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2022/11/13

「旅だから出逢えた言葉/伊集院静」を読みました。

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『旅だから出逢えた言葉/伊集院静著(小学館文庫)』を読みました。
伊集院さんが旅に出て、そこでその地で出逢った人や出来事から得た言葉について書かれた本でした。

ほとんどが国外に旅をしたときに伊集院さんが感銘を受けた言葉だったのですが、私がいちばん強い印象を受けたのは、伊集院さんの奥様がふともらした言葉でした。

場所は伊集院さんが奥様と出かけたスペイン。
バルセロナの北、モンセラットにある“奇跡のマリア”に義父の長寿を祈りに出かけられたときのことです。

奥様のお父様は担当の医師からの診断よりも、その祈りのお陰か何倍もの歳月生きることができたとのことでした。

敬虔なクリスチャンである奥様(女優の篠ひろ子さん)に「神は君に何かをしてくれるのかね?」と伊集院さんがたずねると・・

「どうなんでしょうか。私は神が何かをしてくださるとは思いません。ただ私はささやかな契約をしているのだと思います。その契約のために祈っているのではないかと・・・。」と応えているのです。

思わぬ答えに、伊集院さんは一瞬、沈黙します。
「私が旅で探していたものへの暗示がこんなに近くにあったことに驚いた」と、夜の仕事場で伊集院さんは振り返っています。

そしてもうひと言、奥様から・・

「何かをしてくださったこということはありません。でも、どんな時も、そばにいてくださいます。」と。

私自身はクリスチャンではありませんが、でも、神様って奥様の篠ひろ子さんがおっしゃっているような、そんな感じでとらえています。

私にとっても神様という存在は、何かしてくれるわけではなく、面倒を見てくれるわけでもなく、でもどこかにいて見守ってくれている、そんな感じ・・。
そうでもなければ、ただひとりこの人生を生きて行くのは厳しすぎるし、寂しすぎます。

そんなことを考えつつ読了いたしました。

 

2022/10/14

「ニホンゴキトク」という久世輝彦さんの本を読みました。

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『ニホンゴキトク/久世輝彦著(講談社)』という本を読みました。
1996年刊行の本です。

「ニホンゴキトク」というのは“日本語危篤”っていうことなんです。

この本が刊行された1996年頃に、「この日本語はもう“瀕死”の状態で“死に絶える”だろう」と久世さんが感じている“日本語”を拾い集め、かつてはこんなときに使われていた、あるいはこんな使い方をするとその様子がとても良くわかったり、感じたりしたものだ・・というようなことが丁寧に書かれていました。
2022年現在、死んでしまったと思われる言葉もいくつかありました。

特に久世さんがその言葉を拾い集めるときに参考にされていたのが、かつて一緒に仕事をされていた向田邦子さんの著者からや、コラムニストの山本夏彦氏の著書、さらに幸田文さんとその娘の青木玉さんの著書です。

久世さんが強調されているのは、言葉や言い回しというものは理屈が通って相手に伝わればそれでいいというものではない、ということでした。

言葉は感じるもの。色気、匂い、肌触り、可笑しみ、のどかさ、涼しさ・・、虚しさ、熱い思い、誰かに告げたい幸せ・・など、いろいろな言葉で伝えたいじゃありませんか(#^.^#)

でも、日本語はどんどん言葉を少なくし“記号化”しているようです。

例示されている言葉で、「英語でなんと言うのだろう」というものがありました。

「できごごろ」「面変わり(おもがわり)」「甲斐性」「生半可」「昵懇(じっこん)」などです。
これに代わる英語ってあるんだろうか?としばし考えてしまいました。正確には無いと思う。

「すがれる」という言葉を知っていますか。使ったことがありますか。
草や木が枯れはじめること、あるいは盛りを過ぎて衰えを見せはじめることをいうのだそうです。
哀れでもの悲しい気持ちがしみじみ伝わってくる・・という。
私がこの「すがれる」という言葉を当たり前のように使っているのを聞いたのは、なぎら健壱さんだけです。言葉の前後関係から意味するところはその時わかりました。
それ以来聞いていないので、もう“すたれ”てしまったのか。
“すたれる”自体も瀕死の言葉か。

