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2023/10/15

「叱る、だけど怒らない/永六輔」を読みました。

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『叱る、だけど怒らない/永六輔著(知恵の森文庫)』を読みました。
もちろん古本で、発行は2004年となっていました。

内容は、TBSラジオで長くやっていた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』という番組の活字化となっていて、中でも書かれていますが、“耳で聞く本”という感じです。私も番組はよく聞いていました。
この番組は、現在「ナイツのちゃきちゃき大放送」となって“帯”が残っています。

相変わらずの“永六輔節”です。
少し私が気になった部分を抜き出してご紹介いたします。

今でも感じることですが、国会での“くだらない敬語”について書かれていました。
「お訴えをさせていただきたい」だとか、「ご意見を賜りたい」だとか、そんなこと言ってる場合か! 「これはどうなっているんですか」「答えなさい」と素直に言えと言っているのです。私も今でもそう思う。

国民の代表が政府や行政に対して「へりくだり過ぎ」です。

三島由紀夫氏に、永さんが中村八大さんと二人で呼ばれて、「エノケンの良さというのは、ひと言でいうとナンなのだろう?」と聞かれ、「エノケンの唄はジャズなのに、日本語として理解できること。日本語なのに日本語と聞こえない歌手が多いなかで、これはすごいこと」と答えています。

歯切れが良くて、明快なエノケンの唄をよく表現していると思いました。
この時代ですでに“日本語に聞こえない日本語”と言っていますが、今やもう、日本人が日本人に対し、日本語で歌っているのに歌詞カードを見ないと何を歌っているのかわからない歌ばかりで私はそういうのを聞くと、ラジオのスイッチを切ってしまいます。

なんとかして日本語に聞こえないようにし、あわよくば英語に聞こえればという歌い方を聞くと、実に“みっともない”し、なんのために歌っているのかと思うのです。

業界用語についても書かれていました。

仲間同士でしか通じない言葉を発明して、他の人に通じないことを楽しんだり、仲間以外の人を批判や嘲笑したりするときに使ったり、隠語だったり、暗号・合図みたいだったり・・と言っていて、要するに「きれいな日本語」を使いたいということでした。

「ヤバい」はヤクザ用語です。堅気の者が使う言葉じゃありませんと。

作家の澤地久枝さんが、原稿料について若い編集者から「ぶっちゃけ、原稿料はコレコレなんです」と言われて、金額ではなく「ぶっちゃけ」と言われたことに憤慨して仕事を断ったエピソードも書かれていました。無神経な言葉遣いをする人の仕事はしたくないと感じたのでしょう。気持ちはよくわかります。

お店でお金のやり取りをするときに「〇〇円からお預かりします」という“から”も変だと書かれ、お釣りをもらうときに「先に“大きい方”から」と千円札を渡されたりするのも“大きい方”というのは普通、大・小便の分けに使われるもので食べ物屋さんなどでそう言われるのはどうもいけない・・と書かれています。
私もそう思っていました。

上記のようなことや、その他、永さんが出逢った人たちのことなど、エピソード満載の本、うなずいたり、ハッとしたりしながらあっという間に読み終えました。

 

2023/07/20

「不要不急の男/土屋賢二」を読みました。

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『不要不急の男/土屋賢二著(文春文庫)』を読みました。
2021年発行となっていますので、ブックオフで購入したのですが、その割には新しい(^.^)

コロナ禍の中、いろいろあれこれ著者が考えたことも書かれていますが、“自粛”などお手の物とばかりに“あらゆる面倒くさいこと”を自粛して(^^;)気ままに、そして奥さんを必要以上に恐れ警戒し、生きている様子がよくわかりました。

土屋さんの本を読むと、「こいつは何、屁理屈言ってんだ」とあきれる人、「自分勝手、我儘にもほどがある」と怒る人、「そうやってブツブツ言いながら暮らしているのが一番」と共感を覚える人、「何を言っているのかさっぱりわからん」と投げ出す人、など(^_^;)いろいろでしょうが、私は「自由気ままに生きているようで、もっとも“生きずらい”人生を歩んでいるのだな」と半ば同情するような気持ちで読んでいます。

