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わたしのいきつけ

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2017/02/11

町内の懇親会での話

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きょう、町内会の私の組の皆が集まっての懇親会がありました。
以前、私が組長をやった頃からはメンバーは大きく変わりました。

私の父を含め、当時の中心になっていた世代は亡くなった方も多く、しかも当時はほとんど参加しなかった女性が今回は半分以上の参加となっていました。時代は変わりました。
そして楽しくなりました(#^.^#)

当時の中心になっていた世代で、亡くなった私の父と同い年の方が隣になり、お話をしたのですが、不思議なことや、いい話を聞きました。

その方は奥さまに先立たれて、一時かなり気を落とし、通りでお見かけしたときもかなりの憔悴状態、声をかけるのもはばかられる様子だったのですが、妻と私で声を掛けたこともありました。

きょうは、かなり声にも力があって、よくお話できたのですが、そのときのお話です。

奥さまが亡くなられて、しばらくは奥さまが可愛がっていた猫が、あきらかに家の中でその奥さまが生きていたときのように奥さまを目で追っている様子があったというのです。
それは間違いないと思った、とおっしゃっていましたが、ほんとうのことだと思います。
そういうことはあるのです。

また、奥さまが大切にしていたカメラを使ってみようと外に出ていろいろなものを撮影していたときのことだそうです。
歩いている女性にカメラを向け、撮ろうとしたら・・シャッターがいくら押しても切れなかったそうです。
奥さま、やきもちを焼きましたかね(^_^;)
そのあと、別の被写体にカメラを向けるとシャッターは切れたとのこと。・・間違いないね。

最後に、「私は長く生きてきて、多くの人を見送ってきたけど、人をたすけ、意地悪をせず、損をしても正直に生きる人、真面目に生きてきた人は必ず静かで安らかな最後を迎えた・・でも、その反対の人達はほとんどろくな死に方をしなかった。これは事実だよ。だからあなたも誠実に、そして助けようかと迷ったら人を助けてあげてね、それが人にとって一番大事なことだよ。」と私に向き合って話してくれました。
ありがたい言葉です。
これが人生経験豊かな人の言う素敵な言葉なのだと思いました。
ちょっと酔っていましたが、帰路は温かな気持ちで歩くことができました。


【Now Playing】 I Gotta Go / The Rolling Stones ( Rock )

2017/02/10

“前世”につづいて“デジャヴュ”をどう思う?!

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先日、このブログで“前世”について書いたところ、ブログのアクセス数がかなり高くなり、facebook でもコメントをいただいたりして、けっこう“前世”について意識している人っているのだな、と、ちょっと驚きましたし、うれしくもなりました。

で、こんどは“デジャヴュ”です。いわゆる「既視感」と言われるものです。

初めて訪れた地なのに「あれ?この景色、来たことがある」とか・・

「今、目の前で起こっていること、一回どこかで見ているぞ」なんてことも・・

誰しも経験があるのではないでしょうか。

私も旅行で初めての地を訪れたときに、来たことがあるような気持ちになることがありますし、いわゆる“予知夢”というのでしょうか、夢で見たことがその日のうちに現実で再現されるなどということがあります。

これについては、“そんな気がしてしまう”のだ、とか、記憶の順序を瞬間的に無意識に入れ替えているのだ、などという考え方もあるのですが、でもそれだけでは説明できないことがあると思いませんか。

私は小学校の時に夢で見たことがそのままその日のうちに起こった、ということが何度もありました。

やはりこれについても、“何かがある”んじゃないでしょうかね。

自分の前世が見た景色だったとか、自分の前世が経験したことと同じ事が眼前で起こっていて、そう感じているのかもしれません。

そういう経験ってありませんか?!

