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2024/03/31

「老後は銀座で/山﨑武也」を読みました。

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『老後は銀座で/山﨑武也著(PHP研究所)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2003年初版発行となっていますので、かれこれ二十年前の本になります。

著者は昭和10年生まれで、著者略歴を見ると、ビジネスコンサルタントとなっています。

私は、老後になったら時々は銀座に出掛け、いいお店や、その他お酒を飲むところ、お芝居を見たり、教養を高めたり、あのいい空気感を味わって来たらいい・・という本だと思っていたのですが、実際に銀座に住んでしまえっ!という内容でした。

すべてに便利で、高級感や一流の人間としての感覚、さまざまな文化にすぐにふれることのできる便利さ、何もかもがいいから、そこに住んでしまえばいい、という内容でした。

リタイアして、田舎に引っ込んで悠々自適、あるいは別荘を持ってそこと行き来する生活、海辺の空気の良いのんびりと都会から離れた施設にお世話になる・・などということの実際のデメリットが次から次へと挙げられていて・・なんだこれじゃ都会の真ん中に住まなきゃいけないってことじゃないの!と驚きましたが、結局著者には金銭的余裕がたっぷり有り、それだったらそんな生活が出来るだろうけど、一般の人には夢みたいなことが書かれていました。

つまり、お金持ちで地位も高く、教養もあるという・・私とは縁のない人の理想的な老後生活が描かれていたのでした。

かと言って、書かれていることを否定するものではありません。
ここで書かれている生活が出来るのならそれは素晴らしいことなのかもしれません。
ただし、私はある程度田舎だけど買物や都会に出掛けるのに不便は感じない、そんな生活が一番だと思っているので、“精神的な余裕”について書かれた部分だけ参考にしようと思いました。

それにしても、こんなに余裕のある人がいるんだね、ということに一番驚いたのでした。

 

俳句を詠んでみる_0029【 おんな 立ち話 ムスカリ 風に揺れ 】

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ムスカリを見ていて、女性の立ち話を連想しました・・それで一句

【 おんな 立ち話 ムスカリ 風に揺れ 】

《背景》季語:ムスカリ[春]
女性が立ち話をしている。
その足元にはムスカリが風に揺れ、まるで立ち話している女性と同じようにうなずき合っている。

 

2024/03/30

俳句を詠んでみる_0028【 掌(て)を握り 嬬戀(つまごい)坂 二人 冬の星 】

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今回は大人の男と女を物語風に詠んでみました。

【 掌(て)を握り 嬬戀(つまごい)坂 二人 冬の星 】

《背景》季語:冬の星[冬]
文京区湯島にある嬬恋坂は、その名の由来となった嬬恋神社の前を通る坂。
夫婦神が祀られていることから、恋愛成就を願うスポットになっているらしい。
そこへ手を握り合った二人。
澄み切った空、星の美しい夜、そっと寄り添い坂を登り、嬬恋神社を目指す。
この寒さ厳しい夜にひっそりと逢う二人の愛の成就は“無いものねだり”なのかもしれない。

 

2024/03/29

「蕎麦屋酒/古川修」を読みました。

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『蕎麦屋酒 -ああ、「江戸前」の幸せ-/古川修著(光文社新書)』を読みました。
2004年に第一刷発行となっていますので、かれこれ二十年前のものです。
でも、読んでみると、蕎麦屋の選び方や、それに合わせる日本酒についても考え方は概ねその頃から変わっていないようでした。

著者は、ホンダで四輪操舵、先進運転支援システム、人間型二足歩行ロボットなどの研究開発をしていた古川修(ふるかわ・よしみ)氏。
当時、自動車業界では知らぬ者のない美食家だったそうです。
その後、栃木県で蕎麦栽培を通じた蕎麦愛好会を主宰、さらに日本酒にも造詣が深く、全国の蔵元、酒屋、居酒屋と交友し、「素顔の日本酒を愛する会」を立ち上げたのだそうです。

というわけで、この本は“蕎麦屋酒”入門者にも基本的なことからみっちり書かれているので教科書的に読むことも出来ますし、すでに蕎麦、日本酒好きな人にも、蕎麦の育て方から挽き方、そこからそば切りに至るまでの工程がこと細かに書かれていて知らなかったことばかりで参考になります。

さらに蕎麦屋で酒を飲むときの酒肴の選び方、そもそものお店の選び方、さらにこんな蕎麦にはこんな日本酒、こんな酒肴にはこんな日本酒という合わせ方まで書かれていて、著者の造詣の深さというか、“底なし”の知識に驚きました。

後半は、著者が薦める蕎麦屋について書かれていて、お品書きまで収録されているので、実際に行ってみるときにはずいぶんと参考になりそうです。

最近はあまり蕎麦屋めぐりをしていないので、この本を参考に出かけてみたいと思いました。

 

俳句を詠んでみる_0027【 寒茜(かんあかね) 後席に乗る 亡(なき)祖父母 】

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亡くなった祖父母が車の後席に乗っている・・という句。

【 寒茜(かんあかね) 後席に乗る 亡(なき)祖父母 】

《背景》季語:寒茜[冬]
不思議な実話。
職場の女性が土日に茨城にある夫の実家(今は空き家、夫が管理のみしている)の掃除に出かけた。
で、月曜に出勤し、いろいろなものが見えてしまう私には、職場の窓の外に明治時代くらいの人に見える老夫婦が心配そうに中をのぞきこんでいるのが見えた。
その、容貌・風体を彼女に伝えると、夫の実家に掛けてあった夫の亡き祖父母に似ているという。
夕刻、帰宅の時間にとなり、駐車場に彼女と向かうと、彼女の車の後部座席にあの祖父母が座っている・・。
一緒に帰ろうというのだ。
彼女はその日、同じ職場のもう一人の女性を駅まで送ろうとしていて、その女性が後席に乗り込もうとすると、なんと、祖父の方が席を立ち、助手席に乗り移った。
思わず笑ってしまった私。
彼女は「何?どうしたの!明日見えたこと教えて」と言いながら車を発車させた。

