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わたしのいきつけ

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2022/04/05

【朱に染まればわからなくなる/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №70】

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久しぶりに「過去に会った人、過去にあった出来事」シリーズです。

書こうと思ったきっかけは、ラジオで森永卓郎さんが話していた、たぶん「日本専売公社」にいた頃の話ではないかと思うのですが、わけのわからない上司に担当である自分の文章がどんどん朱書きを入れられ、直されて、最後には意味のわからない文になってしまったというようなお話をされていたのを聞いたからです。

思い出したのは、私がIT部門の仕事をしていた時のこと。
システムの5年ぶりの更新に向けて突き進んでいたのですが、多額の予算も必要です。
議会での質問は必至な状態。

上から「想定問答集」の作成を命じられたのですが、心配性な上司のこと、今までの人が作ってきた想定問答に加え、どんどん考えうる質問を増やすことになり、枚数は150頁にも達し(^_^;)・・こんなの読むのも大変だろうし、覚えることもできないだろう・・とは思いましたが、命令です。頑張って作りましたよ。

で、課長に見せると、表題にあるように“朱書き”で、どんどん“お直し”が入るわけです。
“真っ赤っか”です( ̄O ̄;)
それを一日掛かりで修正しつつ、了解を得つつ、さらに朱書きが入ったり、すったもんだ(^^;)して出来上がります。
担当として言わせてもらうと、朱書きで直されたところは、肝心の部分がぼかされ、“スカスカ”で、無難と言えば無難だが、何の意志も、決意も、やる気も感じさせないものとなります・・これでいいのか!

今度はそれを部長に見せるわけです。
そうすると、またまた“朱書き”の“大行進”!!それを課長に了解を得つつ、またまたお直し (・_・;これまた一日掛かり。元に戻っちゃったところもいっぱいある(^_^;)

で、出来上がりました。それをまた局長に見せると、あらら、またまた“朱書き”の嵐が吹き荒れます。
もう、こうなると「なんでこんな質問が出ると想定したのか」さえわからなくなってくるd( ̄  ̄)

というわけで、それに“懲りた”私。
次からは、“エラい人”全員にひとつの部屋に集まってもらい、プロジェクターとスクリーンを持参。PCに入っている「想定問答」を映し出し、全員に意見を出してもらい、その場でスクリーン上に映っている文章を直していきました。
キーボードは、話すのと同じくらいのスピードで打てるので、ものすごいスピードで完成形が出来上がっていくのでしたd(^_^o)

こんなのに二日も三日も掛けていられないんです、こちとら日々の仕事が忙しいんですっ!(#^.^#)

ついでに、似たような話をもうひとつ。

私が、「〇長への手紙」というものの担当だった頃。
とある小学校のクラス一同(四年生だったと思う)からのお手紙が、われわれのボス宛に届きました。
中身を見てみると、クラスで話し合って自分達の町を皆で周り、下水のフタが外れているところや、ガードレールが曲がったままになっているところ、遊具が壊れているところなどを町の地図の上に印を付けて、「〇長さん、一度見てくだい」というものでした。

主に当時の建設局に実際に現場を確認してもらい、いつまでに対応できるかなどをまとめてもらい、全体の回答文については、私が書きました。

「〇〇小学校四年〇組のみなさん、お手紙ありがとう。さっそく現地を見ましたよ。いつまでにこことここを修理します。」「とても参考になりました。クラス全員で作り上げた地図、とても見やすく、みなさんの行動力に驚きました。」「これからもクラスのみなさんで素晴らしい活動のアイデア、広げていってくださいね。」

・・などと、書いたのですが、そこでも課長や部長から(^^;)・・お前の文は軽くて“気安過ぎる”、「この度は貴重なご意見を賜りまして有り難う御座いました。」「今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。」・・などと、直せという指示が入りました(>_<)

小学生に何を言ってんだ、と思いましたが、仕方なく直すと、最終的に一番エラい人から「小学生に“ご指導・ご鞭撻”はないだろう」という至極まっとうな意見が出て、元の文章に戻りましたd(^_^o)・・そりゃそうだ。

 

2022/01/21

【ワサビと唐辛子で何かを試す二人/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №69】

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過去にあった人と出来事のシリーズ、まだ続いています。
以前にひょっとして書いたことがあったかもしれないけど、このシリーズを利用して再度考察いたします。

今回登場する二人とも上司、あるいは役職が上の人達。

最初の人は夕方突然、飲み会をするので来るようにとのことで、行きたくないけど仕方なくついて行きました。皆、肩を落としてついて行きました。

飲み会途中で「すごいことを知っている。ワサビをビールに入れると苦くなくなって飲みやすくなるんだ。そうだ、お店の人に言って小鉢にワサビを大量に盛って持って来てもらえ。」と言いだしました。

