんはどんなクルマ(旧車)に乗ってみたいですか?

 

2022/12/13

「国民的俳句百選/長谷川櫂」という本を読みました。

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『国民的俳句百選/長谷川櫂著(講談社)』という本を読みました。
2008年に第一刷が発行されているので14年前の本になります。
著者の長谷川櫂さんは読売新聞記者を経たのち俳句結社「古志」を主宰し創作活動に専念されている方。妻は新聞のコラムなどで見かけた方だと言っていました。たくさんの著書もあり、この本を読んで俳句に対する知識の豊かさと、気持ちの入れ方がとても深く、俳句への愛情を感じました。

“国民的百選”というくらいですから、私もよく知っている俳句が何句も選ばれているのですが、選ばれたそれぞれの俳句に関連していくつもの、そして何人もの詠み人の俳句も紹介されていて“俳句三昧”な本でした(*^^*)

百選の中から私個人が気に入ったものをいくつかご紹介すると

「秋の夜の猫のあけたる障子かな/細川加賀」
・・・猫好きの私としては実に“いい感じ”に光景が浮かぶ句でした(#^.^#)

「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり/飯田蛇笏」
・・・これは秋になって忘れられていた風鈴が鳴ったときの描写なのだと思います。中学の国語のときにたぶんこの句が教科書に載っていて、試験のときに作者の感じたことを書けという問題があったのを思い出しました。
で、先生が授業中に言っていた「作者の感じたこと」を答案に書いたら「×」が付けられていました(・。・;
「秋に風鈴が鳴っている“すさまじい”ものを感じている」などと先生が言っていたのですが、それはちがうだろう・・と思いつつ先生の言った通りに答案に書き、「×」をいただいたのでした。
だから、よく覚えている。山谷先生、どうなってんだよ!

「湯豆腐やいのちのはてのすうあかり/久保田万太郎」
・・・作者の万太郎は妻にも一人息子にも先立たれ、寂しい晩年を送ったそうです。
死の半年前に詠んだこの句、“いのちのはてのうすあかり”がものすごく効いている。心の中にすうっと入ってきました。

「春の夜の女とは我(わが)んす(娘)め哉/其角」
・・・いろいろな解釈がこの本には書かれていましたが、春のある日、其角娘を連れて江戸の郊外へ遊びに出かけ、日が暮れて二人駕籠で帰るところを見かけた誰かが「どこかの女と」とあらぬ噂を立てたのだろう。という状況ではないかというのです。
で、この句を詠んだ其角先生、くやしそうにしながらも実は“何だかうれしそう”だという・・私もそれを読んでうれしくなる、そんな句でした。

というわけで、四句ほどご紹介して、この本の読後感に代えさせていただきます。

 

2022/11/25

「さよならの力/伊集院静」を読みました。

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『さよならの力 -大人の流儀7-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
2016年から2017年にかけて週刊現代で初出、単行本化に際し修正・書き下ろしを加え2017に刊行されたものです。

この本のテーマはタイトルどおり“さよならした人”、かつて“さよなら”したこと、“亡くなった人とのさよなら”などについて書かれていました。

伊集院さんは、大学生の頃、弟さんを海の事故で亡くし、27歳という若さの奥さん(夏目雅子さん)も亡くし、父を亡くし、そして東日本大震災で仙台に住む伊集院さんは多くの人とお別れすることになりました。

そういう心に遺された痛み、傷のようなものが時を経てどう心の中で変化していくのか、ということが書かれています。
これは他の伊集院さんの著書でも書かれていることがありましたが、特に突然失ってしまった配偶者や自分の家族などについては、さまざま多くの人がそういうことに遭遇することになる・・そんな人にどんな声を掛ければいいのか、自分に対してもどう考えればいいのか、ということが丁寧に静かに書かれていて、涙してしまうことが読んでいて何度かありました。

それから、小さい頃にいろいろ面倒をみてくれた近所のお兄さん的存在だった人。
その人が中学を卒業してから会っていない、さよならしたきりだ・・ということが書かれていましたが、私にも小さい頃に近所にちょっと悪い感じだけど、でも自転車に乗せてくれて、いろいろなところに連れて行ってくれたり、自分が知らなかった遊びなども教えてくれる“トシ坊”というお兄さんがいました。
そして、やはり私が小学校高学年になった頃にはもう我が家にも遊びに来なくなり、さよならしたきりです。
そんな人が誰にもいたんじゃないかなと思いました。

