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2024/09/13

【忖度(そんたく)についてもう一度考える/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №72】

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少し前に『忖度』について書きました。
話題となっている県知事の報道がなされている最中だったことも手伝ったのか、意外と反応が大きかったのに驚きました。

そんなこともあり、再度、私が感じた「忖度」というものについて思い出しつつ考えてみようと思いました。

今回は、《忖度しろ》と《忖度するな》という二つのタイプについての考察と再現を。

最初は“忖度しろ”タイプの人。
私が東京に勤務することになったばかりの頃のボスは、そんな感じだったらしいです。

幸いに、私が外出中にそのボスが来て、上司二人がうちの事務所が入っているビルの車寄せで迎えると「大袈裟に出迎えるなっ!部屋の場所くらいわかってる、無駄なことをするな」と怒鳴られたそうです。
えっ?じゃ「忖度するな」の人じゃないの、と思うかもしれませんが、二人で迎えたことを時間と人のムダだと怒鳴りつけたかったらしい。

部屋に入り、お茶を出すと「私はまずい茶は飲まないっ!」と怒りだし、「水の方がまだましだ」と言ったとのこと・・ですが、来客用のお茶は指定されていて、それを一番よく知っていなきゃならないのはこのボスです。
予算削減だということで決まったことなのに。
じゃ、普段は誰が高級なお茶をボスに“本社”で用意しているのか・・おそらく“本社”秘書のえらい人あたりが高級茶葉を自腹で買っているのかもしれません。想像ですけど。

さらに東京に来た理由は華々しい場所に御呼ばれがあり、そこに行くまでの控室的に寄ったのですが、せっかく正装して輝かしい日においでになったので、職員が記念に写真をと思いカメラを用意すると、「安いカメラなんかで私を撮るなっ!」と怒鳴ったとのこと。

「カメラは用意してきた。こういう高級カメラで撮れ。」と渡されたカメラは、こちらで用意したカメラよりもずっと安いカメラだったとのこと。
プライド高く、自分以外は皆安っぽい人間だと思っていたのではないでしょうか。

やがて数か月の内にそのボスの不祥事でボスは交代となりました。
今度は「忖度するな」タイプのボス。

東京にやって来て、次々と国の色々な部署のエラい人と会い、議員さんとも会う一日となり、私が同行。
上司からは「昼食もとらなければならないが、和・洋・中どれもすぐに案内できるよう事前によく調べ怠りないようにしろ」と命令がありました。

午前中も活発に回り、お昼になりました。

私から「昼食は何がお好みですか?和洋中どれでもおっしゃっていただければ、すぐにご案内できます。」と言うと、「そういうの僕はいいの!サクッと食べてサクッと出て来れるところないの?」とのことで、へえ・・とおもった私は「わかりました、ここの社食にしましょう。」と職員さんがガヤガヤ・ザワザワしている社食にお連れしました。

プラスチックのトレイを渡し、「皆さん並んでいますから、ご自分で食券を買って、列に並んで空いているテーブルで食事してください。ちょっと面白いでしょ。」

「それからいつも誰かが一緒にいて気が休まらないでしょうから、私はその間にあちこち回り、資料取りをしています。お一人でたまにはぼんやりするのもリフレッシュできますよ、ちなみに食後にお茶・珈琲ということであれば、この建物内にある喫茶店とマクドナルドの場所の案内図を差し上げておきますのでどうぞ。」

というと、ボスのお顔は喜びに晴れ晴れとしていました。
「何かあれば携帯に連絡いただければすっ飛んで来ます、安心してお昼休憩していてください」と、その場はいったん別れました。

午後にまたあちこち回り出すと、きょうは夕方地元に帰ってから、何箇所か地元の会合に出席して挨拶回りがあるとお話しされました。帰りは夜遅くなるとのことでした。

「毎日こんな感じなんでしょう。お身体大丈夫ですか?いくらお若くても心配してしまいます。」と言うと、

「何言ってんの、私はこの立場になりたくてなったんだよ、これが私の喜びでなくてなんなの。今、いちばん幸せだよ。」とのお言葉。

あっ、この人はすごい人だ・・と驚きました。

 

2024/09/08

【忖度(そんたく)な出来事/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №71】

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最近、よく報道されている知事のパワハラによるその周辺の忖度(そんたく)度合・・というか、あの人はじめ、都知事選でけっこう票を集めた人が市長だった頃など、周囲の人達の忖度が異様に感じました。