 

2024/03/28

俳句を詠んでみる_0026【 春愁(はるうれい) 職場への通路(みち) 階段で 】

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勤めていた頃の人事異動後、新しい職場へ向かうときの様子で一句詠みました。

【 春愁(はるうれい) 職場への通路(みち) 階段で 】

《背景》季語:春愁[春]
人事異動で問題・難題山積の職場に動いた。
やることは沢山・・。
朝、職場の建物に入ると、皆はエレベーターに乗り込んでいる。
自分は、もう帰りたいし、誰とも顔も合わせたくない心境。
暗く、誰も歩いていない階段室を選び、職場のある三階へ向かった。

 

2024/03/27

俳句を詠んでみる_0025【 春の雪 富山の銀盤 江戸で呑む 】

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富山の美味しいお酒のことを思い出して詠みました。

【 春の雪 富山の銀盤 江戸で呑む 】

《背景》季語:春の雪[春]
春になって降る雪、解けやすく積もってもすぐ消える。
そんな雪をながめつつ、友と酒を酌み交わす。
「このお酒おいしいね」と銘柄を見ると、富山の「銀盤」・・雪の富山を想いつつ江戸(東京)の居酒屋でのひとコマ。

 

 

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2024/03/26

「俳句と暮らす/小川軽舟」を読みました。

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『俳句と暮らす/小川軽舟著(中公新書)』という本を古本で読みました。

ずいぶんと前に手に入れていたのですが、その時点では俳句というものはきちんとした作者がいて、それを鑑賞するものと思っていました。
自分には書けないとずっと思っていて、それが今やほぼ毎日最低一句は詠んでいて、ブログにアップするようになりました。すでにストックが二十句以上ある・・(#^.^#)

そんな状況になって、読む気が起こったわけです(*^^*)現金なもんだ!

で、著者の小川軽舟氏は、俳人で、様々な受賞もされている方ですが、この本を書かれている時点では、会社勤めをしていて、しかも単身赴任中。

赴任先での食事の様子など“台所俳句(この本で初めて知った)”的なものから近所の散歩、さらに奥さんと会う時のことなども詠まれていて、私はとても俳句を身近なものに感じました。

そして夫婦間のことを詠んだり、病を得て詠んだもの、死を強く意識して詠んだ作者と作品がいくつも紹介されていて、私には俳句の間口の広さと奥の深さも感じました。
俳句が自分にとって身の回りにいつもあるのだ、という感覚になってきた自分がいます。

様々な作者の俳句が紹介されているので、これからも机上に置いて、参考にしようと思っています。

ところで、「お前は最近何を思ってか、俳句をブログにアップしているが、たいしたものでもないのにどうしちゃったんだ?」という声が聞こえてきそうな気がします。

でもね、いいの!

“まぐれ”で、夏井いつきさんの句会ライブで優勝し、「俳句界の裾野になってほしい」という夏井さんの言葉にも影響され、そして「自分のような者でも俳句を書いてもいいんだ、書けるんだ」と思い、日々作った俳句のアップを続けているのです。

毎日頭に浮かんだテーマのようなものから捻り出しているのですが、楽しい反面、“生みの苦しみ”のようなものもあります。
でも、結局それが“楽しい”(*^^*)

というわけで、これからも駄作、凡作が多いとは思いますが、楽しみながら詠んでいきます。

以上、「俳句と暮らす」の感想と、私の俳句づくりの決意でした。

 

俳句を詠んでみる_0024【 妻がささえ 脚立で剪定(せんてい) ハナモモよ 】

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このあいだ予定よりちょっと遅れましたが、庭の木々の剪定をしました。

【 妻がささえ 脚立で剪定(せんてい) ハナモモよ 】

《背景》季語:剪定[春]
すぐに枝が伸び、大きくなるハナモモ。
妻と庭に出て脚立を立てて、足元のぐらぐらを妻が支えてくれた。
二人でここを切ろう、あれは生かそうと剪定。
花をつける頃には、又、立派な枝ぶりになっているのだ。

 

2024/03/25

俳句を詠んでみる_0023【 啄木鳥(けらつつき) 真円の窓 番(つが)い居り 】

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数年前に我が家にやってきたキツツキを思い出して一句。

【 啄木鳥(けらつつき) 真円の窓 番(つが)い居り 】

《背景》季語:啄木鳥[秋]
庭からコンコンと何か叩くような音がしていて気になっていた。
何日か後、外に出てみると庭の木にまん丸のきれいな穴が開いていた。
離れて観察していたら、二羽のキツツキが番(つが)いとなって、穴に出入りするのが見てとれた。
自宅でこの光景が見られたことに喜びを感じた。

 

2024/03/24

俳句を詠んでみる_0022【 短夜(みじかよ)に 2Bで推敲 下五(しもご)出ぬ 】

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あの句会ライブ優勝から“ヘタでもいい”と日々句を詠んでいます、その過程のよろこびと生みの苦しみから一句。

