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2022/09/27

【南先生の玉手箱_0051_ふっと思う自然の緑と校庭の大くすの木】

20220927_minami_data_001

私の中学時代の担任で美術の先生の現役時代の資料やメモなどの文書を掘り起こして活字化する作業。
今回は、平成17年6月の日付が入っている家庭への通信文と思われるものを掘り起こします。
季節の中での自然のいとなみを見つつ、当時校庭にあった「くすのき」の心配をして書かれたもののようです。


以下、先生の文章です。

<ふっと思う自然の緑と校庭の大くすの木>

梅雨の候、何かとうっとおしい季節に自然の勢いは生命にみちあふれ、たくさんの息吹を感じさせてくれる。
学校の時計草も咲きはじめたこの頃、緑や花の変化に立ち止まることが多いです。

気に留めなければ何も感じることはない。
あたりまえのことですが、日本の恵まれた季節の変化を味わいながら感動する気持ちを大切に暮らしたいものです。

毎日子どもたちは、目の前のものごとや自然に対して正面から素直な気持ちで観察をしながら嬉々として活動しています。

私たち大人はその子どもたちの目の前にある今を最優先してかかわっていきたい。
毎日子どもの言動からエネルギーや夢をたくさん感じながら日々生き生きとありたいですね。

日常の普通の教育活動の中、暮しの中に目の前に今光っているものを感じとりながら日々感動を軸にして暮らしたい。

自然の深緑の中に生きるものの姿も時に感動的であります。
身近に恵まれた自然環境に意識的に目を、心をむけていきたいですね。

朝顔などもそうですが、この季節には何となく“つるもの”のイメージが気持ちにあって、上下・左右、・うしろに前にどんどん勢いよく伸びていく生命力などお話の中にあるジャックと豆の木の世界など、どこまでも伸びていく不思議な空間や夢の世界を思い出す。

お互いにたくさんの命と共存をしているなど、このうっとおしい季節に命の輝きをみつけたいものです。

大総小学校の伝統を見守る大きな存在の横綱である大くすの樹に出会って昨年からちょっと気になっていました。
昨年の秋に、芝山の樹医さんが見てくれてありましたが、この春も“まん中”の葉が少なくて少し心配。

四月に百年に一度のくすの木便りをお届けしたように、早いうち一回治療を加えたいと思います。
昨日、樹医さんと打ち合わせをしました。
すぐに枯れるとか言う心配はないとのことですが、子どもたちの次に本校一番の宝ものと思っています。

何も言わない身のまわりの自然の命に思いを寄せることの大切さ、創立から今まで大総小学校を見守り続けている大くすの治療を予定しています。
根まわりに空気を入れて肥料を加えるなど学校から後日お知らせをする予定です。
身近な存在の大きな木を大切にしましょう。


以上が先生の文でした。

先生が校長をしていたこの大総小学校も“くすの木の心配”をしていましたが、私が卒業した小学校も同じ問題を抱えていました。

樹齢百年の大樹に私が卒業してから数十年後にやはり治療を施し、“生き返る”ことができました。
今も小学校の前をクルマで通りかかると緑の葉をいっぱいつけた「くすの木」が校庭で元気にしています。

たいせつなことです。

 

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