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2022/10/11

池上彰さんと増田ユリヤさんの「メディアをくつる!」を読みました。

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『メディアをつくる! -YouTubeやって考えた 炎上騒動とネット時代の伝え方-/池上彰・増田ユリヤ(ポプラ新書)』という本を読みました。
2021年発行ですから、比較的新しい本です。でもブックオフでは100円でしたので、これは読んでみようと購入。

読んでみたら、あの池上彰さん YouTube を始められていたのですね。私、存知上げませんでした。
相方となっているのは、私も時々池上さんとご一緒にテレビに出ているのをお見かけする増田ユリヤさんで、増田さんは過去、学校の教師をしながらNHKのラジオやテレビの仕事をすることになり、そのとき池上さんとつながっていた経緯があり、お二人はこの本でも、YouTube上でも割と“遠慮なく”やり合っています。

SNS等一切やって来なかった池上さん(本を読む時間がなくなってしまうなのどの理由からとのこと)ですが、テレビの限られた時間の中で語りきれなかった事なども時間の制限なく発表できることなどから増田さんと YouTube を始めます。

で、この本の副題ともなっている「炎上騒動とネット時代の伝え方」という話になるのですが、池上さんがテレビで語ったことに反対意見を持つ人達がその反対意見と関係のない池上さんの YouTube を見つけて、そこに「Bad」ボタンを押しにやって来るというわけです。
で、“大炎上”。

当初は、スタッフ含め、無視するという方法でやり過ごすというやり方がいいだろう、ということになったとのことですが、やがて考え方をあらためて、YouTube の中で真摯に説明するというやり方に変えています。
正攻法でいったわけですが、効果は徐々に出てきて、なんとかなっているようです。

あらためて私もお二人の「YouTube学園」を見てみましたが、政治や国際関係などのテーマ以外にも楽しい話題も取り上げていて、池上さんもちょっと表情が緩んでいます。
こんな感じもいいな、と思いました。

YouTube はじめネットメディアを使い、自らの意見や、そこまでいかなくともいろいろと発信しようとすると、様々なことが起こります。
私も、政府の施策や、政治家の不祥事などについてブログに書き、それをツイッターからも見られるようにリンクを張ったりすると、なぜかツイッター側は自動的にやっているのか、「センシティブな内容を伴うので、セキュリティ設定を変更して閲覧してください」などという警告が出ているのを発見したりします。

たいしたこと言っていないのに、上記のようなことになるので、社会、政治、経済に関する発言については、ツイッターと連携するのをやめました。しても閲覧できなくては意味が無いからです。

まだまだ難しいことがたくさんありますが、私も試行錯誤しながらSNSに関わっていこうと思いました。

 

2022/09/16

文春ムック「伊集院静の流儀」を読みました。

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『伊集院静の流儀/伊集院静著(文藝春秋)』という本を読みました。
いわゆる“ムック本”・・マガジンとブックの中間・・というものでした。
平成23年発行となっていますから、十年以上前の本です。

その内容は“濃く”、写真も多数、東日本大震災時とその後の様子や仙台に住まわれている伊集院さん自身の思い、成人した若者への言葉が何度も書かれ(当時、何年かに渡って書かれたものか)、さらにはさまざまな立場の人からの相談に応え、多彩な方々との対談もありました。

そして二篇の短編小説も掲載されていて、この「少年譜 笛の音」、「親方と神様」は、どちらもつらいことに堪えたり、一途にものごとに取り組んだり、そして不遇の身にある少年にそそがれた義父や職人の親方からの愛情溢れる扱い、やがて少年がどうなっていったのか・・二篇とも読んでいるうちに涙が頬をつたいました。
いい話でした。

この本に書かれていたことで私の心に響いたことを少し書き残そうと思います。

城山三郎さんとの対談の中で、

「国会議員だから国のことをするんだということを公約して当選していく。選挙民にも、この人は国事を託す人、という思いがあるから、進んでボランティアで選挙運動をしてくれる。本来そういう形にならないとおかしいんで、この反対の姿がいまの土下座選挙だよね。ああいうことで選ぶというのは、世界のなかで非常に恥ずかしいことですよね。」