考えれば考えるほど、私はわくわく、どきどきしてしまうのです(゚ー゚*)。oO
こういうの、嫌いな人は「そんなことただの思い込みだっ!」と、もう怒っているかもしれませんが、大人げないよ、少しはこういう話題を楽しんでみてはいかがですか。


【Now Playing】 深層深入り 虎ノ門ニュース / 大高未貴、ケント・ギルバート ( YouTube )

2017/02/07

不思議だが前世という考え方はあるかも

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よくテレビなどで、それらしい人が出て来て「あなたの前世は〇〇でした。だから△△にこだわってしまうのです」なんてシーンを見ることがあります。

「ほんとかね?!」と思ってしまいますが、前から気になっていることが私にはありました。
つい先日当事者に話してしまったのですが・・。

私はその人(現世では女性)に初めて会ったとき(8年前くらい)に「あっ、この人とはどこかで会っている」と即座に感じたのです。
自分の現世では会ったことのない人だが、でもたしかにどこかで会っている・・それはひょっとしたら“前世”?と思ったのです。

女性は私よりも現世では年下ですが、その不思議な記憶の中では、年下なのか年上なのかも思い出せず、しかも彼女は前世では男性だったかもしれない。それもよくわからない。

しかも、どうやらかなり近い身内であったように感じるのです。兄妹、姉弟だった可能性が高い。
そして、煙のように漂う記憶の中に、二人の近くにはいつも馬がいるのです。その家には馬がいたらしい。しかも農作業用というよりも、移動用のよく手入れされたきれいな馬です。
自分でも驚くのですが、その映像は頭の中にふっと浮かび上がってくるのです。

なぜか他の人にはそういう感情を生まれてから持ったことがないのですが、彼女が笑うととても幸福感に充たされるのです。彼女が目を輝かせ、何かに夢中になっている姿を見ても私は幸福感に充たされる。
ずっと、これは何故なんだろう・・と思っていたのです。

彼女と私の間にはさらに同時に初めて知り合った、彼女よりも若い女性がいて、その女性が不思議なことを私に言ったのです。
ある日突然「あの人のことを好きになってはいけませんよ」と。

その間に入ってきた女性は「前世で兄妹、あるいは姉弟だった間柄だったのだから、今の気持ちを勘違いして恋愛感情を持ってはならない」と言いに、わざわざこのシチュエーションにキャストとして入り込んで来たのではないか、と私は勘ぐってしまったのです。

私を含むこの三人が出会う確率は信じられないほど低いもので、偶然が偶然を呼んだ形で知り合ったのですが、遠い過去の何らかの出来事が巡り巡ってこの現世で引合わせたのではないか・・というのが私の結論なのです。

だから、このあいだも、その前世でごく近い関係であったろう彼女に会ったのですが、相変わらず彼女の笑顔を見ているだけで幸福感に充たされたのでした。そして、思わず前世のことを話してみたのでした。

私の大いなる勘違い、錯覚である可能性もあるのかもしれませんが、前世での“いわれ因縁故事来歴”があるのかもしれない(いや、きっとある)彼女を私は大切なかけがえのない友としてこれからも付き合っていこうと思っているのです。


【Now Playing】 深層深入り 虎ノ門ニュース / 松井一郎他 ( YouTube )

2016/12/18

たまたま発見!パワースポット

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ほんとうは今日のブログで、今、開かれている中学時代の担任の先生の個展の様子を紹介しようと思ったのですが、それは後日にして、その個展会場にある庭園にあった表題の「パワースポット」について書いてみます。

先生の個展のあった『笑虎』というギャラリー(※千葉県山武郡横芝光町栗山4449-1)は、古い日本家屋の建物で、庭園も持っています。最初の写真はギャラリー側から庭園を見たもの。


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ギャラリーを出て庭園に出ると、とても気持ちいい!(゚ー゚*)
静かで、空気も澄んでいて、おだやかな気分になります。

ギャラリーに到着し、先生と話をしていると、「実はこの庭にパワースポットがあるようだ。きょうも子どもがやって来て、庭園の敷石の上で「何、これ?!ビリビリくる」と言っていた。他にも何人か手の平を下にかざすようにすると感じる人がいる。」というのです。


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というわけで、「先生、私も試してみていいですか」と、庭に出てみました。
どの石かも聞かずに敷石を次々と歩いてみると(※写真は先生とギャラリーに来たお客さまのひとり)、ひとつの石のある部分、ピンポイントで私にも感じることが出来ました。