私は「えっ・・なんてことを」と思っていたら、その上司の一の子分が飛んで調理場に行きましたが、女将さんに何に使うのか聞かれ、正直に言ったら「そんなことのためにワサビはお出し出来ません!」と即座に断られました。・・そりゃそうだ、女将さんが正しい。

そしたら一の子分の男が「私がコンビニまで走って買って来ます」とお店を飛び出し、チューブ入りの練りワサビを買ってきてしまいました。

で、その上司は、全員のビールグラスに“じゅぶじゅぶ”とワサビを4㎝ずつくらい落とし、自らのグラスには入れない・・(T_T)

「ほら、飲め」と。 全員肩を落としながらそれを飲み・・

「ほんとですね、苦くない。ビールの味がしません。これは飲みやすい。」などとわけのわからない“おべっか”を言うのでした(^_^;)

せっかく人を誘って飲み会をして、こんなひどい目にあわせる・・。
しかも、“完全割り勘”!! 全部奢れとは言わないが、誘ったら料理のひとつでも皆にご馳走したらどうだ、と思いましたが、こういう人ってものすごいケチなことは共通しているのです。次にご紹介する人も同じだった。

私が考えるに、酒のたのしみ方も知らないし、こんな愚かなことをして、皆が自分に従うか試さないと安心できないのでしょう、これでますます嫌われるのにも気づかずに。

でね、コンビニまで走ってワサビを買ってきた男は出世しましたよ、こういうもんですd( ̄  ̄)

 

 

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さあ、二人目。
またも同じような状況で、無理やり人を集めての飲み会でした。
焼き鳥屋での飲み会でしたが、大皿に焼き鳥各種の盛り合わせをその人は頼み、運ばれてくると、その大皿の焼き鳥全部に七味唐辛子を“ひと瓶”!ザァ~ッと掛け、焼き鳥本体が七味唐辛子の赤で見えなくなりました。

「こうやって食うのがいちばんウマいんだ。さあ食えっ。」・・だってさ。

「自分の取り皿に何本か取って、それに唐辛子を掛ければいいじゃないのっ!」と思いましたが、皆も無言・・。

ひとくち、口に入れた途端に皆「げほ、ごほ」とむせています。当然のことです。
それでも、前回にもいた“太鼓持ち”的なヤツが、「なるほどこんな食べ方があるんですね」と、わけのわからぬ“おべっか”を言う(^^;)・・・で、こいつもスピード出世しました。私にこれだけの“ゴマがすれれば”もうちょっと出世したでしょう。

この人も自分の言うことを皆がきくかどうか、こんなことでもしないと安心できないんでしょうね。
つまり、ほんとうは自分に自信がない。・・だから確認作業が必要になる。

で、皆を呼び出したのに、こちらも完全割り勘! (・_・; そういう人なんだよ。

結論が出ました。
出されたものは、どんなものでも飲み、食べ、「これはいい」などと感想を述べる(^_^;)
これで宮仕えはうまくいくっ!

私はやんないけどね。

 

2021/12/26

【それをやれるって言うのがお前の仕事だろ・・という人/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №68】

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24日の新聞に出ていた記事に、三菱電機の経営陣に対し、外部専門家の検証報告が出て「極めて重い経営責任を負う」とされ、厳しく経営陣の隠蔽体質を指摘していました。

鉄道関連製品などの品質不正問題が長きに渡って発生していたのに、要するに隠蔽体質の最たる経営陣により代々発覚を防ぐため口裏合せをしてきたのだそうです。

検査結果を偽造するプログラムまで作って代々使っていた・・(T_T)んだそうですよ。

若い社員が「これはさすがにまずい」と思い、自分には出来ないというようなことを言うと、管理職が叱責していたそうです (・_・;「これくらいやれないのか、仕事が出来ないヤツだな」と。

「仕事が出来ない」のは、この上司です。

私も同様の経験をしたことがあります。

情報部門にいたときに5年ほど経過していた社内ネットワークの再構築をすることになり、私がその隊長でした。

そのときの上司から「こういうふうに複雑になっている現行のネットワークを“これこれこういうふうに”統合しろ」という命を受けましたが、話を聞き、自分で図にして何度も自分の知識・経験にその方法を問いただしてみましたが、そんなことしたら個人情報がハッキングにより洩れてしまうのは目に見えていました。

IT大手十数社にも正式に招聘して資料を提示し、意見を聞いてみましたが、どこも「考えられない。どうやってもこの方法ではデータを保護することは出来ない」という結論でした。私の考え方は間違っていないと確信を得て上司に相談。