との城山さんの言葉です。今の選挙運動などをどこかの団体に「こりゃ好都合」と喜んで任せて支持率を落としている人達の耳にいれたいお話です。ずいぶん古い発言ですよ、その頃にもう予言しているかのような発言でした。

もうひとつだけ

「二十歳の君の手に。」という文の中に書かれていたものです。

「大半の二十歳の君たちは成人、大人と言われてもこころからうれしいと思っていないんじゃないか。むしろ本音は大人になりたくないのだろう。テレビには毎日戦場が映り、人が死んでいく。君が住む近くで誘拐、殺人が起き、罪のない人が拉致されている。政治家は平気で嘘をつき、法を犯しても金が儲かれば成功者と呼ばれる。金が力で、人の価値まで計れると口にする愚かな輩があふれる。こんな社会を作った大人になりたいはずがない。当たり前だ。」

「価値ある生き方をしている大人はいるのか。誇るべき生き方はあるのか。私は断言する。そういう生き方をしている大人はいるし、生き方はある。今の君たちの目に見えないだけだ。その人たちも、君と同じ年頃、見えない明日を懸命に探り、一人で歩いていたんだ。」

この引用部分を読んだだけで、若い人だけでなく、私も勇気づけられ、気持ちを強くしました。

 

2022/09/02

ドナルド・キーンの「二つの母国に生きて」を読みました。

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『二つの母国に生きて/ドナルド・キーン著(朝日文庫)』という本を読みました。
1980年代半ばにキーンさんが六年にわたって「リーダーズ・ダイジェスト」日本版のために書かれたものです。
これもブックオフで見つけた本です。

日本文学研究者のキーンさん、文学だけでなく「桜」や「軽井沢」などの日本文化についても書かれ、戦争犯罪についても公平な“まなざし”で書かれていて、現在のロシア・ウクライナの状況を考える私の視線も少し方向が修正されたような気がしました。

さらに谷崎や三島などの文学者との交流も書かれ、実に興味深かった。

1980年代当時の新聞報道についても日本はかなりの“自由度”があるということを書かれているのですが、当時は想像も出来なかったと思いますが、ここ三代くらいの首相の間は、なんだか報道については“無言かつ暗黙”の規制が存在しているのではないかと感じます。
キーンさんが生きていられたら、どう書いたのか・・と思いました。

週刊誌については、自制力(読者の低次元の欲求に対して)が弱いようだが、「社会的に尊敬を集めている人々にも弱点があることを知りたがっているのが世間だ」というようなことを書かれています。

ようするに、有名人が享受してしきたものに対する羨望が姿を変えて現われるのだと書かれていますが、そのとおりだと思いました。

キーンさんは第二次大戦時は、アメリカ側にいたわけですが、戦争末期の日本の都市への無差別爆撃や、広島、長崎への原爆投下による大量虐殺についても、自らの公平な意見を書かれていました。あの東京裁判についても。
私自身も自分の考えをあらためて確認することになりました。

この世への幻滅を感じたときに、日本人には仏教の「富を蓄積したところで、死ぬときには何らの意味をもつわけではない。家族も友人も、救いの手を差し伸べられるわけではない。」という考えが、その幻滅感を克服するに役立ったのではないか、ということも書かれていて、・・そうかもしれない・・と思いました。

そして、建築物や木像などは歳月の影響を受け、やがて形が無くなるという思想も仏教の無常的な考えの影響ではないかと。
それでも、その無常感に挑むように千年以上も奈良で造られた建築物や木像はいまだ朽ち果てることなく存在している・・というのがなんだか日本人としてうれしいものです。

さまざまなことについて、あらためて日本人として考えることになったエッセイでした。
キーンさんの本は、まだ日本文学について書かれたものを手に入れていますので、その読後感についてもまた書きたいと思います。

 

2022/08/22

1970年代から1980年代製産の国産車やギターが貴重だという話

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20日の新聞を読んでいたら、たまたま同日の新聞に別記事で出ていたんですけど、表題にあるように、70年~80年代の国産旧車が高値を呼んでいるという。
そして同じく、国産のギターも同じような年代のものが特に国外で高い評価を得て、これまた高値を呼んでいるのだそうです。