至極まともな人が何か「ちょっとおかしいんじゃないか」などと言えば、その人が“血祭り”にあげられてしまうという状況・・けっこう身近にいくらでもあるんじゃないでしょうか。

十数年前の東京勤務時の出来事で思い出したことがありました。

その日、うちのボス(※要するに市でとってもエラい人)が東京に出てきて、打合せをした後、そのビルから午後大きな会議のあるホテルに行くことになっていたのですが・・。

ボスが来る前の日に、私の上司二人(東京勤務後半の嫌いだった二人)が30~40分もかけてひそひそと相談していました。

相手にしない方がいいと思ってはいたのですが、あまりにひそひそやっていて気になったので、「どうしましたか?何か困りごとでも出来ましたか」と聞くと、「チッ、まずい奴に聞かれた」という顔を二人ともしながら、「明日、ボスが来て打合せする建物からホテルに向かう時にクルマをどう動かすかについて導線の検討をしている」とのこと。

私:「導線も何もビルを出て6メートルの横断歩道を渡ったらそこが会場じゃないですか。こちらですと案内して一緒に横断歩道を渡ればいい」

上司A:「だからあんたはどうしようもない男なのだ。〇長に横断歩道を歩かせるというのか!」

上司B:「このアホウの言うことは聞かなくてもいいですよ、ろくなことを言わない」

・・・クルマにボスを乗せてしまったら、交通状況的にもボスへの印象的にもすぐにUターンしては非常に妙な感じになり、その場所の区画を一周して1キロほど走ってホテル側にクルマの降車ドアを向ける・・と真顔で話し合っていたのでした。

まったく同じ場所で道路の向かい側にクルマを駐めるっていうことです、簡単に言うと。

それをいかに走ったことが不自然にならないようにするにはどうしたらよいのか・・って何十分もああだこうだと話し合っていたんですね、その二人。

私:「その場で“横断歩道を歩かされた”とボスに叱られたらどうするかが気になるのなら、私がその案内をしますよ」

上司A・B「なにぃ~っ!!生意気なことを言うな」

と言いつつも、こいつのせいにすればいいと思い直したのか、結局私がその案内役になりました。

「〇長、こちらです。横断歩道を渡りましょう。どうぞ」と前に立ち半身になって横断歩道を渡り、会場のホテル玄関に案内。・・それで終わり。

部屋に帰ると、上司A・B「どうだった?お怒りになられただろう、歩かされたんだ」と走り寄ってきました。

私:「大きな歩幅で元気よく会場に向かって行かれましたよ。ご心配なく」

二人は茫然としておりました(^_^;)

 

2022/04/05

【朱に染まればわからなくなる/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №70】

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久しぶりに「過去に会った人、過去にあった出来事」シリーズです。

書こうと思ったきっかけは、ラジオで森永卓郎さんが話していた、たぶん「日本専売公社」にいた頃の話ではないかと思うのですが、わけのわからない上司に担当である自分の文章がどんどん朱書きを入れられ、直されて、最後には意味のわからない文になってしまったというようなお話をされていたのを聞いたからです。

思い出したのは、私がIT部門の仕事をしていた時のこと。
システムの5年ぶりの更新に向けて突き進んでいたのですが、多額の予算も必要です。
議会での質問は必至な状態。

上から「想定問答集」の作成を命じられたのですが、心配性な上司のこと、今までの人が作ってきた想定問答に加え、どんどん考えうる質問を増やすことになり、枚数は150頁にも達し(^_^;)・・こんなの読むのも大変だろうし、覚えることもできないだろう・・とは思いましたが、命令です。頑張って作りましたよ。

で、課長に見せると、表題にあるように“朱書き”で、どんどん“お直し”が入るわけです。
“真っ赤っか”です( ̄O ̄;)
それを一日掛かりで修正しつつ、了解を得つつ、さらに朱書きが入ったり、すったもんだ(^^;)して出来上がります。
担当として言わせてもらうと、朱書きで直されたところは、肝心の部分がぼかされ、“スカスカ”で、無難と言えば無難だが、何の意志も、決意も、やる気も感じさせないものとなります・・これでいいのか!

