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2022/11/25

「さよならの力/伊集院静」を読みました。

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『さよならの力 -大人の流儀7-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
2016年から2017年にかけて週刊現代で初出、単行本化に際し修正・書き下ろしを加え2017に刊行されたものです。

この本のテーマはタイトルどおり“さよならした人”、かつて“さよなら”したこと、“亡くなった人とのさよなら”などについて書かれていました。

伊集院さんは、大学生の頃、弟さんを海の事故で亡くし、27歳という若さの奥さん(夏目雅子さん)も亡くし、父を亡くし、そして東日本大震災で仙台に住む伊集院さんは多くの人とお別れすることになりました。

そういう心に遺された痛み、傷のようなものが時を経てどう心の中で変化していくのか、ということが書かれています。
これは他の伊集院さんの著書でも書かれていることがありましたが、特に突然失ってしまった配偶者や自分の家族などについては、さまざま多くの人がそういうことに遭遇することになる・・そんな人にどんな声を掛ければいいのか、自分に対してもどう考えればいいのか、ということが丁寧に静かに書かれていて、涙してしまうことが読んでいて何度かありました。

それから、小さい頃にいろいろ面倒をみてくれた近所のお兄さん的存在だった人。
その人が中学を卒業してから会っていない、さよならしたきりだ・・ということが書かれていましたが、私にも小さい頃に近所にちょっと悪い感じだけど、でも自転車に乗せてくれて、いろいろなところに連れて行ってくれたり、自分が知らなかった遊びなども教えてくれる“トシ坊”というお兄さんがいました。
そして、やはり私が小学校高学年になった頃にはもう我が家にも遊びに来なくなり、さよならしたきりです。
そんな人が誰にもいたんじゃないかなと思いました。

「さよならだけが人生だ」なんて言葉もありましたが、さよならすることよって人間は何かひとつ乗り越えていくような気がします。
そして人に対してやさしくなれるような気もします。

さよならについてしみじみと考えることになる本でした。

 

2022/11/22

中学時代の先生が開いた「レコード・コンサート」に行って来た。

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私の中学時代の担任で美術の先生、特にジャズが好きで、しかもアナログ・レコードでいつも聞いています。
そして、絵画や造形作品の個展も年に数回行っている中、今回は「レコード・コンサート」をJR飯岡駅併設の「ふれあい館」で行いました。
・・先生のバイタリティーは私なんかをはるかに超越して驚くべきものがあります。
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今回使われたスピーカーも異彩を放っていました。

昔のナショナル「8PWT」という不思議なウーファーと同軸上にスコーカーがあるようなスピーカーは、たぶん自作のケースに入り、しかもさらに自作の石膏で固められたホーン型ツイーターが上に乗っておりました・・さらに先生のカラフル・ペイント付き(^^;
で、これがまたいい音出すから不思議なんです。
ヘレン・メリルのモノラル・レコードが素晴らしい音で鳴っていました。

 

 

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そのほかにも、JBLの楕円型20㎝スピーカーがエッジも無かったものをご友人の協力で修理して、これまた自作のケースに入れて、またまたいい音で鳴っていた・・(^_^;)
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そして40年くらい前の電気屋さんの処分品のA&D(アカイ電気と何処かが組んだブランドらしい)のスピーカーが現役バリバリで豊かなジャズを奏でていたのでした。
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さらに壺状花瓶に穴を開けてスピーカーユニットを入れた“陶器スピーカー”もあって・・(^^♪
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最新鋭の今どきのスピーカーの“小洒落た”きれいな音ではなく、どれも気合の入った低音から中音が下から湧き上がるようなたくましい音を出していて、先生もごきげんでしたが、聞いているお客さんも私もごきげんになりました(*^-^*)

いい時間を過ごせて幸せでした。
やはりレコード盤の音はいいし、昔のスピーカーの音もいいっ!!

