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2020/09/15

【南先生の玉手箱_0024_散歩】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は先生が「散歩」と題して書いたもので、今回は日付が入っておらず、平成17年~19年の間に書かれたものと思われます。


以下、先生の文章です。

『散歩』

有る休日、用件あって、あっちこっちドライブした帰り道、途中で車から降ろしてもらって、となり町から古い家並みを歩いてみたら、5月なのに真夏の暑さである。

何か天候不順のひと言ではすまされない、地球規模で大変な状況が起きている。
飽食の時代、エネルギーの無駄使いなどがなかなか改善の方向に進まず、乱獲伐採など環境破壊は止らない。

日々便利さ、スピードが優先される中で、時にストップ・ザ・便利を実行していかなければ、人類、大変あぶない状況、すでにとりかえしのつかないところに居るような気がする。

久しぶりに近所でも懐かしい景色を見ながらその地域の家、森や木陰をわたる涼しい風を感じながらこっちに歩いてきた小学生がすれちがいにこちらを見て、こんにちはとあいさつ、こちらも、おー・こんにちは、とひと言返してあたりまえのことだが、どっちも知らない顔、子どもにとってどこかのおっちゃんの私、あいさつがあると思っていなかった。
続いて何人かの子どもや大人とすれちがったが、みんな雰囲気がいい顔に見えたというか、感じる気持ちの問題かと思う。

家庭や学校で地域の人と人とのかかわりについて、できれば安全意識からできるだけかかわらないほうがいいように子どもに話すことが多く、ちょっと話しかけると何か変に思われることの多い時代に、人と人との関係、あいさつや笑顔から望ましい関係や安全がつくられていくのかと思う。

農家の多い、古いたたずまいの中をぬけて歩きながら、現代の暮らしの何か変な部分に対してみんな基本は素直とか、信用することなんだろうなあと考えさせられるひと時でした。

人も物も普通に大切にかかわり合うこと、自分自身の行動について日常できるだけ素直でありたいものです。

特に時代が問題にしている不審者をつくらない人と人との関係をお互いが大切にする地域でありたい。

古い家も多く、生け垣、大きな樹、そして緑の多い空間が何か時間をかけて人の心を育んでくれているように思う。
毎日のようにいろんな安全対策がそれぞれの地域や立場で進められているが、人と人、そして自然と人との関係に思いをよせて望ましい環境つくりに何かできると具体的にとりくみたいものです。

ちょっと前まで普通だった何か大切な関係を切り捨てないように心がけたいものです。

久しぶりに通りぬけた地域のたたずまい、気のせいか路肩のゴミもほとんど目につかなかった。
何か地域の雰囲気を感じさせてもらったが、すぐちかく自分の住む地域でも何かプラスに実行できる自分でありたいと思いながら、約1時間、家に到着した。

時に道草をしながら考えさせられることがあります。

 

以上が先生の文でした。

何気ない散歩の道中に先生が思ったことについて書かれたものですが、もう15年も前から人と人との関係が殺伐としたものに移りつつある状況がうかがい知れました。

今やもっとその状況は悪化していると思います。
それに環境破壊も・・。

ウイルスの感染拡大や、異常な気候、自然災害、どれもが元々は環境破壊という事象にたどり着くような気がします。

散歩途中の雑感のようなものでしたが、考えることは多岐にわたる、と思いました。

 

2020/09/10

【南先生の玉手箱_0023_修学旅行の思い出】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は先生が「修学旅行の思い出」と題して書いたもので、平成18年11月10日の日付が記されていました。


以下、先生の文章です。

『修学旅行の思い出』

朝、気がつくと、雨の音、ちょっと心配しながらも今年はいい天気の予報。
みんなそろって六時半、バスで出発。
昨年は途中雨が続く中でのグループ行動が多かったけれども、がんばって予定全部やることができた不思議と子どもたちのがんばりの姿を思い出しながら、今年も参加させてもらった。

