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2020/08/17

誰かいる

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先週の連休の内の一日に、このブログでよくご紹介する私の中学時代の担任の先生が初めて我が家を訪れてくれました。

一度は私が普段 Jazz などを聞いているシステムを見てみたい、聞いてみたい、Jazz好きの猫に会ってみたい、などの理由(^^;)により訪問を受けたわけです。

先生のオーディオシステムが幻のスピカー「ガウス」を使っていて、その音を聞いたことのある私は、自分の貧弱なシステムで音を聞いてもらうのに多少の不安はありましたが、なんのことはない、写真の先生が持って来たCDなどを聞きながら楽しい時間を過すことになったのでした。

私がその曲毎のサウンドにより5台有るスピカーをセレクターで選び、時には2台のスピカーをミックスしたりの“小細工”で切り抜けているという姿をさらしたわけですが…σ(^_^;)、先生、けっこうそれぞれのスピカーの音の違いに興味を持ってくれて、どうにかこうにか、うまいこと“逃げ切り”ました・・と言おうとしたら・・。

突然スピーカーから音が出なくなり、赤い警告ランプが点灯したり、ボ、ボリュームのダイアルが・・勝手に動き出したり・・( ̄O ̄;)の、現象が発生。

何だろうと思いながら、再度聞き始めると、またまた同じことが30分くらい経つと発生、さらにまた十数分で発生。

ダイアルは私が回そうとする方向とは必ず逆におそろしいほどの力で回るのです。逆らえないくらい・・。

割と買ってから年数も経っていなく、快調に動いていたシステムだったのですが、意外に思い、先生が帰ったあとに3時間ぶっ続けで音楽を鳴らしたあと、一時間ほどしてまた4時間ほど鳴らしてみたのですが、二度とそんな症状は現われませんでした。

実は音楽を聞く前に、先生が私の担任だった頃の話をしたのですが、その時には宿直制度があって、先生は交代で宿直をしていて、学校には住み込みの用務員さんがいて、晩飯はほとんどその用務員さんがつくってくれたという話をしていました。

「とてもおいしかった、忘れられない」と語る先生に晩ご飯をごちそうしていた用務員さんは私の叔母さんでした。叔母さんはもうずいぶん前に亡くなっていますが、先生は用務員だった私の叔母さんの話をとても懐かしそうにしてくれたのです。

「あっ」と思いました。
先生も帰宅してからの電話でおっしゃっていましたが、「誰かいたな」と私も気づいていたことを確認しました。

そう、たぶん、おばさんが来ていたのです。
来ていることをわかってもらおうと音を止め、システムに異常をもたらしたのではないでしょうか。あのダイアルを回す感覚は“人のものとしか思えませんでした”。

先生は、帰宅途中でそんなことは全然考えていなかったのに、なぜか懐かしい中学校に寄り、周囲をひとまわりして、懐かしい店やその他見て回ったということでした。
「ひょっとして、おばさんが呼んでくれたのかも」と、先生。

とても不思議な出来事でした。

その後一週間も経ちましたが、ステレオは何事もなく動いています。

 

2020/08/08

すべて自分で判断するしかない

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国のいちばんエライ人はほとんど国民の前に出て来ず、説明は目に生気のない大臣。
自分の選挙第一で、選挙期間中は何の対策も講じなかったあの人も目に力がない。

東京以外の人はどんどん旅行に出掛けろ!と煽っておいて、帰省は今一度よく考えろ、という・・。

東京だけ外したが、今やその外したときの東京よりも大阪や沖縄では感染拡大の様相だ。
それでも何にも言わないで自分で注意しろ、観光地側は自分でよく対策しろ、と“丸投げ”状態だ。

外出についても各知事がいろいろな事を言っていて、どうしろというのだ。

私たちの生活も、ほぼ全部自己基準で対応している。
手消毒や、マスク、ソーシャルディスタンス、お出かけ、なんもかんも自分で決めてやっておいてね、ワシたちは事が起きたら「それみたことか!」って言うかんね、ってことでしょ。

近頃は、私の職場にもマスクもせずにやって来て、ガアガア大きな口をあけて怒鳴るオヤジも現われてきた。
ソーシャルディスタンスなんのその、混み合う場所でどんどん昔のように距離も取らずにくっつく人も多くなってきた。

カラオケで感染が拡大した、夜の接客業も、などという場所も不確かな情報のみで、なんらかの判断をしながら自己対策を考えねばならない。

丸投げされている国民のことなんか考えていないのか、まだ差し迫っている状況ではない、などと平気でいう。
差し迫っていない状況ってのは、どういう状況なのか説明してみろ!って言いたい。

今日のニュース等を見ていたら、高速道の渋滞情報もする必要がなく、新幹線のホームも閑散としていたようです。
自己判断の“たまもの”だと思いますが、国民の自己判断に委ねっ放しでどうすんだ!

