2009/08/11

おきあい・れいこさんの妹さんから

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10日のブログに、「おきあい」さんという方からのコメントがありました。

あっ!と気付いたのは「置鮎礼子」さん(ちゃん?)のこと。
私のホームページ「オトナの研究室/名盤・珍盤 中古レコード研究室」に懐かしい『黒ネコのタンゴ/ニッキ・ニャッキ』のシングルレコードについての記述があります。
(※このブログの左上 Home Page の『別館オトナの研究室』から入ってみてください。)

それをご覧になった、置鮎礼子さんの妹さんがコメントをくださったのです。
いやもう、びっくりです(^o^)

あの可愛い女の子、置鮎礼子ちゃんは、結婚、出産を経て、海外在住中とのこと。
歌っていた頃の思い出話もされるとのことで、忙しかった当時のことを懐かしく思い出されるのでしょう。
元気にされているということで、とてもうれしく思いました。
“おきあい・れいこの妹”さん、ありがとうございました。

ちなみに、レコードジャケットの記載を見てみると、当時、田園調布小さき花の幼稚園へかよっていて、“オシャマ”さん、写真を撮る時には、すぐに“おすまし”をするので、笑顔の写真を撮るのに苦労した・・と書かれていました(^^)

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ふたつ目の写真は、レコードのスリーブ(袋)についていた、当時の日本ビクター(フィリップス レコード・グループ)の方々です。
当時がしのばれますので、どんな人が載っているか、ちょっと書いておきます。

一番右上が 森山良子さん・・若いっ! 

その下が、 ザ・スパイダース・・堺正章さんや、井上順さん、ムッシュかまやつさん、後の井上バンドの井上さん、田辺エージェンシーの田辺さん、キーボードの大野さんなど、多彩な人材がひとつのバンドに固まっていたのですね。

そのほか、長谷川きよしさん・・盲目のギタリストでボーカリスト、泉アキさん(当時たくさんの番組に出ていたパンチのある歌手でした)、テンプターズ(そう、ショーケンの・・)、大ヒットを飛ばした パープルシャドウズ、GSとしては、メジャーとまではいかなかった ヤンガーズなど。

懐かしいです・・・。

礼子さんの妹さん、このたびはありがとうございました。
礼子さんの近況も聞くことができて、うれしい気持ちになりました(^^)/


【NowPlaying】 生命 / 宮下富実夫 ( Healing Music )

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2009/06/07

ブックオフで発見!レア写真&DVD

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 写真は、先週の休日にブックオフで見つけた『ウルトラマン1966』という箱入りの本&DVDです。

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 実はこの本、初代ウルトラマンの貴重なスチル写真、メイキング、イベント写真、新聞記事、グッズなどの写真が収められている上に、当時8ミリフィルムで一般に販売されていたという、まさに超レア映像がDVDに解説入りで収録されているのです。
 というようなことがその箱の“腰巻き”に書かれていたので思わず立ち止まってしまったのです。


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 で、値段も2,000円と安目の設定。迷いましたが、買ってしまいました。

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 写真は当時の撮影風景、それに山本リンダと恵とも子(CMなどによく出ていた娘、覚えている人いるかも)が、怪獣とデートしている写真など、カラー写真も含め貴重なものばかりです。


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 当時は、放送自体はカラーだったのですが、実際にはそれをカラー受像器で見ることのできた家はまれだったものと思われます。
 しかし、当時は色々な本や、グッズ(文具類等)が豊富で、ウルトラマンという番組の“色”については、けっこうあの頃のちびっ子には印象がはっきり残っているかもしれません。

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 さらにDVDに収められている当時の8ミリ版ウルトラマンは、撮影時に数台のカメラで撮られていたものでテレビ放映とは別アングルの貴重な画像です。こういうものが売られていたのですね。
 当時のスタッフの方も初めて見るというレア映像です。パソコンで本日初めて再生してみました。


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 8ミリフィルムは、当時白黒版とカラー版が売られていたとのことですが、映写機を持っていること自体が珍しい時代ですので、この映像は見ているだけで当時小学生だった私は大興奮でした。

