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2023/11/24

伊集院静さんの「あなたに似たゴルファーたち」を読みました。・・この文を書き終えたときに伊集院さんの訃報が入ってきました・・。

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『あなたに似たゴルファーたち/伊集院静著(文春文庫)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

伊集院さんの、ゴルフに関連する短編小説をまとめたもので、底本は1998年頃のものかと思われます。

伊集院さんのゴルフに対する考え方を反映してか、物語のほとんどが“いい話”でした。
男同士の友情の話もありましたし、仕事上で競い合ってきた仲の二人がゴルフでさらに深い絆を感じるような話もありました。

ちょっとミステリーっぽい話もありましたが、全体に読んだあと爽やかな気持ちになるものが多かった・・。

私は人生でたった一度しかゴルフをしたことがありません。
勤め始めたばかりの頃、職場でコンペをやるから雑用をしながらお前も回れ、ということになり、関西にいたゴルフ好きの叔父さんがくれた古いクラブを持って、練習もしたことないのにぶっつけ本番で参加したのです。
この本にもそんな新入社員の話がありました。

いったい何打したのかまったく覚えていないし、夢中でしたが、「パー3」のホールで二つ「パー」を取ったことだけが記憶にあります。
その時だけ、「自分は天才だ」(*^^*)と思ったのでした。

そんな結果でも、何かしら心に残るものがありました。
一緒に回る人や、その時の会話、クラブハウスに戻ってからの時間など色々なことが不思議とずっと残っているのです。
私はゴルフを続けることが出来ませんでしたが、続けている人達が感じている魅力みたいなものが伊集院さんのこの短編に様々な形で書かれていました。

読んだあとに“いい気持ち”になる、やさしいタッチの物語が散りばめられた短編集でした。

と、ここまで書いたら伊集院さんの訃報が今入ってきました。
近年伊集院さんの本をたくさん読み、このブログにも読後感を書いていましたが、私の生きる道しるべのようなものがたくさん書かれていて、いつも感謝しながら読んでいました。
驚きと悲しみが同時に来て、つらいです。
伊集院さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

2023/10/07

フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)に再会した

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1970年代後半に全米で大ヒットを飛ばしたフリートウッドマックをご存知でしょうか。
あの頃の私は(今でもそうかもしれないけど)、いつもミュージックシーンの近況に疎いのですが、弟におしえてもらいフリートウッドマックというバンドの存在を知りました。

「噂」というアルバムが当時1,700万枚売り上げる大ヒットを飛ばしていました。
弟が買って来たアルバムを聞き、一気に大好きになりました。だいたいいつも弟におしえてもらって好きになっていた・・・(^-^;

 

 

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その後、日本盤では「ファンタスティック・マック」と呼ばれていたアルバムも買い、二枚組のアルバム「タスク」を買い、ライブアルバムを買い、「ミラージュ」という全米一位のニュー・アルバムも買い、さらにメンバーのソロアルバム、リンジー・バッキンガム、スティーヴィー・ニックス、ミック・フリートウッド、大ヒットする前のメンバー、ボブ・ウェルチのアルバムも買い、夢中になっていました。
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家でも聞いていたし、高校生の彼女を乗せて得意げにカーオーディオでも聞いていた(兄のクルマだった)。
大ヒットする前のフリートウッドマックはブルース・バンドとして有名だったのですが、メンバーの変遷を繰り返し、大ヒットした黄金メンバーになったことは後で知ったのでした。
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その後就職すると、もう音楽どころではなく、つらい仕事に追われ、ロックもポップスもあまり聞かなくなりました。さらに体調をくずし、就職したばかりなのに入院、手術なども経験し、すっかりロックシーンから遠いところに行ってしまった自分がいました。

フリートウッドマックからもいつの間にか離れてしまい、その後どうなったのかも知りませんでした。

最近、ブックオフでファンタスティック・マックのCDを見かけ、思わず買ってしまいました。
今聞いてみてもとても良いと思い、YouTubeで検索してみると、全盛期後にメンバーは“バラバラ”になって、何度もメンバーがクルクルと変わり、二十年後に黄金期のメンバーが揃い、コンサートをしているのを発見しました。

