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2022/06/03

堀内恒夫さんの「バカでエースがつとまるか!」を読みました。

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『バカでエースがつとまるか!/堀内恒夫著(ベースボール・マガジン社新書)』を読みました。ブックオフで110円で見つけました(*゚▽゚)ノ

堀内恒夫さんは、プロ野球・巨人軍が「日本一9連覇」したときの投手、もちろんエースでした。そして子どもの頃の私が一番憧れたピッチャーでした。

速球と打者の背中から曲がってストライクゾーンに入ってくるカーブに驚いたものです。
オールスターなどでは、初めて対戦する打者がストライクなのに、のけぞって転倒するシーンなども何度も見ました。
守備は抜群に上手く、さらに打撃では自らの本塁打で日本シリーズを勝ったりと、そりゃあすごい人でした。
それゆえに、この本にも書かれていましたが、“甲府の小天狗”とか、“悪太郎”などと新聞に書かれたりしていたのも覚えています。

でもね、読んで驚いたのですが、堀内さんは様々なスポーツ紙を取寄せ、切りぬきは段ボール箱で何箱もして、打者の故障やその他の情報を集め、次の対戦では軸足の故障している打者には、ここを攻めればとか、対策を考え、試合後にはノートに打者への投球について細かに記して、攻め方や失敗したことなどを次の試合への糧にしていたとのこと。

また、登板前夜には、一試合分、打者ごとに丸々、頭の中でシミュレーションして臨んでいたとのことでした。
自分が現役時代に投げた投球は、ほとんど記憶に残っていて、一球一球まで再現出来るようです。“江夏の21球”のライフタイム版です。

それほど投手(特にエース)というのは、常に考えながら投球しているのだということが、今にしてわかりました。

 

 

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私が一番印象に残っているのは、1972年。巨人が8連覇したときの堀内投手です。
それまで二十勝したことは一度も無かった堀内さんが、シーズン26勝して、日本シリーズでも大活躍したんじゃないでしょうか。打者としても大活躍していたと思います。

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写真を二枚ほど載せていますが、これは学生だった私が切り抜いて取っておいたものです。
この年の堀内さんは“ひとまわり”スケールアップした感じがあったと記憶しています。
誰も打てない・・。球は速い。カーブは驚くほどの落差があり、天下無敵でした。
シーズン中に100勝を達成。そして日本シリーズでは王・長嶋以外では9連覇中初めて最優秀選手賞を取った人だと思います。

子どもの頃の私は草野球のユニフォームを買ってもらい、背番号は「18」を付けました。
憧れだったからです。

そんな堀内さんの“歯に衣着せぬ”本音で書いた本、とても面白いものでした。
力強い投手論(エース論)は、堀内さんならではのものでした。
スカッとする爽快な本でした。

 

2022/05/07

安野光雅さんの「空想亭の苦労咄」を読みました。

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『空想亭の苦労咄/安野光雅著(ちくま文庫)』を読みました。

著者の安野光雅さんの名を知らない人でも、安野さんの絵を見れば「ああ、この絵を描く人!」と誰もが知っている安野さんの水彩画が思い出されます。

この本の中でも話が出て来ますが、以前NHK-FMの番組「日曜喫茶室」に安野さんは“ご常連”の立場で度々登場し、独特の語り口調で司会の「はかまみつお」さんと、ゲストの方々の語りに加わり、より話に花が咲くような“味のある”お話しをしてくださいました。

この本を読んで、安野さんはかなりの“落語好き”だということがわかりました。
幼少期や、戦争、芸術、闘病や死生観についてまでを自伝のように語るのですが、その多くを落語のネタになぞらえて、落語の語り口調でお話しをするように書かれていました。

こういう書き方をしている本は初めて読みましたが、なかなか面白いし、深い味のある話なのに、読んでいる側には、とても軽快な印象を与える文章でした。

安野さんは、“生きていること”を実に楽しんでおられた、と思いました。
安野さんと深く付き合いがある方が亡くなったときも、自分が亡くなるときはこういうふうにしたいな、ということも書かれているように感じました。
そして、安野さんは昨年、亡くなられました。

あのラジオやテレビでの語り口調、もう一度聞きたいと思いました。

そして何度読んでも面白いこの本、安野さんの想い出と共にまた読み返したいと思います。

 

