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2020/11/23

【南先生の玉手箱_0026_戦後の記憶の中で思うこと】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
一ヶ月ぶりのアップです。
今回は、先生が戦後の記憶について書かれている文章です。
イラストの下の方に「戦後61回目の夏」と書かれていましたので、2006年に書かれたものと思われます。


以下、先生の文章です。

『戦後の記憶の中で思うこと』

私ごと、戦争の体験はないけれども、母親の体内でまだもの心つく前に、何か不思議と戦争体験をしたような暮らしを思い出すことがある。

小さい頃の思い出だが、何と言っても物が少なくて食べものなど貧しい時代であり、バナナ一本、アメ玉一個、せんべい一枚が大変貴重で手に入りにくい子ども時代だった。

そんなこともあって、腹のすく思いから、腹いっぱいの満足感やもののうまさが今でも体にしみついている。
井戸で冷やしたすいかの味や、おふくろのにぎった大きなみそむすびの味などよく覚えている。

 

 

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物が少なかったこともあるだろうが、もったいない、大切にする気持ちは自然に身についていた。
又、躾けられてきた小さい頃、近所の年寄りが縁側での茶のみ話しで、戦争中、外地で略奪、人殺しなど手柄話しなどしていた気がする。
近所に飛行機が落ちた墓もあった。

米軍が九十九里から来ていれば、このあたりは全滅まちがいなしだったと思う、当時、何かのまちがいで落下傘米兵が落ちてきたところに大人たちみんなで食料品など盗み取り、米兵は銚子の方へ連れていかれた。
おそらく殺されたと思うとの話しも覚えている。

聞いた話しではあるが、米軍九十九里上陸の時に備えて、学校ではみんな竹ヤリの練習があり、米兵を刺し殺そうと、バカなことをみんなが必死に考えて実行していたなど、教育や宗教はひとつまちがうと恐ろしいものがあります。

終戦ちかくには、日本中物資がなくなって、杉や松など大きな樹を伐採して燃料にする、お寺の鐘や鍋釜を集めて武器にするなど、あの戦わずして沈んでいった戦艦大和になったのではないだろうか?

自分の親の世代では、具体的な話しは聞かされていないが、終戦ちかくにかなりの友人が片道切符を買わされて特攻隊や人間魚雷で死んでいったように思う。

本当のことは伝えられていないが、自分の親や大人たちのうしろ姿に戦争の形を見て育ってきたように思う。

自分たちの世代にも、次の世代に対する大きな責任があると思う。

美術学校時代にデッサン用に本当の頭蓋骨を持っていた友人がいた。
40年前のことだが、沖縄の或る島でそんな頭蓋骨はゴロゴロしているって話していた。

季節はめぐって、毎年365分の1回。今年も終戦8月15日が来た。
広島、長崎に原子爆弾を投下された日本、今日の新聞にもあの戦争で無念にも命を失った日本人が、戦地、内地、いろんな場所で310万人それ以上の数にのぼる。
もちろん命は数の問題ではない、ひとつの命は誰でも地球上60億?分の1、みんな同じ重さの大切なものだ。

朝からマスコミで、靖国神社参りがどうのこうのと、報道をくりかえしているのだが、私たちひとりひとりが本当のところ命の大切さや、人の心の耕しに毎日どのうようにかかわっているか、私ごと団塊の世代の者としては、現在の社会構造をつくっている立場の者として、こと戦争に限らず、強く、今、現代の暮らしに責任を感じることが多い。

とは言っても、ひとりでは何ひとつ解決できそうになく、反省ばかりではあるが、何か過去の歴史が風化してしまわないように次の世代に伝え、育んでいくことに努力しなくてはと思う。

戦争のことは知らないにしても、いろんな話しを子どもの頃から耳にしてきたことを時々思い出す。
今、時代は表面的には飽食や物質的に豊かなように見えるものの、心の問題は大変な状況で、あぶない課題山積の時代にお互いが暮らしていると思う。

当時、戦争の道具、武器となって本当の気持ちを誰にも伝えられないままに戦場に散っていった数百の命について、誰がどのように責任をとれるものか、どんなことをしても命の責任はとれず、戦争も絶対に許せるものでない。