 この写真は“えり巻き怪獣「ジラース」”。東宝のゴジラのぬいぐるみを借りてきて“えり”を付け、スケジュールの空いていた、ゴジラ役(中に入る人)を当時やっていた方にも来てもらって中に入って演技をしてもらったのだそうです。

 どうりで、小さい頃ゴジラとよく似ていると思ったものでした。

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 画像を見、解説を聞いていると、当時のスタッフの“情熱”が「ひしひし」と伝わってきます。
 怪獣が壊したビルの“ガレキ”までこだわっているため、その状態がリアルで、怪獣の大きさがよりいっそうひき立っていたり、背景の木々などの作り込み、怪獣のつくりなど、どれをとって見ても興味深く、ただの子供番組ではなかったのだと、いまさらながら再確認しました。

 ブックオフも行ってみるものです。
 こんなレアで、私の子供時代を思い起こさせてくれる懐かしいものがあるのですから。
 これを売った人は、どういう事情で売ったのかわかりませんが、“もったいない”ことをしたものです。

 本日は初代ウルトラマン関連の“掘り出し物”のご紹介でした。


【NowPlaying】 10時のニュース / NHKニュース ( NHK/AM )

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2009/05/10

中島誠之助先生のラジオ出演を聞いて

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きょうの午後、NHK-FMの番組「トーキング・ウィズ松尾堂」に、鑑定団でおなじみの中島誠之助先生が出演されていました。事前に新聞で知りましたので、録音しておいて、今聞き終わったところです。
最近は、骨董のお店は引退されているようですが、本を書かれたり、俳句も始められ、一年間で千句詠み、それを本にされるそうです。古希なんだそうで、ますますお元気です。
私と妻には中島先生に忘れられない思い出があります。

写真は、8年も前になるでしょうか、私達夫婦で「なんでも鑑定団」にお宝鑑定をお願いし、中島先生に見てもらっているところです。あのときは、どきどきしたけど楽しかったなぁ(^o^)
お宝は野々村仁清作と書かれた狐の香盒(こうごう)。「200万円」という本人評価額に早くも失笑が会場から聞こえる・・・。
妻は、中島先生が大好きで、会えただけで気絶しそうなくらいの喜びようでした。
これだけでも、とてもうれしい出来事でした。

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固唾をのんで先生の鑑定を見守る私達夫婦と司会のお二人。
先生からは、「この箱書きがボールペンってのは“いけませんなあ”」と会場を笑いの渦に巻き込む発言が・・・。


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結果は惨敗で「8,000円」(T_T)。妻は崩れ落ち、泣き出したのでした(^^;)
おかけで、MVPを獲得し、番組側から言われた「サイン、握手には一切応じられませんので、出演者の方々は絶対に守ってください」という約束は“なきもの”となり、先生からは石坂さんの絵をいただき、握手もステージ上でしてくださり(ちょうどこの写真のときです。妻はカメラマンにかぶって映っていませんが)、当日持ち込んだ著書二冊にもサインをくださいました。

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写真は、二冊のご著書にいただいた中島先生のサインです。
これも我が家のお宝になりました。
中島先生は、今も鑑定団に番組開始当初からのレギュラーとして出演されていますが、テレビで拝見するたびに私達夫婦には、うれしい思い出がよみがえってくるのです。

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新婚時代の旅行で買い求めた“香盒”は、鑑定としては安いものでしたが、私達夫婦にとっては、大きな思い出を作ってくれました。
だから、結局これは“お宝”だったのですね。
あのとき買ったのはやはり大正解だったのです。


中島先生、これからもお元気でご活躍ください。
私達夫婦は、いつも応援していますよ(^o^)

【NowPlaying】 バードランドの子守唄 / サラ・ヴォーン ( Jazz Vocals )

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2009/05/05

山本夏彦氏の本で思い出したこと

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また、山本夏彦氏の本、「浮き世のことは笑うよりほかなし/講談社」を読みました。
氏の大好きな「向田邦子」さんとの対談など、過去の対談集です。
亡くなってまだ新刊が出ているのです。