男同士だったらケンカにもならないと思いますが、・・いやいやホリエモンやひろゆき氏とケンカさせたら“完勝”するかもしれない土屋賢二さん、話が始まると捻りに捻って「到着点はここかいっ!」で終結する展開は誰にも真似出来るものではありませんでした。

文中のエピソードで気になったのは、「コロナ禍での専門家には不信感しかない」という発言。
そもそも専門家の間でも意見が真っ二つに分かれていたじゃないか、ということと、どんな分野でも結局そんなことじゃないかということも書かれていました。それもそうだな、と思いましたよ。

それからコロナ禍で、「必要だと思っていたものが不要だということも分かってきた」とも書かれていました。
冠婚葬祭、出張、社訓の唱和、社長訓示、親睦会・・などなど。
たしかに、かなり見直されたというか、今まではどんな気持ちで、どんな感じでそれらを過去行っていたのか・・などと私も思いました。

最後には、著者独自の論理論法を“こねくり回す”文に翻弄され、少し“文章酔い”しながら読了。あと五年くらいは読まなくていいや、と思いました。

 

2023/07/17

「しみじみ・くすくす 小沢昭一的こころ」を読みました。

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『しみじみ・くすくす 小沢昭一的こころ/小沢昭一・宮腰太郎著(新潮文庫)』という本を読みました。
平成5年発行となっております、古い本ですがブックオフで見つけました。

「小沢昭一的こころ」といえば、TBSラジオの名物番組でもありました。
毎日、夕方のわずかな時間でしたが、小沢さんの“語り口”は誰にもマネの出来ないものでその時間に聞くことが出来ればよく聞いていました。
週ごとにテーマが決まっていて、それについて語る小沢さんの名調子、なんだか面白かった。

この本でも、歯医者さん、コンタクトレンズ、トラバーユ、霜やけ、ストッキングなどについて考察していますが、相変わらずの男と女のあやしい話や、お父さんの情けない話、奥様の豪快な様子、などなどお馴染みの展開に、「そうくるだろうな」と思ってはいるものの、でも面白いという・・^_^;・・落語みたいな感じ。

今まではあまり感じなかったのですが、コンプライアンスの厳しき昨今、もうこんな放送は出来ないな・・という感覚を初めて感じました。
ほんとうは、大したことじゃないのに、今はとても“センシティブ”な雰囲気が横溢で、何を言っていいのか、悪いのかが、もう私にはよくわからなくなってきました。

でも、ちょっと感じているのは、弱い立場の人にはあまり気を使っていないな、ということです。
強い人にはとても神経をつかっているのに。

これが今の世の中の雰囲気で、言いたいことがあるのに言えないような妙な空気があると・・思いませんか。自由である世の中なのに。

小沢さんが生きて「小沢昭一的こころ」を続けていらしたら、どんな話題を取り上げ、どんなふうに語るのか、とても興味があります。
ほんとに言いたいことをうまく皮肉を込めて、しかも強い立場の人達が思わず苦笑いするような話し方をしてくれたんじゃないかと思うのです。

そういう人、今はいないかもしれないです。

 

2023/04/14

東海林さだおさんの「明るいクヨクヨ教」を読みました。

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『明るいクヨクヨ教/東海林さだお著(文春文庫)』を読みました。
これまたブックオフで見つけた本ですが、古いですよ。1997年9月~98年11月にオール読物に「男の分別学」として連載されたものを改題し、単行本としては1999年2月に刊行されたものです。

だからもちろん話題も古く、長野オリンピックで里谷選手がモーグルで金メダルを取ったときのことも書かれていて、なぜ平らな方がいいゲレンデにわざわざコブを作っているのか、などと東海林さん独特の“文句”をつけています(^_^;)

《老人力》というものが話題となっていた頃でもあったのでしょう、老人力という言葉の発端となった赤瀬川原平氏と対談もしています。
でも、赤瀬川さんの“ゆるう~い”それこそ老人力そのものの受け答えは、何ごとも体系化したり、決めつけて面白がる東海林さんの話はあまり噛み合っていませんでした(^^;)
《老人力》って、その言葉の流行を面白がるよりも、自分が老人になってきたなぁなどと自己をみとめるようなことなので、赤瀬川さんを『開祖』として老人力時代年表を作ろうなんて話はちょっと“お門違い”に思いました。