以上で今回のレコード・コンサートの報告は終わりです。

 

2022/11/12

【はっPのアナログ探訪_0167: 南国土佐を後にして / ペギー葉山 ( SP )】

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このアナログ探訪始まって以来の『SP盤』です。
このあいだこのブログでリサイクルショップにてレコード・プレイヤーを購入したことを書きましたが、そのプレイヤーには78回転のセレクトが付いていました。
なので、この所有していたSP盤を初めて聞くことになりました(*^-^*)
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SP盤とは、蓄音機で聴くアナログ盤です。
この「南国土佐を後にして」は、ペギー葉山さんのヒット作ですが、SP盤で出ていたのですね。
「78回転盤と45回転盤と両方で発売しています」と書かれているので、ちょうど「蓄音機」から「電蓄」への移行期だったようです。
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これは、16年前の職場の同僚が中古家具屋に行って、ラック類を探していたときにラックの中に入っていたこのSP盤を見つけ、お店の人もそれを知らなかったが、このレコード盤を売ってくれと言うと200円で売ってくれたのだそうです。

それを聞いた私が“交渉”の末(^_^;)50円で譲り受けたものです。
それ以来SP盤を掛けることのできるプレイヤーがなく、今に至るのでした・・。

 

 

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早速先週購入したプレイヤーを78回転に合わせ、聞いてみました。
な、なんといい音じゃありませんか!SP盤独特のスクラッチ・ノイズなんて聞こえやしません。ラッキー(^^♪
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それでもって、写真のように、藤間若葉さんという方の「踊りの振付」まで入っていて、あなた・・踊ることも出来ますよヽ(^o^)丿
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そしてB面には、「ドクトル・ジバンヌ」というペギーさんが日土文化友好協会の招きで当時トルコに行き、主要都市を巡演したらしいのですが、向こうで流行っているヒット曲を日本流にアレンジして歌ったものが入っていました。
これがまた“異国情緒”横溢の良い曲でした。
昔はこんな感じの曲が他の歌手でもあったような気がします。とてもいい。

というわけで、16年越しに所有していたSP盤を聞くことが出来たのでした。
このレコード盤は数々の偶然により私が聞くことの出来た不思議な因縁の音盤となりました。

 

2022/10/14

「ニホンゴキトク」という久世輝彦さんの本を読みました。

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『ニホンゴキトク/久世輝彦著(講談社)』という本を読みました。
1996年刊行の本です。

「ニホンゴキトク」というのは“日本語危篤”っていうことなんです。

この本が刊行された1996年頃に、「この日本語はもう“瀕死”の状態で“死に絶える”だろう」と久世さんが感じている“日本語”を拾い集め、かつてはこんなときに使われていた、あるいはこんな使い方をするとその様子がとても良くわかったり、感じたりしたものだ・・というようなことが丁寧に書かれていました。
2022年現在、死んでしまったと思われる言葉もいくつかありました。

特に久世さんがその言葉を拾い集めるときに参考にされていたのが、かつて一緒に仕事をされていた向田邦子さんの著者からや、コラムニストの山本夏彦氏の著書、さらに幸田文さんとその娘の青木玉さんの著書です。

久世さんが強調されているのは、言葉や言い回しというものは理屈が通って相手に伝わればそれでいいというものではない、ということでした。

言葉は感じるもの。色気、匂い、肌触り、可笑しみ、のどかさ、涼しさ・・、虚しさ、熱い思い、誰かに告げたい幸せ・・など、いろいろな言葉で伝えたいじゃありませんか(#^.^#)

でも、日本語はどんどん言葉を少なくし“記号化”しているようです。

例示されている言葉で、「英語でなんと言うのだろう」というものがありました。

「できごごろ」「面変わり(おもがわり)」「甲斐性」「生半可」「昵懇(じっこん)」などです。
これに代わる英語ってあるんだろうか?としばし考えてしまいました。正確には無いと思う。

「すがれる」という言葉を知っていますか。使ったことがありますか。
草や木が枯れはじめること、あるいは盛りを過ぎて衰えを見せはじめることをいうのだそうです。
哀れでもの悲しい気持ちがしみじみ伝わってくる・・という。
私がこの「すがれる」という言葉を当たり前のように使っているのを聞いたのは、なぎら健壱さんだけです。言葉の前後関係から意味するところはその時わかりました。
それ以来聞いていないので、もう“すたれ”てしまったのか。
“すたれる”自体も瀕死の言葉か。

「汽車」も使われなくなっちゃいましたね。
昔の歌謡曲にはよく使われていた。
久世さんの理解するところでは、汽車は長距離を走るもの、電車は通勤等比較的近距離を走る列車を当時は指していたとのこと。

