「日本語 根ほり葉ほり/森本哲郎」を読みました。
『日本語 根掘り葉掘り/森本哲郎著(新潮文庫)』を読みました。
この本は、1991年に新潮社より刊行され、4年後に文庫化されたものです。
三十年以上前の本ですが、読めばいろいろと今のこの時代に思い当たることがいくつもありました。
当時、日本語の「けじめ」は、アメリカ人も「Kejime」として英語にはない言葉であるとしていたとのことですが、そのアメリカ人から著者・森本さんは「日本人は“ケジメレス”だ」と言われたエピソードが書かれていました。
「けじめ」に英語の否定の接尾辞「less」を合成し、結局『日本人は“けじめ”がつけられないのだ』とい言われてしまったわけです。
今の時代はさらにそれが顕在化して、裏金議員も、特定宗教団体と関係を持つ議員も、もうすぐ辞める首相も『ケジメレス』です。
また、「厳粛に受けとめる」という表現は、良心がそう言わせるのでなく、世間に向かってただ神妙な顔をしてみせるポーズに過ぎないと、当時の森本さんが書かれているのです。
閣僚の不祥事が起こると、どっかの総理がいつも神妙な顔をして、「厳粛に受けとめ」てましたねぇ・・。
さらに、情報化だなんて言っているが、人は必ずしも何もかも知りたいとは思っていない。なのに否応なしに“耳目をそばだたせる”ような表現をとり、大仰な言葉を使って人の関心や興味をむりやりに引きつけようとする・・とも書かれていました。
これなどまさに今のネット社会、SNS、動画サイトに大きく反映されているのではないかと思いました。30年以上経って、どんどん事は大きくなっている。
最後にもうひとつ私が気になったこと。
当時の討論番組などで、やたらに大声を張り上げたり、不作法で、攻撃的で、粗雑な人間ほど受けている・・と書かれていました。
今はその不作法なヤツらばかりでコメンテーターを構成している番組が目白押しです。
私はもう見ていない。吐き気がする。
ということで、30年前に恐れていたことが今やほぼ毎日当たり前に起こっていると言わざるを得ない状況だと思いました。
マスメディアも安い構成の番組しか作らず、ジャーナリストと言えるような人は激減しています。
どんどん心が暗くなるので、本日はここまで・・。
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