築地魚河岸見学ツアーに参加した話は面白かった(^-^)
現在、築地市場は移転してしまいましたが、当時の様子が知れて興味深く読みました。
マグロの“セリ”の現場もかなりリアルで詳細に書かれていました。
こういうときの東海林さんはかなり“生き生き”としています。

そんなこんなでサッカーという競技にいちゃもんをつけたり、鹿児島までさつま揚げツアーに出掛けたり、開通したばかりの長野新幹線に乗って松茸狩りツアーに行ったり、東海林さんの興味はいろいろなところに向けられていました。

今回も、あっという間に読んじゃいました!
話題は古いものが多かったけど、楽しめました。

 

2023/04/06

伊集院静さんの「無頼のススメ」を読んだ。

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『無頼のススメ/伊集院静著(新潮新書)』を読みました。
2015年発行のもので、ブックオフで見つけました。

タイトルどおり、伊集院さん流の“無頼”について書かれている本なのですが、最終的には政府や行政に頼ったりしていても、あるいはお願いするばかりではどうにもならないことばかりなので、何とか自分で自分の始末をつけないと世の中やっていけない・・という話になり、「そうか、自分もけっこうブログその他で色々怒ったり、主張したりすることがあるが、ある程度“いい意味”でそんなことは諦めて、自分なりに生きるしかないな、とも思いました。

読んでいて、すこし気になった“キーワード”のように感じた部分を書いてみます。

〇昔に比べると最近の人はとかく早口で、要領よくしゃべろうとします。大事な話は間を置きながら、間違えてはいけないところでは沈黙を交え、ゆっくり話すこと。

という部分でした。
この頃は、ニュースなどで街角でのインタビューまで、語尾の部分と次の会話をくっつけて編集しているのを聞きますが、短時間でまとめたつもりでも、聞いている方は整理がつかず、頭が追いつくことができません。・・そんなのばっか・・。


〇世の中で金をたくさん儲けたやつの八割は悪党だと思っておけ。

昔も今も世の中では悪党のところに金は行く、というわけで・・そのとおりだと思いました。


〇暇さえあればスマホを取り出していじる。テレビや新聞の言うことを丸呑みする。いつも誰かと集まって、騒ごうとする。

私と“キライな人”が合致しました(^_^;)


〇空海の「虚しく往きて実ちて帰る」という言葉から・・・
 スマホやネットや日々目の前を過ぎて行く情報に踊らされるのは、空海とは真逆で、どうでもいいことで実ちて往きて、何も得るものなくして虚しく帰っているだけではないかな。

情報に踊らされ、流行りものに飛びつき、浮かれている・・悪いけどそんな人がいっぱいいる、と私も思いました。

以上が、「無頼のススメ」を読んだ私の簡単な感想です。
伊集院さんの本はまだ手元に何冊かありますので、また読んだら読後感を書こうと思います。

 

2022/12/14

ことわりきれない自分をやめようと思った。

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私、何か頼まれて一瞬「ことわる」のを躊躇してしまい、そして・・ことわるチャンスを失ってしまうことが多々あります。
これがあとで思い起こす度に自分で自分にダメージを与えるのでした。

せんだって遠出したときに「もうちょっと帰るのは待っててくれ。会わせたい男がいる。お前の中学の一年先輩だ」というので一時間ちょっと待ってその人と会うことになりました。

東京からわざわざ特急に乗って来てくれた。とのことでしたが、私も40キロ以上ある道のりをクルマに乗ってやって来たのでした。

事前にうかがっていたことには、その人は学生時代も苦労して勉学に励み、理数系に抜きんでた才能を発揮して、そういった関連の会社に入り、たいそう重要な役職に就き、今も現役で重要ポストにいて日々活躍しているとのことでした。

お茶をしながらお話を聞いていると自身がどんな大きな仕事をしているか、どんな大物を知っているか、誰もが知っているあの現場は自分がやったのだ、という話でした。
コロナのワクチン接種は忙しいし、副反応で熱が37度以上出るからもうやらないと二回目の接種以降はしていないのを声高に話していました(そう思うのは個人の自由だが人に大きな声で言うことではないと思った)。