そのコンサートのあまりの素晴らしさに身体中が痺れ、興奮しました。
主要ボーカル三人(クリスティン・マクヴィー、スティーヴィー・ニックス、リンジー・バッキンガム)の歌も磨きが掛かり、演奏も極上のものでした。
夢中になって聞き、映像も見て、特に「Everywhere」というクリスティン・マクヴィーが歌う曲が大好きになりました。

あわててAmazonでその曲が入ったアルバムと、このライブ・アルバム、さらにライブのDVDも入手し、夢中で見聞きしました。

 

 

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そして・・クリスティン・マクヴィーが去年の11月に亡くなっていたことを知りました。
あまりの衝撃に身体の具合が悪くなるくらい悲しくなりました。

それ以来、ここ一か月は毎日、家でもクルマの中でもフリートウッドマックを聞いています。
素晴らしい音楽に出逢えたことに日々感謝しています。
そしてクリスティン・マクヴィーの冥福を祈ります。

 

2023/09/30

「歳時記くずし/阿部達二」を読みました。

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『歳時記くずし/安倍達二著(文藝春秋)』という古本を見つけ、読んでみました。
「オール読物」に2006年から2007年まで連載されていたものに加筆し2008年に単行本化したものです。

著者の安倍達治さんは編集者として出版社勤務の後、「江戸川柳で読む平家物語」「藤沢周平残日録」などの著書を残しています。

今回私が読んだこの「歳時記くずし」、巡る季節を様々な話題で綴っているのですが、著者の知識・教養には驚くべきものがありました。

歌舞伎、相撲、落語から歌謡曲、映画にプロ野球・・話題は留まるところを知りません。
一年の各月に分けて様々な「歳時記くずし」が書かれているのですが、二月のところでは、あの二・二六事件にふれていた部分が気になりました。

その年は雪の多い年だったようです。
事件前の二月四日にも、東京は五十三年ぶりの大雪に見舞われ歌舞伎座では帰宅できない観客続出のため桟敷席を開放して宿泊の便宜をはかり、炊き出しまで行っていたとのこと。

NHKで放送予定があった噺家で後の五代目小さんは事件当日、占領された鉄道大臣官舎に留め置かれ、士気鼓舞のためにその場で一席やらされたと書かれています。
もちろん、将校達はクスリともしない・・^_^;
いろんなことがあったんですねぇ。

ラジオでは「決して外出しないで。窓際には夜具布団を積み重ね、その陰にいてください。」と放送されていたとのこと。

永井荷風の文に、二・二六事件首謀者十七名中、十五名は七月に死刑執行されたはずだが、「上海より帰り来たりし芸人の話に昭和十一年二月政府の元老重臣を虐殺せし将校皆無事に生存し上海に在るを見しと云。さもあるべき事なり。」というものを発見したことも書かれていました。
不思議な話が当時流れていたのだなと思いました。

とにかく、“微に入り細を穿つ”ように様々なことが書かれていました。
知らなかったことばかりが眼前に現れるような貴重な本でした。

 

2023/07/23

1968年~71年頃のレコード各社の月報が手元に

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休日に弟と会う機会があり、そのときに「実家の物置が取り壊されるときに見つけて確保しておいた」ということで、写真を掲載したレコード各社の「月報」と呼ばれるものを手渡されました。
小さな冊子のようなもので、レコード盤を買ったときなどにレジで袋に入れてくれていたものだったんじゃないかと思います。
それにしても珍しいものです。私の記憶の奥底にあったものが、一気によみがえりました。

内容は実に興味深く、面白い。
美川憲一さんが「柳ヶ瀬ブルース」のヒットの後はヒット曲に恵まれず、「巻頭手記」に“一発屋”と呼ばれないように次の曲に全力を尽くすというようなことを書いています。
このクラウンレコードの冊子にはサブちゃん(北島三郎)や、チータ(水前寺清子)なども看板として登場しています。

日本ビクターの冊子には、ドアーズのソフト・パレードという最新アルバムが表紙に。
ジャズでは、ケニー・ドーハムや、ジェリー・マリガンのアルバムのデラックス盤というものが紹介されています。
さらにジャクソン・ファイブが表紙になっているものもあり(1970)、マイケル・ジャクソンはとっても小さくて「ゆりかご」に乗っています。

コロンビアの冊子には、ひみつのアッコちゃんや、魔法使いサリー、オバQ音頭などのテレビまんがヒットシリーズの紹介もありました。
さらに、島倉千代子、ジュディ・オング、都はるみなどの“王道”歌謡の方々も載っています。