バスは朝からすぐ朝の会に続いて元気な歌声やレク係が準備したお楽しみのバスレクを続けてアッと言う間に箱根の湯本駅に到着した。

旅のしおりつくり、グループ行動の計画など、出発前からたくさんの調べ学習に協力をしてとりくんできた。

箱根は春夏秋冬、いつも観光客の多いところ、富士山をとりまいてのたたずまいは美しく、自然豊かな魅力の多いところで、旅のコースによく選ばれる土地です。

今年の紅葉は今ひとつ色が感じられなかったが、天候不順や現代の環境問題もちょっとは影響しているように思うところです。

心配もなく予定のとおりに登山鉄道に乗って箱根の山の線や景色を眺め、散策のはじまりの途中、まさかの車内アナウンス、「強羅方面、ケーブルロープウエイが本日、強風のためにストップ」とのこと。

さあ大変、予定変更でグループリーダーの動きがあわただしく、どのコースも新しい体験があったことでしょう。
予定の変更は、学校ばかりではなく、観光客や一般の人の流れも大きく変わって、バスなど身動きできない程の満員となった。

確かに山の上は強い風だが、仙石原のすすきなどはその風で美しい銀色のじゅうたんにも見えた。

高原ホテルでは、楽しい夜と食事ができたと思います。
予定変更もまたひとついい体験でした。

二日目は、雲ひとつないすばらしい天気で富士の山他、箱根のけしきがこんなにくっきりときれいに見えたことはない。
大感動でした。

フィールドセンターでは溶岩樹型を中心に熱の入った説明の中、大変いい子どもさんたちですねとほめられながら一時間の予定が二時間以上の大勉強になってしまった。

そのあとは、昼食から大いそがしの中で、到着は遅れましたが、思い出多く無事に帰って来ました。
二日間、大総っ子のうしろ姿を見ながら、またひとつ大きく成長の場面を感じさせてもらいました。


以上が先生の文でした。

先生が生徒達との修学旅行をほんとうに楽しそうに語り、書いています。途中のハプニングにもめげず、それを逆に愉しんでしまうような先生と生徒の様子が目に浮かぶようです。今回は楽しくて、そして修学旅行の光景が目の前に広がるような先生の文章でした。

 

2020/08/29

【南先生の玉手箱_0022_先生が描いた研修資料の表紙イラストについて】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は先生が「紙面研修」として作成した資料の表紙イラストと、そのイラストについての先生の文章です。
平成17年5月3日の日付が記されていました。
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以下、先生の文章です。

『表紙のイラストについて』

形をくずしておもしろい絵が描きたい、ピカソ、岡本太郎、ミロなどの絵を見ながらちょっとまねをしてみたくなる。ことがある。

この表紙のイラストも自分のオリジナルではなくてアイデアをもらって彼らの作品の一部をとり出して描かせてもらったものだが、まねをしたつもりでも、その線や形の切れの良さ、イメージの新鮮さからは、ほど遠いものになっている。

同じに描こうと思っても、同じ雰囲気にならない。
何かちょっと似ていてもまったくちがうものであって、本当に不思議なものだ。
そっくりに描いたとしてもコピーと本物のちがいは大きい。

興味をひかれながらも何か自分らしさをストレートに表現しなければ自分のイメージになってこないもので、あたりまえのことなんだが、いつも新しく何かもっと素直に表現したいと思うばかりで、進歩しない自分がここに居る。

よく抽象とか、おもしろい線や形に興味をひかれるのだが、その前にもっとよくものをみて、しっかり描いていきたいと思ったり、いつも迷いながらの自分が居る。


以上が先生の文でした。

先生と初めて出会った中学生の時に見た絵も、今同様独特なものでした。
きっと、そのときも先生はいろいろな画家の絵を見ながら、自分の線と形を求めて試行錯誤していたのだと思います。

私が30代になった時に、ふと先生を思い出して、当時先生からもらった暑中見舞や年賀状に描かれていたイラストをまとめてスキャンして、先生に二十年ぶりくらいにお手紙を出したのが今のおつき合いの始まりとなりました。

そして、今や、その先生の現役時代に作った資料、メモなどを活字化する作業を生徒として楽しみながらやっているわけです。
・・こんなことになるとは思わなかった…σ(^_^;)

ではまた次回!