そして中学の一年後輩だと紹介してもらいましたが、上記のようなことを一方的に話すばかりで、少しばかり私のことを聞きましたが、ほとんど反応もなく、私にはなんの興味もないことはすぐにわかりました。

で、帰るのをちょっと待てということで紹介してくれた方からその人がきょうは私の地元から10キロほど離れたところで飲み会があるというので、私の町内の駅までクルマで送ってくれ、とのことでした。40キロ以上の道のりを初対面の人と車中で過ごす・・。

で、話は最初に戻りますが、躊躇してしまったわけです、ことわるのを。
私も家族も自分のクルマにはコロナ禍以降他人を乗せておりません。それは感染に十分に注意して、家族に迷惑を互いにかけないようにとのことからです。

でも、私が帰ろうとするとクルマまで来て乗り込みました。しかも驚いたことに後席に乗り込みました。・・私は“お抱え運転手”並みの扱いです。

後席の窓を開け、それじゃあと挨拶していましたが、ずいぶんと気持ちよさそうです。

クルマでの道中、話はまた自慢話がどんどん続きました。
しかもシートベルトをしていないのを確認しました。このあいだゴールド免許を更新したばかり、反則金と点数を失うのはいやだが・・以前上司をクルマに乗せたときにシートベルトをしてくださいと言ったら途端に機嫌が悪くなったことがあり、ここでも注意することを躊躇してしまった・・。

初めて会う人にこれだけ「誰それ(首相経験者やその他大物)を知っているか、私は会ったことがある」「そこにはかつて誰それの家が建っていた場所だ、立派な研究者だった、私は会ったことがある」などと立て続けによく言えるものだと思いましたが、そうでも言わなきゃ自分に“恐れ入らせる”ことができないと思っていたのかもしれません。

車中も私のことを聞いたのは、ほんの“ひと言・ふた言”で、とりあえず聞いただけで興味なんかなさそうでした。

駅に到着すると、降りたところの自販機でジュースを買ってくれましたが、疲れ果てて帰宅いたしました。

つまり“イヤな思い”以外無い出会いになってしまいました。
帰宅して妻に話したら激怒していましたが、私の「断り力」の無さがこの事態を引き起こしたわけで、今後は強く、嫌がられても、どう思われてもかまわないから断ることにします。
ここに『断言』いたします。今後一切いやなことは断ります。本日の言いたかったことは以上です。

 

2022/12/05

クルマのナンバーについて

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今はクルマを購入するときに、クルマ屋さんから「ナンバーのご希望があれば手数料はかかりますが、申し込み出来ますよ」と言われます。

そういえばまるで“ねらった”ような番号が並んだナンバーを付けたクルマをよく見かけるようになりました。

妻とクルマに乗っているときに前方にいるクルマや、対向車線を走ってくるクルマのナンバーを見て「あのクルマのナンバーはどんな“意味付け”でああいう番号になったのか」と謎解きをするようになりました。
・・ま、暇つぶしです(#^.^#)

多いのは「7777」や「8888」みたいにラッキーナンバーや末広がりの番号を並べている人。四つ並んでいるのはなかなか見かけませんが、もう在庫が底を尽いているのでしょう。

「1」や「3」や「5」の並びもよく見かけます。

でもね、こういう並びの番号を付けている人って、見ていると“独善的”っていうか“傲慢”な運転をしている人が多いです。実感!

「1122」もよく見かけますねぇ。
“いい夫婦”の意か・・。
この番号を付けている人が読んでいたら申し訳ないけど、「なんてこったい!」と思いますよ。
次から次へとすれ違うクルマや人に対して「私たち“いい夫婦”なんです。とか“いい夫婦”になります。」とアピールしながら公道を走っているわけです。
恥ずかしくてそんなことできないよ。

「1188」ってのも多いですよ。“いいパパ”か“いい母”なのかもしれない。
これもなんだか恥ずかしいと思いませんか。

うちの近所のクルマは「4040」です。
これはどんな意味があるのか。私が読むと「ヨレヨレ」になっちゃうんですけど・・(^^;)