汽車の「汽」は蒸気機関のことを言っているのかと思いましたが、でも昔はちがったみたい。
鉄道の歴史を遡ると、鉄道発達初期の頃は、蒸気機関車が長距離を受け持っていたと思われるので、一般的に上記のような理解がされていたのだと思います。

私が思いつくのは「花嫁」「さらば恋人」などですが、1970年代の「なごり雪」でもいきなり「汽車を待つ君の横で僕は・・時計を気にしてる」で始まります。
電車じゃ・・だめだよねぇ(^_^;)やはりこれも“長距離”を意識しているのだと思います。

250頁以上にわたり、いろいろな、“無くなりそう”な日本語について書かれていたこの本、しみじみと読みました。

 

2022/10/13

【はっPのアナログ探訪_0165: 黒ネコのタンゴ・ / 皆川おさむ ( Single )】

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現在このブログでは「ビートルズ研究室」と「Modern Jazz喫茶・頑 固 堂」というかつて作っていたホームページのブログ版復刻作業をしていますが、ほかにも「名盤・珍盤レコード研究」というホームページも作っておりました。

この“名盤・珍盤”については新たに「アナログ探訪」としてやり直していて、かつての文を複刻することはしておりませんでした。

今回、「黒ネコのタンゴ」のシングル盤を取り上げようと思い、以前のホームページの文も複刻してみようと思いました。

なぜこのレコード盤だけホームページの文を複刻しようと考えたかというと、その時ホームページを読んでいただいたB面「ニッキ・ニャッキ」を歌っていた置鮎礼子さんの妹さんが連絡をしてくださったことがあったからです。
連絡いただいた“元”のホームページ上の文章が無くなってしまったのが“心残り”でしたので、今回そのまんまホームページの文を掲載したいと思います。


以下がかつてホームページに書いた内容です。

【ホームページ「名盤・珍盤レコード研究」複刻文】

これは、私が小学生のときに実際に買ってもらったレコードです。とにかく大ヒットした曲です。
これを聞かない日はないというような爆発的なヒットだったように記憶しています。
NHKが紅白にも出場させようとしたのですが、たしか児童福祉法に違反するとかで出なかったこともあったように聞きました。

日本の曲かと思ったら、イタリアで毎年開かれる「ゼッキーノ・ドロ」という子供のための音楽コンテスト入賞曲で過去特に人気のあった曲なのだそうです。今、歌詞カードを見たらそう書いてありました。

当時、おさむ君は区立原町小学校一年と書かれています。

大人にも子供にも、とても楽しい曲でした。
ジャケットにも写っている置鮎礼子さんもよくいっしょにテレビに出ていましたっけ。ニッキ・ニャッキ」という“嫌いな食べ物”が消えてしまう呪文の歌を歌っていました。

おさむ君、昭和38年生まれ、礼子ちゃん、昭和39年生まれと書かれています。
今、二人は何をしているのでしょうか?

・・以上が複刻文章です。

 

 

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で、置鮎礼子さんの妹さんから連絡をいただいた後に私がそのことをブログに書いたのですが、それについても一部抜粋して掲載いたします。
以下が、2009年8月11日の、このブログに書いた文章です。

 

10日のブログに、「おきあい」さんという方からのコメントがありました。

あっ!と気付いたのは「置鮎礼子」さん(ちゃん?)のこと。
私のホームページ「オトナの研究室/名盤・珍盤 中古レコード研究室」に懐かしい『黒ネコのタンゴ/ニッキ・ニャッキ』のシングルレコードについての記述があります。

それをご覧になった、置鮎礼子さんの妹さんがコメントをくださったのです。
いやもう、びっくりです(^o^)

あの可愛い女の子、置鮎礼子ちゃんは、結婚、出産を経て、海外在住中とのこと。
歌っていた頃の思い出話もされるとのことで、忙しかった当時のことを懐かしく思い出されるのでしょう。
元気にされているということで、とてもうれしく思いました。
“おきあい・れいこの妹”さん、ありがとうございました。

ちなみに、レコードジャケットの記載を見てみると、当時、田園調布小さき花の幼稚園へかよっていて、“オシャマ”さん、写真を撮る時には、すぐに“おすまし”をするので、笑顔の写真を撮るのに苦労した・・と書かれていました(^^)

以上です'(*゚▽゚*)'