当時の画学生が、この絵の続きは帰って必ず描くと、キャンバスの裏に書き残し、モデルの恋人に言葉を残し、二度と帰ってくることはなかった。

現代のテロ事件や、拉致問題など、許すまじき行為だが、戦争の時代には、日本にも同じような状況があった。

このように二度とくりかえしてはならいなことに対してしっかりと思いを寄せて、次の世代に伝えていくこと、命の大切さや、戦争の悲惨さを知識として知っていても何もならないこと、本当の思いを語り継いでいきたいものです。
8月15日は大切で大きな教材です。


以上が先生の文でした。

文中に書かれていた「九十九里から米軍が上陸してきたら」という話は、私も祖母や母親から聞いたことがありました。
当時は、もしそんなことになって「米軍が町に入ってきたら辱めを受ける前に死のう」と皆で言っていたという話を聞いたことがあります。
実際は、そういうことはなかったのですが。
戦争に関しては、先生と電話で話したりすることがあるのですが、今の若い世代、子ども達の世代にどう伝えていくかは、とても難しくて大切な問題です。

 

2020/10/21

【南先生の玉手箱_0025_健康第一、ゆとりと充実、そして夢】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。ちょっとあいだが空きましたが、再開です。
今回は、平成19年2月27日の日付が入った先生からの生徒家庭への通信文の裏面に書かれたものです。


以下、先生の文章です。

『健康第一、ゆとりと充実、そして夢』

あたりまえのことのようで、なかなかできない、分からないことが多い。
みんながちがって、みんないい、人間みんなひとりひとりの魅力、持ち味のちがいのそれぞれがプラスにぶつかり合って、児童生徒に影響を与え、時に人生を大きく左右するものだから、教師、児童、生徒共にお互いよき出会いにしたい。

心身共に健康がいい。楽しいことから魅力が生まれる基本を大切にしたい。

子どもたちはゼンマイじかけのオモチャのようだ。
人間もオモチャにたとえれば、ほどよい整備が必要、使いすぎも時には良いが、こわれてしまえばおしまい。

明るい、暗いの性格などはどっちも個性です。
何をするにも『気』が一番と思う。
ゆとりと充実もよく口にしますが、教育に限らず、いつもはりつめていたら、教える側も学ぶ側もきゅうくつでたまらないと思います。

できる時、できない時、どっちもある。
点数も0点以下もあれば100点以上もある。
基本として大切なことは魅力ある楽しい授業や活動にむけてこうしたいなあと思って積極的に授業や活動にとりくむ気持ちだと思います。

年に一度でもいいから、子どもにとって魅力を伝え、感じさせられる自分でありたいです。
今、教育ソフトも恵まれた環境にありますが、セット教材などもとより、そのまま活用するものではなく、扱う側、学ぶ側が満足できるものに工夫・改善をして使用していきたいですね。

ひとつ題材も扱い方で十人十色、オリジナルと言うか、題材などでひと味、扱い方、工夫して日々題材開発に心がけていきたいですね。

いつだったか、年賀状でもらったメッセージを時々思い出します。
「俺たち、学校で子どもに夢を語れなくなったらおしまいだね」
そのとおりです。
どの子も光り輝くものがある。共に感動できる感性の幅を広く持ちたい。

私ごとですが、先輩や同僚から学んだり、強く感じたことなどで次の三つのこと、時々思い出します。

①授業自習中に出張から帰ってきた先生を拍手でむかえた子どもたち、すごいと思った。

②日々の教育活動の中、他人を差別する言動を絶対に許さない同僚のうしろ姿。

③何事も子どものせいにするな。教師(自分)のうしろ姿を見て子は育つとの言葉。


以上が先生の文でした。

この頃、先生はかなり生徒と向き合って、夢中で教師としての取り組みをしていたことがわかります。
最後に書かれた三つの時々思い出すことの①、自習中に出張から帰ってきた先生を拍手でむかえた子どもたち・・なんかいいです!(*^^*)

 

2020/09/15

【南先生の玉手箱_0024_散歩】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は先生が「散歩」と題して書いたもので、今回は日付が入っておらず、平成17年~19年の間に書かれたものと思われます。


以下、先生の文章です。

『散歩』

有る休日、用件あって、あっちこっちドライブした帰り道、途中で車から降ろしてもらって、となり町から古い家並みを歩いてみたら、5月なのに真夏の暑さである。

何か天候不順のひと言ではすまされない、地球規模で大変な状況が起きている。
飽食の時代、エネルギーの無駄使いなどがなかなか改善の方向に進まず、乱獲伐採など環境破壊は止らない。

