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2024/10/03

「カツ丼わしづかみ食いの法則/椎名誠」を読みました。

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『カツ丼わしづかみ食いの法則 -ナマコのからえばり9-/椎名誠著(毎日新聞社)』を読みました。

2014年発行の本で、『サンデー毎日』2013~2014年に連載されたエッセイをまとめたものとなっていました。

この頃の椎名さんは、海外への冒険のようなことに対しての強い意欲は、体力的なことや、かつてかなり危険なことがあったことも含め、あまりないようです。

少し前に「死」についての本も書かれていて、海外での冒険時には“死とスレスレ”だったことをこの本の中で思い出しています。
お孫さんもできて、これ以上は無理だろうと思っているようでした。

しかし、相変わらずの国内での仲間たちとの楽しい旅や企画、飲み、など(*^^*)は続行されていて安心いたしました。

すこし気になったところは、

「世界遺産ってなんだ」という項目。

富士山が世界遺産に認定された頃で、もうみんな遺産だと思っているんだからいいじゃないの、って言っています、簡単に言うと。
私もその頃も、今も思っていますが、世界遺産と聞くと今まで何の興味もなかった人まで続々と詰めかけ、ゴミは溢れ、トイレも溢れ、サンダルで日本最高峰の山に登ろうとする輩も現れる・・。

みんな心の中でいいものだと思っているんだからそれでいいじゃないの、と思うのです。
今年もTシャツに短パン、そこいらへんを歩くカジュアルな靴で登山しようとしている人がいたようです、ましてや外国人までそんな状態。

だから椎名さんに同感です。

もうひとつ「新聞やテレビを見なくなってしまったのは、日本のそれらが信用できなくなっているからだ」と書かれていました。

外国での報道を見聞きすると、日本のことなのに日本人が一番本当のことを知らない国民になってしまうのではないかという危惧があるとおっしゃっています。

当時、椎名さんがミャンマーに行ったら、「9.11アメリカ同時多発テロ」について国民が知らされていないことを書かれていて、軍事政権のメディア操作の恐ろしさを知ったとのこと。

椎名さんは、当時の特定秘密保護法について国会が揺れているのに、食品偽装問題や猪瀬知事の事件で大騒ぎしていて、マスコミの記者は自分の顔・名前が出ないと強引になるが、そうでないと、あられもなく狼狽する“さもしい”人達だとおっしゃっていて、これも同感です。

大切なことを十分に報道しない・・この姿勢は独裁国家化の一歩だと・・ヒタヒタと恐ろしいことが近づいている・・と私も今感じています。
何時起きるかわからない戦争突入への第一歩となるかもしれない重大事をくわしく知らないうちに許してしまうことになるのです。

憲法から国民の基本的人権の項目を削除しようとしたり、いつの間にやら国防軍を組織する項目が追加されたりしている改正案について大きく報道すべきだと思います。

椎名さんの本の読後感であまり上記のようなことは書いたことがなかったかと思いますが、特に気になったので書いてみました。

 

2024/09/07

「忖度(そんたく)バカ/鎌田實」を読みました。

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『忖度(そんたく)バカ/鎌田實著(小学館新書)』を読みました。
2017年に第一刷発行されたもので、古本で手に入れました。

著者、鎌田實先生については、毎日曜日の朝早くにやっているラジオ番組「日曜はがんばらない」をよく聞いています。

7年前の本で、タイトルにもある「忖度」という言葉が森友・加計問題に端を発して大きくクローズアップされていた頃です。

著者の指摘は鋭く、“忖度”という言葉を日本社会に深く巣食う「病理」を表す言葉であると書かれています。

あの頃の首相や、国会議員、官僚の発言や実際に行ったこと、それらは私達国民に不信感を抱かせ、さらに公文書の改竄という重大な問題も引き起こしました。

そして、それらは7年後の今現在の社会でも何ら変わっていないと感じます。
“忖度”という言葉は、今や本来的な意味とは既に異なる意味で使われている感じがしますが、兵庫県知事の公益通報者保護法を逸脱したと言える行為は“忖度”のバリアの中で横暴かつ強権的な振舞いを許してしまった例と言えるのではないかと感じています。

そして、そんな人がまだまだいると思われます。
皆、一様に同じ目つき、表情をしているのも不気味ですが、今のネット社会ではそんな人に群がって“持ち上げる”人も多く、さらに「忖度」を指摘するような人に対し、ネット上で攻撃する人も多々見受けられます。