ふだんは調子良くいろいろなことをSNSに書いて、頻繁に更新している人も何に慮ってか、このことについては発言がないです。
何のためのSNSだ!自分がSNSを始めたときにずいぶんと偉そうに書いていたのに、こんな大切なときには“だんまり”の人達、どうしたの!
私が始めたときにずいぶんと「あんたみたいな人に出来るかな?」なんて言ってたよねぇ。

・・と、少し毒づいたところで今回はお終い。
ま、上記のような人達はここまで入って来て読んだりはしないでしょう。何を喰ったか、とか、こんなすごいところに行って来たぞ、みたいなことにしか興味がないと思うので。

 

2020/07/05

「気の毒な人」の続き・・“馬鹿者っ”て怒る人

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6月30日の、このブログで「気の毒な人」というタイトルで、窓口で威張り、人を罵倒する人のお話を書きましたが、きょうはその続き。

そんな気の毒な人に多いパターンのひとつ。

ロビーに入ってきて、いきなり

「馬鹿者っ!なぜこんなに混んでいる!!」って怒鳴ります。

「もうしわけありません」・・(※心の中の言葉・・「あんたが来たからじゃない?」)

「駐車場に入ったら私のクルマを駐める場所がないっ!どういうことだ!!」

「もうしわけありません」・・(※心の中の言葉・・「あんたがクルマで来たからじゃない?」)

月曜日の午前中、パニックになるくらい毎週“めちゃ混み”するし、問い合わせがあれば、その時間帯は避けた方がよろしいと思います、とアナウンスしているし、ネットでも混雑情報は流されている。
・・が、そういう人は一番混んでいるときに必ずやって来るのです。
自分が行った時には空いていて、皆が平身低頭して受け付けするのだ、という確信があるらしい・・だから、その妄想が崩れた時の怒りは凄いみたい(^_^;)

駐車場には無限のスペースがあると信じているらしいが、このご時世そんな駐車場を完備するのは逆に「無駄」のひと言だと思う。

皆が譲り合えばほとんど何の問題もないし、少し待てばすぐ空くのです。

それに身体のためには、2キロメートル以内くらいだったら歩いて来た方がよいと思いますよ。
健康保険の負担も全体的に減ることに貢献するでしょう。

なぜ、日々「怒り」を前面に出して暮らしているのでしょう。
きっと、そんなだから、もう誰にも相手にされていないんでしょう?

怒りを露わにできるのは、お店や銀行、公的機関の窓口など、どんな人でも笑顔で迎えてくれる窓口しかないのだと思います。
だったら、そんな貴重な場所、あなたも笑顔で行ったら幸せなひとときが過ごせると思いますよ。
帰宅しても、そんなふうにすれば、一日いい気分になれるのに。

まぁ、言っても無駄だからこんなことになっているわけで、・・一生やっててください。


【Now Playing】 This Guys in Love with You / David Gibson ( Jazz )

 

2020/06/30

気の毒な人

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スマートフォンに入れているアプリ、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」、『今日のダーリン』の中でみつけたフレーズ。

「会ったとたんに、なにか文句を言っている人もいる。そういうことをやめようよ、と思う。せめてじぶんはそういうふうでいたくないと思う。なぜなら、文句ばっかり言ってる人は気づいていないけれど、聞かされているほうの人は、気分がよくないからだ。」

現在の職場に行ってから出会うことの多い人たちです。
ほぼ毎日です。

何かこちらが話そうとすると、「いいわけを聞きに来たんじゃないっ!くちごたえするなっ!」・・ばかり・・で、ほんとうにヘコみます (・_・;

入り口から入って来た時からもう、「やってやろう」って感じがしていてすぐにそういう人だと気付きます。

私が思うに、たぶん仕事もずいぶん前にリタイアして、現役時代はかなりの役職に就いていたのでしょう。
数々の業績もあるのでしょうが、それはあの高度経済成長期や、バブル期など、「いいからやれっ!」って言って、そんな時代だから部下は、家族、休日など全てを犠牲にして“無理が通れば道理が引っ込む”という“理不尽を飲み込み”、“わがまま上司”のために身を粉にしてやってあげたにもかかわらず、その“わがまま上司”は“自分のおかげ”と思い込んで過し、やがて退職したのだと思います。

