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映画『カーテンコールの灯(Ghost light)/2024年 アメリカ 監督:ケリー・オサリヴァン、アレックス・トンプソン 脚本:ケリー・オサリヴァン 出演:キース・カプフェラー、キャサリン・マレン・カプフェラー、タラ・マレン、ドリー・デ・レオン』を見てきました。
割と小さな独立系の作品でありながら、なかなかの力作というか内容は濃く、家族や仲間との滲み出るような深く情愛あふれる映画でした。
それぞれに心に傷を負った家族三人の物語なのですが、夫・妻・娘の配役は三人とも実の家族という・・驚きの“そのまんま”キャストです。
この三人家族にはさらに長男がいたのですが、不幸な亡くなり方をしていて、その亡くなり方がシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のロミオ的な亡くなり方をしていて、この事件が家族に重い影を落としています。
建設工事現場の作業員をしている主人公はもう年配なのですが、精神的にもつらい状況で、仕事も追われるような状態になりつつあり、悩みの淵に居るときに半ば強引に地域のアマチュア劇団に参加することになってしまい、そこからこの映画のストーリーは急展開を見せます。
家族の状態が悪くなりつつある中で、素人ながら次第に劇団での活動に生きる意味を少しずつ見出していく主人公。
そこで演じる演目はなんと「ロミオとジュリエット」で、脇役から入っていったのに、突然の配役変更でロミオ役に。
超年配のロミオとジュリエットとなるのですが、最後の勘違いの死のシーンには現実と重ね合わせてしまうことになり、精神的に耐えられず、いったいどうなっていくのだろう・・と見ているこちらは気をもみます。
家族に劇団活動をしていることがバレてからの家族関係も繊細で見応えがあり、娘との関係回復なるか、と手に汗握ります。
そして、エンディングの「ロミオとジュリエット」本公演。
どうしても出来なかった「死のシーン」を主人公は演じられるのか、もう自分も家族になったような気持ちで見守りました。
そして劇団員の仲間達との関係も心動かされました。
もう涙なしには見られないエンディング。いい映画でした。
私が求めている映画、物語はこういうものだとあらためて感じました。
ストーリーと共にロミオとジュリエットが進行していく見事な展開、ぜひ映画館で見てほしい作品だと思いました。
『NHK俳句 今日から俳句/片山由美子著(NHK出版)』を古本で見つけ、読みました。
2012年第一刷発行となっていました。
著者は、NHK俳句選者で、句集多数、評論集も出されています。
またエッセイ集などもあり、第5回俳句研究賞、第21回俳人協会評論賞、第52回俳人協会賞なども受賞されています。
読んでみて、ひと言で言ってたいへん参考になりました。
季語や季節感、五・七・五の基本的なつくり方などもよくある「もうわかってるでしょ」的な感じもなく、丁寧に教えてくれる本でした。
そして、初心者が使い方が難しくて混乱する「切れ」と「切字」についても例示もわかりやすく、やさしく教えてくれるものでした。
字余りや、字足らず、句またがりなども今までどう考えたらいいのかわからなかったことについてきちんと整理されて書かれていて、悩みも減りました。
まだ私が未知の領域と感じている「文語」での作句についても書かれていました。
これについては、文語そのものの参考書も手に入れているので今後の課題です。
後半に入って比喩や、擬声語、擬態語、擬人法など、素人には使用することの難しいものについて、例示が良いもの、悪いものが書かれていてわかりやすいものでした。
具体的な技法はもちろん参考になりましたが、私が一番感じたのは、自分の年齢から感じる人生を表現できるのではないかということが書かれた、俳句の良さについてでした。
今だから感じ、今だから句にしてみたいことは、ふつふつと私の中にも湧きあがってきているのです。
