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『家族という病/下重暁子著(幻冬舎新書)』を古本で読みました。
2015年3月第一刷発行となっていましたが、この本はその年の5月に既に“第十一刷”となっていて、ものすごい増刷ぶりで、ベストセラーだったのだとわかりました。
読んでみると、タイトルどおりに「家族」というものをどう捉えるか、という本なわけですが、日本人は家族という形態が幸せの象徴的な存在となっていて、でも実際自分の家族についてどういう人か語れるだろうか、という話になっていきます。
下重さんは、戦前・戦後で父親との関わり方が一変し、母親違いの兄とも、母親とも生前関係がうまく取れていなく、亡くなってから知ったこと、考えたことが多く、この本の巻末ではその三人に手紙を書くことによって家族との関係、自分の過去、さらに未来への思いを整理していました。
下重さんには、夏休みに海外に出かける家族の様子がテレビなどのニュースに流れている“いい家族”みたいなあの日本中が安心するためのような、あれが嫌いだったようです。
かつて年賀状に家族の様子を毎年写真に撮って送ってくるのも嫌いだったとのこと。
あなたは、自分の家族が何を考え、思い、どんな人か語ることが出来ますか?というようなこともおっしゃっています。
私はそこまで過敏に反応することは今までありませんでしたが、でも、あらためて家族というものについて考え直す機会になりました。
下重さんが書かれていた「家族の話はしょせん自慢か愚痴」という言葉は、たしかにそうだなあとも思いました。
かつての職場、あるいは親戚関係などの人が多くいる場などでも「家族の自慢話」ばかりする人が多くいました。
下重さんのように自分の身内にも、他の仕事関係や、その他関りのある人に厳しい目を向けることは私にはありませんが、それでも家族のことを(父母、兄弟などかつて一緒に暮らしていた家族と、妻、子供の今の家族を)もう一度自分の人生の中でどういう存在だったのか、これからの関係は、そしてまだ語っていないことは何なのか、など考え直してみたいと思いました。
考えさせられる本でした。
『肉体の学校/三島由紀夫著(ちくま文庫)』を読みました。
1964年に刊行された作品の文庫化(1992年)版です。
この本に書かれている時代は古く、いまだ戦後の「華族制度」にしがみついている人々が登場します。
主人公の女性も華族出身で、社会的にはファッション界で一流の位置にいる。
そして同様の華族出身の女性二人と三人の会を月一で開いている。
女性は三人とも離婚後に不自由なく“離婚成金”的に過ごしている。
さらにやはりある地位にいる男などとの自由な恋愛を楽しみ、“月一”の会で互いに内緒の約束で生活状況と男の話を情報交換するのでした。
社会的な地位と安定した裕福な生活を手に入れようとする主人公妙子の年下の恋人はゲイ・バーで働く美青年。
その美青年の美しい体を金で買おうとする男や女もいて、時代背景は昔のことなのに、全く古さを感じさせない設定と、物語の進行。
現在の小説だと言ってもそのまま通用するような世界が描かれていました。
むしろこの三島由紀夫が描いた世界は、ある一定の世界の頂点にいるような人々の、精神性を感じさせ、優雅な雰囲気さえも感じる不思議と品位のある作品になっていました。
男女の営みは読んでみれば直接の描写は無いのに、非常にエロティックである。
そんな世界観の小説は今でもあるにはあるだろうが、でもこの「肉体の学校」に描かれているような不思議と典雅な雰囲気にはならないだろうと思う。
簡単に言ってしまうと、下卑たものになってしまうのではないかと思うのです。
そして作品そのものが“立っている”というか、文学作品として屹立しているのに驚きました。
三島由紀夫、やはり凄い。怖ろしいまでの作品感でした。
読み終えて・・ずっと恐れ入っておりました・・。
『私があなたに惚れたのは/久世光彦著(主婦の友社)』を古本で見つけて読んでみました。
2002年第一刷発行となっていました。
