「歎異抄入門」という本を読みました。
『「歎異抄」入門 ~無宗教からひもとく~/阿満利麿(あま・としまろ)著(河出新書)』という本がちょっと気になって読んでみました。
「歎異抄」そのものは学生の頃、教科書に出てきて耳にしていましたが、それっきりで、どんなものだろうなどと思うこともありました。
また、最近、休日の早朝にラジオを聞いていると、「歎異抄って何だろう」というような番組をやっていて、寝ぼけながら聞いてみたこともあり、本屋でこの本を見つけたときに、「よしっ、思い切って読んでみよう」と思ったわけです。
この本は、NHKのEテレ「こころの時代~宗教・人生~」で放送された「歎異抄にであう」がきっかけとなって生まれたものだそうです。
だから、ちょっと想像していたものとはちがって、歎異抄自体についてけっこう詳しく解説されていて、「生きていくうえでのヒントになるような言葉と出会えたらいいな」くらいの思いで買ってきたのですが、当てが外れた感じになりました。お勉強する感じなのです。
安易に読み始めたので、ついていくことが出来ない・・(^-^;
ただ、自分がなぜ「歎異抄」に“ひっかかった”か、というのは読んでいたわかったような気がします。
歎異抄に書かれている仏「阿弥陀仏」は、「五濁悪世(ごじょくあくせ)」という人間とその世界の悲惨のただ中に登場してくるということで、五濁悪世については、五通りに分けて説明されていました。
以下のとおりです。
一.戦争・飢饉・疫病が絶えない時代のひどさ。
二.思想の貧弱化、思考力の劣化。
三.人の考え方が自己中心を免れず、自己の価値観にこだわり、世界と人間をより深く考察する意欲が欠けていること。
四.人間自身の身体の資質が低下して、多病となり、精神もまた病む。
五.人間の寿命が短くなる。
どうでしょう、まったくもって“現在”の世界の状況、人々の状況だと思えませんか。
だから、歎異抄が気になって気になって仕方なかったのだと思います。
ラジオなどでも、そのエキスのような部分が語られていたからです。
煩悩についても書かれていて、人が生きてゆく上で不可欠の諸々の欲望が自分の都合に合わせてときに過度になる、という状態、それが「煩悩」ではないか、というわけです。
これについても「同感」です。
結局、読んでみて、今現在の私がまだまだ様々なことに“迷って”生きているのだということがわかりました。
それだけでも少しは読んでみた意義があったように思います。
難しい教えをわかりやすい事例で紹介している本もありそうなので、今度はそういうものを探してみようと思います。
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