「この方法ではなく、別の方法について検討したい」と。

そうしたら、明らかにイライラしているのがわかりましたが・・

「それを“出来る”と言い切るのがお前の仕事だろ!」と、にべもない・・。

私から「今のままで実行して、事故が発生しなければ大きな予算節約・削減に大いに貢献することになると思いますけど、いつか事故は発生すると思います。もし、そうなったら“私”が責任者だと言うんじゃないんですか。うまくいったら自分のおかげ。失敗したら私のせいになるということですか。」

と、真っ正面から言ったら黙ってしまいました。図星だったのです。

その後上司は異動で別の人に変り、新しい上司は私のやり方を認めてくれて事業は成功しました。
が、前にも書きましたが、上司の引き継ぎのとき、私のことを前の上司は「言葉も満足にしゃべれない状態の廃人同然の人間だから話なんかしなくていい」と引き継いでいたことを後々に知ることになりました。

意向調査も面接も私にはしてくれなかったその人は、私が職場で苦しみ、心療内科に通い、死ぬ思いでネットワークを再構築したことなどまったく知らぬまま異動して行ったのでした。

でも、今現在、仕事も辞めた状態で思い返しても、仕事的にはその後はずっと底辺にいることになってしまいましたが、正しいことをして良かったのだと納得しています。
今になって、人が生きるうえで大切なこと、大事にしなければならないことがしみじみとわかるようになりました。
それがわかっていれば、心療内科などにも通わずにすんだのに、と思いますが、そのときは必死でわからなかったのです。

 

2021/12/23

【クレームをもってくる人達の様子/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №67】

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過去に会った人、出来事シリーズ、まだ続けます。いくらでもネタはある(*^_^*)

今回はかつて職場の広聴部門にいた時に多く経験したクレーム対応というか、クレームを抱えてやってくる人達の話です。

手紙、文書、電話でも“私の言うことを聞いてくれ”ということはありますが、もちろん直接やって来ることもあります。

たとえば電話だと短くても1時間はかかりますし、長ければ2~3時間は“ざら”です。
直接来訪された場合などは、午前中いっぱい、とか、昼休みをとってきてから再度来て夕方まで・・ (・_・;なんてのもしょっちゅう。夕方やって来て、勤務時間が終了しても夜10時頃まで話をされる方もいました(T_T)体力勝負です、あちらはたまった不満エネルギー発散状態ですが、聞いているこちらは、気持ちを強く持たないと“疲弊”の度合いがひどく、翌日の出勤が怖くなったりもします。

手紙で苦情等を送った人で、ある日どうやって入り込んだか、執務室内に入ってきていて、突然担当の女性の背後から「私への回答はどれですか」と話しかけられ、騒然となったこともありました。

毎日毎日バイクに乗ってやって来て、所属長の顔を覚え、所属長目指してやって来て、とにかくご近所のことから市内全体の大きなことまで、クレームの山を語りにやって来る人がいたことをよく覚えています。
毎度毎度3時間くらい・・。

ある日その所属長が私の机の前を“ほふく前進”しているのを見て「どうしたんですか」と声を掛けるまえに所属長は私に向かって両手を合せ、拝むように私を見ました。
カウンターの外を見ると、バイクのクレーマーのお方がお探しになっている(^_^;)

「あれっ?さっき見たような気がしたけど、あいつはいないのか?!」とその“ほふく前進”の人を探している(^^;)

私は手を下に出して“逃げろ逃げろ”と所属長に指示。

そのクレーマーのところに歩いていって、「私がお話聞きますよ」と。
そして、テーブルには案内せず、カウンターの向こうに回り、お客さんと同じ側から同じ方向を向いて隣に座りました。

ようするに向かい合わない、相対しない。
そして、カウンターで隣り合って酒を飲むように…σ(^_^;)「どうしました」
「えっ、そうなんですか」「そりゃたいへんだ」「こまっちゃいましたね」と相づちをずっと打っておりました。

そしたら「あんちゃん(あの頃私は若かった)と話をしていたら、すこし気がおさまった。腹減ったから今日は帰るわ」とバイクに乗って帰って行きました。

そのあと1時間ほどすると所属長がどこからか帰ってきて、「ありがとう、まだいるのかと思ったけど、どうやって帰したの?!」と、聞かれましたが、「お話だけ聞いて、そうですか、そうですか、そりゃたいへんだ、と言っていただけです」(゚ー゚*)。oO

所属長は「その“技”は、私にはまだ無理だ」と・・(^_^;)

