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2022/07/03

【南先生の玉手箱_0045_地域のたたずまいに思う】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
先生からお借りしている資料に日付が入っていなかったので、今回のものが書かれた年代は不明です。
先生が身近なところの不法投棄や、生活ゴミのことについて書かれています。


以下、先生の文章です。

《地域のたたずまいに思う》

今にはじまったことではないけれども、身近に路肩など、あきれるほどの不法投棄や一般の生活ゴミが目につく。

つい先日、各地方をまわる業者の人との雑談から、千葉県(所によってのちがいもある)特にこのあたりは、路肩に環境ゴミが目につきますねえと、そう言えばよその地域でもよく目にするものの、日頃用件あって移動中、私の家のちかくでも、市役所通りなどで、かなりひどい状況がある。

そんなゴミの多い場所に環境美化やゴミ捨て禁止の看板ばかりゴミのように目につくのも何か変なもので、看板やスローガンを設置するのもいいが、日常活動として自分たちの暮らす地域の環境美化に手を加えたいものだ。

環境ゴミは捨てる側に責任があるが、その地域に暮らす住民の意識による問題も大きいと思う。

ゴミを捨てない、町をきれいに、など、その意味を知りながら具体的に実践できない大人が増えている。

先日、郵便局に通信の用件あって、局内に駐車したところ、帰る時にさっきはなかったと思うコンビニの大きなビニール袋いっぱいの食べカスが捨ててあった。
おそらく郵便局に来て、用件の途中に投棄したものと思う。

このような一瞬の出来事が山のようにあっちこっちでふくらんでいるのだと思う。
捨てる側は捨てられる側のことを考えない。時に田んぼや畑の中に危険ゴミ、ビン、ガラスまで見ることもある。

ドライブ移動中、旅先、散歩中に目に入ってくる各地域のたたずまいを見ると、その地域の暮しの様子、人間模様が感じ取れる。

先日は、農業用の水路がゴミで流れないどころか、ゴミ袋などで水の流れが見えない地域を通り抜けた時にふと思った。
この道路沿いの人たちの暮らしぶりは、きっと家の中ではオール電化など快適に暮らしているかもしれない。


以上が先生の文でした。

最近、先生と電話でお話ししていても、この文と同じようなことが話題になります。
たぶん、上記文章は20年以上前のものだと思われるので、世間の状況はまったく変わっていない・・というか、ますます悪くなっているな、と思いました。

公園のベンチや、電車ホームのベンチで飲物を飲んでいた人が、飲み終えると(・・終えていない場合もある)、すぐ30㎝横にビン・缶を捨てるカゴがあるのに、そこいらの地面に置いていってしまいます。

駅のトイレなどにも、洗面台や小の便器の上の部分などにビン・缶・コンビニ袋に食べ残したものなどを置きっ放しにしているのを見かけます。

自分の部屋でなければ、どこにでもゴミを捨てるのでしょう。
そんな人が多すぎる。でも、注意したら殺されてしまうかもしれない・・。

先生のゴミのお話から、私もいろいろ現在の状況について考えました。

 

2022/06/14

【南先生の玉手箱_0044_はじまりと終わりをふりかえって】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
久しぶりに作業の続きに取り掛かりました。
今回は、先生が教師生活の晩年に教師として最初に赴任した学校から管理職になったその時の“現在”までをふりかえった文のようです。


以下、先生の文章です。

  特色ある学校・地域とのかかわり
《私ごと、はじまりとおわりをふりかえって》

S44年から37年、千葉市立誉田中学校、「松の並木や杉木立、麦のほなみに風わたる」・・校歌のとおり、自然豊かな農村のたたずまいの中にあって、発展的な学習とか、授業や行事に、子どもが意欲的にとりくむ工夫、あたりまえのこと、教師が楽しいと思う内容を展開するために、日々の教材研究、時間を工夫して校内・近隣の仲間との実践・雑談の思い出がある。