【 短夜(みじかよ)に 2Bで推敲 下五(しもご)出ぬ 】

《背景》季語:短夜[夏]
短い夏の夜に、2Bの鉛筆であれこれ書いたり、消したりしながら一句捻っている様子。
最後の下五(しもご)が出てこない。

 

2024/03/23

俳句を詠んでみる_0021【 能登鳴動 寒晴(かんばれ)に立つ “日本水準原点(げんてん)” 】

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国会の向かい側にある日本水準原点のことを思い出して詠んだ。

【 能登鳴動 寒晴(かんばれ)に立つ “日本水準原点(げんてん)” 】

《背景》季語:寒晴[冬]
日本水準原点は、国会の正面、憲政記念公園の中、ローマ神殿形式の石造りの建造物(国の重要文化財に指定)に納まって国土の“基準地点”として立っている。
冬、寒晴の震災の日にも微動だにせず、水晶板を保持している。
向かい側に立つ国会は、政治の“基準地点”であるが、大揺れである。

 

2024/03/22

「おしゃべりの思想/外山滋比古」を読みました。

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『おしゃべりの思想/外山滋比古著(ちくま文庫)』という本を読みました。
古本で手に入れましたが、1980年6月に毎日新聞社から刊行された『ことばの四季』を精選・再編集し、書き下ろしも加えられています。そして2013年に文庫本として発行されています。

著者が言葉について、そして特に街に出て聞いた言葉や縦書き・横書きについて、テンとマルについて、語尾の処理などについても書かれていました。
日々変わりつつある言葉についても敏感に感じ取られていたことがわかりました。

私がおもしろいと思ったのは、昔、こどもがかけっこをするときの合図に、「ガッテンショー・ドン」と言ったという話です。
著者がこどもの頃の名古屋では「オーヤマゲッセン・ドン」と言っていたとのこと?(・。・;

実は前者は「アテンション(用意!)・ドン(ピストルの音)」だったということがわかり、後者は、「オン・ザ・マーク ゲット・セット ドン」なんだそうで、そういえばオリンピックなどでも100メートル走のスタート時にこんなふうに言っていたように思います。

言われてみると、なあるほど!となります(#^.^#)

もうひとつ、すでにこの本が書かれている時点で「手紙」というものが衰退の一途を辿っているような記述がありました。
著者は、「手紙を書くのは、文章の練習になる。学校でも作文を書かせるよりは手紙を書かせた方がはるかに実際的ではないか。」と言っています。

そして、この時期でもほとんどの人が携帯電話がいちばんの伝達手段になっていて、手紙を書くのはめんどうだという人が多いとも書かれています。
著者は「手紙を書くのはめんどうだという人が多いけれども、めんどうでない文化などあるものではない。」とも書いていますが、もう“多勢に無勢”です。

今の私にとっても、手紙を個人あてに書くなどということは、中学時代の担任の先生とのやり取り以外に無くなりました。

ある人から「あのぅ・・私、〇〇さんから手紙をもらったんですけど、どうすればいいんですか?」と聞かれたことがありました。

「返事を書けばいいんじゃないですか」と言ったんですけど、「手紙なんて書いたことがありません。困ったなぁ。」という返事でした。

挨拶でもお礼でも、なんでもいいから書けばいいんですよ。と言ったものの、手紙を書くことがすでに今の人にはハードルが高いんだな、ということがわかりました。

この本は、読んでいると、時代が古いので「ああ、昔はそんなだったなぁ」ということも多かったのですが、でも、人として言葉を操るときには「これが大事だ」ということが書かれていました。
頭と心の栄養になりました。

 

俳句を詠んでみる_0020【 麗(うらら)かな日 言葉の花束受け取る 】

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職場を去るときに受け取ったもの・・

【 麗(うらら)かな日 言葉の花束受け取る 】

《背景》季語:麗か:[春]
妻が新しい仕事を見つけ、長年勤めた職場を辞めることにした。
職場を去る日には、今までお世話になった人や、一緒に働いた人、思わぬ人からも花、手紙や品物をいただいた。
大きな花束と共に大切な言葉も花束のように受け取った様子を詠んでみた。

 

2024/03/21

俳句を詠んでみる_0019【 内示受け 辛夷(こぶし)の蕾(つぼみ) 固くなる 】

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人事異動、内示のシーズンです。そんな時のことを詠んでみました。

【 内示受け 辛夷(こぶし)の蕾(つぼみ) 固くなる 】

《背景》季語:辛夷(こぶし)[春]
毎年、こぶしの花がつぼみを持つ頃になると、人事異動の内示が出る。
意に添うような異動先であれば、これからつぼみが開き花を咲かせるような気持ちになるのだが、意に添わぬ厳しい職場への異動であれば、不安と緊張で委縮して、つぼみは固いままになりそうだ・・という毎年この時期にやってくる感情を詠んでみた。

 

2024/03/20

香山リカさんの『いまどきの「常識」』を読みました。

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『いまどきの「常識」/香山リカ著(岩波新書)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2005年第一刷発行となっていました。

約二十年前のものですが、読んでみると、もうこの頃からこんな現象が出ていたのか、というようなことが書かれていました。

たとえば、「泣くと決めて観る映画」なんてフレーズが週刊誌はじめ、けっこう流布していたことがわかりました。それは今も変わっていないみたい。

現実離れしていようが、内容はさほどたいしたものでなくても、困難や、恋愛、難病などを表面的に描いただけのドラマなどについて「泣けたよね~」「超感動」などというフレーズで当時の人が夢中になっている様子がわかりました。