 

2020/08/04

【南先生の玉手箱_0021_魅力ある学校とは】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回の資料には日付が書かれておらず、たぶん平成16~17年頃のものではないかと思われます。
「魅力ある学校とは」という一文です。


以下、先生の文章です。

『魅力ある学校とは』

昭和44年の春から、あれから春が、また秋が流れて、三十数年月日は流れたが、自分という人間も学校に通ってくる児童生徒、そして地域も環境も、見ため姿は大きく変わったようでも本質は変わっていない。

どんな思いで教師を続けてきたか、それぞれの職場で何を学び、感動したか。

昭和44年春、時は3億円事件のあと、当時、ちょうど事件のあった国分寺方面、鷹の台と言うところに下宿をしていたこともあって警察の取り調べがあった頃。
自分は学校卒業後はアルバイトのサンドイッチマンを続けながら東京で絵を描き続けたいと考えていたところ、教員採用合格と親の意見もあって、千葉市でスタートした。

千葉でも田舎の学校(誉田中)で、上司、仲間、そして地域の方々に支えられて、美術教師として楽しく過すことができた。
新卒の頃、3年もやっている先輩を見る時、よく長いこと続けているなあと、まるでいつも明日はやめてもいいような気分で自分のやりたいことを中心に活動させてもらったことが、今ふりかえる時、ありがたく、何かの折に発想の原点になっている。

美術室がないところ、学校の廊下をふさいで準備室にしたり、空き教室、ボロ校舎に生徒を集めてグループ制作など、大きな仕事もとりくんだ。

放課後は、日が暮れるまで美術室で制作の続きをやる生徒がいた。

自分の美術の時間と、道徳、学活、他の先生の時間ももらって、春や秋は外に散歩に行く。
クラス全員、時間を忘れて昼すぎて学校に帰って給食のあとしまつに迷惑をかける。
そんなことのあとも担任としてひどく叱られた記憶はない。
考えてみるに、その時の校長、主任の先生などには心配をかけたことと思う。
今は思ってもなかなかできないように思う。

正月には急な話しで、初日の出を見ようと大網街道を海岸まで夜中いっぱい歩いたこともある。
今そんなことをやれば大変なことになる。

学級や部活動でよく合宿など楽しみの会をよくやった。

学年主任のうしろ姿から、魅力ある教師の一面を学んだ。
主任のクラスの自習時間に顔を出していた時、途中でその先生が出張から帰ってきて、生徒が大拍手。その時、自分自身が小さく思えた。
とても同じような人格にはなれそうもなく、今だ足もとにもおよばないが、時々思い出しては、教師の魅力、子どもから見える教師の姿のあるべき大切な部分を考える時、その先生の言動が思い出されます。

授業でも行事でも、教師自身が嬉々としてとりくんでいる姿・・。


以上が先生の文でした。

この文の中で語られている、先生が教師としてスタートした“田舎の学校”が、私の母校です(^_^;)
先生はそのとき、学校を卒業して数年、若かったのですが、私には40歳くらいに見えました。長髪であやしい雰囲気、ゆっくりと下から湧き上がってくるようなしゃべり方、(^^;)、“ただ者じゃない”と感じたものでした。
まさか、先生が70代半ばになっても生徒としておつき合いし、楽しいやりとりをするなんて思いもしませんでしたが。

きょうはこのくらいにしておきます。
おやすみなさい。

 

2020/07/28

【南先生の玉手箱_0020_視野は広くありたいです】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回取り上げるのは、平成17年5月3日「紙面研修」と記載されている先生が作った手書きの研修資料の中からの一文です。


