泉谷閑示さんの「仕事なんか生きがいにするな」を読んだ
『仕事なんか生きがいにするな -生きる意味を再び考える-/泉谷閑示著(幻冬舎新書)』という本を読みました。
著者の泉谷さんは、精神科医で、精神療法を専門とするクリニックの院長です。
巻かれている“腰巻き”を見ると、『会社、お金、世の中、他人、出世、生活・・・「のために」生きるのをやめる!』と書かれていて、精神医療というよりも、むしろ仕事や、それに伴う日常生活上の考え方、アドバイス的なものを中心に展開されるのかと思いましたが、でも、そういう方向ではなく、かといって専門の精神医療世界を中心に展開されたものでもありませんでした。
もっと根源的な、今現在の人々、人間が何を思い、生活の根拠というか、“人間としてのささえ”は、何なのか?というような、歴史的にも遡って人間社会を見直していくようなものだったのです。深くて、単に論理的に理解するような“お手軽”な本ではなかったのです。
私も若い頃からずっと、自分の生きがいってなんだろう、自分が生きている意味ってどういうこと?などとよく考えることがありました。
この本でも書かれているのですが、「自分さがし」みたいなことを言うと真っ向から否定する仕事人間というか、実は説明できないから“頭ごなし”に叱っている人は以前からたくさんいました。
でもね、昔は仕事をして物を作ったりすると、それは後世の人達にも使われたりして、その仕事自体に意味があり、仕事することそのことがそのまま“生きがい”にもつながっていて、毎日生きて仕事をすることに誇りのようなものを持てたんだと思うんです。
しかし、今は「仕事」=「労働」となっています。
「労働」は金銭的価値に置き換えられ、労働そのものに金銭的な価値以外のものが見いだせない。
職人が作ったような「物」は、簡単に誰でもシステマティックに製作することができるような代物になり、「物」=「消費材」になってしまったのです。
さあ、つらくなってきた。そのつらくなってきたのが、つまり私です。
先に書いた会社や出世、お金のために生きて行くと、どつぼにはまるのです。
自分自体に意味なんて無いんじゃないかってね。
そこで現代の人間に特有の精神的な病が増加する・・ってことになる・・そういうふうに書かれていました。
あまり詳しく書くと、この著者の商売の邪魔になってしまうので簡単に書くと、人が人らしく生きるってことは、人生や世界に向かって「意味」を求めるベクトルを出すことだということなんだと思います。
そのベクトルってのは、私達の「心」が発する「愛」の作用だということ。
つまり、「愛」は、単に他の人に向かうのではなくて、世界の様々な物事や人生そのものに向けられて、その対象に潜む本質を深く知ろうとしたり、深く味わおうとしたりするものだ・・って、そんな感じのことが著者の言いたいことなんだと思うんです、簡単にしちゃうと。
・・わかんなくなってきたでしょう?(^_^;)でも、なんとなくわかる人は、そろそろ長い人生の中で何かをつかみ始めてきた人なんじゃないでしょうか。
私もまだまだ入り口付近にいるのですが、なんとなくわかり始めたところに今いると実感しています。
ま、詳しくはこの本読んでみてください。
わかんない人には全くわからない論理だと思います。特に今まで仕事上で私を苦しめてきた数々の人達には・・一生・・。
以上ですよ、それじゃまた。
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