その他にも、「あの人はバカ」と先に言ってしまえば自分はバカじゃないと思う人。

すべてお金が人生・生活の基本となっている人、現実がいかに捻じ曲がっていても、その現実には従うしかないという人、いつもゆっくりしたい、ラクしたいと言っている人、男は男らしく、女は女らしくというが大前提の人、すべてを自己責任という言葉で片付ける人、外国人はとにかく危険という人、平和・反戦にとらわれるのは頭が古いという人、何よりも人権よりも国益優先という人、戦争にならぬよう外交努力をするよりも軍隊を持ってこその普通の国だという人、ナショナリズムは普通で健全で自然・・という人などなど・・(^_^;)

二十年前から変わっていない・・というよりも悪化しているのが現在じゃないかと思いました。
そして、今まさにその“膿”が出始めたところなんじゃないでしょうか。
でも、“膿”は出たがらないねぇ(^-^;

どなたかが「X(Twitter)」で書かれていましたが、脱税している奴らが納税を訴え、法律を守らない奴らが憲法改正を叫び、戦争へ行かない奴らが戦争の準備をしている・・。
そんな膿が今、果たして出切るのか・・と思いつつ読了いたしました。

 

俳句を詠んでみる_0018【 議事堂に雷(かみなり)落つ 天・立腹 】

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十数年前、国会議事堂を上方から見る機会があり・・

【 議事堂に雷(かみなり)落つ 天・立腹 】

《背景》季語:雷[夏]
十数年前に国会議事堂の外壁クリーニングが終わり、さらに裏向かいに立つ議員会館も新しくなった。
当時、仕事で出入りしていた議員会館から議事堂を見ていると、案内していただいた守衛のトップの方から「議事堂の“てっぺん”を見てごらんなさい。以前、落雷があり、頭頂部に落ちた。下に行ってみると大きなかけらが散っていた。」との話を聞いた。
確かに頭頂部が欠けていた。
「国会の“ふがいなさ”に、天が立腹して一発落としたんじゃないのかな。」というそれこそきついお言葉だった。
今の国会を見てもそれは全く変わっていない・・と感じ、一句詠んだ。

 

2024/03/19

俳句を詠んでみる_0017【 春障子(はるしょうじ) すすと開ければ 木の葉パン 】

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木の葉パンって知っていますか?

【 春障子(はるしょうじ) すすと開ければ 木の葉パン 】

《背景》季語:春障子[春]
うららかな午後、冬が終わり春になると、指先で軽く開く茶の間の障子。
開けてみれば、卓袱台(ちゃぶだい)に「木の葉パン」。

千葉の旭、八日市場、銚子などでは、「パン」と言うと、この「木の葉パン」のことだそう。

小麦粉、鶏卵、バター、砂糖だけの原料でつくる素朴でふんわりホロホロとした食感の菓子パン。
ほのぼのとした、田舎の3時のおやつを詠んだ。

 

2024/03/18

「芸人と俳人/又吉直樹・堀本祐樹」という本を読みました。

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『芸人と俳人/又吉直樹・堀本祐樹(集英社)』という本を読みました。
「すばる」2012年10月号~2014年10月号に「ササる俳句 笑う俳句」として連載されたものを書き下ろし原稿を加え、さらに加筆修正して単行本化したものです。古本で手に入れました。

又吉さんについては、それまで自由律俳句などの本を出したりはしていたものの、「有季定型」の俳句についてはこの本を読むと“尻込み”していたようです。

で、共著となっている俳人の堀本祐樹さんの懇切丁寧な指導というか、一緒に毎回「五七五の定型」「季語」「切字」「こまかい“技”」「先人の句集」「選句」「句会に挑戦」「吟行」などを覚え、経験していく・・という本なのです。

これが私のような俳句初心者にはとても勉強になりました。
特に「切字」や・かな・けりのつかい方なんて全くわからなかった私にとっては「そうか、そうだったのか!」と目から鱗が落ちるようでした。
これなら使えるっ!と思えるところまで例示を含め、又吉さんと共に勉強することができました。

あとは、もうふたつ、恐怖を覚えるくらいのもの・・。
「句会」と「吟行」です。

句会については、このブログでご紹介した「夏井いつきの句会ライブ」で、すこし簡易的・疑似的体験をいたしましたが、本物の句会はやはり素人にはハードルが高そうです。
でも、いつか経験してみたいです。

そして、吟行。
誰か句を詠む人たちと一緒に出かけてみたいです。それにはまず句会というものを体験せねばならないと思いますが。

この本では、いろいろチャレンジする項目を次々と又吉さんが経験、習得し、その様子が俳句初心者には勇気をもらえるような形で書かれていて、俳句関係の書籍としては特異なわかりやすさでした。

また、俳句の楽しさと、その表現力の深さについても体験的にわかりました。
これからも時々参考に見ながら、私の俳句初心者から中級者への“道しるべ”としたいと思います。

 

俳句を詠んでみる_0016【 恋破れ オフィーリアに似た水中花 】

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今回は自らのことでなく、恋に破れた女性について詠んでみました。

【 恋破れ オフィーリアに似た水中花 】

《背景》季語:水中花[夏]
失恋した女性が、悲しみの中街を歩いていると、お店のディスプレイに「水中花」があった。
それを見て、自分はシェイクスピアのハムレットに出てきたオフィーリアみたいだなと沈む。
オフィーリアは、ハムレットの恋人として登場するが、父の命令でその愛をあきらめ、「尼寺の場」では狂気、錯乱、果ては小川で溺死。
野の花を配って歌い歩く狂乱の場も、最後の死の場面も自分のよう・・・と、あらためて水中花を見る。