今度はそれを部長に見せるわけです。
そうすると、またまた“朱書き”の“大行進”!!それを課長に了解を得つつ、またまたお直し (・_・;これまた一日掛かり。元に戻っちゃったところもいっぱいある(^_^;)

で、出来上がりました。それをまた局長に見せると、あらら、またまた“朱書き”の嵐が吹き荒れます。
もう、こうなると「なんでこんな質問が出ると想定したのか」さえわからなくなってくるd( ̄  ̄)

というわけで、それに“懲りた”私。
次からは、“エラい人”全員にひとつの部屋に集まってもらい、プロジェクターとスクリーンを持参。PCに入っている「想定問答」を映し出し、全員に意見を出してもらい、その場でスクリーン上に映っている文章を直していきました。
キーボードは、話すのと同じくらいのスピードで打てるので、ものすごいスピードで完成形が出来上がっていくのでしたd(^_^o)

こんなのに二日も三日も掛けていられないんです、こちとら日々の仕事が忙しいんですっ!(#^.^#)

ついでに、似たような話をもうひとつ。

私が、「〇長への手紙」というものの担当だった頃。
とある小学校のクラス一同(四年生だったと思う)からのお手紙が、われわれのボス宛に届きました。
中身を見てみると、クラスで話し合って自分達の町を皆で周り、下水のフタが外れているところや、ガードレールが曲がったままになっているところ、遊具が壊れているところなどを町の地図の上に印を付けて、「〇長さん、一度見てくだい」というものでした。

主に当時の建設局に実際に現場を確認してもらい、いつまでに対応できるかなどをまとめてもらい、全体の回答文については、私が書きました。

「〇〇小学校四年〇組のみなさん、お手紙ありがとう。さっそく現地を見ましたよ。いつまでにこことここを修理します。」「とても参考になりました。クラス全員で作り上げた地図、とても見やすく、みなさんの行動力に驚きました。」「これからもクラスのみなさんで素晴らしい活動のアイデア、広げていってくださいね。」

・・などと、書いたのですが、そこでも課長や部長から(^^;)・・お前の文は軽くて“気安過ぎる”、「この度は貴重なご意見を賜りまして有り難う御座いました。」「今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。」・・などと、直せという指示が入りました(>_<)

小学生に何を言ってんだ、と思いましたが、仕方なく直すと、最終的に一番エラい人から「小学生に“ご指導・ご鞭撻”はないだろう」という至極まっとうな意見が出て、元の文章に戻りましたd(^_^o)・・そりゃそうだ。

 

2022/01/21

【ワサビと唐辛子で何かを試す二人/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №69】

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過去にあった人と出来事のシリーズ、まだ続いています。
以前にひょっとして書いたことがあったかもしれないけど、このシリーズを利用して再度考察いたします。

今回登場する二人とも上司、あるいは役職が上の人達。

最初の人は夕方突然、飲み会をするので来るようにとのことで、行きたくないけど仕方なくついて行きました。皆、肩を落としてついて行きました。

飲み会途中で「すごいことを知っている。ワサビをビールに入れると苦くなくなって飲みやすくなるんだ。そうだ、お店の人に言って小鉢にワサビを大量に盛って持って来てもらえ。」と言いだしました。

私は「えっ・・なんてことを」と思っていたら、その上司の一の子分が飛んで調理場に行きましたが、女将さんに何に使うのか聞かれ、正直に言ったら「そんなことのためにワサビはお出し出来ません!」と即座に断られました。・・そりゃそうだ、女将さんが正しい。

そしたら一の子分の男が「私がコンビニまで走って買って来ます」とお店を飛び出し、チューブ入りの練りワサビを買ってきてしまいました。

で、その上司は、全員のビールグラスに“じゅぶじゅぶ”とワサビを4㎝ずつくらい落とし、自らのグラスには入れない・・(T_T)

「ほら、飲め」と。 全員肩を落としながらそれを飲み・・

「ほんとですね、苦くない。ビールの味がしません。これは飲みやすい。」などとわけのわからない“おべっか”を言うのでした(^_^;)

せっかく人を誘って飲み会をして、こんなひどい目にあわせる・・。
しかも、“完全割り勘”!! 全部奢れとは言わないが、誘ったら料理のひとつでも皆にご馳走したらどうだ、と思いましたが、こういう人ってものすごいケチなことは共通しているのです。次にご紹介する人も同じだった。

私が考えるに、酒のたのしみ方も知らないし、こんな愚かなことをして、皆が自分に従うか試さないと安心できないのでしょう、これでますます嫌われるのにも気づかずに。

でね、コンビニまで走ってワサビを買ってきた男は出世しましたよ、こういうもんですd( ̄  ̄)

