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2023/04/21

「死の向こうへ/横尾忠則」を読みました。

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『死の向こうへ/横尾忠則著(PHP研究所)』という本を読みました。
ブックオフで見つけました。わずか200円。この横尾さんの“摩訶不思議”な体験などが綴られた本がわずか200円・・。

1998年発行のものでした。横尾忠則さん62歳の頃。

もう、次から次へと横尾さんの「霊体験」が書かれているのですが、それはさかのぼって2歳の頃母親に背負われていた頃から死を意識していたと書かれている。

父や母の死を二人が元気な頃から意識し、自分の死についても幼い頃から意識していたことがわかりました。

三島由紀夫との死の三日前のやり取り、谷内六郎、柴田錬三郎との別れなども書かれていて、横尾さんはその都度、さまざまな不思議体験をしています。

一番強烈だったのは、瀬戸内寂聴さんが平家のことを書くことになり、源平の合戦のあった屋島に登ろうと、妻と共に寂聴さんに付いて行く横尾さんの話。

事前に寂聴さんのお姉さんの営む仏壇屋に寄ると、寂聴さんからそこにあった般若心経の経本をポケットに入れてもらう。

横尾さんがその夜ホテルに泊まると、階上からもの凄い数の馬と人間が何やら時の声を上げながら頭上をけたたましく駆けて行く・・。
あわてて、寂聴さんからもらった経本を手に取り般若心経を唱える。
奥さんがホテルの人に聞くと、このホテルの場所は源平の合戦のあった一の谷であったとのこと。

さらに、帰京するとレコード会社から仕事が来て、アルバムジャケットのデザインをしてくれとのことであったが、そのアルバムのテーマが偶然にも「平家物語」であったという・・。

さらにさらに、そのディレクターが持ってきたデモ・テープには平家の鎮魂歌が入っていたのだが、終曲には横尾さんが一の谷のホテルで聞いたあの合戦シーンの音声が挿入されていて、横尾さん唖然っ!!

さらにエンディングには、“般若心経”が逆回しになって収められていたのだそうです。

瀬戸内さんとの屋島の取材、般若心経をもらったこと、ホテルでの夜の合戦の音、ホテルの場所が合戦の場であったこと、アルバムデザインの仕事が平家物語であったこと、レコードには合戦シーンと般若心経の音声が収められていたこと。
・・すべてがシンクロしていて、私もこの部分で一番驚いたのでした。

横尾さんは、死を待ち遠しく思ったり、逆に恐れたり、自分の作品の中で死を表現したりと、「死」というものがいつも頭の中に渦巻いているようでした。

上記エピソード以外にも、不思議な出来事がたくさん書かれていました。
このところ不思議・恐怖体験が続いている私には共感することだらけの本でした。

 

2023/02/07

異空間に迷い込んだ話・後日談

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このあいだ、このブログに、初めて出かけるところにクルマで向かって行ったら、いつまで経っても目的地に着かず、同じところを走っていることに気付き、すれ違う通行人も同じ人が何度も現れ、やっと目的地に着いたらそこはなんだかこの世の空間ではないように感じ、気付くと感覚がないのに失禁していて、あわてて逃げ帰って来たという話を書きました。

そんなことがあって、妻にもその話をしたわけですが、それから一週間後、妻は長男が幼稚園の頃のママ友とお茶をする機会にこの話をしたんだそうです。

そしたら、まず同じところを走っているような感覚になったという話と、すれ違う人が同じじゃないかと気付いたところまで話した段階で、「ああ〇〇から〇〇まで抜けるあの道じゃない?」とズバリ私が走った道を言い当てたというのです。

そのママ友の彼女はずっと以前から色々なものが見える人で、私のような年に何回か見てしまう、というような感覚ではなく、かなりいつも色々見えている人のようだということは何年来の付き合いなのでよく存じていました。

「あの道はヤバいよ」ということで(^-^;彼女も走ったときに気付いていたとのこと。
私が何度もすれ違った人は、「寂しい生活をしていた人で保護を受けていたんじゃないか、そして一人で亡くなり、その時失禁していたのだろう」と・・。
私が失禁したのは、その人が「私にある程度の霊感のようなものがあることがわかり、乗り移ったんだろう」ということでした(T_T)知らなんだ・・怖ろしい。