学校では、日々先輩のうしろ姿、言動の中、学ぶ場面が多かった。

千葉いずみ自然公園ができた頃、教科とのかかわりもあって、写生会、遠足など時間をかけて元気とゆとりが思い出に残っている。

公園の樹木は、今はだいぶ大きくなっている。交通量が少ないこともあったとは思うが、学校から夜間歩行、ひと晩かけて、市原、土気、ぐるりひとまわり、印象に残っている。

地域の自然に触れて、四季折々に半日から一日、近所を散策するなど、今考えてみれば、ゆとりがあった。やりたいことができた。

美術、道徳、学級活動などをまとめて学級のとりくみに工夫ができた。
その日の午後は続けて他の授業をいただいて、学級相撲大会、学期末新番付表の作成など女子も気合いを入れて盛り上がっていた。

一日学級の時間で過した思い出もある。
大規模校、町中中心校の時代も長かったけれども、退職前の3年間、山武郡横芝町立大総小学校で、自然と人気に恵まれた中、管理職時代として地域、児童から多くを学んできた。

立場は管理職であったが、美術、図工畑で、興味・関心の中、授業や行事に児童と共に多くを体験させてもらった。

地域に、生活科などPTA他大変お世話になった思い出が多い。
子どもたちとは、登下校を共にする中で、自然や動植物に触れて、私よりもよほど基本的に自然や命の不思議に目をむけながら知識もある。
そんな中で地域・児童の能力可能性など大切な勉強を共にさせてもらった。

日頃、教師や大人側が一方的に教えている方向や内容とは別のところで学びの基本はすべてに興味、関心、教わる側の主体性の中に大切なことが育まれていくことをたくさん教えられた。

私たちは、教育活動を進める中で、地域にもとより存在する教育力や、それこそその地域にある特色に心をむけるべきと思う。

今になっては、すべてがとりかえしのつかないことばかりだけれども、現場の日常が望ましい人つくりに日々新鮮であってほしいです。


以上が先生の文でした。

先生の最初の赴任地は、私が通っていた中学校で、そこで先生との出会いがあり、今に至り、こうして先生の現役時代のメモや資料を貸していただき、このブログに掲載するという・・長い年月を経た物語のようなことになりました。
私も感慨深いです。

 

2021/09/22

【南先生の玉手箱_0043_転校生を見ていた担任の話】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回取り上げる文には、「年」が入っておらず、2月19日、20日と記載されているだけでした。文面から推察すると、どなたか担任をしている先生の文を引用して、その上の立場から書かれたもののようです。


以下、先生の文章です。

◎2月19日(月)6校時、道徳の時間に2人のあゆみノートを読んでやった。
ひとりは級長、もうひとりは転校生で給食をひとりでポツンと食べている子ども・・・。

ひとりでポツンと食べている状態が2週間ほど続いて、おかしいなと思っていた。
そして誰かが何か行動をおこすのを待っていた。
私は待ちきれなくなって級長を呼んだ。どうなっているのか聞くと、何回さそっても一緒に食べようとしないとのこと。
・・どうしようかと迷う級長のあゆみノートに何度もさそっているのだけれど、ということが書かれてあった。

そこでとって返したように転校生のあゆみノートを読んでやった。
その内容は、昔がなつかしいとのこと〈青森の仲間はみんな個性があって、のびやかだった。もう一度もどりたい云々〉であった。

人はみんな過去を美化する傾向がある。
私は私のあゆみノートに対する返事も含めて読んでやった。
〈今現在を一生懸命生きて、そして未来につなげる。このほうがよっぽど夢がある。〉という話しをした。

みんな今を一生懸命生きよう!!
これが子どもたちに伝えたい私の願いであった。

転校生もこんな思いをしていることを知らせると共に、みんなが考えられる場面をつくった。
この転校生は忘れもののない日がないくらい多く、生活面に問題も感じているが、感性は確実に育っていることが確認できてうれしく思う。