 

2024/03/17

俳句を詠んでみる_0015【 涼風(すずかぜ)に ハーンの法螺(ほら)貝 セツの耳 】

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昨年、松江にあるラフカディオ・ハーン旧居を訪れた、そのとき目についたものについて句にしました。

【 涼風(すずかぜ)に ハーンの法螺(ほら)貝 セツの耳 】

《背景》季語:涼風[夏]
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、妻セツからの江ノ島土産である「法螺貝」を煙管の火が無くなると吹いて知らせるのを大層楽しみにしていたそうです。
ハーンは仕事中、家人がうるさくするのを嫌っていたため、夫人のセツはじめ子供達は静かにしていたのですが、突然「ボォー、ウォー」と鳴り響く法螺貝の音、セツの耳に飛び込んできたことでしょう。
そんな様子を詠んでみました。

※昨年、松江にあるハーンの旧居に行ってみました。
書斎の机には法螺貝(レプリカ)が置かれていました。
ハーンが吹いた実物の法螺貝は、隣の記念館に保管され、実際に見ることが出来ました。

 

2024/03/16

俳句を詠んでみる_0014【 日盛りに 焙(あぶ)る 珈琲豆(まめ) 見し 吾(われ) じゃくう 】

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毎朝、家族に淹れている珈琲。今回はそれを題材にしてみました。

【 日盛りに 焙(あぶ)る 珈琲豆(まめ) 見し 吾(われ) じゃくう 】

《背景》季語:日盛り[夏]
夏の日盛りに珈琲豆を買いに行く。
店内では焙煎の真っ最中。
どの豆にしようかと選りすぐる自分は“熟した美味しい珈琲豆しか食べない鳥”「じゃくう鳥」のようだと思わず微笑む。

 

2024/03/15

俳句を詠んでみる_0013【 千光寺 坂の途上で 冷やし飴 】

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尾道の千光寺への坂道を夏の暑い日に歩いて登ったときのことを思い出して・・。

【 千光寺 坂の途上で 冷やし飴 】

《背景》季語:冷やし飴[夏]
結婚した翌年の夏、妻と尾道の旅に出ました。
山の上にある千光寺へは長い坂道を歩いて登りました。
山頂の展望からは、市内が一望でき、瀬戸内の島々が眺められるのですが、道中は夏の暑さと長い坂道でたいへん。
途中、「冷やし飴」を売っている売店があり、「ここで休憩」と、二人で腰をおろして飲みました。
初めて飲む冷やし飴は不思議な、想像とは異なるものでしたが、良い想い出になりました。

※冷やし飴は、水あめを湯で溶いて、しょうが汁などを加え、冷やしたものだそうです。

 

2024/03/14

俳句を詠んでみる_0012【 冬の風 点滴の管 空分ける 】

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病室のベッドにいたときのことを思い出して句を詠みました。

【 冬の風 点滴の管 空分ける 】

《背景》季語:冬の風[冬]
数年前、大病し、入院。結局仕事を辞めるきっかけとなった。
ベッドから起き上がることも出来ず、身体には点滴、酸素吸入、心電図、その他モニターの線などがくくりつけられた。
窓の外はビュウビュウと冬の風が吹き、ベッドから見上げると数々の管を透していくつかに区切られた空が見えた。

 

椎名誠さんの「流木焚火の黄金時間」を読みました。

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『流木焚火の黄金時間 -ナマコのからえばり7-/椎名誠著(毎日新聞社)』という本を古本で読みました。
「サンデー毎日」に2012年4月から12月まで連載されたものをまとめたもので、2013年に発行されています。

今から十年ちょっと前の本で、読んでみると、椎名さんはそれまでの世界中をめぐって、冒険的な旅をしていた頃からちょっとエンジン回転を下げているような感じがありました。

自分の「死」についての本を書き上げた後であり、これから「不眠症」についての本を書くところあたりの椎名さんです。
このブログではすでに「死」について書かれたものについても「不眠症」について書かれたものについてもご紹介していますが、椎名さんの人生の岐路にあたる時期だったのだろうと、今にして思いつつ読みました。

でも、基本的に椎名さんの興味の対象、怒りの対象、あきれる対象などに変化はなく、相変わらずの楽しい本でした。

テレビに出てくる霊能者のあやしさについて書かれたかと思うと、実際にご自身が外国に出かけた際に、「歴史ある土地の、いまだに処分されない建物にはなるべく入らないほうがいい」という教訓についても書かれていました。
霊能者はちとあやしいが、でも、実際に霊的な“ヤバい”ところは存在する・・という話でした。

かつてカヌーで川下りしていた頃の話も書かれていましたが、孟宗竹の生えている中州でキャンプし、その竹を手頃の大きさに切り、竹節を利用した酒の器をつくって、それを火にあてて燗をつけると竹の内側のアブラ分が酒にとけて、味わい深い「カッポ酒」というものになり、なんとも味わい深い・・などという・・おいしそうだなぁと思う話もありました。

そんな椎名さんのいつものお話しは、読んでいて心安らぎます。
これは学生時代から読んでいて変わらないことです。
椎名さん、いつまでもありがとう(*^^*)

 

2024/03/13

俳句を詠んでみる_0011【 ナポリタン 夏野菜入り 赤い皿 】

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家ではよくナポリタンをつくるのですが、頭の中でつくるところを想像していたら、この句ができました。

【 ナポリタン 夏野菜入り 赤い皿 】

《背景》季語:夏野菜[夏]
ふだんは、玉ねぎ、ソーセージくらいを入れて簡単に炒めてつくるナポリタンだが、夏野菜をふんだんに入れて気合いの入ったスパゲティーとなった。
“赤い皿”に盛ったら、パワー炸裂!