記事を読んで、それは「あり得る」というか、「当然」かもしれないと思いました。
当時の製品には、職人の魂が入っていたような気がするからです。

まずはクルマの方ですが、その頃は各社(各車)が個性あるルックスと、エンジン他特異な機能などを持ち合わせていました。
エンジンでは、カムシャフトが二本になったり、バルブが4バルブになったり、ターボが付き、それにまたインタークーラーが備えられたり、フルタイム四駆や、四輪操舵、サスペンションがアクティブになったり、“各社(各車)各様”で、クルマ好きにはたまらない時代だったと思います。

何よりもスタイルが独特で格好良かった。今のクルマの“ずんぐりムックリ”とした“過剰マッチョ”みたいな変なデザインは無かった・・、いい時代だった。

中には発売されていた当時の価格の4倍の値段を付けているものもあるそうです。
その、乗りたい気持ち、買いたい気持ちは私にもよくわかります。
あの当時の“ワクワク”するクルマ、思い出しただけでニコニコになります(#^.^#)

そしてあの頃のギターは、国産の・・特にエレキはレスポールやフェンダーのストラトキャスター、テレキャスターなどのコピーモデルがたくさん売られていて、あの当時はそんなに気づかなかったが、外国では、その当時の日本の使用木材の良さ、その精巧な接着技術、金属部品の精緻な造り、そして組み立ての良さなどから、これまた高値を呼んでいるのだそうです。

ああ、私が所有していたヤマハのレスポールや、アリア・プロⅡなど、人に譲らなければよかった・・…σ(^_^;)

当時のグレコやフェルナンデスなどの国産ギター、友達も皆使っていました。本物のフェンダーを持っていたのは、金持ちの“ボンボン”だけでした。

当時、本物の音を聞いたことがほとんどなかったので、国産のギターがどれほどいい音を出していたのか私達はわからなかったわけですが、実際はいい音が出ていたんでしょうね。
つくづくもったいないことをした(^^;)

ということで、クルマは写真や YouTube で楽しみ、ギターも時々ハードオフなどにぶら下がっているヤツを覗いたりして楽しむことで心の平安を得たいと思います。

きょうは、高値を呼ぶ国産旧車と、国産コピーギターのお話でした。

 

2022/08/17

『対談集「気骨」について/城山三郎」を読みました。

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『対談集「気骨」について/城山三郎著(新潮文庫)』を読みました。
この本は、平成15年に新潮社から刊行されたものの文庫化です。例によってブックオフにて購入。

城山さんの著書、あるいはこのような対談についても、読み始めるといつも“居住まいを正す”ような感覚になります。
物事について、生き方について、いつも正面から真摯に取り組んで文章を書かれています。

澤地久枝さんとの対談でも、「日本は腐敗と劣化がすすみ、ひどい国になりつつある」と澤地さんが個人情報保護法について話を向けると、「本来は民間人中心の検討部会で、データを漏らす役人を処罰するという法案を作りかけていたのに、スキャンダルをつかまれたくない政治家たちが強行に働きかけ、個人情報保護法を違う方向に膨らませてしまった。」

「役人を罰する法律だったはずが、役人や政治家の腐敗を書いたら罰する。じつに懲役刑まで持ち出してきた。」と怒りを露わにしています。
ジャーナリストはなぜ徹底的に法案を“叩いて”国民に訴えなかったのか、と私も思います。

同じ澤地さんとの対談の中で、「戦争をしていいことは何もない。だから何としても戦争は食いとめなくちゃいけないが、それには、やはり言論・表現の自由です。戦争は嫌だと言う自由がなければ権力者はやりたい放題。言論を押さえ込んでおけば、次の戦争だってやれるんです。」

と、おっしゃっています。・・今の日本にその自由はあるのか、と思います。

何をおいても戦争をしないことが、亡くなった人たち、遺族への責任だとおっしゃっていて、そのとおりだと思いました。

伊集院静さんとの対談では、ナポレオンの話が出て来て、

「あれだけ戦争を繰り返す日々を送っていると、人間としての成長というのは望めないかもしれない。ナポレオンをナポレオンたらしめるのは戦争での勝利しかなかった。たぶんナポレオンは、己の存在は何たるかを考える時間はなかっただろうし、自分を見つめる思考の回路というか、思索法は最後まで身につかなかったんじゃないでしょうか。」