それがそのまま老後期に突入し、そんな人だから家族も顧みずに仕事をしてきた(したつもりで人にやらせていた)ので、もう家人は誰もこの「爺/じじい」の言うことなんか聞きやしません(^_^;)

でもって、ご近所の人もそんなジジイを相手にしません。だって威張ってばかりで面倒くさいもの。

町内会や様々な集まりでも誰も関わり合いになってくれません。だって威張ってばかりなんだもん。

ひどい症状の人などは、「〇〇株式会社 元〇〇部長」なんて名刺を作って手渡したりする( ̄O ̄;)・・それがどうした・・。

もう、お店や銀行、公的機関の窓口にいる何でも聞いてくれる人くらいにしか威張ることが出来なくなっている状況なのに、それに気づかない・・(気付けよっ!)・・気の毒な人。

大声で怒鳴る前に、自分が様々な迷惑を掛け、お世話になってきた部下だった人や、あんたがこんなにロクでもない人なのに気に掛けてくれた人に感謝の言葉をどう掛けたらいいか考えた方がいいと思いますよ。

現在の職場に就いて、日々やって来る、あまりに多い「気の毒な人」に気付いて、書いてみました。

 

2020/06/08

いただいた「なたまめ茶」。

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日曜日、午前中に町内会費の集金があり、集金担当者から集金途中のYさん宅で私宛に品物を預かってきたとのことで、きょうのタイトルにも載せた「なたまめ茶」をいただきました。

Yさんとは一昨年の町内新年会以来お会いしていませんでした。
そのときの様子は、かなり足下もおぼつかなく、私を見て「どなたでしたっけ?」という感じだったし、それ以前にも同じ町内の方の通夜の席で同席したのですが、皆に支えられて歩いていたりして、体力も衰え、認知症も入って来ているな、と感じていました。

十数年前の町内会では、私が長を務めた時に、いろいろアドバイスしていただいたり、私が神社年番も同時にやっていて、式典用に買い求め、神社会館に前夜納めておいた品々が夜間に窃盗に遭い、大変なことになったときにも、いきなり財布を懐から出して、「これを使いなさい」などと心強い方でした。
もちろん、それは遠慮してなんとかしたのですが・・。

そんなこともあり、私はその後慕っていたのですが、近年どんどんと齢を経るに従い、衰えられて心配しておりました。亡くなった私の父とは同い年の方です。

「なたまめ茶」をいただいたあとに、妻と話をして、果物と手作りマスクを持ってYさん宅を訪ねました。

ご本人が玄関口に出て来て、「おおっ、あんた、来てくれたの」と喜んでくれて、『夢を見たんだよ、あなたに対して「お前なんか知らない」と足蹴にする夢だった。ほんとうに申し訳ないと思ってね。あれは夢だったんだよね、ほんとうにあなたにひどいことはしていないよね。』と・・。

私のことを夢の中で思い出してくれて、使い物を持たせてくれたのでした。

「夢ですよ、私はひどいことなんかされていませんよ」と安心してもらいました。

Yさんは、以前拝見したときよりも、とても“しっかり”としていて、“目ぢから”も以前のように力強く、言葉もはっきりしていて安心しました。

妻に「行ってみたら、また忘れていて、どなたですか?と聞かれたらどうしよう」などと話していたのですが、行ってよかった(゚ー゚*)。oO

人と人の繋がりって、ためらってはいけないな、とあらためて思いました。

 

2020/04/11

2020/04/11現在の状況を残しておきます。

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本日は、2020/04/11_SAT です。

新型コロナウイルスの感染拡大の状況を受け、東日本大震災のときにも書いたことがありますが、何か一大事が起こったときの記録って、公な発表やニュース記事、その他一般に流布されたような事象は記録に残りますが、実際の我々一般人の動態、街の様子などは後々に記録に残りづらいのではないかと思い、私の身近に起こっていることや、その様子などを書いておきたいと思います。

私は日本史や世界史などの歴史的記録についても、当時の一般庶民の様子がもっと残っていればと思うことがあり、書く人その者が少なかったり、戦や災害で消失・滅失してしまって、なかなか書物、文書として残っているものも少なかろうと感じていて、ネットやデジタルデータの保存が可能な今こそ、記録を残しておく機会であると思っているのです。