 

2024/03/12

南隆一先生の絵画造形展に行ってきました。

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JR飯岡駅に併設されている「海上ふれあい館」で開催されている『南隆一 絵画造形展』に先週出かけました。
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南隆一先生は、私の中学時代の担任で美術の先生です。毎度このブログには登場するのでお馴染みかと思いますが。
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今回も、スピーカーを何台か持ち込み、アナログ盤を中心にジャズや古い歌謡曲などが流れる中、先生独自の作品がところ狭しと並べられていました。
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「長年こういうふうにやっていると、絵が動いて見えるんだよ」
などと“南節”も出て ^^; 先生、“ノッて”いました。
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今回は、割と大きな作品も持ち込まれていたり、造形作品もたくさんあって、楽しい展示になっていました。
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造形作品は、作品そのものにモーターが取り付けられていて、回転しているものもありました。これも近年、先生がよくつかう展示方法です。
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また、額縁の周りを流木でデコレートした作品もあり、変化にとんでいるし、それを見た人たちと先生の会話も弾んでいました。
おかけで、私も初めてお目にかかる方何人もとお話しすることができました。貴重な機会です。
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今回の展示は、14日(木)まで開催されています。
飯岡駅辺りなら行けるぞ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ足を運んでいただければと思います。
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バラエティーに富んだ作品と、南先生ご自身が会場にいれば楽しい会話に、いい時間が過ごせると思います。
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俳句を詠んでみる_0010【 竜の玉 悟空・アラレと スランプ逝く 】

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きょうは別の句も出来ていたのですが、鳥山明先生の訃報が心に残っていて、先生を想い、一句詠みました。

【 竜の玉 悟空・アラレと スランプ逝く 】

《背景》季語:竜の玉:[冬]
「竜の玉」という、ユリ科の多年草があることを知りました。
竜の髯のような線形の葉が多数、そこに不思議な瑠璃色に熟す玉は、まさに「ドラゴンボール・竜の玉」。
それを図鑑で見ていたら、偶然に漫画家・鳥山明先生の訃報が突然入り驚きました。
“ドラゴンボール”と“竜の玉”!!
最初に見たとき、きれいでイラストのようだと感じた「ドクタースランプ」から始まり、先生の作品にはとても楽しませていただきました。
そこでこの句を詠み、急遽予定外にブログにアップすることにしました。

 

2024/03/11

俳句を詠んでみる_0009【 川に入(い)る 尻焼の湯に 紅葉(もみじ)散る 】

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今回は山奥の秘湯に行ったときのこと

【 川に入(い)る 尻焼きの湯に 紅葉(もみじ)散る 】

《背景》季語:紅葉散る[秋]
以前、職場の仲間と行った群馬県吾妻郡六合(くに)村にある尻焼(しりやき)温泉。
そこは、大きな川そのものが温泉となって流れています。
川の前面には、素晴らしい紅葉が広がっていて、圧巻!
その温泉の川に入っていると、紅葉した木の葉が散って、湯気の立つ川の中に赤や黄色が落ちてゆく。
その様子を詠んだものです。

 

田中兆子さんの「私のことならほっといて」を読みました。

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『私のことならほっといて/田中兆子著(新潮文庫)』を古本で見つけ、読みました。
著者、田中兆子さんの本を読んだのは初めてですが、けっこう刺激的でした。

短編集なのですが、夫が亡くなり、火葬場から帰宅するとベッドの上に夫の丸太のような片脚が置かれていた・・なんて話もありました。
とっさに川端康成の「片腕」を思い出したのですが、巻末に「作中にて引用・参考としました」と記されていました。川端の「片腕」も奇想天外な話ですが、この田中兆子さんの「片脚」も凄い話でした。

脚に意思があるが如く、夫の死後もその脚と近づいたり、物入に入れっ放しにしたり、捨てに行こうとしたり・・それぞれの脚との行動と主人公の女性の心の動きに、もともと現実的には成立しない話なのに、「どうなってしまうのだろう」と夢中で最後まで読んでしまいました。

その他にもふつうの生活をしていた女性が宇宙人に捉えられ、宇宙人の動物園で飼育される話(その間に米中戦争が起こり、地球は消滅してしまう)・・だとか、けっこう性的な描写が入っているのに登場する女性は男性に対して非常に割り切った、いかにも現代的な考え方をしている話などもありました。

読んでいると、今生きている人たちの心の中って、こういうことになっている人が多いんじゃないか、などと私は感じました。

ドライっていえばドライだし、特定の事象に対しては異常なくらい執着したりもする。

夢で見た男との行為が忘れられなくなり、だんだん夢の世界が現実の自己の世界を浸食し、読んでいるとどこまでが日々の生活で、どこまでが夢なのか私もわからなくなる話もありました。

どの話も、不思議で、しかも感情移入しようとすると“突き返される”という・・面白いが不愉快 ^^; みたいな世界で、“ついつい読んじゃった”感じで読了いたしました。

 