日本は、暗黒社会の入口から既に数メートル入っている状況だと思います。

「言いたいことを言える日本がいい」と著者は書いていますが、どうでしょう、今の日本で言いたいことが言えているのか・・疑問は深く残ります。

中学時代の担任の先生ともよく電話でお話しをするのですが、だんだん忖度なしに、遠慮なく話せる人が先生以外には少なくなっているように感じます。

この本では、軍備の拡大や、原子力発電の今後などについてもふれていますが、著者が政治的なことにも忖度なく自身の意見を述べているのを読んで、こうありたいと思いました。
X(旧Twitter)でも、私は忖度のない発言をしていますが、何処かからか圧力を掛けてくることがあるのではないかと危惧している気持ちもあります。

この本を読んで、あの頃感じていたことが整理された感じがしました。
そして、その頃の気持ちを大切にして、これからもいらぬ忖度はせぬように、このブログ等も書いていきたいと思います。

 

2024/08/19

「日本語 根ほり葉ほり/森本哲郎」を読みました。

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『日本語 根掘り葉掘り/森本哲郎著(新潮文庫)』を読みました。
この本は、1991年に新潮社より刊行され、4年後に文庫化されたものです。

三十年以上前の本ですが、読めばいろいろと今のこの時代に思い当たることがいくつもありました。

当時、日本語の「けじめ」は、アメリカ人も「Kejime」として英語にはない言葉であるとしていたとのことですが、そのアメリカ人から著者・森本さんは「日本人は“ケジメレス”だ」と言われたエピソードが書かれていました。
「けじめ」に英語の否定の接尾辞「less」を合成し、結局『日本人は“けじめ”がつけられないのだ』とい言われてしまったわけです。
今の時代はさらにそれが顕在化して、裏金議員も、特定宗教団体と関係を持つ議員も、もうすぐ辞める首相も『ケジメレス』です。

また、「厳粛に受けとめる」という表現は、良心がそう言わせるのでなく、世間に向かってただ神妙な顔をしてみせるポーズに過ぎないと、当時の森本さんが書かれているのです。
閣僚の不祥事が起こると、どっかの総理がいつも神妙な顔をして、「厳粛に受けとめ」てましたねぇ・・。

さらに、情報化だなんて言っているが、人は必ずしも何もかも知りたいとは思っていない。なのに否応なしに“耳目をそばだたせる”ような表現をとり、大仰な言葉を使って人の関心や興味をむりやりに引きつけようとする・・とも書かれていました。
これなどまさに今のネット社会、SNS、動画サイトに大きく反映されているのではないかと思いました。30年以上経って、どんどん事は大きくなっている。

最後にもうひとつ私が気になったこと。
当時の討論番組などで、やたらに大声を張り上げたり、不作法で、攻撃的で、粗雑な人間ほど受けている・・と書かれていました。
今はその不作法なヤツらばかりでコメンテーターを構成している番組が目白押しです。
私はもう見ていない。吐き気がする。

ということで、30年前に恐れていたことが今やほぼ毎日当たり前に起こっていると言わざるを得ない状況だと思いました。

マスメディアも安い構成の番組しか作らず、ジャーナリストと言えるような人は激減しています。
どんどん心が暗くなるので、本日はここまで・・。

 

2024/08/01

「しがみつかない生き方/香山リカ」を読みました。

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『しがみつかない生き方/香山リカ著(幻冬舎新書)』を古本で見つけ、読んでみました。
2009年第一刷発行のものです。

この本が書かれてから15年を経ているのですが、現在の社会の状況を見ると、ここに書かれていることがより進化したというか、具体化され、深刻化しているのではないかと感じました。

特に強く書かれていたのは、小泉改革を経て、日本社会は他人のことに思いを馳せる余裕がなくなり、自分のことしか考えないメンタリティが強くなったのではないか・・ということでした。

今現在の社会状況で私が感じるのは、上記のようなことを顕著に示しているのは「政治家」ではないか、ということです。

近年、いろいろなことが明るみに出て、政治家はほとんど“脱税まがい”のことをして裏金を貯め、国民には素知らぬ顔をしています。
能登の地震であんなに被害が出ているのに、その県の知事も国会議員もそこで苦しんでいる国民には関心が無さそうに見える。

特定の宗教集団にべったりだが、悪びれるところがない。
大手不動産から一定の見返りがあれば、百年の歴史を持つ森など平気で伐採する。
大きな広告を持つ企業からも見返りがあるのでしょう、子供騙しの映像をビルに映して数十億のお金をジャブジャブ使う。自分の金じゃないから知ったこっちゃないのでしょう。
知らぬ間に日比谷公園まで破壊しようとしていると聞きました。

さらにこの本に書かれているのは、現在の自分の状態は決してそんなに不幸でもなく、むしろ幸せなんじゃないか、と傍から見て思えるような人が「まだまだ幸せになれる」とか「私の実力はこんなもんじゃない、だからもっともっと幸せになれるし、皆から羨ましがられるくらいの身分が相応だ」という自分中心の人が多くいるということでした。