日々便利さ、スピードが優先される中で、時にストップ・ザ・便利を実行していかなければ、人類、大変あぶない状況、すでにとりかえしのつかないところに居るような気がする。

久しぶりに近所でも懐かしい景色を見ながらその地域の家、森や木陰をわたる涼しい風を感じながらこっちに歩いてきた小学生がすれちがいにこちらを見て、こんにちはとあいさつ、こちらも、おー・こんにちは、とひと言返してあたりまえのことだが、どっちも知らない顔、子どもにとってどこかのおっちゃんの私、あいさつがあると思っていなかった。
続いて何人かの子どもや大人とすれちがったが、みんな雰囲気がいい顔に見えたというか、感じる気持ちの問題かと思う。

家庭や学校で地域の人と人とのかかわりについて、できれば安全意識からできるだけかかわらないほうがいいように子どもに話すことが多く、ちょっと話しかけると何か変に思われることの多い時代に、人と人との関係、あいさつや笑顔から望ましい関係や安全がつくられていくのかと思う。

農家の多い、古いたたずまいの中をぬけて歩きながら、現代の暮らしの何か変な部分に対してみんな基本は素直とか、信用することなんだろうなあと考えさせられるひと時でした。

人も物も普通に大切にかかわり合うこと、自分自身の行動について日常できるだけ素直でありたいものです。

特に時代が問題にしている不審者をつくらない人と人との関係をお互いが大切にする地域でありたい。

古い家も多く、生け垣、大きな樹、そして緑の多い空間が何か時間をかけて人の心を育んでくれているように思う。
毎日のようにいろんな安全対策がそれぞれの地域や立場で進められているが、人と人、そして自然と人との関係に思いをよせて望ましい環境つくりに何かできると具体的にとりくみたいものです。

ちょっと前まで普通だった何か大切な関係を切り捨てないように心がけたいものです。

久しぶりに通りぬけた地域のたたずまい、気のせいか路肩のゴミもほとんど目につかなかった。
何か地域の雰囲気を感じさせてもらったが、すぐちかく自分の住む地域でも何かプラスに実行できる自分でありたいと思いながら、約1時間、家に到着した。

時に道草をしながら考えさせられることがあります。

 

以上が先生の文でした。

何気ない散歩の道中に先生が思ったことについて書かれたものですが、もう15年も前から人と人との関係が殺伐としたものに移りつつある状況がうかがい知れました。

今やもっとその状況は悪化していると思います。
それに環境破壊も・・。

ウイルスの感染拡大や、異常な気候、自然災害、どれもが元々は環境破壊という事象にたどり着くような気がします。

散歩途中の雑感のようなものでしたが、考えることは多岐にわたる、と思いました。

 

2020/09/10

【南先生の玉手箱_0023_修学旅行の思い出】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は先生が「修学旅行の思い出」と題して書いたもので、平成18年11月10日の日付が記されていました。


以下、先生の文章です。

『修学旅行の思い出』

朝、気がつくと、雨の音、ちょっと心配しながらも今年はいい天気の予報。
みんなそろって六時半、バスで出発。
昨年は途中雨が続く中でのグループ行動が多かったけれども、がんばって予定全部やることができた不思議と子どもたちのがんばりの姿を思い出しながら、今年も参加させてもらった。

バスは朝からすぐ朝の会に続いて元気な歌声やレク係が準備したお楽しみのバスレクを続けてアッと言う間に箱根の湯本駅に到着した。

旅のしおりつくり、グループ行動の計画など、出発前からたくさんの調べ学習に協力をしてとりくんできた。

箱根は春夏秋冬、いつも観光客の多いところ、富士山をとりまいてのたたずまいは美しく、自然豊かな魅力の多いところで、旅のコースによく選ばれる土地です。

今年の紅葉は今ひとつ色が感じられなかったが、天候不順や現代の環境問題もちょっとは影響しているように思うところです。

心配もなく予定のとおりに登山鉄道に乗って箱根の山の線や景色を眺め、散策のはじまりの途中、まさかの車内アナウンス、「強羅方面、ケーブルロープウエイが本日、強風のためにストップ」とのこと。