たぶん、たぶんですよ。
クレーマーと呼ばれる人でこのタイプの人は、もう家族も近所も、町内会等の組織でも、うるさくて手に負えなくて、だあれも話を聞いてくれなくなっているのです。
話を聞いてくれるのは「苦情窓口」で仕事で話を聞かなきゃならない人だけなんです。
可哀想と言えば可哀想ですが、そんな人の話を聞いてさしあげるのも自分の人生の中の一コマで与えられた仕事だと思えば・・なんとかなる・・・・・ならないときもあったけど…σ(^_^;)・・・・という考えでした。

ああ、あの人の顔、まだ思い浮かべることができます。
そして、私の前を這ってきた所属長の必死な顔も・・(*^_^*)

 

2021/12/20

【得意そうに“キジツぜん”と言う上司/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №66】

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大好評をいただいてまいりました、この過去に会った人、出来事シリーズ(^^;)、今回はもう66回目ですよ。

今回は、なんというか“専門用語”的な言葉を“得意げ”に使う人について思い出したので書いてみます。

まず登場するのは、このシリーズで、私が書いた FacebookPage の記事を「誰に書いてもらったんだっ!」と会議室に監禁して疑ったあの上司です。

ある日、選挙の投票日が週末の日曜に迫ってきたときの職場での会話。

私が、「もう“キジツまえ”(期日前)投票をしてきたので、日曜は投票には行かずに済みます。」と、その上司に言ったら・・。

上司:「は??」と怪訝な表情。

私:「キジツまえ投票を既にして来たんです。」

上司:あきらかになんだかわからないと小首を傾げて、頭の上に「?」を出し、両手を困った困ったというふうに広げる大袈裟なジェスチャー。

私:「だから期日が来る前に選挙の投票に行った・・」

上司:「ああ、“キジツぜん”投票のことね。何言ってるんだかまったくわからなかったよ。」と、何だか小バカにしたような見下したような態度。

なんだ、この人・・・と思ったのですが、この人がわけのわからない“こだわり方”をしたということは・・くだらない理由があるにちがいないと、あとで調べたら、総務省がこの期日前投票に関する法律を成立させたときに「キジツぜん投票」という読み方で国会を通したんだそうですよ。
だから、“キジツぜん”という読み方をしないヤツには反応しないんですって・・バカだねえ。

でもって、テレビ、ラジオなどの報道では「キジツまえ」と言っています。その方がよっぽどわかりやすいが、一般的には《どっちでもいい》ってことになってるそうです(^_^;)

くっだらない、こんなどうでもいいことで何かマウントをとっているみたいな“バカ上司”・・ご存知のとおり、過去のこのブログでエピソードをご紹介したようなあきれた人です。

もうひとり別の人、ついでにご紹介。

その上司は過去に「広報」にいたことがある人でした。

で、新しい職場で私がまたその人に FacebookPage を作れと言われ、事前に原稿を見せたら、

上司:「どれどれ、リードはどうなってんの、リードは?」

私:その「広報用語」を私は知らなかったが、たぶん全体を示す導入部分にあたるようなところを指すのかな、などとそのときは思っていました。
「リードも何もその短文で全文です。見ていただいて、指摘があれば直します。」

上司:「リードも知らないでこういう文を書くの?信じられない。いいかげんな時代になったもんだねぇ」

とのことでしたが、毎回毎回スタイルを変えて、いきなりドカンとウケるようなことから入っていったり、どこかを訪問した記事などの時には風景などから“静々”と入っていったり(^^;)で、リードってあとで調べたらいろいろ法則があるようですが、そんなものやってたら画面がキレちゃうんですよ。

で、結局、私が書くと、アクセス数“うなぎ上り”だったので、「リードの法則」については“不問”となりました。文句言えなくなっちゃったみたいです。

自分の得意なフィールドに相手を連れ込んで“上から目線”で相対するような人もこのほかに長い仕事人生でたくさんいらっしゃいました(>_<)みなさんとサヨナラできて、今となってはホントによかったです。

 

2021/11/27

【ギターを抱いた同級生/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №65】

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久しぶりに「過去に会った人、出来事」シリーズを書いてみたいと思います(^_^;)

今回は、私が学校を卒業して就職したばかりの頃の話。
ある日の夕方、職場に電話が掛かってきて、私を呼び出してくれとのことで、出てみると・・「〇〇君(私のこと)、久しぶり。Sです。」と、中学の同級生の女子からでした。
中学を卒業して以来のことでした。

「ものすごく久しぶりだねぇ。どうしてここがわかったの。」と聞くと、同級生の女子からそこに就職したと聞いた。職場の課名もわかっていたので電話番号を調べた・・とのことでした。