出久根達郎氏との対談では、昭和三十年代初めに出久根氏が戦争で焼かれなかった月島に集団就職で古本屋の“丁稚奉公”をした話などが語られ、とても貴重な話が盛りだくさんの本でした。

おっ・・・と、私が興味を持ったのは、古河林業の社長・古河氏との対談でした。

住宅が商品にしにくくて、ながく商品にならない時代に「日本電建」という会社が、「朗(ほがらか)」という雑誌を出し、昭和十年代から三十年代まで出していた。
そして、日本電建のPR誌から出発して、住宅金融公庫のない時代に、家を建てたい人に積み立てをさせて、三割くらいたまると家を建て、あとは月賦にするということを始めたと話されています。

今のハウスメーカーの祖先ともいうべきものだとしています。
やがて住宅金融公庫ができて、殖産住宅相互や太平住宅などに独立するものが出たともあります。

そして現在のハウスメーカーが日本中を覆うような時代になったと・・・。

実は、82歳になる私の父は、日本電建の社員でした。
父の会社がどういう時代にどういうやり方で成長していったのか、など、初めて知りました。
小さい頃は、父がただ出社し、帰宅する姿ばかり見て、どのような仕事をしているのかなどは、あまり聞いたこともなく、大人になってから少しは話す機会があったくらいでした。

なので、本に書いてあったことを知っただけでも、とても感慨深いものがありました。
それに、日本電建が、もとは「日本電話建物」という名であったことも、この本の記述で知りました。
父も知っているのだろうか、とも思いました。

今は父のいた支社も千葉にはなく、どうなっているのかはわかりません。
父の若い頃のエピソードとしては、東京本社に出張時に子どもが生まれた(私の弟)ことを社長に言うと、お祝いをいただき、のちにそのときの交際帳をよく見てみるとそのお祝いをくれたのは「田中角栄」氏であったことがわかりました。
ということは、ずいぶん昔の話であることがわかると思いますが・・・。
巷間言われていた田中角栄氏が冠婚葬祭などの人付き合いに関しての几帳面なところが感じられました。
だって、地方の支社のたまたま出張で出て来た若い社員になんか、普通、お祝いなどわたすでしょうか。

などと、色々なことに思いをめぐらせつつ、きょうのブログでした。

【NowPlaying】 Saint Of Me / The Rolling Stones ( Rock )

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2009/03/13

NHK・FMが40周年だそうです

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3月のはじめに、NHKのFM放送が40周年になるということで、記念番組の放送をやっていました。

私の年代にはラジオというものが学生時代そのものであるというような人が多いと思います。
AM放送の深夜放送にも多くの人が共感を持つ番組がたくさんあると思います。

私が初めてラジカセを買ってもらったのが中1の時。
パナソニックのもので、スピーカーは“ひとつ”。FM放送をステレオで聞くには専用のステレオ・ヘッドフォンを買わねばならず、残念ながらその時点ではまだステレオで放送を聞くことができませんでした。

でも、フルレンジの比較的大きなスピーカーでFM放送を聞くと、たとえモノラルであってもAMとは格段に違う良い音でした。うれしかったなあ(^o^)

その頃流れてきたのは、今でも覚えていますが、CCRの「コットン・フィールズ」や「雨を見たかい」、ミュージカル・ヘアーの「アクエリアス」などです。
自分はオトナの音楽にふれているという実感がありました。

土曜日に学校から帰ってきて、昼食後の午後のひととき・・・。
FMで聞く洋楽ベスト・テン番組はまさに“いこい”のひとときでした(^^)

流れてきたのはドーンの「幸せの黄色いリボン」、「ビューティフル・サンデー」、ストローブスの「パート・オブ・ユニオン」、ディープパープルの「ウーマン・フロム・トーキョー」、カーペンターズの「シング」などなど、今でも珠玉のヒット・メロディーです。

こうして初めてラジオを買ってもらったときのことを書いてみると、かなりはっきり覚えていることに驚きます。
皆さんのFMラジオの思い出はいかがでしょう?(*^_^*)

【NowPlaying】 ラジオ深夜便 / 松本一路 ( NHKラジオ )

