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俳句を詠んでみる_0614【 冬ざれのセルフレジ 立ち尽くす ひと 】

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行ってみたらセルフレジになっていた、という句を詠みました。

【 冬ざれのセルフレジ 立ち尽くす ひと 】

《背景》季語:冬ざれ[冬]
朝のマクドナルドに立ち寄った。
田舎だが、割と大きい店で、いつの間にかすべてセルフレジに変更されていた。
お客さんは老夫婦がけっこう多い。
あれれと立ち止まっている老人に「セルフレジになっております」と店員がカウンター越しに声を掛けているが、意味がわからず、聞き返していると店員が出てきた。
機械の前で立ち尽くす老人、朝のコーヒーも店員との会話なく操作することになったのか・・と寂しそうな表情に見えた。

 

2025/11/12

俳句を詠んでみる_0613【 帰宅し 芋掘り 洗い 皮剥く妻 】

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里芋が下ごしらえされるまでの様子をスピーディーに詠みました。

【 帰宅し 芋掘り 洗い 皮剥く妻 】

《背景》季語:芋[秋]
自分の育てた里芋が気になる妻。
帰宅し、クルマを降りると真っ先に里芋のもとに・・。
さっと掘り、流しで洗い、皮も剥き、「さてお茶にしましょうか」と素早い下ごしらえから休憩へ。

 

 

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2025/11/11

「驚典 -群ようこ対談集-/群ようこ」を読みました。

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『驚典 -群ようこ対談集-/群ようこ(講談社文庫)』を古本で見つけて読みました。

IN☆POCKET(※講談社が発行していた文芸PR誌)1999年8月号~11月号に掲載されたものを2002年に文庫として発行したものと書かれていました。

この本での群さんの対談相手は多彩な方々ですが、壮絶なお買い物体験エッセイが有名な、中村うさぎさんとのものは、ブランドものの買い漁りや、何百万何千万もする着物を買いまくった話なのですが、ちぃともわかりませんでした。

プロ麻雀士との対談も何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。
上記二つの話題は、群さんがけっこう“ヤバい”感じの人なんじゃないか、という気持ちを強く抱かせるものでしたが、対談相手によってはまるで別人になるので、群さんの間口の広さというか、奥の深さに唸りました。

「寿司屋のかみさん」エッセイで有名な佐川芳枝さんとの対談は面白かった。
いばっているお寿司屋さんの話や、実際に寿司屋での振舞いをどうすればいいのか、など、本音の対談は佐川さん自身がとても魅力ある人なので、“がっぷりよつ”の良い対談になっていました。

また、東京藝大の島田文雄氏を訪ね、対談のあとに実際にろくろを回して茶碗を作るというものがあり、これもお二人の会話も、実際に粘土を捏ねていくところから指導を受ける部分まで実に楽しく読みました。

さらに何人もとの対談を読んでいくと、群さんの人生は実に“太く長く”これからも続いていくのだろうなあと思いました。
懐が深すぎる・・(^_^;)

あっという間に読み終えました。

 

俳句を詠んでみる_0612【 庭先の黄落 憑き物が落ちた 】

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玄関先の木の黄落を見て一句詠みました。

【 庭先の黄落 憑き物が落ちた 】

《背景》季語:黄落[秋]
玄関を出たところの植え込みの黄落に気づいた。
こんな風に憑き物が落ちればいいのにと思う気持ちを詠んだ。

 

2025/11/10

『「忘れる」力/外山滋比古』を読みました。

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『「忘れる」力/外山滋比古著(潮文庫)』を古本で見つけて読みました。

2011年に刊行されたものを2022年に文庫化したものでした。

著者・外山滋比古氏の学生時代からその後に至る間に経験したこと、気づいたこと、実践したことなどが淡々と、しかも題材豊富に書かれていて、氏はつい今の今までこうと信じてやってきたことでも、人から言われた(先生や周囲の声など)ら、すぐにバッサリとやめてしまって、それまでとは全く正反対の行為・行動をしたりしています。

読んでいて「極端な人だなあ」と何度も思いましたが、それが氏の最大の特徴かもしれず、さらに次々と新しく始めたことで成果・結果を出していくのです。

学校では陸上競技に目覚ましい活躍をしていたのに、先生に「外山は競技のために学校に入ることができたのだ」と言われると、きっぱりとスポーツをやめて、勉学に励み、学校でも一番の成績を収めたりしています。

結局、様々なことに才能があったのだと思いますが、特に「ことばの旅」という章での、日本語と外国語の違いなどについてふれている部分などには、なるほどと感心し、驚くことばかりでした。
頭の回転が常人ではないのです。興味の対象もあらゆる方向に向いていて、今後このような人が日本に現れることがあるのだろうか、とも思いました。

言文不一致という項目での、日本のことばは書くのと話すのとは別々の発達をしてきたので、文章は漢文の流れをひいた文語、そして話すことばは和語中心の口語であるということを書かれていました。
それが開国してみると、どんな問題が起こったのかと縷々書かれていて、興味深く読みました。

外山氏の本は、いつもスラスラと読めてしまうのに、深いことがあちらこちらに散りばめられていて、どの本も「知」の塊のようで、今回も読後になんだか自分も知識が充填されたような気になりました(^^;・・気のせいなんですけどね。

 

俳句を詠んでみる_0611【 ストーブに 灯油満タン いつつける 】

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なんかもったいなくてストーブ点火できない、という句です。

【 ストーブに 灯油満タン いつつける 】

《背景》季語:ストーブ[冬]
灯油を買ってきて、ストーブのタンクは満タンになったが、いつつけようかと迷うのは「まだもったいない」という小市民的心が騒ぐから。
毎年のことです。

 

2025/11/09

俳句を詠んでみる_0610【 初めてのフグと あの時の同僚 】

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大人になったってフグなんてなかなか食べる機会はない。フグで思い出したことで一句詠みました。

【 初めてのフグと あの時の同僚 】

《背景》季語:フグ[冬]
テレビでフグの収穫の様子を見た。
初めてフグを食べたのは社会人になってからだった。
一緒に耐震関係の仕事をした建築部門の人達から忘年会のお招きを受け、やっとこの人達から少しばかり認められたのだと感じ、フグのおいしさは人の温かさと重なってよりいっそうのものだった。

 

俳句を詠んでみる_0609【 秋さびし 再会の声 叱られて 】

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突然、偶然の再会に我を忘れてしまい・・一句。

【 秋さびし 再会の声 叱られて 】

《背景》季語:秋さびし[秋]
銚子の円福寺という所で「寺宝展」が開催され、江戸の出版物が大学の先生の詳しい解説も加えられて見学出来た。
解説も終わり、あとはご自由に見学をというところで、思わぬ懐かしい人に声を掛けられ、久しぶりの再会に声を上げ、積もる話が泉のように湧き出て、夢中になって話してしまった。
こんなところでやらず、あっちでやれと叱られ、我を忘れてしまった自分に“しゅん”となってしまった。
妻との帰宅の車の中は葬式状態の静かさに。
・・・ただ、久しい人に会ったうれしさに我を忘れることが出来る感情が自分にまだあったことは大切だと思うようにして、反省しているのでした。

 

2025/11/08

俳句を詠んでみる_0608【 穫れた芋 その日の夕の食卓に 】

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今年は里芋にもチャレンジした妻が今年初の里芋をひとつ掘り上げたので一句。

【 穫れた芋 その日の夕の食卓に 】

《背景》季語:芋[秋]
妻は今年、里芋にも挑戦した。
今年最初の里芋を掘り出し、早速その日の夕食に上った。
「おいしいっ」家族の意見は一致した。

 

「私 何だか死なないような気がするんですよ/宇野千代」を読みました。

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『私 何だか死なないような気がするんですよ -心とからだについての282の知恵-/宇野千代著・北林紀子構成(集英社文庫)』を古本で見つけて読んでみました。

1995年に海竜社から刊行されたもので、1999年に文庫化されました。

この本が単行本として刊行されたのは1995年12月。
著者・宇野千代さんはその半年後、98歳で生涯を閉じられています。

タイトル「私 何だか死なないような気がするんですよ」の、この本、読んでいると・・ほんとに死なないんじゃないの・・と思えるほどお元気な宇野さんがいらっしゃいます。

常に前向きだし、健康のためというか、長生きのためにやってみることは全て“いいこと”なんだと思ってやってみて、しかも明るくやっていて、ご機嫌もすこぶるいいっ!(^^;)

90代の年齢になって、思うように体が動かなかったり、遠くにも行けなくなり、家にいることが多くなっても、楽しいことを見つけ、常に前に前に進んで行く宇野さんがいました。

できないことが増えても、今自分が出来ることによろこびを見つけています。

私もこれから出来なくなることが増えていくのかと思いますが、でも宇野さんのこの本に示されている考え方は参考になります。

まだまだやること、やれることはあるのだと心強くなりました。

病気のことも心配ばかりしていると、かえって悪くなってしまうのだ、ということも書かれていましたが、実際のところそうなんじゃないかと最近思っているところです。

もう明日から私の今やれることを楽しくやり、さらにまだやったことのないものにもチャレンジしたいと決意したのでした。

 

«俳句を詠んでみる_0607【 甘藷掘り 甘さの記憶 蘇る 】

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