そんな気持ちを大事に、これからも俳句に向き合いたいと思いました。
『あやしい探検隊 焚火発見伝/椎名誠・林政明(小学館文庫)』を古本で読みました。
1994年~1996年に「週刊ポスト」に連載されたものを1996年に単行本としてまとめ、さらに1999年に文庫化されたものです。
内容としては「焚火の達人」と言ってもけっして過言ではない椎名誠さんと、「野外料理の達人」と言っても過言ではない林正明さん(※椎名さんの「あやしい探検隊」の総料理長でもある)が、“焚火のもと”あやしい人たちと共にあやしい料理を作り、食べ、二人が二人の立場で文を書いた・・というものです。
ほんと、このまんまの内容でした。
最初っからスゴイことになっていて、「タヌキ」料理を作るのです。もちろん食べます。
タヌキの肉は匂い抜きが難しいのですが、あれこれその道のの人に聞きながらなんとか林さんが料理にしてしまいます。
「ぬた」や「燻製」、そして童話などにもでてくる「タヌキ汁」まで・・。
さらにその汁が残ると、うどんを投入!(^_^;)・・これがほんとの“たぬきうどん”となったのでした。
そしてこの事態の一部始終を椎名さんと林さんがそれぞれの立場で文にしていくわけです。
椎名さんはあやしい探検隊の隊長として、そして林さんは料理長として(^^;)実に面白い文章になっておりました。
たぬきのあとは、アンコウと格闘し、さらにモンゴルの大草原に出掛けては、羊をさばくところからの料理に挑戦!
さらに奥多摩で地元の特殊な種類のジャガイモを作るところから、今度はジャガイモ料理に。
たけのこ、油揚げ(揚げるところから豆腐屋さんに作り方を教えてもらい、やってみる)・・などなど、飽くなきチャレンジが敢行されるのでした。
まだ登場する皆さんは若い(太田和彦さんもいた)ので、実に豪快な焚火料理天国となっておりました。
全国のワイルドな皆さんはぜひ一度読んでみていただきたいと思いました。
もう、今現在、こんな人たちは“絶滅危惧種”ですから。
映画『突然、君がいなくなって(原題:Ljosbrot/英題:When The Light Breaks)/2024年 アイスランド=オランダ=クロアチア=フランス 監督・脚本:ルーナ・ルーナソン 出演:エリーン・ハットル、ミカエル・コーバー、カトラ・ニャルスドッティル、バルドゥル・エイナルソンアゥグスト・ウィグム、グンナル・フラプン・クリスチャンソン』を見て来ました。
アイスランド中心の映画なんて今まで見たことがあったかなぁ・・と思いつつ、色彩の使い方や、クリアでない画像から受ける不思議な印象、カメラのアングルも独特です。
主人公は美大生の女性ですが、恋人との関係は秘密になっている。
それは彼に遠距離恋愛をしている長年の恋人がいて、今まさにその遠距離恋愛の恋人に彼が別れを告げに行く前夜だ。
そして、クルマに乗り別れを告げに出かけるが、途中の事故で帰らぬ人となってしまいます。
誰もが彼女と認める遠距離恋愛の彼女がやって来て涙を流し、悲しむが、でも主人公の女性は、まだ誰にも現在の彼女だとは言っていない・・。
突然に最愛の人を失い、その悲しみを誰にも打ち明けられない。
そして遠距離恋愛をしていた彼女と主人公の女性は、狂おしいほどの緊張感の中、徐々に近づき距離感を詰めていきます。
それだけのストーリーなのですが、でも心模様の中身は濃く、美しい背景などの映像も伴なって魅力的な映画になっていました。
巨額の予算で一大エンターテインメントの大作にしたような映画よりも、ずっと見甲斐のある、心に残る映画でした。
『まわれ映写機/椎名誠著(幻冬舎)』を古本で見つけ、読んでみました。
2000年~2002年にかけ、「星星峡」に連載された作品をまとめ、2003年に刊行されたものです。
実体験をベースにした小説、と、ご本人が書かれていますが、まさに体験中に感じたことがドキドキするような感じで書かれていました。
映像、特にフィルム・映画に幼い頃から興味を持った椎名さんが実際に大人になって自ら監督となり、映画を製作するまでのことが書かれていました。