彼女は、中学時代には秀才で、特に国語関係に強く、作文などはよく表彰を受けていた女子でした。動物も好きで、猫と烏を飼っていた記憶もありました。小柄で、キリッとした顔立ちの子でした。

話は即決で互いの帰りの途中駅で降りて、喫茶店で落ち合うことになりました。
会ってみたら、彼女の印象は中学時代と全く変わらず、久しぶりなのに話もはずみました。
彼女は大学を卒業し、市内の中学校教諭になっていました。

それからは夕方の終業が近づくと彼女から職場に電話があり、平日の週2~3日は帰りに喫茶店やレストランで会って、話をするようになりました。不思議なことに話題は尽きず、毎回爆笑のうちに楽しい会話になりました。

やがて私がジープ型のクルマを買い、野山に出掛けるようになると、彼女から「面白いから連れて行ってくれ」とリクエストが有り、林道をくぐり抜け、山の高いところでコーヒーを湧かしたりしながら楽しい時間を過すようになりました。

互いの家にも行って、彼女の好きな本を読ませてもらったり、私の家でレコードを聞いたりもするようになり、傍から見たら“恋人同士”みたいになっていました。
実際は、ただ会って話しているのが楽しく、そこまでは考えてもいなかっのです。

そんなことが二年間ほど続いたのですが、ある日私の家に中学時代の男子の同級生が突然やって来ました。これも中学卒業以来のことでした。

彼は、ギターケースを抱え、「ちょっといいか」と私の部屋に上がってきました。
突然やって来て、何を言い出すのかと思ったら・・「おいっ、彼女を俺にくれ!」と( ̄O ̄;)

そして、やおらギターケースからフォークギターを取りだしたかと思うと・・

「彼女が好きなんだぁ~♪ 中学の時から好きで、好きで忘れられなかったぁ~~ どうしても好きなんだぁ~ 俺に渡して欲しいぃ~っ」って自作曲を歌い出したんです(^_^;)

何なんだっ!今、何が起こっているんだ (・_・; どうすればいいんだ・・とうろたえる私・・。

やっと、彼が、妙な曲を歌い終えたので

「あのさぁ、その歌を俺に向かって歌う前に、彼女に直接付き合って欲しいと言った方がいいんじゃないの。俺と彼女はそういう関係になっていないから、彼女がお前と付き合いたいと思うなら付き合うんだろうし。」

ギターを抱いた同級生:「なるほど、気が付かなかった。言ってみよう。」・・(^^;)

実のところを言うと、彼がもし彼女と付き合うようになってしまったら、今の彼女との楽しい関係を続けるわけにはいかなくなるな、と、ちょっと不安な気持ちもありました・・。

で・・ねぇ、これが驚いたことに“ギターを抱いた彼”と付き合うことになった・・と彼女から連絡があったんですよ!(>_<)

「できればあなたとも今まで同様にしていたい。」とその後言われたのですが、「それは無理だよ。あんなにあなたに夢中になっているんだから真面目に付き合ってあげてよ。」

ということで、それ以降は会わないことにしました。・・かなり複雑な気分。

やがて二人は結婚した・・と、風の噂に聞きました。

さらに風の噂・・二人は離婚した・・。

彼は中学時代から“フォーク・ソング好き”で“深夜放送好き”な男でした。
大学も四年浪人して、入学後は八年間大学生活をし・・(ってことはあの私の家で歌い出したときは学生だった!!)、卒業後はついに仕事という仕事はほとんどしなかったとのこと。
彼女の家が裕福だったので、なんとかなったのだと思いますが、それでも結局はそんなことに。

人の人生ってどうなるかまったく予想も想像もつきません。

私の人生もその後いろいろありましたし・・。
今回は、若い頃の人生の一コマ、振り返りましたd(^_^o)

 

2021/10/20

【高校の時、覚えている先生の出来事/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №64】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
私、高校時代の先生の授業のことなど・・あまり覚えていませんが、でもちょっとした出来事だけは覚えていることがあります。そういうことばっかりなんですが…σ(^_^;)

ひとつは

「物理」の先生

たとえば、重い物を机に乗せたら、机は下からその重い物を反発して持ち上げている・・というんです(^_^;)先生が。
頭のいい子達は「なるほど」などと頷いていましたが、私には納得がいきませんでした。

「誰が持ち上げているんですか、先生」などと思わず声を出してしまうのですが、「これが理解できないと、そもそも理論が理解できないってことだから話にならない」と先生。
まるで禅問答のようですが、なんだか最後までわかったような、わからないような授業でした。
でも、だからこの物理の先生の顔ははっきり覚えているd(^_^o)