という話になっていきます。

今のどこかの国の「プ」のつく人に聞かせてあげたい・・。

この本では、8人の方と対談された内容が記されていますが、どれも読み甲斐のあるものばかりでした。
城山さんの本、まだ何冊か手持ちがあるので、また読んだら感想をこのブログに書こうと思います。

 

2022/08/05

石田衣良さんの「坂の下の湖」を読みました。

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『坂の下の湖/石田衣良著(日本経済新聞出版社)』という本を読みました。
これもまたブックオフにて200円で購入(*^^*)

この本は、リクルートの「R25」に2008年から2010年にかけて連載されたものに加筆・修正を行なったものだそうです。

時代としては、サブプライムローン問題が発生し、リーマン・ショックへ、そしてそれが世界にも日本にも影響を及ぼし、経済的には大きな危機となった頃です。

さらに、自民党政権が総選挙において大敗し、当時の民主党政権が誕生した時。
そしてその民主党政権がなんとも心もとない政権で国民の期待を大きく裏切りヨタヨタな状態。
そこに輪を掛けて東日本大震災が発生し、なんというのか、夢も希望もないような時代だったのかもしれません。

で、石田衣良さんの文です。

時代は就職難でもあり、先行き不安な若者は新入社員でもこつこつと貯蓄をする。
そして、男子は“草食男子”と呼ばれるタイプが増殖していく。

自分を守ろうとすると、皆が同じようなことを考え、世の中画一的な方向に向かいます。
石田さんが書かれていますが、本の世界も「ひとり勝ちの世界」になってしまったと。
ナンバーワン以外はぜんぜんダメ。第一位の本はよく売れるが、それ以外のノミネート作品はまったく動かない・・。

映画や音楽でも同様のことが起きて、エンターテインメントの未来は暗い・・。
創作の世界の豊かさがなくなってしまうというのです。

個々がひとり・ひとりその場で耐え、自分の力をすこしずつ磨き、いつかやってくる変化の時を待ってと石田さんは呼びかけていました。

このとき石田さんが政治に対して発言していることは、今現在の世の中でもまだ言えることだと思いました。

政治家は、ぜんぜん仕事をしていないと思う。
それは法案をつくったり、国会で審議したり、決議したりという代議士のルーティンの仕事についてではない。
それよりももっと大切な、政治家としての根源にかかわる部分で仕事をしていないのだ。

日本という国の明日の希望をつくりだす仕事をしていない。
それこそ今も昔も、政治のもっとも大切な仕事であるはずだ。
日本という国がなにを目指すのかという明確なメッセージはまるで伝わってこない。

・・そういう政治家っているのか・・。

全体にこの本の文体は“軽い”のですが、でも、「芯」の部分はしっかり力強いと感じる本でした。

 

2022/08/02

「日本トンチンカン悪者列伝」っていう本 (・_・;を読んだ。

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『日本トンチンカン悪者列伝/北岡俊明著(WAC)』という本を読みました。
ブックオフにて100円で購入(^^;)

チラッと見て、なんだか異様な感じがして、安いし、買っちゃえ!ということで入手。
さっそく読んでみました。

著者紹介のところを読むと、日本ディベート研究協会会長、シンクタンク戦略大学代表となっていますが、芸能人やニュースキャスター、役者、作家、日本人の様々な行動などについて、次から次へと歯に衣着せずに“噛み付き”ます。
というか、ガブッと“噛み付いて食いちぎる”くらいの勢いです。

自分の気に入った人や、自分と同類の考え方をする人にはとてもやさしいが、そうでない人については、“クソミソ”です( ̄O ̄;)

私が少し同調したのは、野球などで優勝すると、人差し指を突き上げてマウンドあたりに集まって“大喜びする様”は、相手チームに対して無礼だと思うし、振る舞いとして“いただけない”ということでした。