驚くのは、300頁もあるその半分の部分が、子供の頃の幻灯機との出会いと、それを自ら工作して作り、なんらかのフィルム状のものに絵や文字を入れて、ひとりで見て興奮するだけでなく、友達にも見せ、やがては8ミリ撮影機を持つ友達と出会いどんどん映画というものに興味を持ち、近づいていくところを描いているのです。
ふつうは、こういう部分は手短に思い出として語り、さっさとこの本の後半部分、初めて四万十川にいつもの焚火キャンプ仲間を中心に集め、素人集団と言えるような状態で「ガクの冒険」という、あの有名な“カヌーイスト”野田知佑氏と、“カヌー犬”のガクの物語を映画として撮るというメインに突入するところですが、そうではなく、子供の頃の「撮影と映写」への憧れからやってみたことを事細かに書かれているのでした。
私も似たようなワクワク感を子供の時に感じたことが有り、雑誌付録の紙の幻灯機を作り、壁に映しているだけでは飽き足らず、夏休みの宿題として木工でそのレンズを利用して自作幻灯機を作ったことがあるのです。
さらに巻き取り式に透き通ったセロファンのようなものを細長く切ってフィルムを模したものを作り“映写機”みたいにして一人興奮した記憶があります。
椎名さんも書かれていましたが、昔は8ミリカメラを使うアマチュアのための「小型映画」という雑誌があり、熟読されていたようで、私も8ミリカメラなど持ってもいないのに、その雑誌を買って、読んでみたことがありました。
なんかワクワクする気分はきっと椎名さんと一緒だったのだと思います。
そんなことを椎名さんは、150頁以上使って書かれていたのですが、全然“ダレる”こともなく、ただただドキドキする気持ちで読むことができました。
なので、後半の映画製作の部分がより光り輝いて読むことが出来たのだと思います。
10年間の期間限定で、映画製作会社「ホネフィルム」を作った椎名さんは、「ガクの冒険」のあとも果敢に作品を作られていました。
まさに夢を実現した感じです。
最後までキュンキュンしながら読みました。
実録小説、とてもいい作品でした。
映画『おばあちゃんと僕の約束(Lahn Mah)/2024年 タイ 監督・脚本:パット・ブーンニティパット 脚本:トッサポン・ティップティンナコーン 出演:プッティポン・アッサラッタナクン、ウサー・セームカム、サンヤー・クナーコン、サリンラット・トーマス、ポンサトーン・ジョンウィラート、トンタワン・タンティウエーチャクン』を見てまいりました。
この映画の存在自体を知らなかったのですが、千葉劇場という一般的な上映館では公開されない作品を取り上げる映画館のネット上の広告を見て興味を持ち、実際に見てみたいと思ったのです。
「歴代タイ映画世界興行収入No.1」でもって、第97回アカデミー賞国際長編映画賞ショートリスト選出」と謳われていました。
また、タイの大人気スター、ビルキン映画初主演作だとも書かれていました。
ネットで調べてみると、「涙なしには見られない」というようなことが書かれていて、実際に映画館でエンドロールが流れているときに泣いている老人も何人かいました。
でも、私には泣くような話には受け取れない作品でした。
ラストの展開が表面上は泣けるのかもしれませんが、どうにもそういう受け取り方はできない・・という感想です。
見始めてすぐに、タイの映画っていうふうには、ほとんど感じませんでした。
今の日本もほぼ同じ。おばあちゃんがいて、その子供は相続のことは考えるけど、あまりおばあちゃんの面倒は見ないし、老いていくおばあちゃんの生活のこともあまり考えていない。
でも、おばあちゃんの頭の中にはかつての家族の様子や、タイという国での家族のあり方の典型的な様子がイメージされている。
おばあちゃんの子供世代と孫世代には、それぞれの考え方、ライフスタイルの大きなギャップがある。
亡くなった後の、おばあちゃんの家、土地など価値の“皮算用”、打算が背景にあるストーリーでしたが、孫の男性が打算的におばあちゃんの面倒をみるようになって、そこに自然と浮き上がってくる「愛情」のようなものが最大のテーマだと思いました。
