フォト

わたしのいきつけ

無料ブログはココログ

2022/06/05

「トイレの輪 ~トイレの話、聞かせてください~」を読みました。

20220605_satou_mitsuharu_001

『トイレの輪 ~トイレの話、聞かせてください~/佐藤満春著(集英社文庫)』を読みました。

これは、著者の佐藤満春さん(お笑いコンビ「どきどきキャンプ」の一員であり、トイレ博士としてイベント出演したりもしている)が、トイレの話を様々な人から聞いていくというものです。これまたブックオフにて110円で購入ヽ(=´▽`=)ノ

インタビューの相手は、ロケで辺境の地に行くことが多い、オードリーの春日さんとか、ノンフィクション作家、冒険家、小説家、トイレメーカーの方、建築家などと多彩です。

大まかに感想を言うと、世界中で日々トイレで用を足すことが出来るのは、ついこの間まで50%に満たず、最近やっと良くなってきたとは言え、せいぜい60%だという。
要するに外で、どこか探して用を足しているのだそうで、特にこれは女性にとってきついと思われ、犯罪にも結びついているとのこと。

また世界を冒険をしているような人は、日本の行き届いたトイレはやり過ぎだということで、椎名誠さんの本などを読んでいても、この話題はよく出て来ました。
劣悪なトイレ状況が今でも世界中にあり、日本人の感覚で世界の旅に行ってしまうと、旅なんて出来ませんぞ!というような結論に達し、そりゃそうだろうけど・・ということになります。

トイレメーカーの方々は世界のトイレ事情を改善し(各国の電気や上下水道事情が悪く課題は多いが)、より快適で、頑丈で、清潔な状態を保ちやすいものを日々つくっていて、それはそれで、人類にとってありがたいことだと大きく頷きました。

また、1980年代頃に多かったとのことですが、“奇妙奇天烈”で“ウケ”をねらったような奇抜なトイレを求めて日本中を巡っている方もいました。
これも実に興味深く、トイレ自体が何畳もある、まるで部屋のようなトイレや、日本庭園みたいな広いスペースに便器ひとつ、みたいなトイレもありました。

で、私が(著者もだった)一番共感したのは、小説家の朝井リョウさんのトイレ話でした。

朝井さんは、すぐに便意をもよおしてしまうので、外出が怖いというか、出歩くと、もうトイレがどこにあるか気になり、仕方なく外に出ることがあると、便意のための“大ピンチ”がやってくるという・・これはたぶん、多くの人が大なり小なり持っている悩みなんじゃないかと思ったのです。

だから、作家という自宅にいてトイレの間近で仕事ができる、その状態が一番いいのだ、というのです。
そのために様々な世界に出て行ったり、人に会ったりする機会を失ってしまっても、それでもその安定した状態がいいのだとおっしゃっています。・・わかる気がする。

この本の中で朝井さんがカミングアウトする、『大事故』の話には、涙が出るくらい気の毒なエピソードが載っていました。
朝井さんが現在のような小説家としての確固たる地位にいる現在で、しかも朝井さんが最も大切に思う人生の大先輩が東京から離れる門出の幹事を引き受けた場での「大便」にまつわる大失態を起こしてしまうのです・・それを書こうにも、もし自分がこの立場だったらと思うと、想像するだに怖ろしく、書くことができません。

この便意が“近い”というのは、文中でも書かれていますが、精神的なものも大きな影響を与えているということで、私にも思い当たる出来事が何度かあります・・だから、朝井さんの気持ちはものすごくよくわかり、著者もこの本の中で一番共感しているのが手に取るようにわかりました。

トイレ話といって、侮ることなかれ!
実に人間にとって奥深い内容の本でした。

 

2022/05/21

サビだけ聞いて、映画は早送りの人

20220520_hayaokuri_001

以前にも少し書いたことがありましたが、音楽は配信が中心となり、“イントロなし”の曲づくりが推奨されているようです。

要するにイントロが鳴っている間に、もう我慢出来なくなって別の曲に“飛ばして”しまう人が多いらしいんですよね。そうすると、その曲はもう聞いてもらえなくなる・・らしい。

このあいだラジオかテレビか忘れたが、若い人が、「自分なんか、サビだけ次々と聞きますよ!」と得意げに話していました。なんで“得意げ”なのかは私にはわかりませんでした。