手のひらを下にすると、下から上に持ち上げられるような感じがします。しかもそこだけ空気が冷たく、手のひらに細かく何かがあたるようです。

こりゃ間違いなくパワースポットじゃないか!!と驚きました。
ギャラリーに戻り、珈琲を淹れているマスターであるママにも話すと、どれどれとママと他にもひとりお客さんが庭に出て来て試してみました。


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ママは「言われて見れば・・」というくらいの感じ方。
もうひとりのお客さまは「まったくわからない」とのこと。
その後、先生の奥さまもギャラリーに到着し、試してみましたが、「感じない」とおっしゃっていました。「清い心がないとだめかもね、私はほらいろいろとあって生きてきたから」なんて冗談をとばしていました(#^.^#)

なにかご利益があるといいんですけど・・(*^^*)・・もう一度その敷石に寄ってから帰りました。


【Now Playing】 八五郎の出世 / 三遊亭円生(六代目) ( 落語 )

2016/10/27

「冥途のお客」を読んだ

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『冥途のお客/佐藤愛子著(文春文庫)』を読みました。
タイトルどおり、幽霊が作家の佐藤愛子さんの周囲に現われたり、現われずとも奇怪な現象を起こしたり、ちょっと怖い思いをしたりというお話ばかりです。

よくある泊まった宿に現われる幽霊、かつてその地で浮かばれないまま亡くなった人々が多々あるところに行き、連れてきてしまった幽霊などなど、私から言わせると非常に恐ろしいエピソードばかりなのですが、佐藤さんは震えあがるようなことはほとんどありません。

自身の別荘にいる幽霊にしても、祓ってしまうおうなどとは考えず、そこに“いさせる”ようなかたちで付き合っています。

また、自宅に現われる幽霊なども家族が見ているのですが、それほど驚いたりもしていません。
なんというのか、我々もやがては死に、信じるか信じないかにもよりますが、幽霊になるわけで、一定の場所に現われる幽霊などについても、「実はへそくりがあったのに死んでしまい、それが気になっていつまでも家にいる幽霊がいる。」というような(^_^;)そんな話も書かれていました。

私もこのブログで過去に経験した霊現象について何度か書いていますが、上記のようなことに思い当たるふしもあります。
帰宅するときにいつも同じ街灯の下にたたずむ作業服姿の30代後半くらいの男性の霊、何か理由があるのだと思いますが、ひょっとして些細な事が気にかかったまま毎夜ずっと現われているのではないか、などと思ったことがあります。

友人宅の庭で夜にバーベキューをやっていると少し遠くからずっとこちらを見ている着物姿の女性を見つけたこともありました。
これも一度ブログに書いたかもしれませんが、「江戸時代くらいにここで何かあったのでは」と、友人に“変人”じゃないかと言われるかも知れないけれど、恐る恐る聞いてみると、友人が真っ青になり、祖母から聞いたことのある話なのだが、祖母の若かった頃に、家によくないことが次々と起こり、見て貰ったことがあり、その人によれば、「ここの地で行き倒れになった女性が浮かばれないまま居着いている」との話だったとのこと。
そのときに供養して、今後も供養し続けるように、との指示があったのだが、いつの間にかそれも忘れられ・・ということでした。

そして、私が女性が立っている場所として指し示した場所がまさに過去に「この場所を供養せよ」と言われた場所だったのです。

・・・というわけで (・_・;私にとっても、霊は何度も何度も見たことのあるもので、佐藤さんのこの本に書かれていることは、とても身近に感じられることでした。

人にいくら迷惑をかけても平気でガハガハ生きているような人は心配ありませんよ、絶対に霊は見ないでしょう。
心配事がいつもあったり、心の中にいつも雲が垂れ込めているような状況の人・・気をつけてね( ̄O ̄;)だいたいそういうことになっています。


【Now Playing】 ニュース / NHk ( AMラジオ )

2015/11/30

ほんとうの妖怪とは

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漫画家の水木しげる先生が亡くなられたことを知りました。
私にとってはかなり本気で親しんだというか、怖かった漫画でした。でも夢中で読みました。水木先生とムロタニ・ツネ象先生の作品は子供の頃の私にとって二大恐怖漫画でした。