もう一人は「生物」の先生

ほ乳類が育っていく過程で生まれてすぐの「乳」というものが大事で、成分はこうだ・・みたいな話をしていたのです、先生。

先生:「ちょうどいい機会があったんですよ。私、晩婚ですがこのたび子供が生まれまして、で飲んでみたんですよ」

教室内・・・・ザワザワザワザワ・・・。

先生:※気づいたらしく「あっ、ちがうんですよ。直接飲んだわけじゃない」

女子生徒:「きゃーっ!!」「いやーっ!!」「やめてぇ~っ!!!」

先生:「誤解を生んでしまいました。あの・・ちゃんと小さなコップに取ってですねぇ・・」

女子生徒:「ギャア~ッ~~」※教室内阿鼻叫喚( ̄O ̄;)

男子生徒:ほぼ全員妄想中・・。

というお話でした(^^;)

こういうことはよく覚えているんですよね。肝心な勉強のことは全然覚えていないのに・・(^_^;)

 

2021/10/14

【今ではなかなか無い、手紙での行動について/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №63】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
たぶん、このブログを読んでいただいている方の多くは、手紙なんてほぼ書くことは無いんじゃないでしょうか。

私にしてもほとんど無かったのですが、このブログにも登場する中学時代の担任の先生が、年齢のこともありますが、“超アナログ”な方なので(^_^;)やり取りするのは電話か、手紙になりました。

何度か先生との手紙の“行ったり来たり”をしてきた中で、だんだん慣れてきて、あまり苦にならなくなり、手紙にするとメールやラインとはまた異なる心の通ったやり取りができることをあらためて感じています。何よりも“直筆”っていうのがいいと思いますd(^_^o)

で、今回は手紙での話題です。

話は古く、私が二十代半ばの頃。
このブログでも宝塚の話題のときに書いたことがありますが、「過去の会った人、出来事」シリーズとして思い出してみます。

生まれて初めて宝塚歌劇に連れて行ってもらい、「こんなに素晴しいものが世の中にあったのか」と感激したのですが、その後居ても立ってもいられず、東京で見た花組の別公演のビデオも見せてもらいました。

そのビデオで見たミュージカルに出演していた娘役さんで、その公演のみ少年の役をされ、人と人の心を通わせる心優しい少年役で、美しいボーイソプラノを聞かせてくれた方に、私はこの感動をどうしても伝えたいと思い、お手紙を差し上げることにしました。

手紙に慣れていなかった当時の私ですが、時間を掛け、一生懸命ありったけの気持ちを込めて書きました。そして所在地もよくわからなかったので「宝塚市宝塚歌劇団花組〇〇様」と表書きして送ったのでした(*^_^*)・・これが届くんだよね。

そうしたら、一週間もしないうちにお返事をいただきました。

あとからわかったのですが、彼女は花組の中でも中心的な娘役スターで、花組一番の“歌姫”、ファンもたくさんいる大スターでした・・何も知らずに「あなたのあそこでの演技は素晴しい」だとか「トップスターの腕を取って歌い出した時のあなたはの歌はとても良かった」だとか、たいへん失礼なことを、私、書いてしまっていたわけです。

お返事には、私の手紙をとてもうれしく読みました、ということと「今は宝塚大劇場公演ですので、見に来て」と書かれていました。

それをまた真に受けた宝塚初心者の私は、のこのこと宝塚市にある大劇場まで出かけて行ったのでした。
行ったのは千秋楽、彼女が全て手配してくれるとのことで、ここでもよりによって「千秋楽がいいです」などと“ずうずうしい”ことをお願いしてしまいました。普通は千秋楽の券なんて取れません。知らないということはおそろしい・・。

で、千秋楽をものすごく良い席で見させていただき、ファンの皆さんとの終演後の宝塚ホテルでのパーティーにまで呼んでいただき、ご本人とお話させていただきました。

「千葉からいらした私の大切なお客様です」と会場の皆さんに紹介していただいて、もう恐縮しきりでした。

そして「一緒に写真を撮りましょう」と、私のいたテーブルにやって来てぎゅっと私の腕に手を組み、記念写真を撮ってくださって・・心臓が爆発しそうでした。

壇上に戻ると、私がビデオで見て感動したあの曲を歌い出しました。
もう、いつ死んでもいい!!と本気で思いました。

私がビデオを見てからほんのわずかの時を経て、こんな夢のような出来事が起こったのでした。

たった一通の手紙が大きな出会いをプレゼントしてくれました。

私がこのブログで宝塚のことばっかり書いていて、ほめてばっかり(*^^*)というお言葉をよくいただくのですが、だってあんなことがあったのです。みな宝塚歌劇への恩返しです。
返しても返しきれないくらいの素敵な手紙へのお返事をいただいたのですから。