私なりに考えると、私にはあちらの世界へのアンテナのようなものが付いていて、時々受信してしまうのだと思うのです。

なので、昨年末のギャラリー喫茶が開いていて、お客さんも入っていたのに、私が行ったその場所は同じ時間、同じ場所なのに門が閉まり店に客もいなかった、あのとき、そして今回のクルマで出かけた時に経験したことは、たまたまアナザー・ワールドへのアンテナが受信状態に入り、私自身が誘いこまれてしまった・・ということなのだと思いました。

どこかに出かける時には、まだあの経験から時間も経っていないので、用心しています。
もう二度とイヤです・・。

 

2023/02/04

昨年に続き、異空間に行ってしまったようです。

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今週の出来事ですが、ある場所(初めて行く所)に行く用事があり、クルマのナビをセットすると、距離は12キロほど、時間は30分程度で到着予定になっていました。

で、余裕をもって出発いたしました。

初めて走る道でしたが、走っても走ってもナビの画面は目的地に近づいていかない・・でもって、気付いたのですがずっと同じ道を同じ景色の中走っているようです。
似たような景色だなあと思っていたのですが、あれれ、道を歩く人とすれ違うとさっきすれ違った同じ人です・・。

ずうっと同じところを走っているのではないか、だんだん恐怖が増してきましたが、なんとか倍の一時間もかかって目的地に到着。
とても大きな建物があり、にぎやかな場所のはずなのに人影はほとんど見えない。

ものすごい寒気がしたのですが、クルマから降りて歩き出すと何かズボンが濡れている。
「えっ」と思ったら自覚なしに失禁していたのです。
ここは「この世ではない」と思い、あわててクルマに戻り、無我夢中で家を目指しました。

今度は30分程度で自宅に到着し、この世に戻れたようでした。
もうそのあとは洗濯したり^_^;大変でしたが、あまりの恐怖にその日は家から出ることができなくなりました。

強烈な恐怖体験でした。

数日後、妻に運転してもらい目的の場所に行きましたが、30分で着いたし、到着した場所は前回私が行った時と同じ時間帯でしたが、にぎやかで人もたくさん歩いていました。
駐車場でもクルマがたくさん動いていた・・。

昨年、古い日本家屋に入っているギャラリーに行ったときに、門が閉まり、閉店の看板が出ていて建物の中をのぞいても照明もついてなくて、誰もいないことがありました。

別の場所に行ってそのことを告げると「いや開いているはずだ」と電話すると、私が行ったときにはギャラリーは開いていて、お客さんも入っていた・・ということがありました。
このときも“異空間”に迷い込んでしまったようでしたが、今回も同様のことが起こったようです。

今は、塩を紙でくるんでテープで留め、身につけています。・・これはけっこう効果がある。
いまのところ異空間からの誘いは止んでいます。

 

2023/01/30

「美女という災難/日本エッセイスト・クラブ編」を読みました。

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『美女という災難 -'08年版ベスト・エッセイ集- /日本エッセイスト・クラブ編(文春文庫)』をブックオフで見つけ、読みました。

どのエッセイも面白い話、しみじみとする話、思わず涙する話、懐かしい話、夫婦の話、・・などなど・・が満載でとても良かったのですが、それだけでこの読後感をアップするのも何なので。

上記例のようなお話ではなくて、とても気になったものをひとつご紹介いたします。

日本史研究者で今や誰もが知っている磯田道史先生の「うぶだしや」というタイトルのエッセイです。

「うぶだし屋」とは、骨董品の買い取り業であるが、毎朝、新聞の死亡欄を丹念に見て、亡くなった人の遺品を買い出しに行くという・・そんな職業です。

磯田先生なじみの「うぶだし屋」に出かけると、段ボールに入った表装されていない絵をあさっている人がいて、その人の携帯に電話が入り、その場を外しているときにその絵を見ると、なんとも魅力的な少女(大正時代の山の手の育ちのよさそうな女学生が微笑んている)の絵ばかりだったとのこと。