さあ大変、予定変更でグループリーダーの動きがあわただしく、どのコースも新しい体験があったことでしょう。
予定の変更は、学校ばかりではなく、観光客や一般の人の流れも大きく変わって、バスなど身動きできない程の満員となった。

確かに山の上は強い風だが、仙石原のすすきなどはその風で美しい銀色のじゅうたんにも見えた。

高原ホテルでは、楽しい夜と食事ができたと思います。
予定変更もまたひとついい体験でした。

二日目は、雲ひとつないすばらしい天気で富士の山他、箱根のけしきがこんなにくっきりときれいに見えたことはない。
大感動でした。

フィールドセンターでは溶岩樹型を中心に熱の入った説明の中、大変いい子どもさんたちですねとほめられながら一時間の予定が二時間以上の大勉強になってしまった。

そのあとは、昼食から大いそがしの中で、到着は遅れましたが、思い出多く無事に帰って来ました。
二日間、大総っ子のうしろ姿を見ながら、またひとつ大きく成長の場面を感じさせてもらいました。


以上が先生の文でした。

先生が生徒達との修学旅行をほんとうに楽しそうに語り、書いています。途中のハプニングにもめげず、それを逆に愉しんでしまうような先生と生徒の様子が目に浮かぶようです。今回は楽しくて、そして修学旅行の光景が目の前に広がるような先生の文章でした。

 

2020/08/29

【南先生の玉手箱_0022_先生が描いた研修資料の表紙イラストについて】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は先生が「紙面研修」として作成した資料の表紙イラストと、そのイラストについての先生の文章です。
平成17年5月3日の日付が記されていました。
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以下、先生の文章です。

『表紙のイラストについて』

形をくずしておもしろい絵が描きたい、ピカソ、岡本太郎、ミロなどの絵を見ながらちょっとまねをしてみたくなる。ことがある。

この表紙のイラストも自分のオリジナルではなくてアイデアをもらって彼らの作品の一部をとり出して描かせてもらったものだが、まねをしたつもりでも、その線や形の切れの良さ、イメージの新鮮さからは、ほど遠いものになっている。

同じに描こうと思っても、同じ雰囲気にならない。
何かちょっと似ていてもまったくちがうものであって、本当に不思議なものだ。
そっくりに描いたとしてもコピーと本物のちがいは大きい。

興味をひかれながらも何か自分らしさをストレートに表現しなければ自分のイメージになってこないもので、あたりまえのことなんだが、いつも新しく何かもっと素直に表現したいと思うばかりで、進歩しない自分がここに居る。

よく抽象とか、おもしろい線や形に興味をひかれるのだが、その前にもっとよくものをみて、しっかり描いていきたいと思ったり、いつも迷いながらの自分が居る。


以上が先生の文でした。

先生と初めて出会った中学生の時に見た絵も、今同様独特なものでした。
きっと、そのときも先生はいろいろな画家の絵を見ながら、自分の線と形を求めて試行錯誤していたのだと思います。

私が30代になった時に、ふと先生を思い出して、当時先生からもらった暑中見舞や年賀状に描かれていたイラストをまとめてスキャンして、先生に二十年ぶりくらいにお手紙を出したのが今のおつき合いの始まりとなりました。

そして、今や、その先生の現役時代に作った資料、メモなどを活字化する作業を生徒として楽しみながらやっているわけです。
・・こんなことになるとは思わなかった…σ(^_^;)

ではまた次回!

 

2020/08/04

【南先生の玉手箱_0021_魅力ある学校とは】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回の資料には日付が書かれておらず、たぶん平成16~17年頃のものではないかと思われます。
「魅力ある学校とは」という一文です。


以下、先生の文章です。

『魅力ある学校とは』

昭和44年の春から、あれから春が、また秋が流れて、三十数年月日は流れたが、自分という人間も学校に通ってくる児童生徒、そして地域も環境も、見ため姿は大きく変わったようでも本質は変わっていない。

どんな思いで教師を続けてきたか、それぞれの職場で何を学び、感動したか。

昭和44年春、時は3億円事件のあと、当時、ちょうど事件のあった国分寺方面、鷹の台と言うところに下宿をしていたこともあって警察の取り調べがあった頃。
自分は学校卒業後はアルバイトのサンドイッチマンを続けながら東京で絵を描き続けたいと考えていたところ、教員採用合格と親の意見もあって、千葉市でスタートした。