著者の久世光彦さんは、「七人の孫」「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」など、かつて一時代を築いたようなテレビドラマ作品をプロデュース・演出をされています。
そして作家活動もされているわけですが、この本は久世さんが今まで出会った作家や芸能人などに対し「私があなたに惚れたのは・・こんなことから」というふうに書かれていました。
ただ内容の多くは、亡くなられた向田邦子さんとの思い出が大半を占めていました。
向田さんについては、久世さん他、向田さんの妹の和子さんも生前のことを色々書かれていて、今までも色々な本を読む中で遠い昔のことだという印象がありましたが、向田さんが和子さんに出させた「ままや」というお店(※「ままや」の話はこの本で何度も出てくる)が、かつて私が東京勤務していた頃の職場から歩いて行けるような場所にあったこと、さらに向田さんが原稿を執筆したり、当時の彼に手紙を書いていた場所が私の勤務していた都市センターホテルであったことも知りました。
つまりよく知っている所で今まで本の中でのみ繰り広げられていた世界が動いていたのだとわかって、なぜか臨場感が急に迫ってきたような気がしました。
そして、久世さん、向田さんの思い出話の中に、私が日頃よく読んでいる作家、気になる作詞家、芸能人(女優)の人達も登場していました。
山口瞳さん、いしだあゆみさん、阿久悠さん、山本夏彦さん、伊集院静さん、浅田美代子さん、松居直美さん、夏目雅子さん、阿木燿子さん、田中好子さん、沢田研二さん、桃井かおりさん、田中裕子さん、堺正章さんなど多彩な方々でした。
昭和の人達の考え方、生活の過ごし方、何気ない行為や、食べ物、慣習、その他私も気になる「昭和の大事なもの」がうまく描かれていて、自分自身の過去に対する整理が少し出来たような気がしました。
力作かつ、内容の濃い、読み応えのある本でした。
『徳川慶喜家の食卓/-徳川慶喜家当主- 徳川慶朝著(文春文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
著者の徳川慶朝氏は、日本の写真家ですが、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の曾孫で、旧公爵徳川慶喜家第4代当主。母方を通じて松平容保の曾孫でもあるのです。
この本は2005年に刊行され、2008年に文庫化されたものです。
著者の徳川慶朝氏は、2017年に亡くなられています。
この本には、最後の将軍・徳川慶喜は大政奉還した後の生活では、割と質素な食生活であったことが書かれていましたが、それでもやがて東京の第六天町の屋敷に住まっていた時には、その敷地三千坪、屋敷内には五十人の人がいたそうです。
著者の父は、その屋敷で育ったとのこと。
興味深かったのは、大政奉還のあった年の三月二十五日から四月一日にわたって、慶喜公が大阪城に英、仏、米、蘭の四国の公使を招き、接見し、フランス料理で饗応したという部分でした。゜
慶喜公が密かに目論んでいた大君絶対王政の政治形態にもっていくための環境を整えようとしていたのではないか、ということでしたが、開国を迫る列強に、みずからの権威と存在感をアピールしようとしていたようです。
そのときのメニューが載っていましたが、凄いです。
何ページにも渡る豪華な料理で、ここを読むだけでこの本を読む価値があるくらいの内容でした。気になる方はぜひご確認を。
あの渋沢栄一は、若いときに一橋家の家臣で、慶喜公の弟、昭武氏といっしょにパリ万博に行った仲であったとのことで、第六天町の屋敷にも寄っていて、慶喜公がその頃食べていたもの、そして好きだった酒の種類についても書かれたものが残っていて、これもまた興味深いものでした。
著者の慶朝氏は、慶喜公も好きであったらしい珈琲が好きで、やがて茨城県ひたちなか市の「サザコーヒー」からの依頼で講演する機会があり、その際焙煎をしてみたいとお願いして、意外や本格的な珈琲豆を生み出し、「徳川将軍コーヒー」という名で売り出すことになり、かなりの売れ行きとなったことも書かれていました。
かなり深煎り(慶喜公も著者も、それにミルクを入れて飲むのが好きだった)だが、とても評判が良かったようです。
