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2025/03/31

「ユーモアのレッスン/外山滋比古」を読みました。

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『ユーモアのレッスン/外山滋比古著(中公新書)』を古本で読みました。
2003年初版発行となっていました。

もう20年以上前の本ですが、「ユーモア」というものは何なのか、どういうシチュエーションで“観測”?できるのか、古典など歴史的な面からも「ユーモア」というものについて考察されていました。

この本でも書かれていましたが、私はかつて「はかまみつお」さんがラジオで語っていたユーモアの定義を思い出しました。

ユーモアの語源は人間の四つの“体液”に由来していて、血液、胆汁などの四つの液体のバランスが偏ることによって表れるその人の個性というか、そいうものがユーモアにつながるということなのだ、というふうに読めました。

簡単に言うと、人間の持つ“おかしみ”のようなことがユーモアを醸し出しているということなのだと思います。
その人が真面目にやればやるほど、関係のない他者から見るとなんだか可笑しい、という思い当たるような感覚です。

例として挙げられていた結婚式などのスピーチや、落語、シェイクスピアの作品や、内田百閒氏の摩訶不思議な文などは、そのユーモア性について実にわかりやすく書かれていました。

それにつけても、最近の「笑い」というものは、ユーモアからは“遠く”かけ離れているものだと感じます。

人を“子バカ”にしたり、ひどい目に遭わせて“うろたえ”るのを傍から見て笑ったり、賞レース用に作っているのか、予め「こうこうこういう構造でギャグを作ると面白い」というシステムを構築しておいて、それに当てはめると笑える・・という幻想を抱いているような笑いもあります。

どれもこれもちっとも面白くない。

「間」によってユーモアを感じさせ面白くすることを身につけた達人のような人のことも書かれていましたが、今のお笑いの多くにはその「間」も感じさせる人が少ないと思います。
こっちが笑う前にもう次の話題に入っている。

漫才などでも完全に相方に視線と会話を向けてしまっていますが、本来はそう見えても、実は観客に向けて話しているように感じさせないと面白味は伝わって来ないのです。
この感覚、俳優のドラマなどの演技でも感じます。
役者同士のやり取りに完全にハマり込んでしまって、見ているこちらには伝わって来ない役者が多すぎるとも思いました。

要するに自分に酔っているんじゃないでしょうか。

ということで、とりとめのない感想となってしまいましたが、「ユーモアのレッスン」の読後感でした。

 

俳句を詠んでみる_0402【 春の日 東島さんの声 届く 】

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ラジオから聞こえてくる声に感じたことを詠んでみました。

【 春の日 東島さんの声 届く 】

《背景》季語:春の日[春]
春の番組改変時期、よく聞くラジオなどの番組、担当者などが気になる。
ニッポン放送の東島衣里(ひがしじま えり)さんの、やわらかく、やさしい声を聞くと、いつもほっとして安心する。
東島さんの声がどの番組から届くのかが気になる春だということで、一句詠んだ。

 

 

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2025/03/30

俳句を詠んでみる_0401【 春の雷(らい) ビルの隙間の衝動 】

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心の中の夢想・想像・妄想が詠ませました。

【 春の雷(らい) ビルの隙間の衝動 】

《背景》季語:春の雷[春]
人気のない都会のビルの隙間、二人歩く男と女。
衝動は春雷のように沸き起こり、稲光のように二人の間に火花が散る。
そんな様子を詠んでみました。

 

 

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2025/03/29

俳句を詠んでみる_0400【 寺の窓硝子に 枝垂桜咲く 】

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義父と見た思い出のある枝垂桜を見に妻と出掛けて一句詠みました。

【 寺の窓硝子に 枝垂桜咲く 】

《背景》季語:枝垂桜[春]
妻と枝垂桜で有名な山武市埴谷の長光寺と妙宣寺を訪ねた。
亡くなった義父とも十数年前に皆で来たことがあり、懐かしかった。
その時にも見た寺の本堂のガラス窓に映り込んだ枝垂桜が美しく、儚く、あの時を再現して写真に撮ってみた。

 

 

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2025/03/28

「奇縁まんだら《続》/瀬戸内寂聴・横尾忠則(画)」を読みました。

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『奇縁まんだら《続》/瀬戸内寂聴・横尾忠則(画)(日本経済新聞出版社)』を読みました。
このブログで「奇縁まんだら」の第一弾の読後感を載せましたが、その続編で、第一弾に負けず劣らずの濃い内容でした。

前回から続けて横尾忠則氏が描いた瀬戸内さんと出会った登場人物の肖像画は、それだけで価値ある作品となっていて、まずは絵だけでも十分楽しめました。

そして、瀬戸内さんが出会った多くの文豪の方々は、私にはほとんど歴史上の人物で、瀬戸内さんの交友関係の広さには舌を巻きます。

私が一番気になったのは、福田恒存氏でした。
私が二十代になったばかりの頃、シェイクスピアの戯曲に夢中になり、全作品を読んだのですが、そのとき多くの作品を福田氏の翻訳で読みました。
他の翻訳者のものも同じ作品で読んでみましたが、福田氏のものが一番しっくりきたというか、作品としての風格や、気品、匂い立つようなものを感じることが出来たのを思い出します。

福田氏は完璧とも言える文学者、劇作家と思っていると、奥様は瀬戸内さんの学生時代の先輩で、瀬戸内さん憧れ人だったそうで、瀬戸内さんに対し、結婚してもう二~三年も経っているのに、奥さんが結婚前にどのような人であったのか夢中で聞き出そうとしている愛妻家ぶりに思わず微笑んでしまいました。

また、森鴎外の娘で作家となった森茉莉さんの、世の常識など飛び越えた“桁外れ”の天衣無縫ぶりも紹介されていて、単なる読者である私達には森茉莉さんの驚きの行動が書かれていました。
それは、萩原朔太郎の娘の萩原葉子さんについても同様というか、タイプは異なりますが、規格外の人物ぶりでした。

瀬戸内さんとは長い間深い関係にあった井上光晴さんとの烈しいやり取りなども書かれていて、その井上さんの墓が瀬戸内さんが二十年住職をした岩手県二戸市の天台寺に有り、井上さんの長女・井上荒野さんが直木賞の受賞報告を墓前にした様子も書かれていました。
凄いなあ、不倫関係にあった男性の実の娘との関係もきちんと有って、想像もできない世界です。

小田仁次郎との激烈な関係も書かれていて、本宅と瀬戸内さんの下宿を行き来する愛の状況も書かれていました。
本宅の娘の進学のために純文学から大衆小説への転換を“金”のために図り、それを瀬戸内さんに告げるシーン、さらに瀬戸内さんが小説家として一本立ちするときの手助け、そして別れの状況まで・・・すごい本でした。

ちょっと身体が震えるような感じで最後まで恐る恐る読みました。

 

俳句を詠んでみる_0399【 春の宵 嬬恋に 秘密隠した 】

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誰にでもそれを心の中にしまったままにしておくことがあるのだろうという句を詠みました。

【 春の宵 嬬恋に 秘密隠した 】

《背景》季語:春の宵[春]
お茶の水の駅を降り、聖橋を渡った先に神田明神がある。
お参りして裏側から急な階段を降りると、大きな通りがもう一つ。
さらにその裏通りに、嬬恋坂と呼ばれる静かな通りが有り、坂を上るとビル街の狭間(はざま)にある小さな嬬恋神社が現れる。
そこには誰にも言うことのない秘密を隠してきた。

 

 

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2025/03/27

俳句を詠んでみる_0398【 彼岸西風(ひがんにし) 昨日天国 明日地獄 】

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何かを境に突然状況が変わり、あっという間に奈落に・・ということがあり、一句詠みました。

【 彼岸西風(ひがんにし) 昨日天国 明日地獄 】

《背景》季語:彼岸西風(ひがんにし)[春]
春の彼岸の頃に吹く西風は別名「涅槃西風(ねはんにし)」とも言う。
その風を境に、あんなに楽しくうれしかった日が、明ければ苦しくてつらい日になったりする。
そんな季節なのかもしれないと思った。

 

2025/03/26

俳句を詠んでみる_0397【 剪定の空に 今日 ハナモモ咲く 】

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妻から言われてハナモモが咲いたことに気づいた。

【 剪定の空に 今日 ハナモモ咲く 】

《背景》季語:剪定[春]
季語を「剪定」としているが、「ハナモモ」を5冊の歳時記で調べても載っておらず、ネット検索でも確証が得られなかった。
まさにハナモモが咲いたその日に妻から「咲いたよ」と声を掛けられた。
自分が剪定したものだったので、喜びはひとしおだった。

 

 

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2025/03/25

俳句を詠んでみる_0396【 ソフトクリームの先には 春の雲 】

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晴れ渡った空を見ながら沿道のアイスクリーム屋さんで詠みました。

【 ソフトクリームの先には 春の雲 】

《背景》季語:春の雲[春]
春らしい暖かい日の午後、クルマでの道中、ソフトクリームの店を街道沿いに見つけ、食べた。
くるっとしたソフトクリームの先っぽは、青空に浮かぶ雲につながっているように見えた。

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2025/03/24

「自由に楽しむ俳句/大串章」を読みました。

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『自由に楽しむ俳句/大串章著(日東書院)』という俳句の初心者向け解説本を、古本で見つけ読みました。
この本の冒頭にも書かれていましたが、俳句初心者といっても、年齢は小学生から仕事をリタイアしてこれからやってみようという60代の方までいるわけで、「初めて俳句を作る人への“心構え”」などを中心に書かれたものでした。

著者、大串さんは昭和12年生まれで、この本が出たのは2001年となっておりました。
24~5年前のものですが、読んでみると今でも通用する、骨格がしっかりとしていて、著者の強い俳句への愛が感じられました。

特に前半は、実例を挙げて観察力や美意識、人生への考えの大切さ、さらに自然との関り、家族愛・人への愛、季節への感覚、などの俳句に特に必要だと思われるものを丁寧に説明し、俳句の素晴らしさが書かれていました。

著者が言う「俳句をつくる最大の喜び」は、≪新しい自分に出会う≫ことだと、力説されていましたが、私も同感です。
いままで知らなかった自分に出会えることの喜びは、何ものにも代えがたいと私も感じています。
そして、所謂「実体験」がものを言い、それが自分の血となり肉となるのだ、ということもよくわかりました。

様々な俳人の名句が実例として挙げられていましたが、この著者の選んだものは、私のような初心者にも「ここがいいのだな」とわかるもので、しかも著者の解説は“噛んで砕いて”やさしく教えてくれるものでした。

色々な本を読んでいてよく思うのは、よくわかっていて、しかもそのことに対して愛情のある人の説明は誰にでもわかりやすいものだということです。

難しく説明して、何度読んでもわからないようなものって、実は著者もよくわかっていないんじゃないか、と思うのです。

なので、この本は誰でもよくわかる!初心者が子供でも、老人でも。

あとは著者が言っているように、俳句はプライドなんかいらないので、皆平等に詠んでいるということを肝に銘じて、これからも研鑽することだと思いました。
とてもわかりやすい、参考になる本でした。

 

俳句を詠んでみる_0395【 春興 用なく歩き 電車にのる 】

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精神的に疲れて、目的もなく歩き出したときのことを詠んだ。

【 春興 用なく歩き 電車にのる 】

《背景》季語:春興[春]
春の午後、用なく歩き出し、ふだん使っていない駅にたどり着いた。
そのまま用事も目的もなく、電車に乗った。
あてどなく歩き続けた午後を詠んだ。

 

2025/03/23

俳句を詠んでみる_0394【 彼岸 早朝の墓 ライター点火 】

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あさイチで彼岸の墓参りに出かけて一句詠みました。

【 彼岸 早朝の墓 ライター点火 】

《背景》季語:彼岸[春]
早朝に出発し、父母、そして離れてある義父の墓に夫婦で墓参。
朝一番に着いて、心静かにライターで線香に火を入れた。
故人に話しかけ、自然に涙が出た。

 

2025/03/22

「実用 青春俳句講座/小林恭二」を読みました。

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『実用 青春俳句講座/小林恭二著(福武書店)』を古本で見つけ、読みました。
1988年第一刷発行となっていました。

著者小林恭二さんがまだ若い頃の本ですが、小林さんが大学の自然科学系のゼミ単位を取ろうとしてのぞいたのが通称駒場の仙人、小佐田哲男先生(本職は製図法の教授)のもので、入ったら俳句を毎回実作するという・・ゼミだったのだそうです。

初めてそこで俳句を作ることとなった著者がどんどん俳句の世界に深く“ハマ”り、後に作家、俳人となったのです。特異な存在の小佐田先生からの影響も大。

この本を読んでいくと、著者は「句会」の重要性をかなり強く説いています。
学生時代も仲間とグループを作り、かなり熱心に句会を開き、そこで様々な句に出会い、揉まれた様子が細かに書かれていて、この本のひとつの見どころとなっていました。

さらに“多種多彩”“多種多様”な俳人に「バントヒットの〇〇」、「肩すかしの〇〇」「牽制アウトの〇〇」などと異名を付けて(^_^;)紹介している章も、とても面白かった。

最後の方で、奥さんが見つけて買ってきてくれた「1960年度版火曜」という俳句集が紹介されていました。
当時としてはかなり高価な本だったようで、和紙張りの箱装で、セロファン紙に包まれている立派な本だが、百五十部しか刷られていない・・。

十五人の俳人の作品が紹介されているので、ひとり頭で割っても十冊ずつになってしまいます。

その内容がもう、私には理解不能だし、著者も作品の凄さに興奮はしているものの、わけがわからないのは私と一緒という状態です。

積木の狂院指訪れる腕の坂

暗呪。沖から手が出て 夜を漕ぐ

水虫や猿を飼うかもしれぬ我

などなどですが、「なんか凄そう」と思うものの、理解できないのです。
こういう句があったのだ、ということを知り、俳句への今までの感覚が少し変化したように思います。

内容充実の、しかも読みやすい、面白い本でした。

 

俳句を詠んでみる_0393【 東風(こち) 豊川稲荷に 融通金あり 】

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豊川稲荷東京別院にお参りして初めて目にしたもので一句詠みました。

【 東風(こち) 豊川稲荷に 融通金あり 】

《背景》季語:東風[春]
港区元赤坂の豊川稲荷東京別院にお参りした。
豊川荼枳尼真天(だきにしんてん)の持つ宝珠は「抜苦与楽」の融通が叶えられるとのことで、院内の融通稲荷には写真の「融通金」が置かれ、それを授かることが出来るようになっていました。
財布の中に入れ、祈念し、後に礼金を附して奉納するのだそう。
初めて知り、初めて見て、いただくことにしました。
その時の心境で一句詠みました。

 

 

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2025/03/19

「短歌と俳句の五十番勝負/穂村弘・堀本祐樹」を読みました。

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『短歌と俳句の五十番勝負/穂村弘・堀本祐樹(新潮社)』を古本で見つけ、読んでみました。

2018年発行のもので、歌人・穂村弘さんと俳人・堀本祐樹さんが、様々な職種の方々からいただいた「お題」で、それぞれに短歌と俳句を詠んで勝負していくという内容の本でした。

ご両名の本も過去に読んだことがあって、なんとなくどんな人かは分かっていましたが、やはりお二人とも“一筋縄ではいかない”感じで、双方譲らずという感想です。

読んでみて意外に感じたのは、私の感覚としては、短歌の方が“優雅”というか、ゆったりとして、出題されたお題に対してもふわりと受けとめて、やんわりと流れるように応える・・と思っていたのですが・・。

実際には、短歌は当意即妙に“言いたいこと”を言っているし、割と断定的で、余白は無く、どちらかというと、詠み手の考えを“突きつけられた”感じでした。

俳句の方が五七五のリズムでまな板の上で弾むようにお題を料理し、「答えはひとつ」みたいな押しつけがましいような応えになるかと思いきや・・逆に季語などを絡めて、こちらの方が典雅と言えるくらいの、ある意味“曖昧さ”を残すような感じで仕上がっていました。

予想は大きく外れましたが、それはそれで面白く、短歌は十四文字長く使える分だけ、相手を言い含めるような、頭の中も“キレ”がある人が詠んでいるという印象に変りました。

俳句の方は、大きく余白を取り、ある意味“どうとでも取れる”言い回し、表現が逆に功を奏し、奥深いような印象に、こちらも切り替わりました。

私は今のところ俳句のみ頑張って一年間詠んできて、未だに短歌には手を付けておりませんが、いつか何らかの形でやってみようという気持ちが起こっているところです。

穂村さんの短歌は、私にも理解しやすく、ご著書にしても読みやすい印象があるので、また何冊か読んでみた後、短歌にもチャレンジするか判断したいと思います。

 

俳句を詠んでみる_0392【 風光る 洗濯ピンチ 揺れている 】

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洗濯ピンチがベランダで揺れている様子を詠みました。

【 風光る 洗濯ピンチ 揺れている 】

《背景》季語:風光る[春]
麗かな春の日、風がきらきらと輝くように吹いて、洗濯ものを干そうと物干し竿に架けたピンチが揺れている様子を詠みました。

 

2025/03/18

俳句を詠んでみる_0391【 春の雪 ラジオ聞きつつ 毛玉取り 】

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外では春の雪がちらちらと・・所在無げにすることと言ったら・・という句。

【 春の雪 ラジオ聞きつつ 毛玉取り 】

《背景》季語:春の雪[春]
外を見ると春の雪がちらほら。
出かけるわけにもいかず、ラジオを聞きながら、この冬に着たセーターの毛玉を取っている。
そんな何でもない様子を詠みました。

 

2025/03/17

俳句を詠んでみる_0390【 言葉 弾む 珈琲時間(コーヒータイム) 長閑(のどか)に 】

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妻との午後のコーヒータイムを句にしてみました。

【 言葉 弾む 珈琲時間(コーヒータイム) 長閑(のどか)に 】

《背景》季語:長閑[春]
豆を挽き、妻と午後の珈琲タイム。
話題はあちらに飛び、こちらに飛び、行き交う言葉も種々雑多で、季語の話や、テレビ番組、初めてラジオで知った言葉など。
長閑(のどか)に流れて行く午後の時間を詠みました。

 

2025/03/16

俳句を詠んでみる_0389【 逃げ水見た 言い換えれば と また云う 】

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「言い換えれば」と言いながら“言い換えていない”人を思い出して一句詠みました。

【 逃げ水見た 言い換えれば と また云う 】

《背景》季語:逃げ水[春]
逃げ水は、道路などで遠くに水があるように見え、近づけば遠のいて見える現象。
話を本論に持っていこうとすると、「言い換えればそれは・・」と論点をずらす人を思い出し、詠んでみた。

 

2025/03/15

「およばずながら -俳句と俳人と編集者-/石井隆司」を読みました。

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『およばずながら -俳句と俳人と編集者-/石井隆司著(KADOKAWA)』を読みました。

俳句界の名物編集者と呼ばれる著者石井隆司氏が今は亡き俳人達との思い出を、俳人の素顔、さらに印象に残る言葉や、出来事を織り込んで書かれたものでした。

初出は俳誌「汀」2019年1月~2023年8月号に連載されたもので、書籍化にあたり再編集し、加筆修正し、書き下ろしを加えたもので、2023年12月に初版発行されています。

著者が駆け出しの頃の話題も多く、まだ俳句そのものがよくわかっていない時代に俳人から随分と心がけて面倒をみてもらったり、厳しい言葉をもらったりと、私自身が若い頃に失敗したり、叱られたり、噛んで砕いて教えてもらったりしたことを思い出しました。

今、私も俳句を詠み始めてから一年が経過しましたが、その私の心にも残った俳人からの言葉がありました。

「俳句をはじめると幸せになるよ」・・今まさに実感しているところです。
人間生きていれば、何かしらの問題を抱えていたり、今がつらい時期だと思うときがあります。
俳句を始める前と今では、やはりひとつ心のささえというか、何か誰かが励ましてくれているような感覚が追加されたような気がします。

「俳句が無かったら、あの困難に立ち向かえただろうか、と思う」・・という言葉も深く印象に残りました。

今までは、なんであんな酷いことを言うのだろう、過剰なくらいの仕事を丸投げして平気でいられる神経がわからない、などと思ったことがありましたが、俳句を詠むという行為によって、それらは一旦冷却されて冷蔵庫にしまわれたような感覚になるのです。

そして自分の心の中で俳句を読み返すことにより、怒りや苦しみが和らいでいくのです。

どの俳人とのエピソードもいい話ばかりでした。

何冊も読んできた俳句関連本でしたが、この本は俳人の言葉や行い、たたずまいを見ながら俳句を味わうという“別角度の視点”を感じることができて、良い本だと思いました。
入り込み過ぎると泣いてしまうかもしれないので、用心してください。

 

俳句を詠んでみる_0388【 駅の時計 消えゆく 斑雪(はだれ)の如し 】

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「駅の時計はどんどん消えている」という話を聞いて一句詠みました。

【 駅の時計 消えゆく 斑雪(はだれ)の如し 】

《背景》季語:斑雪[春]
   ※斑雪(はだれ):春の積雪は冬ほど積もらず、土が見えている。
    消えかけ、消え残っている雪の様子を表している。

ラジオで、駅にある時計が撤去されていく傾向にあると聞いた。
既に30%も減少しているとのこと。
携帯電話で時刻はわかるだろうという。
何かがおかしいと思ったが、時代の流れには逆らえない。
消えてゆく駅の時計は、斑雪のようだとおもった。

 

2025/03/14

俳句を詠んでみる_0387【 春の昼 妻と参拝 寿司ランチ 】

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ちょっと遠くに妻と出掛け、神社参拝しお昼は・・という句を詠みました。

【 春の昼 妻と参拝 寿司ランチ 】

《背景》季語:春の昼[春]
暖かな日になり、妻と木更津に出掛け、八剱八幡神社にお参りした。
参拝後、ちょうどお昼となり、神社脇の道沿いにあった「剣寿し」という年季の入った寿司屋に入ってみた。
二人でランチを食べ、大将と昨今の木更津の様子などの楽しい会話をした。
のんびりとした良い昼食になった。

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2025/03/13

俳句を詠んでみる_0386【 辛夷(こぶし)咲く 忘れればいいのに だとさ 】

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「忘れればいいのに」って言う人がいて、思ったことを詠みました。

【 辛夷(こぶし)咲く 忘れればいいのに だとさ 】

《背景》季語:辛夷[春]
「忘れればいいのに」って、言われたけど、忘れられないからこんなに落ち込んでいるのだ。
辛夷の蕾(つぼみ)のように頑(かたく)なになっていたが、仕方ないから花開くことにする。

 

2025/03/12

俳句を詠んでみる_0385【 春の風 子ども110番 揺らす 】

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小学校から依頼されて登録した「子ども110番」の看板で一句詠みました。

【 春の風 子ども110番 揺らす 】

《背景》季語:春の風[春]
暖かく、のどかに吹く春の風が登録して玄関に掛けてある「子ども110番」のプラカードを揺らしている。
もうすぐ新入生が前の道を歩いて行くことだろう。

 

2025/03/11

「最後の花時計/遠藤周作」を読みました。

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『最後の花時計/遠藤周作著(文藝春秋)』を古本で手に入れ、読みました。

初出は「産経新聞」の1993年12月~1995年4月に連載されたもので、この「最後の花時計」が刊行されたのは、1997年1月となっておりました。

読んでみて、三十年以上前のものですが政治的なことにかなり踏み込み、他国との国際的な関りについて政府、政治家にもモノを言い、しかもそれはかなり強い語調です。

医師からの深刻な病名の告知のやり方や、治療方法について、看護師(当時は看護婦と書かれています)の立派な仕事ぶりに病院側は環境を整備してあげなさいとの提言も繰り返しありました。

老いることの辛さや、自らどう感じているのか、作家仲間の死についても書かれていました。

正直言って、私には自分が中学時代に読んだ「ぐうたらシリーズ」の印象が強かったため、こんなにシリアスな文章ばかりの内容に驚きました。

また、当時はここまで書いても大丈夫だったのだな、とあらためて感じました。
“炎上”なんてものは、インターネット以前だし、そんなものはありません。
また、これほど自由な発言が出来たことに、当時の寛容な感覚がわかりました。

今や、とにかく重箱の隅を楊枝でほじくるような“いいがかり”“逆ぎれ”が横行していて、かえって“不自由”で、言いたいことも言えない空気が漂っているような感じがします。

遠藤氏の文を読んで、けっこう現在露呈し始めた社会の歪みがこの頃に芽生え始めていたのだとも感じました。
薄っすらとその当時の世間で感じられていたことが今現実化し、あらゆる分野で“ぐずぐず”となり、あと数年も経つと修復不能な世界になっているんじゃないかと不安にもなりました。

人間の愚かさを、今にしてその結果が見えてきたこの段階で、あらためて再確認するような読書となりました。

 

俳句を詠んでみる_0384【 余寒 街が暗くなった日々 想う 】

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3月11日に、14年前のことを想う。

【 余寒 街が暗くなった日々 想う 】

《背景》季語:余寒[春]
『 3.11 』の今日、あの日の震災を想う。
翌日から公の施設の灯りは減灯され、駅や公共施設、街の灯りは暗くなった。
逆に「今までは何と明るい世界だったのか」とも思った。
仕事で巡った省庁の庁舎内では、懐中電灯の携帯が必要になった。
あの日に生活していた人の心に、真っ暗になった街の記憶は残っているだろうか。

 

2025/03/10

俳句を詠んでみる_0383【 麗かな日に 妻と歩く参道 】

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ここ一年間、俳句と神社巡りは新鮮な気持ちと心の安寧の源となっています。

【 麗かな日に 妻と歩く参道 】

《背景》季語:麗か[春]
昨年から、妻と様々な地域の色々な神社を訪ね、詣でることが二人の愉しみになったと感じるようになった。
神社には、それぞれ独特の雰囲気があり、空気を感じ、その町の様子もわかり、人生の楽しみとなってきた。
その気分を詠んでみた。

 

 

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「星空の谷川俊太郎質問箱/谷川俊太郎」を読みました。

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『星空の谷川俊太郎質問箱/谷川俊太郎著(株式会社ほぼ日)』を読みました。
2018年第一刷発行となっておりました。

詩人の谷川俊太郎さんが子供から大人まで、さまざまな質問を受けて見事な回答をするという本でした。

ほんとうに晴々と気持ちの良い、毒づいたり、暗い気分にならない回答ばかりで安心しました。
最近は、些細なことにも突っかかるような人ばかりの世の中、こんなに正直に、ストレートに物事を考えて、すっと回答するような人は皆無と言ってよいでしょう。

うれしくてあっという間に読み終えました。

どれもこれも気持ちよかったのですが、ちょっと変った設定の質問をひとつご紹介いたします。

【質問】
毎日、食べて寝て、しあわせな顔をしています。
オレたち、ほんとにこれで合ってんのなか?
(上野動物園のバクとカピバラ 七歳、八歳)

【回答】
合ってます合ってます。
何かしなくちゃいけないと思うのは人間だけ。
他の生きものたちはみんな
そこにいるだけで満足してます。
いのちはただ生きているだけが基本。
ただ生きているだけでは満足できなくなった人間は、
いのちプラスアルファのおかげで
不幸になりましたね。

いいなぁと思いました。
私達は生きていて、日々いろいろなことを経験して、何かあるけれど生きて行く。
それでいいのだ、と思うんだけど、でも国土を拡げようとしたり、自分と異なる考えの人達を同じ人間なのに攻撃したり、あるときは殺してしまったり。

今のままで平和に暮らしていけるのに、ディールだ、カードを切るだと無理難題を吹っ掛け、自分だけが得をすることに汲々とする人物も現れた。
人間の醜さを見事に表現していることにだけは感服する。そしてそれの“ミニ版”はどこにでもいる、職場その他にも。

特に近年、顔を見ただけで一日が台無しになるような、怖ろしい人相の人ばかりが大増殖しているように思います。

基本的に意地悪な回答なんてひとつもない、そして意地悪な質問をする人にはすっと“かわし”て、そんな質問自体に意味がないことを言う、そんなとてもいい本でした。

 

2025/03/09

「心を癒す音楽/北山修 編・著」を読みました。

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『心を癒す音楽/北山修 編・著(講談社)』を古本で見つけ、読みました。

2005年発行の本で、「九州大学人間環境学研究院北山研究室」で行われたミュージック・デザイン・プロジェクトが、《こころの専門家》たちに、これまでの人生で癒された曲を選んでもらい、ヒーリング・ミュージックの傾向を探ったものです。

この本では北山修さんが編集し、35人の方がそれぞれの曲にまつわる思い出を書いてもらう形になっています。
そんな中で、音楽がこころに与える影響を解き明かそうとしています。

曲のジャンルは多岐に渡り、ジャズ、ロック、ポップス、クラッシック、歌謡曲、フォーク・ソングなどなどでした。

読んでみると、それぞれの方が特に若い多感な時期に聞いた音楽が多かったようです。

私が気になったのは、ビートルズの「ヘイ・ジュード」との関りを挙げた須賀節代(外苑神経科臨床心理士)さんの文でした。

ヘイ・ジュードは、ジョン・レノンとシンシアの離婚に不安を感じていた息子のジュリアンを励まそうとしてポール・マッカートニーが書いたものですが、私にとっても後に歌詞を知る前から、なぜか励まされる感覚のある曲でした。

須賀さんは、さらに深く考え、人は胎内にあっては母子一体だけど、出産と同時にその居心地のよかった場所から追い出される。
そこで人は初めて「傷つき」を体験するのだとおっしゃっています。

その傷つきを埋めようとして、あるいは胎内で得られていた母子一体感を得ようとして、様々な行動をするのだというのです。

それは恋愛行動であったり、飲酒だったり、喫煙、音楽に酔いしれる、映画や演劇の世界で遊んだりすることなどだ・・とおっしゃっていて、私はかなり納得いたしました。

文化活動や芸術、問題行動などをして、いつかは現実に引き戻される。
そこに「切なさ」を感じる。・・・とてもよくわかる ^_^;

現実を感じながらも一時的な幻想世界に酔うことで、人はエネルギーを得て行く。
それは「遊び」の世界。

逆に現実世界を否定し、幻想の世界に生き続けようとするとき、依存症や摂食障害といった問題行動を呈することになる、という理論はよく理解できました。

ヘイ・ジュードには、「一体感」と「切なさ」とを同時に感じながら、この歌にまつわるような「優しさ」に包まれることで癒されて、現実に向かう力がでる、そんなことが内包されているというわけです。

なんだか、私がこの曲に感じていて、言葉に出来なかったことをすべてまとめて教えてもらったような気がします。

こんな話題をそれぞれの心の専門家が語るこの本、とても内容の深い、良い本でした。

 

俳句を詠んでみる_0382【 トランプ 一枚で起こす 春嵐 】

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日々、感じる“トランプ”というカードゲーム

【 トランプ 一枚で起こす 春嵐 】

《背景》季語:春嵐[春]
毎日、毎日、世界中がたった一枚のトランプが起こす風により、右往左往。
テレビなど、そのトランプ一枚の姿を見ただけで厭な気持ちになり、見ただけで暗くなる。
春嵐、収まる気配もない。

 

 

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2025/03/08

俳句を詠んでみる_0381【 春の雪 斑(まだら)な心へと積もれ 】

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心穏やかな日は少ない。良くない知らせもあり、明日からのことも思って一句。

【 春の雪 斑(まだら)な心へと積もれ 】

《背景》季語:春の雪[春]
日々の生活の中、良い知らせもあれば、悪い知らせもあり、心は千々に乱れ、まだら模様となる。
予報では明日は雪とのこと。
複雑な心境を白く積もって穏やかに隠してほしいと思った。

 

2025/03/07

「駅弁の丸かじり/東海林さだお」を読みました。

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『駅弁の丸かじり/東海林さだお著(文春文庫)』を読みました。
かなり古いです。1999年第一刷発行となっていました。

夜中に仕事上で消しゴムが必要となり、コンビニに行き、消しゴムを買いつつ、気になってしまったアルミ鍋のカレーうどんを買ってきてしまう。

そして、作っているうち(最初は温めるだけだけだったけど)に、さらにカレー粉を足したり、スープの素を加えたり・・(^^; でもって、我慢できなくなって、またコンビニに。

豚コマ、玉ネギ、ネギを買ってきて、アルミ鍋に足す・・^_^;

もういいだろうと思ったら、戸棚にあったガラムマサラまで投入。

やがてアルミ鍋では入り切れなくなって、本物の鍋にカレーうどんを移すという・・たぶん日本中で東海林さん以外やらないことを深夜にやっている様子が書かれていました。

また、椎名誠さんがロシアのビールは不味く、「馬の〇便のようだ」と書かれていたのを思い出した東海林さん。
あれこれ日本で買えるロシアビールを買ってきて、最後に椎名さんが言っていたように本格的に不味いビールを飲み、「やったぁ!」と喜んでいる(^-^;

こんなんばっかのエピソードが満載で、いつものとおりです。
呆れたり、面白がったりしているうちに読了いたしました。

感想は、いつもこんなでありがとう、という感じです。

 

俳句を詠んでみる_0380【 クルマ降りて 春の雨の匂いする 】

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小降りの雨の中、クルマを降りてきた妻のひと言から一句詠みました。

【 クルマ降りて 春の雨の匂いする 】

《背景》季語:春の雨[春]
一昨日は“ちらちら”と雪が降ったが、その翌日は小降りの雨。
仕事から帰ってきた妻が、クルマから降りた瞬間「あっ、春の雨の匂いがする」と言った。
それを聞いて一句詠んだ。

 

 

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2025/03/06

俳句を詠んでみる_0379【 春の朝 続きが見たい 夢だった 】

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谷川俊太郎さんの子供からの質問への答えが面白くて、そこから発想して句を詠みました。

【 春の朝 続きが見たい 夢だった 】

《背景》季語:春の朝[春]
ラジオを聞いていたら、谷川俊太郎さんが子供の質問に答える本が読まれていた。
「おいしいものを食べていた夢の続きを見たいときは、どうすればいいの」と問われ、谷川さん「目覚めた時、大きな声で“続く”と言うといいよ」と。
余りに可笑しくて「夢の続き」をモチーフにして句を詠んでみた。

 

2025/03/05

俳句を詠んでみる_0378【 あの日 午後 東京が揺れ 冴え返る 】

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ラジオであの 3.11 を振り返る内容の番組を聞きました。私も思い出して一句詠みました。

【 あの日 午後 東京が揺れ 冴え返る 】

《背景》季語:冴え返る[春]
ラジオの俳句番組を聞いていたら、3月11日が近づき、「東日本大震災」を兼題に句が詠まれていた。
私も一句詠んでみた。
当時は東京勤務で、職場の書物はふっ飛び、ビルの窓からは遠くの高層ビルがコンニャクのようにくねくねと揺れていた。
眼下の池の水が外に飛び出し、人が路上にあふれだした。
その日は千葉の自宅に帰れず、一夜を職場で明かした。
あの日あの瞬間を思い出した。

 

 

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2025/03/04

「前略、高座から-。/柳家三三」を読みました。

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『前略、高座から-。/柳家三三著(三栄)』という本を読みました。
古本で手に入れたのですが、発行は2020年となっていました。

内容は、雑誌『男の隠れ家』に2015年から2020年まで掲載された柳家三三さんのエッセイをまとめたものです。

三三さんの少年時代の思い出や、小三治師匠のもとでの下積みの頃の話題、噺家同士の間でのエピソード、全国に旅したときの出来事など、話題は多種多彩でした。

最近、落語からちょっと離れていて、三三さんの落語はまだ聞いておらず、ラジオなどでお話ししているのは聞いたことがあるのですが、そんな状態でこの本を読んでの三三さんの印象は、とても真面目で、しかもそれぞれの話題の提供の仕方が丁寧でした。

わかりやすい言葉を使い、誰が読んでも読みやすい、しかもちょっと“くすっ”とするようなくすぐり方で笑いを起こす形でした。

他の噺家さんの本も何冊か読み、このブログでもご紹介していますが、それらに比べると、非常に上品(^^;

とんでもねえヤツを罵ったりすることもなく、自らの失敗も開き直ったりせずに、冷静に書いていて、静かに反省している感じ。

なので、私にはやや刺激が足らないというか、もっと“ワサビ”を効かせて欲しい、などとも思いました。

上野、池袋、浅草などの寄席の紹介や、楽屋内での噺家達の様子、正月などの忙しく働いていた若手の頃の話などは、落語初心者の方にも十分興味を持たせる内容でしたので、落語未経験の方にも読んでいただきたい本でした。

そして、私にも久しぶりに寄席に行ってみようかという気持ちを起こさせてくれました。

近いうちに上野か、浅草の寄席で落語を聞こうかと思います。

 

俳句を詠んでみる_0377【 暖かな日 縄文の貝に出会う 】

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チラシからその企画を知り、出掛けた「貝と人」という展示。そこで見つけたアワビの貝殻を見て一句詠みました。

【 暖かな日 縄文の貝に出会う 】

《背景》季語:暖か[春]
千葉市中央区南生実町にある埋蔵文化財調査センターの「貝と人」展を見に行った。
素晴らしい展示ばかりだったが、その中に発掘された縄文時代のアワビの貝殻をクリーニングして、ピカピカと輝いているものを見つけ、まるで昨日拾ってきたかのような美しさに見とれ、句にしてみた。

 

 

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2025/03/03

俳句を詠んでみる_0376【 久留里神社 潤す音 春の水 】

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久留里神社を訪れ、その水音に生き生きとした歴史を感じて詠みました。

【 久留里神社 潤す音 春の水 】

《背景》季語:春の水[春]
歴史ある久留里神社を訪ねたが、令和元年の台風15号により、拝殿が倒壊し、応急処理されたままとなっていた。
お参りをしたあと住職に会い、義援のつもりで朱印帳と御朱印をいただいたら、お札を逆にいただいてしまい、恐縮した。
久留里は“水の里”と言えるくらいきれいな水が町中あふれているが、神社の周囲にも流れの速い豊かな水量の小川があった。
神社全体を元気づけているかのようだった。

 

 

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2025/03/02

「奇縁まんだら/瀬戸内寂聴 文・横尾忠則 画」を読みました。

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『奇縁まんだら/瀬戸内寂聴 著・横尾忠則 画(日本経済新聞出版社)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
また、この本では寂聴さんが様々な文豪などと接したときの“奇縁”を書いているのですが、その相手の絵を描いているのは、あの横尾忠則さんです。

瀬戸内さんの臨場感溢れる文も見事ですが、横尾さんの絵は、それぞれの人物ごとに独特の異なる表現をされていて、それもまた見どころになっているという、とても充実した内容の本でした。

とにかく登場する人物が凄い。ほとんどが文豪と言われるような人ですが、岡本太郎さんという今も光り輝く芸術家も登場していて、一人たりとも、一頁たりとも見逃すことのできないものでした。もう話題がぎっしりでした。

川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎なども登場していますが、あの瀬戸内さんがまだ若手作家だったり、三島さんとの出会いなどは、瀬戸内さんが女学生でファンレターを三島さんに出していた頃に呼ばれて会ったという、「そうなんだ」と驚く事実も書かれていて、最初のペンネームも三島さんから瀬戸内さんはいただいています。

とにかく今や歴史上の人物ともなっている当事者に直接瀬戸内さんは会っているので、あの谷崎潤一郎と佐藤春夫の「妻譲渡」という ^_^; 新聞にも載った事件についても、さらにそこには別の男性が絡んでいたという驚愕の事実まで書かれていました。
ここには書けないけど、あまりの驚きに身体中の力が抜けていくのを感じました。

岡本太郎さんの全盛期(1970年の万博前に模型を使って打合せしているときの様子も書かれていた)から、晩年、亡くなるところまでの関りも深く、まるでそばで見ているような気になる書きぶりに、どんどん引き込まれました。

終盤で出てくる遠藤周作さんの皆を笑わせて、場の空気をやわらげる様子から、瀬戸内さんと二人きりになると「死ぬのが怖い」としみじみと語り出す様子。
自らの宗教的な立場に置かれている状況を静かに語る部分にも心惹かれました。

そして遠藤さんの体調がいよいよ悪くなったときに、対談相手を寂聴さんに選び、対談の場に人に支えながらやって来て、最後の会話をするときの様子、さらにその部屋を出て、人に支えられながら遠ざかっていく姿を見て泣きだす寂聴さん・・私も読んでいて泣いてしまいました。

中学生の頃から大学時代まで、遠藤周作先生の本は、愉快な「ぐうたらシリーズ」から「海と毒薬」などの宗教的な純文学までたくさんの本を読んだ私には、ぐっとくるものがありました。

300頁を超える内容がパンパンに充実したこの本でしたが、続編も有り、実はそれも古本で既に手に入れております。

少し身体を休めてからその続編にも突入できたらと思っています。

 

 

俳句を詠んでみる_0375【 春浅し レジで お釣りとパイン飴 】

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“昭和”なお店で食事の後、支払い。お釣りと一緒に貰ったのは・・という句です。

【 春浅し レジで お釣りとパイン飴 】

《背景》季語:春浅し[春]
久留里駅近くの、昭和がそのまま残ったような「喜楽」という中華屋さんに入り、昔なつかしい中華料理を食べ、レジで代金を払うと、お釣りと一緒にパイン飴をもらった。

 

 

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2025/03/01

俳句を詠んでみる_0374【 春の空 水溢るる 久留里城下 】

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久留里という町、知っていますか?そこを訪ねて一句詠みました。

【 春の空 水溢るる 久留里城下 】

《背景》季語:春の空[春]
千葉県君津市久留里の久留里城を訪れた。
急な勾配の山道を登り、天守閣のある山の上から、かつての久留里城下を見下ろすと、
古(いにしえ)の城下町の様子が今でも感じられた。
久留里は水が豊富なところで、今でも町のあちこちに上総掘りの井戸から汲み上げた水が滾々と湧き出していた。

 

 

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