「汽車」も使われなくなっちゃいましたね。
昔の歌謡曲にはよく使われていた。
久世さんの理解するところでは、汽車は長距離を走るもの、電車は通勤等比較的近距離を走る列車を当時は指していたとのこと。

汽車の「汽」は蒸気機関のことを言っているのかと思いましたが、でも昔はちがったみたい。
鉄道の歴史を遡ると、鉄道発達初期の頃は、蒸気機関車が長距離を受け持っていたと思われるので、一般的に上記のような理解がされていたのだと思います。

私が思いつくのは「花嫁」「さらば恋人」などですが、1970年代の「なごり雪」でもいきなり「汽車を待つ君の横で僕は・・時計を気にしてる」で始まります。
電車じゃ・・だめだよねぇ(^_^;)やはりこれも“長距離”を意識しているのだと思います。

250頁以上にわたり、いろいろな、“無くなりそう”な日本語について書かれていたこの本、しみじみと読みました。

 

2022/09/08

永六輔さんの「聞いちゃった! -決定版・無名人語録-」を読みました。

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『聞いちゃった! -決定版「無名人語録」-/永六輔著(新潮文庫)』を読みました。
1984年から1995年に雑誌「話の特集」に連載された「無名人語録」と「沈黙は金曜日」その他から抜粋し、あらためて編集したものだそうです。

ようするに、ちまたで永さんが耳にした有名無名問わず、聞いちゃった話をどんどんメモ書き的に綴ったものです。
だから、そのお言葉の数々は“玉石混交”!!

けっこう今だと本に載せるのも“はばかられる”ような内容も多く、当時は大らかだったんだな、というのと、これを載せないということは、つまらない本になってしまう・・とも思いました。さじ加減が難しい。

そんな中で私好みな感じのお言葉をいくつか。

「あかの他人同士が起こす奇蹟、それが夫婦というものです」・・そんな気がする(^_^;)

「夫婦というのは、別れそこなった男と女のことです」・・それも一理ある(^^;)

「死ぬということにはベテランや名人はいません。死ぬのは、みんな初心者です」・・どうしても“へたくそ”で死ねなかったという人はいませんものねぇ (・_・;

などなどです。

あと、お役所に“ちくり”とやっていたのがありました。

「ノーマライゼーションによるゴールドプランのシルバーエイジ・アメニティライフをサポートするエルダースタッフの集い・・。厚生労働省関連で、そういう会があるんだけど、行く?」・・ってやつd(^_^o)・・いくわけねえだろっ!!

私も、病院の待合室や、その他買物に出かけたときなどに、耳に入ってくる面白い会話や、不思議な会話、理不尽な会話、独善的な会話、いろいろそのときには気になったりするのですが、如何せん覚えておくことをしていないので、今後はスマートフォンなどにメモして、このブログでも“面白いお言葉”などをご紹介しようかな、などと思いました。

 

2022/09/07

内館牧子さんの「カネを積まれても使いたくない日本語」を読みました。

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『カネを積まれても使いたくない日本語/内館牧子著(朝日新書)』を読みました。
またまたブックオフにて安価購入。2013年発行となっていますが、どうやら見本版のようです。その旨のスタンプが押されていました。

まずは、こういう本を書こうとして、実際に作り上げたことに対して、さぞかし大変だっただろうし、いろいろなことを言ってくる人がたくさんいるであろうに、その意志の強さに敬意を表します。
言葉の感じ方というものは、人によって様々で、内舘さんもこの本の中でいろいろな人が気にしている言葉に驚いたり、内舘さん自身はあまりこだわらない言葉についても人によっては大いに気に障ったり、まさに十人十色です。

