『支店長の曲がり角/城山三郎著(講談社文庫)』を古本で読みました。
1950年代から1990年代までに城山さんが書かれた「詩」をまとめたものです。
1992年に単行本として刊行され、1996年に文庫化されたものです。
「詩」と記されていて、そのつもりで読み始めましたが、著者城山さんがその時強く感じたこと、そうなのかと思ったこと、憤慨しているようなことなどをそのままぶつけてくるような文でした。
いわゆる“ポエム”的な印象のあるものは、ほとんどないと言っていいと思いました。
生真面目な城山さんそのものがそこにいる・・という感じです。
引退後の本田宗一郎氏の自宅庭でのパーティーに出掛けたときの文も、城山さんが小説で様々な人物を追いかけ、晩年の様子を記された小説の一部分のようでした。
また、国に対しての不信感を感じさせる部分も強い口調で書かれていて、城山さんが志願して戦争に行った経緯が実はこんな酷いことを無理やりされてのことだったとわかる部分もありました。
その当時のその酷い教師のことも怒りと恨みを込めて書かれていました。
なので国から叙勲の話が出た時のことも書かれていましたが、もちろん城山さんは奥さんが反対するのにもかかわらず、辞退してしまいました。
城山さんのその時の気持ちも、今までの著作やこの詩を集めた本を読んでも今となってはよくわかります。
目の前で城山さんが筆圧高く書かれた文を突き付けられたような本でした。
また城山さんの今までにない側面が窺えるような気持ちになりました。
『よもだ俳人子規の艶/夏井いつき・奥田瑛二(朝日新書)』を古本で妻が見つけてくれ、読んでみました。
2023年第一刷発行となっていました。
まずは奥田瑛二さんが俳優であり、映画監督であり、「俳人」でもあったのだということを知り、や・や・や・・と驚きました。
しかもあの夏井いつき先生と実に深いところで正岡子規について語り合っていて、夏井先生もタジタジの独自の鑑賞に驚きました。
夏井先生はスクリーンショット的に俳句を鑑賞するとこの本でおっしゃっていましたが、奥田さんは映画のようなストーリーを俳句から感じているようなのでした。
目が覚めました。
本のタイトルにある『よもだ』というのは、子規が生まれた伊予の国(現・愛媛県松山市)の“伊予の言葉”で、“ユーモアのあるへそ曲がり”みたいなニュアンスなのだそうです。
そしてもうひとつ、「艶」という言葉もタイトルに入っていますが、実に意外なことに子規の俳句には“艶っぽい”女性を詠んだ俳句がかなりの数あるということで、それについてお二人が深いところで鑑賞されていて、“真面目一本”な印象を持っていた子規について、私もかなり勉強になりました。
しかも、奥田さんはその子規の俳句に対して「艶俳句」なんて洒落た言葉で表現しています。“ただ者”じゃありません。
『傾城(けいせい)』という言葉も初めて知りました。
一国一条の主をメロメロに惚れさせて、城を傾けさせてしまうほどの美女・・それが転じて「遊女」を意味する言葉になったということなのです。
その傾城にふれた句がいつくも紹介されているのですが、単に遊女の美しさや、自分がのめり込んでしまったことなどを詠んでいるわけではなく、その遊女から醸し出される人生、哀しさ、儚さのようなものにふれているものが多いように感じました。
また河東碧梧桐の話によれば(子規が亡くなる二週間前にも会って何か衝撃の事実を聞いていたらしい)、子規は遊女だけでなく一般の女性との関わりがあったことを文にして残しているのでは、ということなのですが、子規死後に面倒をみていた妹さんが全て処分してしまった・・という説もあるらしく、もし文書が残っていれば大変な価値あるものだったかもしれません。
その他、子規が旅先などで出会った女性で仲良くなった人達も幾人か存在したようですが、それらについても文書が見当たらないらしく(これもひょっとして妹さんが・・)、子規と女性についての考察をますます深めてみるのも研究のし甲斐がありそうです。
巻末に子規の「艶俳句」と呼べるものが数多く掲載されていました。
私もよくよく見直してみます。“子規感”が少し変わるかも。
『気張る男/城山三郎著(文春文庫)』を古本で読みました。・・と言いたいところですが、途中で挫折しました。
初出誌は、文藝春秋に1999年~2000年にかけ連載され、その後同じ2000年に単行本化されたものです。
文庫化は2003年です。
十歳にして赤貧から志を持って家出。
銀行、鉄道、紡績、ビール会社など、次々と創業し、“西の渋沢栄一”と言われた「松本重太郎」の生涯を描いた長編作でした。
中盤まではなんとか読み進みましたが、なんというかこの主人公に共感してついていくような気持ちになれなかったのです。
次から次へと目端を効かせて奔走し、新しい商売、事業を興すのですが、その目的がよくわからなかったのです。
立身出世物語の中で突っ走り続けた男の潔い生涯そこにあるという結論がやがて出てくるのでしょうが、そこまで私自身がもちませんでした。
あまりにも急に次の一手に打って出て、周囲の人達のことをどう思い、どんなふうに使っていったのか、というのも駆け足で書かれていて、私の読み取り方が悪いのかもしれませんが、理解が及びませんでした。
どんどん疲れてきて、途中でギブアップしました。
佐高信さんが解説を書かれていましたが、私が辿り着かなかったところで描かれていたのは、著者城山三郎さんがそのひと言を書くためにこの小説をものにしたという部分でした。
自らの創設した第百三十銀行が苦境に陥った時、それを助けようとした安田善次郎に会った主人公松本重太郎は、個人資産について、「それは、みな出しなさるか」と問われ、「悉皆(しっかい)出します」と答えるのでした。
現在にはいない人間の品格を感じる松本重太郎を描きたかったのでしょう。
ちょっと豪雨被害後、精神的にも体力的にも衰弱気味な私にはヘヴィーだったのかもしれません。
また心身充実した時に読めるかもしれません。
今回は中途半端ですが「気張る男」の読後感を書きました。
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