転校生をみんなの前で認知させると共に、みんなで今のことを考える・・・。

また今日一日が終わった。あゆみノートが私の財産であるということを確認し、明日の給食の時間にクラスのみんながどう動くのか。一緒に考えようと思う。

また今日がはじまった。子どもに私自身が高められる。明るくのびやかなA組でありたいと願いつつ出勤する。

◎2月20日(火)興味深く、給食に行った。
私もいつものように片手にあゆみノート、片手に今私の読んでいる本を持って、さりげなく、あくまでも普通をよそおって教卓についた。

さて、昨日の問題を子どもたちはどう考えたのだろうか。
あゆみノートを書きながら子どもを観察する。
今日は子ども達が問題意識をもって実行にどううつすのかの場面である・・・。

ところが・・私の心配をよそに、じつに“あっけらかん”と級長の班で一緒に食べているではないか。

子どもの復元力と言うか、素直さと言うか、協調性と言うか、何と表現したら良いのか分らない喜びと、おどろきがあった。

子どもとは、こういうものだということを肌で感じた。
子どもらに高められながら、自分り教育観に自信を持って、また明日も楽しく頑張りたい!!

以上、ある担任の生活メモ(記録)からの抜粋である。

〈自分から悪くなろうとしている子はいない〉

みんなで共に本当の子どもの声が聞こえる自分になりたいものです。

以上、今年度最後の玉手箱でした。

〇ヨレヨレな文字で、まちがいも多く、細かな配慮も欠けた週報で、大変ご迷惑をおかけしました。みんなで頑張ろう!!と言う声が聞こえます。
お互いに持ち味を生かして、生き生きとした横中にしましょう。


以上が先生の文でした。

実際に学校の現場で起きていることが臨場感をもって書かれているもので、それについて先生がコメントしているものでした。
この文中に「玉手箱」という表現があって、私がこのブログのカテゴリー名に『南先生の玉手箱』と付けたのですが、先生ご自身も使われていたことを発見して、ちょっとうれしい気分になりました。

 

2021/09/08

【南先生の玉手箱_0042_H15.6.12第一回同一研修会造形部会と書かれた文中の“らくがき”】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成15年6月12日と記された「第一回同一研修会造形部会について」と書かれた文です。
※造形に関する研修会について書かれたもののようですが、建築家、安藤忠雄氏と作家・精神科医のなだいなだ氏の新聞記事や雑誌らしいもののコピーが添えられていて、それについても最後でふれています。

あいかわらず、ぐるぐると回転して文字が書かれているので、ものすごく大変ですが、チャレンジしてみます。


以下、先生の文章です。

H15.6.12 第一回同一研修会造形部会はこのところ気軽にとりくめる実技研修を実施してきている。
夏などもスケッチ研修などを計画している。
希望研修に無理な人集めはよくないことだが、できるだけ都合をつけて多数参加してくれることを期待している。

日々子どもたちと楽しい造形活動を進めていくためには教師側の主体性はもちろん、表現することに積極的にかかわって、共に共感できる場を大切に、忙しい中でも表現にかかわる時間をつくってほしいです。

小教研の部会も参加者が多すぎると教材の準備や場所の問題など悩みもあるのですが、今回も40名位だったが、ちょうど教室いっぱい、名簿上は60名位でも都合で参加できない人がいるために何とか全員が楽しく体験することができている。

実技研修は、人数が少ない程に内容は充実する部分もあるのだが、都合がつかない理由を耳にするたびに、気になることがある。
自分は参加したいのだが、来られないとのこと。
今日も用件があって来られません、又、はじめの会がおわってすぐに帰らなければと言う人もいる。

お互いにそれぞれ仕事や問題をかかえて暮らしているのですが、こちらからこうしてくださいと言うことはできない。
小教研に限らず、特に研修を通して自分が変わっていくためには、あたりまえのことなのですが、本人の主体性、気持ちの問題だと思っています。
図画、工作ばかりではないでしょうが、日頃楽しい表現活動にとりくむために、教師自身が楽しく表現にかかわる意識がすべての基本、原点だと思います。

