国際語失格?よかった!
最近、石原都知事がフランス語は数の勘定もままならない言語なので、国際語としては失格だと発言して、フランス語を侮辱したとして裁判沙汰になったことがありました。
まあ、自国語をそんな風に言われて腹の立たぬ人はいないと思いますが、作詞家の阿久悠さんが面白いことをおっしゃっていました。
国際語になり難いというのは、むしろ名誉なことだというのです。
世界の共通記号として成り立つということは、単なる使い勝手がいいというものだけであって、記号としての特性だけで選ばれたものだからだというのです。
数十億人が共有できるような簡単で、底の浅い表現方法、文化ではないから、フランス語は共通語にならないと思えば、腹の虫もおさまろうというものです。
私は、当然日本語もそうあってもらいたいと思うのです。
国際語の名の下に文化が削ぎ落とされるのであれば、国際語なんてアメリカ英語にまかせておけばよいのです。
辛口の随筆で私の好きだった「山本夏彦」さんが、著書の中で、「人間はその国に住むのではなくて、その国の言語に住んでいるのだ」と書かれていたことがありました。
まさにそのとおりだと思います。私達は、日本語で考え、語り、そこで培った文化の中で暮らしているのです。
言語社会の中に自己の存在があるのではないかと思うのです。
職場で、私が“けんもホロロ”という言葉を使いましたら、若手に「けん・・・それは何ですか?」と聞かれました。
他のそれを知っている若手も「過去耳にすることがあったが、現代では使われていない」と言っておりました。
「厳しく拒絶した」と「けんもホロロ」では、ニュアンスが異なってくるとおもいます。そこが日本語のおもしろいところだと思うのですが、いかがでしょう。
ちなみに、「閑古鳥が鳴く」も「無い袖は振れない(ぬ)」も知らないと言われました。そうそう「欣喜雀躍」も“まったく知らない、必要ない”と言われましたが、そうかなぁ?
フランス映画や、シャンソンもフランス語あってのもの、源氏物語も日本語あってのものではないでしょうか?
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