状況的には異なるかもしれませんが、日本の家族・一族にも存在する問題がそこにあり、まざまざと見せられた・・という感じでした。だから泣いているような暇は無かった・・。
今の私達にとって「見る価値・考える価値」のある映画だと思いました。
三回目になる長嶋さん現役時にスクラップしておいた新聞記事について。
今回は、あの引退翌日の朝刊切り抜きです。
よく残っていたと思います。
当日は、巨人軍のシーズン最終戦。中日はセリーグ優勝をすでに決めた後です。
その中日とのダブルヘッダーでした。
第一試合が終わって、長嶋さんは予定外のグランド一周しての観客へのお別れの挨拶を行いました。
一枚目の写真がそれです。
その日の夜の引退記念テレビ番組でもその様子が流れていたことを思い出します。
あの長嶋さんが泣くんだ・・と思いました。そしてひとつの時代が終わろうとしていると感じました。
そして四枚目の写真には、その日やがてジャイアンツの一員になる法政大学の江川投手の活躍の様子が記事となっていて、まさに新旧交代の感があります。
その江川もとっくの昔に引退し、そして長嶋さんは亡くなってしまった・・。
この引退試合のあと、シーズンオフにはアメリカからニューヨーク・メッツが日本との親善試合にやって来ました。
長嶋選手は、全国のファンとのお別れを兼ね、この親善試合に帯同し、最後の姿を日本各地の球場で披露したことをご存知の方はもう少ないかもしれません。
私も父に連れられ、後楽園球場でメッツとの親善試合を見ました。
長嶋選手はライト線に痛烈なヒットを放ち、一塁から外野の間の比較的前の方の席にいた私はその打球がライト線に転がっていく長嶋の打球を目に焼き付けました。
当時は応援団も無いので、プレイ中は音が良く聞こえ、長嶋の打球が後楽園のライン際外野芝生上をすごい勢いで転がっていく“ササササッ”という音が聞こえました。
今でもその音は記憶に強烈に残っています。
今回は、引退試合を含めた記事のご紹介でした。
もう一・二回スクラップ記事のご紹介が出来ればと思っています。
『そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか/能町みね子著(文春文庫)』を古本で読みました。
週刊文春の連載「言葉尻とらえ隊」の2018年~2020年までのものから選抜・改稿し、まとめたものと記されていました。
義母を病院の検診に送別したときに、病院で検査などの時間待ちの時に読みましたが、もともとの連載文が「言葉尻とらえ隊」というタイトルのものから持ってきているとのことで、文字通り“言葉尻”を捉えて食い下がるというか、食らいついている感じの内容に疲れました。
5~7年前の連載文なので、今となってはもうあの頃のSNSでの一言に炎上したり、遠慮会釈のない誹謗的なコメントが集まった事象などについて事細かに喰いついているのですが、現在の段階で私が読むと、「もう、うんざり」という感じでした。
病院の待合ロビーで読んでいたのですが、自分が具合悪くなり、入院したくなりました。
この頃はよかったのかもしれませんが、芸能人などの行動、発言、世の中で目だっている人の奇異ともとれる言動などについて突っ込みが入るわけで、今の私には神経がおかしくなるような事ばかりで、思い出すのもイヤなことばかり。
この本が出た頃だったら、どんどん読み進むことが出来たのかもしれません。
しかし、今のSNS全盛の風潮に身も心も“削られた”ような心境の私にはもう読む力が残っていませんでした。
疲れ切ってしまい、感想としてはこのくらいです。
面目ない。
『児玉清の「あの作家に会いたい」人と作品をめぐる25の対話/児玉清(PHP研究所)』を古本で見つけ読んでみました。
2009年第一刷発行となっていました。
児玉清さんは世に知られた読書家でもありましたが、作家25人と対話していくという本になっていました。