キングレコードでは、じゅん&ネネ、岡田可愛、ピンキーとキラーズ、梓みちよ、布施明、中村晃子などのヒット歌謡盤が目白押し(^_^)

グラモフォンの冊子には、カラヤンなどクラッシック多数、さらにビージーズ、ショッキング・ブルーなどの洋楽ポップスも。
ジャズでは、ベイシー楽団、ビル・エヴァンス、ジミー・スミスなどの大御所の盤も紹介されていました。

RCAは、クラッシック、映画音楽、カントリー&ウエスタンなどが。

テイチクレコードは浅丘ルリ子、月亭可朝、アイ・ジョージ、さらに三波春夫の「世界の国からこんにちは」が大きく掲載されています。
懐かしいところでは、「小山ルミ」さんが裏表紙に。

東芝は、フォーク・クルセダーズ、ドリフターズ、坂本九、水原弘など、けっこう大御所も掲載されていました。
また、カセットテープもアルバムとして紹介されています。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・・」もありましたが、もしこれを現在所有していたらいったいいくらになるのか?!
また東芝は「プレーテープ」と称して、4曲入りのテープも販売しています。これは知らなかった。
レコード盤でいうEP盤というやつでしょうか。加山雄三/ランチャーズのものなどが当時500円で販売されています。けっこう高い気がする。
このプレーテープ用の再生機も販売されています。後のラジカセとはちょっと形が違います。
巻末には、「東芝ステレオボストン」の広告がありますが、当時テレビコマーシャルでは、ビートルズの映画「レット・イット・ビー」の一場面がそのまま使用されていたのを思い出します。
ポールの奥さん、リンダの娘がリンゴのドラムをボンッて叩いてリンゴが飛び上がるシーン、さらにレット・イット・ビーを4人が歌うシーンが使われていました。
これって・・許可取ってたのかね・・。

まだまだザっと見ただけなので、面白いことがいっぱい載っているようです。
楽しみに見てみます。

 

2023/07/17

「しみじみ・くすくす 小沢昭一的こころ」を読みました。

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『しみじみ・くすくす 小沢昭一的こころ/小沢昭一・宮腰太郎著(新潮文庫)』という本を読みました。
平成5年発行となっております、古い本ですがブックオフで見つけました。

「小沢昭一的こころ」といえば、TBSラジオの名物番組でもありました。
毎日、夕方のわずかな時間でしたが、小沢さんの“語り口”は誰にもマネの出来ないものでその時間に聞くことが出来ればよく聞いていました。
週ごとにテーマが決まっていて、それについて語る小沢さんの名調子、なんだか面白かった。

この本でも、歯医者さん、コンタクトレンズ、トラバーユ、霜やけ、ストッキングなどについて考察していますが、相変わらずの男と女のあやしい話や、お父さんの情けない話、奥様の豪快な様子、などなどお馴染みの展開に、「そうくるだろうな」と思ってはいるものの、でも面白いという・・^_^;・・落語みたいな感じ。

今まではあまり感じなかったのですが、コンプライアンスの厳しき昨今、もうこんな放送は出来ないな・・という感覚を初めて感じました。
ほんとうは、大したことじゃないのに、今はとても“センシティブ”な雰囲気が横溢で、何を言っていいのか、悪いのかが、もう私にはよくわからなくなってきました。

でも、ちょっと感じているのは、弱い立場の人にはあまり気を使っていないな、ということです。
強い人にはとても神経をつかっているのに。

これが今の世の中の雰囲気で、言いたいことがあるのに言えないような妙な空気があると・・思いませんか。自由である世の中なのに。

小沢さんが生きて「小沢昭一的こころ」を続けていらしたら、どんな話題を取り上げ、どんなふうに語るのか、とても興味があります。
ほんとに言いたいことをうまく皮肉を込めて、しかも強い立場の人達が思わず苦笑いするような話し方をしてくれたんじゃないかと思うのです。

そういう人、今はいないかもしれないです。

 

2023/07/14

「ショージ君のほっと一息」を読んだ。

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『ショージ君のほっと一息/東海林さだお著(文春文庫)』という本を読みました。
例によって古本で見つけたのですが、『オール読物』に昭和51年から52年に渡って掲載された「ショージ君の日本拝見」を文庫化したものです。