今日は版画の研修2時間で刷りまで完成させる。できれば下書きなしでいきなり彫ってください。
講師の先生の言葉「考えていないでとにかく何か彫るのです。うまく彫ろうなど考える程できません。うまくないほうがいい作品ができる。大きさも自由。今日はハガキ大くらいのベニヤ板だが、1メートル以上の大作だって同じです。大きく彫ればいいのです。道具だって特別に版画のインクを使うより、みんながよく使っている墨がいいのです。」など雑談をしながら早い人は30分、みんな4時にはできあがり完成すりあがりの時のいい顔はいいものです。

表現にかかわることは、教える以前の基本なんですね。
ちょっと近くの人と雑談をしながらの版画の実技研修、小さいけどみんな額ぶちにでも入れると立派な作品です。
私はこのところ顔とか、人物の形のおもしろさなど、少し続けてみたいと感じています。
この年になって形はくずしたほうがおもしろいので、気がむくようにらくがきのような仕事をやってみたいと思うこの頃です。

ことによると昨年、青山の岡本太郎記念館に行ったからかも知れません。暮らしの中に人生新しい出会い、きっかけがたくさんあるので、日々むだ話しも含めて目の前にあるもの、又、出会いに関心を持ってかかわっていきたいと思うこの頃。
できるだけ変な絵を描いてみたいです。

今日、小教研に出かけるちょっと前にこれ読んでみないかいと手渡しされた2~3枚のコピー、えらく勉強になったと言うか、ほんとうにそのとおりだと思いながら、家に帰ってもう一度、いや、何回も読んでは、ひとり納得したものですが、みなさんはどんな感想を持ちますか。


以上、先生の文でした。

先生の特異な文の書き方全開で(T_T)、くるくる回り、らせんを描きながら、文字まで上下左右くるくる回り、さらに途中から右から左への文が突如として左から右に向かって書かれていたりしました、ほんとうに死ぬほど疲れました。

この“くるくる文章”については、「読んでもらおう」という意志がほんとうにあるのかと、悩みましたが、“それでも読もう”という人に向けて書いていたのか・・、身体がバラバラになるほど消耗しました (・_・;

 

2021/08/31

【南先生の玉手箱_0041_月に一度届く情報誌からの“らくがき”】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成15年2月27日の日付が入っている「らくがき 号外45」と書かれた冊子からの文です。
これが、先生得意の文字をくるくる蚊取り線香のように回しながら書いてある原文でして、何度読んでも、そのぐるぐるが追えず、数時間かけましたが、気持ちが悪くなってしまい、きちんと読めない。そんなこんなな中で、とりあえず掲載します。


以下、先生の文章です。

月に一冊届くうすい雑誌がある。教育関係他いろんな情報誌。時々、偶然めくったページにそうだそのとおりだと思うことや感動することがある。

毎日暮らしの中でたくさんの出会いがあるのだが、なかなかゆっくり考えたり話題にすることは少ない。
何か大切なことだと思っても、日々の流れの中でいろんな問題が意識の外に消えてしまっている。

それどころではないと言う暮しのリズムに問題が多い。
ゆっくり立ちとまってと思いながら、なかなかできない状況ではあるが、人に限らず生きることの意味について、現代の社会構造をつくって暮らしをリードしている大人社会にとって、日々子ども側からのメッセージに本当に対応しないと大変なことになる。

大変な状況をつくりだしている大人側の責任について、環境問題、命の問題など、誰もが同じ地球に住む、それこそバリアフリーの本当の意味をただ頭の中での知識理解だけではなくて本当に実行していくべきことなど、現代は特に危機的な状況あることについて本気でかかわりたい。

又、何か小さなことでも実行していかなければと、みなさんもきっと同じことを理解してくれるはずです。

お互いに生きている今、習慣とはおそろしいものですね。
あたりまえと思っていることの中はたくさんの問題が含まれていること、口でいうはできても実行できないことがあまりにも多い現代に、そう言えばどこかでニュースか何かで聞いたような、今日の雑誌の中にあったこのすばらしいメッセージ。