角田光代さん、村山由佳さん、江國香織さん、北方謙三さん、三浦しをんさん、山本兼一さん、有川浩さん、石田衣良さん、小川洋子さん、川上弘美さんなど私にとっても興味深い作家との対話で、どんな家庭に育ったのかとか、どんな本を何時頃から読んできたのか、また作家を志したのはいつから?など、作家の方々はけっこうスラスラと語っていらっしゃいました。
それぞれの作家についての質問などにふれると大変な量になってしまいますので、私が特に感じるところがあった部分にふれたいと思います。
上橋菜穂子さんとの対話の中で語られたフレーズに、「読書は想像力を養ってくれるものなのに、今の世の中は見たものだけが現実だと思っていて、社会が大人性を失っている感じがします。」という部分がありました。
読書の良さと、読書をあまり大切にしない世代・人たちの相反性、さらに現代の世相の一端を感じました。
もうひとつは、石田衣良さんとの対話の中で出てきた部分です。
「一つ言えるのは、本を読まない人は“ソン”をする。情報の九割は言葉でできていますから、読まないとますます情報格差が広がっていくでしょうね。」
「映像の中ばかりで育ってしまうと、見たものだけを現実と勘違いしてしまいますよね。」
というところでした。
最初のものと共通するものがありますが、とにかく、ネット、動画などに大きく影響を受け、想像力に欠け、妄信的に一方の言い分だけを信じるような現在の世の中の様子が頭の中に浮かびました。
それと、やはり驚くべきは児玉さんの読書の量と、分野、深さでした。
作家がこんな本を読んできた、という例を挙げると、ほとんどを読んでいて、的確なコメントをする児玉さん、スゴイッ!!
長嶋さんが亡くなってから探し出した、昔の、少年時代のスクラップから、今度は長嶋さん引退会見翌日の朝刊の切り抜きを見つけました。
会見の席、隣にいるのは川上哲治監督です。
当時の私が思ったのは、「長嶋が引退したらプロ野球は解散するのかな?」でした。
それほど長嶋抜きのプロ野球なんて考えられないことだったのです。
でも、翌年もプロ野球はやっていました(^^;)
長嶋選手を実際にテレビ中継で見ていて、私の少年時代の記憶に残っているのは、阪神戦で当時絶好調だった上田二朗投手が九回二死までジャイアンツをノーヒットノーランに押さえていたシーンです。
いよいよ最後の打者は長嶋茂雄。
長嶋でノーヒットノーランやられちゃうのか・・とドキドキしながら見ていましたが、上田投手と田淵捕手が何やら打合せしてからの第一球を長嶋はちょっと引っかけ気味でしたが三遊間(だったか、二遊間だったか)を抜き、見事にノーヒットノーランを免れました。
上田投手はがっくりとひざを落としていましたが、長嶋選手は一塁上で何か上田投手に手の平を見せながら声をかけていたようでした。
「すまん、すまん」とでも言っていたのかもしれませんが、上田投手が帽子を脱いで頭を下げていたようです。
私と真剣勝負してくれてありがとうございました・・ということだったんじゃないでしょうか。
いいシーンだなと思いました。
長嶋選手にはこんなエピソードがたくさんあるようです。
そんな長嶋選手だったから、私が父親に連れられて後楽園球場に観戦に行った時の状況は、長嶋がネクスト・バッターズ・サークルに入っただけで球場は敵味方の客席に関係なく既にざわめきが始まり、いざバッターボックスに入ると歓声はマックスとなり、当時球場にあったエキサイトタワーという電光掲示板(早い話が騒音計)は振り切っていました。
また、長嶋の守るサードに打球が行くと、観客は息を呑み、見事な送球でアウトを取ると、割れんばかりの歓声が上りました。これも敵味方関係なく球場全体の状況でした。
当時は、応援団なども無かったので、球場は基本的に静かだったのですが、長嶋が登場、あるいは好プレーを見せると球場が揺れるような歓声で包まれていました。
そんな選手だったのだ、とあらためて思い起こしつつ、きょうはこれまで。
『冥界からの電話/佐藤愛子著(新潮社)』を古本で見つけて読んでみました。
2018年発行となっていました。
