『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談/パオロ・マッツァリーノ著(二見書房)』という本を古本で見つけ、一度も読んだことのない著者の本を読んでみました。
いつ発行したものかも本自体には記されていませんでしたが、どうやら調べてみると2011年ではないかと思われます。
著者経歴にある大学は実在せず、この「パオロ・マッツァリーノ」という名前も、イタリア生まれと本人が書いていますが、国籍もなんだかあやしい感じ・・ちょっと何者かがわかりません。
何者かがわからないにもかかわらず、この本、この文章、この考え方はどうにもこうにも魅力的でした。
日本人の名前(氏ではなく、名の方です)について、その変遷を遡って色々な文献を徹底的に調べて意外な結果を発表したり、よく芸能人などが結婚発表時につかう「笑いの絶えない家庭にしたい」という言葉に疑問を持ち、いったい何時、誰が言いだしたのかを調べたり、どうでもよさそうだけど、でも興味を持ってしまうような事案について、データを検証し尽くして結論を導き出す・・という手法がとても面白く、食い入るように読んでしまいました。
漫画家に対して、その出版元というか、編集者から「先生にはげましのお便りをだそう」という、私が子供の頃から馴染みある少年誌などの巻末にあった文についても、「先生」という言葉の使い方や、“はげまし”という・・“感想”ではない言い方についてもふれていて、それは今まで私もなんとなくひっかかっていたことでした。
イタリア生まれで、現在は千葉県民、イタリアン大学日本文化研究科卒という存在しない大学を経歴で名乗っているのもあやしいし、日本人だよなあきっと・・という不信感もありましたが、でも、朝日・読売の一般人では利用できないデータベースを使って調べた情報はとても詳細で驚くべき調査力でもありました。
奇妙だが説得力あるこの本、今までに読んだことのない「文化史」という括りだけではない世界が見えてくる本でした。
面白かった。
『おじさんはどう生きるか/松任谷正隆著(中公文庫)』を読みました。
2021年に中央公論社から刊行されたもので、2024年文庫化にあたり二編の書き下ろしエッセイとジェーン・スーさんとの対談も追加収録されています。
以前にも(今年の4月)松任谷さんの著書(クルマに関する本)をこのブログでご紹介しました。
そのときにも感じましたが、松任谷さんのエッセイは読む人を“ググっと”惹き付けます。
松任谷さんはジェーン・スーさんとの対談でも言われていましたが、1951年生まれの人とは思えないような若い感覚が目立つのですが、でも時々親の教えから来たのか、とても古風な考え方が見え隠れするときもあります。
実際に読んでみると、松任谷さんのエッセイはその両面がうまくミックスされていて、面白さがより濃くなっていく感じでした。
女性に対して過敏なまでに神経を使うかと思うと、けっこう奥さんのユーミンには横暴な時もある。
友達や周囲の人についても、同様に神経質な部分と大胆なところもあるのです。
それに育ちの良さも手伝ってか、ご本人が意識せずとも“オシャレ”なセンスが随所でキラリと光るのでした。
数十年ぶりにバンドを組んでアルバムを作る話題もありましたが、まさにかつてバンドマンだった人の感覚が見事に書かれていて、その文章力にも驚き、私自身もこのブログなど色々書いているので勉強になりました。
舞台の演出や、脚本を書いたり、プロデュースをしたり、音楽を作り、自らも演奏する中で若い人達との出逢いの機会も多く、そこで時代とのギャップをうまく調整しているのではないかと思いました。
自分の古いことに固執するクセ反省する機会にもなりました。
面白く“目から鱗が落ちる”ような感覚になった本でした。
『失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方/野口恵子(光文社新書)』を読みました。
著者、野口恵子氏は日本語、フランス語教師で、フランス語通訳を経て大学で教鞭を取っている方とのこと。
著書には、「かなり気がかりな日本語」「バカ丁寧化する日本語」などがあります。
この本自体は2013年6月に初版発行となっています。
私自身、気になる言葉づかいや、よく耳にする不思議な敬語などがあり、このブログでも折に触れて書いてきました。
著者、野口氏は実例を丁寧に挙げて解説をしていますが、野口氏の大学の生徒が実際にそうであったように、何度説明しても、その人が育ってきた過程で、親も既に日本語が怪しい・・(^_^;)というようなこともあり、何がおかしいのか、どこがいけないのか理解に苦しんでいる生徒の様子も書かれていました。
私の年代でも、私自身でも、これが果たして正しい使い方なのか、と分らなくなり、戸惑うようなこともあります。
そのあたりも、著者は丁寧に書かれていて、長年の疑問が解消したものもありました。
“議員敬語”みたいなものも気になっていたのですが、例えば「皆様方に“ご議論を”いただいて」「ぜひ“お寄りを”いただいて“ご覧を”いただきたいと思います」「“円高を”“是正を”していきます」など、わざわざ“を”を入れる気持ちのわるい使い方も指摘されていました。
あと、お店でよく聞く「こちら天丼に“なります”」「こちらの商品は二千円に“なります”」「五百円のお返しに“なります”」など、“なります”症候群(^^;)
私もあちこちでよく聞きましたが、「お待たせしました。天丼です」「こちらの商品は二千円です」「五百円のお返しです」でいいですよね。これは既に定着化していると感じています。
ついでにもうひとつ、公務員、特に国家公務員などに多い「になってございます」という謎の言葉遣い。
国会の委員会答弁などで官僚が「すでに先生ご案内かと存じますが、〇〇の数値については資料3ページのとおり“になってございます”」っていうヤツです^_^;
議員同士で「先生」と呼び合うことや、官僚が「先生」と呼ぶこともなんだか変だと思いますし、「すでにご案内」って表現も“なんかイヤ”じゃありませんか。
そもそも“なってござい”ってなんだよ!