きょう、コンビニのレジでは、天井からビニールの垂れ幕のようなものがぶら下がっていました。
新型コロナウイルスの飛沫感染を防ごうというものだと思います。

店舗入り口での消毒液スプレーボトルを使って手の消毒をする人も増えてきました。

土曜の休日ですが、普段の休日からクルマの量が減ったとはあまり感じられませんでした。

マスク着用の人はかなり多く、9割以上は着けていたと感じました。

一般の人が、パニックに陥ったり、ヒステリックになったりしているのを見かけることはありませんでした。比較的冷静にこの事態に対応している様子がうかがえます。

時々ラジオをつけてみましたが、スタジオ内で二人以上になるときには、2対1で部屋を分けたり、いつもはスタジオにコメンテーターを呼んで番組を作っているようなものも、スカイプやその他の手段を使ってコメントをもらったりしていました。

また、スタジオ内でもそれぞれの人の前にアクリル板を設置して飛沫感染を防いでいるのだ、というアナウンスがありました。
人が複数人集まって製作される番組にも工夫が必要になってきたようです。

いつもは、リポーターが街に出て、人々の声を聞く番組もリポーターがスタジオから過去の総集編を放送したりもしていました。

コンビニの棚がガラガラになるようなことにはなっていませんでした。
数週間前のトイレットペーパー不足のような事態にはならず、これもまた冷静な対応だと思いました。

様々な場所で、皆がとても静かだな、というのはとても強く感じました。
何か「我慢」しているのがこちらに伝わってくるようでした。

これは私だけかもしれませんが、テレビ、ラジオ、その他新聞などでも新型ウイルスのニュースを見るのが苦痛になってきました。
毎日、感染者の数は増えるばかりで、何も明るいニュースが出て来ないからだと思います。

また、居酒屋など、今回大きな制限を受ける店舗の経営者からの悲鳴が大きく報道されています。いったいいつまで我慢すればいいのか、ニュースを聞いているこちらも胸が張り裂けそうです。

私の職場は勤務時間短縮などの一切の対応はなく、接客応対が主である業務を、繁忙期で来客も多い中、至近距離で行っていますが、全く援護のようなものはありません。
感染の恐怖を感じながらの厳しい状況です。
仕方なく、自腹でアクリルボードを購入し、設置するなどを所属長の許可を得て行いました。こんなこと、おかしい・・と思うのですが、健康・生命にはかえられません。

ちょっと思いついただけでもこんなところです。

またリポートします。
あの大震災のあとにも、そのとき書いたことが貴重な記録になっていました。

 

2019/12/30

荷物の大移動を開始した。

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以前、家の荷物類を保管していたプレハブを解体することになり、いったん預けておいた荷物を1年半ぶりに倉庫が完成して大移動を開始しました。

その間、本来なら5月には取りかかる予定だったのですが、私が倒れ、体調が戻ってきたのがやっとこの12月、長かった。建物も台風の影響があったりして何度か工事が止ったり、立て直したり。

家財道具の他、ドラム等楽器類、アンプなども含め、リヤカーで4往復、クルマで6往復、リヤカーでの移動は万歩計で6キロになっていました。
回復してきたとはいえ、疲れました。
家族全員で一日頑張りましたよ。みんな頼りになった。

また、夫婦して読書好きなので、溜まってくる書籍の量がただ事ではなく、私でさえ年間80~100冊読むのに、妻はさらにそれを大きく上回る読書量・・家の中は本のために空間があるかのようになってしまい、書庫も今回併せて建てました。
これで少しは人間の居る場所が確保されるか・・(^_^;)

書籍の移動は年が明けてからになりますが、憩いの図書室になるといいのですが。

いよいよ年も押し詰まってまいりました。
今年の振り返りをこのブログで最後にして除夜の鐘を聞きたいところですが、時間があれば・・ってことで…σ(^_^;)・・きょうはこのへんでおしまい。

2019/10/26

今年は災害の年か

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毎週のように台風、大雨、強風などが襲い掛かるようにやってきます。

昨日は、職場にいる間に雨脚が強まり・・というか、豪雨に豹変し、職場にも「どうしていいかわからない」と家の中から外を見て電話してくる人もいましたし、心配して河川担当課と話をしたいと飛び込んで来た人もいました。

緊急で泊まりとなった職員と共に職場を後にして帰宅しようとしましたが、すっかり雨はあがっていたにもかかわらず、冠水の影響でしょうか、道路は大渋滞。
クルマで30~40分で帰宅できる道のりは結局4時間かかって我が家に到着、疲労困憊でした。

とにかく毎週毎週のことで、気が休まることもなく、常に不安がよぎっているような状況が続きます。

昨日は、同じ町内で土砂崩れが発生し、亡くなった人まで出てしまいました。
聞いて最初は耳を疑いましたが、我が町内の出来事でした。

今朝も自己の通院でクルマを出しましたが、途中通行止めの看板の先には水没したトラックと乗用車が・・。
大回りして医者に向かう途中、さらに幹線道路を横切ろうとしたら、その幹線が通行止めになっていました。路肩崩落だそうです。