内容はですねぇ・・「実話」ということなんですけど、著者の佐藤愛子先生が懇意にしているお医者さんに掛かってくる電話の話なんです。
そのお医者さんは、教育委員会から頼まれて、とある高校に「医学部に入るには」というテーマで講演をしたというのです。
お医者さんは、教委や生徒達が求めている勉強の方法、テクニックなどについては語らず、医者になりたかった理由というか、倫理感、生命の大切さ、自らの志などについて話したというのです。
で、それが一向に“ウケない”、教委の人達も“あて”が外れたような拍子抜けの表情で、がっかりして帰ったが、しかし差出人不明の手紙が届き(その講演を聞いた女子生徒だという)、いい話で感動した。自分は文系に進むつもりだったが医学部を目指してみたい、という内容でした。
便箋に小さく書かれていた電話番号らしきところに電話するとその子が出て、暫し話をして、医学部目指して頑張るということになったとのこと。
そして、その子は医学部に合格したのですが、友人のクルマに同乗したときに事故に遭い、亡くなってしまったと、その子の電話帳履歴を見た兄から電話が来て判明するのでした。
それからの話で、その亡くなった子から先生のところに電話が来るようになるのです。
しかも兄に憑依して掛けてきて、途中から声はその子そのものになり、二人だけが知っているようなことを話し出すという不思議なことに。
その後は、この不思議な電話を受けたお医者さんと、佐藤愛子先生が実際に起こったことのみについて確認し、二人でその事象について検証しながらやり取りしていくという展開なのです。
先生への電話は、その後も続き、読んでいるこちらも半信半疑ですが、お医者さんも自分が精神的にどうにかなってしまったのかと佐藤先生に言いながら事実を告げます。
あとは読んでみてほしいのですが、実に不思議な話でした。
私も死者から話しかけられたことは何度かありますが、電話で話をしたことは一度もありません。
興味を持たれた方はどうかご一読を。
ジャイアンツの四番打者でサードを守っていた長嶋茂雄は、やっと野球のルールが少しずつ分ってきた少年時代の私にとってすごい選手であり、とても人間的な魅力のある人という感じで見ていました。
写真は、昭和45年と表紙に書かれたノートに私が新聞から切り抜いた長嶋さんの写真です。
長嶋さんが亡くなられてから、記憶を思い起こし、ひょっとしてまだ残っているかもと探して見つけたものです。
ピンクで印を付けましたが、《長嶋燃える》・・と写真の表題が付けられています。
大洋対巨人、9回裏、一死、二塁、平松投手の代打「セルフ(※外国人選手)」の火の出るような三塁線の打球をサード長嶋が横っ飛びに取ってピンチを切り抜けたシーンです。
長嶋は鬼の様な形相で飛びつき、レフト線に抜けたっ・・と思われた打球を取りました。
長嶋選手の背中から炎が立つような渾身のファインプレーでした。
ピンチを切り抜けた巨人は、この試合、勝利しました。
そして、私の記憶では長嶋選手に「長嶋 燃える」「長嶋 燃えろ」「燃える男 長嶋」などのフレーズが伴い始めたのがまさにこの日の、この出来事以来だったのではないかと思います。
生でこのシーンをテレビで見たのか、それとも夜、あるいは翌日のスポーツ・ニュース映像で見たのか記憶は判然としませんが、今でも記憶に残る長嶋らしいシーンでした。
その後、現役時代にも関わらず、半生を振り返るような音声記録を収録した『燃える男のバラード』というレコード盤が発売され、私の兄弟が購入し、それこそ何十回も聞きました。
長嶋選手の生い立ちからジャイアンツを、そしてプロ野球を引っ張る姿を見事に一枚のレコードに収めた名盤と言える仕上がりでした。
今でも内容の全てを覚えていますし、長嶋さんが亡くなった時のラジオ番組などでは、多くの音声記録はこのレコードから流されていました。ラジオ局も素晴らしい音声記録が残されていましたのでそこから抜粋していますと伝えていました。
長嶋さんが亡くなられて色々なコメントや、SNSなどでの発言を見ていて、私もファンとして何か書きたいと思い、このスクラップを見つけ出し、今日、この文を書いてみました。