 

2021/10/12

【誰のためというわけでもなく、自然体で動ける人の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №62】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
よくも続いたなと思いますが、もう62回目の回顧です。

今回も二十数年前の耐震工事の担当者だったときの話です。
次年度施工予定の小学校を回り、どこをどういうふうに工事するか建築部の技術屋の職員と共に校長先生に説明しに行ったのですが、そこでの話です。二つの学校であった話ですが、二校とも女性の校長先生でした。

ひとつ目【A校】

校内の教室を一部屋ずつ回っていた時です。

校長先生A:「耐震工事の前にこれを見なさい。(ボールを教室の床に置くと、ボールがコロコロと転がり出しました、さらに教室後ろにあるランドセルなどを入れる造り付けの用具入れを指さしました)床が水平じゃないんですよ。さらに寸法も測らずに造ったのか、生徒のランドセルも入らない用具入れ、なんですかこれはっ!」

激怒されていました。

私:「これは今回の耐震工事とは関係ないので、別問題として課に報告します。」

校長先生A:「そうじゃない、何を言ってるんですか。これはあなたが造ったのです。あなたが何も考えず造ったものです。どうしてくれるんですか。」

・・この学校は市の人口が急増していたときに当時の公団が施工して市に移管したものですが、実際に建てられたのは、私が4~5歳くらいの時です。

このあとも、ずっと私がやった、私の責任だと言い続けて反省を求め、帰りにクルマに乗り込む時にもクルマの窓にすがりついてきて「人間としてどうなのか、あなたは!」と食い下がられ、私はクルマから降りて、「そうじゃないんです先生、学校が出来たのは30年も前のことで・・私の話を聞いてください」と先生の肩に手を掛けようとしたときに技術屋の先輩が私を羽交い締めにして・・

「お前が謝れ。そして明日また来るぞ。答えを持って。」と言われたのです。

そして翌日。

技術屋の先輩と二人でもう一度その学校に行ったのですが、学校に向かうクルマの中で

先輩:「耐震工事と共に各教室の床を削って水平を取る工事をする。各教室の用具入れもランドセルやその他生徒さんが入れるものの大きさを測って全部入るものに造り替える。お前がやることは予算の算段をすることだ。財政と交渉して予算を取って来い。それから、校長先生にはお前が素晴しいアイデアを出したので聞いてくれと電話してある。お前が考えてやることにしたと先生には説明しろ。それが一番いい解決方法だ。」

私:「それじゃ、先輩の考えだということと、これからの先輩の苦労が・・。」

先輩:「そんなことどうでもいいの。俺の言ったとおりに今からやるんだ、いいな。」

というわけで、先輩の言うとおりに説明し、さらに私の追加アイデアで、工事中移動するうさぎ小屋と小鳥小屋がくたびれていたので、予算内で新品に造り替えることを提案すると、・・・頑なだった校長先生(美人)の心は氷解!

すべて先輩のおかげでした。でも、先輩は特別に何かしたという意識はまったく無いようでした。当たり前のことだという感じでした。

ふたつ目【B校】

そこは学校の半分だけ工事して、数年後に残りの耐震数値がややいい方について工事予定だったのですが、上級官庁からの“オトナの都合”の予算やり繰りのため、工事直前に学校全体を工事することになり、その説明に行きました。

校長先生B:「冗談じゃない。半分のつもりで引っ越し、その他校長室、事務室などは使えるということで、校庭も半分使える授業を組み、先生方も準備出来ている。どうしてもやるなら私の首を獲ってからやりなさい。工事が始まってもこの校長室から出て行きませんよ、私は。」

・・となってしまい、“こじれ”に“こじれ”ました(T_T)
で、話を課に持ち帰り、また出直すことになったのですが、帰りのクルマの中、ここの技術屋さんの担当もあのA校でお世話になった先輩でした。

先輩:「おい、あの隣にあった使われていない旧校舎。物置になっていて、中はホコリを被ってたけど、あれを簡易的に改装して校長室と事務室を造るぞ。学校の機能の一部をあそこに持ってくれば先生も納得するかもしれない。それから現行の校長室もとても女性の校長が居るような部屋じゃなかった。ぼろぼろだ。あれも耐震工事中にきれいにしよう。それならきっと納得してくれる。お前のやることは・・。」

私:「予算を工面することと、あの物置になっている旧校舎内の物の移動と移動先を考えることですね。」

先輩:「そうだよ、わかってんじゃないの。」

というわけで、またもや先輩は「こいつが寝ずに考えた方法を聞いてください。」と校長先生に言ってくれて、今回も解決してしまったのです'(*゚▽゚*)'