以下、先生の文章です。

『視野は広くありたいです』

ひとつものごとを考える時、いろんな方向がある。
自分から見えていることを、自分を中心に考えていくことは普通であたりまえのことです。
学校では望ましい個や集団をつくる、育てていくため、特に義務教育の畑では発達段階のちがった個が、それぞれの個のちがいをぶっつけ合って、望ましい方向に磨かれて、社会人として卒業していく。

入学や卒業は誰もが通る人生の大きな節目であり、その間にいくつものドラマがある。

ひとりひとりの個のちがいが、ぶつかり合って成長し続ける。
個人を尊重することはあたりまえのことだが、集団に暮らす中では、社会、お互いに存在を認めること、共に暮らしていくために必要なルール、他者への思いなど、与えられた机上の知識の他に共に考えていく学校生活、集団で身についていくところが多い。

勉強ができる者、できない者、何かに早いこと、遅い者、また強い者、弱い者など、金子みすゞのみんながちがってみんないいでもないが、お互いのらしさが大切に育まれていかなければならない。

気持ちの強い子はいいかも知れないが、自分の存在が認められないままに、こうでなければいけないと言う方向、目的ばかりで育ってしまうと、大変なことになる。
このあたりまえのこと、いろんな方向からものごとを見る、考えることの重要性を大人側が分かって、子どもに接していかなければいけない。

お互いに個人の持っている可能性には限りないものがある。
特に子どもの時代にそれがつぶされないように育ってほしい。

このようにしたいと言う願いが一番優先される中で、がんばることに、命の意味がある。
それと、誰もが分かっていることなのだが、知識の量よりも、興味や関心のほうが大切。
知っていても、何の役にも立たないことがたくさんある。
人間が先、点数はあとと言いますが、人つくりが一番。
その望ましい個人は多くの他者とのかかわりの中から育っていくものです。
人生いろんな見方、考え方の中、気をつけなければいけないのは、こうでなければと決めつけないこと。
そう思いながら、自分自身よくものごと批判する中で話題にするものの、できないことばかりであります。


以上が先生の文でした。

この先生の文は“あたりまえ”のようですが、自分が小中学生の頃に一番悩んだことかもしれません。
「こうでなければ」と思い込んだり、「こうでなければいけない」と言われたことも何度もあったと思います。
先生の文章を掘り起こしている中で、また大切な考え方を再認識いたしました。


【Now Playing】 Oh! Lady Be Good / Lionel Hampton & His Just Jazz All Stars ( Jazz )

 

2020/07/23

【南先生の玉手箱_0019_歩かなくなった今・・の話】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回取り上げるのは、平成16年2月9日と記載されている学校通信誌の裏面、新聞に載っていた写真を大きく取り上げての歩くことについての一文です。


以下、先生の文章です。

新聞をめくっていい顔に出会った。
この顔は大平っ子(※当時先生が勤務していた学校の生徒のこと)も同じ、毎朝のように、おはようと元気をくれる子どもは丈夫なもので、風の子としてよくあそび、成長して大人になるんだと思う。

車社会、テレビゲーム中心の動きになってから、まだそれほど年が過ぎていないにもかかわらず、暮らしのリズムの変化から、大人も子どもも、日本人全体的に体を『歩かなくなった今』使う、汗を流す[補足:ことなく]、具体的には、ほとんど歩かない暮らしをしている状況も見られる。

この頃、五感が鈍ることはもちろん、体力・筋力の低下は著しいものがある。
私ごと、体のことを考えて、日に1万歩位は歩くように心がけているが、できない日もある。
20~30年前だったら、暮らしやあそびの中で、日に2~3万歩は誰もが足を使っていたことであります。[注:ことであろうと思いますの意か]

文明とか、便利社会の流れの中で、本来の人間的ないとなみが消えようとしている。
それだから当然のように普通では考えられない行動の変化、気持ちの変化が表面に強く感じられる今の暮らしぶり。