それでも書きたかった“カネを積まれても”使いたくなかった日本語d(^_^o)しかと読ませていただきました。

よく言われる「〇〇させていただく」についてもふれられていましたが、官僚などが使う「ございます」口調も加えた『お示しをせさて頂いてございます』→[示してあります]でいいのに・・。
こういう言葉には、私もビンビンと共感アンテナが反応しました。

「〇〇感」っていうのもありました。『食べた感がある』などという使い方をされているものです。私も、よくファッション関係の人が「“ぬけ”感がでています」などと使っていると、そりゃなんだ!と思うことがありました。

「普通に〇〇」というのも取り上げられていました。
「普通においしいです」って、私も部下に食事を奢ったときに言われて「おいしいのか、おいしくないのか、どっちだ?!」と思ったことがあります。

このあいだもテレビで、若い男性タレントが、高校生の写真甲子園での奮闘ぶりをビデオで見て、「普通に尊敬します」と言っていました。これって「ま、よくやってんじゃね?」というふうに私は取ってしまいましたが、きっと「私は“素直に”尊敬の気持ちをいだきました」ということを言いたかったのかもしれません。

あとは、「そうなんですね」って相づち。
よく女性アナウンサーなどが使っているのを耳にします。
「北海道、寒かったけどラーメンが美味しかった。」→「あ、そうなんですね」というぐあい。
たぶん、ぜんぜん聞いていないし(^^;)興味もないということがよくわかります。
でも、この「そうなんですね」の“使い手”は多いですね。なんの関心もないことが“見え見え”ですよ!

あとは政治家がよく使う言葉。
「しっかり、きっちり」については、内舘さんは厳しいですよ。
「しっかり」を使った時点で、“自信が無いのだろう”と思われるとおっしゃっています。
首相や大臣になり立ての人が就任挨拶でよく使っていました。自信が無かったんでしょうね(^_^;)

さらに「〇〇をする」も取り上げられていました。「設置をする」「確立をする」「共有をする」などです。設置する、確立する、共有するじゃだめなんですかね。
これも自信が無いのだと思います。

ついでだからあといくつか挙げておきますが、

認識しております、把握しております → 政治家に特に多く、主に“言い訳”するときに使います。

緊張感をもって、スピード感をもって → これも“口先だけ”の発言のときに主に用いられています。「真剣にやります」「急ぎます」 と言えばいいのですが、真剣にやった“ふり”、急いでいる“ふり”をするだけなので、「感をもって」やるとしか言えないのです。

以上、この本に書かれていることのほんの一例をご紹介しましたが、私には実に面白かったd(^_^o)
人になんと言われても、こういう言葉へのこだわりは、ずっと保っていたいと思います。

 

2022/07/24

「明るい話は深く、重い話は軽く/永六輔」を読みました。

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『明るい話は深く、重い話は軽く/永六輔著(智恵の森文庫 光文社)』という本を読みました。

2003年発行となっていますので、約二十年前のものです。
日本中を旅したり、いろいろな人と出会って得た世の中を和ませる秘訣だとか、永さんの話の集大成みたいな本でした。

おもしろかったですよ(*^^*)、私がちょっと感じるところがあった部分を少しご紹介します。

「パソコンを入れた友達に手紙を書いても、返事をくれなくなりました」という葉書をもらい、“寂しい”と感じる永さん・・。
この寂しさがIT情緒的反対派を中高年に増殖させている、と書かれています。

自分のたちの生活に電話が侵入してきたときは、どうだったのか?電話反対派っていたのか?!などとも書かれていますが、電話と現代のITって、文明としては似ているようで、そうでもないような気がします。

私は、ブログ、ツイッター、インスタグラム、Facebook と、いろいろやっているようでいて、手紙もよく書きます。「返事は期待せずに」ですd( ̄  ̄)
返事を書いてくれる人なんて、まあ、いません(^^;)でも、それでもいいんですよ。
書きたくて書いているんだし、この“紙に直筆”の威力がわかる人にはわかるわけで、伝わっているはずです。

次の話題

「ある年の紅白歌合戦をラジオで聴きながら、心を打つ歌詞が流れてきたらメモしようと、紙と鉛筆を用意しておきました。最後までとうとうメモは白紙。言葉がいかに無力になってしまったか、それを哀しく感じました。」