今でもあの先輩に感謝しているのですが、あの工事から十数年して私の異動先の部署でばったり会ったときに、あの時のお礼を言ったら・・

先輩:「へぇ、そんなことあったっけ。それより今のお前の仕事で教えてもらいたいことがあるから来たんだよ、ちょっと教えて・・。」

というわけで、先輩としたら、何か困りごとが起こっても、いつもそうしていた当たり前のことだったのです・・きっと。だから別に覚えておくようなことでも無かったのでしょう。

自然体で動き、結果として皆が助かっているという・・すごい人でした。
再会したときも、その時の仕事を全力でやっておられました。

私の忘れられない人になりました。

後日談。A校、B校の女性の校長先生とは、私が相談部門に異動したときに二人同時に、結婚相談員として私の課にやって来ました( ̄O ̄;)

お二人とも私のことをよく覚えていてくれて、「あらぁ、〇〇さんじゃないの。」「〇〇さんがいてくれたら、安心だわ。」「また面倒みてね。あのときみたいにね。」

・・ということになりまして(^_^;)

仲良くそこで二年間お仕事ご一緒させていただきました。

 

2021/10/11

【無用な深夜残業を強いる人達の話/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №61】

20211011_fax_image_001

過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
今回は、私が耐震工事担当だったときの話です。二十数年前のことです。

ここでの仕事は、工事やそれに伴う引っ越し、様々なトラブルなどの現場対応も大変でしたが、大きな額の補助金も受けていたため、国からの様々な書類作成のオーダーや、国に補助金申請するためには、我が社の財政部門との細々とした書類作成が伴い、仕事漬けの毎日でした。

その中での話です。

ある日、夕方4時半頃にFAXが動き出し(まだ我が社にはメールも無かった・・のちにそれを作る部署に自分が行くとは思わなかったが・・)、「本日中に〇〇の資料を作成し、課まで持参のこと」という文書が財政部門の担当から届きました。

「夕方4時半にFAXして来て“本日中”ってなんだよ」と思い、担当に電話してみると・・・

財政部門の担当:「・・今日は何時まであるの?」

私:「えっ・・?」

財政部門の担当:「12時まであるでしょう。たっぷりと時間はあるんだよ。」

私:「もっと早くFAXしてもらえれば、さっさと取りかかったのに。」

財政部門の担当:「オレたちは毎日12時過ぎまで働いているの! 時間なんか関係ないんだよね。なんだったら12時に持って来てもらったあと飲みに行こうか。」

私:(心の中 → あんたら残業したら、しただけ時間外手当もらってるんだろうね。そりゃいいね。自分が予算を決めるところにいて“お手盛り”なんだもの。毎日“午前様”まで働いていてそんなに元気なわけないよ、ゆっくり仕事してるんだろうね。)

実際の会話 →「わかりました。書類はがんばって12時までに持って行きます。それから“飲み”はお断りします。家庭もあるし、家族のためにも身体をこわすわけにはいかないから。」

財政部門の担当:「ふうん、じゃ、待ってるから。よろしくぅ!」

・・そもそも12時に持って行ったって、翌日その書類を見るんじゃないのだろうか。
いらぬ残業させて、こっちは、あなた達が残業代の予算をカットしているから手当なんてとっくに無いんだよ。

そして国のお役人様もまた同様でした。

夜10時頃まで残業して、そろそろ帰ろうかなどと思っていると、またもやFAXが鳴り出す。

「明日の朝イチまでに〇〇の資料を作成し、FAXにて送付のこと」・・だって。

私が人間で、家に帰って食事したり、風呂に入ったり、寝たりするってこと知らないのかも・・。

で、FAXを送って来たお役人様は、タクシーでご自宅までご帰還されるそうで(一時、問題になったことがありました。わざとタクシーで帰れる時間まで残業しているんだっていう報道)、そして翌朝資料を送った旨私が電話すると、前夜FAXしてきた担当者は、10時に出勤して来るんだって・・。
朝イチの意味はなんだったんでしょう。

こちらは朝まで徹夜して資料を作り、夜明けにFAX送付。
日の出を見ながら、そのまま職場で翌日の仕事に突入です。

前にも書きましたが、私はこの部署に来て三ヶ月で20キロ体重が減りました。
そりゃそうなるでしょう。

結論から言うと、自分の都合しか考えていない。こちらの担当者が人間として生活していることなど知ったことではない! ということなんでしょうね。

今はそんなことはないとは思いますが、当時はこんなこと“日常茶飯”でした(T_T)

「24時間戦えますか?!」って、イヤなCMがありましたねぇ・・。

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