さらにまたラジオで聞いたのですが、曲を作る側の人の話だったのですが、ミックスダウンの段階で、携帯電話などのアラーム音に似た音などを曲のサウンドの中に潜ませるというか、“仕込んで”おく作業をするのだそうです。

これまた、その人は得意げに言っていましたが、「あれっ、スマホが鳴っているのか?」と注意を引きつけることによって、その曲から離れて行くことを避けることができる・・って・・バカじゃないかと思いましたが、「今、それは曲づくりの常識です。」と鼻高々でした。
これは曲作りじゃない、トラップを仕掛けているだけです。むしろ法的にも問題があるんじゃないかと私は思いました。

さらにまた、今朝のラジオで聞いたのですが、今やサブスクリプション契約をして、配信で映画やドラマなどを見ている人は、「早送り」で見るのが当たり前です!と言っていました。
私は映画は基本的に映画館で見ますし、ミュージカルや芝居は舞台を直接見るので、よくわかりませんが、今そういう配信を受けている人は、もう何倍速といういくつかの選択が出来るように最初から配信されていて、要するに映画の「間」などは一切関係なく、《情報》として映画のストーリーをただ追っているだけのようです・・ああ、もったいない。

そのラジオではさらに、「そうすることによって、サブスクで大量に配信されているものを何本も余分に見ることができるんですよっ!」って、これまた自慢げに声高らかにおっしゃっていました。ご愁傷さまです。

前にも書きましたが、私が落語を聞くと言ったら「出し物を聞いて、一度聞いた話だったら無駄なので聞く必要はありませんね。」と、どうだと言わんばかりの部下が職場にいたりもしました。

その部下の男性は、芝居やミュージカルは、テレビやビデオで見れば十分で、「“飛ばし・飛ばし”見ることで時間がかせげます。」と、お前のやっていることは“無駄”だらけだと、力強く言い聞かせてくれました。ありがとう、一生やっていなさい。

というわけで、音楽も映画も舞台も、演奏者や、演者などの作品として、芸術としての価値はどんどんなくなり、「情報提供」程度のものになっていくのでしょう、いや、もうなっていると思います。

ほんとうにいやな世の中になったものです。じじいが戯言言ってるよ、と思っている人、どうぞそう思ってください。あなたにそう思われると、とても安心します。

 

2022/05/13

外山滋比古さんの「人生を愉しむ知的時間術」を読みました。

20220513_toyama_shigehiko_001

『人生を愉しむ知的時間術 -“いそがば回れ”の生き方論- /外山滋比古著(PHP文庫)』という本を読みました。

これもブックオフにて安価購入。1981年に創知社から刊行されたものの文庫化とのことです。
・・ですから、かなり古いもので、実際に読んでみても時代を感じさせる当時の背景があちこちで見えました。

とにかく今ある“デジタル機器”などはほとんど登場することがなく、自動車電話が出て来たり、将来携帯電話が普及したら、電車の中は携帯を使った会話でうるさくなるんじゃないか、などという心配をされていました。

で、そんな時代の本なので、逆に言うと、時間の過ごし方、愉しみ方、利用の仕方がとても“豊か”に見えます。
電車で本を読むことや、新幹線での原稿書きは“揺れ”に慣れるのが大変・・とか。

人と会って時間を過すことの有意義さなどについても書かれていましたが、今、人に会おうと思っても、なかなか予定が合わず、しかも相手から敬遠されている場合なども携帯での連絡であっさり断られることもあり、まったくと言っていいほど現状とは異なります (・_・;

読んでいると、「昔はよかったなぁ」などと、しみじみしてしまうのでした(^_^;)

日々忙しく仕事をしている中で、どうやって知的時間を“ひねり出す”のか、まとまった休暇をつくるためにはその前に思いっきり仕事をするしかない・・みたいなことも書いてあり、あの忙しかった日々の中で自分もなんとか時間をつくっていたのかもしれないな、と思い出すこともありました。

そんなこんなで、読んでいると、“あの頃”の仕事や生活を思い出し、今の自分の状況で知的な時間をどう過すのか、というようなことが少しずつ見えてくるような気もしました。