そして私たちは大人として特に責任があること。今実行しなければとりかえしのつかない状況にあることなど、そんなこと言われなくても分っているって言わないで何とか具体的行動をしていきましょう。

学校でも子どもたちは日々たくさんのサインを出しています。
まず今、目の前の子どもを最優先したいと思うことが多いです。
ECOの意味さえ知らなかった私です。


以上、先生の文でした。

悪戦苦闘でした。“クル・クル・クル・クル”文字が回転して書かれ、何度見てもどこがどこに繋がっているのかわかりません。
何時間掛けても繋がりがわからず、仕方なく写真のように赤ペンで渦巻き状に“なぞり”なんとか繋がりまではわかるようにしたのです。

したのですが、今度は句読点がほとんどなく、文の意味を理解することができませんでした。
さらに漢字も平仮名も、くしゃくしゃっと書かれていて判読が難しい・・ (・_・;
また、関係ないところで文字空けがあったりもして、頭の中が滅茶苦茶になり、苦心惨憺でした・・今までで一番・・。

なんとか活字化しましたが、たぶん30%くらいはきちんと出来ていないと思います。
力尽きました。

 

2021/08/24

【南先生の玉手箱_0040_ 渡辺貞夫再発見 音楽演奏はうまくても感動はない】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成15年6月12日の日付が入った「紙面研修」と書かれた綴りの中にあった一文のご紹介です。


以下、先生の文章です。

テレビでやっている人間ドキュメント、偶然に見た人が感動をして話してくれた。
内容が Jazz 若手ミュージシャンを育てるジャズ・ライブ・ツアーで、リーダーはあの渡辺貞夫。

サックス奏者として国際的にも有名な彼だった。
外国ものばかり聴いている中で、時々弟の渡辺文男氏はカルテット、又はクインテットでよく聴きに一宮ライブハウスに行ったものだが、兄さんのサックスについては、私ごと、あまり興味を持っていなかったのだが、この番組の録画テープを見せてもらってびっくり。

知らなかった。彼のすごさの一面を見せてもらった。
本物つくり、若手をしっかりと育てているビッグスターであること、日頃知っているつもりで理解していないことがたくさんあるものだ。

70歳過ぎた渡辺貞夫が、17歳・高校卒業の横山君とか言う青年を連れての演奏ツアーにでかけた時の様子を45分番組構成で見せてもらった。
他のピアノとベースのサイドメン二人は30歳くらいのプロである。
ジャズは特に譜面があっても、ないような、むしろ譜面のとおりではほとんどの場合、感動はないものです。

でも、これはジャズ以外でも同じことだと思っています。!
小学校時代からジャズドラムを叩いていたようで、自分でできる曲が2000曲以上あるとのこと。
レパートリーひとつとってみても、これは天才と言ってあたりまえで、本当にすごい男、又ジャズ界では宝ものであるにちがいないと思う。

全国ツアーの出発から録画がはじまった。
プロとはじめてのリハーサル、譜面的に考えれば何の心配もなくできるようなものと思うのだが、それがダメと言うか、どうにもならない。おまえは考えてばかり、またリズムをきちんと叩くばかりで。何の感動も伝わって来ない。

まいったなあ、今日は最悪だよなあ、もっと考えないで自由に大きくゆったりと、又、詩文で歌うように愉しくやってくれよ。
メンバーお互いが、曲の雰囲気を盛り上げるってことなのかも知れない。

いくらうまく叩いたってそんなのは何にもならないんだから、もっとステージの上で自分が生き生きと気持ちを開いて裸にならなければダメだよ。

頭じゃなくて、心のことか、とにかくきちんとリズムをとっていても、どうにもならない、よく言う言葉だが、自分なりのアドリブ編曲ができなければ、そしてメンバーお互いのかけひき、まあ言葉では説明できないところであるから、本人が体で感じとる問題であります。

