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わたしのいきつけ

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2023/03/12

妻と銚子まで出掛けてきた。

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私の首の状態がなかなか良くはならず、良くなりそうになったり、急転して痛みが激しくなったりの“行ったり来たり”状態・・そんな中、妻が気晴らしに空気の良いところに行ってみないか、ということでなぜか銚子に行くことになりました。

以前行ったことのある「円福寺」を思い出し、そこに出掛けてみたら、大改築がされていたようで、最初は同じ寺とは思わず、携帯の地図を確認したりしていたのですが、やっと同じ寺だとわかり、中に入ると住職がすぐに話しかけてくれて、本堂の中に上げていただいていろいろ見せていただきました。

 

 

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写真は「天井絵」ですが、本堂の天井にあるこの絵の素晴らしさにずっと見入ってしまいました。

本堂を入って右側に独特の表情をした「賓頭廬尊者像・びんずるそんじゃぞう」・・俗に『おびんずるさま』と呼ばれる像があり、お釈迦様のお弟子である十六羅漢 (じゅうろくらかん)の筆頭なんだそうです。

病気を治す力があるとされ、撫でるとその部位の病気が治るという信仰があって、「撫仏 (なでぼとけ)」ともいわれているんです。
私もそれを知っていましたので、書かれていたお経を唱えてから“おびんずるさま”の首を三回撫でました。

そうするとねぇ・・信じないだろうけど、けっこう状態が改善したのです。信じないでしょ(^_^.)

 

 

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でもって、「病魔退散」のお守りも買い、さらに夫婦で「護摩木」に願意と願主名を書き、住職は翌朝6時から護摩焚きしてくださるとのことでした。
気分は良くなり(#^.^#)そのあとは美味しそうな「漬け丼」のお店を調べておいたのでそこに出掛けました。
それについては、またこのブログか、インスタかでご紹介いたします。

きょうもまだ首の調子がいいぞ!(*^^*)

 

2023/03/03

おんじゅくまちかど・つるし雛めぐりに行ってきた

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すでにインスタ経由でfacebookにも載せたのですが、ブログを読んでいただいている方も数多いので、ブログ経由でもご紹介しようと思います。

御宿町観光協会・御宿町商工会などが中心となる実行委員会が行っている表題の「おんじゅくまちかど・つるし雛めぐり」に、妻、長女と行って来ました。
おんじゅくの町のいろいろなお店なども含めあちこちで「つるし雛」を展示しているものです。

 

 

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私たち家族はスタートが遅かったので、とりあえずメイン会場とも言える「月の砂漠記念館」と「手づくりの蔵」の二か所に行ってみました。

私はこの「つるし雛」というものをよく知らなかったのですが、妻と長女はとても興味をもっていたようで、私も“一緒に行ってみる”ことになったのです。

facebookでは“どお~ん”とたくさんぶら下がっている写真を載せたのですが、こちらブログでは割と近接して撮ったような写真を載せています。

いろいろな形のものがあって、見ているだけで楽しいし、とても明るい気持ちになりました。

 

 

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また、「月の砂漠記念館」の前には当然砂浜があり、そこには「旅の駱駝」に乗った、歌に出てくる王子様とお姫様の像がありました。写真では見たことがありましたが、初めて間近に見ました。けっこうインパクトのある大きな像でした。
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そして次に、「手づくりの蔵」へ。
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ここでも素敵な展示があり、案内してくださった方も、訪ねてきた人たちも、とてもフレンドリーでいい雰囲気が蔵に満ちていました。
こんな感覚久しぶりです。
近頃、“ささくれだった”気持ちの人がいたり、そんなふうにしなくてもいいでしょうと思うようなイヤな行動をする人が多く、沈み込んでいた自分の心が少し浮上したような気がしました。
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いい時間を過ごすことが出来ました。

2023/02/25

川上弘美さんの「どこから行っても遠い町」を読みました。

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『どこから行っても遠い町/川上弘美著(新潮文庫)』を読みました。
平成20年に刊行されたものの文庫化です。

連作短編集となっていて、それぞれの短編に登場する人たちが微妙につながっていて、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいるんだなぁと、あたりまえのことを思いつつ、でも現実の世界も同様で、あの人もこの人も、私も、私のごく周囲の人たちも、皆が皆、悲しかったり、つらかったり、ほんのりとしあわせを感じたりすることもある人生を歩んでいることにあらためて気付くのでした。

それにしてもこの短編小説に出てくる人たちは“よろこび少ない”人ばかりで、男が女に対しても、そして、女が男に対しても、希望なんて見えてこない人が多すぎる・・のでした。

自分の奥さんと浮気した男と、奥さんが亡くなってから一緒に住むおじいさん二人だとか、大学生なのに、下宿に社会人の男を招き入れ、同棲し、学校をおろそかにしながらアルバイトを超えた仕事で男を支える・・が、最後は男を刺してしまう女性など、次々とさまざまな男女が登場します。

読んでいて、なにかどこかで聞いたような話だと思い、どこだろう?と思っていたら、ラジオの「テレフォン人生相談」に出てくる人たちでした。
時々、その人生相談を聞くことがあるのですが、「この人はいったいぜんたいどういう人生を歩んでいるんだ」と驚いたりあきれたりする人が毎日毎日途切れることなくわんさか相談の電話を掛けてきます。
その人たちにこの小説の登場人物は“酷似”していると思いました。

ということは、奇想天外な絵空事ではなく、この小説に書かれていることは“人間の業”を背負った人たちのノンフィクションではあるものの、実話と言ってもいいくらいの現実味を帯びたものであると思いました。

読み終えたあとも、どよんと重いものが体の中に残るような連作短編小説でした。
からだには“こたえ”ました。少し具合が悪くなりました。


と、ここまで書き終えたときに「あれ・・この本読んだことがある!」と思い出しました。
調べてみたら10年前に読んで、このブログに感想まで書いています。
覚えていないもんだねぇ~(^^;)
読み終えて感想書いたら、やっと思い出しました。

ついでなので、その10年前にこのブログに書いた感想文、全文を続いて載せておきます。
10年前の方がいい感想かも?!なんて思ってしまい、ちょっとがっかりもしたのですが、でもいいや、これも自分の記録です。
あらためて載せておきます。


以下、2013年9月24日にこのブログに書いた「どこから行っても遠い町」の感想全文です。

『どこから行っても遠い町/川上弘美著(新潮文庫)』を読みました。
川上さんの小説には、いつもしみじみさせられてしまうのですが、男二人で奇妙な同居をしながら魚屋をやっている二人の話では、魚屋に住み込んでいるその男性が、魚屋の親父(もうおじいさんだが)の亡くなった妻の浮気相手だったりして、その不思議な関係には読んでいて不思議がる登場人物共々違和感と不思議感でいっぱいになりました。

主婦と姑の関係の話もありますが、それがまた通常のパターンではなくて、互いに変なヤツだとは思いつつ微妙な仲の良い関係になっている話もありました。
むしろ夫よりも互いに理解を深めつつあったりして、その不可解さがまた川上さんの小説の真骨頂でもあります。

小料理屋の女将と若い板前との三度のくっつき合いと、別れの繰り返しの話もありましたが、ただの色恋沙汰ではないところがまた読み甲斐のあるお話でした。女将の「女」としての理不尽というか、訳の分からないところも妙に人生の機微を感じさせてくれました。

この本に出てくる十一の短編は、全ての話がゆるくどこかで繋がっていて、結局世の中って、一言では語り尽くせないそれぞれの不可思議な物語が連なって成り立っているのだと思うと、私も身の回りが急にいとおしくなったりするのでした。

しんみりと深みにはまった本でした。

 

2023/02/12

「君のいた時間/伊集院静」を読みました。

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『君のいた時間 -大人の流儀-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
私にしては珍しく新刊本です。

先日、伊集院さんご自身がラジオに出演され、この本のことについて大竹まことさんからインタビューを受けているのを聞いたので、すぐに書店に行き、買い求めたのです。

この本は、伊集院さんのご自宅で飼っていた犬「ノボ」との長いつきあいと、その死について、そしてノボのほかにもお兄ちゃん犬や一緒に過ごした友達犬もいて、三匹とも長生きはしたのですが、亡くなってしまいます。

担当編集者から「ノボ」について本を書いてほしいと言われたときは、伊集院さん「そんなもの書けない」と断ったようですが、結局今回読んでみたらとてもいい本になっていました。
奥さんから書いてくださいと言われて最終的にこの本になったわけですが、亡くなった犬達にとっても、そして伊集院さんにとっても、家族にとっても、さらにペット・ロスに日々哀しい思いをしている人にとっても“いい本”になっていたと思いました。

伊集院さんがこの本の中で書かれていますが、人が暮らしている中で、安堵を得るなんてことはそんなにあるものではありません。

人は少し間違うと不安をともなう領域のすぐそばで生きているのだろう、ともおっしゃっていて、それは多くのひとがそうなんだと私も感じました。

そんな不安を解消してくれたり、忘れさせてくれるのが家族や友、隣近所・・などなど自分以外の人です。

私も訊かれることがありましたが、「しあわせとはなんだと思いますか」なんて訊く人がいます。

よくわからないです。
でも、安心や安堵を感じるあたりに「しあわせ」のにおいを感じるってことがありませんか。

この本に登場する犬達がそんな「しあわせ」に一番近いものを感じさせてくれていたのだということが読んでいてわかりました。

誰かをしあわせにする・・なんてだいそれたことは考えずに、まずは心配をかけなさんナ・・と伊集院さんはおっしゃっています。

ささやかなしあわせに“めぐりあう”ヒントがここに書かれていたと思いました。

 

2023/01/13

中江有里さんの「残りものには、過去がある」を読みました。

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『残りものには、過去がある/中江有里著(新潮文庫)』を読みました。
ブックオフでたまたま見つけたのですが、読んでみたらすごい作品でした。

いくつもの短編が集まってひとつの作品になっています。
それはある二人の結婚式会場に集まってきた人たち、夫婦や親子、独身者、謎の叔母と姪、そして結婚式に来れなかった人、もちろん結婚する二人もそれぞれがそれぞれに今までの人生経験が有り、それぞれの物語を持っていて、それらが短編になり、集合したものがこの作品です。

結婚する二人が中心になっているのかと思うと、スピンオフ的に周囲の人たちの物語が短編になっていて、それがスピンオフどころか完全に感情移入してしまうくらいの濃い内容で、どの短編にも夢中で入り込んでしまいました。

特に新婦と従妹との深刻になってしまった関係が綴られていた短編には、ラストで私は声をあげて泣いてしまいました。
互いに心の中に死んでしまいたいほど苦しいものを持ちながら生きてきた二人の気持ちが一気に溶け出して心が通じ合うシーン、ぜひ読んでいただきたい。

その他どの短編もつらい恋愛や、過去の過ち、人との信頼関係など、全身にそれぞれの登場人物の生き方を感じながら読みました。ドキドキして思わずページを閉じてしまうようなこともありました。

今まで読んできた小説は、主人公と、直に主人公に関わる重要人物中心に書かれていて、それなりに共感しながら読んできましたが、この物語は、「人は皆、誰もが大きな困難をくぐり抜けたり、つらい経験をしたり、哀しい恋愛をしたりしている」のだということが切々と書かれていて、自分の人生に照らし合わせてみたりすると、自分だけではないのだと少しほっとしたり、でも登場人物に共感して切ない思いになったり、なぐさめられたり、勇気づけられたりしました。

なんだか新年早々素晴らしい作品を読めて新鮮な気分です。
よい本を読みました。

 

2022/12/31

2022年も暮れて行きます。

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写真は、今年のスケジュールを書いていた手帳です。
今年もあとわずか、数時間になりました。
去年、2021年は正月から入院、退院と慌ただしく大変なことになり、丸々一年間を体力回復に費やしました。
仕事も厳しい状態になり、辞めることに・・。
今年2022年は何とか前年よりも良い状態で迎えたのですが、前年暮れから体調に影が差す状況・・今年いっぱいは、また体調を戻すために我慢して我慢して、少しずつ元に戻して行きました。

三か月ほど前に体調回復の見通しがついたので、かかりつけの先生に相談し、先生理解のうえ、いったん薬類をすべてやめました。

自分の体力のみで頑張って体調を戻すようにしたいと思ったからです。
おかげさまで、先日血液や尿検査の結果が出て、ほぼすべて正常値に戻りました。
異常なほど減っていた血液もほとんど正常値に。
気力で薬なしで元に戻しました。日常生活や運動等を慎重に考えながらやってきたことが功を奏したようです。

コロナウィルス感染も第八波がやってきて、いったいいつまでこのような状態が続くのか不安なままで新年を迎えるとは第一波の時には思いもよりませんでした。
じっと我慢して今までどおり気を付けるしかないと、気を緩めずにいようと決意を新たにしているところです。

戦争もいやなことでした。
この時代にまだこのような暴挙に出る指導者がいることに驚きました。
しかもこの機に乗じて国会での議論を経ずに、今後新設はしないとあの大震災のときに言っていた原子力発電所を作ろうとしたり、廃炉にする時期が来た発電所の運転期間を何十年も延ばしたり、さらに10年も停止していたものをその期間はカウントせずに“空白の時間”を無かったことにして運転しようとしたり・・。
家電だって10年使わずにいたものを安心して使う人がいますかね・・。

そして軍事費も増額し、どのような防衛をするために何にいくら使うのかも説明せずに、これもまた議論なしに重要な事項を決定してしまいました。

「50年も経つと人は戦争の怖ろしさ、苦しみ、つらさを忘れる」と誰かが言っていましたが、そうなっているようです。
あのとき、「もういやだ、懲り懲りだ。夫が死に、息子が死に、父親が死に、残された家族は途方に暮れ、結局死ぬのは自分たちの家族で、中には帰って来れない戦闘機に乗せられた若者もいた。戦争とはこういうものだ。二度としてはいけない。広島や長崎には人類が人類に対して使ってはならない恐ろしい核爆弾が落とされた。こんなこと人間がしていいものか。」と思っていたのに、時が経てばあのときの人々の気持ちを忘れてしまう。
あのときそう思ったのは、“私たち自身”と言ってもいいのです。

どうしてもやりたいのだったら、国民に「私はこの国をこういう方向に導きたい、そのためにはこれが必要だ」と何時間掛かってもいいから説明してほしいものです。説明できればの話ですよ。出来ないから説明しないのです。

などと、つらくて暗い話をしてしまいましたが、なんとか新年は感染症が収まり、戦争も終結する年になってもらいたいものです。

なんとか生き延びて今年も終えようとしています。
来年は、自分のやりたいことをもっとどんどんやってみたいと思います。ひとりひとりが“生き生き”と“明るく”過ごせることがいちばんです。

 

2022/12/02

「普通の家族がいちばん怖い -崩壊するお正月、暴走するクリスマス-/岩村暢子」という本を読みました。

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『普通の家族がいちばん怖い -崩壊するお正月、暴走するクリスマス-/岩村暢子著(新潮文庫)』という本を読みました。

平成19年に新潮社から刊行されたもので、文庫化は平成22年となっています。これもまたブックオフで見つけた本です。

日本の食卓がどうなっているのか、223世帯を対象に実施された「普通の家族の実態調査」が元になって結局この本が出来たわけですが、たぶん当初の目的というか想定されていた結果よりも別の次元で驚くような結果が出てきたことが読んでいてわかりました。

各家族からは日々の食卓の写真や、家庭内の様子の写真やレポートが提出されていて、著者がその過程で気になっている事象がクリスマスと正月に顕われていて、その部分に焦点を当てています。

簡単に言うと、調査結果として「クリスマスはどんどん大きなイベント化して行き、暴走といえるような状態になっている」。「お正月はどんどんその儀式的な部分は風化し、崩壊し、衰えていく」そんな状態になっているというのです。

ここでレポートされているのは、ごく普通の家庭で、特殊な家庭を選んでいるわけではないのですが、お正月は「おせち」をつくる家庭はほぼ皆無というか、つくらなくても何か買う程度で、それも一品か二品くらい。
で、実際は実家に行き、“上げ膳据え膳”で「おせち」をいただくだけいただき、手伝いなどは絶対にしない。おまけに高齢の父母(義父母)から親になっている四十代、五十代の自分達がお年玉までせしめている・・というのがほぼ一般的になっているのでした。

自分の家では、何もつくらず、元旦などは各自起きてきたら菓子パンなどを食べています。それだけ。負荷がかかることはしたくない、ということらしいです。雑煮なんてもちろんつくりません。
お飾りや、鏡餅、お屠蘇などは何でそんなもの飾るのか、考えたこともない・・んだそうで、これもこのレポートでは多数派です。
知らなかったなぁ・・。

これに比べてクリスマスはどんどん大きなイベントとなり、家中にクリスマスの飾りをして、エスカレートすると、かつてよく見た家の外の電飾化が“モンスター化”といえるくらいの状況になります。

クリスマスプレゼントは、子供のほしがるものをリサーチし、サンタがいるんだということを熱烈にプレゼンして、中学生になっても高校生になってもなんとかして信じさせようとしているのがこのレポートでわかりました。

結局、プレゼントをもらって喜ぶ子供を見る自分を確認して自分の喜びのためにクリスマスという一大イベントの恒久維持をはかろうとしているのが、これまた多数派なんだそうです。
でも、クリスマスに料理はつくらない・・負担になるから。
で、チキンなどを買ってくるんだそうです。さらにクリスマスケーキはママ友や子供たちとつくる姿がこれまた自分の喜びとなるので二個つくってしまったりしているのだそうです。

私、この著者が十数年前にラジオに出演されていたのを聞いたことがあったのを思い出しました。
もともとは一般家庭の食の状況調査だったらしいのですが(そのラジオ番組では食の状況をお話されていた)、その番組の中で「ちょっといいですか、今日の放送内容とは関係があまり無いんですけど・・」と、“ぽそっ”と言っていたのが上記の内容でした。

そのときに、電力を強化工事までしてクリスマスの電飾を家に施しているような家はすでに家庭崩壊しているようだ、というお話をされていたのです。
そういう家は、大学生の子にまで「サンタさんはいる」と教え込んでいるようで・・。

というわけで、読んでいて、もう冒頭から数ページあたりで具合が悪くなってきました。
最後まで読めるだろうかと不安になりながらも何とか読み終えましたが、その後味の悪さはひどいものでした。
救いようのない話を聞いちゃった・・という感じです。

この本が報告している内容は、もう一度冷静になって考え直す必要があると感じました。
とりあえず、今は忘れたい・・(^^;)そんな気持ちでおります。

 

2022/11/25

「さよならの力/伊集院静」を読みました。

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『さよならの力 -大人の流儀7-/伊集院静著(講談社)』を読みました。
2016年から2017年にかけて週刊現代で初出、単行本化に際し修正・書き下ろしを加え2017に刊行されたものです。

この本のテーマはタイトルどおり“さよならした人”、かつて“さよなら”したこと、“亡くなった人とのさよなら”などについて書かれていました。

伊集院さんは、大学生の頃、弟さんを海の事故で亡くし、27歳という若さの奥さん(夏目雅子さん)も亡くし、父を亡くし、そして東日本大震災で仙台に住む伊集院さんは多くの人とお別れすることになりました。

そういう心に遺された痛み、傷のようなものが時を経てどう心の中で変化していくのか、ということが書かれています。
これは他の伊集院さんの著書でも書かれていることがありましたが、特に突然失ってしまった配偶者や自分の家族などについては、さまざま多くの人がそういうことに遭遇することになる・・そんな人にどんな声を掛ければいいのか、自分に対してもどう考えればいいのか、ということが丁寧に静かに書かれていて、涙してしまうことが読んでいて何度かありました。

それから、小さい頃にいろいろ面倒をみてくれた近所のお兄さん的存在だった人。
その人が中学を卒業してから会っていない、さよならしたきりだ・・ということが書かれていましたが、私にも小さい頃に近所にちょっと悪い感じだけど、でも自転車に乗せてくれて、いろいろなところに連れて行ってくれたり、自分が知らなかった遊びなども教えてくれる“トシ坊”というお兄さんがいました。
そして、やはり私が小学校高学年になった頃にはもう我が家にも遊びに来なくなり、さよならしたきりです。
そんな人が誰にもいたんじゃないかなと思いました。

「さよならだけが人生だ」なんて言葉もありましたが、さよならすることよって人間は何かひとつ乗り越えていくような気がします。
そして人に対してやさしくなれるような気もします。

さよならについてしみじみと考えることになる本でした。

 

2022/11/14

「寿司屋のかみさん サヨナラ大将/佐川芳枝」を読みました。

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『寿司屋のかみさん サヨナラ大将/佐川芳枝著(講談社文庫)』を読みました。
このブログでも何度かご紹介している“寿司屋のかみさん”佐川芳枝さんが書かれた「お寿司屋さんエッセイ」です。

・・でも、今回は芳枝さんが長年連れ添った「大将」が亡くなるというお話が中心となっていて、ちょっと読むのがこわくて書棚からなかなか取り出せずにおりました。

意を決して読んでみましたら、さすが“寿司屋のかみさん”芳枝さん!大将が具合が悪くなった頃からの家族やお客さん、周囲の様子なども書かれてはいるものの、悲しさだけではない“温かい”話題をからめて見事に明るい書きぶりになっていました。

思わず私も涙腺が緩み、涙したところもありましたが、“あたたかい気持ち”になる文章で、ほっとしました。

大将とおかみさんの想い出、そして残されたお客さんと大将の様々なエピソード、さらに二代目大将となった息子さん「豊さん」の頼もしい“つけ場”での姿も描かれていました。
いつものように、おいしいお寿司の描写ももちろんたくさん書かれていて、二代目が亡くなられた大将のお寿司にさらに工夫したものを考案するのですが、その描写も見事で、とてもおいしそうに書かれていました。

芳枝さんの文を読むと、心がなごみます。
読みながら「なぜだろう」と考えるのですが、文章があまりにも見事過ぎてそんな考え事ができないくらい美しく、流れるような文体なのです。

真似は出来ませんが、私もこんな心がやさしくなるような文を書きたいと思いました。

まだまだ佐川芳枝さんの書かれた本(児童文学もあるらしい)は、何冊もあるようなので、また探して読んでみます。
そしてここで読後感をご紹介したいと思います。

 

2022/09/17

中島誠之助さんの「骨董掘り出し人生」を読みました。

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『骨董掘り出し人生/中島誠之助著(朝日新書)』を読みました。
2007年発行となっていますので、かれこれ15年前の本です。
著者は、あの「なんでも鑑定団」の焼物を主に鑑定していたあの中島誠之助先生です。

このあいだ、伊集院静さんの本をこのブログでご紹介したときに、そこに掲載されていた短編小説二篇「少年譜 笛の音」、「親方と神様」の感想を書きましたが、中島さんの生涯は、まさに上記二篇の小説のような、幼少期から少年期の両親を失い、養子として伯父や伯母などに育てられるも、戦争の惨禍から大変な苦労をする話が書かれていました。

骨董という道に入る前の学生時代の様々なことへの挑戦と、実際に仕事をするようになってからの挫折や、その中で手を差し伸べてくれた今となっては驚きの有名人達の話、まるで小説を読んでいるかのような数奇で、波乱にとんだ人生が描かれていました。

前回の伊集院さんの小説といい、今回の中島さんの自伝的なお話も、私の今後の生き方にとって大きなものを得たように思います。

世の中は自分の思うようには出来ておらず、次から次へと困難に見舞われ、あたたかく手を差し伸べてくれる人もいれば、多くは悪い人がいて様々な苦境に陥れられ、自らの信ずるところに向かってひたすら信念を通して生きていくことがいかに大変なことか・・ということがこの中島さんの実体験的自伝をとおして描かれていました。

中島先生には、二十年も前だったでしょうか、私の職場が企画した「出張・なんでも鑑定団」においでいただき、私と妻の新婚時代に買ったお宝「野々村仁清の香盒」を鑑定していただき、見事8千円の鑑定をいただき、妻は泣き出し、そのおかけでMVPをいただいてしまい、石坂浩二さんの絵を賞品として受け取るという、悲しいんだか、嬉しいんだかわからない結果になったことがありました。

事前に、先生方との握手やサインは出場者は「厳禁」との説明を受けていましたが、泣き出した妻を見て、あとで中島先生ファンだった妻は握手をしていただき、持参した中島先生のご著書二冊に丁寧なサインまでいただいてしまいました。

今となっては、たいへんいい思い出です。
それに、京都のみやげ物という鑑定をいただいた香盒は、逆に私達夫婦の“お宝”になりました(*^_^*)

この中島先生の「骨董掘り出し人生」は、自分を勇気づけるために、今後も読み返すことになると思います。

 

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