とにかく慶喜公についても、著者の慶朝氏についても、今まで知らなかったことが多かったのですが、次から次へと面白く、興味深い事実が明らかになって、楽しく読みました。
残念ながら徳川慶喜家第四代当主の慶朝氏は結婚しておらず、跡継ぎ無きまま亡くなられてしまいました。子供さんがいらっしゃれば、残された資料等からまだまだ新しい事実が世に出たかもしれません。
貴重な本を読ませてもらいました。
『日本列島なぞふしぎ旅 中国・四国編/山本鉱太郎著(新人物往来社)』をたまたま古本でこの「中国・四国編」を見つけ、興味を持ち、読んでみることにしたものです。
1995年第一刷発行となっていました。
中国・四国地方については、出雲や鳥取、尾道などに行って興味を持ち、四国もこれから巡ってみたいと妻とよく話をしているところです。
今までに行ったことのある所も登場していて、「ああ、やはり故事来歴があるところだったのだな」とあらためてその場所を思い浮かべつつ読みました。
玉造温泉「長楽園」の露天風呂は、庭にしつらえた大きなもので、風情のあるところでした。庭園の巨大な池そのものが“源泉かけ流し”状態で、今でも思い出に残っています。
松江の人たちのお茶好きの理由や、松江には銘菓があるという章もありましたが、私達夫婦が松江に行ったときに素敵なところだな、と入った喫茶店はまさに和菓子の銘菓が並び、そんな町だったのだと今にして思い出しました。
人気の「割子そば」や、小泉八雲が絶賛したという「松江姉様」人形についても詳しく書かれていました。
今度出かける時には、ここに行ってみよう、あれも見たいという候補がたくさん出来ました。
淡々と深い考察が繰り広げられるこの本、これからの旅行の貴重な参考になりそうだと、そして買ってよかったと思っているところです。
『現役引退 プロ野球選手「最後の1年」/中溝康隆著(新潮新書)』を古本で見つけ、読みました。
2019年~2021年に「ベースボールキング」に連載された『男たちの挽歌』を加筆・修正、書き下ろしを加えて改題し、2021年に発行したものでした。
王、長嶋から古田敦也、掛布雅之、田淵幸一、村田挑治、中畑清、江川卓などの選手としての記録や、エピソード、そして本題の最後の1年の様子について書かれたものでした。
長嶋茂雄が引退したのが1974年ですが、この本の著者「中溝康隆」氏が生まれたのは1979年!!それなのに見てきたように当時の様子が書かれていて、「こりゃ、凄い“調べっぷり”だ!」と驚きました。
何度かこの本を読み始めたのですが、今まではすぐに閉じてしまうことになってしまい、読むことが出来ませんでした。
・・それは、あの選手がこんなに苦労していたのか、最後の一年、こんなひどい扱いをされたのか、さぞかしつらかっただろう・・などと胸に響き、痛みまで感じる始末で、今回は“意を決して”最後まで読みました。
王選手は引退発表しようとしていたら、当時の長嶋監督が電撃辞任(解任?)となってしまい、球団批判で溢れる世の中となってしまい、引退発表は11月まで遅れてしまったとのこと。
最後の1年でも30本のホームランを打っていたのですが、成績としては打率は2割3分代となってしまい、大選手なのに気の毒な形と感じました。
その他、掛布選手や田淵選手、ランディ・バース選手など阪神、あるいは阪神からトレードとなった選手の球団からのあんまりな扱いにも胸が痛みました。
西武の石毛選手も華麗な記録を残しながら、監督を打診された後、現役にこだわり福岡ダイエーに動いてからは大選手なのに不運な印象が残りました。
印象に残ったのは巨人の西本投手。
巨人から中日に移り、20勝するなどの復活劇には今でも心動かされます。
引退試合は多摩川グラウンドでのささやかなもの・・でも、有志の選手達が集まり、長嶋さんまでも登場するという感激するようなものでした。
そして最後は今年亡くなった長嶋茂雄選手。
1971年には、前年の打率 2割6分という成績不振で、引退までもがささやかれていたのに、6度目の首位打者を取ったところが最後の活躍となってしまいました。
私も記憶がありますが、その首位打者を取った時の打撃フォームは大鷲が翼を拡げるような大きなフォームで実に格好良かった印象があります。