千葉でも田舎の学校(誉田中)で、上司、仲間、そして地域の方々に支えられて、美術教師として楽しく過すことができた。
新卒の頃、3年もやっている先輩を見る時、よく長いこと続けているなあと、まるでいつも明日はやめてもいいような気分で自分のやりたいことを中心に活動させてもらったことが、今ふりかえる時、ありがたく、何かの折に発想の原点になっている。

美術室がないところ、学校の廊下をふさいで準備室にしたり、空き教室、ボロ校舎に生徒を集めてグループ制作など、大きな仕事もとりくんだ。

放課後は、日が暮れるまで美術室で制作の続きをやる生徒がいた。

自分の美術の時間と、道徳、学活、他の先生の時間ももらって、春や秋は外に散歩に行く。
クラス全員、時間を忘れて昼すぎて学校に帰って給食のあとしまつに迷惑をかける。
そんなことのあとも担任としてひどく叱られた記憶はない。
考えてみるに、その時の校長、主任の先生などには心配をかけたことと思う。
今は思ってもなかなかできないように思う。

正月には急な話しで、初日の出を見ようと大網街道を海岸まで夜中いっぱい歩いたこともある。
今そんなことをやれば大変なことになる。

学級や部活動でよく合宿など楽しみの会をよくやった。

学年主任のうしろ姿から、魅力ある教師の一面を学んだ。
主任のクラスの自習時間に顔を出していた時、途中でその先生が出張から帰ってきて、生徒が大拍手。その時、自分自身が小さく思えた。
とても同じような人格にはなれそうもなく、今だ足もとにもおよばないが、時々思い出しては、教師の魅力、子どもから見える教師の姿のあるべき大切な部分を考える時、その先生の言動が思い出されます。

授業でも行事でも、教師自身が嬉々としてとりくんでいる姿・・。


以上が先生の文でした。

この文の中で語られている、先生が教師としてスタートした“田舎の学校”が、私の母校です(^_^;)
先生はそのとき、学校を卒業して数年、若かったのですが、私には40歳くらいに見えました。長髪であやしい雰囲気、ゆっくりと下から湧き上がってくるようなしゃべり方、(^^;)、“ただ者じゃない”と感じたものでした。
まさか、先生が70代半ばになっても生徒としておつき合いし、楽しいやりとりをするなんて思いもしませんでしたが。

きょうはこのくらいにしておきます。
おやすみなさい。

 

2020/07/28

【南先生の玉手箱_0020_視野は広くありたいです】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回取り上げるのは、平成17年5月3日「紙面研修」と記載されている先生が作った手書きの研修資料の中からの一文です。


以下、先生の文章です。

『視野は広くありたいです』

ひとつものごとを考える時、いろんな方向がある。
自分から見えていることを、自分を中心に考えていくことは普通であたりまえのことです。
学校では望ましい個や集団をつくる、育てていくため、特に義務教育の畑では発達段階のちがった個が、それぞれの個のちがいをぶっつけ合って、望ましい方向に磨かれて、社会人として卒業していく。

入学や卒業は誰もが通る人生の大きな節目であり、その間にいくつものドラマがある。

ひとりひとりの個のちがいが、ぶつかり合って成長し続ける。
個人を尊重することはあたりまえのことだが、集団に暮らす中では、社会、お互いに存在を認めること、共に暮らしていくために必要なルール、他者への思いなど、与えられた机上の知識の他に共に考えていく学校生活、集団で身についていくところが多い。

勉強ができる者、できない者、何かに早いこと、遅い者、また強い者、弱い者など、金子みすゞのみんながちがってみんないいでもないが、お互いのらしさが大切に育まれていかなければならない。

気持ちの強い子はいいかも知れないが、自分の存在が認められないままに、こうでなければいけないと言う方向、目的ばかりで育ってしまうと、大変なことになる。
このあたりまえのこと、いろんな方向からものごとを見る、考えることの重要性を大人側が分かって、子どもに接していかなければいけない。

