「あちらにいる鬼/井上荒野」を読みました。
『あちらにいる鬼/井上荒野著(朝日文庫)』を読みました。
2019年に刊行された作品の2021年文庫化版です。
1966年、講演旅行をきっかけに男女の仲にになる二人の作家。
繰り返される情事に気づきながらも心を乱さない男性作家の妻。
それは著者、井上荒野さんの父・井上光晴氏と荒野さんの母、そして光晴氏の愛人であった瀬戸内寂聴さんの実に特別で特殊な関係を描いた作品となっていました。
どこまでが事実なのかはわかりませんが、主な参考文献として挙げられている寂聴さん他の著書の数を見たり、実際に荒野さんが寂聴さんから聴取した時に「何でも話しますよ」と言われていたということもあり、内容は「衝撃的」というほかないものでした。
登場する三人それぞれの視線から描かれているこの作品は、三人三様の心の中まで入っているように感じられ、読んでいるこちらはその誰の立場から見ても胸が痛くなるようで、その地獄のような状態がいつまで続くのか、という気持ちを成り代わって感じてしまい、最後の数十ページに入ってくると倒れそうになりました。
井上光晴の本妻である荒野さんのお母さんの心情などは、実に不可思議というか、複雑というか、すべて受け流しているようで実にキツイ状況であり、その描き方も精緻なものと感じました。
また、寂聴さんの乱高下するような心持ちと人生も嵐のあとに凪がやってくるようで、しかも驚くべきことに本妻とは光晴氏が亡くなる前からも、そして死後も穏やかで良好な関係を続けています。
小説の初めでは、幼かった荒野さんも大人になり、小説家になり、寂聴さんと接し、その関係も良好なものです。
光晴氏の嘘をつきながら次々と女性遍歴を重ね、それでもなんだか威張っている、時にオドオドする、また“すっ呆ける”様子は、逆に本妻と寂聴さんには何故か離れるに離れられないことになっていく。
光晴氏の具合が悪くなり亡くなるまで、そして本妻の荒野さんのお母さんも亡くなることになるのですが、そのあたりの時期の描写は読んでいてこちらが具合が悪くなるくらいの凄まじい筆致でした。
巻末に解説を書いている川上弘美さんが、ラストのあたりの寂聴さんの立場で書かれている部分などは、まるで寂聴さんが書いていると思えるくらいに文章が似ているとおっしゃっていて、私も心が揺さぶられるようでした。
男と女というものの不思議な関係、謎、人生との絡み方など、体力・気力のある方は読んでみて真正面から受けとめてもらいたいと思えるような力作でした。
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