何よりも書いている外山氏がとても愉しんで書いているのが感じられるのがとてもいい本なのでした。

 

2022/03/23

「便利になると、見えなくなるものがある」という話。

20220322_hokuriku_001

日曜日にラジオ・文化放送の番組「日曜のほとり」を聞いていましたら、阿川佐和子さんが、「便利になると、見えなくなるものがある」というお話をされました。
印象に残ったので、それについて書きます。

阿川さんが仕事で目的地までクルマに乗せてもらい、高速道路を走っていたときのことだそうですが、運転していた人が出口を間違えて、いくつか手前の出口で降りてしまったとのこと。

なので、そのまま「下(した)道」を走って目的地に向かうことにしたのだそうです。

そうしたら、いろいろな集落を通過し、家々が立ち並ぶ町並み、お店や、公の建物、山や田畑などの風景・・。

「高速に乗っていたら、この辺りには、こういう生活風景のあるこんな町があるんだ」と気づくことはなかった」と、阿川さんがお話されていました。

これは、乗り物、交通機関の話だけでなく、世の中の“便利になった”物・事にいろいろと当てはまるんじゃないかと思いました。

メールや LINE で簡単にすむ連絡、こりゃ便利だと思いますが、手紙や実際に会うなど、別の方法で連絡事項を伝えたときの相手とのやり取りや、表情などから感じること・・もうそれはほとんど世の中から消え去りました。ようするに、もう見ることのないものです。
元に戻ることは、当然もうありません。

様々な届出などもネットで出来るようにしようと、デジタル庁だなんだというところが考えているのでしょうが、婚姻届を二人で役場の窓口に出して、「おめでとうございます」と声をかけられたその時の光景、空気は生涯忘れられないものになると思います。
あと数年後には、ネットの「送信完了」の画面が心に残るのでしょうか。

阿川さんと同じく交通機関の話にしても、リニア新幹線はものすごく速くて、“こりゃ便利”なのでしょうけれども、トンネルだらけの路線も含め、途中にどのような地域があるのかなんてまったく関係のない旅になります。

出張になり、ちょっとくらい遠くたって、規定により「日帰り」を申し渡され、行った先の街がどんなところか、名勝地はあるのか、名物は、なんて考えているヒマもありゃしません。

便利になれば、それが一番という世の中が変わることはありませんが、でも、ちょっと立ち止まってこんなことを考えてもいいんじゃないかな、と思い、書いてみました。

 

2022/03/14

糸井重里さんの「みっつめのボールのようなことば。」を読みました。

20220314_itoi_shigesato_001

『みっつめのボールのようなことば。/糸井重里著(ほぼ日文庫)』という本を読みました。
ブックオフでみつけたものです。
不思議なタイトルだな、と思ったら、「ボールのようなことば。」「ふたつめのボールのようなことば。」という二冊が既に刊行されていて、その続編でした。

1998年から続いている「ほぼ日刊イトイ新聞」に書かれた原稿から、こころに残ることばを厳選してまとめられたものとのこと。
この本では、2014~2016年に書かれた3年分からまとめられています。

読んでいて、全部が私にとってよく“入ってくる”言葉というわけにはいきませんでしたが、中でも気になった言葉を少しご紹介します。


じぶんが正しいかどうかについては、

じぶんだけで決められることはなさそうだが、

じぶんが誠実かどうかについては、

じぶんだけでほんとうの答えがわかるはずだと思う。


・・そうだと思いました。前回のブログに続いてだけど、どっかの大統領にもこの言葉を聞かせてあげたい。


たのしいことを見つけるより前に、

「これはたのしいですよ」ということが、

ひっきりなしに流れてくるのが、現代というものだ。

テレビだとか、ゲームだとか、スマートフォンだとか、

「ここにたのしみがありますよ」と教えてくれる。

・・・・・・・間省略・・・・・・・・・・

たのしいことというのは、だれかがくれるものではない。

だれかだとか、なにかだとかといっしょに、

じぶんで生み出すものだ。

・・・・・・・間省略・・・・・・・・・・

「たのしい」は、もともとあなたが持っているもので、

あなたの「なかに(!)」あるものなのだ。


・・・たのしいことは何だということを教えてもらいたがっている人が多すぎる、と私も思います。


怒鳴る人は、じぶんに弱みのある人。

威張る人は、威張らないと立場がない人。

責める人は、じぶんが責められたくない人。


・・・まんま、仕事をしていたときの上司のほとんどに当てはまりました。あてはまらなかったのは、ほんの数人。


というわけで、自分でわかったような気になっていたことをあらためて「ことば」で実感するという本でした。

 