上記は、氷山の一角で、実に数多い事例が掲載されていますので、敬語の使い方がもう何がなんだかわからなくなってきた、という私同様の方にはもって来いの本だったと思います。
『納豆に砂糖を入れますか? -ニッポン食文化の境界線- /野瀬泰申著(新潮文庫)』という本を読みました。
以前、このブログで同じ著者の「天ぷらにソースをかけますか?」という本をご紹介したことがあるのですが、その続編にあたるものとなっていました。
この文庫本は2013年発行となっています。
さて、タイトルにもなっている「納豆に砂糖をいれるのか」という問題ですが、そもそも私には“納豆に砂糖を入れる”と、どんな味になるのか、まったく想像も出来ず、そんな人いるのかよ、と思いましたが・・・いるんですよねぇ(#^.^#)
地域としては、「入れる派」は北海道、東北地方に多いようです。「なかには入れる人もいる」というのは関東・中部地方あたりに“ぼちぼち”見ることが出来ます。
「そんなこととんでもない派」は、関西・中国・四国・九州にかなり多く、広島と九州の一部には意外と砂糖を入れる派も散見されています。
砂糖は味を甘くするよりも、納豆のねばりを強くし、糸を多く引かせる目的の方が主となっているように読めました。
前回の「天ぷらにソース?」と同様、とても珍しいことではないことがわかりました。
その他には、「メンチ」と「ミンチ」の呼び方について(*^^*)
私は関東で圧倒的な「メンチ」に耳馴染みがありますが、関西方面では「ミンチに決まっとるじゃろが!」派が優勢です(^_^;)
この本のアンケート結果では、関西にミンチ派が集結しているようでした。
さらにコロッケには何をかけるか?という・・私にとっては「中濃ソースでしょ、もちろん」という結果が予想されましたが、いやいや醤油や、ウスターソース、とんかつソース、何もかけるかそんなもん・・という(^^;)回答もあり、混沌としておりました。
実におもしろいっ!(*^^*)
飴を「飴ちゃん」と呼ぶか否かとか、居酒屋などに行って最初に出てくるのは「突き出し」と言うか「お通し」というか・・という問題もありました。
比較的関西が「突き出し派」で、要りもしないのに突き出される感覚があるのでは、という推測も出ていました。
ご飯に味噌汁をかけて食べるのは、行儀が悪いのか否か、というのもありましたが、それと同系統の郷土料理も有ったりして、難しい問題となっていました。
私としては、自分の小さい頃、ちょっと貧しくておかずもあまり無いのでそうしているのではないかと勝手に想像して、つらい気持ちになり、自分は食べるということはほとんどありませんでした。
・・・などなど、食文化的にも興味深い問題を今回も著者は、楽しそうに探っていました。
とても面白い着眼点で、私も楽しく読めました。
『余計な一言/斎藤孝著(新潮新書)』を古本で見つけて読みました。
2014年発行となっていますので、かれこれ10年前の本になります。
著者はベストセラー多数の斎藤孝さん、古い本とはいえ、「余計な一言」を言わないように参考として読んでみようと思ったのです。
いくつか実際の事例で経験したことと似たものがあったので、すこし挙げてみようと思います。
(女性)A「私の新しい彼なの(と紹介)」
(女性)B「へえ、あなたがAの新しい彼氏なの。やさしそうな方でよかった。彼女、これまで男では苦労してきたから」
・・新しい彼氏の前で女性の過去を暴露するという、やや“確信犯”的なケースです。
著者は、この場合、「ついうっかり」というよりも、嫉妬による言動である可能性が大だと言っています。・・そうかも ^_^;
私も実際の結婚披露宴で、新婦の友人のスピーチで「〇子から新郎の〇〇さんを初めて紹介されたときに、“今度の彼氏は”なかなかいいじゃない、と思いました」と挨拶しているのを聞いたことがあります。
会場、ざわめきました・・(^-^;
次の事例
私が同窓会の幹事をやったときにも経験したことですが、出欠の返事を「行きたいんだけど、行ければ行くってことで」という形でもらうことです。
どっちかにしてもらいたいと、・・思いますよねぇ。
私の場合は席も料理も一人分増やして予約しても来なかった場合、皆でその分割り勘にするのもなんだかなぁと思ったので、席も料理も予約しませんでした。
・・そしたら開始から40分くらいしてやってきて「ひどい、席を取っておいてくれなかったの?料理はどうするの?」と騒ぎだし・・どっちがひどいのかと思いつつ、そのあと席をひとつなんとか増やして、料理は途中から出してもらい、料金もその分少し安くなるようにお店に頼んでなんとかなりました。