事故や事件、犯罪などにこの歩かなくなったことは大きくかかわっているのではないかと思います。


以上が先生の文でした。

読み終え、掘り起こしを終え、あらためて先生の“歩くこと”への考え方がわかります。
現在、70代半ばの先生、まだ毎日夜8時から9時頃にかけて家の周りを歩いています。
歩きながら私に電話をくれることもあります。
歩いていて、町の人たちに話しかけられ、私との電話の最中でも、互いに声をかけている様子がよく聞こえてきます。

たいしたものです。
すでにこの時点で私は先生に負けている…σ(^_^;)

きょうはシンプルに「歩くこと」についての一文でした。


【Now Playing】 I Think You Know / Mike Melvoin With Charlie Haden( Jazz )

 

2020/07/13

【南先生の玉手箱_0018_年末の「干支のイラスト」配達作業】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回取り上げるのは、平成18年1月10日と記載されている学校通信誌「らくがき」からです。


以下、先生のらくがき文です。

年の瀬にゆく年をふりかえって新しくやってくる年に思いをつないでいく、みなさんの年末・年始はどうでしたか。

私ごと、この十数年ほとんど同じ暮らしのくりかえしで新年をむかえている。
暮れの29日~30日頃になると、近所、町内、知人の家にやってくる年の「干支のイラスト」を持ってのあいさつまわり、まあやらなくてもどうでもよいことなんだが、面倒でも大変でも、習慣としてこだわりの自分行事であります。

これもはじめの頃は、全部手書きで二~三十軒位だったものが、百軒を超えるとのんびりとはいかず、かけ足のひと時だけの宅急便のようになっている。

毎年届けに行くのを楽しみに待っていてくれる人がいるから続いているのかも知れない。
まわりながらちょっとひと言の会話の中にその人となり、又今年一年の人間模様や環境の変化、また地域の変化など肌に感じながらの配達作業です。

お互いに良かったこと、大変だったこと、一年365日いろんな体験や身のまわりの変化の厳しさもある。

家の仕事も手ぬきをして勝手に地域をひとまわり、勉強でも仕事でもないが、何かこれも年のしめくくりにやらなければと思うこととして続いていくものが年に一度の会話の人も多く、歩く年賀状のようなものでもあります。

 

 

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以上が先生の文でした。

私も先生から何枚か上記の「干支のイラスト」をいただきました。
ファイルに保存しているものもあれば、上記写真のように額に入れ、自宅階段の踊り場に飾ったりもしています。

当時の先生は、数多くのご近所、知人、友人に“足で”配達しながらそれぞれの方々とお話をしていたのだと初めて知り、驚きました。
これはなかなか出来ることではないですよねぇ、やはり先生すごいっ!

また、年末に横芝光町のギャラリー「笑虎」での個展が開かれれば、そこで先生の「干支のイラスト」がいただけるかな?(*^_^*)

 

2020/07/08

【南先生の玉手箱_0017_ラジオで聴いた寺内タケシ氏の言葉から】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は平成19年3月22日と日付けの入った学校通信誌からです。


以下、先生のらくがき文です。


車で移動中によくラジオを聞いています。テレビなど画面を見過ごしているよりも何か見えないものを想像する、考えることが多く、またラジオの中から耳に入るお話しやメッセージなど大変勉強になることが多いです。

みなさんほとんどの人が知らないと思いますが、今68歳くらい、エレキギターの神様と言われてきた寺内タケシ、外国ではベンチャーズ、ビートルズにちかい時代、学生の頃から好きでよく聴いていました。

寺内さんが冗談のように、今思うこと、「ギターは弾かないと音が出ない」あたりまえのことのようで、何ごともやらなければわからない。
また、やってみなければ先にもあとにも、進まない。
そのとおりだと思います。

