【2/2】東京の勤務地で今回の大地震を体験しました
大きな余震も収まったかに感じて、再び9階の事務所に戻り、都内から通勤している女神も徒歩での帰宅を断念。
事務所の皆で事務室に泊まることにしました。・・というか、それしか方法が無い。
外では、自力で歩いて帰ろうとする人達が歩道に溢れ、車は既に大渋滞。
事務所のもう一人の男性職員とコンビニに食料の買い出しに出ましたが、おにぎりやパンなどの棚は空っぽ。
とりあえず食べられそうなものと飲料などを買い込みました。コンビニもかなりの混雑を来していました。
天使は、東京に出て来て他社に出向しているウチの事務所付けの人達の安否をメールにて確認する作業に突入。
それから、サバイバルシートと呼ばれる銀色のアルミホイルの薄くて軽いようなものをいくつか出してきて、「いつかこんなこともあろうかと・・」と寝る時に十分使えるグッズを、この時とばかりに目の前に広げてくれました。
天使、ベルマークの時はバカにしてゴメン!<(_ _)>あなたの心配性は、やはり“正しい”。
他の事務所の女性で一人になってしまった人達もウチの事務所のひとつの部屋に入ってもらい、女子部屋にして寝てもらいました。
余震が続き、携帯にも緊急を知らせる<エリアメール・緊急地震速報>の着信音が何度も不気味に鳴り響き、不安な夜を過ごしました。
結局、自力で真夜中に自宅を目指して帰った人達も他社にいましたが、耐震性能の良いビルであわてず様子を見るのが、こういうときは一番良いのかもしれないと思いました。
翌日、午後になり、電車も5割くらいは動き出したので決断して、皆、帰宅することに。
そこで天使は、またもロッカーから防災グッズを取り出しました。
スニーカーです。ピンヒールからスニーカーに履き替え(しかも反射テープがカカト付近に付いていてよく目立つのです)、万全の体制です。あんたはエライ(*^o^*)
電車は、超満員で、かなりの遅れ。千葉に着いてからもそこから先は電車が止まっていて、駅のロータリーにも人が溢れていたのですが、なんとか無理矢理バスに乗って帰って来ました。
家族も身内も無事であることが確認できて安心し、その後、家の中の落下物などを片付けました。
ウチは水については井戸を使っているのですが、泥水が出るようになってしまい、回復に時間がかかりました。
そして今、やっとブログに手をつけたところです。
恐ろしい経験でした。そして一生忘れられない一日となりました。
【NowPlaying】 ラジカントロプス2.0 / 西寺郷太 ( ラジオ日本 )
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