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2011/08/14

結局、気持ちがラクにはならなかったが、読んでみた

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『「つらいな」と思った気持ちがラクになるひと言/神辺四郎編(日文新書)』をついつい手に取り、結局、読むことにしました。

手に取り、パラパラとめくったときには、ググっと来るものがあったのですが、いざ読んで見るとそのときほど心が動くというものでもありませんでした。
ちょっと残念でしたが、それでもいくつか思い出す部分を挙げてみると・・・。

「どんな仕事でも良い。世のため人のために役に立つ事を自分の生きてきた証拠として遺すこと、これが生きるということじゃないか。」:長谷川伸(劇作家・小説家)
・・今まで生きてきて、ほんの少しですが、人のために役に立ち、形に残ったものがあります。いつもそれらを心の支えにして細々と生きてきました。
こういう言葉自体が実際にあるとは知らず、自分で勝手に考えてそう思っていたのですが、同じことを考えている人もいたのだとうれしくなりました。

「お金の行方は、私のところにそのお金が実際に入ってくる前から、ちゃんときまっていて、そのきまり通りにさっさと自分で私のところから出て行ってしまうのです。」:高橋義孝(ドイツ文学者)
・・毎月感じています(^_^;)私の口座は一時休憩所みたいなものでしょうか。そして、そのお金たちはいったいどこを飛び回っているのでしょう(-_-;)「金は天下の回り物」などという言葉もあるのに。 

「管理術、などという言葉には常にまやかしがあって、それは生身の人間を一匹の二十日鼠とみなし、アメとムチとで意のままに動かすことだと思っておいたほうがいい。」:上前淳一郎(評論家)
・・世上よく喧伝される「管理術」というものが、実は管理する側の便利で巧妙な武器にすぎないということを言っているのだと思います。
辛辣なこの言葉は、人間性に対する侮辱を憤っているのだと思います。
私も正直そう思うことが時々あります。
で、これは実は管理されている側にも「自分を侮辱するな」と言っているようです。
“二十日鼠”の勤勉を労働の勤勉と誤解して「アメとムチ」を客観的査定と思い込みたがる、ある意味“おめでたい”習性を歯がゆい思いで弾劾しているのかもしれません。
言わんとしていることは、「人間の尊厳」の問題なのでしょう。

「物を考えるということは、決して苦痛をもたらしません。むしろ喜びや、快楽とともにあるといっていい。」:大岡信(詩人・評論家)
・・そう思います。「ブログに日々いろいろなことを書くって苦痛じゃないの」とか「下手な考え休むに似たりだから、ブログなんか止めれば!」という言葉をブログを書き始めてから何人にも言われました。
特にブログの草創期に。
物を考えて、それを頭の中でまとめて、とりあえずその一部を形にしているのが私のブログです。だから、止めません。
それに、この言葉どおり、“喜び”なのです。


【NowPlaying】 Cry Baby Cry / CoverVersion ( NHK-FM )

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