2022/04/26

「日本橋に生まれて -本音を申せば-/小林信彦」を読みました。

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『日本橋に生まれて -本音を申せば-/小林信彦著(文藝春秋)』を読みました。
週刊文春に連載されているコラムの完結編とのことです。
シリーズ23巻目にあたります。

翻訳推理小説雑誌編集長を経て、作家となられた著者、小林信彦氏は昭和7年生まれ。
上記、推理小説雑誌編集長に就任するにあたっては、あの江戸川乱歩も関わっていて、その様子もこの巻に書かれていました。乱歩までさかのぼれるような方なのです。

文中に登場する人達も、まだ売れていない頃の野坂昭如さんや、渥美清さん、植木等さん、エノケンさん、長部日出雄さん、横溝正史さん、大滝詠一さん、大島渚さん、内田裕也さん、坂本九さん、タモリさん、伊東四郎さんなど、錚々たる顔ぶれです。

ただ、私もかなりの年配者ですが、もう書かれている場面の背景がわからない部分が多く、当時の世相や、テレビ番組なども皆目“見当がつかない”ことだらけで、何を言っているのかまるで理解できないことがありました。

また、項目によって“書きぶり”というか、テンポも異なり、詳細に書かれている部分もあれば、あっさりと“飛ばして”いるようなところもあり、追いつけない部分も多くありました。
「わかっているだろう」という感じのところが多々あるので、そういう書きぶりの項は、ほとんど理解できませんでした。

細かく書かれている項もあったので、それについては時代背景や、当時の状況(ゲバゲバ90分などの番組について書かれていた部分など)もよくわかり、とても懐かしかったり、新事実を知ったりで、驚きました。

私がなかなかついて行けなかったのは、関わってくる有名な人たちに対する接し方、感覚が、“突き放す”ようなものが多く、情緒的なふれあいみたいなものを感じる接し方を感じた人はほとんどいませんで、ちょっと“引き”ました。
あまりにも“ドライ”な感じが、読んでいるこちらにとって、ちとつらい・・。

まるで昔話を映画のフラッシュを見ているような感じで次々と語られていて、当時の状況を知っている人からしたら、とても興味深く、資料的価値もかなりのものだと思いました。
ただ、私には、様々な文献で過去を勉強してからでないと、“太刀打ち”できないものでした。

また出直します。

 

2022/03/05

「歌集 街樹」を読みました。

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『歌集 街樹/秋葉四郎著(短歌新聞社)』を読みました。
今年に入り、古書店で見つけた「房総のうたびと」という本に「秋葉四郎」という歌人の名を見つけ、それが私の中学一年のときの担任の先生であったことに気付きました。

中二・三年の担任であった美術の先生とは今だ付き合いがあるので、その先生に秋葉四郎先生のご住所をご存じないかと問い合わせ、秋葉先生にお手紙を差し上げたところから話は始まりました。

私が“本好き”になったきっかけは、中一のときに秋葉先生から放課後「これを読んでごらん」と渡された三冊の本でした。
それからは“本の虫”となりました。

話は戻って、私がお手紙を差し上げた先生は、ご健在なら八十五歳。
既に書きましたが、先生からお便りが届き、先生の歌集と、先生著作の短歌入門まで同封されていました。

さっそく歌集を読んでみました。

この歌集に入っている「歌」は、ちょうど私が先生に教わっていた頃と、その前後数年です。
あの、三十代だった頃の先生の姿を思い浮かべながら、先生の歌に接しました。

秋葉先生の師である、佐藤佐太郎氏に従ってオーストラリア、ニュージーランドや、その後のアラスカ、シンガポール、マレーシア、インド、マニラ、ロスアンゼルス、サンフランシスコの風景様子を描いた歌も印象的でしたが、私には、中学教師時代に書かれたものが衝撃的なくらいの印象を受けました。

奥さまと共働きで教師を勤め、喘息持ちの幼い子供さんを保育園にあずけながらの日々の厳しい現実と対峙するように、真っ正直に書かれた歌に心うたれました。

美しい歌も数ありましたが、でも

〇吾に拠り生きつつ幸ひの薄き妻この玄関の灯のうちにゐる

〇室内に衣類干しつつ頽廃の日々のごとくに妻と勤むる

〇預けつつ育て二歳になりし子が朝はみづから衣服をまとふ

など、あの頃、きちっとスーツを身に着け、颯爽として厳しかった先生からは想像できないものでした。

後記で先生が書かれていたのですが、「あらゆる芸術に功利性はない筈だが、芸術に関係なく人は生きられない。何らかの形で芸術はその人の糧となり生を支えているようである。真詩としての純粋短歌は単なる小文芸にとどまらず、本物の芸術としての力を発揮している。」とあり、まったくの同感を覚えました。