 

 

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さあ、二人目。
またも同じような状況で、無理やり人を集めての飲み会でした。
焼き鳥屋での飲み会でしたが、大皿に焼き鳥各種の盛り合わせをその人は頼み、運ばれてくると、その大皿の焼き鳥全部に七味唐辛子を“ひと瓶”!ザァ~ッと掛け、焼き鳥本体が七味唐辛子の赤で見えなくなりました。

「こうやって食うのがいちばんウマいんだ。さあ食えっ。」・・だってさ。

「自分の取り皿に何本か取って、それに唐辛子を掛ければいいじゃないのっ!」と思いましたが、皆も無言・・。

ひとくち、口に入れた途端に皆「げほ、ごほ」とむせています。当然のことです。
それでも、前回にもいた“太鼓持ち”的なヤツが、「なるほどこんな食べ方があるんですね」と、わけのわからぬ“おべっか”を言う(^^;)・・・で、こいつもスピード出世しました。私にこれだけの“ゴマがすれれば”もうちょっと出世したでしょう。

この人も自分の言うことを皆がきくかどうか、こんなことでもしないと安心できないんでしょうね。
つまり、ほんとうは自分に自信がない。・・だから確認作業が必要になる。

で、皆を呼び出したのに、こちらも完全割り勘! (・_・; そういう人なんだよ。

結論が出ました。
出されたものは、どんなものでも飲み、食べ、「これはいい」などと感想を述べる(^_^;)
これで宮仕えはうまくいくっ!

私はやんないけどね。

 

2021/12/26

【それをやれるって言うのがお前の仕事だろ・・という人/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №68】

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24日の新聞に出ていた記事に、三菱電機の経営陣に対し、外部専門家の検証報告が出て「極めて重い経営責任を負う」とされ、厳しく経営陣の隠蔽体質を指摘していました。

鉄道関連製品などの品質不正問題が長きに渡って発生していたのに、要するに隠蔽体質の最たる経営陣により代々発覚を防ぐため口裏合せをしてきたのだそうです。

検査結果を偽造するプログラムまで作って代々使っていた・・(T_T)んだそうですよ。

若い社員が「これはさすがにまずい」と思い、自分には出来ないというようなことを言うと、管理職が叱責していたそうです (・_・;「これくらいやれないのか、仕事が出来ないヤツだな」と。

「仕事が出来ない」のは、この上司です。

私も同様の経験をしたことがあります。

情報部門にいたときに5年ほど経過していた社内ネットワークの再構築をすることになり、私がその隊長でした。

そのときの上司から「こういうふうに複雑になっている現行のネットワークを“これこれこういうふうに”統合しろ」という命を受けましたが、話を聞き、自分で図にして何度も自分の知識・経験にその方法を問いただしてみましたが、そんなことしたら個人情報がハッキングにより洩れてしまうのは目に見えていました。

IT大手十数社にも正式に招聘して資料を提示し、意見を聞いてみましたが、どこも「考えられない。どうやってもこの方法ではデータを保護することは出来ない」という結論でした。私の考え方は間違っていないと確信を得て上司に相談。

「この方法ではなく、別の方法について検討したい」と。

そうしたら、明らかにイライラしているのがわかりましたが・・

「それを“出来る”と言い切るのがお前の仕事だろ!」と、にべもない・・。

私から「今のままで実行して、事故が発生しなければ大きな予算節約・削減に大いに貢献することになると思いますけど、いつか事故は発生すると思います。もし、そうなったら“私”が責任者だと言うんじゃないんですか。うまくいったら自分のおかげ。失敗したら私のせいになるということですか。」

と、真っ正面から言ったら黙ってしまいました。図星だったのです。

その後上司は異動で別の人に変り、新しい上司は私のやり方を認めてくれて事業は成功しました。
が、前にも書きましたが、上司の引き継ぎのとき、私のことを前の上司は「言葉も満足にしゃべれない状態の廃人同然の人間だから話なんかしなくていい」と引き継いでいたことを後々に知ることになりました。

意向調査も面接も私にはしてくれなかったその人は、私が職場で苦しみ、心療内科に通い、死ぬ思いでネットワークを再構築したことなどまったく知らぬまま異動して行ったのでした。