悪いけど、自分勝手な人だと思いました。その日に連絡をくれても良かったし、会が始まってからでも「行けるぞ」と連絡をくれれはよいのです。
でも、そんな人ならもともと「行ければ行く」という発言にはならないでしょう。
ついでに、もうひとつ事例を。
当時のこの本に書かれていたのは、「AKB48が好きなんですよ」と言った相手に「あれは売り出し方がうまいだけじゃないの、誰が誰だかよくわからないよね」という余計な反応が載せられていました。
「誰が好きなの?」とか「好きな曲は何?」などと言えば話がはずむのに・・と思います。
私の実例で言うと、すでにこのブログでご紹介したことがありますが、
上司「昨日は勤務終了してすぐに帰ったけど何処かに行ったの?今朝から上機嫌じゃないの」
と聞かれたので、
「宝塚歌劇の夜の部に行って来ました。とてもいいお話しでした。」
と言うと、
「あんな厚化粧の気持ち悪い“婆あ”がやってるもの見に行ったの、おおやだ!」
と言われ、言葉もありませんでした。
自分で聞いておいて、なんてひどい人かと思いました。ましてや上司。
もうひとつ同様のことがありました。
またまた朝に上司から「昨日、急ぎ足で帰ったけど何処かに出かけたの?」
と聞かれ、もういくらなんでもあんなひどいことは言わないだろうと思い、
「ポール・マッカートニーの東京ドームコンサートに行って来ました。中学生の頃から聞いていた曲も歌ってくれて、涙が出ました」
というと、
上司は「えぇっ!あんなくだらない曲しか作れない歌のヘタな男の音楽を聞きに行っただって?考えられない」
とのこと・・。
嫌がらせにもほどがあると、あまりに腹が立って詰め寄ったところを若い女性職員に「我慢してっ!ここはあなたしか大人になれませんよ」と止められ、事なきを得ましたが、とても後味の悪い出来事でした。
・・ついつい自分の出来事で興奮してしまいましたが、要するに、“余計な一言”には、注意しようとあらためて思いました。
この本には、たくさんの「余計な一言」の事例が示されていました。
私も気を付けようと思います。
『老化で遊ぼう/東海林さだお・赤瀬川原平(新潮文庫)』という本を古本で手に入れ、読みました。
2003年から2007年まで「小説新潮」に連載されていた「軽老モーロー対談」を編集したもので、2008年に発行されたものです。
東海林さん、赤瀬川さんの対談形式で進められ、第一話から三話までは藤森照信さん、阿川佐和子さん、藤原正彦さんがゲストとして呼ばれています。
東海林さんは割と庶民感覚に近い人という印象がありますが、それでも話が深くなっていくとちょっと行き過ぎな感じになっていき、さらに赤瀬川さんは浮世離れした老人(^^;)なので、話は結局面白くなってしまう・・(^-^;
数学者を呼んで、数学がなぜ面白いのかというお二人には“そぐわない”ようなテーマで語り合っても、「数学の芸術的な美しさ」みたいな話にまでなり、やはり面白くなってしまいます。
お二人の「性の目覚めから五十年」の話も、ふつう“言いたくない”ようなことまで話していて、私も下を向いてしまいました^_^;
通常は“そこまでいかない”ところの一線を越えていたかと思いますが、お二人とも「老化」という隠れ蓑をうまく使い対談されていました。
「コレクター」という人達について気持ちが分かるや否やというお二人の意見が対立するテーマもありましたが、お互いの気持ちは私にもなんだか分かりました。
全体を通して、お二人の対談は、すでに『芸』の域に達していると思いました(*^^*)
個々の個性が面白いが二人が揃うとあまり面白くないということはよくあるかと思いますが、この対談本の場合は、“超科学的変化”を起こして三倍も四倍も面白くなっていました。
仕事を終えて帰り際のちょっとした出来事で一句詠みました。
【 汗の香す ヒールの踵(かかと) 抜けぬ女(ひと) 】
《背景》季語:汗の香[夏]
ある夏の夕方、仕事が終わり通用口から裏通りに出ようとしたら「たすけて、抜けない」との声がした。
見ると、同じビルから出て来た女性が、植え込みの周囲を金属の網状のもので丸く保護している一つのマスにハイヒールの踵が入ってしまい、難儀していた。
「取って下さい」と言われ、ヒールの部分と女性の脹脛(ふくらはぎ)を同時に持って「エイッ」と引っこ抜いた。
その時、たぶん彼女が帰り際に薄く化粧した香りと汗の香りを同時に感じ、クラッとなった。
・・・考えてみれば、靴を自分で片方脱いで、自分で引っ張ればよかったんじゃないのか?
これってどういうこと?と、あとで思ったのでした。
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