2024/03/10

俳句を詠んでみる_0008【 境内 ひとときの 雨やどり 心太(ところてん) 】

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今回は、出張先で突然できたひとときの話を句に。字足らず、字余り、ごめんなさい。

【 境内 ひとときの 雨やどり 心太(ところてん) 】

《背景》季語:心太(ところてん)[夏]
出張で出掛けた訪問先で、仕事のあと、先方が神社仏閣を案内してくださった。
しかし、境内をそぞろ歩いていると、突然の“にわか雨”。
皆で境内の茶店に飛び込んだ。
その際、「ところてんでもいかがですか」と心づかいをいただき、皆で“雨やみ待ち”をしながら心太(ところてん)をいただいた。
その時のようすを詠んでみました。

 

2024/03/09

俳句を詠んでみる_0007【 風光る にぎる ハンドル 9時10分 】

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ドライブに出かけた時のことを詠んでみました。

【 風光る にぎるハンドル 9時10分 】

《背景》季語:風光る[春]
春光あふれ、吹く風の中をドライブする様子。
ハンドルを握る両手の位置は9時10分を指している。

 

2024/03/08

俳句を読んでみる_0006【 神在月(かみありづき) 三段の夢 割り子そば 】

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今回は、出雲大社に旅に出たときに詠んだ句

【 神在月(かみありづき) 三段の夢 割り子そば 】

《背景》季語:神在月[冬]※陰暦十月
日本中の神様が出雲に向かい神無月、そんなとき出雲は「神“在”月」。
出雲大社に妻と旅に出て、お昼に到着。
まず、大社脇の店で、名物『割り子そば』を食べました。
三段重ねの器を見て、これから参拝しての夢が重なっているように感じました。

 

2024/03/07

俳句を詠んでみる_0005【 宵闇に 針落とす CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル) 廻り舞台 】

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今回は夜にアナログレコードを聴くときのことを

【 宵闇に 針落とす CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル) 廻り舞台 】

《背景》季語:宵闇[秋]
突然、頭の中に御殿とか舞台という言葉が浮かび、そこから 舞台=ターンテーブル と連想して、夜遅くから明け方にかけてレコードを掛ける一人夜の楽しみを書いてみた。

レコードというと、時代的にCCRがすぐに思い浮かんだ。

 

2024/03/06

「三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久」を読みました。

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『三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久著(PHP文芸文庫)』という本を読みました。

著者、玄侑宗久さんが雑誌、新聞、広報誌などに寄せた文をまとめたもので、当初「玄侑和尚と禅を暮らす」というタイトルで2007年に刊行され、その後加筆し改題、2010年に文庫化されたものです。

なので、自分を楽しむ、仕事を楽しむ、学ぶことを楽しむ・・など八章に分けてまとめられているものの、内容的はあまり“つながり”を感じるものではありませんでした。
文体もかなり異なったり、重きを置いている部分が異なったり、気楽な感じがするところもあるが、かなり専門的な用語を用いて難しい話をしているところもありました。

私が特に気になったところというか、参考になったのは、目標を決めてそれに向かって邁進していくのもいいのかもしれないが、少しでも計画からずれてしまったり、進捗状況がはかばかしくない時などの精神的な落ち込みや、あせりなどは、生きていく上であまり深刻に捉えるものではないのだ、というようなことが書かれた部分でした。

上記のような“妙なゾーン”にはまってしまうと、けっこう苦しんだり、道を誤ったり、人間関係や家族関係などにも大きく影響してしまうことが多々あることを経験上学んできたからです。

でも、それが人として生きていくうえでの一番の悩みになってしまうのもわかっています。
だからそこで宗教が登場するのだと思います・・。

それからもうひとつ。
時間という概念自体がある意味間違った概念じゃないかという話でした。
私たちが今生きていて、この一瞬、この一瞬が次々と切り取られ、時間軸というものに並べられて「時間」という連続的なものになっていると皆が思っているかもしれないけれど、でもそういう、並べられたもの、あるいは流れて行くもの、というものではないという概念もあるんじゃないかということでした。

今は、今。今ある自分、今いる自分を良くして生きていく、そんな考え方もあるのかもしれません。
私の感覚でいうと、成功したことなどはいわゆる時間的概念が大きく“ものを言って”「あのときあそこで我慢したからよかったのだ」そして自分は成功したのだ、などと気分的にも高揚して思い返したりするのですが、でもそれが失敗経験だったりすると、“永遠の後悔”になりかねません。

ようするに考え方、気の持ち方で自分というものをうまく生かしていくことがある程度可能なんだ、ということなのだと私は捉えました。

深く読めば、かなり重い話も書かれていましたが、少し気分を軽くして読んでみたので、参考になることがたくさん書かれた本として楽しめました。

 

俳句を詠んでみる_0004【 息白し ピタと調弦 きまる 朝 】

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今回は、自室のギターで詠んでみた

【息白し ピタと調弦 きまる 朝】

《背景》季語:息白し[冬]
寒い朝、部屋に入り、最近買った“年寄りの手習い”のギター、弾いてみようかとチューニングすると、どの弦もピタリと音程が決まった。
そんな様子を詠んでみました。

 

2024/03/05

俳句を詠んでみる_0003【 どうするの… イーヨ・イーヨ と 鵯(ひよどり)の声 】

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今回は庭に出てみたら・・で一句。

【 どうするの… イーヨ・イーヨ と鵯(ひよどり)の声】

《背景》季語:鵯[秋]
困りごと、心配ごとが重なり、思わず庭に出て空を見上げた…その時、庭で鳴く甲高い鳥の鳴き声が「イーヨ・イーヨ」と聞こえ、なんだかこれでいいんだと思った。