少年サンデーだったか、マガジンだったかで、水木先生の冒頭二色刷・四~五頁の妖怪特集などは食い入るように見ました、それこそ毎日。風呂についた垢をなめる妖怪、その他摩訶不思議、見たこともない妖怪達に怖れながらも興奮仕切って何度も何度もその特集ページを見ました。

それに、水木先生の作品についてはテレビで実写化された「河童の三平」「悪魔くん」が私を“虜”にしました。
両作品とも開始当初の頃がめっちゃ怖かったです・・…σ(^_^;)トイレに行けなくなった。

大人になっても、もちろん復刻版の「墓場の鬼太郎」を読み直したり、妻子を連れて鳥取の境港にある先生の記念館も訪れて、水木先生の世界にふれてみようとしました。
水木先生、あちらの世界でも妖怪と楽しく暮らしていくのではないでしょうか。子供の頃はお世話になりました。ありがとうございました。

さて、今度は現世の私の周りの世界にいる妖怪の話。

先日、現在の職場から三つ前の職場で一緒だった我が社の仲間と久し振りに縁あって酒宴を持ちました。

そこでは、一緒に仕事した二人から「はっPさん、今は窓口のある職場ですよね、トラブル、クレームなどしょっちゅうで大変でしょう。」と聞かれました。

で、私は即座に答えましたよ。

「いや、大変じゃないですよ。たしかに“言いがかり”と言えるようなクレーム、強烈な人もやって来ます。でもね、今まで様々な職場で出会った“我が社”の強烈な個性を持った人達を思い浮かべてみてくださいよっ!・・・ねっ、どんな苦情も恫喝まがいのことをする人も全然怖くない。」

・・一瞬シーン・・・で、「あ、なぁるほど」と二人ともうなずきましたよ(*^_^*)

理屈も何も通らない、寝業師のように、蛇のように人の話に絡みついて真綿で首を絞めるような人達・・居ましたねぇ(-_-)・・ま、それに比べたらよっぽど大丈夫d(^_^o)

という、我が社にはかなりの棲息数である魑魅魍魎みたいな妖怪のお話でした。
水木先生が描いていた妖怪っていうのは、実は我々の身の回りにいるそういう人や心や環境のことだったのかもしれません・・。


【Now Playing】 ラジオ深夜便 / 千住真理子 ( NHK-AM )

2015/08/06

「麦酒主義の構造とその応用胃学」を読んだ

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『麦酒主義の構造とその応用胃学/椎名誠著(集英社文庫)』という本を読みました。
15年も前に発行された本ですが、私が今まで読んできた椎名さんの本とはちょっと毛色の異なるものでした。

何編ものお話が書かれているのですが、それぞれがエッセイとして始まるのに、途中からそこまでのお話がスクリューボールのように“くるくるぐるぐる”とまるで夢の中に落ちて行くように奇想天外な物語に変化していくのです。

なので、途中までこちらはエッセイを読む態勢でいたのに、後半はモードを変えて、時にはSFにも感じるようなお話を読むことになるのです。

私自身も、よくこの本と似たような経験をすることがあります。
日常起きている事象の中で、頭の中でそのことをずっと考えていると、自らの考えをまとめようとしているうちに、勝手に頭の中にいたキャラクター達が動き出し、自分でも想像し得なかったストーリーが展開し(^_^;)どうしたもんだ・・と困ってしまうような(勝手に困っているんだけど)ことになるのです。

しかも、ここ2~3年は歳をとったのが影響しているのか、昼休み、食後に“うとうと”していると、あっという間に夢の中に落ちて行って二時間にも三時間にも及ぶような出来事を経験してしまうのです。
はっと気付くと自分が今どこにいて、いつなのかもわからない事になっていて…σ(^_^;)あわてて時計やカレンダーなどを見て正気に戻るのですが、二時間にも感じた夢の出来事はわずか10分程度の間に見ていたのだと驚くのでした(*^_^*)

