フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2022/11/29

「ゆかいな珍名踏切」という本を読んだ。

20221129_imao_keisuke_001

『ゆかいな珍名踏切/今尾恵介著(朝日新書)』という本を読みました。
ブックオフで見つけたのですが、著者は地図研究家で一般財団法人日本地図センターの客員教授、日本地図学会専門部会主査などという肩書の方です。

路線名だとか、駅名の「珍名」ならなんとなくわかりますが、「踏切」の名前で珍名を探そうという視点が独特です。
しかも、その珍名から由来を尋ねてご近所の人や通りかかった人に話を聞いたり、図書館などで調べたりということをコツコツと続けていく著者にはなんだか頭がさがります。

で、実際の“珍”踏切名はどんなんだろうというと・・。

「馬鹿曲踏切」「壺焼き踏切」「パーマ踏切」「レコード館踏切」「虚無僧踏切」「洗濯場踏切」「切られ踏切」「ファッション通り踏切」「豆腐屋踏切」「天皇様踏切」「爆発踏切」

・・などなど、“踏切界”には詳しくない(^^;)私が聞いても面白い名前がたくさんです。

なんでそんな名称になったのか現地を訪ねつつ、いろいろと調べて回るわけです。
たぶんこうであろうというところまでは、ほとんどの踏切でたどり着いていました。

馬鹿曲踏切は、現行路線と異なり、以前の路線が大きなカーブを描いていたので、“馬鹿に曲がっていた”ことからそんな名前になっていたり、洗濯場踏切は、かつて湧き水が出ていてけっこう大きな洗濯場があったのだということを近隣の方から聞き出したりしています。

でも、大きな下水管が埋設されたことによって水脈が断たれ、湧き水も止まり、廃止されてしまったのだというところまで突き止めています。
そして踏切近くを探すと、かつて洗濯場であった痕跡まで見つけることに。

それがどうした、という人もいるかと思いますが、私はこういうの好きです(*^-^*)

旅行に出たときなど、地元の人から話を聞いて、「かつてこれこれこういうものがあった、あれが名残だ」などと遺跡のようなものを見せてもらったりすると、「ここにはこんな歴史があったのだ」などとしばし感慨を持ちつつ佇むことがあります。

なので、いろいろな珍名踏切の由来などが徐々にわかってくる過程も楽しくて、面白がりつつ読了いたしました。

今度から踏切を渡るときには、その「名前」を見てみようと思います。
身近なところに意外な珍名踏切があるかも。

 

2022/11/25

「さよならの力/伊集院静」を読みました。

20221125_ijuin_shizuka_001

『さよならの力 -大人の流儀7-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
2016年から2017年にかけて週刊現代で初出、単行本化に際し修正・書き下ろしを加え2017に刊行されたものです。

この本のテーマはタイトルどおり“さよならした人”、かつて“さよなら”したこと、“亡くなった人とのさよなら”などについて書かれていました。

伊集院さんは、大学生の頃、弟さんを海の事故で亡くし、27歳という若さの奥さん(夏目雅子さん)も亡くし、父を亡くし、そして東日本大震災で仙台に住む伊集院さんは多くの人とお別れすることになりました。

そういう心に遺された痛み、傷のようなものが時を経てどう心の中で変化していくのか、ということが書かれています。
これは他の伊集院さんの著書でも書かれていることがありましたが、特に突然失ってしまった配偶者や自分の家族などについては、さまざま多くの人がそういうことに遭遇することになる・・そんな人にどんな声を掛ければいいのか、自分に対してもどう考えればいいのか、ということが丁寧に静かに書かれていて、涙してしまうことが読んでいて何度かありました。

それから、小さい頃にいろいろ面倒をみてくれた近所のお兄さん的存在だった人。
その人が中学を卒業してから会っていない、さよならしたきりだ・・ということが書かれていましたが、私にも小さい頃に近所にちょっと悪い感じだけど、でも自転車に乗せてくれて、いろいろなところに連れて行ってくれたり、自分が知らなかった遊びなども教えてくれる“トシ坊”というお兄さんがいました。
そして、やはり私が小学校高学年になった頃にはもう我が家にも遊びに来なくなり、さよならしたきりです。
そんな人が誰にもいたんじゃないかなと思いました。