お互いに個人の持っている可能性には限りないものがある。
特に子どもの時代にそれがつぶされないように育ってほしい。

このようにしたいと言う願いが一番優先される中で、がんばることに、命の意味がある。
それと、誰もが分かっていることなのだが、知識の量よりも、興味や関心のほうが大切。
知っていても、何の役にも立たないことがたくさんある。
人間が先、点数はあとと言いますが、人つくりが一番。
その望ましい個人は多くの他者とのかかわりの中から育っていくものです。
人生いろんな見方、考え方の中、気をつけなければいけないのは、こうでなければと決めつけないこと。
そう思いながら、自分自身よくものごと批判する中で話題にするものの、できないことばかりであります。


以上が先生の文でした。

この先生の文は“あたりまえ”のようですが、自分が小中学生の頃に一番悩んだことかもしれません。
「こうでなければ」と思い込んだり、「こうでなければいけない」と言われたことも何度もあったと思います。
先生の文章を掘り起こしている中で、また大切な考え方を再認識いたしました。


【Now Playing】 Oh! Lady Be Good / Lionel Hampton & His Just Jazz All Stars ( Jazz )

 

2020/07/23

【南先生の玉手箱_0019_歩かなくなった今・・の話】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回取り上げるのは、平成16年2月9日と記載されている学校通信誌の裏面、新聞に載っていた写真を大きく取り上げての歩くことについての一文です。


以下、先生の文章です。

新聞をめくっていい顔に出会った。
この顔は大平っ子(※当時先生が勤務していた学校の生徒のこと)も同じ、毎朝のように、おはようと元気をくれる子どもは丈夫なもので、風の子としてよくあそび、成長して大人になるんだと思う。

車社会、テレビゲーム中心の動きになってから、まだそれほど年が過ぎていないにもかかわらず、暮らしのリズムの変化から、大人も子どもも、日本人全体的に体を『歩かなくなった今』使う、汗を流す[補足:ことなく]、具体的には、ほとんど歩かない暮らしをしている状況も見られる。

この頃、五感が鈍ることはもちろん、体力・筋力の低下は著しいものがある。
私ごと、体のことを考えて、日に1万歩位は歩くように心がけているが、できない日もある。
20~30年前だったら、暮らしやあそびの中で、日に2~3万歩は誰もが足を使っていたことであります。[注:ことであろうと思いますの意か]

文明とか、便利社会の流れの中で、本来の人間的ないとなみが消えようとしている。
それだから当然のように普通では考えられない行動の変化、気持ちの変化が表面に強く感じられる今の暮らしぶり。

事故や事件、犯罪などにこの歩かなくなったことは大きくかかわっているのではないかと思います。


以上が先生の文でした。

読み終え、掘り起こしを終え、あらためて先生の“歩くこと”への考え方がわかります。
現在、70代半ばの先生、まだ毎日夜8時から9時頃にかけて家の周りを歩いています。
歩きながら私に電話をくれることもあります。
歩いていて、町の人たちに話しかけられ、私との電話の最中でも、互いに声をかけている様子がよく聞こえてきます。

たいしたものです。
すでにこの時点で私は先生に負けている…σ(^_^;)

きょうはシンプルに「歩くこと」についての一文でした。


【Now Playing】 I Think You Know / Mike Melvoin With Charlie Haden( Jazz )

 

2020/07/13

【南先生の玉手箱_0018_年末の「干支のイラスト」配達作業】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回取り上げるのは、平成18年1月10日と記載されている学校通信誌「らくがき」からです。


以下、先生のらくがき文です。

年の瀬にゆく年をふりかえって新しくやってくる年に思いをつないでいく、みなさんの年末・年始はどうでしたか。

私ごと、この十数年ほとんど同じ暮らしのくりかえしで新年をむかえている。
暮れの29日~30日頃になると、近所、町内、知人の家にやってくる年の「干支のイラスト」を持ってのあいさつまわり、まあやらなくてもどうでもよいことなんだが、面倒でも大変でも、習慣としてこだわりの自分行事であります。

これもはじめの頃は、全部手書きで二~三十軒位だったものが、百軒を超えるとのんびりとはいかず、かけ足のひと時だけの宅急便のようになっている。

毎年届けに行くのを楽しみに待っていてくれる人がいるから続いているのかも知れない。
まわりながらちょっとひと言の会話の中にその人となり、又今年一年の人間模様や環境の変化、また地域の変化など肌に感じながらの配達作業です。