今回は、複刻オンパレードでしたが、いい思い出です。
私のような単なる歌謡曲の一ファンが書いたものから発生した出来事でしたが、とてもうれしい出来事でした。

 

2022/09/17

中島誠之助さんの「骨董掘り出し人生」を読みました。

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『骨董掘り出し人生/中島誠之助著(朝日新書)』を読みました。
2007年発行となっていますので、かれこれ15年前の本です。
著者は、あの「なんでも鑑定団」の焼物を主に鑑定していたあの中島誠之助先生です。

このあいだ、伊集院静さんの本をこのブログでご紹介したときに、そこに掲載されていた短編小説二篇「少年譜 笛の音」、「親方と神様」の感想を書きましたが、中島さんの生涯は、まさに上記二篇の小説のような、幼少期から少年期の両親を失い、養子として伯父や伯母などに育てられるも、戦争の惨禍から大変な苦労をする話が書かれていました。

骨董という道に入る前の学生時代の様々なことへの挑戦と、実際に仕事をするようになってからの挫折や、その中で手を差し伸べてくれた今となっては驚きの有名人達の話、まるで小説を読んでいるかのような数奇で、波乱にとんだ人生が描かれていました。

前回の伊集院さんの小説といい、今回の中島さんの自伝的なお話も、私の今後の生き方にとって大きなものを得たように思います。

世の中は自分の思うようには出来ておらず、次から次へと困難に見舞われ、あたたかく手を差し伸べてくれる人もいれば、多くは悪い人がいて様々な苦境に陥れられ、自らの信ずるところに向かってひたすら信念を通して生きていくことがいかに大変なことか・・ということがこの中島さんの実体験的自伝をとおして描かれていました。

中島先生には、二十年も前だったでしょうか、私の職場が企画した「出張・なんでも鑑定団」においでいただき、私と妻の新婚時代に買ったお宝「野々村仁清の香盒」を鑑定していただき、見事8千円の鑑定をいただき、妻は泣き出し、そのおかけでMVPをいただいてしまい、石坂浩二さんの絵を賞品として受け取るという、悲しいんだか、嬉しいんだかわからない結果になったことがありました。

事前に、先生方との握手やサインは出場者は「厳禁」との説明を受けていましたが、泣き出した妻を見て、あとで中島先生ファンだった妻は握手をしていただき、持参した中島先生のご著書二冊に丁寧なサインまでいただいてしまいました。

今となっては、たいへんいい思い出です。
それに、京都のみやげ物という鑑定をいただいた香盒は、逆に私達夫婦の“お宝”になりました(*^_^*)

この中島先生の「骨董掘り出し人生」は、自分を勇気づけるために、今後も読み返すことになると思います。

 

2022/08/20

「行動することが生きることである/宇野千代」を読みました。

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『行動することが生きることである -生き方についての343の智恵-/宇野千代著(集英社文庫)』を読みました。
たまたまブックオフにて手に取ったものです。ちょっと見ただけでなんというか、肯定的な印象の文と、あまり悲観的にならない雰囲気が伝わってきて思わず買ったのです。

タイトルどおり“行動する”ことが、すべてにおいて苦難、困難を抜けきる方法なんだ、というふうに私には読み取れました。

“精神を積極的に保つコツ”なんていうのも書いてあって、宇野さんの嫌いな人は「あたし、駄目なんです。生まれつき、文章なんて書けないんです」という人だと書かれていました。

ほんとうに自分のことを駄目だなんて思ってやしないんじゃないか、ただ人前を作って、そう言っているだけなのかも知れない。・・と、おっしゃっています。
自分のことを駄目だ、駄目だと言っているうちに、ほんとうにそのようなことになってしまいやしませんか、ということなのです。

自分は書ける・・、嘘でもそう言い切ることで、言葉の反射によって、自分は書けると思い込むようになる、ということで、私もそんな気がいたしました。

時代が時代なだけに、手紙のことも書かれているのですが、宇野さんが若かった頃の昔でも「近頃は電話で何でもすませるのが普通である」などと書かれています。
「電話」と、その後にででくる「メール」は手紙を完全に日常から追いやりました。

宇野さんの若い頃は、周りに文士がたくさん住んでいて、毎日のように手紙が来たと書かれています。
梶井基次郎からは毎日のように手紙が来た。その手紙を持って萩原朔太郎や、川端康成の家に梶井さんが遊びに来ますよ、と知らせて廻ったことなどが書かれていて、なんだかうれしい話を聞いたな(*^^*)と思いました。

