「三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久」を読みました。
『三昧力(ざんまいりき)/玄侑宗久著(PHP文芸文庫)』という本を読みました。
著者、玄侑宗久さんが雑誌、新聞、広報誌などに寄せた文をまとめたもので、当初「玄侑和尚と禅を暮らす」というタイトルで2007年に刊行され、その後加筆し改題、2010年に文庫化されたものです。
なので、自分を楽しむ、仕事を楽しむ、学ぶことを楽しむ・・など八章に分けてまとめられているものの、内容的はあまり“つながり”を感じるものではありませんでした。
文体もかなり異なったり、重きを置いている部分が異なったり、気楽な感じがするところもあるが、かなり専門的な用語を用いて難しい話をしているところもありました。
私が特に気になったところというか、参考になったのは、目標を決めてそれに向かって邁進していくのもいいのかもしれないが、少しでも計画からずれてしまったり、進捗状況がはかばかしくない時などの精神的な落ち込みや、あせりなどは、生きていく上であまり深刻に捉えるものではないのだ、というようなことが書かれた部分でした。
上記のような“妙なゾーン”にはまってしまうと、けっこう苦しんだり、道を誤ったり、人間関係や家族関係などにも大きく影響してしまうことが多々あることを経験上学んできたからです。
でも、それが人として生きていくうえでの一番の悩みになってしまうのもわかっています。
だからそこで宗教が登場するのだと思います・・。
それからもうひとつ。
時間という概念自体がある意味間違った概念じゃないかという話でした。
私たちが今生きていて、この一瞬、この一瞬が次々と切り取られ、時間軸というものに並べられて「時間」という連続的なものになっていると皆が思っているかもしれないけれど、でもそういう、並べられたもの、あるいは流れて行くもの、というものではないという概念もあるんじゃないかということでした。
今は、今。今ある自分、今いる自分を良くして生きていく、そんな考え方もあるのかもしれません。
私の感覚でいうと、成功したことなどはいわゆる時間的概念が大きく“ものを言って”「あのときあそこで我慢したからよかったのだ」そして自分は成功したのだ、などと気分的にも高揚して思い返したりするのですが、でもそれが失敗経験だったりすると、“永遠の後悔”になりかねません。
ようするに考え方、気の持ち方で自分というものをうまく生かしていくことがある程度可能なんだ、ということなのだと私は捉えました。
深く読めば、かなり重い話も書かれていましたが、少し気分を軽くして読んでみたので、参考になることがたくさん書かれた本として楽しめました。
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