業務用のトラックなどは、同じ会社のクルマが全部同じナンバーだったりするのも見かけたことがあります。統一したいんでしょうね。

今日見た商用車のナンバーは「9317」でした。
偶然なのか、ねらったのか、「くさいな」ですよねぇ、ねらってなかったとしたらこのナンバーをもらって「なんだこりゃ」と思ったんじゃないでしょうか。

「7878」っていうのも何度か見かけました。
私のような古い人間だと、せんだみつおさんの「ナハナハ」から取っているのかと思ってしまいますが(^-^;、それとも「那覇」が好きなのか、よくわかりません。

「1001」もよく見かけます。これは何か意味があるのか、それとも単に並びの様子がいいのか。

というわけで、けっこう“明らかに”何か意味がありそうだというナンバーをよく見かけるようになりました。

変わったナンバー見かけませんか?
面白いのがあったらおしえていただきたいです(*^^*)

 

2022/09/13

「つい、そうしてしまう心理学/深掘元文」を読みました。

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『つい、そうしてしまう心理学/深堀元文編・著(日本実業出版社)』という本を読みました。これもブックオフで見つけたもので、2010年に刊行されたものです。

人の「しぐさ」や「好み」には無意識の“ワケ”があるというものでした。

書かれていたことは、私も年齢を重ね、薄々気づいていたようなことも多くありました。
いろんな人に出会い、いろいろなパターンのしぐさなどを見てきたので、自然と身についたのかもしれません。

少し面白かったところをピックアップしてみます。

よほど自信があるのか、鏡に映った自分の姿に見ほれているナルシスト・・。
東京勤務時には、よく駅のトイレの洗面所でこのような若い男性を見かけました。
手洗いしたくて後ろに並んでいても、ずっと髪の毛をいじってなんども何度も自分の姿を点検していました。
いくらいじっても変わったようには見えないんですけど(^_^;)

この本では、誇大な自尊心の持主ということになり、自分へのまわりからの評価が気になり、劣等感も生じやすい・・らしいです。
でも、優越感を感じていたい、そんなことのようです。

次に、なんでも他人から教わろうとする心理について書かれていたところが気になりました。
Facebookのオーディオの集まりなどでよく見かけます。しょっちゅう「〇〇について教えてください」と書き込み、内容は具体的でなく、とにかく情報をもらう一方で、自分からは何も教えないし、そんな立場には立たないのです。
そのまま大人に成長すると、つねに受容的構えをとることになってしまうとされていましたが、・・いるいる、いっぱいいる。

最後に、私も若い頃によく友だちとの集まりで経験したこと。
30歳も過ぎてそれなりに貯えもできはじめると、集まった席上で誰も聞いていないのに、「この時計気になるだろ」なんて高級時計を見せる友だち・・何人もいた・・。

ワインのボトルを手に取り、ラベルを見ながら自らの知識を披露し、蘊蓄を語り出す友だち・・何人もいた・・。

休日に集まって飲んでいるのに、わざわざ取引先の外国人に電話して、皆の前で英語で笑いながらしゃべり始める友だち・・ひとりいた・・。

自分の社会的評価を「物」や「行動」で示そうとしたものというふうに書かれていましたが、そういうことなんだろうな、と思いました。

で、今やそういう人たちはとは一線を引いてなるべく関わりを減らしました。
もっと楽しい話がしたいのです。

というわけで、ちょっと古い本でしたが、気軽に頷きながら読んでしまいました。

 

2022/08/02

「日本トンチンカン悪者列伝」っていう本 (・_・;を読んだ。

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『日本トンチンカン悪者列伝/北岡俊明著(WAC)』という本を読みました。
ブックオフにて100円で購入(^^;)

チラッと見て、なんだか異様な感じがして、安いし、買っちゃえ!ということで入手。
さっそく読んでみました。

著者紹介のところを読むと、日本ディベート研究協会会長、シンクタンク戦略大学代表となっていますが、芸能人やニュースキャスター、役者、作家、日本人の様々な行動などについて、次から次へと歯に衣着せずに“噛み付き”ます。
というか、ガブッと“噛み付いて食いちぎる”くらいの勢いです。

自分の気に入った人や、自分と同類の考え方をする人にはとてもやさしいが、そうでない人については、“クソミソ”です( ̄O ̄;)