スクラップには、まだいくつも長嶋さんの写真が切り取られていたので、今後またご紹介したいと思っています。
『役員室午後三時/城山三郎著(新潮文庫)』を古本で読みました。
昭和46年に新潮社から刊行されたものの昭和50年の文庫化版でした。
この作品は戦後、繊維業界の名門企業のワンマン社長が腹心だった部下にその椅子を追われるまでの経過を描いた経済小説でした。
実に緻密に役員室や工場などの現場、周囲の同業者、報道などの関係者の様子、社長の動向からそのときの精神状態、誰がどんな考えでどう行動して、さらにそのときの心象風景を描いていて、最後まで次にどんなことが起こるのかハラハラしながら読むことになりました。
しかも、特殊な専門用語などはあまり使っていないのに、業界の様子も手に取るようにわかり、人間というものがどういうものを心の中に持っているのか、そしてそれをどう発動させるのか・・流れを止めることなく、私のような者にもよくわかる明解な文章で書かれていて中身の濃い小説でした。
城山三郎さんの小説は現実の社会、経済の動きや、それに関わる人達が緻密に描かれていて、しかも平易な文体を用いていて、いつも「いいなあ、好きだなあ」と思いつつ読みます。
今回のこの小説でも繊維業界の帝国にでも君臨するような社長が、いつの間にか周りを固められて退任に追い込まれたかと思うと、さらにそこからの逆転(今度は逆の形で相手を追い込んでいく)、さらに想像を超える再度の大逆転が描かれていて、この業界に対する取材力もさることながら、物語の展開と登場人物個々の描き方と人物ごとの魅力まで濃密に書かれていて内容の深い小説だと思いました。
とても古いものですが、良い作品に出会えたと思いました。
『言葉のおもちゃ箱 伊奈かっぺい綴り方教室/伊奈かっぺい著(本の泉社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2022年初版発行となっていますので、そんなに古い本ではありません。
内容を読むと、コロナ禍の外出もままならない時期の鬱屈とした様子が書かれた部分も多いので、ああ、あの頃のものか・・と、少し感慨深い気持ちになりました。
伊奈さんについては、古くからテープやCDなどで、コンサートというか、トークショーみたいな形式のものを何本も聞いてきたということもあり、面白いし、気取らないし、好きな人です。
私の中学時代の担任で美術の先生も、私に何枚もCDを貸してくれて、たくさん聞きました。
実に面白かった。
その印象を持ってこの本を見つけ、読んでみたわけですが、コロナ禍の鬱屈を色々な事象に対して世の中の認識から“反転”させるような見かたで、この本のタイトルのように言葉をおもちゃ箱的に楽しんで皮肉な感じで笑いにもっていっていました。
最初は私もなるほど面白いやり方だと思いながら読んでいたのですが、如何せん途中で息切れしました。
なんか笑っていられないというか、もうそこまでやらんでもいいですよ・・という感じになってしまったのです。
「上塗りの下ごしらえのような恥」とか、「貧乏くさいのは貧乏じゃない人の特徴だ 偉そうにするのは偉くないからだよね」さらに「無理が通っても総理は引っ込まない」などというところまでは面白がって読んでいたのですが・・・
「その人を知りたかったらその人の本棚を身よ」という誰かが言った言葉について「あなたの本棚を見せてください」と、人は言わないだろうし、そんなことを言われたこともない。
と、話を展開し、本棚なんか見てその人がわかるはずはない、自分の本棚を見てもそうだ・・というふうになっていって・・そこまで“絡まなくても”いいですよ、話をもっと面白く、前向きに、笑っちゃうように進めればいいのにと思うような項目が中盤からどんどん増えてきて、読むのがだんだんとつらくなってしまいました。
実に意外なことになってしまったのですが、おしゃべりではなく、文章になると笑う前に“くどく”なってしまって、先に読み進んでいくと私自身の心が暗くなってしまいました。