という一文がありました。
これにも、私は同感しました。
歌詞が流れたら・・って言っても、いまや何を歌っているのか聞き取ることさえできません。
なんとか日本語に聞こえないように、英語みたいに聞こえるように発音しているからです。
・・みっともない、格好悪い、の極致です。

それにどうせ聞き取れたって、自分の周囲、半径2メートルのことだけ自分勝手に歌っているだけで、自分さえよければ、という歌詞ばかりです。
聞くに値せず・・。

最後にもうひとつ

「Eメールや携帯メールを使っているから、ちゃんと言葉で会話している、だなんて思っていませんか。あのメールは言葉ではありません。記号の交換。言葉には表情や身振りがあって、意味を補充している。手紙にも形式や、文字の巧拙が出ているから、表情として伝わる。携帯電話はもはや、電話でもなければ、メールでもない。無機質な記号の発信機。」

とありました。いやもう、そのとおりだと思います。

さらに言葉の記号化、符丁化に拍車をかけているのが、略語や省略の横行だともおっしゃっています。

「メアド」だとか「コスパ」だとか、独特の言い方を発明するのは、昔から特殊な仲間社会のものでした。
つまり“ヤクザ”や“芸能人”などの堅気ではないところで盛んでした。
そこだけしか通用しない言葉を創って自分たちのアイデンティティを確認し合うわけですが、そんなもの真似して、これまたみっともない話です。

「やばい」も、あちらの世界の方々の賭博用語ですが、それを知っての“狼藉”かと最初は驚いたのも、今は昔。

いろいろ感じるところが満載の本でした。

 

2022/07/15

「伝言/永六輔」を読みました。

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『伝言/永六輔著(岩波新書)』を読みました。
2004年2月の第一刷発行となっています。

内容は、「いまこそ伝えなければいけない言葉」を拾い、人々が暮らしのなかでつぶやいた智恵の言葉を中心に政治、教育、メディア、医療などについて語っているものです。

堅苦しそうだけど、内容はわかりやすく書かれ、時に永さんの“怒り”なども感じ、さらに優しさなども感じるという・・今の時代にはもうないような世界観の本となっておりました。

永さんらしいな、と思ったところなどを少し抜き出してみます。

香具師(やし)には、日本語の達人が多い。啖呵売(たんかばい)の言葉でだまされたって、怒ってはいけない。寅さんは品物を売るのではなく、言葉を売っているのだ。
・・というところです。

ついでに、

インチキもまた、言葉しだいで商売になる時代があったのだ。最近の政治家は、マニフェストという啖呵売をしている。
・・だって(^_^;)

禁煙しなくたって、いいけどさ。
タバコの名前を変えりゃいいんだよ。
《短命》、《心不全》、カタカナが好きなら《クモマッカ》とか。
・・これもまた苦笑いする人多数という永さんの面白いもの言いです。

もう亡くなってしまった映画評論家、淀川長治さんの入院見舞に永さんが行くと、ドアに淀川さんが書いた「貼り紙」が・・。

[このドアを開ける人は、笑って開けてください]
・・と。

永さんが笑いながら入ると、「あんたはいいの」と言われて、じゃ誰に?と訪ねると、看護婦(看護師)さんに向けて書いたんだそう。

看護婦(師)が部屋に入ってくるときに笑顔だと、どれほど患者がホッとするか。ということだったんですって。

永さんが帰りにナースセンターに寄って婦長(師長)さんに「看護婦さんがみな笑うようになったと淀川さんが言っていましたよ」と言うと、

「そうなんです。皆笑顔で部屋に入るようになって、淀川さん以外の部屋に行っても笑うようになった。看護婦が楽しげに仕事をしているように見えるので、病院全体がなんだか明るくなったんです。」
・・とのこと。