私が少し同調したのは、野球などで優勝すると、人差し指を突き上げてマウンドあたりに集まって“大喜びする様”は、相手チームに対して無礼だと思うし、振る舞いとして“いただけない”ということでした。

ただ、ちょっと前の本であるのですが、石原慎太郎氏や、橋本徹氏について日本を代表するディベーターだと“ベタ褒め”しているのはいただけなかった。私からは、その場の思いつきで物を言い、その責任を取らずに大人げない態度をする人という印象しかないのですが、・・まあ人それぞれですけど・・。

あとは、自分の気に入らない人について「テメエは何様のつもりだ」と凄んでいて、ディベート以前の感じがしました。

防衛問題についても、核武装は当たり前という考えだし、軍事力が経済力を規定するだとか、軍事力が国力を規定するだとか、戦争は国力を高める・・とか、独善的で人の声を聞く耳を持たぬ印象が強いと思いました。

沖縄についても、あまりにも厳しい考え方をしていて、途中でいやになって読むのをやめてしまいました。

チラッと立ち読みしたときは、気っぷがよくて、すっきりできる本かも、と思ったのですが、完全に著者の毒に当てられ、具合が悪くなりました。
いやもう強烈な内容の本でした。

 

2022/06/17

石田衣良さんの「小説家と過す日曜日」を読みました。

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『小説家と過す日曜日/石田衣良著(文藝春秋)』を読みました。
いつものとおり、ブックオフにて200円でしたd(^_^o)

この本は、「石田衣良ブックトーク・小説家と過す日曜日」というメールマガジンの1~12号をまとめたものなんだそうです。

それぞれの号の内容としては、毎回「ショート・ショート」「ワイドショーのコメンテーター的発言」「衣良さんと小説の登場人物が二面性を持って語るエッセイ」「読者とのQ&A」「ブックレビュー」「しくじり美女との対話」が盛り込まれていて、いやもう大充実の“濃さ”です。

読んで見て、実際には、これを毎月メールマガジンとして発刊しているわけで、たいへんな作業だと思います。

本と創作の話、時代や社会の問題、恋や性の謎、プライベートに関わる親密な相談・・などなど、衣良さんがおもしろいと感じ、興味をもつことに対する思いは、とどまるところを知らないという感じです。

多岐に渡る内容の中で気になったことを少し取り上げてみます。

定額制の音楽聞き放題や、ドラマ・映画の見放題のサービスについて(いわゆる“サブスク”ってやつです)、聞き放題で月数百円として著作権をもつアーティストへの対価は、割り算をしたらずいぶんと少ないんじゃないか、そして視聴者の多くが似かよったソフトしか楽しまなくなるんじゃ・・とおっしゃっています。

自分でソフトを探し、目の前に“垂れ流されて”いるものを楽しむだけでは、よい趣味や自分なりのセンスを育てる力が弱くなっていく・・とも。

50年代のジャズや、70年代のロックを聴くマニアはごくわずかになって(・・私みたいなヤツですね…σ(^_^;))、恐ろしいことだという石田さんの気持ちはよくわかります。

もうひとつ

音楽の歌詞がくだらない説教みたいになりましたね、とおっしゃっていて、これも同感です。
みんな仲良くだとか、家族最高とか、桜はきれいみたいな歌ばっかりになっていると。
表現レベルがなんでこんなに落ちたのかと言っていて、私はそれに加えて、歌っている人は、日本人で、日本語で歌い、歌っている相手も日本人なのに、何を歌っているのかわからないとものが多いと思います。

なんとか英語みたいに聞こえるように“ウェイ”とか“ドゥエイ”などと歌っているので、歌詞は、さっぱりわからず、時々日本語らしい痕跡を発見(聴)している有り様です。
はっきり言ってみっともないです。こんな発音をふだんしていたら、恥ずかしいでしょう。

「譜割」も、その日本語の単語を解体して発音し、次の単語に半分くっつけたりしているので、何がなんだかわかりません。この“カッコワルイ”歌い方、いいかげんやめてほしいと思いますが、それをやめたら、その曲が“貧相”な曲だということがバレてしまうので、やめられないのでしょう。

などと、グチを言いつつ、今回の石田衣良さんの本についての感想を終わりたいと思います。

 

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