感想は人それぞれで、私の体調が良くなかったのかもしれません。
もう一度読み直せばとても面白いのかもしれませんが、しばらくは“寝かせて”おいた方がいいな、という状態になって読了いたしました。
『クスリと笑える、17音の物語 寝る前に読む一句、二句。/夏井いつき・ローゼン千津(ワニブックス)』を古本で見つけて読みました。
2017年初版発行となっています。
この本は、あの夏井いつき先生と、その妹ローゼン千津さんが対談形式にして過去の名人上手の俳句を元ネタにして対談形式で“依頼された啓発本”を形成していく・・というものでした。
私が読んだ感じだと、啓発に“似たようなもの”を姉妹でちょっとユーモアを交えつつ俳句を“肴”にああでもないし、こうでもないと作り上げたものと、とらえました・・。
夏井さんは割と気が短く、即断的で理論的。ローゼンさんはのんびり屋で、情緒・感情が先走り、結論は後回し、そんな印象で読みましたが、しかも二人は姉妹なので遠慮会釈なく相手にものを言うので、“押さば引け、引かば押せ”のやり取りが実に絶妙で面白い!(^^;)
そもそも俎上にあがっている俳句の捉え方も両極端な感じで、だからこその人それぞれのものの感じ方、生き方、行動に対してのお二人の考えが発散されるように言葉のやり取りとして結実していて、読み応えがある対談になっていました。
しかも、私のような者には季語、俳句の勉強になりました、とても。
例として挙げられた俳句の作者も錚々たる顔ぶれでした。
高浜虚子、鈴木真砂女、中村草田男、星野立子、鷹羽狩行、飯田龍太、西村和子、ドナルドキーン・・まだまだ強者が・・。
私の印象に残った句は
罪もなく流されたしや佐渡の月 ドナルドキーン
笑ひ茸食べて笑ってみたきかな 鈴木真砂女
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
出歩きや梅雨の戸じまりこれでよし 高田つや女
いつくしめば叱るときける寒さかな 松根東洋城
などでした。
どんなことを詠んでいるのか、そして夏井さんとローゼンさんはどう読んで、どう啓発に結びつけたのか・・ぜひこの本を読んでみてください。
『夏井いつきの日々是「肯(こう)」日/夏井いつき 文・俳句(清流出版)』を古本で見つけて読みました。
2020年初版発行となっていますので、5年前のものです。
この本は、四季それぞれの夏井さんが詠んだ俳句と共に、それに因んだ一文が添えられているというものです。
それぞれの俳句に用いられた季語についても短い解説が付されているので、私のような俳句を詠みだして間もない人間にはとても役立ち、勉強になりました。
そして俳句に添えられた一文には、著者夏井いつきさんの幼い頃の祖父母との思い出や、現在の再婚相手である夫との関係、さらに再婚により姻戚関係が複雑になっているが、その人間関係の広がりについても逆に“縁”というものを強調されて書かれていました。
俳句に因んだ美しい写真にも心安らぎました。
「孫俳句は愚の骨頂だ」という主張が俳句の世界にある中、あえて“孫俳句”を詠んでみる夏井先生の句は、無理のない微笑ましいものになっていて、さすがだと思いました。
また、花などの植物や、鳥の名前に意外と疎い夏井先生にもちょっと驚いたり(※でも吟行にはそれらに詳しい人が同行していてちゃっかり教えてもらっている(^^;)、シングルマザー時代の生涯最も貧乏で、しかも子供二人、脳腫瘍の実母を抱えている状態なのにローンを組んでシャガールの版画を買ってしまうような無謀さにも今まで知らなかった夏井先生がいました。
強く印象に残ったのは、俳句は起こってしまったことについて「肯定」するしかなく、しかもそれを一歩引いて詠んでいくという、そういうことで淡々と生きて行くのが良いのだということでした。
最近、特に私は上記のようなことを強く思い、感じているのです。
自然体で、俳句愛も感じるとても良い本でした。
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