2022/02/06

池内 紀(おさむ)さんの「すごいトシヨリBOOK」を読みました。

20220206_ikeuchi_osamu_001

『すごいトシヨリBOOK -トシをとると楽しみがふえる-/池内紀著(毎日新聞出版)』という本を読みました。
池内さんは、ドイツ文学者でエッセイスト、山や町歩き、自然にまつわる本など著書多数です。
私は、「はかまみつお」さんがご健在だった頃のNHK・FMでの「日曜喫茶室」という番組での“常連”役で出演されていたことをよく覚えています。
とてもやわらかで、落ち着いた話しぶりが素敵でした。

「トシをとると楽しみがふえる」という副題が付いていますが、池内さんは、人が老化すること自体を当然のこととして受け入れ、病気や死についても、かかりつけ医と家族には自分の考えを話しておいて、ありのままの状態を受け入れることの大事さを強調して書かれていました。

それから、「まだまだ若い」とか、老人同士で何かグループ・組織などを作って活動することについても、やんわりと反対されています。
若い若いと思っていても、周りはすでに老人扱いをしているし、自分で自分の老化状態がよくわかっていない・・というようなことを丁寧に書かれていて、私も同感する部分が大きくありました。

むしろ、自分で4年間の目標、一年の四季ごとの目標、さらには月ごと、週刊、日々の・・というふうに、たいしたことでなくとも何をしていくのかを明確にして老後を生きる方法について実例を挙げつつ説明してくれるのです。
勉強になった。

ちょっと面白かったのは、カタカナ語が近年頻繁に使われているが、自分にはさっぱりわからないものについて、短冊を用意して書いておいて、あとで入念に調べているのです。

ご本人は「何とかスキルをどう・・」とか「そういうターム」とか、自分たちの社会の決まり文句を応用しているだけで、自分のメッセージになっていない“カタカナ語使い”の人を一刀両断していますが、でも疑問に思ったことを紙に書いて調べていくという作業は、私も大事だし、面白いと思いました。

「スマートフォンですぐ調べると簡単だと思うだろうが、簡単に調べたものは簡単に忘れる」とも書かれていて、まったくの同感です。

自立しない老人が非常に多いという話もされていて、提案として「テレビと手を切りましょう」と言っています。

一度、一方的に流されてくる情報を遮断してみる。
自分が本当に興味があるものは、遮断しないとわからない。
テレビの持つ、あの非常に「安っぽい情報」、「安っぽい娯楽」、「安っぽい教養」、そういうものは一度、拒否してみていいんじゃないか、というわけです。

またまた同感しました。
特に最近のテレビ番組は上記のような感じで、私も週にせいぜい1~2時間程度しか見なくなりました。

この本では、老後を生きて行くための池内さんご自身の実例がたくさん示されていますので、私も真似できそうなものは、ちょっと試してみようと思っているところです。

 

2022/01/23

古本の頁を繰っていて見つけるもの

20220123_used_books_001

最近はコロナ禍で東京まで出掛け、古本屋、古書店めぐりをしていませんで、専らブックオフで古本を買い求めているのですが、買って来た古本をパラパラとめくっていると、いろいろなものを発見します。

「謹呈」と書かれた栞が挟まれていることがあります。
“著者謹呈”というやつです。せっかく著者からいただいたのに売ってしまった本というわけで、売るときに除けばいいのに、と思いますがせっかくの謹呈本を売り払うような人なので、そんなこと“お構いなし”なのでしょう(^_^;)

さらにいろいろなものに出会います。
飲物などのレシートが入っていることもあるし、病院の領収書や、乗車券の半券などが入っていることもあります。

人からもらった葉書が挟まれていることもあって、ドキッとします。
病気がなかなか良くならない、でも日々なんとか頑張っています・・なんて書いてあったことがありました。どんな人がどんな間柄の人に送ったのか、などと暫し想いを馳せたりすることもあったのです。