それから、ものごとこうでなければいけないと決めつけている自分の考え方や発想も時にくずしてみる、角度を変えてみることなども大切かと思います。

音楽なども譜面や楽譜がないとできないものではありません。
むしろ、時に譜面がじゃまをして自分の良い部分が出せない、ジャズなどは特にそう思うのですが、リズム、曲想、その曲のイメージがいろんな方向に変わって流れていく「アドリブと言います」この曲想の流れの変化は演奏者が自分でつくって流れていく、そしてメンバーの気持ちのやりとりで途中に演奏の主役も変わって、また本流と言うか、その曲の流れにもどってひとつの演奏がおわっていく。

お互いが曲想をくみたてて進めていく。絵画、彫刻、デザイン、文字や作文など、みんな同じことが言えると思います。

基本的に譜面がなければわからない、道具の使い方や書き方がわからなければ、作品つくりは先に進められないのですが、入り口から奥は無限に広く、限りなくたくさんの入り口も出口もある。

まず思うこと、感じることを表現してみよう、すべてのものの基本的姿勢にかかわる〈切れの良いひと言〉ドライブ中にハッと気がついたラジオとの出会いでした。

「エレキギターは弾いてみないと音が出ない」何もわからず感動していない大人たちがそのギターブームの時代にエレキなどギターを持っているだけで不良少年とか言って子どもや若者からギターをとりあげ、感性を否定していた。

そんな時代があったのを思い出すと共に、今、大人側にある自分たちの感性にことを置き換えて、子ども時代や若者たちの中に輝くものや、夢をほりおこしながら、かかわっていける自分たち大人でありたいと思うこの頃です。

「寺内タケシとブルージーンズ」今どんな名前になったか?世界中演奏ツアーでまわっている様子です。
中学、高校方面もたくさん入っているようです。


以上が先生の文でした。


ラジオから受ける影響については、私も常日頃感じているところです。
それに、テレビと違って、送り手(パーソナリティー)と受け手(リスナー)の距離がとても近いと感じることがよくあります。

また、寺内タケシさんの音楽から派生して先生が書かれた「譜面がなければ出来ない・・なんていうことはない」という話。
ビートルズのメンバーも譜面が読めなかったし、先生の言うように、ジャズなどは譜面どおりに演奏したらちっとも面白くないわけで、音楽の感じ方、演奏の仕方についてもあらためて感じることがありました。

今回は、ここまで。
南先生の文章掘り起こし作業、17回目にもなりました。まだまだいけそう(゚ー゚*)。oOです。

 

2020/07/04

【南先生の玉手箱_0016_いろんな出会い -通勤途中ラジオより-】

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私の中学時代の担任で美術の先生の昔の文書掘り起こし、今回は平成16年6月30日と日付けの入った学校通信誌の下書き用ノートから拾ってみました。


以下、先生の下書き文章です。


車の中で時々ラジオから勉強になることがある。テレビより考えたり想像することができる。
時々車を止めてメモをしたりすることもある。ほとんどは暮らしの中で忘れてしまうのだが、心に残る感動もある。

今日の出会いは建築家の安藤忠雄氏であった。
人間として魅力のあるすばらしい建築家で、以前から新聞などでも彼の生き方、考え方、そして建築の仕事に強く気持ちをひかれた人である。

今日は、若者と夢とかのテーマで話していた。
時代は変わったと言いながらも今もって学歴社会が強く残る世の中で、親や大人たちの枠ぐみの中で子どもや若者たちの夢と言ってもたかが知れたものだとのこと。

子どもの将来などについては親が心配するものではない、彼安藤氏の場合には、全部独学とのこと。

若い時、大工の建築現場を見て、まず興味を持った。何とかこの道にと思ったが、家の都合で大学に行けなかった。
若いからできたと思うが、4年分の勉強を1年でやったとのこと。
毎日朝9時から夜中もとおして午前3時位までそれこそ月月火水木金金と、ひとりでがんばった。

