『現役引退 プロ野球選手「最後の1年」/中溝康隆著(新潮新書)』を古本で見つけ、読みました。
2019年~2021年に「ベースボールキング」に連載された『男たちの挽歌』を加筆・修正、書き下ろしを加えて改題し、2021年に発行したものでした。
王、長嶋から古田敦也、掛布雅之、田淵幸一、村田挑治、中畑清、江川卓などの選手としての記録や、エピソード、そして本題の最後の1年の様子について書かれたものでした。
長嶋茂雄が引退したのが1974年ですが、この本の著者「中溝康隆」氏が生まれたのは1979年!!それなのに見てきたように当時の様子が書かれていて、「こりゃ、凄い“調べっぷり”だ!」と驚きました。
何度かこの本を読み始めたのですが、今まではすぐに閉じてしまうことになってしまい、読むことが出来ませんでした。
・・それは、あの選手がこんなに苦労していたのか、最後の一年、こんなひどい扱いをされたのか、さぞかしつらかっただろう・・などと胸に響き、痛みまで感じる始末で、今回は“意を決して”最後まで読みました。
王選手は引退発表しようとしていたら、当時の長嶋監督が電撃辞任(解任?)となってしまい、球団批判で溢れる世の中となってしまい、引退発表は11月まで遅れてしまったとのこと。
最後の1年でも30本のホームランを打っていたのですが、成績としては打率は2割3分代となってしまい、大選手なのに気の毒な形と感じました。
その他、掛布選手や田淵選手、ランディ・バース選手など阪神、あるいは阪神からトレードとなった選手の球団からのあんまりな扱いにも胸が痛みました。
西武の石毛選手も華麗な記録を残しながら、監督を打診された後、現役にこだわり福岡ダイエーに動いてからは大選手なのに不運な印象が残りました。
印象に残ったのは巨人の西本投手。
巨人から中日に移り、20勝するなどの復活劇には今でも心動かされます。
引退試合は多摩川グラウンドでのささやかなもの・・でも、有志の選手達が集まり、長嶋さんまでも登場するという感激するようなものでした。
そして最後は今年亡くなった長嶋茂雄選手。
1971年には、前年の打率 2割6分という成績不振で、引退までもがささやかれていたのに、6度目の首位打者を取ったところが最後の活躍となってしまいました。
私も記憶がありますが、その首位打者を取った時の打撃フォームは大鷲が翼を拡げるような大きなフォームで実に格好良かった印象があります。
そして、引退の年には一番打者になったりしていた記憶もありますが、打席が多く回ってくるだけに打率はあっという間に下がり、生涯打率もどんどん落ちていった記憶があります。
これも前年に引退をさせようとしたが、固辞され、もう一年頑張ると言った長嶋への“意地悪”のように当時の私の目には映りました。
あらためて長嶋選手の生涯記録を見てみると、「記録よりも記憶に残る選手」という表現をよくされることのあった人でしたが、いやいや記録も超一流です。
恥じ入ることなど何処にもない立派な記録と、チャンスに強い記憶にも残る名選手だったとあらためて感じました。
最近私が知って、この本にも書かれていましたが、中畑清選手の最後の試合となった近鉄との日本シリーズ最終戦、代打ホームランを打った素晴らしいシーンは、大卒と高卒という年齢差はあるものの、同期入団の篠塚選手から藤田監督への「引退する中畑さんをこの晴れ舞台に出場させてください」という直訴から起こったものだという話には涙が出ました。
中畑さんも最近のYouTubeで篠塚さんを目の前にして目を潤ませていました。
ということで、選手にとって、つらい最後の一年ということばかりではなく、いい話で締めようと思いました。
『荒木経惟の写真術/荒木経惟著(河出書房新社)』を古本で見つけ、見て、読んでみました。
1998年初版発行となっており、荒木さんが電通にカメラマンとして入社し、そこでどんなことを経験して(主に光の当て方を色々と工夫し、実験的なことをしていた)、その後にどう結び付けたか、というところから始まって、この本の多くは荒木さんよりも若いカメラマンとの対談で構成されていました。
対談では、荒木さんの数ある写真集の内容にふれている部分が多々あったのですが、写真集からの抜粋された写真を見ることができて、あらためて荒木さんの多様な作品を知ることになりました。
また、私は写真の技術的なことや、機材、現像の方法などの知識が無く、カメラマン同士の対談の中に出てくる専門用語は“チンプンカンプン”でしたが、それでも「きっとこういうことを言っているのだろう」と想像しつつ読み進めば、なんとなくわかってくることもありました。