さすがだと思いました。
全国ツアーのおわりの頃、やっと横山君の顔が明るく、ステージで気持ちよさそうに叩ける部分が見えてきた。
もちろん、同じ曲でも見ちがえるように内容が充実してきた。

聴く側もそれが分らなければ、他人の演奏についてどうのこうのと言えるものではないが、音楽の良さは特にライブにあると思っている。
スタジオ録音のものにはあまり興味がない。
ライブの中の生き生きとした盛り上がりと、メンバーの気持ちのやりとりがたまらなくいいものである。

あと10年?横山君はすごい男になると思う。


以上、先生の文でした。

私と先生の共通項のひとつに、“ジャズ”というキーワードがあります。
だから、今回活字化した文については、なんだかよくわかりました。
特にジャズって、「譜面」があったとしても、あまり大事じゃないんですよね。
アドリブもあるし、譜面の“行間”の演奏を聞くのもひとつの楽しみです。
そんなことについての、先生の感覚がわかる文章でした。
そして、渡辺貞夫さんについての再認識も。

2021/08/16

【南先生の玉手箱_0039_五十二年間を振り返ったあとのまとめ 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
このところずっと、平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から抜き出して作業をしてまいりましたが、今回はその冊子の裏表紙に書かれていた「まとめ文」のような文章を活字化いたしました。


以下、先生の文章です。

好きです、長南。
自然環境に恵まれている地域に育つ子どもたちも幸せだと思います。

長南町には、暮しの原点がたくさん残っています。
いつまでも大切にしてほしいと思います。
今、人としてあたりまえであったことが大変な世の中になったように感じることが多いです。

自然環境に限らず、生活環境、社会構造など広範囲に、今、大人側の責任を感じるこの頃です。
今年は52歳、我々団塊の世代の責任も大きいと思っています。
子育ては自分の育った時のことなど、時に自分自身の昔を素直に思い出して、今も昔も変わらない子どもの良さを大切に、良き親、望ましい姿の教師になれるようにとりくみたいと思います。

年と共に子どもに教えられることの多いこの頃です。
今回は、私の自己紹介のつもりでこの資料をつくってみました。

昭和22年3月11日生まれ、ひとりの男の生き方と言うか、考え方や性格など参考にはならないと思いますが、52年間生きて現在までの何かが伝わるかと思って、自分の育ちかたなど人生ちょっとふりかえって書いてみました。


以上が先生の文でした。

やはり五十代はじめの頃って、いったん自分の生きてきた道を振り返るような時なのかもしれない、と思いました。
仕事で言えば、最後の仕上げに突入する頃だし、家族の事もとても大事な時期にあたる頃ではないかと思います。

今回の冊子は、南先生から既にいただいていた資料やメモに追加して割と最近いただいたものでした。
先生の子どもの頃から50代に至るまでの様子を知ることができて、生徒としても色々考えながら書かせてもらいました。

 

2021/08/11

【南先生の玉手箱_0038_自分が自分らしく生きているか考えてみよう 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から抜き出しました。
今回は新聞記事から感じたことを先生が書いています。


以下、先生の文章です。

或新聞、いつも目出しも読まずに、ほとんど積んでおいて、そのうちゴミになってしまう。
もったいない話しだが、おつきあいでとっているもので、他の雑誌や新聞と同じように、いつもたくさんの情報がつまっていても目にすることが少ない。

そのようにして身のまわりには、知らないうちにたくさんの情報が流れています。
情報がたくさん飛びかう中でゴミのような中からも大切な光るものを感じた時など、自分なりにその問題を考えてみたいものです。

日頃は目に見えないベルトコンベヤーの上に居ることを時に意識しながら、自分の足どりや子供の本音が見えるようにしたいと思います。
毎日学校で子どもたちとかかわっていると、一番大切なことは私たち大人側に感性の幅があるかどうかだと思います。

学校教育の基本は、望ましい個や集団の育成です。
家庭教育の柱も同じだと思います。その望ましい形とは抽象的で分かりにくく、教育の内容的なところは、いろんな分野に分かれて子どもと日々かかわって動いているものです。
子どもたちは学校生活でそのいろんなものとかかわって常に自分探しをしているのだと思います。
私たち大人が特に気をつけなければいけないことは、自分の側だけから見た一方的な評価だと思います。

