不意の客
私の好きなコラムニスト山本夏彦さん。7年前に亡くなられましたが、生前から「死ぬの大好き」などという著作もあり、死んだ人と今生きている人の別もなく、ただ広がる日本語の世界の中に住んでいたような方でした。
写真は、夏彦氏の友人で数学者の藤原正彦氏が選んだ100編のコラムを集めた「夏彦の写真コラム傑作選1/新潮文庫」です。
私は時々“ぱらぱら”とめくって楽しんでいます。
きょう、めくっていて目についたのが、『「不意の客」許されなくなる』でした。
昭和三十年頃までは、客というものは不意にあらわれた。
各戸に電話がなかったからである。
・・・当時、会社には電話があっても家にはなかったのです。
電話が各戸に普及したのは昭和三十年以降。
そして、電話が普及するにつれ、やがて家に電話がないことが許されなくなった・・・。
そしたら客も不意にあらわれることが許されなくなった・・・。
電話で確かめたうえであらわれるようになって、だしぬけに行くことが失礼になった。
夏彦翁は、「けれども人恋しいときがある。友に会いたいときがある。」
突然行ってはいけなかろうと電話すると「来月の何日はどうですか」と言われる。
「いま会いたいのだ」とノドから出かかっても言えなくなった・・と書かれています。
・・・「こうして有史以来の人と人との間のコミュニケーションは失われたのである」と結んでいます。
私が子供の頃には、客は不意に来ました。
電話も当時は“呼び出し”でした。わざわざ県道の向かい側にあるお店の方が我が家まで「電話です」と呼びに来たのです。それだけでコミュニケーションですよね。
昼にはおもに女性が、お年寄りが不意にあらわれました。
縁側でお茶を飲みながら話をしていました。
我が家のばあちゃんも不意によその家にお茶を飲みに行き、幼かった私や弟なども連れて行ってもらうことが多々ありました。
お茶うけは、「麦焦がし」や「変わり玉」、「金魚せんべい」「黒砂糖」などでした。
夕刻や夜になると、大人の男性が不意にあらわれました。
相談事や、町内のことなどを持ち込んでいたようです。
あたりが暗くなっていれば、玄関に招き入れ(大きな土間になっていた)、ときによりお酒や天ぷらなどを出して父が話していたのを記憶しています。
大工の棟梁なども突然やってきて一杯酒を飲み、ちょっと世間話をして帰って行ったり、町の植物博士とでもいうべき物知りの方がやはり不意にあらわれ、病に効く薬草や、最近見つけた珍しい花や木について話しながら一杯やっていくというようなこともありました。
土曜の夕方などは千客万来だったような記憶があります。
夏彦翁が嘆いていたのは、このような人と人とのコミュニケーションのことではないかと思います。
私にしても、いくら仲の良い友人でも突然訪ねたりなんてことは、もうできませんからね・・・。
今ではあたりまえの電話にしてからが、こんな風に人と人の様子を変えているのだと、あらためて本を読み返して感じたのです。
【NowPlaying】 Pont de Quimper / 高桑英世 ( Instrumental Music )
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