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2024/02/14

「日本語おもしろい/坪内忠太」という本を読みました。

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『日本語おもしろい/坪内忠太著(新講社)』という本を古本で見つけ読んでみました。
2010年初版の本ですが、著者は慶応大学卒業後、書籍編集のかたわら、「雑学知識」を収集、雑学や様々な謎に迫るような本を書いている方です。

下手くそな役者をなぜ「大根」というか?とか

「超ド級」の《ド》って何だろう?とか

なぜ「十八番」と書いて「おはこ」と読むか?

などなど、私が日常使っていても、その起源、語源、謂れ因縁故事来歴がわからない言葉などを解説している本でした。

「副食」のことを「おかず」というが、なぜか?
なんていうのもありました。

これは、主食につけ合わせ、何品か“数を取りそろえ”て出す、数があることを女房言葉で「おかず」といったということなんだそうです。
女房言葉は、宮中に仕える女性が使った言葉で、衣食住に関するものが大半でした。
同様の例をあげると、「おつけ」「おにぎり」「おはぎ」「おひや」などがあるそうです。

というわけで、「おかず」は女房言葉なんだそうです。

“ミュージシャン言葉”で「おかず」というと、因みに私はドラムを叩くのですが、リズムを刻みながら、時々入れる“合いの手”のようなフレーズ「タカタン・トコトン」などとタムタムを中心に叩くフレーズのことを言います。
国外のミュージシャンは「フィル・イン」などと呼んでいます。

「ズンタタ・ズンタ」などというリズムは“主食の白米”であり、「タカタカ・トコトコ」などと合いの手状態で入れるフィル・インは“おかず”というわけです(#^.^#)

おもしろいねぇ(*^^*)

きっといろいろな分野の俗な専門用語などにもこんな言葉が見つかるかもしれません。

面白い本でした。

 

2024/01/20

猿丸俳句、初めて知って初めて読んでみた

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『点滅/榮猿丸(さかえ・さるまる)著(ふらんす堂)』という句集を古本でたまたま見つけ、パラパラと頁を捲ってみたら、「なんだか面白そう」と感じたので、そのときの感覚を信じ買ってみました。
そして読んだらやはり面白かった。新鮮。

付録のように別冊で付いていた冊子には、著者猿丸氏の句が角川俳句賞の選考会で紛糾した様子なども書かれていました。
結局、受賞には至らなかったのですが、氏のカタカナが多用されたり、通俗的なところを詠んでいたり、何でも詠んじゃう、ほかに似たような句をあまり見ないなどの特徴は私にも強く感じることができました。

と、書いてみてもどんな感じなのかわからないと思いますので、私の心にふれてきた句を少し挙げてみたいと思います。

麦酒飲み 弱音はく父 嫌ひでなし
・・・私の父が酒を飲みつつ弱音をはいているのを見たことは無かったが、今の自分は父として弱音をはきそうだな、と思いつつそれも仕方ないよと、この句を味わいました。

みやげ屋の 二階食堂 デザートは柿
・・・ひなびた感じのみやげ屋の二階にある食堂。デザートが柿だなんて、なんだかピッタリで、ちょっと哀愁を感じました。

マフラーの 長しよ 恋の短しよ
・・・私が中学生の時の冬に彼女が編んだマフラーをもらったことがありましたが、次の冬までその恋はもちませんでした(T_T)

炎天の ビールケースに バット挿す
・・・これは強烈なリアル感がありました。昔、草野球をやっていた頃の感じがよみがえりました。

ダンススクール 西日の窓に 一字づつ
・・・これも同じことを実体験していて、三丁目の夕日的に“いいな”と思いました。

汝が腿に触れ ジーパン厚し 夕薄暑
・・・腿とジーパンを持ってきた感性がすごいと思ったし、感触が伝わってくるよう・・。

ストローの蛇腹 コココと 折りて夏
・・・この句のミソは「コココ」だと思います。たしかに「コココ」だが、今まで「コココ」で表現した人なんていたのかな?!と思いました。