〇折ふしの怒りに自浄作用ありわがからだ軽くなりて歩みつ

先生の「怒り」は、雷鳴のごとくでした。ものすごく恐かった。
あの怒りが自浄作用のひとつだった・・(^^;)のかと思うと、私も先生に何度か自浄作用を起こさせていたのかもしれない…σ(^_^;)

 

2022/02/23

中1のときの先生からお手紙が届きました。

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このブログで先月ご紹介した話ですが、正月に古本屋さんの新春セールに出掛けたときに「文学研究」のようなコーナーがあり、そこで見つけた『房総のうたびと』という本をパラパラと頁をめくり、見ていると、《秋葉四郎》という作家の名を見つけ、よく読んでみると、私の中学一年の時の担任で国語の先生であることがわかりました。
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先生の短歌についての作品研究と、先生の“人物”“人となり”などについても書かれていて、とても懐かしく、また当時先生から放課後にクラスの中で三人呼ばれて、それぞれに三冊ずつ「読んでみなさい」と本が手渡されたことがありました。

これがきっかけとなり、私は今に至る“本好き”となったのです。
先生には、今でも感謝していたのですが、調べると先生はご健在であれば、85歳になられているということがわかりました。

このブログによく登場する、同じく中学校の二~三年の担任で美術の先生に連絡を取り、秋葉先生のご住所をご存じないか?とたずねると、調べてくれて、私はお手紙を出すことにいたしました。

それから一か月、特に音沙汰もなく、「ひょっとして・・」などとよからぬ心配までしておりましたが、昨日、お手紙がが届きました。

あなたのことはよく覚えていますよ。

心打つお手紙ありがとう。

私のライフワークである短歌作品に気づいてくれてうれしい。

私の書いた本、「歌集・街樹」、「短歌入門」の二冊をさしあげるので、読んで見てください。

などとお手紙に書かれていて、涙が出ました。

先生は、今でも東京で歌人としての活動をされているとのこと、そして地元千葉でもカルチャー教室で短歌を教えられていて、さらに自らの短歌結社〈歩道〉でも活動されているとのことでした。

まだまだお元気で、こんなにうれしいことはありません。

さっそく、先生の歌集と短歌入門を読んで、短歌に親しもうと思っているところです。

 

2022/02/08

「笑伝 林家三平/神津友好」を読みました。

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『笑伝 林家三平/神津友好著(新潮文庫)』という本を読みました。
これもまた、ブックオフで購入したのですが、もともとは昭和60年に文藝春秋社から刊行されたものを平成17年に文庫化したものです。

林家三平(もちろん初代)といえば、「昭和の爆笑王」と言われることが多いわけですが、この本によると、亡くなられたのが昭和55年ですから、もう三平さんの全盛期を覚えている人も少なくなっていると思います。

私にしても、たぶんテレビに出まくりの全盛期は小学生だったと思いますので、「時は流れた」と実感します。

私が覚えている三平さんは、高座というか舞台では立っていて、うしろに絶対に笑わないアコーディオン奏者の方(この方がどういう人かということも、この本には書かれていた)がいて、歌いまくり、上手から下手まで走ったり、転んだり、そしてギャグの連発、おもしろいんだか、おもしろくないんだか考える間もなくしゃべりまくり、“ウケない”と「これはなぜ面白いかというとぉ~」ってお客さんに説明したりしていました(^^;)

昼から夜まで、テレビにも出ずっぱりで、昼の帯でワイドショー的なものにも出ていたような記憶があります。
東京タワーのサテライトスタジオから「タワーバライエティ」という番組だったような記憶が・・。たしか司会のアナウンサーは豊原ミツ子さんという方だったんじゃないかと思います。

この本は、終戦を迎え、兵士だった三平さんは復員となり、東京の瓦礫の中に自宅を探す姿から始まります。
その後の父・林家正蔵の死から、落語家としての下積みの様子、結婚、さまざまな苦労や失敗の話、噺家としての苦悩する様子、売れ出して調子にのって女に溺れたり、散財するところなど、事細かに書かれていました。