でも、今現在、仕事も辞めた状態で思い返しても、仕事的にはその後はずっと底辺にいることになってしまいましたが、正しいことをして良かったのだと納得しています。
今になって、人が生きるうえで大切なこと、大事にしなければならないことがしみじみとわかるようになりました。
それがわかっていれば、心療内科などにも通わずにすんだのに、と思いますが、そのときは必死でわからなかったのです。

 

2021/12/23

【クレームをもってくる人達の様子/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №67】

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過去に会った人、出来事シリーズ、まだ続けます。いくらでもネタはある(*^_^*)

今回はかつて職場の広聴部門にいた時に多く経験したクレーム対応というか、クレームを抱えてやってくる人達の話です。

手紙、文書、電話でも“私の言うことを聞いてくれ”ということはありますが、もちろん直接やって来ることもあります。

たとえば電話だと短くても1時間はかかりますし、長ければ2~3時間は“ざら”です。
直接来訪された場合などは、午前中いっぱい、とか、昼休みをとってきてから再度来て夕方まで・・ (・_・;なんてのもしょっちゅう。夕方やって来て、勤務時間が終了しても夜10時頃まで話をされる方もいました(T_T)体力勝負です、あちらはたまった不満エネルギー発散状態ですが、聞いているこちらは、気持ちを強く持たないと“疲弊”の度合いがひどく、翌日の出勤が怖くなったりもします。

手紙で苦情等を送った人で、ある日どうやって入り込んだか、執務室内に入ってきていて、突然担当の女性の背後から「私への回答はどれですか」と話しかけられ、騒然となったこともありました。

毎日毎日バイクに乗ってやって来て、所属長の顔を覚え、所属長目指してやって来て、とにかくご近所のことから市内全体の大きなことまで、クレームの山を語りにやって来る人がいたことをよく覚えています。
毎度毎度3時間くらい・・。

ある日その所属長が私の机の前を“ほふく前進”しているのを見て「どうしたんですか」と声を掛けるまえに所属長は私に向かって両手を合せ、拝むように私を見ました。
カウンターの外を見ると、バイクのクレーマーのお方がお探しになっている(^_^;)

「あれっ?さっき見たような気がしたけど、あいつはいないのか?!」とその“ほふく前進”の人を探している(^^;)

私は手を下に出して“逃げろ逃げろ”と所属長に指示。

そのクレーマーのところに歩いていって、「私がお話聞きますよ」と。
そして、テーブルには案内せず、カウンターの向こうに回り、お客さんと同じ側から同じ方向を向いて隣に座りました。

ようするに向かい合わない、相対しない。
そして、カウンターで隣り合って酒を飲むように…σ(^_^;)「どうしました」
「えっ、そうなんですか」「そりゃたいへんだ」「こまっちゃいましたね」と相づちをずっと打っておりました。

そしたら「あんちゃん(あの頃私は若かった)と話をしていたら、すこし気がおさまった。腹減ったから今日は帰るわ」とバイクに乗って帰って行きました。

そのあと1時間ほどすると所属長がどこからか帰ってきて、「ありがとう、まだいるのかと思ったけど、どうやって帰したの?!」と、聞かれましたが、「お話だけ聞いて、そうですか、そうですか、そりゃたいへんだ、と言っていただけです」(゚ー゚*)。oO

所属長は「その“技”は、私にはまだ無理だ」と・・(^_^;)

たぶん、たぶんですよ。
クレーマーと呼ばれる人でこのタイプの人は、もう家族も近所も、町内会等の組織でも、うるさくて手に負えなくて、だあれも話を聞いてくれなくなっているのです。
話を聞いてくれるのは「苦情窓口」で仕事で話を聞かなきゃならない人だけなんです。
可哀想と言えば可哀想ですが、そんな人の話を聞いてさしあげるのも自分の人生の中の一コマで与えられた仕事だと思えば・・なんとかなる・・・・・ならないときもあったけど…σ(^_^;)・・・・という考えでした。

ああ、あの人の顔、まだ思い浮かべることができます。
そして、私の前を這ってきた所属長の必死な顔も・・(*^_^*)

 

2021/12/20

【得意そうに“キジツぜん”と言う上司/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №66】

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大好評をいただいてまいりました、この過去に会った人、出来事シリーズ(^^;)、今回はもう66回目ですよ。