そうそう、言い忘れておりましたが、古い職場の建物は雨漏りがひどくて、傘でもささないといけないくらいの状態で、いくつもの段ボールにビニール袋をかけて雨を受けました。
ものすごい量の雨水がたまりました。

千葉もここ一ヶ月、ひどい被災状況ですが、各地で堤防決壊、洪水、土砂崩れが発生しています。
今までの災害に対する考え方を我々日本人は一変させなければならないのではないでしょうか。

またまた、再三書きますが、オリンピックだとか、そんなこと言っている場合ではないんじゃないかという思いをさらに強くしました。

元気づけられたり、勇気づけられたりする前に被災者は物心両面において疲弊し、潰されてしまうんじゃないでしょうか。
今からでも、オリンピックは辞退して国内の災害対策に専念したらいかがでしょう。

何か、国中の環境が、もう、昔のような状態ではなくて、別の国のようになっていることには皆が気づいているはずですから、気候などの環境も含めた災害対策を今一度考え直した方がいいと思います。
それを何か人知では、計り知れないものが何度もこれでもかと知らしめているのかもしれない・・と思いませんか。

浮かれきっている人達には申し訳ないけど、私はこう考えました。

2019/10/12

台風が近づいてきて

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勢力の強い台風が近づいております。
というか、もう朝から台風が上陸しているような状況です。
本物が上陸したらどんなことになるのか・・。
ただいまラジオで情報を得ながら家でじっとしております。

懐中電灯を数本、電池も準備、携帯充電用のバッテリーも満タンに、水もポリタンクや浴槽、ペットボトルに蓄え、家の周りの飛んでしまいそうなものを片づけましたが、不安は拭いきれません。

前回、千葉を襲った台風15号のときにも轟音と物が飛ぶ音、ぶつかる音で眠れませんでした。

自身の体調も一進一退といった状況で、不安な日々を過しているところなので、ますます精神的にも肉体的にもつらいのですが、なんとか台風の影響も、身体もいい方向にいくように気持ちを強くもとうとしています。

今年は思ってもいなかった人生の中でも辛い年になろうとしていて、今まで困難にあったときのことを思い出しながら過していますが、その経験だけではなかなか乗り越えられないような感じです。

本を読んだり、人からのアドバイスなどももらって考え方、生き方を方向修正していこうと思います。
台風、早く過ぎ去ってほしい。

2019/09/04

千葉銀座の中島書店が閉店した。

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新聞等でも知り、実際に休日に足を運んでみたが、千葉銀座商店街にある中島書店が昭和6年からの88年の歴史に幕を閉じました。
学生時代からよく中島書店には行きました。そして今でも千葉の中央に出掛けたときには、かならず中をのぞき、めぼしい本を探しました。

店の中のどのあたりの棚には、どんな本が陳列されているかは、もちろん頭に入っています。
店に入ってすぐの新刊のコーナーや、奥の文庫本コーナーでは、最新刊から興味深い本が選ばれ、表紙を見せて並べられていました。店内ひと回りして、気に入った本を買う、・・それが本好きの楽しみであるわけですが、今や読書人口もスマートフォンの影響などで減少、あるいはアマゾンからの購入などで実際に書店に足を運ぶ人も少なくなってしまったのでしょう。
さびしいかぎりです。

町の本屋さんには、郊外型の大型書店にはない品揃えがあり、また地元特有の本も備えられていました。
そんな本屋さんがどんどんなくなっていく。

本屋で意外な本と出会い、それが自分のその後に大きく影響を与える・・なんてことも実体験しました。
もうそういうこともなくなっていくのですよね。

本だけではない。
専門店のようなお店はなくなっていき、通販などで購入するものは、“最大公約数”的なおおざっぱなものになってしまう。

自分でお店の人と話して、そして見て、さわって、たしかめて、買う!それは楽しみでもあったわけですが、今や、SNSなどで人と関わり合いになりたい人ばかりかと思うと実社会ではなるべく人と関わり合いにならずに済まそうとする。
出掛けて行って、人に会い、物に出会う・・そういうこと、大事だと思いますよ。

「えっ、わざわざ本屋さんに行ってるんですか?私なんかみぃ~んなアマゾンです!」っていう人が今までにも何十人、何百人といたが、「どうですか?あんた、ほんとに本読んでる?」と、聞き返してみたい。

だいじなものが日々消滅していく世の中、心の中にすきま風のようなものが吹き抜けていきました。

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