それから社会に出ようと仕事を持ちまわった時、世間のほとんどが相手にしてくれない。それこそ学歴の壁かと思うのだが、ある出会いが自分の道を開いてくれたとのこと。

大阪の人で、小さい住宅の仕事を自分に任せてくれた人がいたとのこと。
人生は出会いと感動だとも言っていた。
建築ばかりではなく、いろんなことに言えることだが、仕事はどんなに小さいものでも他との広いかかわりがある。小さな住宅ひとつの中にも環境問題から都市計画に必要なことまで考えなければならない。

物も人も大切な部分がすべて含まれているとのこと。
小さい仕事ひとつ満足にできないものは大きな仕事は、ましてやれるものではないと、人間の信用問題、今の時代のものつくりや専門家と言われる者たち大きな提言のひと言だと思った。

 

 

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彼には若い頃、もうひとつの顔があった。
今でも鋭い表情をしているが、ボクシングジムに通って4回戦ボーイまでアッという間に進んで、その道でやる気も十分、けんかで金が入るならそんないいことはないとか、まあ冗談であろうが、そんな自分がある時、ファイティング原田に出会って大きなショックを受けたとのこと。

リングの上で命をかける、とても自分が勝てる世界ではないと、それこそ気持ちとして大きなカウンターパンチをもらったとのこと。
お互い人生見極めが重要だとのこと、少しお金をためて大陸をはじめ地球ひとまわりするほどの長旅に出たとのこと。

そこで日本の外をたくさん見て、自分とちがう人間との出会いの中から多くの発見があったとのこと。
今考えれば、若いからできたんだろうと、その頃から30年も過ぎないのに地球人口30億から現在60億、そしてしばらく先には100億の時代になる。
いろんな専門家たちはそのような大きな視野の中で環境、人間の暮らしを考えて仕事をしていかなければならない。

人生、若い頃夢中でとりくんだものから自然と身についた考えや力がある。
子どもの頃、学校でいろんな勉強があるが、人間つくり、倫理、他を思う気持ち、家庭愛など自分は、おばあちゃんからたくさん教えられたとのこと。

知識のつめ込みも人間ができていなければ、何の役にも立たないどころか、マイナスが多い。
子ども時代に自分で心も体も鍛えてほしいとのこと、そうですね、大人の側から枠ぐみをほどほどにしないと、とりかえしがつかなくなる、自立できない若者が多いとのこと。

話を聴きながら、自分はどうだろうかと考えさせられることが多かった。
誰かが言ってました、人間つくりが先、知識は自然にあとからついてくる。勉強も気があれば誰でもかんばる、そしてみんなちがう特性がある。だから若い頃何かに夢中になってほしい。
また夢中になれるように大人側も自分のうしろ姿、生き方に魅力のあるものでなければならないと。

そうですね、学校など、子どもにとって行きたい学校、学びたい授業など、日々の教材研究やとりくみ姿勢にふりかえると反省が多いです。

夢にむかって夢中になること、失敗は結果にあるもの、やる前からできないだろうとの判断をするな、若者たちにとにかく行動してほしいとのこと。
若い頃の夢中のとりくみがあとになって自分の今を支えるものになる。
他人の力でなく、自らの自信にして世の中のために自分が何ができるかとの話、とにかくすごい人である。

今、自分の仕事について建築のプロとしてふりえかれば、1勝9敗位のもので悪い仕事はしていないつものでも、満足のいく仕事は少ない。そこでまた夢中に次の仕事にとりくむ。
自分の今の仕事について不平不満を言うようになった時は仕事をやめる時だと言っていた。

何の仕事でもそうだろう、暇がないとか、お金がないとか、お金が少ないなどと言うようになったらおわりですとのこと。

人生まっすぐに生きている、なかなかまねのできないことだが、ちょっと考え方の一部でも自分の生き方の中に加えていければと思いながら20分位だったか、ちょっとみなさんにもお知らせしたくなって書いてます。

自分は世界を広く見て歩いたことで、人の感性のちがい、能力のちがい、暮らしのちがい、環境問題の重要性、又危機的な状況など他から学ぶことがたくさんあった。今日、日本は特に物質的に豊かな時代の中で、若者たちが新しいことに挑戦しなくなってきたようだ。