そして、引退の年には一番打者になったりしていた記憶もありますが、打席が多く回ってくるだけに打率はあっという間に下がり、生涯打率もどんどん落ちていった記憶があります。
これも前年に引退をさせようとしたが、固辞され、もう一年頑張ると言った長嶋への“意地悪”のように当時の私の目には映りました。
あらためて長嶋選手の生涯記録を見てみると、「記録よりも記憶に残る選手」という表現をよくされることのあった人でしたが、いやいや記録も超一流です。
恥じ入ることなど何処にもない立派な記録と、チャンスに強い記憶にも残る名選手だったとあらためて感じました。
最近私が知って、この本にも書かれていましたが、中畑清選手の最後の試合となった近鉄との日本シリーズ最終戦、代打ホームランを打った素晴らしいシーンは、大卒と高卒という年齢差はあるものの、同期入団の篠塚選手から藤田監督への「引退する中畑さんをこの晴れ舞台に出場させてください」という直訴から起こったものだという話には涙が出ました。
中畑さんも最近のYouTubeで篠塚さんを目の前にして目を潤ませていました。
ということで、選手にとって、つらい最後の一年ということばかりではなく、いい話で締めようと思いました。
『荒木経惟の写真術/荒木経惟著(河出書房新社)』を古本で見つけ、見て、読んでみました。
1998年初版発行となっており、荒木さんが電通にカメラマンとして入社し、そこでどんなことを経験して(主に光の当て方を色々と工夫し、実験的なことをしていた)、その後にどう結び付けたか、というところから始まって、この本の多くは荒木さんよりも若いカメラマンとの対談で構成されていました。
対談では、荒木さんの数ある写真集の内容にふれている部分が多々あったのですが、写真集からの抜粋された写真を見ることができて、あらためて荒木さんの多様な作品を知ることになりました。
また、私は写真の技術的なことや、機材、現像の方法などの知識が無く、カメラマン同士の対談の中に出てくる専門用語は“チンプンカンプン”でしたが、それでも「きっとこういうことを言っているのだろう」と想像しつつ読み進めば、なんとなくわかってくることもありました。
多くのカメラを持ち込み、同時進行でそれぞれのカメラを使い分けていくやり方や、あえて一つの機種でその特色を生かしてテーマ化して写真集にしていくやり方など、荒木さんの多様な写真との取り組みと、その実例写真を見ていて、ますます“普通のカメラマンじゃない”と思いましたし、荒木さんが世の中で話題急上昇していた頃の“ぐんぐん・どんどん”突き進んでいく姿も思い出しました。
アラーキーは、あの頃も先鋭的だったが、今見ても先鋭的だ、と再確認する読書となりました。
『夫婦脳/黒川伊保子著(新潮文庫)』を古本で読みました。
2008~2010年「電気協会報に《男と女の脳科学》として連載」と、2009~2010年「ひろぎん経済研究所機関誌に《感じることば》として連載」されたものを改題加筆・修正し収録したものでした。
黒川さんのご著書は、この本以外にもベストセラーがたくさんあり、私も何冊か読みましたし、ラジオなどへの出演時にご本人のお話しを聞いたこともあります。
その度に、「ああ、ここで例示されている“困った夫”はまさに俺の姿ではないか・・と、いつもガックリと膝を落とすように倒れ込むのでした。
そして例示されている妻の様子は、まさに私の配偶者そのものの様子 ^_^;どうして人んちのことがこんなに手に取るようにわかっちゃうんだろう・・と思い、今後改めようと思うには思うのですが、修正するところが多すぎて覚えきれないよ・・(T_T)となってしまうのでした。
誰もが、どの夫婦が読んでも、夫も妻も思い当たる節ばかりのハズです。
今回の本でもひとつウチの夫婦と合致した例を挙げてみると・・
私が帰宅すると、妻から何か相談というか、聞いてほしいことがあると話が始まり、それは朝起きてから起こった出来事の詳細、会った人すべてについて、こんなところにも出くわした、などなど延々と話が続き、私はどのエピソードのどの部分、どの言葉などがキーワードとなるのか、必死で聞き続けるわけですが、それらは全て相談にのってほしいと言ったこととは何の関係も無いのです。