「さよならだけが人生だ」なんて言葉もありましたが、さよならすることよって人間は何かひとつ乗り越えていくような気がします。
そして人に対してやさしくなれるような気もします。

さよならについてしみじみと考えることになる本でした。

 

2022/11/24

「東京育ちの京町屋暮らし/麻生圭子」を読みました。

20221123_asou_keiko_001

『東京暮らしの京町屋暮らし/麻生圭子著(文藝春秋)』を読みました。
いつもどおりのブックオフで安価にて購入。
2000年7月発行の本です。

著者、麻生圭子さんはエッセイストで、作詞家としても吉川晃司、小泉今日子、中森明菜などの曲を手がけている方だと知りました。

その麻生さんが京都のいわゆる“町屋”暮らしをしようとするのですが、その町屋を借りようとして大家さんに会うと、「町屋かなんか知らんけど、あんたみたいなよそから来た人間がやな、勝手に、そんないい方してるだけや。我々、京都の人間はそんなことば、使いませんな」・・と、初っ端から痛い洗礼を受けます。

ま、一筋縄ではいかないわけで、不動産屋さんから知人、その他あらゆる“つて”を頼って町屋を探し、借りる際の改修をどこまでやっていいのかという条件などの擦り合わせも大変なことになりました。

いったん借りることが出来、契約もきちんとして、その後、夫も含め多くの人の手を借りて床を漆で塗ったりたいへんな作業をするものの、途中で話がご破算になり、苦労が水の泡となることもありました。

しかし、著者、麻生さんの町屋に対する「住んでみたい」という願望は最後まで衰えることはなく、本を読んでいるだけでもこちらが気絶しそうなくらい大変な思いと作業を経て“町屋暮らし”に漕ぎ着けるのでした。

そして、町屋暮らし・・優雅でいいじゃない、と思うと、それは現代の快適な環境、たとえばエアコンや水、給湯関係などが麻生さんが住もうとしている町屋では、昭和三十年代のような暮らしをしなければならないことになるのです。

冬は外と同じくらいの寒さの中で暮らさなければならず、台所などは土間にあり、足の先から芯まで冷たくなるらしく、夏はエアコンもないので当然あちこち開けて暮らすわけで、だから蚊帳を吊るのは当然のこと・・。
冷蔵庫も今どきの大型のものを置く場所もなく、小型で冷凍庫もない生活を選びます。

とうてい現代人には耐え難いような環境かと思いますが、でも、それでも“町屋暮らし”をしたいという気持ちはなんだか理解できます。
現代社会の皆が共有している、いわゆる“便利で快適”な生活よりも大きく深い喜びがきっと町屋暮らしにはあるのだと思います。

掲載されている写真を見ていると、なんだか私も憧れてしまいそうな“豊かさ”を感じてしまいます。

このあいだ、またもブックオフで麻生さんの「京都暮らしの四季」について書かれた本を見つけ、購入いたしましたので、読みましたらまたここでご紹介したいと思います。

今回は、京都の町屋暮らしって、なんだか良さそう・・というところまでの読後感ご紹介でした。

 

2022/11/20

「私の酒 -『酒』と作家たちⅡ-/浦西和彦・編」を読みました。

20221119_uranishi_kazuhiko_001

『私の酒 -『酒』と作家たちⅡ-/浦西和彦編(中公文庫)』という本を読みました。
この本は文庫オリジナルで、2016年に発行されたものですが、内容は『酒』という一人の編集者の手で40年の長きにわたり刊行され続けた雑誌の中から名エッセイ四十九篇を収録したものです。

その四十九篇の四十九人の“名だたる”人たち、“錚々たる”顔ぶれには驚くばかりです。
収録されているエッセイの多くが昭和三十年代のものなのですが、今の人たちの酒の飲み方とはまったく異なる豪快なものばかりです。

当時画壇における最高齢者であった横山大観を東京駅長の加藤源蔵さんという方がたずねたときの話を作家の上田広氏が書いている文がありました。

大観氏に長寿の秘訣を尋ねると、「人生長生きするには御飯を食べない方がいいようだね」と言い、では何を食べるのかとふたたび尋ねると「お酒があるでしょう。お酒を飲んでいれば、御飯なんかたべる必要はありません」と答えるのでした(^_^;)