これも大人社会の裏かえしの状態なのかと思う。
大人のうしろ姿を見て子どもは育つ、時に自分が居眠り状態であることに気がついて全力疾走をすることも大切だと思う。
何かに夢中になると、たいがいのことはいい結果を残す。考えてばかりいると日が暮れちゃうよと言うが、できなかったのではなくて、やらなかったことのくりかえしに気がついてほしい。

そうですね、このことは特に年と共に反省またエネルギー不足も感じることが多いです。
個人差はあれども、どれだけ夢中になれるかとの話しのくりかえしだったような、特に学校で日々、夢中に嬉々として諸活動にとりくむ子どもたちのエネルギー、可能性を大切にかかわっていきたい。

毎日たくさんの感動のくりかえしの中で子どもたちにはものごとに夢中に暮らしてほしい。
その夢中になれる素材や環境つくりに大人、家族、学校、地域の支えが大切なんだと思います。

何かに夢中になっている子どもや若者に指示をすると言うより、サポート、中に少しでもかかわれる感性の幅を持ちたいと思いながら、なかなか難しいものですが、まず若者を育てた大人側が日々生き生き暮らすことなのかと思います。


以上がノートに残された先生の文でした。
私が同年代のときに、これだけ“熱く”なっていたか、というと・・先生はやはりすごい!
しかし、このノートに書かれた文は長かった。

方眼罫のノートに改行無し、文字空け、句読点もほとんど無し、濁点も無いものがあり、びっちり書かれているので、キーボードを打つにしても三歩進んで二歩下がる状態、・・どこまで進んだかすぐにわからなくなる。

付箋を貼りながらのまさに“難行苦行”でした。
内容は面白いが、活字化は大変なことです。
単純に読むだけでもこのノンストップ文書はつらいっ!(※活字化にあたり、句読点や改行は私の感覚で追加しています。漢字や仮名遣い、濁点はほぼそのままですが。)

というわけで、苦労に苦労を重ねたので、できるかぎり多くの人の目にとまれば幸いです。

 

2020/06/29

【南先生の玉手箱_0015_考えると不思議なことだが、大切なことについて】

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私の中学時代の担任で美術の先生、南先生の残した文を活字化、掘り起こしの企画「南先生の玉手箱」、続けます。

今回は、平成16年1月のものです。
新年を迎え、三学期になる時の学校からの通信文の裏面に書かれた文を起こしてみました。


では、以下先生の文です。


地球がまるい、空気に色があるのかな、雨や風がどこからはじまっているのか、毎日、あんなに大きな飛行機がどうして飛べるんだろうか、考えると不思議だけれども、あたりまえになっていることがたくさんある。
時々、大きな樹を見るとすごいなあ、山とか自然を見てびっくりも多い。

毎日暮らしていることのびっくりとか、気がついたり不思議に思うことが少なくなっている。
でも、子どもたちは日々感動の多い暮らしをしている。又、子どもたちの暮らしぶりから感動や夢を見せてもらうことが多い。

自然のものでも、人がつくったものでも不思議なことがいっぱいある。
いつもあたりまえだと思っていることが本当は大変なんだと気がつくことがある。

見えたり、聞こえたり、感じることに時々不思議だなあ、なんでだろうかって考えることはとても大切なことのように思う。
それと、自分があたりまえだと思っていることでも、他の人のおかげでたくさんお世話になっていることがあることにも時々気がつくことがある。

気がつくと言うことは、大切なこと。
自分の目で見て自分で考えて実行することが大切です。

世の中が便利になればなるほど、時々立ち止まって目の前のものや、動きを自分で確かめることが重要だと思います。


以上です。

いつもの“南節”、リズムを感じつつ読みました。
自分を取り巻く環境、人、それらに感謝しつつ生きて行く、そんなことを中学の時から先生に教わってきました。

 

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