読書の腕前?
『読書の腕前/岡崎武志著(光文社新書)』を読んでいます。
読書の腕前っていっても、別に何を競うでも、自慢するでもなく、読書そのものの楽しみを、この方のあふれるような気持ちでもって“ずんずん”“ぐんぐん”書き進めているものです。
読書、即何かの役に立つなどと考えて読む人などは、この本の中では、“野暮”そのものです。
特に近年、本屋さんで見かける「あらすじで読む日本の名著」みたいな本を買う人の気持ちがまったくわからないと書いている部分があって、私も同感しました。
もともと、その「あらすじで・・」の本は、学生達に、「この本はこういうものだ」と試験対策的に、あるいは入門的に書かれたものらしいのですが、実際にその多くは、40代後半のオトナに読まれていたのだそうで・・・。
そんな歳にもなって、その本や、作家の話が出たときに、知ったかぶりがしたいのでしょうか、・・・情けない。
読書の良さは、この本にも書かれていますが、「他者を知る」ことでしょう。まったく同感です。
実生活では、絶対に知り得ぬ「膨大な人間のモデルを提供してくれる」とも書かれています。これも“同感”のしっ放しです。
本を読むことで、「人間に対する理解力が深まる」・・そう思います。
文学から得られる楽しみについても、読んで得られる“楽しみ”それだけで充分であると。・・・そのとおりだね。
また、「人間に与えられた色々な楽しみのなかで文学のように精神の隅々まで行き亘って、肉体はただその精神を地上に棲息させる為の道具としか思わせないものは滅多にない。」という文まで引用して、その楽しみを説いています。・・・これはちょっと極端すぎるけど。
著者は、私とほぼ同じような年代で、私と同じような体験をしながら小・中・高校生活を過ごしたようで、まるで私の子供時代、学生時代が生き写しのように書かれていました。
勉強はあまりできなくても、「本」が大好きだったこと。
マンガによって、社会の仕組みや、言葉、歴史、文学作品の基礎的な知識を得ていたのもそっくりでした。
つまり、勉強とは関係なく「本」が好きで、その世界にひたることが好きで、おかげで国語の成績だけが良かった、というのも私の小さい頃にそっくりでした。
本を読むという行為は、川に舟で漕ぎだし、川の真ん中で“イカリ”をおろし、停止した状態で川の流れをみているようなものであるというような記述もどこかにあったと思いますが、本を読んでいるときには、自分は“時”の中でひとり時間が止まり、周りの“時”が流れているような感覚というのは、わかります。
本好きにはこたえられない、これをおかずに読みながら白いご飯が三杯は食べられるという本のご紹介でした。
【Now Playing】 Aqua Fresh / Rose Unlimited ( Instrumental Music )
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