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2024/04/12

城山三郎さんの「この命、何をあくせく」を再読しました。

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『この命、何をあくせく/城山三郎著(講談社文庫)』を再読しました。
城山さんの本、ほかにもストック分があるのに、去年読んだものを再読しました。

気分的なものでしょうか、なんとなくこの本を、昨日から取り上げて読んでみたのです。

もともとは月刊誌「本」に巻頭連載されたもの(1999年~2002年)に一部加筆し2002年に単行本化されたもので、2005年に文庫本となっています。

前に読んだときにも気になった部分は今回も気になりました。

「偉い奴は、厳命はいくらでも出せるのである。不可能なことであっても」
「国民など、虫ケラ同然に扱わなければ、戦争はできないし、軍隊は成り立たない」

この言葉は強烈です。私も絶対に忘れることができません。

老子は「慈」「倹」「不敢為天下先」という三つの宝を持つという・・、文学者であり、詩人でもある加島祥造氏が訳したものによると・・・

「愛」「足るを知って多く求めぬこと」「世の中の先頭に立たぬこと」だそう、と書かれている部分も気になりました。

いつも城山さんの本を読むと、実際にお会いしたらどんな方だったのだろうと思います。
ついこのあいだ読んだ伊集院静さんの本にもご一緒にゴルフをされる晩年の姿が書かれていました。

まだ何冊も城山さんの本は未読のものを所有しているので、これから読むのがたのしみです。
少しでも城山さんの境地に近づきたいといつも思うのです。

 

2024/04/10

「追いかけるな/伊集院静」を読みました。

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『追いかけるな -大人の流儀5-/伊集院静著(講談社)』を未読ストックの中から読んでみました。
伊集院さんが亡くなられても、いまだ伊集院さんの著書は、私の心のささえとなっています。

この本は、週刊現代に2014年から2015年にかけて連載されたものを抜粋・修正して単行本化したものです。

相変わらず、歯に衣は着せません、伊集院さん(^_^;)・・でもそれがいいんです。だからどれもこれもベストセラーになっているんだと思うし。

「追いかけるな」といタイトルはこの本の中で伊集院さんもおっしゃっていますが、自分の追い求めるものを追及していくのはいい、しかし“いつまでもつまらぬものにこだわるな”というのが本意のようです。
つまり、つまらないものにずうっとこだわっている人が多いのだ、ということなのだと思います。

さらに言うと、今ある悩みや、今かかえ込んでいる問題の本質を見ると、独創性をあと回しにして、“易きに走る輩”が、目の前の明るさを求めて“追いかける”から失敗をする、と書かれています。

私が思うに“易きに走る輩”とは、今現在でいうと、AIに頼り、自ら走り回ったり、必死に頑張ったり、悶絶したりもせず“らくらく”と仕事をしようとするような輩について言っているんじゃないかと思います。

特に新しいことを考え出したり、文や絵画など創造的なことなんて、苦しみながら作り出していくことが本来の人間の喜びなんじゃないかと思うのです。いかがでしょうか。

それから、「メールも便利でよかろうが、手紙を人類から失くすと、人間というものが失われると私は考えている」とも書かれています。

さらに・・「便利なものには毒がある」「手間がかかるものには良薬が隠れている」とも。
上記、完全同意です。

ほんとうに、便利なものは“毒だらけ”です。
良薬は口に苦いが、それだけ得るものがあるはずです。
私は、それを最後まで大事にしていきたい。

今回の読後感想は、以上です。
まだまだ伊集院さんの著書についてストックしているものがあります。
順次読みましたら、また感想をここに書きたいと思います。

 

2024/04/08

「コーヒーが冷めないうちに/川口俊和」を読みました。

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『コーヒーが冷めないうちに/川口俊和著(サンマーク出版)』を古本で読みました。
帯にあるように2017年の「本屋大賞」にノミネートされた作品となっていました。

読み始めてすぐに、「これはノミネートされるはずだよ」と思いました。
ストーリー設定があまりにも面白い!

ある古い喫茶店があるのだが、その店の特定の席に座り、一定のルールを守れば、過去に戻れるというストーリーで、この物語の中では四人の人が過去に戻ります。

ただし、ルールがあって、その特定の席には幽霊の女性が常に座って本を読んでおり、その女性が席を立ったときに、その時だけ過去に戻れる席に座り、実際に過去に戻れる。

過去には戻れるが、この店のこの席に座っていることが条件。席から立ち上がることは出来ない。
さらに過去に戻る前の現在の状態は決して変えることができない。

過去に戻り、この喫茶店で出してくれた珈琲が冷める前に飲み干さないと現在に帰って来れない。しかも、帰れなかった場合、今現在いる幽霊とバトンタッチとなって、今度は自分が幽霊となって、この喫茶店でずっと珈琲を飲みながら席にいることになってしまう。

過去に戻って会える人は、この喫茶店に来たことのある人のみ、さらに過去の時間を指定しなければならないので、会いたい人がその過去のその時間にこの喫茶店に存在していなければならない・・というのです。

となると、過去に戻りたいという人は少なくなりますが、でもそれでも会いたい人がいるというのがこの本のストーリーです。

そして、過去に戻り、どうしても会いたい人に会って何がしかの会話をして・・感動的なものを得ることになるのでした。

胸がぎゅうっと締め付けられるような、いい過去との再会が四話詰め込まれていました。
こりゃ、泣いちゃうよ(T_T)

内容を書いてしまっては、“ネタばれ”になってしまうので書けませんが、読んでみたらあなたも泣いてしまうかもしれません。

さて、私がもし過去に戻れるとして、誰とどんな時期のシチュエーションで会いたいか、と考えてみましたが、ううん・・思いつきません。

ひょっとしていろいろな“お別れ”をした彼女たちと過去に戻って再会したとして・・さらに想い出にはひどいことが追加されてしまいそうな気もする・・^_^;

しいて言えばひとりだけ・・。
最初に出会った直後の時に戻り、丁寧にもう一度ゆっくりと話をして理解し合いたい人がいますが、果たしてそれがどういう結末になるのか・・わかりません。

というわけで、最初から最後までドキドキのストーリーの面白本でした。
超おすすすめ本です。

 

2024/04/07

「マスクは踊る/東海林さだお」を読みました。

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『マスクは踊る/東海林さだお著(文藝春秋)』という本を古本で読みました。
古本といっても、今回は2021年発行のもので、内容はコロナ禍直前からコロナ禍真っ只中くらいの頃のものとなっていました。

私が気になったところとしては、「ズルの時代 ~“恥”がなくなった~」という章でした。

日本人は今や「うまく立ち回る」ことばかり考えるようになっている、というのです。

かつては「恥の文化の国」であったということは、私も学生時代によく聞きました。
恥をかくくらいなら腹かっ切って・・という人さえいそうな時代でした。

そして今、急に「恥OK」の国になったと東海林さん、おっしゃいます。

この本が書かれていた頃は、まさに『忖度』という言葉がキーワード的に大きな話題となっておりました。

忖度は、みんなうっかり見逃しているが、“ズル”の一種だというわけです。
ズルもズル、大ズル、巧妙なズル、遠大なズルだと強調されています。

忖度は一見ズルに見えないが、忖度を「おべっか」という言葉に置き換えてみると、その実態が明らかになるのだというのです。

「忖度」本来の意味には、上品な意味も含まれていたが、昨今は「忖度=おべっか」となっている。
「森友学園疑惑」のとき、財務省元理財局長の国会での数々の証言、あれはすべて首相に対してのおべっかだった!これで「忖度=おべっか」の図式に納得がいくのではないか、とおっしゃっています。

納得しましたよ・・・が、時すでに遅しです・・真面目に仕事をしていた人が亡くなってしまいました・・・。

今回の東海林さんの本は、コロナ禍真っ只中ということもあって、鬱屈した著者の心の叫びのように割と政治的な発言が多くありました。

こんな東海林さんの本もなかなか力強くていいと思いました。

 

2024/04/06

「一年であなたの俳句はここまで伸びる/辻桃子」を読みました。

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『一年であなたの俳句はここまで伸びる/辻桃子著(主婦の友社)』という本を読みました。
古本で手に入れたもので、2008年発行となっていました。

俳句の教則本のようになっているのですが、ストーリー仕立てになっていて、久しぶりに会う高校の同級生に俳句を一からやってみないかと誘い、どんどんその同級生が俳句を覚え、上達していくという形で進められていました。

要するに、私のような“ずぶの素人”が俳句というものに接するところから入っているのでした。

だからもう勉強になるのならないのって(^-^;たいへん参考になりました。

俳句は五七五で出来ている、季語がある、という超基本的なところから、切れ字、漢字・ひらがなの使い方、言い回しの変え方など、勉強になることばっかりです。

そして一から教わっていく同級生という設定のこの本の登場人物と共に自分も成長できたような気になりました・・気になっただけだけど・・(^_^;)

現在、ブログでは私の凡作・駄作を日々公開中ですが、まだ始めて一か月の初心者です。
この本の登場人物のように臆せず、毎日句を詠んでいきたいと、あらためて決意いたしました。

 

2024/04/03

「清貧の食卓/山本容郎編」を読みました。

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『清貧の食卓/山本容郎編(実業之日本社)』という本を読みました。

1994年に編まれた本ですが、掲載されている文章は1970年頃のものなどかなり古いものがありました。今では亡くなられている人も何人もいます。

「名前はどうでも、とにかく旨ければ」という章と「折々なつかしく思うものを・・・」という章があり、宇野千代、池田満寿夫、色川武大、北大路魯山人、東海林さだお、谷崎潤一郎、檀一雄、向田邦子、山口瞳、山本周五郎、吉行淳之介ら錚々たる方々の食べ物に関する文が集められていました。

宇野千代さんの細々としたレシピは、今つくってみたらどんな味なのかという素朴なものが多数。

北大路魯山人の、お茶漬けについての講釈はさすがという感じで、納豆茶漬け、海苔茶漬け、塩昆布茶漬け、塩鮭・塩鱒茶漬け、鮪茶漬けなどが語られ、茶漬けの御飯やお茶の出し方まで講釈していて、もう参りました・・という感じで読みました。

向田邦子さんの海苔巻の“端っこ”が食べたい、という話も面白かった(*^^*)
羊羹でもカステラでも、かまぼこや伊達巻も両端がいいと(#^.^#)

木綿ごしの豆腐の端の布目のついた固ところ、ハム・ソーセージの尻っぽのところ、パンで言えば耳・・などなど、「俺もそうだよ」と思わず言いそうになりました。

さらには、南部煎餅のまわりにはみ出した薄いパリパリの部分(^^;)や、鮭カンの骨にまで話は至りました。

さすがに向田さんの文はにくいほど上手いっ!

どこを読んでも有名人が食べ物について語っている文が集められ、特に古い文に出てくる食べ物には興味津々となりました。

古いが、資料的にも価値のある面白い本でした。

 

2024/03/31

「老後は銀座で/山﨑武也」を読みました。

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『老後は銀座で/山﨑武也著(PHP研究所)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2003年初版発行となっていますので、かれこれ二十年前の本になります。

著者は昭和10年生まれで、著者略歴を見ると、ビジネスコンサルタントとなっています。

私は、老後になったら時々は銀座に出掛け、いいお店や、その他お酒を飲むところ、お芝居を見たり、教養を高めたり、あのいい空気感を味わって来たらいい・・という本だと思っていたのですが、実際に銀座に住んでしまえっ!という内容でした。

すべてに便利で、高級感や一流の人間としての感覚、さまざまな文化にすぐにふれることのできる便利さ、何もかもがいいから、そこに住んでしまえばいい、という内容でした。

リタイアして、田舎に引っ込んで悠々自適、あるいは別荘を持ってそこと行き来する生活、海辺の空気の良いのんびりと都会から離れた施設にお世話になる・・などということの実際のデメリットが次から次へと挙げられていて・・なんだこれじゃ都会の真ん中に住まなきゃいけないってことじゃないの!と驚きましたが、結局著者には金銭的余裕がたっぷり有り、それだったらそんな生活が出来るだろうけど、一般の人には夢みたいなことが書かれていました。

つまり、お金持ちで地位も高く、教養もあるという・・私とは縁のない人の理想的な老後生活が描かれていたのでした。

かと言って、書かれていることを否定するものではありません。
ここで書かれている生活が出来るのならそれは素晴らしいことなのかもしれません。
ただし、私はある程度田舎だけど買物や都会に出掛けるのに不便は感じない、そんな生活が一番だと思っているので、“精神的な余裕”について書かれた部分だけ参考にしようと思いました。

それにしても、こんなに余裕のある人がいるんだね、ということに一番驚いたのでした。

 

2024/03/29

「蕎麦屋酒/古川修」を読みました。

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『蕎麦屋酒 -ああ、「江戸前」の幸せ-/古川修著(光文社新書)』を読みました。
2004年に第一刷発行となっていますので、かれこれ二十年前のものです。
でも、読んでみると、蕎麦屋の選び方や、それに合わせる日本酒についても考え方は概ねその頃から変わっていないようでした。

著者は、ホンダで四輪操舵、先進運転支援システム、人間型二足歩行ロボットなどの研究開発をしていた古川修(ふるかわ・よしみ)氏。
当時、自動車業界では知らぬ者のない美食家だったそうです。
その後、栃木県で蕎麦栽培を通じた蕎麦愛好会を主宰、さらに日本酒にも造詣が深く、全国の蔵元、酒屋、居酒屋と交友し、「素顔の日本酒を愛する会」を立ち上げたのだそうです。

というわけで、この本は“蕎麦屋酒”入門者にも基本的なことからみっちり書かれているので教科書的に読むことも出来ますし、すでに蕎麦、日本酒好きな人にも、蕎麦の育て方から挽き方、そこからそば切りに至るまでの工程がこと細かに書かれていて知らなかったことばかりで参考になります。

さらに蕎麦屋で酒を飲むときの酒肴の選び方、そもそものお店の選び方、さらにこんな蕎麦にはこんな日本酒、こんな酒肴にはこんな日本酒という合わせ方まで書かれていて、著者の造詣の深さというか、“底なし”の知識に驚きました。

後半は、著者が薦める蕎麦屋について書かれていて、お品書きまで収録されているので、実際に行ってみるときにはずいぶんと参考になりそうです。

最近はあまり蕎麦屋めぐりをしていないので、この本を参考に出かけてみたいと思いました。

 

2024/03/26

「俳句と暮らす/小川軽舟」を読みました。

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『俳句と暮らす/小川軽舟著(中公新書)』という本を古本で読みました。

ずいぶんと前に手に入れていたのですが、その時点では俳句というものはきちんとした作者がいて、それを鑑賞するものと思っていました。
自分には書けないとずっと思っていて、それが今やほぼ毎日最低一句は詠んでいて、ブログにアップするようになりました。すでにストックが二十句以上ある・・(#^.^#)

そんな状況になって、読む気が起こったわけです(*^^*)現金なもんだ!

で、著者の小川軽舟氏は、俳人で、様々な受賞もされている方ですが、この本を書かれている時点では、会社勤めをしていて、しかも単身赴任中。

赴任先での食事の様子など“台所俳句(この本で初めて知った)”的なものから近所の散歩、さらに奥さんと会う時のことなども詠まれていて、私はとても俳句を身近なものに感じました。

そして夫婦間のことを詠んだり、病を得て詠んだもの、死を強く意識して詠んだ作者と作品がいくつも紹介されていて、私には俳句の間口の広さと奥の深さも感じました。
俳句が自分にとって身の回りにいつもあるのだ、という感覚になってきた自分がいます。

様々な作者の俳句が紹介されているので、これからも机上に置いて、参考にしようと思っています。

ところで、「お前は最近何を思ってか、俳句をブログにアップしているが、たいしたものでもないのにどうしちゃったんだ?」という声が聞こえてきそうな気がします。

でもね、いいの!

“まぐれ”で、夏井いつきさんの句会ライブで優勝し、「俳句界の裾野になってほしい」という夏井さんの言葉にも影響され、そして「自分のような者でも俳句を書いてもいいんだ、書けるんだ」と思い、日々作った俳句のアップを続けているのです。

毎日頭に浮かんだテーマのようなものから捻り出しているのですが、楽しい反面、“生みの苦しみ”のようなものもあります。
でも、結局それが“楽しい”(*^^*)

というわけで、これからも駄作、凡作が多いとは思いますが、楽しみながら詠んでいきます。

以上、「俳句と暮らす」の感想と、私の俳句づくりの決意でした。

 

2024/03/22

「おしゃべりの思想/外山滋比古」を読みました。

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『おしゃべりの思想/外山滋比古著(ちくま文庫)』という本を読みました。
古本で手に入れましたが、1980年6月に毎日新聞社から刊行された『ことばの四季』を精選・再編集し、書き下ろしも加えられています。そして2013年に文庫本として発行されています。

著者が言葉について、そして特に街に出て聞いた言葉や縦書き・横書きについて、テンとマルについて、語尾の処理などについても書かれていました。
日々変わりつつある言葉についても敏感に感じ取られていたことがわかりました。

私がおもしろいと思ったのは、昔、こどもがかけっこをするときの合図に、「ガッテンショー・ドン」と言ったという話です。
著者がこどもの頃の名古屋では「オーヤマゲッセン・ドン」と言っていたとのこと?(・。・;

実は前者は「アテンション(用意!)・ドン(ピストルの音)」だったということがわかり、後者は、「オン・ザ・マーク ゲット・セット ドン」なんだそうで、そういえばオリンピックなどでも100メートル走のスタート時にこんなふうに言っていたように思います。

言われてみると、なあるほど!となります(#^.^#)

もうひとつ、すでにこの本が書かれている時点で「手紙」というものが衰退の一途を辿っているような記述がありました。
著者は、「手紙を書くのは、文章の練習になる。学校でも作文を書かせるよりは手紙を書かせた方がはるかに実際的ではないか。」と言っています。

そして、この時期でもほとんどの人が携帯電話がいちばんの伝達手段になっていて、手紙を書くのはめんどうだという人が多いとも書かれています。
著者は「手紙を書くのはめんどうだという人が多いけれども、めんどうでない文化などあるものではない。」とも書いていますが、もう“多勢に無勢”です。

今の私にとっても、手紙を個人あてに書くなどということは、中学時代の担任の先生とのやり取り以外に無くなりました。

ある人から「あのぅ・・私、〇〇さんから手紙をもらったんですけど、どうすればいいんですか?」と聞かれたことがありました。

「返事を書けばいいんじゃないですか」と言ったんですけど、「手紙なんて書いたことがありません。困ったなぁ。」という返事でした。

挨拶でもお礼でも、なんでもいいから書けばいいんですよ。と言ったものの、手紙を書くことがすでに今の人にはハードルが高いんだな、ということがわかりました。

この本は、読んでいると、時代が古いので「ああ、昔はそんなだったなぁ」ということも多かったのですが、でも、人として言葉を操るときには「これが大事だ」ということが書かれていました。
頭と心の栄養になりました。

 

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