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2009/02/11

不意の客

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私の好きなコラムニスト山本夏彦さん。7年前に亡くなられましたが、生前から「死ぬの大好き」などという著作もあり、死んだ人と今生きている人の別もなく、ただ広がる日本語の世界の中に住んでいたような方でした。

写真は、夏彦氏の友人で数学者の藤原正彦氏が選んだ100編のコラムを集めた「夏彦の写真コラム傑作選1/新潮文庫」です。
私は時々“ぱらぱら”とめくって楽しんでいます。

きょう、めくっていて目についたのが、『「不意の客」許されなくなる』でした。
昭和三十年頃までは、客というものは不意にあらわれた。
各戸に電話がなかったからである。

・・・当時、会社には電話があっても家にはなかったのです。

電話が各戸に普及したのは昭和三十年以降。
そして、電話が普及するにつれ、やがて家に電話がないことが許されなくなった・・・。

そしたら客も不意にあらわれることが許されなくなった・・・。

電話で確かめたうえであらわれるようになって、だしぬけに行くことが失礼になった。

夏彦翁は、「けれども人恋しいときがある。友に会いたいときがある。」
突然行ってはいけなかろうと電話すると「来月の何日はどうですか」と言われる。
「いま会いたいのだ」とノドから出かかっても言えなくなった・・と書かれています。

・・・「こうして有史以来の人と人との間のコミュニケーションは失われたのである」と結んでいます。

私が子供の頃には、客は不意に来ました。
電話も当時は“呼び出し”でした。わざわざ県道の向かい側にあるお店の方が我が家まで「電話です」と呼びに来たのです。それだけでコミュニケーションですよね。

昼にはおもに女性が、お年寄りが不意にあらわれました。
縁側でお茶を飲みながら話をしていました。
我が家のばあちゃんも不意によその家にお茶を飲みに行き、幼かった私や弟なども連れて行ってもらうことが多々ありました。
お茶うけは、「麦焦がし」や「変わり玉」、「金魚せんべい」「黒砂糖」などでした。

夕刻や夜になると、大人の男性が不意にあらわれました。
相談事や、町内のことなどを持ち込んでいたようです。
あたりが暗くなっていれば、玄関に招き入れ(大きな土間になっていた)、ときによりお酒や天ぷらなどを出して父が話していたのを記憶しています。

大工の棟梁なども突然やってきて一杯酒を飲み、ちょっと世間話をして帰って行ったり、町の植物博士とでもいうべき物知りの方がやはり不意にあらわれ、病に効く薬草や、最近見つけた珍しい花や木について話しながら一杯やっていくというようなこともありました。
土曜の夕方などは千客万来だったような記憶があります。

夏彦翁が嘆いていたのは、このような人と人とのコミュニケーションのことではないかと思います。

私にしても、いくら仲の良い友人でも突然訪ねたりなんてことは、もうできませんからね・・・。

今ではあたりまえの電話にしてからが、こんな風に人と人の様子を変えているのだと、あらためて本を読み返して感じたのです。


【NowPlaying】 Pont de Quimper / 高桑英世 ( Instrumental Music )

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2009/02/06

フルバンドの演奏がすっかりテレビ画面から消えた

昨年聞いたラジオで、作曲家・平尾昌晃さんが「紅白の最後にタクトを取るようになったけど、舞台上にはバンドがいないんですよ。ステージ上ではなく、別室でヘッドフォンでモニタリングしながら演奏していて、演奏している姿をお見せしたい。」というようなことをおっしゃっていました。

そのせいでしょうか、昨年末の紅白では別室でバンドが演奏しているところが放送に乗りました。
指揮者はあのブルーコメッツの三原綱木さん。バンドはニューブリードだったでしょうか。

昔の紅白と言えば、ステージ上にフルバンドが“ふた組”、紅組と白組にバンドも分かれて演奏をそれぞれが行っていたことを記憶しています。
原信夫とシャープス&フラッツ、スマイリー小原とスカイライナーズなどではなかったかと思います。
ジャズのバンドが歌謡曲を思いっきりスイングしながら演奏するっていうのは、ほとんど見なくなりましたね。