文庫化された時点で1981年となっています。40年を優に超えています。だから東海林さんも若い、40代で、小学生の娘さんと出かけたりするシーンも出てきたりしていました。

40年も前に書かれたものですが、その当時の世相が見えていました。
都内私立中学御三家といわれる学校の受験シーンを観察していましたが、両親や塾の先生達が受験校の校門で激励する様子、子供達の淡々とした様子、今もそんな状況は変わっていないのかもしれません。

また、「松茸」取りにガイドと一緒に山に入り(※当時の費用は1万5千円)、松茸ざんまい目指して奮闘するのですが、40年前でも松茸はすでに貴重なものであり、庶民はなかなか口にできないものであったことに、あらためて驚きました。その頃はもっとたくさん取れていたんじゃないかと思っていたのです。

観光ツアーを利用して房総半島の旅に出たりもしています。
でも、それも今とあまり変わっていないような感じです。ホテル・旅館の様子もバス内でのガイドさんとお客さんの様子も。

むしろあの頃の方が人々は貪欲で、あちこちに出かけて行ったり、男女関係にも積極的であったり、様々なことを知ろうとする意欲もあったように、あらためて感じました。

あの頃と全く変わってしまったことは、携帯電話・スマートフォンがほぼ国民全員の手にあることでしょうか。
情報は入るし、人との繋がりも多くなったのに、どうでしょう、あまり人は活動的でなく、いつも携帯を見ながら歩き、そのせいで身体を前に屈め、どうみても、人も世間も活発な印象が無くなりました。

そんなことを思いつつ、この本を読んだのでした。
色々思い出したこともあり、懐かしい感じで読了いたしました。

 

2023/06/17

横芝光町のギャラリー『笑虎』が閉められることになった。

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私の中学時代の担任で美術の先生「南隆一先生」から電話があり、先生も三十年に渡り年末に個展を行っていた会場である横芝光町にある『ギャラリー笑虎』がこの6月26日で閉じられることになった・・とのことでした。

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私も三十代半ばに先生と再会し、その後は長い付き合いになる中で、このギャラリー笑虎は思い出がたくさんあります。
先生の毎年少しずつ変化する作品にふれるのがとても楽しみだったし、この長屋門型の古い日本家屋のギャラリーを建てた棟梁が自分の建てたこの場所でハーモニカ・コンサートを開いたこともありました。

ハーモニカ・コンサートの最中に大きな地震があり、観客は騒然となりましたが、棟梁から「ジタバタしなくていい、俺が建てた家だ。びくともしない!」との言葉に皆、笑顔になったあの瞬間も思い出しました。

 

 

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先生の教え子であり、私の中学の一年後輩にあたる古今亭菊輔師匠の落語会もギャラリーで行われたことがありました。
爆笑の会場に私もいましたが、後輩なのに貫禄ある堂々とした噺家ぶりに感動したことも思い出します。

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最近では、私がこの笑虎に出掛けた際に、なぜか閉まっていてその日は定休日の旨貼り紙がしてあり、中を覗いてみても明かりもついていなかった。
しかし、そのあと別の場所で先生に会い、「おかしい、今日は開いているはずだ」と電話すると、私が行った時間には開いていてもちろん明かりもついて、お客さんもいた・・という恐怖の出来事もありました。

実は今回、訪れるのも最後になってしまうだろうと、カメラを持ってきてギャラリーを撮影しておこうと思ったのですが、カメラはどうやっても作動せず、やっと動き始めたかと思うと絶対にピントを合わさせない・・という事象が発生しました。
今回掲載している写真はその後仕方なくスマートフォンで撮ったものなのです。スマートフォンは動いた・・。

たくさんの思い出のある、いい会場でした。
あのハーモニカの棟梁が建てた立派な長屋門型のギャラリーは、やってきた人達の記憶にずっと残ると思います。

 

2023/05/28

「帰りたくない!/茶木則雄」を読みました。

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『帰りたくない!/茶木則雄著(本の雑誌社)』という本を読みました。
初出誌の「本の雑誌」と「週刊新刊全点案内」に掲載されたのが1992年~1997年ということで、30年も前の本になります。

ブックオフで200円にて手に入れたものですが、主に当時「本の雑誌」に連載されていたものだったということで、私は当時読んでいたかもしれないが・・覚えがない。

帯にも書かれていますが、本人は・・

家庭より遊びが大事と思いたい!

