【南先生の玉手箱_0024_散歩】
私の中学時代の担任で美術の先生の昔の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は先生が「散歩」と題して書いたもので、今回は日付が入っておらず、平成17年~19年の間に書かれたものと思われます。
以下、先生の文章です。
『散歩』
有る休日、用件あって、あっちこっちドライブした帰り道、途中で車から降ろしてもらって、となり町から古い家並みを歩いてみたら、5月なのに真夏の暑さである。
何か天候不順のひと言ではすまされない、地球規模で大変な状況が起きている。
飽食の時代、エネルギーの無駄使いなどがなかなか改善の方向に進まず、乱獲伐採など環境破壊は止らない。
日々便利さ、スピードが優先される中で、時にストップ・ザ・便利を実行していかなければ、人類、大変あぶない状況、すでにとりかえしのつかないところに居るような気がする。
久しぶりに近所でも懐かしい景色を見ながらその地域の家、森や木陰をわたる涼しい風を感じながらこっちに歩いてきた小学生がすれちがいにこちらを見て、こんにちはとあいさつ、こちらも、おー・こんにちは、とひと言返してあたりまえのことだが、どっちも知らない顔、子どもにとってどこかのおっちゃんの私、あいさつがあると思っていなかった。
続いて何人かの子どもや大人とすれちがったが、みんな雰囲気がいい顔に見えたというか、感じる気持ちの問題かと思う。
家庭や学校で地域の人と人とのかかわりについて、できれば安全意識からできるだけかかわらないほうがいいように子どもに話すことが多く、ちょっと話しかけると何か変に思われることの多い時代に、人と人との関係、あいさつや笑顔から望ましい関係や安全がつくられていくのかと思う。
農家の多い、古いたたずまいの中をぬけて歩きながら、現代の暮らしの何か変な部分に対してみんな基本は素直とか、信用することなんだろうなあと考えさせられるひと時でした。
人も物も普通に大切にかかわり合うこと、自分自身の行動について日常できるだけ素直でありたいものです。
特に時代が問題にしている不審者をつくらない人と人との関係をお互いが大切にする地域でありたい。
古い家も多く、生け垣、大きな樹、そして緑の多い空間が何か時間をかけて人の心を育んでくれているように思う。
毎日のようにいろんな安全対策がそれぞれの地域や立場で進められているが、人と人、そして自然と人との関係に思いをよせて望ましい環境つくりに何かできると具体的にとりくみたいものです。
ちょっと前まで普通だった何か大切な関係を切り捨てないように心がけたいものです。
久しぶりに通りぬけた地域のたたずまい、気のせいか路肩のゴミもほとんど目につかなかった。
何か地域の雰囲気を感じさせてもらったが、すぐちかく自分の住む地域でも何かプラスに実行できる自分でありたいと思いながら、約1時間、家に到着した。
時に道草をしながら考えさせられることがあります。
以上が先生の文でした。
何気ない散歩の道中に先生が思ったことについて書かれたものですが、もう15年も前から人と人との関係が殺伐としたものに移りつつある状況がうかがい知れました。
今やもっとその状況は悪化していると思います。
それに環境破壊も・・。
ウイルスの感染拡大や、異常な気候、自然災害、どれもが元々は環境破壊という事象にたどり着くような気がします。
散歩途中の雑感のようなものでしたが、考えることは多岐にわたる、と思いました。
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