らくがきNo.10 → 実りの秋、命の大切さは自らが生活の中で体感すべきことであります。
そんなことはあたりまえのことなのでしょうが、現代社会の中で自分が自分らしく生きているかどうか、時に立ち止まって考えてみたいものです。

大人も子どもも分っていながら出口がみつからないままに悩んでいることが多いと思います。
21世紀にむけて個の尊重や生きる力を育むなど、各方面から教育方針が発表されています。
そのような中で、教育用語だけがひとり歩きをして、学校の中が本当に個性をみつけて子どもたち一人一人が生き生きとした教育活動が展開されているかどうか、考えると不安材料が多い現状のように思います・・・。

自分の学校はどうしたらいいだろうか、不安の中で一番確かなことは子どもたちの眼だと思います。
今現在、喜々として学校生活にとりくんでいる東小を原点に職員一同とりくんでいるつもりです。
又、学校は良い意味で本気になってとりくんでいくつもりです。
また本音を伝えてください。

文責:南隆一


以上が先生の文でした。

先生が50代の時で、いちばん教育のこと、子どもたちのことを突き詰めて考えていた時代なのかな、と思います。
そして、ここに書かれていたテーマは、時代とともに変化しながら、永遠の問題となっているのだと思います。

 

2021/08/04

【南先生の玉手箱_0037_生まれて51年 7回シリーズ[7の7] 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から、「生まれて51年」という文を長編なので、7回に分けてのご紹介。
今回は、全7回中の最後、7回目です。
先生が教師としての就職後のことが書かれています。


以下、先生の文章です。

自分は気にしていなかったのだが、えのぐのついた服を着て、学校に行っていたので、PTAの話題になり、あの先生は服がないようだ。校長室に呼ばれて、君、背広はあるかい。
なければ、何とかするよって話し、今になってみれば懐かしい思い出だ。

3年ももたないと思っていた私が、今ふりかえってみると、あれから春が、また秋が、約30年の時が流れて現在に至っている。

今までに職場を共にした仲間で、何人も職を変えた人、不幸にも自殺や病気で命をなくした人など、私にとって印象の強い先生方から教えてもらったことも多い。

今の自分があることは、今までに出会った人たちの影響や力があってのことと、時々感謝をしている。

もうすぐ52才になろうとしている自分であるが、教職生活でもいろんなことがあった。

子どもたちから、「このくそじじい」って言われながら、もうやめちゃおうと悩んだこともあったが、その当時の子どもたちから学んだことが今の自分に大きなプラスになっている。

「おめえなんかに教わりたくねえよ」って言われたことも本当だったと思う。

つまり本音の部分で自分をみつめれば、いつでも自分の生き方が見えてくる。
今まで多くの生徒、児童とかかわって、子どもたちから学んだ部分がたくさんあり、感謝の気持ちが多い。

今、学校で、特に低学年と接していると、全て子どもが善であって、人生の原点を感じる。
人はみんな年と共にこの原点を忘れてしまって、自分で成長したふりをしているように思うことが多い。
我々大人側が時に立ち止まって考えてみたいと思います。

自分の子も、他人の子も含めて人生の後輩に対して、これが正しいって言えることはほとんどないと思います。
大人が自分の背中で後輩を育てていく部分は大きいと思います。
子どもの人生、進路について手をとってリードしてあげることは、はじめから無理があると思います。

人が人に生き方を教えるものではないと思います。
学ぶ側が決めていくこと、このあたりまえの形に大人側がどれだけ自己改革していけるか、どんな形で支援していけるか、いつも本音のところで話しができる自分になりたい。


以上が先生の文でした。

教師として生きて行く中で、悩んだり、こうしていった方がいいんじゃないか、など、苦悩、苦闘している過程も見えました。

先生、大変だったんだ・・と、少し、しみじみしてしまいました。

 