自他共に認める“ろくでなし”

酒も博打も大いにたしなむ できれば若い娘さんも、たまにはたしなんでみたい

家庭の団らんより、つねに遊びを優先させてきた

家族より自分が大事と公言してはばからない私である

・・などと言いたい放題で、行動はやりたい放題な著者でありました。

読んでいて最初は読者を笑わせようとしてほとんど“つくり話”なんだろうと思っていましたが、この本の途中で「そう思っている読者がいるかもしれないが、内容は“九分九厘”真実である!と、ご本人力強く宣言されております・・。ほんと、ろくでもない人なんだな、と思いました(^_^;)

義父が入院したとのことで、奥さんと現地病院で待ち合わせ、30分早く着いてしまったので財布には当時のパッキーカードが有り、残額も少しなので時間つぶしにとパチンコ屋に入り三時間以上もやってしまい、奥さんは怒りを爆発させます。

麻雀やって負け続け、金が無くとも誘いがかかれば徹夜で勝負。挙句に負けたうえに、帰りの電車で寝てしまい、その路線を寝たまま“三往復”する。

子供の楽器購入のために奥さんが下ろしてきたお金を、留守の間に“ねこばば”し、それでまたギャンブルに行く。そして負ける・・。
子供は泣くし、奥さんは怒り狂うしで最悪の状態。

などなど上記はまだまだ“軽い方”かもしれません。
家族には散々迷惑をかけていますが、そんなことほとんど何とも思っていません。

時代が時代なだけに、私が就職して初めての職場などにも茶木さんのような人はたくさんいました。
職場では、昼日中っから競馬や麻雀の話をしている先輩がいっぱいいた。
当時は土曜日勤務で、土曜日は競馬の話で仕事になんかならないような状況でした。

新人だった私は、「こいつら、どうしようもない」と思いましたが、先輩の命令とあらば、たいがいの言うことはききました。
そうでもしなけりゃ生きていけないような感じだった。
いい時代といえばいい時代なのかもしれないが、やる気はどんどん無くなりました。
あまり思い出したくない。

おっといけない、私の過去の職場はさておき、この最悪な人のお話しは、実に最低最悪の人間の話を本人が書いているわけですが、読者としては笑ってしまいます。
必ず失敗するのに、それに向かってどんどん行ってしまう、こういう人たちはそういうものなんですよね、私もそんな人たちを何人も何十人も何百人も見てきたのでよくわかります。
一番のハイライトは、奥さんの怒り爆発と著者茶木さんに与える懲罰です(^^;)

その罵詈雑言ぶりと、閻魔様に匹敵する懲罰の与え方も、あまりにも素晴らしいので、どうしようもない男どもにもぜひ読んでもらいたいと思いました。

以上です。

 

2023/04/27

諸橋昭夫先生が亡くなられたことを知りました。

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Facebook友達の記事の中で諸橋昭夫先生が亡くなられたことを知り、先生の優しい表情を思い出しました。
その方の記事にも書かれていましたが、まさに『自治体の電子化において官民を繋いできた』方でした。

私は“素人”なのに情報関係の部署に異動し、職員8800人の情報系システム(メールやグルーブウエア、スケジュール管理、社内SNSなど)の構築と、さらに基幹系システム(事業活動を行うための業務システムと言えばいいのか)で使われているネットワークを情報系と統合しようという仕事をすることになり、勉強の日々でこれから先を考えると目の前が真っ暗になっているときに先生との出会いがありました。2007年のことでした。

仕事を進めるにあたり、学識経験者の意見を伺うことになり、お一人は大学教授、そしてもうひと方が行政情報研究所所長の諸橋先生でした。

川越に先生を訪ねることになったのですが、指定され、待ち合わせた意見聴取の場は、レトロで素敵な喫茶店でした。
やさしく、やわらかな物腰の先生らしい場所でした。
部下数人共々そこで美味しい珈琲をいただきながら先生の貴重で、しかも想像とは異なる現実の業務の進め方について指摘をいただきました。
厳しい意見もいただきましたが、私にはとても参考になりました。

 

 

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意見聴取が終わると、「川越の街をご案内しましょう」という意外な展開にちょっと驚きましたが、小江戸川越の街並みを案内していただき、菓子屋横丁などにも寄り、さらに古い神社仏閣などもご案内いただきました。

お寺の境内に入ったときに突然の雨に見舞われると、先生は境内にある茶店に雨宿りしようと皆を呼んでくれ、そこで「ところてん」などを食べつつ雨宿りするという風流なことになったあの風景も思い出しました。

その後も先生にお聞きすることがあると、「東京駅で待ち合せましょう」と、駅構内の喫茶店などでお話させていただいたこともありました。そのときもとても親身になって相談に乗ってくださいました。

無事にネットワーク統合と情報系システム構築の仕事を終え、私は東京事務所に異動となりました。
もう情報関係、IT関係には関わりが無くなったものの、先生は私が東京で始めた地元を紹介するFacebookPageを日々見ていただいていたようで、ある日私が省庁回りで不在にしているときに事務所を訪ねて来られたそうです(そのときの上司から聞いた)。

そして、私のことを上司二人に話してくださったとのこと。
「あなた達上司は、〇〇さんの書かれているものを読んでいるのですか。読んでおられるならあの文章力に対して何も感じないのですか。よく人を見なさい。」と、言って去って行ったとのこと。

名刺をもらったのに、上司は「あの人は誰なんだ」などと私が帰社したら言ってきて、片方の上司はかつて情報部門にいたのだから先生のお名前くらいは知っていなければならないのに・・困った人達でした。

その後もさいたま市さんが企画した官民の交流会などで顔を合わせることもありましたし、私の個人のブログなどにも目を通していただいてコメントも何度もいただきました。
今でも先生独特の人と人を結びつけるあの“たたずまい”、やさしい表情、物腰が目に浮かびます。
諸橋先生、ありがとうございました。
仕事でも大変お世話になりましたが、そのほかでも教えていただいたことが多々ありました。
先生のことは忘れません。

 

2023/03/28

春風亭一之輔さんの「人生のBGMはラジオがちょうどいい」を読みました。

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『人生のBGMはラジオがちょうどいい/春風亭一之輔著(双葉社)』を読みました。
2021年に刊行された本で、気になっていたのですが、ブックオフで見つけました。200円は安い。

この本は、要するに中学生の頃から“ラジオっ子”だった一之輔さんが、家で聞いていた時の経験や、友達関係の中でのラジオの存在などを語っているもので、ラジオファンというものがいるならば、その人達は私を含め、かなりの驚きをもって読むことになると思われる本です。

一之輔さんは、若者向けの番組もおじちゃん、おばちゃん向けの番組も、お年寄り向けの番組も実によく聞いていたことがわかります。
とにかく聞きたい番組ばかりの一之輔さんはカセットに録音してでも気になる番組を網羅して聞き倒しています。

やがて一之輔さんはここに書かれているよく聞いていた番組に自分が出ることになります。
そして中高生時代に番組をやっていた人達にも実際に会うことになるのですが、私もラジオ好きな者のひとりなので、そのときの気持ちってどんなんだろうと思いました。うれしいだろうな・・感慨もひとしおだろうな・・と、思わず感情移入してしまいました。

私自身のラジオ体験で強烈だったのは、TBSの番組で、学校から帰ってきてラジオのスイッチを入れると、ほとんど新人だった久米宏さんと平野レミさんがスタジオ外に飛び出してやっていたものがありました。

ハチャメチャというか、もうルールが無いような奇抜なコーナーを二人が受け持っていて、爆発、炸裂するような勢いのあるものでした。

やがて、テレビの「ぴったしカンカン」で初めて久米さんの姿を見たときには、「こんな感じの人だったんだ」とびっくりしたことを思い出します。

一之輔さんは、現在ニッポン放送で「あなたとハッピー」という帯番組の金曜日を担当していますが、実に“緩い”感じでやっていて、しかも一之輔さんがかつて楽しみに聞いていた加藤茶さんの同時間帯の番組でアシスタントをしていた増山さやかアナウンサーと二人でやっています。
一之輔さん、どんな気持ちでやっているんだろう。

ラジオは明らかにテレビとちがって聞いている人は自分に語りかけてくれていると感じる媒体です。
そしてしゃべっている方も、漫然と全国的平均リスナーに向けてしゃべっているわけではなく、特定の人に語りかけているような気がします。

そんな特別な存在感のラジオというものと自分の関係についてじっくりと一之輔さんが書いた本、面白かったです。

 

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