今回は、なんというか“専門用語”的な言葉を“得意げ”に使う人について思い出したので書いてみます。

まず登場するのは、このシリーズで、私が書いた FacebookPage の記事を「誰に書いてもらったんだっ!」と会議室に監禁して疑ったあの上司です。

ある日、選挙の投票日が週末の日曜に迫ってきたときの職場での会話。

私が、「もう“キジツまえ”(期日前)投票をしてきたので、日曜は投票には行かずに済みます。」と、その上司に言ったら・・。

上司:「は??」と怪訝な表情。

私:「キジツまえ投票を既にして来たんです。」

上司:あきらかになんだかわからないと小首を傾げて、頭の上に「?」を出し、両手を困った困ったというふうに広げる大袈裟なジェスチャー。

私:「だから期日が来る前に選挙の投票に行った・・」

上司:「ああ、“キジツぜん”投票のことね。何言ってるんだかまったくわからなかったよ。」と、何だか小バカにしたような見下したような態度。

なんだ、この人・・・と思ったのですが、この人がわけのわからない“こだわり方”をしたということは・・くだらない理由があるにちがいないと、あとで調べたら、総務省がこの期日前投票に関する法律を成立させたときに「キジツぜん投票」という読み方で国会を通したんだそうですよ。
だから、“キジツぜん”という読み方をしないヤツには反応しないんですって・・バカだねえ。

でもって、テレビ、ラジオなどの報道では「キジツまえ」と言っています。その方がよっぽどわかりやすいが、一般的には《どっちでもいい》ってことになってるそうです(^_^;)

くっだらない、こんなどうでもいいことで何かマウントをとっているみたいな“バカ上司”・・ご存知のとおり、過去のこのブログでエピソードをご紹介したようなあきれた人です。

もうひとり別の人、ついでにご紹介。

その上司は過去に「広報」にいたことがある人でした。

で、新しい職場で私がまたその人に FacebookPage を作れと言われ、事前に原稿を見せたら、

上司:「どれどれ、リードはどうなってんの、リードは?」

私:その「広報用語」を私は知らなかったが、たぶん全体を示す導入部分にあたるようなところを指すのかな、などとそのときは思っていました。
「リードも何もその短文で全文です。見ていただいて、指摘があれば直します。」

上司:「リードも知らないでこういう文を書くの?信じられない。いいかげんな時代になったもんだねぇ」

とのことでしたが、毎回毎回スタイルを変えて、いきなりドカンとウケるようなことから入っていったり、どこかを訪問した記事などの時には風景などから“静々”と入っていったり(^^;)で、リードってあとで調べたらいろいろ法則があるようですが、そんなものやってたら画面がキレちゃうんですよ。

で、結局、私が書くと、アクセス数“うなぎ上り”だったので、「リードの法則」については“不問”となりました。文句言えなくなっちゃったみたいです。

自分の得意なフィールドに相手を連れ込んで“上から目線”で相対するような人もこのほかに長い仕事人生でたくさんいらっしゃいました(>_<)みなさんとサヨナラできて、今となってはホントによかったです。

 

2021/11/27

【ギターを抱いた同級生/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №65】

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久しぶりに「過去に会った人、出来事」シリーズを書いてみたいと思います(^_^;)

今回は、私が学校を卒業して就職したばかりの頃の話。
ある日の夕方、職場に電話が掛かってきて、私を呼び出してくれとのことで、出てみると・・「〇〇君(私のこと)、久しぶり。Sです。」と、中学の同級生の女子からでした。
中学を卒業して以来のことでした。

「ものすごく久しぶりだねぇ。どうしてここがわかったの。」と聞くと、同級生の女子からそこに就職したと聞いた。職場の課名もわかっていたので電話番号を調べた・・とのことでした。

彼女は、中学時代には秀才で、特に国語関係に強く、作文などはよく表彰を受けていた女子でした。動物も好きで、猫と烏を飼っていた記憶もありました。小柄で、キリッとした顔立ちの子でした。

話は即決で互いの帰りの途中駅で降りて、喫茶店で落ち合うことになりました。
会ってみたら、彼女の印象は中学時代と全く変わらず、久しぶりなのに話もはずみました。
彼女は大学を卒業し、市内の中学校教諭になっていました。

それからは夕方の終業が近づくと彼女から職場に電話があり、平日の週2~3日は帰りに喫茶店やレストランで会って、話をするようになりました。不思議なことに話題は尽きず、毎回爆笑のうちに楽しい会話になりました。