こんな状態が最低でも30分以上続いて、本題が出てくるのは一時間以内であれば、それはラッキーなことです。いつ終わるかわからず、本題は何なのか、いつまで経ってもわからない、そういうことなのです。
で、「本題は何なの?!」などと聞こうものなら、そこから「あなたは何にもわかっていない、人の話が聞けない、共感も出来ない、最低の男だ」ということになり、私は地獄の底に突き落とされ、そのあと口もきいてもらえなくなるのです。
黒川さんに言わせれば、女性はあったこと、見たこと、起こったこと全てを時系列になめる様に伝えていくのであり、本題そのものよりも、それらを全て聞いてもらって「そうなんだ、たいへんだったね」などと相槌を打ってもらいたいわけです。
そんなことがわからぬ男は問題にならぬほどダメ夫であるというわけです。
今じゃあ、何冊も黒川さんの本を読んできたので、その辺は“なんとか、かんとか”死に物狂いでクリアできるのですが、こんなことは夫婦の間では氷山の一角のエピソードです。
男も女も、このくらいのことは、心して読み始めないと、途中で泣きたくなると思いますよ。
あんまりネタばれ的なことを長文で書いても何なので、夫婦の話以外で面白かったものをひとつ挙げておきましょう。
素晴らしいリーダーというものは、登場しただけで、部下もその他の人たちも笑顔にしてしまう人だ、という部分でした。
最近、どこかの大統領が妙なキャップを被り、テレビの画面に登場しただけで気分が悪くなり、体調も崩し気味です。聞かせてやりたいっ!
自分を待ってくれている人たちの存在を微塵の憂いも不安もなく、邪気なく、嬉しがれる能力こそがリーダーの資質なのだろう、とおっしゃっています。そのとおりだ。
そしてそのためには、日頃から「被害者」にけっしてならない覚悟が必要だと。
誰かに裏切られても、裏切らせてしまったことを憂い、他者に迷惑が及ばないように慮る。
自分を被害者にして可哀想がったり、他人を恨んだりしない覚悟があってこそ、邪気なく人を嬉しがれる。
その「被害者にならない」覚悟こそが、リーダーの資質なのだと思う。とのことでございました。
聞かせてやりたいヤツばかりのお話しで締めて、本日の読後感を終えたいと存じます。
夜に先生から掛かってくる電話で一句詠みました。
【 夏の夜 散歩中だと 電話有り 】
《背景》季語:夏の夜:[夏]
夜の8時半頃になると携帯電話に着信が有る。
中学時代の担任の先生だ。
「おうっ、何してる? 俺は今散歩中だ。 ちょっと待て、今特急が通り過ぎる。うるさくなるぞ。」
線路沿いにある先生の家に向かって帰るところらしい。
だいたい何ということはない話をして終わるのだが、互いに“生存確認”的な感じにもなりつつある。
Jazz の話も、オーディオや人との出会いの話も、そして世の中の出来事もあれこれ話して「それじゃまた」となる。
先生とこんな歳になっても話をしていることになるとは、中学生の時には夢にも思わなかった。
『どうせ、あちらへは手ぶらで行く/城山三郎著(新潮社)』を古本で見つけ、読んでみました。
1927年生まれで、2007年に亡くなられた城山三郎氏の最晩年まで綴られた手帳を次女の井上紀子さん(※長女弓子さんは生後数ヶ月で早逝されている)が、父の心の内を垣間見るのを娘とはいえできぬことと思い、ためらいながら最終的にこの本として成立させたものです。
発行は2009年となっておりました。
最愛の奥さんが倒れる前年から、著者の最晩年まで、手帳には自らを励ますような言葉も多々見受けられ、でもあの著書「そうか、もう君はいないのか」でも読み取られた抑えがたい悲しみも、何度も何度も綴られていました。
そして城山三郎さんご自身の老いとの葛藤も。
城山さんの手帳に書かれたメモからこの本は出来上がっているのですが、鍵や、招待状、帽子にコート、待ち合わせの場所など、物忘れのひどさの様子もわかりました。
また、体重についても書かれていましたが、奥さんが亡くなられてからは体重の減少があり、読んでいるこちらも気になりました。