スマイリー小原さんの、指揮自体がダンスになっているあの躍動感というか、楽しい演奏が今でもまぶたに浮かびます。ザ・ヒット・パレードなんて最高の音楽バラエティだったですね・・って、今じゃ40代以上の方でなきゃわからないですけど。

ヒット曲を出すのがバンド編成の人たちになったことも影響したかと思いますが、昔のようにバックにバンドがいて歌うっていうのは、やはりいいものだったと思います。
せめて、そういうバンドが実際に演奏しているのなら、その演奏場面もテレビ画面に出してほしいと、ふと思いました。
テレビの音楽番組を見ていて近年ずっと感じていたことを、きょうは書いてみました。

【NowPlaying】 薔薇とピストル / GAL ( 歌謡曲 )

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2009/02/01

あのコロッケが食べたくなった

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今朝は私の気が向いて、早朝にパン屋さんに行って、色々なパンを買い込み、家族でパン朝食をとりました。

その中にコロッケパンがあったのですが、とつぜん、“肉屋さん”のコロッケが懐かしく思い出されました。
あの、ガラスの扉を開けて、揚げたてのコロッケを買い、その場で“フハフハ”言いながら食べる・・・あれ・・・うまかったなあ!
(^O^)

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昔は、家の近くにも肉屋さんがあって、コロッケや、メンチカツや、ハムカツ(最近の子供は知らんかもしれない)などを一ヶ30円くらいだっただろうか、食べたものです。

高校時代には、校門から400メートルほどのバス停前に肉屋さんがあり、放課後に皆でジャンケンをして、負けたやつが代表して買いに行き、教室で“だべり”ながら、アツアツのコロッケをほおばったものです。
ああ、ますます懐かしい(^_^)
あの肉屋さん、まだあるかもしれないな・・・。

最近は、そういう一軒家の肉屋さんも近所には無くなりました。いや、町内にも無いですね。
もう一度そんな店を見つけて、子供たちにアツアツのやつを食べさせてやりたい、なんて思いますが、「言ってるほどじゃないじゃん!」って言われたら、ちょっと悲しいねぇ。

一回、自分で探して味見してみてからにしようっと!!

【NowPlaying】 Evening In Paris / The Hod O' Brien Trio ( Jazz )

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2008/11/26

「音が飛ばなくなった」が残された言葉

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写真は、懐かしいジュリーと中山千夏さんのシングル盤(ドーナツ盤)です。

先日、ラジオに平尾昌晃さん(五木ひろし、小柳ルミ子、布施明らをはじめとするスターに曲を提供してきた大ヒットメーカー作曲家)が出演されていて、あの昭和の大作詞家、阿久悠さんと最後に話しをしたときのことを語っていらっしゃいました。

阿久さんは、「最近は“音が飛ばなくなった”」と、残念そうにおっしゃっていたそうです。

“音”とは、音楽のこと。

阿久さんの大活躍されていた昭和40年代終盤から50年頃にかけては、音楽(ここでは、歌謡曲と言っておきます)は、家の中でもテレビから茶の間で、そして、街に出てもお店や舗道、その他色々な場所で聞こえました。
それは、家族や社会一般の人々の共通体験でした。ほとんどどんなヒット曲も誰もが知っていました。老若男女が・・・好きでも嫌いでも。

今は、パソコンにダウンロードし、パソコンの前で個人的に聞いたり、ミュージック・プレイヤーに落として、これまた個人的にイヤフォンやヘッドフォンで個人的に聞くのが当たり前になっています。
10万回のダウンロードを記録したヒット曲は、10万人だけの手に(耳に?)届くヒット曲となりました。
家族、友達、街の人たちと曲と時代を共有するという経験は既にとても希なことになっているのが現状です。

歌謡曲や演歌などという区別も無かった、私が子供の頃、レコード盤のレーベル部分には『流行歌』と記されていました。
まさに、時代を“流れ行く”歌だったのです。だから、あの曲が流行っていた頃は・・・というと、その時代の人たちには何かあの時代の共通した空気が思い出されるのですが・・・それも今は昔・・・。

仮に正規にCDを購入する人がいたとしても、CDの収録時間は人間の感覚にはやはり長いのです。
レコードは片面20分くらい。だから、片面で一息入れて、またB面に突入するという絶妙の配分だったのです。
しかし、今や60分から70分間を一気に曲が流れるので、結局BGMにしかならなくなってしまいました。
さらに、好きな曲だけ聞いたり、かかる曲順も好きなように出来たり、ランダム再生したり、チェンジャーやPCに取り入れて、自在な聞き方が出来る分、アルバムへの集中度はぐんと下がりました。

・・・時代はほんとうに流れ去ったのですね。あと数年後の音楽界の状況は、もう私には想像することもできません。
ただ、ひとつ言えることは・・・『いいものはいい!いつまでもいい!何年経ってもいい!!』ということです。
「あれは古いっ」と言うのは簡単ですが、古くてもいいものはいいものなんだ、これが真理だと思います。
誰も、「モーツァルト、あれは古いから駄目だね」なんて言わないものね・・・。

【NowPlaying】 愛の迷い子 / アグネス・チャン ( 歌謡曲 )

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2008/11/23

ほんとは楽しかった作文の時間

きょうラジオを聞いていて(ラジオはほんとに脳にいいらしいよ、私を見てると結果が出てないのが気にかかるかもしれないけど・・・)、出演されていた作家の加藤廣さんが「子供の頃、体育も勉強もたいしたことは無かったが、綴り方(今でいう作文)の時間がとても好きだったというお話をされていました。

私も実は小学校低学年までは大好きでした。なんてたって、自分の好きなことを好きなだけ時間いっぱい書くことができるのです。こんな素晴らしい時間はありませんでした。
先生が「きょうは、作文をやる」と言うと、「え~っ」という、クラス中の非難ごうごうの大ブーイングが信じられませんでした。

でも、何年だったか、先生が変わって、その先生が私の作文にどんどん朱書きで訂正を入れて、たとえば感想文などでは、私の「主人公は勇気を振り絞って○○なことをしたけど、僕じゃあ、逆立ちしても出来ない勇気だ、信じられない」・・・みたいなことを書くと、教卓まで呼び出され、皆の前で『どうして、お前は自分を変えていこうという考え方ができなのだ。自分もそうしようと思うと書け!』などと、厳しく叱られました。

正直に自分の思いを書いているだけで、当時は何が悪いのか全くわからなかったのです。
・・・今でもわからないけど(-_-)
で、朱書きのとおりに(いっぱい直されてた)書き直して先生のところに持って行き『これでいい!』などと言われてもちっともうれしくもなんともなくなってしまったのです。

それから苦節○十年、今やブログで思う存分書いているのです。
添削する人はいないし・・(若干、「あの書きっぷりはいただけない」などと直接言ってくるのはいるにはいるが)、小さい頃のうらみを今はらしています。

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で、今もキーボードに向かっているのですが、つい先日、ほとんど私がメインとして使っているノートPCが壊れました。メモリが悪いのかと、交換したり、OSまで入れ換えてみたのですが、もうダメのようです。

写真のキーボードはノートPCの軽いタッチが好きな私が、デスクトップ・パソコンのキーボードを買い換えて、ノートPC風のタッチのものにしたものです。
こりゃ、軽くていいです。
デスクトップ・パソコンは主に長男に使わせていたのですが、これからしばらくは、共同で使用し、もう少し経ったらもう一台買おうと思っています。
ノートかデスクトップか、毎日迷っているのですが・・・。

きょうもキーボードは軽く、私は思うがままに書いています。
私は、いつもだいたい“タイトル”だけ決めてキーボードに向かいます。
そして、一気に10分ほどで書き上げてます。
まさに、下書きなしで、頭の中で組み立てながら書いてます。・・だから「いただけない」って言われるのか(^_^;)

ふだん馴れないパソコンで書いてますが、文体に変化も無さそうだし、しばらくこれでいってみます!!


【NowPlaying】 夢で逢えたら / シリア・ポール ( J-Pop )
 

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