こんな感じなんです、この本に書かれているそれぞれの「エッセイ+夢へのスピンオフ的な物語」の様子。

この不思議な感覚を“お試し”経験してみたい方、ちょっと古い本で探しにくいかもしれませんが、ブックオフや古本屋などで探してみては?!d(^_^o)


【Now Playing】 ラジオ深夜便 / 中村雅俊 ( NHK-AM )

2015/06/06

なかなかブログまでたどり着けませんでした

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前回のブログで我が家の家族として14年と10箇月間、一緒に暮らしてきたネコのサンドが亡くなってしまったことを書きました。

妻も長女もふとした瞬間に思い出して泣き出し、「いつまで泣いていても、サンドは困っちゃうんじゃないの?」と言ってきたのですが、特に妻は取り乱したように泣いていて、こんなにも飼い猫の死が悲しいものだとは私も思っていませんでした。

小中学生頃に、私の育った実家では三匹の犬を飼い、それぞれに亡くなったときには悲しく、大人になってももう動物は飼わない・・と思ったのですが、結局長男が拾ってきた捨て猫を飼うことになり、たくさん思い出が出来て・・そしてこんなにも悲しい思いをすることになりました。

妻に泣かない方がいいと声をかけていた私も深夜一人になり、部屋でサンドを思い出して声をあげて泣いてしまいました。

そんな気持ちを引きずり、ここ数日はブログにも手をつけることが出来ませんでした。

でも、もうそろそろいいかな、と思い、書き始めたところです。

実は、妻が一人で家にいるときにまたサンドを思い出し、泣いていると「なかないで」と声が聞こえたというのです。

その翌日、私がクルマに乗っての通勤途中で「泣いていたら見てやって・・」と、声が聞こえました。

その話をすると、妻が「どんな声だった?」と聞くので、「そうだなぁ、中学生くらいの男の子の声っていう感じで爽やかな感じかも・・」とこたえると、「・・そう、私が聞いた声もそう感じた」と妻が言って・・不思議な気持ちになりました。

そして、今朝。
「もう帰らなくちゃ。行くね。」と窓の外からまた同じ声が聞こえて・・。
サンドはしばらく家にいたのかもしれない、などと思いました。
幻聴なのかもしれません。でも、そんな声が聞こえてよかったと、二人で夕方に話をしたところです。

また明日から、いつものように戻りたいと思います。戻れなくて時間がかかるかもしれませんが、徐々にでも・・。


【Now Playing】 天気予報 / NHK ( AMラジオ )

2015/05/17

ひと区切りつきました

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昨日の土曜日に、母の一周忌法要を身近な親類だけで行いました。
あっという間の一年でした。
一昨年に父も亡くしておりますので、今年9月は父の三回忌にもあたるわけですが、それは子どもだけで、とも考えていたところ、住職から「親類の方々がお母さまの一周忌においでになるのですから、そこでお父さまの三回忌を同時法要されては」とおっしゃっていただき、そうすることにしました。

小雨の降る中、墓地にあるお堂でお経をあげていただき、墓参り、そして地元の寿司屋で食事、滞りなく終えました。

一周忌、三回忌と共に、我が家とは『氏』の異なる「稲生家」の先祖代々の精霊の追善供養も行いました。
稲生という姓は、現在の私達一族と異なる姓なのですが、私の世代から四代遡ると稲生家に辿り着きます。

私の家のすぐそこ、畑の中に稲生家の墓があり、そこには私の祖先達が眠っています。
現在の私共一族の墓地はまた別にあります。
墓を継ぐべき稲生家の子孫は調べると岩手県に住んでおり、自らの祖先のことは何も知りませんでした。何せ江戸時代のことですから。

その稲生家の墓は調べると、公図上驚くべきことに私の家の中にあることになっていて、昔のこと、いい加減な測量だったのでしょう。
でもそれを正しい位置に訂正するには江戸時代の稲生家から今度は子孫を下っていって調べ、その人達の同意と印鑑が必要になり、その人達に連絡を取り、説明をし、お願いしました。