お好きだったゴルフのスコアも、悪くなっていく様子がわかり、最後の方はスコアも書かれていませんでした。
日々、自分を励ますだけでなく、「これでいいんだ“鈍鈍楽”で生きよう」という晩年をなんとか気持ち安らかに過ごそうという自分へ言い聞かせるような部分もありました。
あと何年かしたら私も同様の境地になるのかもしれない・・と思いました。
城山さんの作品は何冊も読み、このブログでも読後感を何度かご紹介していますが、晩年の執筆する様子もわかりました。
緻密で事前の調査作業は大変なものだろうと思ってはおりましたが、執筆の“裏側”も垣間見ることができて、うれしくもありました。
ますます城山三郎という作家を好きになりました。
『受け月/伊集院静著(文春文庫)』を古本で読みました。
1992年単行本で出版され、1995年文庫化されたものです。
七つの短編からなっている短編集でした。
どの話も伊集院さんも若い頃野球選手だったのですが、野球の選手、監督などに因んだ話になっていて、夫婦の問題、親子の問題、男女の問題などに絡んで味わいのある人生模様が描かれていました。
野球というものは不思議なもので、何か“哀感”というか、“やるせない気持ち”や、心の中に存在する“支え”のようなものと馴染むスポーツだという気がします。
私も就職した頃から何年間かに渡って、中学時代の友達が作った草野球チームに入っていたことがあります。
私は学校の部活などで野球をやったことはありませんでしたが、チームメートは皆高校では野球部、そして大学に進学した者も大学で野球をやっていた強者ばかりでした。
レベルが違うのですが、それでも何とかチームの中で頑張り、その中で友情や、それぞれが抱えている悩み・問題なども感じたりしていたことを思い出します。
なぜか野球はそういう人生模様とうまく絡んで、ある一定の役割を果たしていたと思います。
この伊集院さんの短編集も、それぞれの話が野球というスポーツと絡み合い、夫婦や恋人の関係、人生の先輩との関りなどに深みを与えていました。
伊集院さんの小説は場面転換がまるでテレビや映画のカットがスパッと切り替わるように展開していて、過去と未来が素早く入れ替わったり、別の場所に入れ替わったりして、それがとても小気味よく、テンポのいいものでした。
さらに、極端に酷いことになったり、極悪人が現れるでもなく、かと言ってハッピーエンドでもなく、人が決意したり、諦めたりする中で人生にけじめを着けて行く様子が淡々と描かれていました。
絶妙な筆致で描かれたそれぞれの人生をしみじみと味わいながら読み終えました。
静かにこれからの自分のことを考えることにもなりました。
『玉子 ふわふわ/早川茉莉・編(ちくま文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
2011年に早川茉莉さんにより編まれた“玉子に関する”エッセイ集というものでした。
森茉莉、石井好子、武田百合子、林芙美子、池波正太郎、伊丹十三、吉田健一、向田邦子、色川武大、北大路魯山人、田辺聖子らの玉子に関するエッセイは、今では考えられないような極上の文章でもって綴られています。
もうね、読んでいるだけで気絶しそうになるくらい“もったいぶった”表現がこれでもか、これでもかと書かれていて、その文章自体が“極上の料理”のように感じられ、読み進んでしまうのが“勿体ない”感じでした。
特にフランスなどの外国で味わったオムレツなどの話になると、その国の雰囲気、お店の様子、シェフや店の従業員の表情、調理の風景、実際の料理がどのようであったか、自分はどう感じ、その後帰国して、あるいは帰宅してその料理をどう再現したのか、などなど、この本一冊あれば、料理が物語の中心になっている本が書けそうなくらい^_^;
また、章ごとに「ご馳走帖」という一文が編者によって書かれているのですが、各章に登場した方々が披露した料理についてのコメントがこれまた珠玉の仕上がりとなっておりました。
実に貴重な方々の貴重な料理に関する一文の集まった“内容豪華”な本でした。
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