映画『おばあちゃんと僕の約束(Lahn Mah)/2024年 タイ 監督・脚本:パット・ブーンニティパット 脚本:トッサポン・ティップティンナコーン 出演:プッティポン・アッサラッタナクン、ウサー・セームカム、サンヤー・クナーコン、サリンラット・トーマス、ポンサトーン・ジョンウィラート、トンタワン・タンティウエーチャクン』を見てまいりました。
この映画の存在自体を知らなかったのですが、千葉劇場という一般的な上映館では公開されない作品を取り上げる映画館のネット上の広告を見て興味を持ち、実際に見てみたいと思ったのです。
「歴代タイ映画世界興行収入No.1」でもって、第97回アカデミー賞国際長編映画賞ショートリスト選出」と謳われていました。
また、タイの大人気スター、ビルキン映画初主演作だとも書かれていました。
ネットで調べてみると、「涙なしには見られない」というようなことが書かれていて、実際に映画館でエンドロールが流れているときに泣いている老人も何人かいました。
でも、私には泣くような話には受け取れない作品でした。
ラストの展開が表面上は泣けるのかもしれませんが、どうにもそういう受け取り方はできない・・という感想です。
見始めてすぐに、タイの映画っていうふうには、ほとんど感じませんでした。
今の日本もほぼ同じ。おばあちゃんがいて、その子供は相続のことは考えるけど、あまりおばあちゃんの面倒は見ないし、老いていくおばあちゃんの生活のこともあまり考えていない。
でも、おばあちゃんの頭の中にはかつての家族の様子や、タイという国での家族のあり方の典型的な様子がイメージされている。
おばあちゃんの子供世代と孫世代には、それぞれの考え方、ライフスタイルの大きなギャップがある。
亡くなった後の、おばあちゃんの家、土地など価値の“皮算用”、打算が背景にあるストーリーでしたが、孫の男性が打算的におばあちゃんの面倒をみるようになって、そこに自然と浮き上がってくる「愛情」のようなものが最大のテーマだと思いました。
状況的には異なるかもしれませんが、日本の家族・一族にも存在する問題がそこにあり、まざまざと見せられた・・という感じでした。だから泣いているような暇は無かった・・。
今の私達にとって「見る価値・考える価値」のある映画だと思いました。
三回目になる長嶋さん現役時にスクラップしておいた新聞記事について。
今回は、あの引退翌日の朝刊切り抜きです。
よく残っていたと思います。
当日は、巨人軍のシーズン最終戦。中日はセリーグ優勝をすでに決めた後です。
その中日とのダブルヘッダーでした。
第一試合が終わって、長嶋さんは予定外のグランド一周しての観客へのお別れの挨拶を行いました。
一枚目の写真がそれです。
その日の夜の引退記念テレビ番組でもその様子が流れていたことを思い出します。
あの長嶋さんが泣くんだ・・と思いました。そしてひとつの時代が終わろうとしていると感じました。
そして四枚目の写真には、その日やがてジャイアンツの一員になる法政大学の江川投手の活躍の様子が記事となっていて、まさに新旧交代の感があります。
その江川もとっくの昔に引退し、そして長嶋さんは亡くなってしまった・・。
この引退試合のあと、シーズンオフにはアメリカからニューヨーク・メッツが日本との親善試合にやって来ました。
長嶋選手は、全国のファンとのお別れを兼ね、この親善試合に帯同し、最後の姿を日本各地の球場で披露したことをご存知の方はもう少ないかもしれません。
私も父に連れられ、後楽園球場でメッツとの親善試合を見ました。
長嶋選手はライト線に痛烈なヒットを放ち、一塁から外野の間の比較的前の方の席にいた私はその打球がライト線に転がっていく長嶋の打球を目に焼き付けました。
当時は応援団も無いので、プレイ中は音が良く聞こえ、長嶋の打球が後楽園のライン際外野芝生上をすごい勢いで転がっていく“ササササッ”という音が聞こえました。
今でもその音は記憶に強烈に残っています。
今回は、引退試合を含めた記事のご紹介でした。
もう一・二回スクラップ記事のご紹介が出来ればと思っています。
『そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか/能町みね子著(文春文庫)』を古本で読みました。
週刊文春の連載「言葉尻とらえ隊」の2018年~2020年までのものから選抜・改稿し、まとめたものと記されていました。
義母を病院の検診に送別したときに、病院で検査などの時間待ちの時に読みましたが、もともとの連載文が「言葉尻とらえ隊」というタイトルのものから持ってきているとのことで、文字通り“言葉尻”を捉えて食い下がるというか、食らいついている感じの内容に疲れました。
5~7年前の連載文なので、今となってはもうあの頃のSNSでの一言に炎上したり、遠慮会釈のない誹謗的なコメントが集まった事象などについて事細かに喰いついているのですが、現在の段階で私が読むと、「もう、うんざり」という感じでした。
病院の待合ロビーで読んでいたのですが、自分が具合悪くなり、入院したくなりました。
この頃はよかったのかもしれませんが、芸能人などの行動、発言、世の中で目だっている人の奇異ともとれる言動などについて突っ込みが入るわけで、今の私には神経がおかしくなるような事ばかりで、思い出すのもイヤなことばかり。
この本が出た頃だったら、どんどん読み進むことが出来たのかもしれません。
しかし、今のSNS全盛の風潮に身も心も“削られた”ような心境の私にはもう読む力が残っていませんでした。
疲れ切ってしまい、感想としてはこのくらいです。
面目ない。
『児玉清の「あの作家に会いたい」人と作品をめぐる25の対話/児玉清(PHP研究所)』を古本で見つけ読んでみました。
2009年第一刷発行となっていました。
児玉清さんは世に知られた読書家でもありましたが、作家25人と対話していくという本になっていました。
角田光代さん、村山由佳さん、江國香織さん、北方謙三さん、三浦しをんさん、山本兼一さん、有川浩さん、石田衣良さん、小川洋子さん、川上弘美さんなど私にとっても興味深い作家との対話で、どんな家庭に育ったのかとか、どんな本を何時頃から読んできたのか、また作家を志したのはいつから?など、作家の方々はけっこうスラスラと語っていらっしゃいました。
それぞれの作家についての質問などにふれると大変な量になってしまいますので、私が特に感じるところがあった部分にふれたいと思います。
上橋菜穂子さんとの対話の中で語られたフレーズに、「読書は想像力を養ってくれるものなのに、今の世の中は見たものだけが現実だと思っていて、社会が大人性を失っている感じがします。」という部分がありました。
読書の良さと、読書をあまり大切にしない世代・人たちの相反性、さらに現代の世相の一端を感じました。
もうひとつは、石田衣良さんとの対話の中で出てきた部分です。
「一つ言えるのは、本を読まない人は“ソン”をする。情報の九割は言葉でできていますから、読まないとますます情報格差が広がっていくでしょうね。」
「映像の中ばかりで育ってしまうと、見たものだけを現実と勘違いしてしまいますよね。」
というところでした。
最初のものと共通するものがありますが、とにかく、ネット、動画などに大きく影響を受け、想像力に欠け、妄信的に一方の言い分だけを信じるような現在の世の中の様子が頭の中に浮かびました。
それと、やはり驚くべきは児玉さんの読書の量と、分野、深さでした。
作家がこんな本を読んできた、という例を挙げると、ほとんどを読んでいて、的確なコメントをする児玉さん、スゴイッ!!
長嶋さんが亡くなってから探し出した、昔の、少年時代のスクラップから、今度は長嶋さん引退会見翌日の朝刊の切り抜きを見つけました。
会見の席、隣にいるのは川上哲治監督です。
当時の私が思ったのは、「長嶋が引退したらプロ野球は解散するのかな?」でした。
それほど長嶋抜きのプロ野球なんて考えられないことだったのです。
でも、翌年もプロ野球はやっていました(^^;)
長嶋選手を実際にテレビ中継で見ていて、私の少年時代の記憶に残っているのは、阪神戦で当時絶好調だった上田二朗投手が九回二死までジャイアンツをノーヒットノーランに押さえていたシーンです。
いよいよ最後の打者は長嶋茂雄。
長嶋でノーヒットノーランやられちゃうのか・・とドキドキしながら見ていましたが、上田投手と田淵捕手が何やら打合せしてからの第一球を長嶋はちょっと引っかけ気味でしたが三遊間(だったか、二遊間だったか)を抜き、見事にノーヒットノーランを免れました。
上田投手はがっくりとひざを落としていましたが、長嶋選手は一塁上で何か上田投手に手の平を見せながら声をかけていたようでした。
「すまん、すまん」とでも言っていたのかもしれませんが、上田投手が帽子を脱いで頭を下げていたようです。
私と真剣勝負してくれてありがとうございました・・ということだったんじゃないでしょうか。
いいシーンだなと思いました。
長嶋選手にはこんなエピソードがたくさんあるようです。
そんな長嶋選手だったから、私が父親に連れられて後楽園球場に観戦に行った時の状況は、長嶋がネクスト・バッターズ・サークルに入っただけで球場は敵味方の客席に関係なく既にざわめきが始まり、いざバッターボックスに入ると歓声はマックスとなり、当時球場にあったエキサイトタワーという電光掲示板(早い話が騒音計)は振り切っていました。
また、長嶋の守るサードに打球が行くと、観客は息を呑み、見事な送球でアウトを取ると、割れんばかりの歓声が上りました。これも敵味方関係なく球場全体の状況でした。
当時は、応援団なども無かったので、球場は基本的に静かだったのですが、長嶋が登場、あるいは好プレーを見せると球場が揺れるような歓声で包まれていました。
そんな選手だったのだ、とあらためて思い起こしつつ、きょうはこれまで。
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