著者の神津友好さんは、以前よくお笑い番組や寄席番組などで解説している姿をお見かけした方でした。
三平さんが病に倒れた晩年に三平さんと互いに涙を流しながら復活への台本を書かれたりしていて、私も涙ながらに読みました。

この本を書くにあたっても、三平さんの奥さんの香葉子さんのもとに足繁く通い、いろいろなエピソードや事実確認もされていて、私も「こんな詳細な伝記が書けるというのはすごい仕事だ」と驚きながら読みました。

三平さんが日々新聞を何紙も取り、そして電車の中吊り広告を見たりして、一番あたらしい話題を取り上げようとしていた姿が書かれていましたが、今、こうして新しい話題を次々とギャグにして、人々をなんとか笑わせようとするお笑い芸人って、いるでしょうか。

人を笑わすのが商売なのに、コメンテーターみたいなことをやっている人、やりたがっている人が多くて、「笑わしてくれないんかい?!」と突っ込みを入れたくなるのですが、笑いのためならどんなことでもやっちゃう、そんな芸人さんはもう出ないだろうと思いつつ読了いたしました。

 

2022/01/09

新春セールで見つけた「房総のうたびと」という本。

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『房総のうたびと -その、短歌現在-/新井章著(崙書房)』という本を見つけました。
よく行くブックオフの中でも大きな店舗、祐光町店で、“新春20%Off”セールがありましたので妻と出かけたわけです。

また後日紹介しますが、この日の収穫は「文学研究」のようなコーナーにあった『日本文学を読む・日本の面影/ドナルド・キーン』でした。格安!

そしてその本の隣にあったこの『房総のうたびと』。
房総にはどんな「うたびと」がいるのかと気になり、パラパラとめくってみると・・!!・・「新写生・新万葉調歌風の確立-秋葉四郎」の名が。

秋葉四郎先生は、私の中学時代の一年生の時の担任です。
よくこのブログに出てくる美術の先生は、二・三年時の担任でした。

紹介文から推察するに、間違いなくこの秋葉四郎先生は私の中学一年の担任です。

先生の抑制の効いた「うた」、写実的で静かな「うた」に今のこの年齢で接し、とても心が清々しくなりました。

「えっ、秋葉先生は有名な歌人だったのか」とあらためて驚き、いろいろ調べてみました。
昭和12年生、日本の歌人、文芸評論家、随筆家、教育者、文学博士、短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長もされたようで、日本歌人クラブ顧問とも記されています。

先生が担任を受け持ったのは、私達のクラスが最後だったことを記憶しています。
その後は、教育委員会に行かれたところまでは存知上げておりました。
こんな高名な方だったのに、私達生徒には何も言わず、国語の授業を丁寧にされていました。そして、昔の教師像を絵に描いたようなきちっとした立派な姿が印象に残っています。

そんな先生がある日、放課後にクラスの女子二名と、男子は私一人を呼び出されました。
そして、「これを読んでごらん」とそれぞれに三冊ずつの本を手渡されました。
その本は、今でも保存しているのですが、私には「次郎物語/下村湖人」「友情/武者小路実篤」「あしながおじさん/ウエブスター」をくださいました。

今の私の“本好き”は、まさしくこの時がきっかけとなりました。
秋葉先生ありがとう。

ブックオフが新春セールをしていなければ、いつもはあまり行かない「文学研究」のコーナーに行かなければ、このようなことを知ることは今後も無かったでしょう。
「出会い」と「偶然」は大切にしようと思いました。

 

2021/12/31

怖いが、365日を振り返る。

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写真は日々ふと気づいたことをメモしているメモ帳とノートです。
あとで、これらを見ながらブログを書くこともあります。忘れっぽくなってきましたから。

大晦日になりました。
今年は激動、激変の年だったので、年末にあたり、自分自身に“言い聞かせる”意味も含めて…σ(^_^;)一年を振り返ってみたいと思います。

1月、年が明けたのに、体調は大不調でした。
年末に病院に行き、薬等ももらったが一向に良くならず、無理やり3日には再度病院に行き、4日には入院となってしまいました。

そこからが闘病の日々でした。
ひょっとして生きて帰って来ることはできないかも・・という状態でした。
一ヶ月の入院、闘病の末、生還!
でも、帰ってからも体調を元に戻すのに苦闘の日々でした。
自宅の階段も自力で昇れないような状態から、我慢我慢、家族の協力も得て、庭を歩けるように、近所周辺を散歩できるように、そして今は公園などで何キロも歩くことが出来るまでになりました。
生きていてよかった。

仕事は家族と相談し、決断して辞めることにしました。
夏頃までには、ひとりでいろいろなことが出来るまでに療養を頑張ろうということにしました。

辞めてしまった仕事・・。
苦労ばかりで、そんなに恵まれた仕事人生ではありませんでしたが、でも土木から戸籍・住民記録、年金、小中高校の耐震工事、相談業務、広聴業務、市内を巡るネットワークと、職場全体のネットワーク統合と構築、東京での国会や省庁との連絡業務、地域振興での多種多様な業務、大きな祭りなど、我が社でもこんなにあれこれ様々な職種を経験している人はあまりいないかもしれないほどの経験をしました。
それはそれで一人の人間としてよかったのかもしれないと、今にして思います。

世間はコロナ禍ということで、好きだった宝塚観劇も出来ませんでした。東京には一度も行けてないし、電車にも乗っていません。
とても残念だけど、これは仕方ない。

映画は、今年後半になって、市内でやっと少し見ることができました。

その分、読書はよくしました。読めば読むほどいろいろな人の考え方や人生を擬似的に経験しているようで、心の栄養になりました。
このブログで読後感を書いているのも、皆様への“お裾分け”の気持ちです。

音楽も、ビートルズとジャズを中心に聞き、ブログ内でもその様子をかなり書くことができました。これも自分にとってとても大切な「音楽」と向き合うことになりました。

会いたくて、会いたくてたまらない人で、今年は会うことが出来なかった人もいますが、なんとか来年は会って、つもる話をしたいと思っています。

私の中学時代の先生とはよく電話でお話しました。
いろいろ不安だった私に言葉をかけていただき、こんなに長きに渡ってお世話になり、私は幸せ者だと思いました。先生にはほんとうに感謝しています。

仕事を降りてから、人間関係が寂しくなるのかと心配もしましたが、でも、それでも出会える人、いろいろやり取りできる人はできました。
むしろ、仕事で頭の中が忙殺されていたときよりもしっかりとした関係になれたように思います。不思議なものです。

それに、SNSは一般的な感覚としては“稀薄”な関係性かのように思いますが、いやこれもまた古くからの付き合いの方が見てくれていて、それがとてもうれしく、安心感をもたらしてくれることに、あらためて気づきました。いいものなのです。通り一遍の見方をしなくても、自分なりのSNSの中での関係性というものがあるのだと思いました。

このブログの中で自分の今までの人生の出来事を振り返って、うれしかったこと以外にもひどいこと、つらいこと、すべてどんどん書いてみました。
批判されるかと思いましたが、アクセス数は上がり、むしろ好評でした。それもよかったことです。

今は、上記ブログなども含め、もう一度人生を振り返って、自分のためにも、家族のためにも日々生き生きと自分らしく生きることを中心に据えて、来年以降これからの生き方を考えようとしています。

・・こんな感じですd(^_^o)

まだまだコロナウイルス感染はやや増えつつあったりして、来年以降も不安な要素はありますが、どうかご覧の皆さんにおかれましても、来年が「良い年」になりますように。

以上、今年の締めくくりブログでした。

 

2021/12/21

中学生時代から今に至るまで、「レコード盤を貸してくれ」「CDを貸してくれ」「本を貸してくれ」と言われる話。

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表題どおり、私が中学の頃から、友達が家に遊びにくると、本棚やレコード・ラックなどを友達がジロジロと見て、やがて「これとこれ、貸してよ」となることが何度もありました。

でもね、貸した本やレコード、CDは絶対に返っては来ません。

私の棚にある本や、レコード、CDは、気に入って手元に置いているものです。
何度も読んだり、繰り返し聞いたり、また大事な心の宝物としても扱っているものなのです。

なのに返っては来ない・・。
相手は借りたことさえ忘れているし、「その話はされたくない」みたいな態度をとる人もいる。

たとえば、私が大学生くらいの頃。
糸井重里さんが突然脚光を浴びてウケだしました。

友達は、「お前もこの人のいいところに気づいたのか」などと言い、「読んでみたいから貸せ」と(・・なんだ、まだ読んでねえのかよ)、戸惑っている私から本を取り上げ持って行ってしまいました。・・そして返してくれなかった。

糸井重里さんについては、椎名誠さんの「本の雑誌」などに文が載り、まだ一部のマニア的な人しか知らない頃から私は読んでいたのです。ブームに乗って読むなんて愚かで恥ずかしいことなんかしていなかったのだ。
でも、ヤツは周囲に“乗り遅れ”ないように、興味も無いのにちょっとだけ見とくか、程度のつもりで人の本を持って行ったのでしょう。

レコードなども同じでした。
ずうっと昔からそのミュージシャンの音楽を聞き続けてきたのに、ある盤がヒットすると、あわてて私の棚からそれを見つけ出し、「ちょっと聞かせろよ」と持って行ってしまう。・・そして返してくれない。

それらの本やレコードなどは、仕方なく私はもう一度買い直しました。二重にお金を払うのです。
そんなことになっているなんてアイツらは思ってもいないでしょう。

だから、「貸す」ということは「さしあげる」ものだと思うことにしました。
いやだと言っても無理やり借りていく(返してくれないけど)ので、そう思うことにしたのです。

でも、さすがに今はもう貸しません。もったいないから。

近年、久しぶりに本を貸すことがありました。
生まれて初めて返ってきましたd(^_^o)・・何度も念を押したのがよかったのか、その借りた人がいい人だったからなのか。・・いい人だったんですね。

でも、もう誰にも貸しません。自分の心の一部を持っていかれるような感じがして、気持ちが“ざわざわ”するのです。

本もレコード・CDも、ほんの時間つぶし程度に思っている人にはわからないでしょうが、本も音楽も大好きな人間には、人生の中でとても大事なものなのだ・・ということを言わせてもらって、本日はお終いです。

 

2021/12/14

水木しげるさんの「悪魔くん千年王国」を読みました。

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『悪魔くん千年王国/水木しげる(ちくま文庫)』を読みました。
このブログには珍しく、漫画を読んでの感想です。

水木しげる先生は、私が子供の頃から大好きな漫画家です。
週刊漫画雑誌などでも先生の漫画を読みましたし、よく巻頭特集などで、先生の「妖怪特集」を怖がりながらも、ワクワクしながら読んだものでした。

今回の「悪魔くん」はテレビで実写化されたものもありましたが、あのテレビ番組とは大きく異なる内容で、570頁以上の大作です。
しかも、内容は長篇小説と言ってもよいくらいの濃い内容でした。

小学二年生ながら驚異の頭脳を持つ(漫画中では“異能”と書かれていた)少年、悪魔くんが国境もない、差別もない、貧富の差もない、苦悩もない・・そんな千年王国を三千年も封印され閉じ込められていた悪魔を呼び出し、この現在の世界に実現させようとする物語でした。

悪魔くんの父親は大企業の社長でしたが、罠にはまり、すべてを失い、自殺しようと山中を彷徨うのですが、そのときに山の中の自然、美しい花が咲いている様子などを見てつぶやくのでした。

「自然はいいなあ。こんこな美しい花まで咲かしてくれて。」

「死を前にして、はじめて静かに自然をみた。」

「人間はみな、“生きる”という不安から、知らない間に心の病気になっているんだ。」

「こんなひったくりあう世の中でなく、もっと人間同志があたたかく生きる世の中は できないものだろうか・・。」

この悪魔くんの父親のつぶやきが、この物語のテーマと言ってもいいと思います。

でも、悪魔くんがこのような世界を創ろうと闘いをはじめると、あっちの神様、こっちのサタン、既存の世界の指導者などが参戦してきて・・結局、世界はずっとこんなことをしてきたのかもしれない・・などと、この漫画を読んだ少年は当時思ったのかもしれません。

けっこう途中で不安な気持ちになったり、重い内容のものでしたが、ラストの劇的な速い展開は“漫画ならでは”のテンポの良いもので、少年時代のドキドキ感を思い出しました。

以前、行った、水木先生のふるさと、境港市にまた行ってみたくなりました。
先生の仕事場が再現されていたっけ、懐かしい・・。

 

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