やがて私がジープ型のクルマを買い、野山に出掛けるようになると、彼女から「面白いから連れて行ってくれ」とリクエストが有り、林道をくぐり抜け、山の高いところでコーヒーを湧かしたりしながら楽しい時間を過すようになりました。

互いの家にも行って、彼女の好きな本を読ませてもらったり、私の家でレコードを聞いたりもするようになり、傍から見たら“恋人同士”みたいになっていました。
実際は、ただ会って話しているのが楽しく、そこまでは考えてもいなかっのです。

そんなことが二年間ほど続いたのですが、ある日私の家に中学時代の男子の同級生が突然やって来ました。これも中学卒業以来のことでした。

彼は、ギターケースを抱え、「ちょっといいか」と私の部屋に上がってきました。
突然やって来て、何を言い出すのかと思ったら・・「おいっ、彼女を俺にくれ!」と( ̄O ̄;)

そして、やおらギターケースからフォークギターを取りだしたかと思うと・・

「彼女が好きなんだぁ~♪ 中学の時から好きで、好きで忘れられなかったぁ~~ どうしても好きなんだぁ~ 俺に渡して欲しいぃ~っ」って自作曲を歌い出したんです(^_^;)

何なんだっ!今、何が起こっているんだ (・_・; どうすればいいんだ・・とうろたえる私・・。

やっと、彼が、妙な曲を歌い終えたので

「あのさぁ、その歌を俺に向かって歌う前に、彼女に直接付き合って欲しいと言った方がいいんじゃないの。俺と彼女はそういう関係になっていないから、彼女がお前と付き合いたいと思うなら付き合うんだろうし。」

ギターを抱いた同級生:「なるほど、気が付かなかった。言ってみよう。」・・(^^;)

実のところを言うと、彼がもし彼女と付き合うようになってしまったら、今の彼女との楽しい関係を続けるわけにはいかなくなるな、と、ちょっと不安な気持ちもありました・・。

で・・ねぇ、これが驚いたことに“ギターを抱いた彼”と付き合うことになった・・と彼女から連絡があったんですよ!(>_<)

「できればあなたとも今まで同様にしていたい。」とその後言われたのですが、「それは無理だよ。あんなにあなたに夢中になっているんだから真面目に付き合ってあげてよ。」

ということで、それ以降は会わないことにしました。・・かなり複雑な気分。

やがて二人は結婚した・・と、風の噂に聞きました。

さらに風の噂・・二人は離婚した・・。

彼は中学時代から“フォーク・ソング好き”で“深夜放送好き”な男でした。
大学も四年浪人して、入学後は八年間大学生活をし・・(ってことはあの私の家で歌い出したときは学生だった!!)、卒業後はついに仕事という仕事はほとんどしなかったとのこと。
彼女の家が裕福だったので、なんとかなったのだと思いますが、それでも結局はそんなことに。

人の人生ってどうなるかまったく予想も想像もつきません。

私の人生もその後いろいろありましたし・・。
今回は、若い頃の人生の一コマ、振り返りましたd(^_^o)

 

2021/10/20

【高校の時、覚えている先生の出来事/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №64】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
私、高校時代の先生の授業のことなど・・あまり覚えていませんが、でもちょっとした出来事だけは覚えていることがあります。そういうことばっかりなんですが…σ(^_^;)

ひとつは

「物理」の先生

たとえば、重い物を机に乗せたら、机は下からその重い物を反発して持ち上げている・・というんです(^_^;)先生が。
頭のいい子達は「なるほど」などと頷いていましたが、私には納得がいきませんでした。

「誰が持ち上げているんですか、先生」などと思わず声を出してしまうのですが、「これが理解できないと、そもそも理論が理解できないってことだから話にならない」と先生。
まるで禅問答のようですが、なんだか最後までわかったような、わからないような授業でした。
でも、だからこの物理の先生の顔ははっきり覚えているd(^_^o)

もう一人は「生物」の先生

ほ乳類が育っていく過程で生まれてすぐの「乳」というものが大事で、成分はこうだ・・みたいな話をしていたのです、先生。

先生:「ちょうどいい機会があったんですよ。私、晩婚ですがこのたび子供が生まれまして、で飲んでみたんですよ」

教室内・・・・ザワザワザワザワ・・・。

先生:※気づいたらしく「あっ、ちがうんですよ。直接飲んだわけじゃない」

女子生徒:「きゃーっ!!」「いやーっ!!」「やめてぇ~っ!!!」

先生:「誤解を生んでしまいました。あの・・ちゃんと小さなコップに取ってですねぇ・・」

女子生徒:「ギャア~ッ~~」※教室内阿鼻叫喚( ̄O ̄;)