出版記念パーティー会場で売られ、その領収書が入っていたこともありました。
まるで新品だったので、即座に売ったのだと思いますが、あんまりだよ・・と思ったりします (・_・;

あとは、栞代わりに読み終えたところまでページの“耳”を折ってあるもの・・(T_T)
いっぱい折ってあるので、私としては気になり、全部元に戻します。だって気になるもの。

それから、赤ペンや鉛筆などで本人が大事だと思ったらしき部分に「線」を引いているものがあります。
ただでさえ“うっとうしい”のに、これがさぁ・・どう読んでも重要でも何でもない“お門違い”な部分に線が引かれているのです(>_<)
それが気になってもう読むことが出来ないし、苛立たしい!(^^;)

だから、お店でパラパラとやってみて、線が引かれているものはもう買わないっ!d(^_^o)

逆に古書店などに行くと、とても古い個人のアルバムなどが売られていることがあります。
古本に写真が一枚挟まっていたというのでなく、最初っから写真満載のアルバムが単体で売られているのです。

私は、若い頃に、軽井沢のあの上皇様と上皇后様のロマンスの場となったテニスコート近くの公民館で何かの企画だったのでしょうか、古書が売られていたところに出くわし、そこにもアルバムがいくつか売られていて、昔の上流階級であったであろう家族のものがあり、その華麗な生活が写されているアルバムに驚いたことがあります。
ちょっと怖くて買うことはしませんでしたが・・。

ということで、古本、古書には様々な過去の発見物がついてくることがある、というお話でした。

 

2022/01/17

Lo-Fi HIP HOP を知らなかった

20220117_lo_fi_hiphop_001

芸能人の顔もよく知らず、皆が見ているようなドラマも全く見ず、テレビはほとんど見ないで、どんな曲が今流行っているのかも知らない、「世捨て人」とよく言われる私ですが…σ(^_^;)

表題の「Lo-Fi HIP HOP」という音楽を今月になって初めて聞きました。
USEN 放送の番組表を見て、あれこれ、どんな音楽を聞こうかといろいろなチャンネルを試し聞きしていたら、この「Lo-Fi HIP HOP」チャンネルに出会ったのです。

インターネットを中心に拡がっているようで、古いジャズやソウルからサンプリングされたネタに、レイドバックした“ヨレた”感じのドラムで構成されたヒップホップを指す・・ことが多いのだそうです。

聞いた感じだと、ジャズを中心に、ピアノやギターなどのエッセンスを散りばめ、独特な雰囲気を漂わせるゆったりとしたサウンドが特徴のようです。
歌やラップが入っておらず、メロウな楽曲ばかりなので、勉強や仕事の作業用BGMなどに最適だと言われているようで、まさにそのとおりだと感じました。
日常生活の中で流れていても、とても心が安らぐように私は感じました。

また、雨がポツポツと降るような音や、スクラッチノイズのような、いわゆるノイズ、人の声、自然の波や風の音なども入っているものもあって、聞いていると不安感が無く、気持ちがニュートラルに、自然になるようにも思いました。

ヒップホップと名のつくものは、ほぼ全部嫌いな私ですが、これはいいと、まさに“ハマり”ました(゚ー゚*)。oO

さまざまな気分のときに、それにあった音楽を探して聞いていますが、これはかなり色々なシーンで聞いても心が落ち着きます。
世情に疎い私には、実際にこの音楽がどれだけの人が聞いているのか、世界的にはどうなのかもわかりませんが、当分の間日常生活上の音楽として聞く比率は高くなりそうです。

長いこと生きていると音楽だけでも、新しいものに出会ったり、古いものにであったりで、新鮮な気持ちになります。

 

2022/01/04

夏井いつき先生の「超カンタン!俳句塾」を妻から借りて読みました。

20220104_natsui_itsuki_001

『夏井いつきの超カンタン!俳句塾/夏井いつき著(世界文化社)』を読みました。

昨年、暮れの29日に、このブログで同じ夏井先生の「365日季語手帖」を読んでご紹介しましたが、そのときに妻から「私も夏井先生の本、持っているよ」と貸してくれたのが、今回の「超カンタン!俳句塾」という本です。

あの「プレバト」というテレビ番組でも感じますが、夏井先生の解説は素人にもわかりやすいd(^_^o)
今回の、この本も“いいところに目をつけた”という句を取り上げて、先生が“ここをこう直せば”という添削をしていて、理解しやすくなっていました。

また、先生が選んだ「秀句」も、“目からウロコ”の意外な角度から攻めてくる“いい句”ばかりで楽しめました。

この本の前半に、脳科学者の茂木健一郎氏と先生との対談が掲載されていましたが、その中で気になった部分がありました。

俳句をやっていると、物の考え方がすごく前向きになるというのです。
人と待ち合わせして、“待たされた”ときに、目の前の風景や通り過ぎる人、車などを観察すれば、結構面白いことに出会う、とおっしゃっています。
たしかに、「プレバト」などを見ていると、そんなシーンからヒントを得た句が度々登場しています。

ちょっと大袈裟に言うと、「どんな試練も“句材”になる」というわけです。

人生の中で、つらい出来事に出会ったときには、せっかくこんなにつらい経験をしたのだから、何句か作っておかなければ、と考えるんだそうですよ(゚ー゚*)。oO

「もう二度と同じ経験はしたくない。だったらいま俳句を作ろうと、自分と切り離したところでその出来事を見て、俳句の材料としてとらえることができる。」・・ということで、私も「なるほどねぇ」と思いました。

俳句の材料として、とらえることができた、だから乗り越えられた・・と、夏井先生。

私、浅はかながら考えました。
最近いろいろな事件が頻発していますが、もし事件を起こした人達が俳句というものに出会っていたら、もっと別の方向性があったかもしれないと。

などと思いつつ読了。

今回もいろいろと勉強になりながらも、楽しく読めました。

 

2021/12/01

どうやって登っても山頂の風景は同じ?という話

20211201_mitakesan_001

写真は、以前私が御嶽山に登ったときの山頂からの光景です。

ラジオで聞いたエピソードなんですけど、その番組DJの人が友達から言われた話です。

「苦労して登山し、到着した山頂の光景は最高だった」と言ったら、相手から「ヘリコプターで行っても、登山して行っても、山頂という場所は一緒です。だからどういうふうに登ろうと、見える風景はまったく変わりありません。感動の量は同じだからヘリコプターで行くのが一番」と言われたというのです(^_^;)

そのDJの人は、「俺、嫌われているのかな」と言っていましたが、いやいやそんなこと言う人はけっこういますよ。

私もいろいろそんな経験をしていますが、「落語は、噺のストーリーを知ればそれで良いので、一回聞いた話はもう聞く必要はない」と職場の者に言われたことがあります。

同じく、「舞台で行われている芝居は、テレビなどで見ればそれでよく、わざわざ劇場などに行く必要もない。ましてや一度見ればどんなストーリーがわかったので、二度行く必要など毛頭無い。」というありがたい職場の方のお言葉でした。

演者により、また観客のその日の反応により、舞台は大きく内容が変わります。
また、観ているこちらにもその場の雰囲気が大きく心理に影響を与えます。
舞台の魅力って、まさにそんなところだと私は思います。

現に、同じ芝居やミュージカルなどを何度か観ると、物語の解釈自体まで変化していることもあるし、“小屋に幽閉されて、録画などのように一時停止してトイレに行ったり、何か食べたりということもなく、目の前の舞台と対峙するということの貴重さ、大切さを感じるのです。

「山頂の光景は同じだ」と言った人には、たぶんこれからもずっとわからないことだと思いますけど。

電子書籍についても似たようなことがあるかもしれません。
電子書籍でも、紙の本でも書いてあることは同じという人がいます。

でも、実際によく本を読む人にはわかると思いますが、紙で読んだときの“読書進行感”や、“記憶の残り方”は電子書籍には無いものです。それは私もやってみて実感したところです。

小学生の教科書がタブレット端末になったところもあるようですが、生徒の覚えが悪くなってしまった、という事実もあるようです。ニュースなどで見聞きしました。

また、アマゾンではなく、本屋さんに行って書棚を巡っている時に出会う思いがけない本との出会いもあるのです。

「現にそこに行く」っていうのは、やはり大事だ。という私が思ったことを、あらためて書いてみました。

 

より以前の記事一覧

2022年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック