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2024/10/31

俳句を詠んでみる_0267【 枯野に佇む ギターの音 聞こゆ 】

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すっかり涼しくなったここ数日。
夏の青々とした草原は、一気に枯野となった。そこに佇んでいたら・・という句。

【 枯野に佇む ギターの音 聞こゆ 】

《背景》季語:枯野[冬]
真夏の暑さと繁茂する草が、秋を待たず冬のように一変して枯野に。
その場にこの夏を思い起こして佇んでいると、どこかの家からギターの音が聞こえてきた。
ラジオから流れる曲らしく、「サークル・ゲーム」のギターだった。

 

 

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2024/10/30

「ショージ君の南国たまご騒動/東海林さだお」を読みました。

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『ショージ君の南国たまご騒動/東海林さだお著(文春文庫)』を古本で見つけ、読みました。

けっこう古い本でした。紙面は日に焼け、茶色くなっていて、買うのも躊躇したのですが、面白そうだっので。
「オール読物」1981年2月号~1984年2月号に掲載されたものを単行本として1984年4月に刊行し、1987年9月に文庫化したものです。

この頃の東海林さんの文はかなり“生き”がいい。
テンポよく、展開も早い。
海外にも、国内にも旅行に出掛けていますが、迷わず決定し、行動に移しています。
私がよく読んでいるここ十年以内くらいの本では、どこに行くにも迷ったり、心配したりが先立っていますが、この頃はどんどん出掛けて、どんどん“失敗”したり、怖い目に遭ったりしている・・(^_^;)

時代が時代なだけに、ウォークマンで音楽を聞きながら電車に乗ってくる若者に文句をつけている文もありました。
そうとう見苦しく感じたらしく、その様子を描いたマンガはウォークマンを付けて聞いている若者が“愚か者”を絵に描いたみたいだし、東海林さんは矢印を付けて「バカ、死ね!」とまで書いている(^^;)

当時の大人には、腹に据えかねるものがあったことがよくわかりました。
今や、大人も皆、あのワイヤレスのイヤフォンをつけて、街を歩いているときまで多くの人が聞いていて、すっかり馴染みのシーンとなっています。
こんなことになるなんて、当時の東海林さん、想像もつかなかったことでしょう。

東海林さんが銭湯に行っても、パチンコに行っても、ホテルに行っても、銀行に行っても、当時の世の中の様子が今とは異なっていて、私にとっては「そんな感じだったよなあ」と思い出すことはあっても、今の若い人には考えられない異世界だと思います。

様々な場所では喫煙も可能だったし(職場では当たり前のように仕事しながら煙草を吸っている人がいた)、隔世の感がある文も多くありました。

時代の空気を感じつつ、世の流れを感じることできる昭和五十年代が舞台となっていたこの本、たいへん興味深く、懐かしくも読みました。

 

俳句を詠んでみる_0266【 無花果(いちじく)の ジャム溶けて 朝が始まる 】

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庭に植えたイチジクの木に実が生り、そのジャムを食べて一句詠みました。

【 無花果(いちじく)の ジャム溶けて 朝が始まる 】

《背景》季語:無花果[晩秋]
小さな棒のような状態で買ってきた無花果の木。
あっという間に大きくなり、実を付けました。
その実を煮て、ジャムとコンポートの間くらいの状態にしたものを朝のヨーグルトにのせるのがここ最近の朝の食卓。
ヨーグルトに溶けた無花果に朝の始まりを感じます。

 

2024/10/28

「東京いいまち 一泊旅行/池内紀」を読みました。

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『東京いいまち 一泊旅行/池内紀著(光文社新書)』を読みました。
初出は「小説宝石」に2009年9月から19回にわたって連載されたもので、一部2012年に「東京人増刊葛飾区を楽しむ本」からも加筆修正されたものが加えられています。
この本自体は2012年に初版が発行されています。

著者、池内紀さんはドイツ文学者で、エッセイスト。大学でドイツ語の教師もされた方。
私にとっては、十年以上も前になりますが、NHKのFM放送で「日曜喫茶室」という番組があり、その番組に“ご常連”としてよく出演され、とても穏やかで、優しく、柔らかい話し方が印象的な、とても素敵な老紳士という印象が残っています。

さて、今回のこの本では、池内さんは東京の郊外に住んでいるのにもかかわらず、東京に一泊して“いいまち”を巡るという手法で様々な町を探索されています。

読んでいるうちに、「なるほどね」と思いました。
泊まってしまえば、目的地の朝の様子から見ること、感じることができるのです。

同じ東京だからといって、自宅から出掛ければ、目的地に到着するのは昼前ということになると思います。
そこからの様子と、早起きしてみた現地の様子は自ずと変わったものになるのではないでしょうか。

品川、上野、十条、王子、赤坂、築地明石町、牛込界隈、神田・日本橋などあちこち巡る池内さん、深い知識と、人に対するやさしい眼差しが文に表れていて、読んでいるこちらものんびりと散策を楽しむような気持ちになりました。

その町がある土地の形状や、そもそもの成り立ち、歴史的な建物、神社・仏閣、店など、東京の楽しみ方ってこういうのも“あり”だと思いつつ読みました。

特に上野、赤坂、千住、丸の内、青梅、神田・日本橋などは、今まで行ったことのある所でも別の視線で見て、楽しめるような気がしました。

この本片手に、年内から来年に掛けて、少し歩いてみようと思います。

 

俳句を詠んでみる_0265【 秋に雨蛙 日傘に飛び乗った 】

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公園に散歩に行ったときに出会った雨蛙を詠みました。

【 秋に雨蛙 日傘に飛び乗った 】

《背景》季語:秋[秋]
※雨蛙は夏の季語だが、近年の異常気象により登場の仕方にも変化が有り、この句では
「秋」を季語とし、季節はずれの雨蛙を詠んだ。

妻と大きな自然公園「昭和の森」に出掛けた。
駐車場を出てすぐの建物の中に、妻が雨蛙を発見。
外に出してあげようと日傘を差し出したら、飛び乗って来たところを詠みました。

 

 

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2024/10/27

「失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方/野口恵子」を読みました。

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『失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方/野口恵子(光文社新書)』を読みました。
著者、野口恵子氏は日本語、フランス語教師で、フランス語通訳を経て大学で教鞭を取っている方とのこと。
著書には、「かなり気がかりな日本語」「バカ丁寧化する日本語」などがあります。

この本自体は2013年6月に初版発行となっています。

私自身、気になる言葉づかいや、よく耳にする不思議な敬語などがあり、このブログでも折に触れて書いてきました。

著者、野口氏は実例を丁寧に挙げて解説をしていますが、野口氏の大学の生徒が実際にそうであったように、何度説明しても、その人が育ってきた過程で、親も既に日本語が怪しい・・(^_^;)というようなこともあり、何がおかしいのか、どこがいけないのか理解に苦しんでいる生徒の様子も書かれていました。

私の年代でも、私自身でも、これが果たして正しい使い方なのか、と分らなくなり、戸惑うようなこともあります。
そのあたりも、著者は丁寧に書かれていて、長年の疑問が解消したものもありました。

“議員敬語”みたいなものも気になっていたのですが、例えば「皆様方に“ご議論を”いただいて」「ぜひ“お寄りを”いただいて“ご覧を”いただきたいと思います」「“円高を”“是正を”していきます」など、わざわざ“を”を入れる気持ちのわるい使い方も指摘されていました。

あと、お店でよく聞く「こちら天丼に“なります”」「こちらの商品は二千円に“なります”」「五百円のお返しに“なります”」など、“なります”症候群(^^;)
私もあちこちでよく聞きましたが、「お待たせしました。天丼です」「こちらの商品は二千円です」「五百円のお返しです」でいいですよね。これは既に定着化していると感じています。

ついでにもうひとつ、公務員、特に国家公務員などに多い「になってございます」という謎の言葉遣い。

国会の委員会答弁などで官僚が「すでに先生ご案内かと存じますが、〇〇の数値については資料3ページのとおり“になってございます”」っていうヤツです^_^;

議員同士で「先生」と呼び合うことや、官僚が「先生」と呼ぶこともなんだか変だと思いますし、「すでにご案内」って表現も“なんかイヤ”じゃありませんか。
そもそも“なってござい”ってなんだよ!

上記は、氷山の一角で、実に数多い事例が掲載されていますので、敬語の使い方がもう何がなんだかわからなくなってきた、という私同様の方にはもって来いの本だったと思います。

 

俳句を詠んでみる_0264【 腕の中にいる人 誰か 火恋し 】

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感覚の中にいる人、について詠んでみた。

【 腕の中にいる人 誰か 火恋し 】

《背景》季語:火恋し[晩秋]
腕の中にギュッと人を抱き締める感覚。
それって人ごとに皆全然違う。
そして誰だか目をつぶっていてもわかる。
人恋しく、晩秋に火の“ぬくもり”が恋しい時季に感じたことを詠みました。

 

2024/10/26

俳句を詠んでみる_0263【 秋の日 水まわり 壊れ 立ち尽くす 】

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今年は家の中の色々なものが故障する年のようで、今回はトイレの水まわりが・・。

【 秋の日 水まわり 壊れ 立ち尽くす 】

《背景》季語:秋の日[秋]
すこしばかり涼しくなってきた秋のある日。
トイレの便座を降ろしたら、バキッという音がして、片方の蝶番(ちょうつがい)の部分が割れてしまった。
電気的な部分にも影響したのか、電源も落ち、温水も出ない。
家族は皆出払っていて自分だけ・・。
立ち尽くしてしまった。

 

 

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「東京歳時記 今が一番いい時/出久根達郎」を読みました。

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『東京歳時記 今が一番いい時/出久根達郎著(河出書房新社)』を古本で見つけ、読んでみました。
著者、出久根さんが上京してからの五十年、四季折々の様々な人間関係やそこにあった風景を書いたもので、それぞれの思い出の冒頭にそのエピソードに因んだような俳句が掲出され、より話に味わいが出ているような、そんな本でした。

内容としては、『俳句研究』に連載された「一句萬象」より、2004年12月号~2007年9月号までをまとめたものとなっていました。

冒頭に様々な人が詠んだ俳句があって、そのあとに出久根さんの人生の機微にふれるようなエピソードが日記帳のように書かれていると、そのエピソードにより深い物語を感じるように思いました。

出久根さんが古本屋を開業しようと躍起になっているときに、「一人では仕入れやその他店を空ける時に困るよ、まずは奥さんを・・」という出久根さんにとっては“回り道”に感じてしまうアドバイスも、その人が出雲土産にくれた「赤い糸のお守り」がきっかけとなって結婚する話がありました。

言われた通りにお守りを財布に入れていた出久根さんがよく行く飲み屋で支払いするときに赤い糸のお守りを落としてしまい、それを拾ってくれた店員の娘さんが「これは何?」と聞いたことから二人の付き合いが始まり、結婚してしまう・・(#^.^#)というお話。
いい話でした。

そこには冒頭に「今年この桜と縁結びけり 村上喜代子」という句が載せられていました。

こんな形の本もいいものだと思いつつ、心に沁みるものを感じながら読了いたしました。

 

2024/10/25

俳句を詠んでみる_0262【 コスモス(秋桜)の歌 知らないよ と 言われた 】

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さだまさしが作って山口百恵が歌った曲、知らないって・・・。

【 コスモス(秋桜)の歌 知らないよ と 言われた 】

《背景》季語:秋桜(コスモス)[秋]
ラジオを聞いていたら、コスモスの花の話が出て、男性タレントが山口百恵さんの「秋桜」の冒頭を歌いだしたら、若い女性のタレントが「何それ?知らない」と・・膠(にべ)もない。
時代を感じ、その先を聞きたいとも思わないことにがっかりしたり、しんみりしたりした。

 

 

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2024/10/24

「むくどりは飛んでゆく/池澤夏樹」を読みました。

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『むくどりは飛んでゆく/池澤夏樹著(朝日新聞社)』を古本で見つけ、読んでみました。
作家で詩人、書評や翻訳も手掛ける著者が世界各地を巡ったときに感じたことなどを綴ったエッセイとなっておりました。

初出誌は、1994年1月~1995年1月にかけての「週刊朝日」です。
この本自体は1995年に第一刷発行されたものです。
因みに、装画・本文イラストは、山口マオさんで、これも独特の世界観があって楽しい。

著者がカトマンズで飲んだ・・吸った?お酒の話は面白かった。

「トンバ」というお酒で、テーブルに運ばれてきたのは、大きな鉢に山盛りになった穀物。
それは色合いからすると「栗」。
そこに竹のストローが付いていて、発酵させた栗の上からお湯を注いで、アルコール分を抽出し、それをストローで吸うという・・(^^;)

ストローには水分は通るが、小さな栗は一粒も入らない仕掛けがしてあるのだそうです。
とっても興味深いです。不思議なお酒。
ストローなので、どれだけの量を飲んだのかもわからない・・(^-^;

ついでにもうひとつ気になった部分。

人だけが物を別の人に投げ、それを受け取るということをするという話。
たしかに動物などが物をバケツリレーのような感じで投げて受取り運ぶだとか、キャッチボールのように投げっこをして楽しむようなこともないと思いました。

昔の造船所の作業で熱くなった鋲を作業員が投げ、それを器具で受取り、組み立てていくとうようなことがあったが、それもまさしく人間ならではのもので、互いの意気というか、心の通うような部分があるのではないかと著者は指摘。私もそう思いました。

身近なところでは、野球のキャッチボール。
あれはどんな選手も一番たいせつなことだと言っているし、私自身も少年の頃に親や兄とキャッチボールしたのは、ただ単純なことではなくて、互いの心を通わせるものだったのではないかと思うのです。

著者の“気づき”方は、実に繊細かつ大胆で面白い本でした。

 

俳句を詠んでみる_0261【 烏瓜(からすうり) かきわけ ハロウィンの子ども 】

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久しぶりに妻からの“持ち込み案件”「これをテーマに句が作れないか」・・ということで、思案しながらできたのが今日の句です。

【 烏瓜(からすうり) かきわけ ハロウィンの子ども 】

《背景》季語:烏瓜、ハロウィン[秋]
久しぶりの妻からの持ち込み案件。
二人で公園を散歩した時に烏瓜(からすうり)を見つけ、烏瓜と「トリック or トリート」と駆け寄る子どもで一句詠みたくなったらしいが、うまくいかず、私に相談が来たのです。
そもそも「烏瓜」と「ハロウィン」で季語が重なっている(^_^;)
というわけで、ああだこうだと悶絶しながら作ったのが、この句です。

 

 

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2024/10/23

俳句を詠んでみる_0260【 スーパーで 腸(わた)抜きの 初秋刀魚 買う 】

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夕べの食卓にのぼった初秋刀魚で一句詠みました。

【 スーパーで 腸(わた)抜きの 初秋刀魚 買う 】

《背景》季語:初秋刀魚[秋]
夕飯の食卓に初秋刀魚。
今年は去年より豊漁とのこと。
大きさも今年の方が大きい。
食べてみると「あれ?ワタがない」。
「最初からワタは抜いて売ってるんだよね、今のスーパー」と妻。
ははあ、時代はそんな感じなんだ。

 

 

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2024/10/22

俳句を詠んでみる_0259【 柿運ぶ烏 四つ目の実 落とす 】

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なぜか路上に“ぺしゃんこ”になった柿が四つ。それを見て一句詠みました。

【 柿運ぶ烏 四つ目の実 落とす 】

《背景》季語:柿[秋]
家の近くの道に出てみたら、柿が路上にいくつもつぶれて落ちていた。
「これは?」と思っていたら、近くの電柱には烏が何羽かとまっている。
ははあ、柿が実っている数十メートルほど離れたところから運んでいて、上空から落としてしまったんだなと気づいた。
それが既に四つ目^_^;
電柱の烏たち、ちょっと残念そうに見ている。

 

 

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2024/10/21

「今を生きるあなたへ/瀬戸内寂聴」を読みました。

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『今を生きるあなたへ/瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ(聞き手)(SB新書)』という対談形式の本を見つけ、読んでみました。

2021年11月に亡くなられた瀬戸内さん。この世を去る3か月前に京都の寂庵にて取材した内容を基に加筆・修正されたものとのことです。
聞き手は、秘書の瀬尾まなほさんとなっています。

対談の中で、瀬戸内さんは「やりたいことを貫きなさい」「思うがままに生きなさい」「周りの人の幸せを考えなさい」そして「愛は見返りを求めません」と再三に渡り説いています。
そしてその言葉は、聞き手である秘書の瀬尾さんに対しても同時に諭すように語っていました。

瀬尾さんの質問は、私のようなごく一般人というか、“世俗の人間”がよく考え、思うようなことで、瀬尾さんは秘書となってからそのような問いを常に投げかけていたようで、それによって成長したとご本人も寂聴さんもおっしゃっていました。
私も世俗的な質問と回答を読んで、少し成長したかもしれません(^_^;)

少し私が気になった部分を挙げてみると

相変わらず若い人たちは選挙に行かないようですという瀬尾さんの質問には

それは今の政治に失望しているからでしょうね。言っちゃ悪いけれども、今はロクな政治家がいません。何かおかしな人ばかりです。
と答えています。
私も同感。

また、先生はテレビを見ながら「こいつは嘘つきだ」とか、よく言ってますね、という瀬尾さんの質問に対して

嘘をついている人は、すぐにわかります。
と答えています。
寂聴さんは、テレビを見ているだけで顔を見たら、どいつが悪いやつか、だいたいわかります。と答えています。
・・私もすぐにわかります。

もうひとつ

「あれをやらなければよかった」という後悔よりも、「あれをやっておけばよかった」という後悔の方がイヤだ。と寂聴さんがおっしゃっていたことが印象に残りました。

覚悟して何でもやってみる。そのほうが後悔をしなくてすみます・・と。

私は、割とここ十数年で、やっとそんな心境になってきました。

上記と関連して、若い人もそうでない人も好きになったら思い切って告白をするといい、というのが人生長いことやってきて思っていることです。
それによって心は晴々するし、ことによるとそこから先の人生が変わるかもしれません。

特に若い人は自分の都合や体裁ばかりを考えてないで、思い切って自らの思いを言ってみることが道が開けるきっかけになるんじゃないかと、今にして思っているのです。

ということで、寂聴さん亡くなる前の最後の取材対談収録本も、とても心の栄養になりました。
ありがとう寂聴さん。

 

俳句を詠んでみる_0258【 秋の朝 おにぎり 三種 旅に出る 】

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旅に出た日の朝、新幹線内で食べるおにぎりで一句詠みました。

【 秋の朝 おにぎり 三種 旅に出る 】

《背景》季語:秋の朝[秋]
妻と計画し、熊野の旅に出たが、初日、東京駅の売店でおにぎりを買い、集合場所に向かった。
けっこう“凝った”ものがあって、ウキウキ気分で二人、三種ずつ選んだ。
その時のわくわくする旅の前の気持ちを詠んだ。

 

 

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2024/10/20

「午後三時にビールを -酒場作品集-中央公論社編」

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『午後三時にビールを -酒場作品集-/中央公論社編(中公文庫)』を読みました。

文庫オリジナルで、2023年に初版発行されています。
酒場を舞台にした作品を中心に、酒にまつわるエッセイ、短編小説を編集したものとなっていました。

井伏鱒二、太宰治、坂口安吾、檀一雄、内田百閒、池波正太郎、開高健、向田邦子、野坂昭如・・執筆者をちょっと見ただけで錚々たる顔ぶれですが、ことお酒や酒場の話になると、作家というものは一体全体人としてこれでいいのか!という人が殆どでした。

多くの作家は基本的に夜は飲んでいる(^_^;)・・さらに朝まで飲んでいるのもたくさんいました。
それだけならまだしも、誰彼かまわず討論をふっかけ、それならまだしも喧嘩、暴力に及ぶ人も多数。
夜10時に入店し、次第に客が減り、朝8時になると店のママまで寝ている。それでも居続け、夕方の5時に店を出たなんて強者もおりました。
こんな人、今、現代に果たしているのか。

ほとんど皆自分勝手で、作家が変わって次の章に行っても、主人公が変わるだけで、酒場にいる連中が同じという(^-^;パターンがいくつもありました。
同時代の“呑兵衛作家”はこの人たちなんだな、というのがわかりました。

こんな飲み方する人って、私が新人で就職した頃に最後の残党を見たきりです。
すごい人たちが私の当時の職場にもいました。

さて、私が一番気になったのは、吉田健一氏。

お昼に、神保町の店「ランチョン」で編集者らと生ビール三、四杯を空にしたころ、「そろそろリプトンにしましょうか」という声をかけ、手にしたハンカチをヒラヒラ振って「ご主人、ご主人」と叫び、カウンター奥の主人が心得たとばかり沸騰したリプトンティーとサントリーオールドのボトルを盆に載せて持ってくる・・。

環視の中でウイスキーをダブルの計量カップになみになみと注いで、ティーカップのなかへどっと放り込む。

その儀式を皆が見守っていると、生ビールで大きくなった腹の中へ少しずつ熱いウイスキーティーを啜りこむ。

途端に酔いがまわり、陶酔した気分に陥った・・と一緒にこの儀式をした寺田博氏が書いています。
そのあと吉田健一氏は、大学の講義で教壇に立つこととなっていて、スタスタと講義に向かったという。

吉田健一氏は、「原稿四十枚」との依頼があれば、最後の四十枚目の最後のひとマスで文章が終わるようにして提出するのが常であったという・・。

これを読んで、なんだか不思議な気分になり、几帳面さと強烈な主張、そしてウイスキーティーの儀式もそれに似通っているような氏の気持ちが伝わってくると思ったのでした。

いやもう、いろんな人がいるねぇ・・と思いました。

 

俳句を詠んでみる_0257【 秋の日の床屋 三っつの浮説 聞く 】

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床屋に行ったら三席とも満席!それぞれに話の花が咲いていた様子を詠みました。

【 秋の日の床屋 三っつの浮説 聞く 】

《背景》季語:秋の日[秋]
秋の休日、朝から床屋に行って来た。
おじさん、おばさん、息子さんの三人でやっている床屋さん。
おじいちゃんの客にはおじさんが、おばあちゃんにはおばさんが、私には息子さんがついて、切り始めるとそれぞれ三者三様のうわさ話や、聞いて驚く最新情報が飛び出し(^^;)にぎやかになった。
どこまでが本当かわからない話、互いに聞き耳を立てたりして楽しかった。

 

 

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2024/10/19

俳句を詠んでみる_0256【 今朝の秋 巡り地 復誦(ふくしょう)する食事 】

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妻と熊野三山ほかの旅に行って来たことを度々詠んできました。
熊野の宿で朝食を摂っているいる時は、その日に巡る神社などを確認し、復誦している自分達がいました。それで一句詠みました。

【 今朝の秋 巡り地 復誦(ふくしょう)する食事 】

《背景》季語:今朝の秋[秋]
朝にほのかな秋の爽やかさを感じつつ宿の食事を妻と摂り、その日巡る地の確認をしている様子を詠んでみました。

 

 

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2024/10/18

俳句を詠んでみる_0255【 秋夕(しゅうせき)の 熊野川 時(とき) 流れ行く 】

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熊野に出掛けて、行く先々で川と出逢いました。大きな熊野川を見て一句詠みました。

【 秋夕(しゅうせき)の 熊野川 時(とき) 流れ行く 】

《背景》季語:秋夕(しゅうせき)[秋]
夫婦で行った熊野の旅。
印象に残ったもののひとつに、行く先々で見た大・小いつくもの川がありました。
ちょうど雨が続いていたこともあり、みな、豊かな流れでした。
特に、かつて熊野本宮が有ったが水害で今は跡地となっている大斎原(おおゆのはら)沿いにある熊野川は静かに滔滔と流れ、過去から現在、未来へと続いているかのような時の流れを感じた。

 

 

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2024/10/17

「日本人と日本文化/対談:司馬遼太郎_ドナルド・キーン」を読みました。

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『日本人と日本文化/対談:司馬遼太郎_ドナルド・キーン(中公文庫)』を古本で見つけ、読みました。

もともとは中央公論社から1972年に同タイトルで刊行されたもので、1984年に文庫化されたものです。

日本文化の「ますらおぶり」と「たおやめぶり」について、また忠義と裏切りについて、上方と江戸の違いについて、日本にきた西洋人など興味深いことについて丁々発止のやり取りをしています。
どちらも引かない感じ(^_^;)

特に日本人というものの存在、あり方について儒教が大きく影響しているというキーンさんと、ほとんど関係ないという感じの司馬さんのまったく互いに譲らない感じの対談は緊張感がありました。

キーンさんは、徳川時代の日本人は、生まれたときにまず神道の神に告げ、結婚式も神道だが、ふだんの生活は儒教で、死ぬときは仏教的な法事が行われてきた。
矛盾している三つを同時に信じられるのが日本人だという。

対して、司馬さんは「日本人は神道だ」の一点張りです。

・・私には司馬さん、不利な感じに読みました。

また、司馬さんは江戸時代というものは好きではないと言い、戦国時代が好きだという。

対してキーンさん、一般の日本人にいちばん親しみやすい時代は江戸時代という。
江戸時代の伝統的な匂いが残っているような人だったら、それは職人とか商人のような人と言っています。

江戸時代の前半は侍がつくった文化だった(近松、芭蕉、松永貞徳などの士族が思い起こされる)が、後期になると、文化のにない手はほとんど町人だったと言っていて、江戸という侍の町に、いちばん町人を喜ばせるような文化が町人の手ででき上ったというのです。

これについても私はキーンさんの見方に近いです。
今も町人がつくった文化について興味津々だし、そういうことについて書かれた本にも惹かれます。

読んでいて、全般的に司馬さんは荒っぽい理論で、決めつける感じ。
一方キーンさんは、丁寧に事実を拾っていって、立てている仮説もユニークだけど自然な導きのように感じました。

とにかく、最後まで綱引きのように“引いて引かれて”みたいな駆け引きのようなものもあり、最後までこの対談を楽しく読みました。

お二人の無限のような知識にも驚いた本でした。

 

俳句を詠んでみる_0254【 秋澄む 境内の東天紅鶏(とうてんこう) 鳴く 】

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妻と二人、タイミングが合えば今まで行ったことのない神社に出掛けることが増えました。
今回行った隣の市の神社境内には・・という句。

【 秋澄む 境内の東天紅鶏(とうてんこう) 鳴く 】

《背景》季語:秋澄む[秋]
朝から妻と市原市惣社にある「戸隠神社」に初めてお参りした。
鳥居をくぐり境内に向かうと、何と鶏の長鳴きの声がする。
何だろうと石段を足早に登ってみると、境内に鶏小屋。
大事に育てられ、紹介の写真と文も掲示されていた。
「東天紅鶏」と「碁石チャボ」とのこと。
可愛らしく、お参りも気持ちよくできた。

 

 

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2024/10/16

俳句を詠んでみる_0253【 秋涼し 仕上げは 麦酒とジュースで 】

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何度かご紹介してきた熊野・那智の旅、夜の乾杯を詠みました。

【 秋涼し 仕上げは 麦酒とジュースで 】

《背景》季語:秋涼し[秋]
夫婦で計画した和歌山、熊野・那智巡り。
石段と山道、坂道ばかりを歩く熊野三山、熊野古道、那智の道のりは身体にこたえました。
宿に帰り、秋の涼しさを感じながら麦酒とジュースで乾杯したところを詠みました。

※「秋涼し」と「麦酒」の“季重なり”が気になりましたが、現実に即し、秋に詠んだ句といたしました。

 

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2024/10/15

俳句を詠んでみる_0252【 夜顔(よるがほ) 女の五十に惑わされ 】

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女性の五十代っていうのは、一番の美しい時季なのでは・・という句を詠みました。

【 夜顔(よるがほ) 女の五十に惑わされ 】

《背景》季語:夜顔[秋]
夜会草とも呼ばれる夜顔。
その佇まいは、女性に例えると、若い娘というよりは、五十絡みの“わけあり”な、しかも匂い立つような女という感じがする。
そんな女性に惑わされる男というのもなんだかいいんじゃないかと思ったりもする。

 

 

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2024/10/14

「俳句開眼100の名言/ひらのこぼ」を読みました。

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『俳句開眼100の名言/ひらのこぼ著(草思社)』を古本で見つけ、読んでみました。

あまたある「俳句入門書」100冊から導き出した俳句上達のための100の名言・ヒントが集約されているという、私のような俳句初心者から見たら、とっても欲しい本でした。

著者、ひらのこぼさんは、広告会社でコピーライターの仕事をされている方で、銀化(中原道夫主宰)に入会し、この本が出された頃銀化同人となっていて、俳人協会会員と記されています。

この本自体は2012年発行となっておりました。

実に様々なアドバイスと俳句の実例が示されていて、ありがたい本でした。
しかも、「俳句は日記」だとか、「種あかしはするな」とか「第六感で作る」などなど、どういうことを言っているんだろう?と思わせておいて、具体的な例句を挙げて“なるほど”こうすれば良いのか!と納得するようなつくりになっていました。

ただ、私としては通常こういった俳句本には例句に“ふりがな”がついていないのは当たり前なんですけど・・読めない漢字が多かった・・(^_^;)・・恥ずかしいけど、読めないものは読めないのでした。
漢和辞典でいちいち調べればよいのですが、ちょっと数が多くて億劫になってしまい、そのままスルーしてしまった漢字もけっこうありました。申し訳ない。

しかし、名だたる先生の詠まれた例句は、かなり勉強になり、しかも驚くような大胆な作品もあり、“読物”としても楽しく読ませていただきました。

この本の中からヒントを得て、現在3月から初めて250句に達した私の俳句の今後に役立てたいと思いました。
明日からも頑張ります。

 

俳句を詠んでみる_0251【 秋麗(しゅうれい)の那智 大黒天に呼ばれ 】

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熊野三山を巡り終え、青岸渡寺に入り、そこには小高いところに朱塗りの大黒天の祠がありました。

【 秋麗(しゅうれい)の那智 大黒天に呼ばれ 】

《背景》季語:秋麗[秋]
熊野三山を巡り、ほっとして青岸渡寺に寄った際、小高いところに「大黒天」があり、妻から「寄ってみよう」と。
石段を上がり、お参りすると「ご自由に中にお入りください」との看板が出ていました。
ほとんど誰も上がって来ず、静かな空間に入ると「ゆっくりしていきなさい」という声が聞こえたような気がしました。
とても心安らぐ処で、二人とも旅の中の安堵を感じたのでした。

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2024/10/13

俳句を詠んでみる_0250【 雨と飛瀑(ひばく)の 飛龍(ひろう)神社 参拝 】

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熊野三山・那智の滝・熊野古道巡りの夫婦旅もラストになりました。
那智の滝に降り、正式参拝して一句詠みました。

【 雨と飛瀑(ひばく)の 飛龍(ひろう)神社 参拝 】

《背景》季語:飛瀑(ひばく)[夏]
昼食を摂り、熊野・那智最後の参拝地、那智の滝へ。
雨の中、長い石段を降りて行くと、降り続く雨のため水量が増し、滝のしぶきと雨の水滴で景色は真っ白に。
その中、飛龍(ひろう)神社を正式参拝し、神主と共に玉串を捧げた。
瀑布に圧倒され、神の力に圧倒されるような参拝になった。
熊野・那智巡りの締めくくりにふさわしい水と音に心洗われる、瀧そのものが“ご神体”という神社だった。

 

 

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2024/10/12

俳句を詠んでみる_0249【 爽籟(そうらい)の青岸渡寺 心静か 】

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目標にしていた熊野三山を巡り終え、そこには「青岸渡寺」。
身体も疲れたが、ここにいる人達皆が少しほっとしている様子だった。

【 爽籟(そうらい)の青岸渡寺 心静か 】

《背景》季語:爽籟(そうらい):[秋]
熊野三山を巡り、多くの石段も登り、少し安心した時にくぐった山門。
青岸渡寺境内に入った。
「爽籟」とは、秋風の音を笛にたとえ、さわやかな響きと、すがすがしい風のことだそう。
青岸渡寺にいた人達のほっとしている様子が伝わってきた。

 

 

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2024/10/11

「どうもいたしません/檀ふみ」を読みました。

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『どうもいたしません/檀ふみ著(幻冬舎文庫)』を古本で見つけ、読みました。
2004年に刊行されたもので、2007年に文庫化となっています。
なので、かれこれ20年も前のものです。

檀さんの本では、「父の縁側、私の書斎」という本を以前読んでご紹介したことがありました。
今回は、お父さんのお話し中心ではなく、檀ふみさんそのものが“語られる”?エッセイとなっておりました。

読んでいると、激しい物忘れや、おそろしいほどの勘違いによる遅刻、あるいは場所間違い、こうなればああなるだろうという予測がことごとく外れるおそろしさ、せっかくのチャンスに躊躇し、大魚を逃すような話・・などなど・・もうヤキモキしてこっちが「もういい、私にやらせてくれ」と言いたくなるような話ばかりでした。

だから、檀ふみさんなんですよね。
もう、きっと生まれてからずっとそんな感じなんでしょう?どんどんコースから外れていって、周りが“ひやひやハラハラ”するお嬢様、そんな人、同級生に一人はいましたよね。
まさにその人!

でもこれがまた本にすると面白いわけですよ(*^^*)

お友達の阿川佐和子さんとは言動・行動も文体も似ているようでいて、非なるものです。
どちらかというと阿川さんは“早合点”タイプ、檀さんは“うっかり”タイプとでもいうのでしょうか、ま、どちらも手が付けられないくらいの“人物”ぶりです(^_^;)

この本に書かれている数々の失敗談、思い込みによるドタバタ劇、読んでいる分には笑っていて済みますので、とりあえず笑わせていただきました。
ただし、身近にこういう人がいたら、あまり近づかない方がいいような気がいたしました(^^;)
とりあえず読んでみてっ!面白いから。

 

俳句を詠んでみる_0248【 秋雨の 那智の石段に 息上がる 】

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熊野三山の三つ目、那智大社への路は石段が続き、たいへんでした。
その様子で一句詠みました。

【 秋雨の 那智の石段に 息上がる 】

《背景》季語:秋雨[秋]
熊野本宮大社、熊野速玉大社から熊野古道を経て、熊野三山の最後「熊野那智大社」へと向かったが、そこにはラストの467段の石段が待っていた。
多くの人が杖を突いて登っていたが、皆、“しんどそう”だった。
私も息が上がり、途中で休みながら上がった。
そうして辿り着いた大社は、神々しいのひと言。

 

 

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2024/10/10

俳句を詠んでみる_0247【 秋の朝 一番の 速玉(はやたま)参り 】

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熊野・那智巡り、早朝から神社に行き、二日目も爽やかなスタートとなり、一句詠みました。

【 秋の朝 一番の 速玉(はやたま)参り 】

《背景》季語:秋の朝[秋]
熊野・那智巡りの二日目。
朝早くに起きて、その日一番に熊野速玉(はやたま)大社に詣でた。
家族の安全を祈り、気持ちの良い朝になった。

 

 

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2024/10/09

「対談サラリーマンの一生 -管理社会を生き通す-/城山三郎・伊藤肇」を読みました。

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『対談サラリーマンの一生 -管理社会を生き通す-/城山三郎・伊藤肇(角川文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。

1980年に光文社から刊行された「人間学対談」を改題したもので、文庫版は1986年に初版発行、この購入したものは1995年発行のもので、既に14版を重ねています。息の長いベストセラーだったようです。

城山さんは作家、伊藤さんは新聞記者、編集者を経て評論家となり、そのお二人の対談形式でこの本は構成されています。

「サラリーマンの一生」というタイトルになっていますが、対談の内容としては、男が仕事に就き、やがて五十代になり、六十代になり、退職するまでをどう歩み、どう生きていくか、何を支えとするのか、どんな人と付き合うのか、などを語り尽くしている・・そんな印象の本でした。

お二人の共通していた意見としては、二十代は“全力”で仕事をしろ。
そしてその後は100%ではなく、自分なりのペース配分を見つけろ。

いわゆる“左遷”されても「くさるな」、「くよくよするな」そこで与えられた仕事の中から見つけ出せるものがあるからそれに取り組め。

また忙しいからといって「時間が無い」などの言い訳をせずに、自分が取り組める研究や、学べることが必ずあるから、それにも夢中で力を入れろ。

本は読め。読まずして知恵は得られない。

上記のようなことを様々な先人(この対談当時に色々な分野でトップにいる人の例を挙げていた)の言動、生き方を示して弾むような対談をしていました。

人の上に立つ人は、人物さえちゃんと養成しておけば、仕事と金は自然に集まってくる、ともおっしゃっていて、「内閣だって立派な大臣を置けば、政策なんかは自然に生まれてくるはずなんだ。つまらんやつを大臣に据えるからおかしくなる。」とも。
ちょうど今の日本もそんな感じだなと思いました。妙な大臣は変なことしかしない・・。

また、当時はインターネットもまだ普及していなくて、Windowsもこれからという時代。
大きな災害時には、「水と新聞」を人々は欲しがる、と書かれていました。

人は結局、活字になっている情報を見て納得できる。そして活字に飢えている。
新聞からの情報への信仰の強さには驚く・・とも書かれていました。
その状況は、今、インターネットというものがあって様相は変化したと思いますが、それでもネット上の情報の信憑性が災害時に低くなることは今年の災害時にも露呈されました。

被災地で、どういう形で情報を得るのかという問題はまだ解決されていないような気がしました。

昨日だったか、本屋さんがどんどん減少して、それを国が援助していくことを始めるというニュースがありました。
この対談でも本を読むことがどれだけ“人物を”つくるか、“人間”をつくるかということが書かれていて、この本に書かれているようなことをネットで若い人が知るのは、ほぼその機会が無いように思います。

あらためて、本を読むことの大切さを感じながら読了しました。

 

俳句を詠んでみる_0246【 新秋の 大斎原(おおゆのはら) 古(いにしえ)起(た)つ 】

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熊野めぐり、本宮にお参りしたあと、その本宮がかつてあった大斎原に向かいました。
長ぁ~い路を歩いた先には大きな鳥居があり、かつての威容を彷彿とさせるようなところに出ました。

【 新秋の 大斎原(おおゆのはら) 古(いにしえ)起(た)つ 】

《背景》季語:新秋[初秋]
かつて熊野本宮大社が鎮座していた場所が大斎原。
過去の水害で本宮は移されましたが、現在も中四社、下四社が合祀され、お祀りされている。
雄大な川の流れと共に真っ直ぐ伸びる参道の先に大きな鳥居が現れ、古(いにしえ)の社が眼前に起(た)つようだった。

 

 

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2024/10/08

俳句を詠んでみる_0245【 熊野 霧の本宮 参道に立つ 】

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どんなところだろうと想像し、来てみたかった熊野。
ついに本宮の入口に立ち、一句詠みました。

【 熊野 霧の本宮 参道に立つ 】

《背景》季語:霧[秋]
妻と思い切って計画し、やって来た熊野。
バスから最初に降り立ったのは「熊野本宮大社」。
参道に立ち、見上げる百五十八段の階段。
これから詣でる熊野三山・那智・熊野古道への思いをあらたにした。

 

 

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2024/10/07

俳句を詠んでみる_0244【 秋黴雨(あきついり) 熊野古道の 径(みち)峭(けわ)し 】

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先週末に熊野に出掛け、熊野三山、那智の滝などを巡って参りました。
熊野古道にも赴き、神秘的な空気に満たされながら歩いて来ました。

【 秋黴雨(あきついり) 熊野古道の 径(みち)峭(けわ)し 】

《背景》季語:秋黴雨[秋]
季節柄、秋の雨は蕭条(しょうじょう:風景がひっそりともの寂しいようす)として冷たい。
念願叶って夫婦で歩いた熊野古道は、秋の雨の降る中、厳しく険しい路(みち)が続いたが、空気は冷たく、霧のような雨が心地良くも感じた。
神聖な気持ちになり、心身共に爽やかになった。

 

 

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2024/10/06

「納豆に砂糖を入れますか?/野瀬泰申」を読みました。

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『納豆に砂糖を入れますか? -ニッポン食文化の境界線- /野瀬泰申著(新潮文庫)』という本を読みました。

以前、このブログで同じ著者の「天ぷらにソースをかけますか?」という本をご紹介したことがあるのですが、その続編にあたるものとなっていました。
この文庫本は2013年発行となっています。

さて、タイトルにもなっている「納豆に砂糖をいれるのか」という問題ですが、そもそも私には“納豆に砂糖を入れる”と、どんな味になるのか、まったく想像も出来ず、そんな人いるのかよ、と思いましたが・・・いるんですよねぇ(#^.^#)

地域としては、「入れる派」は北海道、東北地方に多いようです。「なかには入れる人もいる」というのは関東・中部地方あたりに“ぼちぼち”見ることが出来ます。

「そんなこととんでもない派」は、関西・中国・四国・九州にかなり多く、広島と九州の一部には意外と砂糖を入れる派も散見されています。

砂糖は味を甘くするよりも、納豆のねばりを強くし、糸を多く引かせる目的の方が主となっているように読めました。
前回の「天ぷらにソース?」と同様、とても珍しいことではないことがわかりました。

その他には、「メンチ」と「ミンチ」の呼び方について(*^^*)
私は関東で圧倒的な「メンチ」に耳馴染みがありますが、関西方面では「ミンチに決まっとるじゃろが!」派が優勢です(^_^;)

この本のアンケート結果では、関西にミンチ派が集結しているようでした。

さらにコロッケには何をかけるか?という・・私にとっては「中濃ソースでしょ、もちろん」という結果が予想されましたが、いやいや醤油や、ウスターソース、とんかつソース、何もかけるかそんなもん・・という(^^;)回答もあり、混沌としておりました。
実におもしろいっ!(*^^*)

飴を「飴ちゃん」と呼ぶか否かとか、居酒屋などに行って最初に出てくるのは「突き出し」と言うか「お通し」というか・・という問題もありました。
比較的関西が「突き出し派」で、要りもしないのに突き出される感覚があるのでは、という推測も出ていました。

ご飯に味噌汁をかけて食べるのは、行儀が悪いのか否か、というのもありましたが、それと同系統の郷土料理も有ったりして、難しい問題となっていました。
私としては、自分の小さい頃、ちょっと貧しくておかずもあまり無いのでそうしているのではないかと勝手に想像して、つらい気持ちになり、自分は食べるということはほとんどありませんでした。

・・・などなど、食文化的にも興味深い問題を今回も著者は、楽しそうに探っていました。
とても面白い着眼点で、私も楽しく読めました。

 

俳句を詠んでみる_0243【 秋立つ 花巻そばの香 馨しく 】

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今年は暑くて冷たい蕎麦を食べる期間が長かったのですが、涼しくなってきて温かい蕎麦を食べてみた、そのときに詠んでみました。

【 秋立つ 花巻そばの香 馨しく 】

《背景》季語:秋立つ[秋]
秋になり、ちょっと涼しくなってきて、温かい蕎麦が食べたくなった。
大きな海苔が入る“花巻そば”。
湯気とともに香ばしい海苔の香が立ちのぼってくる。

 

2024/10/03

「カツ丼わしづかみ食いの法則/椎名誠」を読みました。

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『カツ丼わしづかみ食いの法則 -ナマコのからえばり9-/椎名誠著(毎日新聞社)』を読みました。

2014年発行の本で、『サンデー毎日』2013~2014年に連載されたエッセイをまとめたものとなっていました。

この頃の椎名さんは、海外への冒険のようなことに対しての強い意欲は、体力的なことや、かつてかなり危険なことがあったことも含め、あまりないようです。

少し前に「死」についての本も書かれていて、海外での冒険時には“死とスレスレ”だったことをこの本の中で思い出しています。
お孫さんもできて、これ以上は無理だろうと思っているようでした。

しかし、相変わらずの国内での仲間たちとの楽しい旅や企画、飲み、など(*^^*)は続行されていて安心いたしました。

すこし気になったところは、

「世界遺産ってなんだ」という項目。

富士山が世界遺産に認定された頃で、もうみんな遺産だと思っているんだからいいじゃないの、って言っています、簡単に言うと。
私もその頃も、今も思っていますが、世界遺産と聞くと今まで何の興味もなかった人まで続々と詰めかけ、ゴミは溢れ、トイレも溢れ、サンダルで日本最高峰の山に登ろうとする輩も現れる・・。

みんな心の中でいいものだと思っているんだからそれでいいじゃないの、と思うのです。
今年もTシャツに短パン、そこいらへんを歩くカジュアルな靴で登山しようとしている人がいたようです、ましてや外国人までそんな状態。

だから椎名さんに同感です。

もうひとつ「新聞やテレビを見なくなってしまったのは、日本のそれらが信用できなくなっているからだ」と書かれていました。

外国での報道を見聞きすると、日本のことなのに日本人が一番本当のことを知らない国民になってしまうのではないかという危惧があるとおっしゃっています。

当時、椎名さんがミャンマーに行ったら、「9.11アメリカ同時多発テロ」について国民が知らされていないことを書かれていて、軍事政権のメディア操作の恐ろしさを知ったとのこと。

椎名さんは、当時の特定秘密保護法について国会が揺れているのに、食品偽装問題や猪瀬知事の事件で大騒ぎしていて、マスコミの記者は自分の顔・名前が出ないと強引になるが、そうでないと、あられもなく狼狽する“さもしい”人達だとおっしゃっていて、これも同感です。

大切なことを十分に報道しない・・この姿勢は独裁国家化の一歩だと・・ヒタヒタと恐ろしいことが近づいている・・と私も今感じています。
何時起きるかわからない戦争突入への第一歩となるかもしれない重大事をくわしく知らないうちに許してしまうことになるのです。

憲法から国民の基本的人権の項目を削除しようとしたり、いつの間にやら国防軍を組織する項目が追加されたりしている改正案について大きく報道すべきだと思います。

椎名さんの本の読後感であまり上記のようなことは書いたことがなかったかと思いますが、特に気になったので書いてみました。

 

俳句を詠んでみる_0242【 彼岸花に舞う モンキアゲハ 二頭 】

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熊野(ゆや)の清水を汲みに行った時に、水を守っている龍動寺にお参りした。
そのときに飛んでいた蝶で一句詠みました。

【 彼岸花に舞う モンキアゲハ 二頭 】

《背景》季語:彼岸花[秋]
長南町に熊野(ゆや)の清水を汲みに出掛け、清水を守るように高い所に存在していた龍動寺にも上がってお参りして来た。
その時、階段を上がり、寺の前の広いところに出ると、彼岸花がたくさん咲いていて、黒い羽の下の方に白い紋のあるモンキアゲハ(※帰宅してから調べた)二頭が互いに舞うようにずっと飛んでいた。
鳳蝶(あげはてふ)、黒揚羽、烏揚羽などの季語(傍題)が歳時記にあったが、ここは彼岸花を季語に実際の光景をもとに秋の句として詠んだ。

 

 

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2024/10/02

俳句を詠んでみる_0241【 秋の声 草の波に 心泳ぐ 】

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秋の風が草を揺らしている光景を見て一句詠みました。

【 秋の声 草の波に 心泳ぐ 】

《背景》季語:秋の声[秋]
秋らしい風が吹き、草を波のように揺らし、声が聞こえるよう。
さわさわとする草の波に心を泳がせてみる。

 

 

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2024/10/01

「座右のニーチェ 突破力が身につく本/齋藤孝」を読みました。

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『座右のニーチェ 突破力が身につく本/齋藤孝著(光文社新書)』を古本で見つけ、読んでみました。

なんとなく取っつきやすそうに見えて手に入れました。
それに自分の役に立ちそうだと。

しかし、読んでいくと、ニーチェの言葉から察するものには、迷い、苦しみ、立ち止まってしまうことや、過去を悔やむこと、未来に期待してしまうことなどは、あまりよろしくないコトとして書かれているようでした。

今、この瞬間は過去からの流れから来ているし、未来は今まさにやっているこが生み出しているのだ・・というような“一連の流れ”の中で人生の出来事、悩み事などを考えるような感じに読めました。

なので、私のような年中立ち止まってしまい、そこで苦しんでしまい、過去を悔やみ、未来を心配する人間には、なかなか馴染めない感じがしたのです。

でも、かなり共感できることも書かれていました。

《人間が存在しはじめてからこのかた、人間は楽しむことがあまりに少なかった。そのことだけが、・・・われわれの原罪なのだ》

という言葉。

現代社会に生きる我々は、前時代の人々よりも自由で享楽的だと思われがちですが、本当に心から楽しめているのかというのです。

いじめはより狡猾に、陰湿になり、我々が楽しむことを学びおぼえていさえすれば、他人に苦痛を与えようという気持ちになどならないだろうということなのです。

要するに楽しんでいない人がいじめを起こすというのです。

もうひとつ

《この瞬間という門から、一つの永劫の道がうしろに向かって走っている。すなわちわれわれのうしろには一つの永劫があるのだ》

という言葉。

この本では、夏目漱石や樋口一葉、ビートルズなどが例に挙げられていましたが、彼らの実質の作家活動、作家生活などの活動期間は短く、その短期間に傑作を次々とものにしている、というわけです。

才能を見せつける時間は非常に短く、その期間に作り上げたものは大抵、質だけでなく量も他者を圧倒しているといいます。

仕事での創造の炸裂は、沈潜と集中力から生まれ、ふだんの鍛錬で力を溜め、ここぞという踏ん張り時に一気呵成に畳みかける。
その時に時間の質は変わり、一瞬の価値が見えてくる・・ということで、私には特にビートルズの例でよくわかりました。

そして、今時の人はこの一気呵成の踏ん張り時がずっとやって来ない・・と、思いませんか。

以上がざっと書いてみたこの本の感想です。
まだ読み込み切れない部分がたくさんありましたが、今の自分には合わない感じがありましたので、ここまで。

 

俳句を詠んでみる_0240【 秋晴る 鶴峰宮 大吉を引く 】

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妻と秋詣でに行って来ました。そこで引いたおみくじで一句。

【 秋晴る 鶴峰宮 大吉を引く 】

《背景》季語:秋晴る[秋]
妻の休日を選んで、市原市にある鶴峯八幡宮に秋詣でをした。
秋の晴れた日、運だめしに珍しい扇形のくじを引いてみた。
扇を広げてみると「大吉」の文字が!
幸先の良い秋詣でとなった。

 

 

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