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2017/08/01

人生の道は難しく厳しいものです

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本日は私の個人的愚痴・嘆き・反省のメモなので特に読んでいただかなくてもけっこうです。自分自身への戒め的に書いています。

今回の話の対象となっている彼は中学時代の同級生。当時からかなり仲良くやってきましたが、ここ7~8年くらいはメールや電話程度で数回のやり取りがあった程度になっていました。私が仕事の関係で、生きていることで手一杯になってしまったことがその原因だと自分でも思います。
10年以上ぶりに同窓会を開こうと持ちかけられました。前回は私が提案し、仕切りました。それも彼からは忘れられていたかも・・。

彼が馴染の店で開催することにしたのですが、そこはあまり場所的には集まりずらい場所でしたし(多くの人が公共の交通機関で帰ることができない)、今回の同窓会は“大義”というか開こうという動機、きっかけがよくわかりませんでした。
突然過ぎて、いざ私が協力することになり、同窓生に電話を掛けても「なぜに?」と聞かれることになったのですが、まあいいでしょう。

数名が苦労して連絡をして、先日打ち合わせをしようということになりました。

その前日に勤めから帰宅すると妻が庭に出ていて、あわてて私のクルマに走り寄ってきました。
「家の電源が落ちている」そして「水が出ない」とのことでした。

ブレーカーを見たり、我が家は田舎で井戸なので、ポンプの入っている小さな小屋の屋根を取り外すと、ゴムやプラスチックが燃えているような激しい臭い。
ポンプ本体の蓋は特殊なネジで止められていて外すことが出来ない。・・もし外れていたら漏電していたので、私は感電死していたかもしれません。

付き合いのある工務店に電話すると、まずは電気屋さんが駆けつけてくれましたが、ポンプが燃えていてショートしていることがわかりました。

もう少し私の帰宅が遅れ、処置が遅れたら、自宅本体に燃え移り、大変なことになっていたところでした。

その夜から翌日にかけて、水が出ないのはもちろん、電源が無いので原始暮らし。
トイレの水はもらい水を浴槽に溜め、バケツで流すということに。もちろん、風呂には入れず、洗い物、洗濯もダメ・・。

そんな状況なので「行くことが出来ない」とラインにて友人の彼へ連絡。
その日は井戸業者に休日だが、来てもらい、さらに休日に開いている問屋を探してもらい、新しいポンプを調達、そして工事へと緊急的にやってもらいました。

で、その日の深夜に彼からラインが。

「しっかりしないと大事なものを失うぞ」
「結局出席は13人になった」
「ドタキャンだけは気をつけようね」

と書かれていたのを見て、一時間ほど考え込みました。
私は、「お前がしっかりしてちゃんと打ち合わせに来なかったから友人達からの信頼を失ったぞ」と受けとめてしまったわけです。

「結局出席は・・」は、「みんなで最終的確認をやってたんだ、わかってんのか」と受けとめてしまいました。

「ドタキャンは気をつけようね」は、「皆で進めているのにドタキャンかよ、何やってんだ、しっかりしろよ」と受けとめてしまいました。

・・で、一時間ほど考え込んだ挙げ句、激怒してしまったのです。
怒りにまかせて「もう同窓会には関わらないし、出ない。今後電話もメールも無用だ。アドレス帳も削除した。そっちも削除してくれ」とメールを送った・・のです。

彼からの返信は見ないようにしようと思っていましたが、見てしまうと、「しっかりしないと・・」は、「自分も過去それに似たことがあったが気をつけないとな」という意味。
「出席者は・・」は、単に数の報告。
「ドタキャンは・・」は、「当日直前にドタキャンしてくるやつがいるから気をつけよう」ということだったと・・。

でも、私にはどうしてもそういうふうに取れなかったのです。

返信のメールには、「お前は変わってしまった」「もともとそんなに期待していなかった」「なにを勘違いしているのかわからん」とも書かれていて・・。

だったらもっと文章をきちっと書けよ、とも思いましたが、スマホで打つことばかりの現代人、端折って端折って入力するのでこんな、どうとも取れる文になってしまったのでしょう。

最悪の状態になり・・今を過しています。
身体の具合が悪くなり、仕事中も気分が重く、胃が痛い。
いい歳して私は何をやっているのでしょうか。

相手のラインを悪意に取ったのは、たとえば facebook で向こうから友達申請してきたのに、 facebook 上で連絡しても「おれは使っていない」という返事があったり、facebook をのぞいてくれれば、今回の同窓会に呼んだ先生の病気を克服してのさまざまな素晴らしい活動の様子がわかるのに、ほぼ無反応だったこと、彼の出身高が野球県予選で勝ち進むたびに私の卒業校でもないのに、試合中継のようにその過程や結果、「よくやった」などというコメントが私のラインに飛び込み、その意図がよくわからず、困惑していたこともあります。

仕事上で「自分大好き」な人からよくひどい目に遭わされることが過去にも多かったので、そんな潜在意識もはたらいたのかもしれません。

彼はたぶん絶対に私のブログなどにも目を通さないと思うので、こうして正直に書いているのですが、今は「大人げなかった、もうしわけなかった」と思っています。

いつか伝わるかもしれないし、そのままでも彼が今後私と付き合うことがないのは、むしろ彼にとって幸せかもしれないので動くことはやめました。

人生の道は難しく、厳しい・・。
たぶんほとんど一人も読んでいないと思いますが、本日は正直な現在の自分の気持ちを書いてみることにしました。


【Now Playing】 ないとエッセー / 牧田善二 ( NHK-AM )

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