逆に自分を卑下して、「生まれてくるんじゃなかった」とか「何のために私は生きているの」と思う人も増えているのだとも書かれていました。

そして、過去にひどいことを言った人のことや、現実に起こったひどいことは絶対に忘れないが、過去の嬉しかったことや、楽しかったこと、人生の中でのハイライトのようなシーンは悉く覚えていないというのが自己を卑下する人の特徴であるという。

15年ほど前に書かれたこの本の内容が、今、如実に表面化しているような気がします。

「自分はもっと幸せになれるはずなのに」という人と「自分ほど不幸な人間はいない」という人・・どちらもある意味“病んでいる”のではないでしょうか。

そして、世の中は増々“いびつ”な様相を呈しているように思います。

SNSなどでの誹謗中傷や、罵り合い、政治家の発言、行動についても、もう一定の域を越えて醜い人間社会を体現しているかのように感じます。

しかも、日本の報道の自由度が発展途上国以下になっていると最近また発表されたことを知り、暗澹たる気持ちになったのでした。

そんなことを香山さんのこの本を読んで、あらためて感じたところです。

 

2024/04/07

「マスクは踊る/東海林さだお」を読みました。

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『マスクは踊る/東海林さだお著(文藝春秋)』という本を古本で読みました。
古本といっても、今回は2021年発行のもので、内容はコロナ禍直前からコロナ禍真っ只中くらいの頃のものとなっていました。

私が気になったところとしては、「ズルの時代 ~“恥”がなくなった~」という章でした。

日本人は今や「うまく立ち回る」ことばかり考えるようになっている、というのです。

かつては「恥の文化の国」であったということは、私も学生時代によく聞きました。
恥をかくくらいなら腹かっ切って・・という人さえいそうな時代でした。

そして今、急に「恥OK」の国になったと東海林さん、おっしゃいます。

この本が書かれていた頃は、まさに『忖度』という言葉がキーワード的に大きな話題となっておりました。

忖度は、みんなうっかり見逃しているが、“ズル”の一種だというわけです。
ズルもズル、大ズル、巧妙なズル、遠大なズルだと強調されています。

忖度は一見ズルに見えないが、忖度を「おべっか」という言葉に置き換えてみると、その実態が明らかになるのだというのです。

「忖度」本来の意味には、上品な意味も含まれていたが、昨今は「忖度=おべっか」となっている。
「森友学園疑惑」のとき、財務省元理財局長の国会での数々の証言、あれはすべて首相に対してのおべっかだった!これで「忖度=おべっか」の図式に納得がいくのではないか、とおっしゃっています。

納得しましたよ・・・が、時すでに遅しです・・真面目に仕事をしていた人が亡くなってしまいました・・・。

今回の東海林さんの本は、コロナ禍真っ只中ということもあって、鬱屈した著者の心の叫びのように割と政治的な発言が多くありました。

こんな東海林さんの本もなかなか力強くていいと思いました。

 

2024/03/23

俳句を詠んでみる_0021【 能登鳴動 寒晴(かんばれ)に立つ “日本水準原点(げんてん)” 】

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国会の向かい側にある日本水準原点のことを思い出して詠んだ。

【 能登鳴動 寒晴(かんばれ)に立つ “日本水準原点(げんてん)” 】

《背景》季語:寒晴[冬]
日本水準原点は、国会の正面、憲政記念公園の中、ローマ神殿形式の石造りの建造物(国の重要文化財に指定)に納まって国土の“基準地点”として立っている。
冬、寒晴の震災の日にも微動だにせず、水晶板を保持している。
向かい側に立つ国会は、政治の“基準地点”であるが、大揺れである。

 

2024/03/12

俳句を詠んでみる_0010【 竜の玉 悟空・アラレと スランプ逝く 】

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きょうは別の句も出来ていたのですが、鳥山明先生の訃報が心に残っていて、先生を想い、一句詠みました。

【 竜の玉 悟空・アラレと スランプ逝く 】

《背景》季語:竜の玉:[冬]
「竜の玉」という、ユリ科の多年草があることを知りました。
竜の髯のような線形の葉が多数、そこに不思議な瑠璃色に熟す玉は、まさに「ドラゴンボール・竜の玉」。
それを図鑑で見ていたら、偶然に漫画家・鳥山明先生の訃報が突然入り驚きました。
“ドラゴンボール”と“竜の玉”!!
最初に見たとき、きれいでイラストのようだと感じた「ドクタースランプ」から始まり、先生の作品にはとても楽しませていただきました。
そこでこの句を詠み、急遽予定外にブログにアップすることにしました。

 

2024/02/12

「上坂冬子の上機嫌 不機嫌」という本を読みました。

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『上坂冬子の上機嫌 不機嫌/上坂冬子著(海竜社)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2000年から2002年頃にかけて新聞、週刊誌、月刊誌、講演記録からの抜粋で著者・上坂さんの文をまとめたものでした。