看護“婦”と原文に書かれているので、時代はずいぶんと昔のことですが、でも病院での笑顔はたいせつだと、あらためて私も思いました。

昨年、私が入院したときに、最初のうち看護師さんたちが、とても厳しい顔をされていたのを思い出します。・・それほど深刻だったのだと思います。

深夜に私の身体にいろいろセンサーがついていて、その数値が急激に落ちたのでしょう、部屋に入ってきた看護師さんたちが、私が眠っていると思い、ひそひそ声で私の深刻な病状についてどうしようかと悩みながら話している姿を薄目で見てしまいました。

あのとき、家族に何か書き記しておかなければと思い、翌日看護師さんにノートを買ってきてほしいと頼んだことを思い出しました。
その後も、看護師さんの表情にとても敏感になりました。

その後に私の命の恩人となった看護師さんが登場し、「絶対に元気になって家に帰るよっ!」「私の顔を見て、元気を出してっ!」と励まされ、生きて家に帰ることができました(*^_^*)

話が脱線しましたが、「いい話が書いてあった」ということが書きたかったのです。

以上、永六輔さんの「伝言」を読んだ感想でした。

 

2022/07/09

「その時がきた/山本夏彦」を読みました。

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『その時がきた/山本夏彦著(新潮社)』を読みました。
平成8年発行の本なので、二十数年前のものです。

ブックオフで200円で見つけたのですが、山本夏彦さんの本は、通常の書店ではまったく見なくなり、ブックオフなどの古本を扱う店でも見かけることは、ここ十年以上に渡ってほとんどありません。

何か理由があるのかと思うこともありました。
山本さんが亡くなったあとに、残された手帳などから「夏彦の影法師」という本を息子さんが書かれていますが、それを読んだときにも何か“奥歯に物が挟まったような”・・何かあるんじゃないか、という印象がありました。

結局、ほとんど書店・古書店で山本さんの本を見かけなくなった理由はわかりませんでしたが、ちょっと謎です。
考えられるのは、今、山本さんの本を読んでみると、政治的なことでも、日常生活のことでも、言葉づかいでも、男女のことでも、いろいろなことについて遠慮会釈のないことを書いています。
今だったら“炎上”必至です。
そういう本を置けない・・ということは・・ないと思うんだけど。

実は買って来て気づいたんですけど、過去にこの本、読んだことがありました…σ(^_^;)
忘れちゃうんですよね(^_^;)

清水幾太郎の「私の文章作法」に書かれていた言葉にふれている部分があって、私も山本さん同様気になりました。

〇言葉に好き嫌いのある人なら文章が書けるようになる見込みがある。

というものです。

山本さんも、「原点」「ふまえて」「出あい」「対話」のたぐいは千金を積まれても用いないと言っていて、私もあまり使いたくない言葉かもしれない・・。

永井荷風も若者の口まねして言うことはあっても、書くことは断じてないと言っていると書かれていました。
そうねぇ、私も若者の使う言葉は自分の身に沁みていないので、使わないことがほとんどです。

コスパ、エモい、バズる、などはたぶん生涯使うことはないと思います。

山本さんは大正生まれ、一般家庭に電話のない時代の、よその家への訪問についても書かれていますが、そんな昔の話を聞くと、携帯のない時代の生活についても私には思い出されました。

根本的には、いつの時代にも普遍的にあることについてよく書かれた山本夏彦さんの本。
久しぶりに思い出しながら読みました。

 

2022/06/17

石田衣良さんの「小説家と過す日曜日」を読みました。

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『小説家と過す日曜日/石田衣良著(文藝春秋)』を読みました。
いつものとおり、ブックオフにて200円でしたd(^_^o)

この本は、「石田衣良ブックトーク・小説家と過す日曜日」というメールマガジンの1~12号をまとめたものなんだそうです。

それぞれの号の内容としては、毎回「ショート・ショート」「ワイドショーのコメンテーター的発言」「衣良さんと小説の登場人物が二面性を持って語るエッセイ」「読者とのQ&A」「ブックレビュー」「しくじり美女との対話」が盛り込まれていて、いやもう大充実の“濃さ”です。

読んで見て、実際には、これを毎月メールマガジンとして発刊しているわけで、たいへんな作業だと思います。

本と創作の話、時代や社会の問題、恋や性の謎、プライベートに関わる親密な相談・・などなど、衣良さんがおもしろいと感じ、興味をもつことに対する思いは、とどまるところを知らないという感じです。

多岐に渡る内容の中で気になったことを少し取り上げてみます。

定額制の音楽聞き放題や、ドラマ・映画の見放題のサービスについて(いわゆる“サブスク”ってやつです)、聞き放題で月数百円として著作権をもつアーティストへの対価は、割り算をしたらずいぶんと少ないんじゃないか、そして視聴者の多くが似かよったソフトしか楽しまなくなるんじゃ・・とおっしゃっています。

自分でソフトを探し、目の前に“垂れ流されて”いるものを楽しむだけでは、よい趣味や自分なりのセンスを育てる力が弱くなっていく・・とも。

50年代のジャズや、70年代のロックを聴くマニアはごくわずかになって(・・私みたいなヤツですね…σ(^_^;))、恐ろしいことだという石田さんの気持ちはよくわかります。

もうひとつ

音楽の歌詞がくだらない説教みたいになりましたね、とおっしゃっていて、これも同感です。
みんな仲良くだとか、家族最高とか、桜はきれいみたいな歌ばっかりになっていると。
表現レベルがなんでこんなに落ちたのかと言っていて、私はそれに加えて、歌っている人は、日本人で、日本語で歌い、歌っている相手も日本人なのに、何を歌っているのかわからないとものが多いと思います。

なんとか英語みたいに聞こえるように“ウェイ”とか“ドゥエイ”などと歌っているので、歌詞は、さっぱりわからず、時々日本語らしい痕跡を発見(聴)している有り様です。
はっきり言ってみっともないです。こんな発音をふだんしていたら、恥ずかしいでしょう。

「譜割」も、その日本語の単語を解体して発音し、次の単語に半分くっつけたりしているので、何がなんだかわかりません。この“カッコワルイ”歌い方、いいかげんやめてほしいと思いますが、それをやめたら、その曲が“貧相”な曲だということがバレてしまうので、やめられないのでしょう。

などと、グチを言いつつ、今回の石田衣良さんの本についての感想を終わりたいと思います。

 

2022/05/25

「世界の名言100選 -ソクラテスからビル・ゲイツまで-」という本を読んだ。

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『世界の名言100選 -ソクラテスからビル・ゲイツまで-/金森誠也・監修(PHP文庫)』という本をブックオフで格安にて購入。中身はそれほど確かめずに買ってしまったものですが、それなりに読めました。

かなり有名な、誰でも知っているような名言もありましたし、昔の哲学者の名言は、よく読んでみてもなんだかわからないものもあり・・(^_^;)

いきなり、ひとつめの「万物は流転する/ヘラクレイトス (BC540頃~BC480頃)」のページに書かれていたことが気になりました。

神々は決して世の中を救ってはくれない。生起する万物は全て運命に従っているだけなのだ。
という根本的な考えがあり、そして、人がひとたび怨念に駆られると、それが原因で戦争が起こり、ついては国土が荒廃し、国民が消滅することもある。

と、警告していたのだそうです。
二千何百年前から人類はこういうことに気づいていて、それなのに、今でもまだそんなことをしている・・そうだったのか、と思うと同時に、現在の世界の状況をみて、がっかりしたりもするのでした。

次に気になったのは、ローマの二大小説の一つとされる「サテュリコン」に登場する老人の言葉として、この本に載せられていた言葉です。

財産を増やすことしか考えない人間は、富以外の何者かを高く評価する者を許さない。

・・こんなやつ、毎日テレビに何人も出ているし、かつての職場や、いろいろなところにいた気がする。

1901~1909年までアメリカ大統領に在位したルーズベルトの下記の言葉に、誰だっけ?!同じ様なことを言っていた人がいた気がすると思いました。

ルーズベルトの言葉→「できるか」と聞かれたらいつでも、「もちろん」と返事をすることだ。それから懸命にやり方を見つければよい。

・・!!思い出しましたd(^_^o)プロ野球巨人軍の中畑清さんが新人の頃、コーチに、いいか、試合に出たかったら、監督(長嶋さんのこと)に「清、いけるか、調子はどうだ?」と言われたら、どんなに不調でも「もちろんいきます、絶好調ですっ!」と言え、と言われたケースに似ていると思ったのでした(*^^*)
なんとかなるんだよ'(*゚▽゚*)'

ハイデッガー(1889~1976)の哲学的著作ではなく、エッセイの中での言葉も気になりました。

人間は原子力エネルギーによって生きていけず、逆に滅んでいくだけだ。たとえ原子力エネルギーが平和目的にのみ使われたとしても。

単に原子力を兵器として扱った場合ではなく、物質的な危険性や、事故災害があった時などの精神的な危険性までを予言している貴重な言葉だと思いました。

でも、人間は事故があっても、戦時にこんなことがあるとわかっても、学習しないのですよね。むしろ、核兵器を持たねば、などと言う者まで現われている。

ということで、いくつか実例も挙げつつ、感想を書いてみました。
この本には、“世界の”というタイトルなので、日本人の名言は載っていなかったのですが、日本人の名言も探してみたくなりましたよ。

 

2022/04/15

「オノマトペがあるから日本語は楽しい -擬音語・擬態語の豊かな世界-」を読んだ。

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『オノマトペがあるから日本語は楽しい -擬音語・擬態語の豊かな世界-/小野正弘著(平凡社新書)』という本を読みました。
これもまたブックオフで超安価で手に入れました。

開いてみると、後半のオノマトペの歴史的な考察の部分には、この本を売った人の鉛筆書きの“線”や“丸”がいっぱい引かれていて、それが気になって後半は“気もそぞろ”になってしまい…σ(^_^;)歴史的考察については頭に入りませんでした。

「オノマトペ」・・擬音語・擬態語なしに、私達の言語生活はあり得ないわけですが、それについてこんなにムキになって書かれた本も珍しく、楽しく読みました。

笑ってしまったのは、劇画「ゴルゴ13」のゴルゴが煙草に火を付ける時のライターの音「シュボッ」の音について、なにか、こすれた感じ、勢いよく広がったり、ふくらんだりする感じがあるというのですが、これには私も同感d(^_^o)

で、著者はゴルゴの全巻を用意し、「シュボッ」が最初に登場するシーンを探し出すのですが、意外や最初は「チャッ」でした。・・著者はショックを受ける(^_^;)

「シュボッ」はいつでで来るのかと読み進むと第三巻では「シュパッ」となっていて、またもやショック!(^^;)

さらに読み進み、第11巻で「シュボッ」が登場するのですが、そのライター点火音は、ゴルゴではなく刑事同士が煙草に火を点けてやるシーンだったのです。

著者も“根性”で読み進み、第35巻にてやっとゴルゴ自身が「シュボッ」と火を点けるシーンが出て来ます。
ここで力尽きて150冊を越える「ゴルゴ13」中の「シュボッ」状況確認の作業を終えます。「このあたりで満足しておくのがよいだろう」(^_^;)と。

「シュボッ」だけでも上記のようにとことん行ってみる著者をたちまち好きになってしまいました。

川端康成の「伊豆の踊子」に、『ことこと笑った』という表現が出て来て、それについてもいろいろと考察しています。

この『“ことこと”笑った』が出てくる部分を引用すると、下記になります。

仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思ふと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りさうな格好で立ち、両手を一ばいに伸ばして何か叫んでゐる。手拭もない真裸だ。それが躍り子だった。若桐のやうに足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうつと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。

読んで見ると、“感じ”がわかります。
「ことこと」にもなんとなく納得できそう。

たった二例でもこれだけ面白いので、この本全体については、とても楽しく読めました。
「言葉」についての本、いろいろと読んできましたが、これも良い本でした。

 

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