男子生徒:ほぼ全員妄想中・・。

というお話でした(^^;)

こういうことはよく覚えているんですよね。肝心な勉強のことは全然覚えていないのに・・(^_^;)

 

2021/10/14

【今ではなかなか無い、手紙での行動について/過去に会った人、過去にあった出来事について振り返る №63】

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過去に会った人、あった出来事についての回顧文シリーズ。
たぶん、このブログを読んでいただいている方の多くは、手紙なんてほぼ書くことは無いんじゃないでしょうか。

私にしてもほとんど無かったのですが、このブログにも登場する中学時代の担任の先生が、年齢のこともありますが、“超アナログ”な方なので(^_^;)やり取りするのは電話か、手紙になりました。

何度か先生との手紙の“行ったり来たり”をしてきた中で、だんだん慣れてきて、あまり苦にならなくなり、手紙にするとメールやラインとはまた異なる心の通ったやり取りができることをあらためて感じています。何よりも“直筆”っていうのがいいと思いますd(^_^o)

で、今回は手紙での話題です。

話は古く、私が二十代半ばの頃。
このブログでも宝塚の話題のときに書いたことがありますが、「過去の会った人、出来事」シリーズとして思い出してみます。

生まれて初めて宝塚歌劇に連れて行ってもらい、「こんなに素晴しいものが世の中にあったのか」と感激したのですが、その後居ても立ってもいられず、東京で見た花組の別公演のビデオも見せてもらいました。

そのビデオで見たミュージカルに出演していた娘役さんで、その公演のみ少年の役をされ、人と人の心を通わせる心優しい少年役で、美しいボーイソプラノを聞かせてくれた方に、私はこの感動をどうしても伝えたいと思い、お手紙を差し上げることにしました。

手紙に慣れていなかった当時の私ですが、時間を掛け、一生懸命ありったけの気持ちを込めて書きました。そして所在地もよくわからなかったので「宝塚市宝塚歌劇団花組〇〇様」と表書きして送ったのでした(*^_^*)・・これが届くんだよね。

そうしたら、一週間もしないうちにお返事をいただきました。

あとからわかったのですが、彼女は花組の中でも中心的な娘役スターで、花組一番の“歌姫”、ファンもたくさんいる大スターでした・・何も知らずに「あなたのあそこでの演技は素晴しい」だとか「トップスターの腕を取って歌い出した時のあなたはの歌はとても良かった」だとか、たいへん失礼なことを、私、書いてしまっていたわけです。

お返事には、私の手紙をとてもうれしく読みました、ということと「今は宝塚大劇場公演ですので、見に来て」と書かれていました。

それをまた真に受けた宝塚初心者の私は、のこのこと宝塚市にある大劇場まで出かけて行ったのでした。
行ったのは千秋楽、彼女が全て手配してくれるとのことで、ここでもよりによって「千秋楽がいいです」などと“ずうずうしい”ことをお願いしてしまいました。普通は千秋楽の券なんて取れません。知らないということはおそろしい・・。

で、千秋楽をものすごく良い席で見させていただき、ファンの皆さんとの終演後の宝塚ホテルでのパーティーにまで呼んでいただき、ご本人とお話させていただきました。

「千葉からいらした私の大切なお客様です」と会場の皆さんに紹介していただいて、もう恐縮しきりでした。

そして「一緒に写真を撮りましょう」と、私のいたテーブルにやって来てぎゅっと私の腕に手を組み、記念写真を撮ってくださって・・心臓が爆発しそうでした。

壇上に戻ると、私がビデオで見て感動したあの曲を歌い出しました。
もう、いつ死んでもいい!!と本気で思いました。

私がビデオを見てからほんのわずかの時を経て、こんな夢のような出来事が起こったのでした。

たった一通の手紙が大きな出会いをプレゼントしてくれました。

私がこのブログで宝塚のことばっかり書いていて、ほめてばっかり(*^^*)というお言葉をよくいただくのですが、だってあんなことがあったのです。みな宝塚歌劇への恩返しです。
返しても返しきれないくらいの素敵な手紙へのお返事をいただいたのですから。

 

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