“イーヨ・イーヨと鳴く鳥”で検索してみたら、「ヒヨドリである」と出てきました。
思わずほっとして笑ってしまった鳴き声「イーヨ・イーヨ」を使って詠んでみました。

 

2024/03/04

梅棹忠夫氏が語り小山修三氏が聞く「梅棹忠夫 語る」を詠みました。

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『梅棹忠夫 語る/梅棹忠夫(語り手)小山修三(聞き手)(日経プレミアシリーズ)』という新書版サイズの古本を読みました。

2010年に第一刷発行となっています。1920年生まれの梅棹氏の話を1939年生まれの小山氏が聞いていく形で進められた本でした。

前半は梅棹さんが南極観測や、様々な国の文明の生態史観のためにいろいろな国に出かけ、どんなフィールドワークをやったのか、また記録の仕方、残し方などについて語っていましたが、偏見なしに現地で見たもの、聞いたことそのものを残していくにはどうしたらよいのかということが語られていました。

それには「絵」も必要で、風景については写真だが、いろいろな民族的な道具などは絵がいいと、それもわかりやすく、さらにそれらを記録する文もわかりやすく、さらに論文という形になっても誰にもわかりやすいものにすることが大切だとおっしゃっていました。

大切なことだと思いました。

いつ頃からか、学術的な文章って、“わざと”わかり難く、難解なものが多いと感じていました。
さらに新書版などで書き下ろしで出されるものについてまで、「何言ってんだかわからない」(^_^;)ややこしい文章が多いと私は感じていました。
・・私がいまひとつ理解度が低いことも要因かと思われますが・・。

この“語り”での梅棹氏のおっしゃっていることは、ご本人が言うようにやはり分かりやすいものになっていました。

それから後半に入ってとても印象的だったのは、梅棹氏は《情報》というものを当時からとても大切な“産業”であると語っていることでした。

『知的生産』と呼び、情報をひとつの産業と見ているのです。

その時代からの現実を見ていると、まさに『情報』が世の中を、世界を駆け巡り、“席捲”しています。
情報に大きな価値があることを当時から強調されていたことがわかりました。

今からでも遅くない、現在日本は情報に“翻弄”されているのではないかと思うのですが、情報というものに大きな価値を認め、その立ち位置をしっかり見つめることが大事じゃないかと思います。
大谷選手の結婚の話題だけで、二十分も三十分もコメンテーターという名のあやしい人たちがニコニコわいわいやっている間に、大きな事が動いている・・それを情報としてしっかりと捉えないと・・と思うのです。

というわけで、2010年に梅棹さんは亡くなられていますが、先人の知識や語りには耳を傾け、自分はどう感じるか、考えるか、ということが大切なことだと感じた一冊でした。

 

2024/03/03

俳句を詠んでみる_0002【 背の灸に まどろむ寝台 春の朝 】

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さっそく俳句をつくってみました。お題は「お灸」で。

【 背の灸に まどろむ寝台 春の朝 】

《背景》季語:春の朝[春]
昨年、家での片付け後に首筋から肩・腕にかけて痛みが消えず、評判を聞いた鍼灸院に行きました。
現在、症状はかなり良くなったのですが、その鍼灸院での私を詠みました。

朝から鍼灸院に入り施術。施術用寝台で背中のお灸の温かさを感じ、思わず微睡む様子を詠みました。

このブログに「俳句を書くことにした」と書き、自分で自分を逃げられないようにしました(^-^; でも、つくってみれば“生みの苦しみ”はありますが、それも楽しい!
今後も書いていきますよぉ~(#^.^#)

 

2024/03/01

夏井先生の「句会ライブ」優勝賞品でいただいた『2024年版 夏井いつきの365日季語手帳』を読みました。

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『2024年版 夏井いつきの365日季語手帳/夏井いつき著(レゾンクリエイト)』を読みました。
すでにご紹介いたしましたが、2月24日に市原市民会館で開かれたテレビ番組・プレバト俳句コーナーでお馴染みの夏井いつき先生の「句会ライブ」で私が優勝したときの賞品としていただいたご著書です。

一年365日それぞれに季語を付して、さまざまな方の句を紹介し(梅沢富雄さんのものもありました)、先生から発想のヒントも随所に書かれている本でした。

・・で、私、決心いたしました。

俳句をこれから毎日とは言わずとも、一週間に一~二句くらいは詠んでみようと(^_^;)

先だっての句会ライブで書いた俳句が私の人生最初の俳句でした。
思わぬビギナーズラックで優勝という信じられないものを得ましたが、今まで何度も書いてみようと思いつつ、やってみると何も思いつかない ^_^; ということで、あきらめていたものの、あの日になんとか書くことが出来たので、せっかくだから俳句を継続的に詠んでみようと“大決心”いたしました(*^^*)

いただいたこの本、今まで私がまったく知らなかった季語が満載でした。
そして、初めて経験する俳句を読むことによる“痺れるような感覚”、下手くそでもいいから私も何か書いてみたいと思ったのです。

そして、季語やその他俳句知識に乏しい私なので、写真にあるような「俳句歳時記」と「言葉の歳時記」という本も手に入れてみました。

とりあえず、一週間に一句はなんとか詠んでみたいと思っています。

今、すこし“ワクワク”しているところです!

 

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