しかし、最初は取り合ってもくれず、一年間にわたり、手紙を何度も送り、土地家屋調査士の方も地元図書館で私の地方では自分の畑に墓地を作り、そこには墓石も置かない風習がある、などの資料を探してくれ、それも送り、説明し続けました。
ようやく納得いただき、一年半後に墓地の位置は正しい位置に公図上も訂正されました。

・・それに伴って我が家で起きていた怪異現象もすっかりなくなりました。
「子孫が自分達のことを認識してくれた」、と墓地に眠る先祖が感じ取ってくれたのかもしれません。

これからも稲生家の墓はこちらの一族で見守ります。
今までも彼岸には線香をあげ、盆には提灯を持ってご先祖さまをお迎えに行っておりました。
それは今後も続けて行きます。

何かほんとうにひと区切りついた気がします。
きょうはおだやかな日和です。


【Now Playing】 ニュース / NHK ( FMラジオ )

2013/09/15

父と過ごす夜

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只今、9月12日午前2時を少し回ったところです。
これは、ポケットメモライター「ポメラ」を使って書いています。
いつかアップすることもあるかもしれません。葬儀が終わって一息ついてからかな。

父が亡くなりました。
昨日の早朝でした。連絡を受けて病院に行き、父と対面しましたが死に目には会えず、でもその後洗体してから父と再度会うと、すっかりおだやかな表情になっていて安心しました。

そして、霊安室で病院の先生、看護師さんともお別れをして家に帰り、久しぶりに会う親戚の人たちが一日訪れ、今は兄と交代して、母は足が悪く別室で寝ておりますが、私ひとり、広い実家で父と線香を絶やさぬよう過ごしております。

NHKのラジオ深夜便からは、ヘレン・メリルの「オータム・イン・ニューヨーク」が流れています。

一人、深夜こうしていると、今までには一度も経験したことのないものを感じています。
過去のことは意外とあまり思い出すこともなく、ただ静かに時が流れているのです。

私には、かつて色々なこの世の人でない人が見えることがありました。
一昨年、四代前の祖先の墓地について百年以上に渡る懸案を解決した後、何も見えなくなってしまいましたが、昨日午前中に父と帰宅してからは、父が庭でうれしそうに大好きだった植木の手入れをしようと、いつも作業のときにしていた服装で植木を見上げながら歩いている姿を見ました。
父は会社勤めしているときも、毎・日曜日は一日中植木の手入れをしていました。竹で編んだ垣根や、正月の門松なども“玄人はだし”の見事な出来栄えで作り上げていました。
やはり庭の植木が気にかかっていたのでしょう。
それを見て少しほっとしました。

父は注文建築の会社で営業をしておりましたが、ときどき小さかった私を日曜日に栃木などの現場に電車に乗って連れて行ってくれました。
お客さんと話をしている間は、その近くの喫茶店でナポリタンなどを私に食べさせ、仕事をしていたのでした。
特に何か別におもしろいところに連れて行ってくれるのでもないのに、なぜ兄ではなく、私を連れて行ってくれたのかは今でもわかりません。

また、時には電話で呼び出しがあり、会社近くまで来させて、当時はファミレスも無かったのですが、洋食屋で美味しいハンバーグなどをごちそうしてくれました。
朝方などは、喫茶店でモーニングを一緒に取り、子供だった私はバスに乗って家に帰り、父は会社に出かけるなんてこともありました。
あれは何だったんだろう。
その喫茶店のひとつは、たぶん今の千葉銀座通りにあるサイゼリヤがあったあたりに存在していた「ロビン」という喫茶店ではなかったか、と記憶しています。

当時銀座通りの露天商の前を父と歩くと、おじちゃんやおばちゃんたちが皆父に声をかけてきました。
あのあたりをいつも歩いていたのでしょう。

飲んで、“午前さま”の帰宅となると、よく「金寿司」の折り詰めを「マンガに出てくる酔っぱらい」のようにぶら下げで帰ってきたっけ・・などと思いだしつつ、時は過ぎて行くのでした。

思い出すのは、感動的なことではなくて、意外とこんなことなのです。


【Now Playing】 オータム・イン・ニューヨーク / ヘレン・メリル ( Jazz )

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