「さよならだけが人生だ」なんて言葉もありましたが、さよならすることよって人間は何かひとつ乗り越えていくような気がします。
そして人に対してやさしくなれるような気もします。

さよならについてしみじみと考えることになる本でした。

 

2022/11/22

中学時代の先生が開いた「レコード・コンサート」に行って来た。

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私の中学時代の担任で美術の先生、特にジャズが好きで、しかもアナログ・レコードでいつも聞いています。
そして、絵画や造形作品の個展も年に数回行っている中、今回は「レコード・コンサート」をJR飯岡駅併設の「ふれあい館」で行いました。
・・先生のバイタリティーは私なんかをはるかに超越して驚くべきものがあります。
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今回使われたスピーカーも異彩を放っていました。

昔のナショナル「8PWT」という不思議なウーファーと同軸上にスコーカーがあるようなスピーカーは、たぶん自作のケースに入り、しかもさらに自作の石膏で固められたホーン型ツイーターが上に乗っておりました・・さらに先生のカラフル・ペイント付き(^^;
で、これがまたいい音出すから不思議なんです。
ヘレン・メリルのモノラル・レコードが素晴らしい音で鳴っていました。

 

 

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そのほかにも、JBLの楕円型20㎝スピーカーがエッジも無かったものをご友人の協力で修理して、これまた自作のケースに入れて、またまたいい音で鳴っていた・・(^_^;)
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そして40年くらい前の電気屋さんの処分品のA&D(アカイ電気と何処かが組んだブランドらしい)のスピーカーが現役バリバリで豊かなジャズを奏でていたのでした。
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さらに壺状花瓶に穴を開けてスピーカーユニットを入れた“陶器スピーカー”もあって・・(^^♪
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最新鋭の今どきのスピーカーの“小洒落た”きれいな音ではなく、どれも気合の入った低音から中音が下から湧き上がるようなたくましい音を出していて、先生もごきげんでしたが、聞いているお客さんも私もごきげんになりました(*^-^*)

いい時間を過ごせて幸せでした。
やはりレコード盤の音はいいし、昔のスピーカーの音もいいっ!!

以上で今回のレコード・コンサートの報告は終わりです。

 

2022/11/12

【はっPのアナログ探訪_0167: 南国土佐を後にして / ペギー葉山 ( SP )】

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このアナログ探訪始まって以来の『SP盤』です。
このあいだこのブログでリサイクルショップにてレコード・プレイヤーを購入したことを書きましたが、そのプレイヤーには78回転のセレクトが付いていました。
なので、この所有していたSP盤を初めて聞くことになりました(*^-^*)
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SP盤とは、蓄音機で聴くアナログ盤です。
この「南国土佐を後にして」は、ペギー葉山さんのヒット作ですが、SP盤で出ていたのですね。
「78回転盤と45回転盤と両方で発売しています」と書かれているので、ちょうど「蓄音機」から「電蓄」への移行期だったようです。
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これは、16年前の職場の同僚が中古家具屋に行って、ラック類を探していたときにラックの中に入っていたこのSP盤を見つけ、お店の人もそれを知らなかったが、このレコード盤を売ってくれと言うと200円で売ってくれたのだそうです。

それを聞いた私が“交渉”の末(^_^;)50円で譲り受けたものです。
それ以来SP盤を掛けることのできるプレイヤーがなく、今に至るのでした・・。

 

 

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早速先週購入したプレイヤーを78回転に合わせ、聞いてみました。
な、なんといい音じゃありませんか!SP盤独特のスクラッチ・ノイズなんて聞こえやしません。ラッキー(^^♪
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それでもって、写真のように、藤間若葉さんという方の「踊りの振付」まで入っていて、あなた・・踊ることも出来ますよヽ(^o^)丿
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そしてB面には、「ドクトル・ジバンヌ」というペギーさんが日土文化友好協会の招きで当時トルコに行き、主要都市を巡演したらしいのですが、向こうで流行っているヒット曲を日本流にアレンジして歌ったものが入っていました。
これがまた“異国情緒”横溢の良い曲でした。
昔はこんな感じの曲が他の歌手でもあったような気がします。とてもいい。

というわけで、16年越しに所有していたSP盤を聞くことが出来たのでした。
このレコード盤は数々の偶然により私が聞くことの出来た不思議な因縁の音盤となりました。

 

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