上坂さんは、2009年に亡くなられています。ノンフィクション作家としての作品は私の勉強不足で読んだことがなく、申し訳ありませんがそのお姿は時々テレビなどでお見かけしておりました。

たまたま古本屋でこの本を見つけ、“気っ風がいい”文体が面白そうだったので買い求めました。

ズバズバと思ったことを勢いよく書かれていますが、読んでいくと、この当時の首相は小渕さんから森さん、さらに小泉首相という、あの頃はそれなりに期待されたり・・失言ばかりで物議をかもした人もいたけど・・時代と共に国民が歩んでいた感がありました。今と比べれば、ということですけど。

でも、今から振り返ってみると、あの辺りから実は日本は傾き始めていたんじゃないかと思いました。
まだ我々は東日本大震災を経験しておらず、上坂さんは原子力発電について積極的な意見を述べていたり、羽田空港が国際便を入れることになって、成田空港をもつ千葉県が羽田行きの航空機を夜間に飛ばすなと言うなんてどういう料簡だ、などという発言もされていました。

散々血の闘争をしてでもわざわざ千葉県の成田に空港を作ってしまったのに、羽田は国際空港にする!と言いだし、羽田への超低空飛行の航空機が大騒音を残して羽田に行くのを直下の千葉に住んでいる人間が怒らないはずはないのに、なんてこと言うんだろうと、今の私は思いました。

けっこう踏み込み過ぎ、勇み足的な発言も多く、時代がそうだったのかどうかわかりませんが、夫婦別姓についても現在の状況とは正反対の意見をおっしゃっていました。
こういう意見が主力だった時代もあったのだ、と参考になりましたが、読んでいてちょっと???という部分もいくつかありました。

でも、文章は読み応えがありました。
読んでみなければ、その人の考えていることはわからないので、それなりに私の中に残るものもありました。そういう本でした。

 

2024/01/06

「サラリーマン川柳 むちゃうけ傑作選」を読みました。

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『サラリーマン川柳 むちゃうけ傑作選/NHK出版編(NHK出版)』を読みました。
2016年発行の本で、傑作選という内容なので、中身には1990年からの傑作も入っていて、取り上げた題材に懐かしいものもありました。

ブックオフで200円のものが、さらに新年20%割引となっていて、普段はあまり買おうとは思わないものですが、思わず手が出ました。

毎年発表されている「サラリーマン川柳」は、いつも面白いと思っていましたが、まとめて過去の分まで振り返って読むことはありませんでした。
あらためて読んでみて、詠んでいる人は素人であろうに、なかなか勘所を捉えていてウマいっ!

〇退職金 もらった瞬間 妻ドローン

これはドローンが話題になった年のものですよね。実にうまい。

〇やって見せ 言って聞かせて 辞められる

これはもう当たり前な感じになっているのかもしれない。

〇飯不要 返信メールに ブイサイン

ありそうだねぇ^^;

〇戻りたい 出会った頃より 出会う前

こ、これは・・・。

などなど(*^^*)楽しく読ませてもらいました。

たまにはこんな気楽な本もいいものです。

 

2024/01/03

波乱と激動の年が明けました。

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元旦、二日とブログを書こうとしていたら、大変なことが起きました。

元旦にはいきなり能登地方の大地震。
昨年から幾度も石川県方面での地震が起こっているのが気になっていましたが、新しい年の最初の日に震災となって襲い掛かってきました。

驚いたことにその時、私と妻はあるお店にいたのですが、お客さんの誰もの携帯電話が不気味な警報音を鳴らしているのに、私と妻以外は携帯にさえ目もくれませんでした。
無反応でした・・。
帰宅して風呂に湯を入れると我が家は建てた頃には田舎の一軒家だったので井戸から水を汲んでいるのですが、湯はかなりの濁りをみせていました。

これは東日本大震災の時も、その前の新潟での大地震のときもそうでした。
地中では何かがこんなに遠くても繋がっていて、影響するのだと感じました。

明けて二日、今度は羽田空港での航空機事故。
乗客が400人近くいたのに、脱出できたのは奇跡的でしたが、それにしても年が明けてから二日間で一年間通しても大きな事象、事故が続けて起こりました。
我々に、「これからの世の中は油断していると突然大変なことが起こるぞ」と、何処からか暗示されているかのように思いました。

自然災害(温暖化の影響含め)、事故、そして人が起こす事件、特に昨年あたりから顕著になってきました。
どう対応すればいいのか、などと一個人ではやれることに限界がありますが、とにかく準備と覚悟を心に、そして何か起こった時には冷静に、落ち着いて行動することが大切だとあらためて思い直しました。

明けまして、あまりおめでたくない正月になりましたが、今年も変わらず、自分らしく、ずるいことなどせずに、日々何かを成しながら生きて行こうと思います。

 

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