この大観氏の話題を筆頭に、酒は浴びるほど呑むのが昭和三十年代の飲み方であったことがわかります。
この「酒」という雑誌では、酒飲みの番付も作っていたようですが、きっと三役以上の名だたる作家の方々は、収入のほとんどを酒にして飲んでいたような方にちがいありません。
事実、そんなエピソードも書かれていました。
奥さんに家計簿を見せられ、家計の赤字の理由はもちろん“酒代”です(^^;)
だいたい一般の会社の課長さんの給料くらいは酒を飲んでいたのだな、とご本人が書かれていました。
そんなんばっか・・(^^;

深酒で記憶を失ったり、財布をなくしたり、雪の降る中、道で寝てしまったり、電柱にのぼったり、・・読んでいるこっちは面白いけど、当時の周囲の人たちは大変だったろうという話ばかり。

昔の話をたっぷり読んで、笑ったり、感心したりでした。
酒飲みにとって、話の“肴”になるような本でした。読み応えたっぷり!!

 

2022/11/14

「寿司屋のかみさん サヨナラ大将/佐川芳枝」を読みました。

20221114_sagawa_yoshie_001

『寿司屋のかみさん サヨナラ大将/佐川芳枝著(講談社文庫)』を読みました。
このブログでも何度かご紹介している“寿司屋のかみさん”佐川芳枝さんが書かれた「お寿司屋さんエッセイ」です。

・・でも、今回は芳枝さんが長年連れ添った「大将」が亡くなるというお話が中心となっていて、ちょっと読むのがこわくて書棚からなかなか取り出せずにおりました。

意を決して読んでみましたら、さすが“寿司屋のかみさん”芳枝さん!大将が具合が悪くなった頃からの家族やお客さん、周囲の様子なども書かれてはいるものの、悲しさだけではない“温かい”話題をからめて見事に明るい書きぶりになっていました。

思わず私も涙腺が緩み、涙したところもありましたが、“あたたかい気持ち”になる文章で、ほっとしました。

大将とおかみさんの想い出、そして残されたお客さんと大将の様々なエピソード、さらに二代目大将となった息子さん「豊さん」の頼もしい“つけ場”での姿も描かれていました。
いつものように、おいしいお寿司の描写ももちろんたくさん書かれていて、二代目が亡くなられた大将のお寿司にさらに工夫したものを考案するのですが、その描写も見事で、とてもおいしそうに書かれていました。

芳枝さんの文を読むと、心がなごみます。
読みながら「なぜだろう」と考えるのですが、文章があまりにも見事過ぎてそんな考え事ができないくらい美しく、流れるような文体なのです。

真似は出来ませんが、私もこんな心がやさしくなるような文を書きたいと思いました。

まだまだ佐川芳枝さんの書かれた本(児童文学もあるらしい)は、何冊もあるようなので、また探して読んでみます。
そしてここで読後感をご紹介したいと思います。

 

2022/11/13

「旅だから出逢えた言葉/伊集院静」を読みました。

20221113_ijuin_shizuka_001

『旅だから出逢えた言葉/伊集院静著(小学館文庫)』を読みました。
伊集院さんが旅に出て、そこでその地で出逢った人や出来事から得た言葉について書かれた本でした。

ほとんどが国外に旅をしたときに伊集院さんが感銘を受けた言葉だったのですが、私がいちばん強い印象を受けたのは、伊集院さんの奥様がふともらした言葉でした。

場所は伊集院さんが奥様と出かけたスペイン。
バルセロナの北、モンセラットにある“奇跡のマリア”に義父の長寿を祈りに出かけられたときのことです。

奥様のお父様は担当の医師からの診断よりも、その祈りのお陰か何倍もの歳月生きることができたとのことでした。

敬虔なクリスチャンである奥様(女優の篠ひろ子さん)に「神は君に何かをしてくれるのかね?」と伊集院さんがたずねると・・

「どうなんでしょうか。私は神が何かをしてくださるとは思いません。ただ私はささやかな契約をしているのだと思います。その契約のために祈っているのではないかと・・・。」と応えているのです。