お互いに良かったこと、大変だったこと、一年365日いろんな体験や身のまわりの変化の厳しさもある。

家の仕事も手ぬきをして勝手に地域をひとまわり、勉強でも仕事でもないが、何かこれも年のしめくくりにやらなければと思うこととして続いていくものが年に一度の会話の人も多く、歩く年賀状のようなものでもあります。

 

 

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以上が先生の文でした。

私も先生から何枚か上記の「干支のイラスト」をいただきました。
ファイルに保存しているものもあれば、上記写真のように額に入れ、自宅階段の踊り場に飾ったりもしています。

当時の先生は、数多くのご近所、知人、友人に“足で”配達しながらそれぞれの方々とお話をしていたのだと初めて知り、驚きました。
これはなかなか出来ることではないですよねぇ、やはり先生すごいっ!

また、年末に横芝光町のギャラリー「笑虎」での個展が開かれれば、そこで先生の「干支のイラスト」がいただけるかな?(*^_^*)

 

2020/07/08

【南先生の玉手箱_0017_ラジオで聴いた寺内タケシ氏の言葉から】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は平成19年3月22日と日付けの入った学校通信誌からです。


以下、先生のらくがき文です。


車で移動中によくラジオを聞いています。テレビなど画面を見過ごしているよりも何か見えないものを想像する、考えることが多く、またラジオの中から耳に入るお話しやメッセージなど大変勉強になることが多いです。

みなさんほとんどの人が知らないと思いますが、今68歳くらい、エレキギターの神様と言われてきた寺内タケシ、外国ではベンチャーズ、ビートルズにちかい時代、学生の頃から好きでよく聴いていました。

寺内さんが冗談のように、今思うこと、「ギターは弾かないと音が出ない」あたりまえのことのようで、何ごともやらなければわからない。
また、やってみなければ先にもあとにも、進まない。
そのとおりだと思います。

それから、ものごとこうでなければいけないと決めつけている自分の考え方や発想も時にくずしてみる、角度を変えてみることなども大切かと思います。

音楽なども譜面や楽譜がないとできないものではありません。
むしろ、時に譜面がじゃまをして自分の良い部分が出せない、ジャズなどは特にそう思うのですが、リズム、曲想、その曲のイメージがいろんな方向に変わって流れていく「アドリブと言います」この曲想の流れの変化は演奏者が自分でつくって流れていく、そしてメンバーの気持ちのやりとりで途中に演奏の主役も変わって、また本流と言うか、その曲の流れにもどってひとつの演奏がおわっていく。

お互いが曲想をくみたてて進めていく。絵画、彫刻、デザイン、文字や作文など、みんな同じことが言えると思います。

基本的に譜面がなければわからない、道具の使い方や書き方がわからなければ、作品つくりは先に進められないのですが、入り口から奥は無限に広く、限りなくたくさんの入り口も出口もある。

まず思うこと、感じることを表現してみよう、すべてのものの基本的姿勢にかかわる〈切れの良いひと言〉ドライブ中にハッと気がついたラジオとの出会いでした。

「エレキギターは弾いてみないと音が出ない」何もわからず感動していない大人たちがそのギターブームの時代にエレキなどギターを持っているだけで不良少年とか言って子どもや若者からギターをとりあげ、感性を否定していた。

そんな時代があったのを思い出すと共に、今、大人側にある自分たちの感性にことを置き換えて、子ども時代や若者たちの中に輝くものや、夢をほりおこしながら、かかわっていける自分たち大人でありたいと思うこの頃です。

「寺内タケシとブルージーンズ」今どんな名前になったか?世界中演奏ツアーでまわっている様子です。
中学、高校方面もたくさん入っているようです。


以上が先生の文でした。


ラジオから受ける影響については、私も常日頃感じているところです。
それに、テレビと違って、送り手(パーソナリティー)と受け手(リスナー)の距離がとても近いと感じることがよくあります。

また、寺内タケシさんの音楽から派生して先生が書かれた「譜面がなければ出来ない・・なんていうことはない」という話。
ビートルズのメンバーも譜面が読めなかったし、先生の言うように、ジャズなどは譜面どおりに演奏したらちっとも面白くないわけで、音楽の感じ方、演奏の仕方についてもあらためて感じることがありました。

今回は、ここまで。
南先生の文章掘り起こし作業、17回目にもなりました。まだまだいけそう(゚ー゚*)。oOです。

 

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