ゆく秋や ちりとり退けば 塵の線
・・・ちりとりをパッと持ち上げたときにできている、あの“線”(#^.^#)、句に詠んじゃうんだ、と感心いたしました。

以上、少し面白かった句と、私の感想を書いてみました。

装丁も良く、付録的な冊子も面白い、新鮮な感覚の句集でした。

 

2024/01/14

「字幕屋の気になる日本語/太田直子」という本を読みました。

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『字幕屋の気になる日本語/太田直子著(新日本出版社)』という本をブックオフで見つけ、買ってまいりました。

映画の字幕を作成されている方だから気になる日本語や、字幕づくりならではの難しさ、私たち映画を鑑賞する側が知らない字幕づくりの世界も垣間見ることができました。

前半は、主に著者・太田さんが気になる日本語について書かれ、後半は、映画の字幕作りをしていて難儀だと感じることや、自分が翻訳した映画以外の映画を実際に見に行ってその中で感じたことなども書かれていました。

太田さんが感じている“気になる日本語”は、私が日常感じているものに近いものがあって、「オレだけじゃなかったのか」と少し安心しました ^^;

少しばかりその例を挙げてみると

「しっかり」と「いただく」の使い方でした。

政治家が「しっかりと検討します!」などと語気を強めて言っているときって・・ごまかされているような気がします。
だいたいが、しっかり“何”をやるかは言わないものです。何をやるのかよくわかっていない人が「しっかり」を使うんだと思います。太田さんと同じ気持ち。

「いただく」もそんな感じで政治家がよく使います。

「~と認識させていただいております」とか「~と申し上げさせていただきました」など、「認識しています」「申し上げます」でいいのにと思います。
「させていただ」かなくても結構!

スポーツ選手などが「元気を与えたい」などと言うのも何かひっかかるものがあります。

「率直にうれしい」の“率直”もなんだか変!?

「こちらが問題となっております食材というような状況になります」・・なんかおかしいよなぁと私は感じます。

ラジオ、テレビなどに出てくる今勢いに乗っている社長やリーダー的な存在である人が「弊社はグローバルカンパニーたるべくコンプライアンスを重視しベストソリューションを求めてチャレンジ・・」こんな“カタカナだらけ”のしゃべりをする人も何言ってんだかわからない・・というのが太田さんも私も同意見。

こんなことから後半は実際に『1秒4文字』で表現しなければならない字幕の世界についても書かれています。

実際に英語ではどういうセリフになっていて、それがこういう字幕になったという例が示されていますが、ふだん何の意識もなく映画を見ている私たちにはその苦労がこんなにも大変だったのか、というのがよくわかりました。
けっこう“キツい”仕事だと思います。

中には吹き替え版と字幕を比べて「違うじゃないかっ!」と怒る人もいるようで、そりゃ違うでしょうよ、と ^^; と素人の私でも思いましたが、世の中“律儀”な人がいて、そんな律義者が字幕なんか作ったら読んでいる間に次のシーンに移ってしまうような長文字幕になることでしょう(#^.^#)

というわけで、翻訳されている方だけに、言葉へのこだわり方はかなりのものだと思う本でした。
面白く、初めて知ることがいくつもあった本でした。

 

2024/01/09

「日本語八ツ当り/江國滋」を読みました。

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『日本語八ツ当り/江國滋著(新潮社)』という本を古本で手に入れ、読んでみました。
古いですよぉ~ ^^; 『「波」昭和61年1月号~平成元年6月号連載』と記されていて、1989年第一刷発行となっています。

新聞記事や、広告コピー、役人の文書、若者の物言い、法律判決文などについて「もう我慢ならん!」っていう調子で(^_^;)書かれています。
驚くことに、今現在でも私が世間の様々な言葉や物言いを聞いて憤慨していることを、そんなにも昔から同様に怒っている方がいらした(^_^)・・うれしかったけど、でも驚いた。

少し例を挙げてみましょうか。

〇こだわる・・・もともと「差し支える」、「さまたげとなる」「あることを気にして、気をつかう」というマイナス・イメージの言葉なのに、“わたし、ラーメンにこだわってるヒトなの”なんて使い方をしているのが、・・我慢できないんですよ、著者も私も(^^;)

〇としている・・・新聞やニュースなどで見聞きする言葉で、今もまだ使われています。
例えば「首相周辺は詳しい話はなかった、としている」などの表現。
著者は「としている症候群」と言っている(^_^;)

〇耳障りな外来語・・・「ここは送りバンド(バント)でしょうね」「巨人フアン(ファン)としては」「ティーパック(バッグ)」「ディスクトップ(デスクトップ)」などなど、これは今でもまったく同じ状況だと思います。

〇「とか」の乱用・誤用?・・・「夜はテレビとか見たり」「ね、ね、ビールとか飲みに行きません?」など、これもあれから幾星霜、変わらない状況です。

上記例示はもっともありふれたものですが、その他もうたくさん書かれていました。
コピーライターがつくった「おいしい生活」のような空虚で中身のないコピーにも噛みついていました。たしかに、そのときも思ったし、今になるとさらにまったく意味のない言葉に余計聞こえてきます。・・ようするに当時、私も踊らされていた・・ということです。

お役人(特に国の)の文章について、そっくり載せていましたが、ほんとうに日本語で書かれているのに、何が書いてあるのかわからない文って今でもたくさんあります。

その他もうきりがないくらい書かれていて、「これは私が書いたのか」と思うほど普段私が嫌いな言葉がたくさん示されていて、溜飲が下がるかと思いきや、2024年の今でも同様な状況に暗澹たる気持ちになるのでした。

 

2024/01/07

「カキフライが無いなら来なかった/せきしろ×又吉直樹」を読みました。

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『カキフライが無いなら来なかった/せきしろ、又吉直樹著(幻冬舎)』という本を読みました。古本で手に入れたのですが、又吉さんが初めて文を書いて本になったものだそうです。

一緒に書いているのは「せきしろ」さん、独特の妄想を広げる文体で活躍されている方。
2009年発行のこの本で、ここでは又吉さんと『自由律俳句』を書かれていて、これまた独創的。

他の又吉さんの本に、この自由律俳句をお二人で書き始めたきっかけが書かれているのを読んだことがあったのですが、どんなものなんだろうと気になっていたのです。

タイトルになっている 「カキフライが無いなら 来なかった」
というのも勿論又吉さんの自由律俳句です。
おもしろいなぁ~(*^^*)と思いましたよ。

季語も無ければ、七五調にもこだわらない・・これはいったいなんだろう・・という感じです。

せきしろさんの

「幼児の玩具が砂場で冬を越す」

「握った手が冷たくて キミはすまなそうな顔をした」

っていうのもなかなかいい!と思いました(#^.^#)

又吉さんの作でちょっと気に入ったのが

「似顔絵を見ると 嫌われていたことが解かる」

「電気のヒモが長ければと 布団で思う」

「自販機の下の硬貨をあきらめる」

も、私にはなんだか響きました^^;

自由律俳句というと 「咳をしても一人」 という有名な句を思い起こしますが、「尾崎放哉」の作品だそうで、私は「種田山頭火」の作と勘違いしておりました。
先ほど念のため調べたら尾崎放哉作とのこと、自由律俳句と山頭火が印象に強かったので間違えて覚えてしまったようです。

今度、自由律俳句の本を探してみようかと思っているところです。

 

2023/12/23

阿川佐和子さんの新刊「話す力 -心をつかむ44のヒント-」を読みました。

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『話す力 -心をつかむ44のヒント-/阿川佐和子著(文春新書)』を読みました。
またもや古本ではなく、この12月に第一刷発行の新刊です。
本屋でちょっと立ち読みしたら“おもしろそう”だったので思わず買ってしまいました。

阿川さんと言えば「聞く力」ですが、この本は「話す力」。
読んでみてすぐに思ったのは、人の話を聞くためには、その人に話してもらわねばなりません。
話してもらうためには、聞く立場のこちら側から話しかけて相手の気持ちを和らげて、話しをしてもらう雰囲気、関係をつくっていくことが大事なのだ・・そんなことが第一に書かれていたと思います。

この本では、阿川さんが政治家や有名人が討論するような番組の司会をしたときなどに、緊張する中、出演者の方から番組開始前に思わぬことを話しかけられ、自分がリラックスできた話などもふんだんに例として示されていました。

つまり自分が話しやすい環境をつくってくれた人から学んだこと、そして今度は自分がインタビューなどをするときにそれを利用して相手にリラックスしてもらったことが書かれていたのです。

これが実にわかりやすい。
「聞く力」が、あれほどのベストセラーになり、ふつうだったら調子に乗って“高い所”から・・ようするに“上から目線”で小難しいことを書きたくなりそうですが、そうではなく、誰が読んでもすぐに「なるほど自分もやってみよう」と思うようなことが次から次へと書かれているのです。
阿川さん、すでに名人の域に達している・・と思いました。

得意満面に自慢することもなく、うまい流れで展開していました。

また、男性と女性では相手方への話し方は異なることも書かれていました。
これは重要で、特に職場での会話、会議などにはその使い分けがかなり有効であると思いました。
具体的な方法については、この本を読んでみてください(#^.^#)

またいい本に出逢えました。

次に読む本もこれまた新刊を予定しています。
読了後にまた感想をアップすつもりです。

 

2023/10/18

「夏彦の写真コラム」傑作選(2) 阿川佐和子編 を読みました。

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『「夏彦の写真コラム」傑作選 2/山本夏彦著・阿川佐和子編(新潮文庫)』を読みました。
前回、この「夏彦の写真コラム」の(1)の感想を書いたのは、9月の頭頃でした。
それは藤原正彦・編でしたが、今回の(2)は阿川佐和子さんの「編」となっていました。

巻末に阿川佐和子さんの文があって、阿川さんは実際に山本夏彦氏にインタビューをして、その後お酒を飲んだりしていて、でも一聴して“お小言”にも聞こえるお言葉をそのときに頂戴し、「自分が編纂に携わっていいのだろうか」と恐れをなしていたようです。

しかし、夏彦翁のご子息、伊吾氏から「父の残したメモの中に阿川さんとの仕事が気に入った」と書き記されていたと聞き、この本に携わることになったとのこと。

「あなた学習しない人だねえ」という阿川さんが直接聞いた言葉はどういう意味を持っていたのか?
私が考えるに「それがいいのだ」ということなんだと思います。

さて、この本の内容は、傑作選(1)同様に、“夏彦節”が所狭しと勢いよく書かれていて、阿川さんが選んだ今回の文は特に際立っているな、と感じました。

ここで取り上げられている文は、1991年~2001年までのもので、かなり古いのですが、その時点で、「新明解国語辞典」に『老人語』として掲載されている言葉について書かれていたところが気になりました。

「平(ひら)に」「よしなに」「余人」などが挙がっていて、字引というものは、新しい言葉を取り込みたがって、やがてその新しい言葉を増やすために『老人語』というカテゴリーをここで示してやがてはそれらを捨て去るためではないかと疑っています。あながちそれは違う、とは言えないと思いました。

「ちか目(近眼)」「つけび(放火)」「絵そらごと(虚構)」「いくさ人(侍)」「おこも・物もらい(乞食)」「ご無用(まにあってます)」「あたじけない(けち)」「やみやみ(むざむざ)」「幼な子(乳幼児)」「つれあい(配偶者)」「道ぶしん(道路工事)」「ところ番地(アドレス)」などなどが挙げられていますが、すでに消え去った言葉がいくつもあります。

夏彦翁がよく言っていた、「その言葉が“半死半生”であれ、まだ存命であれば、私はその言葉を使う最後の人間でありたい」というお言葉、私も心に残していて、なるべくまだ生きていると感じたらその言葉は大事に使おうと思っています。

 

2023/10/15

「叱る、だけど怒らない/永六輔」を読みました。

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『叱る、だけど怒らない/永六輔著(知恵の森文庫)』を読みました。
もちろん古本で、発行は2004年となっていました。

内容は、TBSラジオで長くやっていた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』という番組の活字化となっていて、中でも書かれていますが、“耳で聞く本”という感じです。私も番組はよく聞いていました。
この番組は、現在「ナイツのちゃきちゃき大放送」となって“帯”が残っています。

相変わらずの“永六輔節”です。
少し私が気になった部分を抜き出してご紹介いたします。

今でも感じることですが、国会での“くだらない敬語”について書かれていました。
「お訴えをさせていただきたい」だとか、「ご意見を賜りたい」だとか、そんなこと言ってる場合か! 「これはどうなっているんですか」「答えなさい」と素直に言えと言っているのです。私も今でもそう思う。

国民の代表が政府や行政に対して「へりくだり過ぎ」です。

三島由紀夫氏に、永さんが中村八大さんと二人で呼ばれて、「エノケンの良さというのは、ひと言でいうとナンなのだろう?」と聞かれ、「エノケンの唄はジャズなのに、日本語として理解できること。日本語なのに日本語と聞こえない歌手が多いなかで、これはすごいこと」と答えています。

歯切れが良くて、明快なエノケンの唄をよく表現していると思いました。
この時代ですでに“日本語に聞こえない日本語”と言っていますが、今やもう、日本人が日本人に対し、日本語で歌っているのに歌詞カードを見ないと何を歌っているのかわからない歌ばかりで私はそういうのを聞くと、ラジオのスイッチを切ってしまいます。

なんとかして日本語に聞こえないようにし、あわよくば英語に聞こえればという歌い方を聞くと、実に“みっともない”し、なんのために歌っているのかと思うのです。

業界用語についても書かれていました。

仲間同士でしか通じない言葉を発明して、他の人に通じないことを楽しんだり、仲間以外の人を批判や嘲笑したりするときに使ったり、隠語だったり、暗号・合図みたいだったり・・と言っていて、要するに「きれいな日本語」を使いたいということでした。

「ヤバい」はヤクザ用語です。堅気の者が使う言葉じゃありませんと。

作家の澤地久枝さんが、原稿料について若い編集者から「ぶっちゃけ、原稿料はコレコレなんです」と言われて、金額ではなく「ぶっちゃけ」と言われたことに憤慨して仕事を断ったエピソードも書かれていました。無神経な言葉遣いをする人の仕事はしたくないと感じたのでしょう。気持ちはよくわかります。

お店でお金のやり取りをするときに「〇〇円からお預かりします」という“から”も変だと書かれ、お釣りをもらうときに「先に“大きい方”から」と千円札を渡されたりするのも“大きい方”というのは普通、大・小便の分けに使われるもので食べ物屋さんなどでそう言われるのはどうもいけない・・と書かれています。
私もそう思っていました。

上記のようなことや、その他、永さんが出逢った人たちのことなど、エピソード満載の本、うなずいたり、ハッとしたりしながらあっという間に読み終えました。

 

2023/09/18

「かなり気がかりな日本語/野口恵子」を読みました。

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『かなり気がかりな日本語/野口恵子著(集英社新書)』という本を読みました。
2004年に発行された本で、古本で手に入れました。

著者、野口恵子氏は日本語・フランス語教師で、東大大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得し退学。フランス語通訳ガイドを経て、大学の非常勤講師をされている方とのこと。

20年も前の本ですが、私が今でも気になる日本語についていくつも書かれていました。
この当時からさらにその状況は進行しているように感じました。

いくつか気になったところを挙げてみます。ほんの一部ですが。

私もかつての職場で経験したことがあるのですが、職場内で専門用語、業界用語が存在していて、そこでしか通じない言葉というものがありました。
そこでは、相手に通じないかもしれないという配慮などありませんでした。そんなことを想像することも欠如した人たちがたくさんいました。

特殊な言葉に通じている自分には高い評価が与えられてしかるべきと考えているふしも見受けられました。粉飾がすぐに見抜かれることにも気づかず、さらに仲間内の言葉しか知らず、だからそれしか使えない・・そんな状況が多々見られたのです。
自らの語彙の貧しさ、知識・教養の無さに気づいていない・・そんな感じ・・けっこうそんな職場ってありませんか。

また、テレビばかり見ている人などは業界用語を日常の会話や学校、職場などでも平気で使っている例が見られました。
「巻(まき)でお願いします」「噛んじゃいました」「見切れてます」などなど。
今ではどこでも使われていて、政治家まで使っている「目線(めせん)」という言葉も。
「市民目線で・・」などと言われてその政治家を信頼することなど私には出来ません。
「目線」も業界用語です。

著者が大学で教えている生徒を見ていて感じたこととして、

「今どきの大学生を取り巻く日本語の環境は、ほかならぬいまどきの大人たちが作ってきたのである、大学生は、大人たちの育てたように育ち、するようにしてきた。それでは、今どきの大人たちはどんな日本語を使い、どのようなコミュニケーションを行っているのだろうか。大学生と同じように、皆が使う言葉に安易に飛びつく傾向があって、敬語の使い方がおぼつかなくて、対面コミュニケーションを苦手としているのではないだろうか。答えは日本語のコミュニケーションの現状を観察することで、おのずと見えてこよう。」

と、おっしゃっています。同感だし、私も反省することが多いと感じました。

また、「ある意味」と始めて“別の意味”の存在を匂わせているのに別の意味に言及しない人。
「逆に」と始めているのに、単につなぎの言葉として使っていて、逆ではないという人もいる。
「真逆(まぎゃく)」という言葉を初めて聞いたときも私は違和感がありました。
そんな言葉を聞いたことは今まで無かった・・。

サッカーの中継で、アナウンサーが「選手が痛んでいます」あるいは、「ドイツの選手が一人痛みました」っていうのも初めて聞いたときは驚きました。
「選手が足を痛めた」ならわかるが・・「私は痛んでいます」っていう表現が可能なのか、と思います。

同じくスポーツ中継などで「結果が出せませんでした」などという表現もあります。
“敗戦”という結果が出ているじゃないの、と私は思うのです。
「結果」イコール「良い結果」と変換されているのが実に妙です。

以上のようなことがたくさん書かれていましたが、上記は氷山の一角です。
くれぐも《言葉》には気をつけ、敏感でいたいと思ったのでした。

 

2023/08/21

「ラジオ深夜便 新 珠玉のことば ~ラジオが教えてくれた名言100~」を読んでみました。

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『ラジオ深夜便 新 珠玉のことば ~ラジオが教えてくれた名言100~/月刊誌『ラジオ深夜便』編集部(NHKサービスセンター)』という本を古本で見つけ、読んでみました。

山田太一さん、中村メイコさん、美輪明宏さんらがラジオ深夜便で語った100のメッセージが掲載されています。

1頁に1メッセージが載っていてとても読みやすく、それぞれのメッセージから来るインパクトも強く感じることができました。

生物学者の福岡伸一さんの言葉が印象に残りました。

生き物たちは三十八億年の進化の過程で、特定の食べ物をめぐって無益な争いが起きないように、互いの領分を棲み分けてきました。
ほかの生物の棲みかに土足で上がり込んでそこに何かを作ったり、地球の裏側から食べ物を取ってきたり、そんなめちゃくちゃをしているのは人間だけです。

・・人間って、案外生物としては“下等”な部類に入るのかもしれません。
過去の失敗、経験は都合の良いように忘れ去られたり、捻じ曲げられて記憶されたりして、また同じ過ちを繰り返すのですから。

東京医科歯科大名誉教授の藤田紘一郎さんは

「汚いもの」「要らないもの」を排除する超清潔志向が、社会から少しはみ出した人たちを異物視する風潮につながって、心の問題にまで広がっているように思えてならないのです。

と語っています。
これも現在の、特に日本の状況を示しているような気がします。
汚いだとか、要らないと思っている側もかなり偏向しているんじゃないでしょうか。
汚くもないし、要らないはずがない、という事物に対しても過剰ともいえる反応を示しています。

Twitter(X)などを見ても、自分とは異なる意見や志向のある人に寄ってたかって総攻撃を掛けている様子がうかがえます。
それが社会の片隅にいるような人に対して重くのしかかり、心の問題にまで発展しているのではないかと危惧します。

上記以外も「なるほどそうかもしれない」という言葉がいくつもありました。
この本は手元に置いて、自分の気の緩みを引き締める役割を果たしてくれそうです。

 

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