ただ、ちょっと前の本であるのですが、石原慎太郎氏や、橋本徹氏について日本を代表するディベーターだと“ベタ褒め”しているのはいただけなかった。私からは、その場の思いつきで物を言い、その責任を取らずに大人げない態度をする人という印象しかないのですが、・・まあ人それぞれですけど・・。

あとは、自分の気に入らない人について「テメエは何様のつもりだ」と凄んでいて、ディベート以前の感じがしました。

防衛問題についても、核武装は当たり前という考えだし、軍事力が経済力を規定するだとか、軍事力が国力を規定するだとか、戦争は国力を高める・・とか、独善的で人の声を聞く耳を持たぬ印象が強いと思いました。

沖縄についても、あまりにも厳しい考え方をしていて、途中でいやになって読むのをやめてしまいました。

チラッと立ち読みしたときは、気っぷがよくて、すっきりできる本かも、と思ったのですが、完全に著者の毒に当てられ、具合が悪くなりました。
いやもう強烈な内容の本でした。

 

2022/07/12

事件と選挙と、いろいろあったここ数日を考えてみた。

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先週金曜日に、あの銃撃事件の一報を聞き、このブログで急ぎその時感じたことを書きました。

まだ、事件の概要、背景さえもよくわからない状況でしたが、知人らのSNS等ではほとんど誰も何も事件のことについてはふれていなかったので、その時の気持ちだけでも書き記そうと思ったのです。

あの事件下で、・・何食ったとか、観光地に出かけたぞ・・みたいなものばかりだったので思わず、という感じでした。

そのときは、「これは民主主義を破壊する愚かな行為だ」と書きました。

その後一日も経たずに、「民主主義だとか、暴力による言論弾圧などという問題じゃないよ、個人の怨恨によるものだ」という意見も出ていましたが、私は「そうとは言えない」と思っています。

選挙期間中でもあり、その行為によって政治家の言論が阻止されたわけで、その時には、どの政党も一時的に演説を止めたりして、言論に大きな影響を与えたことに違いはありません。

個人的な怨恨もあるかもしれませんが、その後の報道からも、大きな団体と政党との結び付きにも問題が波及していて、なぜだか、マスコミ報道の“歯切れが悪い”・・。
大きな組織に属する要人の命を狙うことで、団体含め、世間、社会への報復を行なうということになっている構造について、もっと突っ込んだ意見が出て来てもいいんじゃないか、と思いました。

さらに、TBSの一部報道を除いては、亡くなった元首相の功績を称える報道が溢れました。これは選挙に影響を与えたんじゃないかと感じました。

さらに、「赤木ファイル事件」、「森友学園問題」「さくらを見る会に関する一連の疑惑」についてふれることはほとんどなく、亡くなった赤木さんの奥さんの気持ちは“いかばかりか”と思いました。

通夜、葬儀などの報道を見ていると、そこに出かけて故人を偲ぶ人達の多さに驚きました。そんなに人気があったっけ?

コロナ禍直前に消費税の増税をして、その時点で経済は下降し始めていた。
危険な法案もいくつか通していたし、赤木ファイル事件以下、それらへの対応は国民や議会を愚弄するような対応だった。また、野党議員を“小バカ”にするような答弁ぶりも一国の宰相としてどうかと思うこと度々だった。

で、選挙は与党圧勝でした。

野党のふがいなさは歴史に残るようなものでした。

しかも野党を謳っているのに、最右翼的派閥になって与党に入ったらどうだ、という政党や、小派閥としてもう与党に入っちゃえよ、というような政党もあって、これらみんな与党だというような状況でした。
さらに与党の“部活動”的な新しい政党もいました。これも与党の“カルト倶楽部”として派閥化してし与党に入ったらいい、と思いましたよ。
そんなんばっかです!