思わぬ答えに、伊集院さんは一瞬、沈黙します。
「私が旅で探していたものへの暗示がこんなに近くにあったことに驚いた」と、夜の仕事場で伊集院さんは振り返っています。

そしてもうひと言、奥様から・・

「何かをしてくださったこということはありません。でも、どんな時も、そばにいてくださいます。」と。

私自身はクリスチャンではありませんが、でも、神様って奥様の篠ひろ子さんがおっしゃっているような、そんな感じでとらえています。

私にとっても神様という存在は、何かしてくれるわけではなく、面倒を見てくれるわけでもなく、でもどこかにいて見守ってくれている、そんな感じ・・。
そうでもなければ、ただひとりこの人生を生きて行くのは厳しすぎるし、寂しすぎます。

そんなことを考えつつ読了いたしました。

 

2022/11/09

佐野洋子対談集「ほんとのこと言えば?」を読みました。

20221108_sano_yoko_001

『-佐野洋子対談集- ほんとのこと言えば?/佐野洋子(河出書房新社)』を読みました。
これもブックオフで見つけたものです。2013年初版発行となっています。

対談相手は、小沢昭一さん、谷川俊太郎さん、大竹しのぶさん、岸田今日子さん、山田詠美さん、阿川佐和子さん、河合隼雄さん、そして「おすぎ」さんは二回登場しています。
この「おすぎ」さんとの対談が一番強烈でした。

ものすごく“あけっぴろげ”な時があるかと思えば、妙に自信がないような(特に子育て、子供との関係について)時もあり、一般的な女性らしいような行動について興味まったくなし・・というときもあるが、韓流スターに夢中!なんて話題もあり・・佐野洋子さんの様々な姿がうかがえました。

特に男に対する考え方については、山田詠美さんとの対談で、山田さんは一時たりとも男と一緒でなかったことはなく・・男が変わる時でも“のりしろ”をとって(^_^;)次との繋がりを確保するのだという話が出ました。
・・が、佐野さんは「もう男は懲り懲り」みたいな感じがあり、むしろ旅に出たときに一人の寂しさをひしひしと感じるのが逆にいいのだ、などとおっしゃっていました。

ものを書くという仕事については、書くことが自分としての“あたりまえ”のことで、それによってよろこびが満ちてくるとか、表現したいことがあってそれに向かって行くとかそういうことでなくそれ自体が自然なことのように話されていました。

これについては、私もなんとなくわかります。
私も日々ブログ中心にいろいろと書いておりますが、書くこと自体にすごく喜びがあるわけでもなく、書いていくことで自分が生きていると感じる・・そんなことになっています。
これが生活の一部なのです。

けっこう“本音”だらけの対談集でした。
なのでガツンと楽しめました。

 

2022/11/05

「おいしい旅 -昼の牡蠣そば、夜の渡り蟹-/太田和彦」を読みました。

20221105_ota_kazuhiko_001

『おいしい旅 -昼の牡蠣そば、夜の渡り蟹-/太田和彦著(集英社文庫)』を読みました。
めずらしく“ブックオフ仕入れ”ではなく(^_^;)新刊として出たときに購入しておいたものです。

2019年発行なので、太田さんのこの「おいしい旅」の文は実に軽快というか、とても自然なものです。
読んでいて流れるよう・・。

日本全国どこに行っても「あら太田さん、いらっしゃい」と言ってくれる人がいて、居酒屋などはすっかり馴染みとなって、その家族の成長に目を細めたり・・、太田さんならではの「おいしい旅」となっておりました。

今回紹介されている倉敷の居酒屋『鬼の厨しんすけ』は、私も太田さんが過去に行かれたときの画像を見て店主の“鬼のしんすけ”さんのお姿は存じておりますが、まさに“鬼”のような容貌なのに、とてもやさしくお客さんに接する姿が印象的。

そこで、サワラの白子やマテ貝、しんすけさんが山からとってきて庭に植えた「タラノキ」からとったタラの芽天ぷらなどを食している様子が実にいい。

京都のジャズ喫茶をたずねたり、角野卓造さんからおそわった町中華をたずねて<冷めん>を食べたり、たのしくておいしい旅はどんどん続いていきます。

そしてそれとともに“地酒”を呑むたのしみはまさにこの世の楽園かもしれません。

コロナ禍が過ぎ去り、私の身体がもう少しよくなってきたら、私もそんな旅に出てみたいと思いつつ、読了いたしました。

 