あさっていたお客が全て買うことになっていたようだが、一枚主人が譲ってくれたとのこと。

その絵は大事にしまっていたのですが、家族からは「あなたが結婚できないのはあの絵をずっと大事に持っているからではないか」などと独身時代の磯田先生は言われていたとのこと。

その絵の裏側を見ると、絵画教室に通っていたらしく、先生の講評が記されている・・。
で、気になって出所をうぶだし屋に聞いてみると・・その家には明治・大正期の政治家の書簡がごっそりあった、さらに調べると、伊藤博文の友人で通信社を創業した社長宅であったとのこと。

絵を描いていたのはその令嬢で、若くして亡くなり、自分がもし元気であればこんな女性になっていたはずだという絵を描いていたのだというのです。

なのでうぶだし屋が買い取った書簡の中には近衛文麿の令嬢に対するお悔み状などもあったとのこと。

で、話は飛ぶのですが、なかなか女性と付き合うことのなかった磯田先生、ある日女性から青山墓地の桜が奇麗だからと花見のデートに誘われよろこんで出かけたとのこと。

誘ってくれた女性は顔は知っていたがそれほど親しくなかった、なのに電話で誘いをかけてくれた。
しばらく歩いて「桜、きれいね」と女性が立ち止まったところで、背後に磯田先生は気配を感じた。
目を移すと、そこにはあの絵を描いた令嬢の名が入った墓石があった・・(・_・;)・・享年二十七歳、昭和九年没」と記されていたとのことです。

今回、これがいちばん衝撃的な話でした。

そして花見に誘ってくれた女性とはそれっきりになったのだそうです。
磯田先生はいまもその絵をもっているとのことでした。

 

2022/12/10

横芝光町「ギャラリー笑虎」の南隆一個展に行って来た【その1】

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横芝光町のギャラリー笑虎で開かれている「南隆一個展」に出かけました。
南先生は私の中学時代の担任で美術の先生です。

毎年暮れに開かれているのですが、先生の作品も年毎に変化しているのを感じます。
今回の「月とうさぎ」、「月と魚」をテーマにしたものなどいつもの作品からまたひとつ飛び出した感じがして新鮮でした。

 

 

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また、作品が収められている『額』にも面白さを発見しました。
四角にこだわらないもの、カラフルなもの、木目そのものがはっきりしているものなど先生の作品がさらに“生き生き”していました。
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上の写真は「笑虎」の入口の門ですが、このブログを続けて読んでいただいてる方には今月この門で不思議な出来事があったことを書きました。
昨日うかがったときに、先生からまた不思議な話を聞きました。
笑虎の庭園で遊んでいた子供が見えない何者かに靴を脱がされて転んだという話でした。
やはりここには何か不思議な力がはたらいている。

大きな敷石の上に立つと風が身体の下から吹いてきて、浮き上がるように感じるという話も何年か前に書いたことがあります。
古い建物などには、何かが宿っているのだと思います。

 

 

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最後の写真は喫茶室側のギャラリーの壁面に展示されていた大作です。
ミュージシャンの演奏シーンを丸く切り抜いたのが“効いて”います。

まだ何枚か写真を撮っているので、もう一回この笑虎での個展の様子をお伝えしたいと思います。

 

2022/11/23

ギャラリー笑虎での強烈で不思議な出来事

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※写真は2016年頃から数年間のものを使用しています。

昨日、私の中学時代の担任で美術の先生がJR飯岡駅併設施設でレコード・コンサートを開き、そこに私が出掛けたことをこのブログで書きました。
そこへ行く途中での出来事を書きます。

上記先生から「来月、横芝光町の“ギャラリー笑虎”でやる個展の作品の一部、大作をギャラリーに既に持ち込んであるから、飯岡に来る途中なのでちょっとのぞいてくればいい」とのことでしたので、レコード・コンサート会場に行く道すがらその“ギャラリー笑虎”に寄ってみたのでした。

 

 

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昨日は火曜日。
先生からは定休日は水・木曜日とのことだったのですが、行ってみると笑虎独特の大きな門は閉められていて、真ん中に印刷したばかりのように見える真新しい貼り紙が・・。
「火・水定休日」と書かれているのでした。

門は閉まっているし、貼り紙はあるしでしたが木製の格子が掛かっている窓から中をのぞいても人の気配はなく、明かりも点いていない。
仕方なくあきらめて飯岡の会場に向かいました。

 

 

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到着して先生に「ギャラリー笑虎の定休日が変わったようです。門も閉じられていて、店は開いていませんでした。」と伝えました。

「えっ、そんなことあるはずがないなぁ。個展の案内葉書にも定休日はもう入れて印刷してしまったよ」と、ギャラリー笑虎に電話してくれました。

 

 

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・・・そしたらね・・・先生から「おいっ、いったい何処に行って来たんだ。笑虎は開いているし、さっき行って来たという時間にはとっくに開店していたって言ってるぞ。それにそんな貼り紙もしていないって。」・・・と。

さあ、たいへんです。

笑虎は毎年先生の個展が開かれ、何度も何度も通った場所です。
第一あんな建物ほかにありません。間違うわけがないっ!

私が見た光景はなんだったのでしょうか。
現実のものではない光景をこの眼で見て、現実ではない状況にあるギャラリーがそこに存在していたことになります。

 

 

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飯岡からの帰り道、再びギャラリー笑虎に行ってみたのですが、開かれた門にもあの貼り紙はなく、直感として午前中に見た感じと違う雰囲気が漂っています。
中に入って馴染みの女性マスターに話を聞こうと思ったのですが、なんだか見てはいけないものを見てしまうような気がして怖くて門から中には入れず、そのまま帰宅しました。

帰宅後も何がなんだかわからず、夜になっても恐怖が襲い掛かり、暗いところに行けなくなってしまいました。

このブログで私の過去の不思議な体験をいくつか書いてきましたが、またひとつ不思議な体験が増えました。
妻に話してみたら、「何か見てはいけないもの、遭ってはならないものがその日にギャラリーに存在していて、緊急回避的回路が動作したんじゃないのかしら」ということで、「そうなのかも」と、今、思いつつあるところです。

 

2022/07/25

「もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら/工藤美代子」を読みました。

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『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら/工藤美代子著(メディアファクトリー)』という本を読みました。
ノンフィクション作家である工藤美代子さんが書かれた、十年以上前の本です。タイトルからしていきなりセンセーショナル!

工藤さんご本人は霊感がある、という意識はあまりないようですが、ここに書かれていることは冒頭でご本人が説明していて、すべて事実であり、脚色はいっさいなされていないとのこと。
だから、ここでもう少し話を“盛れ”ば、ストーリー展開的には面白い・・ということもされていないのです。

でも、内容は“もの凄い”ことが書かれていました。
さらに、写真も添えられているのですが、文中で霊として現われたその人の生前の写真や、霊が出現したと書かれていた現場の写真、文中に出て来た物語の中心にあった品物の写真なども掲載されていて、実に“生々しい”!

一番凄い話は、著者が川端康成氏が亡くなられたあと、当時ご健在だった奥さまを訪ねて自宅に伺ったときの話でした。
川端宅をあの三島由紀夫が(もちろん割腹自殺のあと)訪ねてきた話を奥さまから聞いたのですが、あまりにも凄まじい姿だった三島氏の姿が“聞き書き”されていて、この本の最大のメインの部分なので、ぜひとも実際に読んでいただきたい。

その他にも、著者は明日、あるいは数日後に亡くなる人を見るとわかってしまう・・という能力があり、その描写を読んでいると、実は私もそのような能力があるのですが、私とまったく同じような形で見えていることに驚きました。

また、日中でも、現実世界の人通りや、建物の中などで、この世の人ではない人が歩いていたり、いつも同じ場所に同じ時間にこの世のものでない人が現われたりする現象について書かれていました。

これについても、私は今までに何度も経験しています。

身内の人などで亡くなった人が庭を歩いていたり、何かこちらに心配事があるときなど、ふっと現われて何ごとかささやいたり、心配そうな顔でこちらを見つめている、物が動いたり鳴ったりする・・などということも書かれていました。

これも度々経験していたことでした。

著者の工藤さんと共通しているな、と感じたのは、当人はいたって普通の人間だと思っていて、特に能力など有るとは思っておらず、日々淡々と過しているということです。

というわけで、特に霊能力など持っていないという感覚で書かれているだけに、よりリアルに伝わってくる霊との出会いが克明に書かれている本。これは凄い本ですよ、興味のある方は絶対に読んだ方がいいと思います。

 

2022/05/30

最相葉月さんの「絶対音感」を読んだ。

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『絶対音感/最相葉月著(新潮文庫)』を読みました。
妻がブックオフで買って来たもので、「これ、読みたいんじゃないかと思って」と手渡されたものです。

たしかにこれが出た頃(1998年)に気にはなっていましたが、ページ数も多いし、読み切れるかな、と不安になり手を出さずじまいでした。

「絶対音感」って、私もその言葉については知っていました。

ようするに、楽器等から出た音を聞いて「ド・レ・ミ・・」のどの音かわかる、しかも音楽を聞いていると言語のようにド・レ・ミに聞こえてくるのだ、という・・( ̄O ̄;)私には信じられない人がいるのだそうです。

二十代の頃、あるバンドのオーディションを受け、ドラムとして私が入ったグループのギタリストが絶対音感を持っていました。

楽屋で出番を待っている多くのバンドがアンプを使ってしまうと音が大きく出てしまい、チューナーなどという便利なものもない時代で、ギタリスト達が困っていると、その絶対音感の彼が、エレキギターのあの小さな生音を耳を寄せて聞き、チューニングしてあげていた姿を思い出します。

読んで見ると、日本では、この絶対音感が音楽教育においてかなり重きを置かれていたというか、今でも重要視されているようです。
また絶対音感が発達している人は左脳部が大きく、活発になっているらしいです。
なんとなくわかるような気がする。

街を歩いていても、いろいろな音がド・レ・ミで聞こえてしまい、集中できない・・という人もこの本では何人も出て来ました。
音楽家には役立つ絶対音感も、学生時代には無音じゃないと勉強出来ないなど、様々な困難もつきまとうようです。

戦時中、日本軍でも、敵の船のモーター音や、スクリュー音、敵機の飛んでくる機種を判別しようと絶対音感の訓練もされていたとのこと。たしかに使えそうだが、音楽的なことを軍事利用するとはねぇ・・。

しかも日本で440ヘルツを基準に絶対音感を得た演奏家が、海外の442ヘルツ基準のコンクールで“音の狂い”を感じてしまい、困った様子も書かれていましたが、「絶対」の基準を持ってしまうのもつらいことなんだと知りました。

でも、結局絶対音感を得て、テクニックも訓練で超絶的になっても、それが音楽として人を感動させられるのか、ということになると、それはまた別の話、ということに後半部分でふれられていて、“そのあと”というものがあるのだと、私も納得しました。ここにも書かれていましたが、日本人はテクニック的には一流だけど、音楽的にはもう一つ・二つ物足りない演奏家が多いというのもなんだか納得d(^_^o)

最後に、絶対音感を持っている人は、その楽曲の「調」によって、「色」を感じる人が多いとのことで、さらに絶対音感を持たない人でも「共感覚」という、音を聞くと色が見えてくる人もいると書かれている部分が気になりました。

実は私は絶対音感なんて全く持っていませんが、「共感覚」を持っていて、小さい頃から音楽を聞くと次々と様々な色彩が目前を流れて行くのです。
大人になるまで、人は皆そういうものだと思っていたのですが、どうやらそうではないと後に知ったのです。

絶対音感の人が曲の「調」で感じる「色」と、「共感覚」で感じる「色」は、ちょっと似たようなところもあるのかもしれません。

400ページ以上もあるこの本、最後まで読みましたが、最相さんの様々な関係者へのリサーチの量と、その奥深さに圧倒され、難しくて読み切れない部分もたくさんありました。
なんとなく「絶対音感」のことがわかった…σ(^_^;)というところまでで終了してしまいました。

 

2022/05/24

不思議で怖かったできごと

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先週、市内にある公園に(大きな霊園と一緒になっている形式の場所なんですけど)、ウォーキングに出かけたときのことでした。

この公園は、公園内に歩道付きの道路を設け、道路の左脇には白線が引かれ、道路沿線にクルマを駐められるようになっていて、ようするに自分の家のお墓の近くにクルマを駐めてお参りできるようになっているのです。

私はお参りでなく、ウォーキングに来たのですが、公園内道路の駐車スペースにクルマを駐めて、歩きだしました。

歩いていると、次々と区画された墓地への入り口が現われるのですが、入り口から猫が二匹見え、お昼寝をしようとしていたので、声をかけようと中に入りました。
ついでに手に持っていたゴミも墓地内のゴミ箱に捨てて、猫に話しかけ、そこを出て、また歩道を歩きだした数十秒後でした。

そこの歩道部分は石畳になっていたのですが、突然右足首を誰かの手がつかみました。
「わっ」と驚き、転倒しそうになったので、右手を出して体を支えようとし、左足を前に出して踏みとどまろうとした瞬間、今度は左足首を思い切り持ち上げられ(これは明らかに私に大ケガをさせようという意識を感じた)、自分を支えられるのは右手だけになり、右手を石畳につき、顔面から落ち、このままでは目の部分から落ちて目が危ないと咄嗟に首を丸め、左頭部から石畳に激しくぶつかるように倒れ込みました。

一瞬、立てないかもしれないと思いながら倒れたまま後ろを見ても誰もいないわけです。
さっきの墓地から誰かついて来たのですね。
必死で起き上がりましたが、右手は肉が見えるほどのケガで、ドクドクと出血していて、近くのトイレの手洗いで洗い、財布に入れていた絆創膏を貼りました。
顔面というか、頭は強打しましたが、血は出ていませんでした。
思い切り引っ張られた左足も、もんどりうったときに歩道に叩きつけられ、出血していました。

とても怖かったので、帰宅することにしました。

翌日、自宅でクルマを移動させる用があってクルマを動かし始めたら、誰かが背後にいる気配がして、私が気づかぬうちにバリケードに激突しました。
明らかに何かが私に取り憑いていると感じ、妻にお願いして塩を紙でくるんだものを身につけ、さらに庭で塩を体に何度も大量にかけてもらい、背中を思いっきり叩いてもらい、「出て行きなさい」と妻に叫んでもらいました。

そしたら・・その後は異変がなくなりました。

以前にも似たようなことがあったので、妻も迷わずやってくれたのですが、いろいろ見えたり、感じたりすることがある私、・・行く場所も気をつけねばと、あらためて強く思ったのでした。

 

2022/05/09

「一行怪談」を読みました。

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『一行怪談/吉田悠軌著(PHP文芸文庫)』という本を読みました。
これもまたブックオフで見つけた“不思議本”で、安価で手に入りました。

著者、吉田悠軌氏は、怪談、オカルト研究家だそうです。
怪談の収集や、国内外の怪奇スポットの探訪をライフワークとしていて、雑誌、WEB、テレビ、イベント出演などにも精力的に活躍中とのこと、私も今後気をつけて見ていたいと思います。

この本は、タイトルにもあるように、ほぼ“一行”~“二・三行”で怪談らしきものが書かれていて、そんなに短いのに・・なんだか怖い (・_・;

戦死した曾祖父のノートいっぱいに記された6桁の数字は、毎夜かかってくる無言電話の番号と一致していた。・・・なんか、怖いでしょ。

こういうのが、それぞれ1ページに一話書かれているのです。

今すぐ家から出なさい、と電話の向こうから叫ぶ母の声を聞きながら、すぐ横でテレビに笑う母を見つめている。・・・これも、とっても怖い。テレビに笑う母は誰?!

冷蔵庫が開いたままだと注意すると、妻はうんざりした顔で扉を閉め、次の瞬間、庫内から激しいノックの音が響いた。・・・( ̄O ̄;)こんなんばっか!でした。

ちょうどよい恐怖のダメージ具合で読み終えました。
クセになりそう…σ(^_^;)

 

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