多くのカメラを持ち込み、同時進行でそれぞれのカメラを使い分けていくやり方や、あえて一つの機種でその特色を生かしてテーマ化して写真集にしていくやり方など、荒木さんの多様な写真との取り組みと、その実例写真を見ていて、ますます“普通のカメラマンじゃない”と思いましたし、荒木さんが世の中で話題急上昇していた頃の“ぐんぐん・どんどん”突き進んでいく姿も思い出しました。
アラーキーは、あの頃も先鋭的だったが、今見ても先鋭的だ、と再確認する読書となりました。
『夫婦脳/黒川伊保子著(新潮文庫)』を古本で読みました。
2008~2010年「電気協会報に《男と女の脳科学》として連載」と、2009~2010年「ひろぎん経済研究所機関誌に《感じることば》として連載」されたものを改題加筆・修正し収録したものでした。
黒川さんのご著書は、この本以外にもベストセラーがたくさんあり、私も何冊か読みましたし、ラジオなどへの出演時にご本人のお話しを聞いたこともあります。
その度に、「ああ、ここで例示されている“困った夫”はまさに俺の姿ではないか・・と、いつもガックリと膝を落とすように倒れ込むのでした。
そして例示されている妻の様子は、まさに私の配偶者そのものの様子 ^_^;どうして人んちのことがこんなに手に取るようにわかっちゃうんだろう・・と思い、今後改めようと思うには思うのですが、修正するところが多すぎて覚えきれないよ・・(T_T)となってしまうのでした。
誰もが、どの夫婦が読んでも、夫も妻も思い当たる節ばかりのハズです。
今回の本でもひとつウチの夫婦と合致した例を挙げてみると・・
私が帰宅すると、妻から何か相談というか、聞いてほしいことがあると話が始まり、それは朝起きてから起こった出来事の詳細、会った人すべてについて、こんなところにも出くわした、などなど延々と話が続き、私はどのエピソードのどの部分、どの言葉などがキーワードとなるのか、必死で聞き続けるわけですが、それらは全て相談にのってほしいと言ったこととは何の関係も無いのです。
こんな状態が最低でも30分以上続いて、本題が出てくるのは一時間以内であれば、それはラッキーなことです。いつ終わるかわからず、本題は何なのか、いつまで経ってもわからない、そういうことなのです。
で、「本題は何なの?!」などと聞こうものなら、そこから「あなたは何にもわかっていない、人の話が聞けない、共感も出来ない、最低の男だ」ということになり、私は地獄の底に突き落とされ、そのあと口もきいてもらえなくなるのです。
黒川さんに言わせれば、女性はあったこと、見たこと、起こったこと全てを時系列になめる様に伝えていくのであり、本題そのものよりも、それらを全て聞いてもらって「そうなんだ、たいへんだったね」などと相槌を打ってもらいたいわけです。
そんなことがわからぬ男は問題にならぬほどダメ夫であるというわけです。
今じゃあ、何冊も黒川さんの本を読んできたので、その辺は“なんとか、かんとか”死に物狂いでクリアできるのですが、こんなことは夫婦の間では氷山の一角のエピソードです。
男も女も、このくらいのことは、心して読み始めないと、途中で泣きたくなると思いますよ。
あんまりネタばれ的なことを長文で書いても何なので、夫婦の話以外で面白かったものをひとつ挙げておきましょう。
素晴らしいリーダーというものは、登場しただけで、部下もその他の人たちも笑顔にしてしまう人だ、という部分でした。
最近、どこかの大統領が妙なキャップを被り、テレビの画面に登場しただけで気分が悪くなり、体調も崩し気味です。聞かせてやりたいっ!
自分を待ってくれている人たちの存在を微塵の憂いも不安もなく、邪気なく、嬉しがれる能力こそがリーダーの資質なのだろう、とおっしゃっています。そのとおりだ。
そしてそのためには、日頃から「被害者」にけっしてならない覚悟が必要だと。
誰かに裏切られても、裏切らせてしまったことを憂い、他者に迷惑が及ばないように慮る。
自分を被害者にして可哀想がったり、他人を恨んだりしない覚悟があってこそ、邪気なく人を嬉しがれる。
その「被害者にならない」覚悟こそが、リーダーの資質なのだと思う。とのことでございました。
聞かせてやりたいヤツばかりのお話しで締めて、本日の読後感を終えたいと存じます。
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