2022/11/02

「大往生/永六輔」を読みました。

20221101_ei_rokusuke_001

『大往生/永六輔著(岩波新書)』を読みました。

1994年に第一刷発行となっていて、この本は2016年第96刷となっていますので、長年にわたるベストセラーであることがわかります。

この本もブックオフで購入したのですが、続編の「二度目の大往生」もすでに同店で購入していますので、それについても後日読後感を書こうと思っています。

タイトルどおり、この本は「死ぬこと」について書かれています。
前半は、すでに刊行されていてる「無名人名語録」から、「老い」「病い」「死」についての市井の無名人から得た“お言葉”が集められ、収録されています。
これだけ読んでも今の私の年齢で読むと、“重く”“つらい”・・。

思わず笑ってしまうような“お言葉”もあるのですが、なんだか“泣き笑い”になってしまいます。

そのあとは、永さんの仲間、歌手・淡谷のり子さんの「歌いながら死んでいきたい」という意志から発生したシンポジウムの様子。
さらに映画評論家・淀川長治さんが、毎年「今年の自分の命日」を発表するというおもしろく、不思議な行動についてなど、「死ぬこと」について色々な角度から話題を提供しています。

永さんは「中村八大」「いずみたく」という稀代の作曲家とコンビを組んで「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などを生み出していますが、突然作詞をやめて25年間の沈黙を守ります。

その理由を直接私はラジオから永さんの声で聞いたのですが、この本に書かれていた理由はそれとは異なっていました。わざとそう言ったのか、そのときの気持ちで言ったのかわかりませんが、ラジオでは・・

永さんが中村八大さんに対し、「詞とメロディーの“譜割り”が合わない。せっかくの詞が台無しだ、直してくれ」と言ったら「楽曲はメロディーがすべてで、別に詞の意味が取れなくてもどうでもいい。メロディーさえ良ければそれでいいのだ」と八大さんに言われて怒り、それ以後作詞をやめた。

と言っていたのですが、この本では異なることが書かれていました。

この本には・・

いみずたくさんからは「八大さんの今度の曲の詞はいいね」と言われ、中村八大さんからは「たくサンに渡した詞のようなものを」と言われ、二人と友達でいるためには、自分が作詞をやめればいいと思った。
二人には、いい作詞家の仲間(青島幸男、岩谷時子、山上路夫、藤田敏雄)があるのだから。

ということでした。
前述した八大さんとの“いざこざ”についても、「こういう曲づくりもあるのかと勉強になった」というようなことが書かれていました。

かなりの違いがあるのですが、でも人の記憶や気持ちというものはそういうものかもしれません。
私自身も、過去の記憶について周囲の人から「そうじゃなかったじゃないの」と言われることがよくあります。
いつの間にか自分の気持ちと共に記憶も修正されてしまうのかもしれません。

というわけで、200頁ほどの本でしたが、内容は多岐にわたり、しかも重いものが多く、考え込んでしまうようなことになりました。

続編の「二度目の大往生」は少し間をあけてから読もうと思います。

 

2022/11/01

整理した本、第一弾を売ってきた

20221101_register_slip_001

先日、PCが不調となり、新調した際にその他の古いPCも片づけ、さらに本についても整理することにしました。

段ボール5箱に詰め込み、さて売りに行こうかと本日ブックオフに出かけました。

たぶん全部で400冊以上あったのですが、数十分の査定の結果は・・。

「お客様、お値段が付いたのは156冊でした。今、レシートが出ておりますが、うんと長いのが出ますのでちょっとお待ちください。」

というわけで、掲載した写真はそのレシートです。・・長い!

査定額は二千円とちょっとでした(^-^;

ま、何かの足しにいたしましょう。ほぼ予想通りの額でした。

まだまだ処分せねばならない本はたくさんありますが、大変なのでまたいつか選んで箱詰めしたいと思います。

レシートは記念にとっておきます(*^_^*)

 

より以前の記事一覧

2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック