「音が飛ばなくなった」が残された言葉
写真は、懐かしいジュリーと中山千夏さんのシングル盤(ドーナツ盤)です。
先日、ラジオに平尾昌晃さん(五木ひろし、小柳ルミ子、布施明らをはじめとするスターに曲を提供してきた大ヒットメーカー作曲家)が出演されていて、あの昭和の大作詞家、阿久悠さんと最後に話しをしたときのことを語っていらっしゃいました。
阿久さんは、「最近は“音が飛ばなくなった”」と、残念そうにおっしゃっていたそうです。
“音”とは、音楽のこと。
阿久さんの大活躍されていた昭和40年代終盤から50年頃にかけては、音楽(ここでは、歌謡曲と言っておきます)は、家の中でもテレビから茶の間で、そして、街に出てもお店や舗道、その他色々な場所で聞こえました。
それは、家族や社会一般の人々の共通体験でした。ほとんどどんなヒット曲も誰もが知っていました。老若男女が・・・好きでも嫌いでも。
今は、パソコンにダウンロードし、パソコンの前で個人的に聞いたり、ミュージック・プレイヤーに落として、これまた個人的にイヤフォンやヘッドフォンで個人的に聞くのが当たり前になっています。
10万回のダウンロードを記録したヒット曲は、10万人だけの手に(耳に?)届くヒット曲となりました。
家族、友達、街の人たちと曲と時代を共有するという経験は既にとても希なことになっているのが現状です。
歌謡曲や演歌などという区別も無かった、私が子供の頃、レコード盤のレーベル部分には『流行歌』と記されていました。
まさに、時代を“流れ行く”歌だったのです。だから、あの曲が流行っていた頃は・・・というと、その時代の人たちには何かあの時代の共通した空気が思い出されるのですが・・・それも今は昔・・・。
仮に正規にCDを購入する人がいたとしても、CDの収録時間は人間の感覚にはやはり長いのです。
レコードは片面20分くらい。だから、片面で一息入れて、またB面に突入するという絶妙の配分だったのです。
しかし、今や60分から70分間を一気に曲が流れるので、結局BGMにしかならなくなってしまいました。
さらに、好きな曲だけ聞いたり、かかる曲順も好きなように出来たり、ランダム再生したり、チェンジャーやPCに取り入れて、自在な聞き方が出来る分、アルバムへの集中度はぐんと下がりました。
・・・時代はほんとうに流れ去ったのですね。あと数年後の音楽界の状況は、もう私には想像することもできません。
ただ、ひとつ言えることは・・・『いいものはいい!いつまでもいい!何年経ってもいい!!』ということです。
「あれは古いっ」と言うのは簡単ですが、古くてもいいものはいいものなんだ、これが真理だと思います。
誰も、「モーツァルト、あれは古いから駄目だね」なんて言わないものね・・・。
【NowPlaying】 愛の迷い子 / アグネス・チャン ( 歌謡曲 )
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