「電話の無かった頃の方が情緒があったような気もする」とおっしゃっていて、その頃の葉書の便りなどを見ると、その人との友情の深さまで思いやられるから、ほんとうに面白いものだと書かれていました。
・・私も、たいせつな人からの手紙や葉書は大事に保管しているのです。
その頃の雰囲気や、交流の様子が今でもよみがえってくるからなのです。

実に心が真っ直ぐに、そして明るく、希望が見えてくるような文ばかりの本でした。
近頃は、こんなこと書く人なんてあまりいないかもしれない。暗いこと、不安なこと、怯えるようなことばかりという気がします。
なので、読んでよかったd(^_^o)

 

2022/08/09

「父の縁側、私の書斎/檀ふみ」を読みました。

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『父の縁側、私の書斎/檀ふみ著(新潮文庫)』を読みました。
私同様、本好きの妻とブックオフでいろいと物色しているときに、私が阿川佐和子さんの本をよく読んでいるので、妻から「檀ふみさんの本はどうだ?」と手渡されたので買ってみたものです。これまた格安にて。

2004年に刊行されたものの文庫化ですから、檀さん五十代に入った頃の本です。

この本は、檀ふみさんが父の檀一雄さんの思い出と共に、一家が暮らしてきた家の間取り図も再現して家族の様子なども振り返っているもので、幼少期にまで遡る思い出はなんだか昭和の懐かしい家族の風景が彷彿として、読んでいてこちらもしみじみとしてしまいました。

仲良しの阿川佐和子さんの父親もかなり強烈な人でしたが、この檀一雄さんもそれを何倍も上回る強烈さでした。

お金もないのに土地を買ったり、家を買ったり、増築につぐ増築を重ねたり、その金の工面を奥さんが(ようするに檀ふみさんのお母さんです)が、丹羽文雄氏の家にお願いに行ったりする様子も書かれていました。

ポルトガルに何年も家族をおいて行ってしまったり、日本にいても女のところに行ってしまって家にも帰らなかったりですが、・・でも檀ふみさんはそんなに悪口を書いていないんですよね。
割といい思い出を持っていて、それを大切にしています。
阿川さんといい、檀さんといい、作家の娘の気持ちはよくわからないのですが、でも基本的に父親が好きだったんでしょうね。

家の間取り図を示しながら思い出を綴っていると、すでに書きましたが、その表現が実に巧みで、家の中の光景と、家族の様子がよく伝わってきました。
そういうのって、書いている本人ばかりが思い出に浸っているような文章が多いのですが、檀さんのこの本での文章はそうではありません。

人間って、さまざまな思い出、記憶は、風景やそのときにいた部屋、家などの映像記憶と共によみがえって来ます。まさにこの本はそんな感じでした。

普通から考えたら、檀一雄さんはとんでもない父親なのだと思われますが、でも檀ふみさんにとってはかけがえのない“父親像”として記憶されているのだと思いました。

自分の家のことではないのに、懐かしい気持ちにさせてくれた本でした。

 

2022/07/29

「軽井沢ミカド珈琲物語」を読みました。

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『軽井沢ミカド珈琲物語 -エピソードはアロマがいっぱい-/井上紀明著(文芸社)』という本を読みました。
ブックオフで見つけたのですが、2003年第一刷発行です。

あの軽井沢の旧道沿いにある「ミカド珈琲」の歴史を、当時のお店の様子や、訪れてくる様々な著名人の話、常連さんや、お店と関わりのあった卸しの店舗や関係者の話、どういうふうに珈琲を淹れたか、お店で働いていた人達など、話題に事欠かない「ミカド珈琲」の歴史が実に明快に簡潔に書かれていました。

ミカド珈琲・・記憶では行ったことがあると思われるのですが、何せ二十~三十代の頃だったので、外から見た雰囲気くらいしか覚えていないのです。
でも、この本を読んでみると、夏は「モカソフト」が売れ、たいへんな賑わいだったようです。たしかに、「ここは原宿か」というような混み具合の時もあったように思います。

以前は、下水道もなく、トイレが溢れたなんてこともあったようだし、氷は製氷機もなく、ほんものの氷屋さんが日に何度も運び入れていた、なんてエピソードも書かれていました。

また、当時は冬季は全ての機器の“水抜き”をしてから閉店し、翌年春以降に開店すると、あちこち店が傷んでいて、毎度修理していた、などという話も書かれていて、秋が近づいた頃の軽井沢の寂しいような様子も思い出されました。

ジョン・レノンをはじめとした有名人が訪れたお話もたくさん書かれていましたが、これといったエピソードも“オチ”もなく、ただやって来た・・(^^;)みたいな話ばかりで、ちょっと拍子抜けすることもありました。

いわゆる“旧軽”の、あの雰囲気を読んでいるだけで、いろいろと思い出させてもらいました。
あのときの温度や空気感なども、実感を伴って風のように感じました。
懐かしいなあ・・。

軽井沢に行かなくなってしまったのは、「天国にいちばん近い島」の著作で有名な森村桂さんの「アリスの丘のティールーム」を何度も夫婦で訪ねたのですが、桂さんが当時報道にあったような形で亡くなられてから足が遠のいてしまったからです。

軽井沢に行ったら必ず行っていたのですが・・ショックは大きかった。

アリスの丘の・・でのお話は、このブログに以前書いたので、ここには書きませんが、そろそろまた軽井沢に行ってみてもいいのかな、と、この古い本を読んで、また思ったところです。

軽井沢の雰囲気がよく伝わってくる本でした。

 

2022/07/19

三本和彦さんが亡くなられた。

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自動車評論家というか、自動車業界全体に対するジャーナリストという印象の三本和彦さんが亡くなられたと聞きました。

三本さんと言えば、TVK(神奈川テレビ)の「新車情報」という番組を思い出します。

私が若い頃、それまで全く興味のなかったクルマに興味を持ち始めたのも、この番組の三本さんの“辛口”批評を見聞きしてからでした。

“歯に衣着せぬ”とは、この番組の三本さんのことを言うんじゃないか(^_^)というくらいの遠慮会釈のないクルマに対する評価は、他の“メーカーの提灯持ち”みたいな一連の番組とは一線を画すものでした。

各メーカーの開発担当者も、この番組に出るときには気合いが入っていて、三本さんとは丁々発止のやり取りがあり、緊張感もありました。
また、時には三本さんからの叱咤やお褒めの言葉に互いに笑顔になったりという場面もあり、今はもう無い“きちんとした”番組でした。

私が今思い出せる番組内での三本さんの言葉は以下のとおりです。

◎「デザインは機能のパッケージングである」

・・・機能もないのにデザイン優先で作られたクルマには厳しかった。
ボディの後輪部にブレーキへのエア・ダクトみたいなものがフェラーリみたいにくっつけられた国産車、実は“ただの飾り”だったりすると三本さんは怒りました。

80年代に流行った車のリアトランク・リッドに「ガーニッシュ」なんていって“真っ赤なプレート状のもの”が貼付けられていると、「マグロの切り身みたいなもの付けて、これのどこがいいんですか?!」っとやってくれた時には「そのとおりっ!」と喝采しました。

「デザインのためなら、バンパーをガラスで作って美しくしたい」と言った大馬鹿者の開発担当を一喝したこともありました。なんのためのバンパーだと。

◎「ラム圧(走行風圧)で車内の換気が出来ないクルマが多いのはいかん」

・・・三本さんが試乗時にこう言うと、三菱のシグマ・ハードトップの開発主査の方が、「三本さんは、まったく無駄なことをしておられる。ファンを回せばいいのだ」と返答。「風圧で換気できなくて、それでもクルマか」とやり合っていたのも思い出します。

◎「馬力は麻薬だが、安全のための貯金だと思え」

・・・試乗時に「馬力はあればあるほど良く感じ、まるで麻薬だ。でも、この馬力を安全のための貯金だと思えば、実に余裕ある安全運転ができる」・・とおっしゃっていたのも思い出します。

まだまだ思い出すことがありますが、いずれも1980年代のことでした。

三本さんの上記番組や、著書も参考に私も楽しくクルマに乗ってきました。

「クルマのドアを閉めるときは、閉まる10センチ前でいったん止め、それから静かに閉めるのが大人のマナーだ」というお言葉も覚えています。そのとおりに今もしていますよ、三本さん。今まで厳しく、楽しい評論、ありがとうございました。

 

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