この騒動で大きな見落としを私達皆がしでかしているんじゃないかと不安になります。
別に国民が懇願しているわけじゃないのに、「憲法改正」という言葉がすでに大手を振って歩きだしています。

頼みもしないのに、「増税」への意欲は地下でマグマとなって、“噴火”を待ちわびています。

せめて参院選で“与野党拮抗”という形になれば、“うかつなこと”は出来ない、ということになったのに、これから3年間は国政選挙も無く、与党の自由自在です。
こうなっちゃったのは、私達のせいです。
あとで「そんなこと頼んでない」なんて言っても“後の祭り”ならぬ、“後の増税”です。

核を持ちやすく、戦闘に入りやすい憲法が出来上がったら、そのときに「ああ、あの選挙が分かれ目だった」と、思うことになるのでしょう。

気分がどん底なので、本日これにて。

 

2022/07/08

参院選投票日を前に恐ろしいことが起こりました。

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最初は、ネットに「選挙演説の場で倒れている人がいる」という報が出て、なんだろう?と思っているうちに今回の恐ろしい出来事の詳細が次第に伝わってきました。

まさに言論による「選挙」という戦いの場に、暴力、殺人という蛮行によって言論を封殺し、自分の思いどおりにしようという人間の、最悪の愚挙が行なわれてしまいました。

その報を知るに至り、民主主義を破壊する愚かな行為のあまりの悲しさに涙が出そうになりました。
このブログを何度も見ている方には、私が安倍政権に対してどのような気持ちで対峙していたかはおわかりになるかもしれませんが、決して応援などしていない、むしろほとんど批判を繰り返してきたわけです。

それでも、今回の愚かな行為については、許せないし、日本の今や今後のことを考えると、あまりにも悲しい。

既に報道では、元首相本人が亡くなった直後ですから、その「功績」のようなものについては伝えていますが、「赤木ファイル事件」、「森友学園問題」「さくらを見る会に関する一連の疑惑」などについては、ふれているメディアはありません。

このまま事件の解明などは“うやむや”のままになってしまうのでしょう。

そして、今回の事件が日本の民主主義の根幹を揺るがすものであるにも関わらず、SNS等で自らの考えを書き示しているような人も見当たりません。
そんなに“冷めて”て、いいのか、と思いましたし、警備が甘かったんじゃないか、とか、「暴力による言論弾圧」の是非にはふれず、周辺の些事についてなんだかうれしそうにアップしている人を多く見かけます。

ほんとうに“がっかり”です。

ひとりくらい、暴力で言論を封じることについて怒っている一般人がいることを示したくて急遽この文を書きました。

 

また感染が拡大してきました。

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コロナウイルスの感染者が、ここ二週間くらい、前週の数を上回り、昨日はついに47都道府県すべてが拡大傾向になったと報道がありました。

これを受けて、さすがに全国的な旅行への支援・補助のようなものの発動は見送るということになったようですが、県単位、近県単位での割引的なものはすでに実施されていて、「第7波は必ず来る」と6波の最中に言っていたのに、気分的には全国的に“ゆるゆる”になりました。

浮かれまくり、テレビのニュース画面などを見ていると、雷門あたりは人・人・人・・という混みようでした。ついこのあいだまで、急激な感染拡大に怯えていたのに。

いまのうちに医療機関の“逼迫”が起こらないように対策を取らないと、また大変なことになりそうです。

各種報道メディアは、感染者増加が明らかなのに、報道は控え目でした。第6波のときは、あんなに連日「たいへんだ、たいへんだ」って報道したのに。

国外からの入国者数など、いろいろ緩めてきたのは私のような世捨て人にもわかりましたが、私個人としては、国内の遠いところに観光で出かけられる人っていうのは、お金を持っている人で、そんな人達に支援しなくてもいいのではないか、と思います。

観光業界をうまく支える方法を別の方法で考えた方がいい。
それに、「経済を回さなくてどうする」っていう人にも、だからって感染拡大について目をつぶって“やっちゃえ”っていうのもおかしいですよ、と言いたい。
さらに、“旅行だ、豪華飲食だ”なんて、そんこと言っている場合ではない収入減少に苦しんでいる人に支援・補助をすることを考えた方がいい、とも思いました。

ついでに書くと、上記に書いたような“お金を持っている人”が遠出をして、その観光の様子をSNSにアップしているのを見かけますが、単によく撮れた写真を何枚も載せているだけで、それなりの役職などにかつて就いていたであろうに、今のこの状況下での現地の様子、人の様子などにもふれていません。
“どうだ、見てみろ”みたいなものは、もう、ごちそうさまです。

昨日の報道や、今朝の新聞を見て感じたことを書いてみました。

 

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