2021/08/01

【南先生の玉手箱_0036_生まれて51年 7回シリーズ[7の6] 】

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私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
平成10年の「家庭教育学級・資料 -家庭における進路指導のありかた-(私自身をふりかえって)」という冊子から、「生まれて51年」という文を長編なので、7回に分けてのご紹介。
今回は、全7回中の6回目です。
先生の高校時代から、大学、就職に至るところが書かれています。


以下、先生の文章です。

今、勉強したくなって定時制高等学校に通っている友人がいます。
これが本当の勉強だと思う。
あたりまえのことですが、親の進路ではありません。私たち親の立場としては、子どもに対して自分の生き方を見せてあげることが一番の進路資料かと思います。

うちの子ども二人[男]、どっちもちがう高校へ行きました。
二人ともすべり止めって、私立を受けました。点数がやさしいとか、入りやすいだけがすべり止めではありません。
又、すべり止めと言う学校はありません。それこそ失礼な言葉だと思います。

どこの学校へ行くかが人生ではなく、その学校で何を学ぶかが大切。これもあたりまえのことですが、学校を途中でやめても良いことです。
息子二人は、時にはつまんないと言っていたこともありましたが、お世話になってそれなりに友人もつくって卒業したように思います。

私は高校生活の中心が、美術部の活動でした。
勉強をしたと言うよりも好きなものにとりくめたことが幸せでした。
卒業後も美術の進路で、国立に入れればお金もかからなかったろうに、自分の力を総合的に考えて、私立の美術学校一本にしぼってとりくみました。

私立大学に入ったことは、親に大変苦労をかけたと思っています。
学生時代は、絵の道具などお金の必要もあって、当時は町にかなりいたと思うサンドイッチマンとそのグループに入れてもらい、毎日、各種、飲食店を中心にあちこち街角に立っていた。

その頃サンドイッチマンを通して学んだ人生勉強は大きかった。
大人社会の裏というか、本当のサービスって何なのか、世の中いいかげんな人だましが多いことなど、人間模様をたくさん見ることができた。

同じ仕事仲間の中で、毎日やっと食べるお金を稼ぎながら作家活動をしている先輩も多く、いろいろと人生観を学んだ気がする。

このアルバイトの関係もあって、よく Jazz Spot への出入りが多かった。
ジャズはこのあと私の人生に大切な部分になっている。
人種差別などとの関係もあって、生きることそのものに大きくプラスの存在になっている。

個人的に世界的なドラマー、エルビン・ジョーンズと会えるようになったことは、人生の宝物だと思っている。
今は閉店したが、東金に Jazz Spot ELVIN と言うすごいジャズ喫茶があったことも忘れられない。

千葉県の教員採用試験を受けたものの、もう一方では、このままサンドイッチマンを仕事に東京で絵を描いていこうと考えていた。

採用の合格通知と親の意見などもあって、自分なりに子どもたちと美術活動を通して、少しかかわってみようと、千葉市を希望して誉田中学校から教員としての人生がはじまった。

はじめの頃、5年も先生続けている先輩を見るとすごいと思うと共に、自分自身はいつやめるか、不安定な気持ちも持ちながらのスタートであった。

夜は、ずーっと徹夜で絵を描くこともあって、遅刻しそうになってあわててバスを追いかけて通ったことが思い出される。


以上が先生の文でした。

ここに出て来た「誉田中学校」が私が中学時代を過したところで、南先生と出会った場所です。
こんなに長い「付き合い」になるとは夢にも思っていませんでした。

また、大人になって先生との再会前に、私が30代半ばからジャズを聞き始めたということが、先生との親交を深めるひとつの要因にもなりました。
お互いにジャズが大好きってことは、いいきっかけだったのです。

先生初めての赴任地が私の中学校だったということは、先生は大学を出てまだ数年の時だったことになります。
長髪に髭の先生は、私にはどう見ても30代後半から40代くらいに見えていました (^^;)

 

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