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インスタグラム、Facebook等で何度かご紹介している、現在、千葉市中央区汐見丘16-13「街角ギャラリーどち」で開催されている『マレビトアソビ展』。
流木や、シーグラスなどを利用した造形、絵画などが面白く展示され、ワークショップとして、それら流木、シーグラスに訪れた人たちが絵を描くこともできるという楽しい企画です。
そこには私の中学時代の美術の先生で担任だった南先生の作品も多数展示されています。
私も出かけてその様子はインスタグラムに載せたり、先生の姿を見て俳句を詠んだりもしました。
昨日までの4日間、先生は旭市から千葉市までギャラリーに通われ、ギャラリーのインスタを見ていると連日の大盛況、とてもうれしい半面、先生は喜寿を越え、一般的には高齢者です。
昨日、夜に心配になって先生に電話してみました。
疲れていませんか、という私の心配は“取り越し苦労”でした。
先生は、元気!
「心配はありがたいが、俺は人がたくさん集まれば集まるほどその人達からエネルギーをもらってどんどん元気になるんだ」・・という力強い言葉にうれしくなり、そして涙が出そうになりました。
すごい人だなあ、自分はこの人に中学生の頃色々教わっていたんだなと、あらためて感謝しました。
『死にたくなったら電話して/李龍徳(イ・ヨンドク)(河出文庫)』を古本で見つけ、読みました。
著者は1976年生まれの在日韓国人三世の方で、この「死にたくなったら・・」で第51回文藝賞を受賞してデビューされています。「あなたが竹槍で突き刺す前に」で第42回野間文芸新人賞も受賞されています。
2014年に刊行されたものの文庫化で2021年に発行されたものを読みました。
事前に知識を入れずに読みましたが、登場人物は主人公と、主人公の恋人となるキャバクラ嬢も含め、どの人物もどの人物も悪意ある人、あるいは人のことなんかどうでもいい人、世の中に流されている人、あるいは世の流れの中で淀んでいる人、善意ある人もひとりは出てきたかに見えるが、それも何か歪んでいるように見える人だったりする。
話の展開は読み物としてはスリリングだったり、そんな風にうまくいくんだ、ということだったりで、作者はそう思ってはいないと思いますが、あまりにも“作られた”感じがしました。
主人公はじめ、どの登場人物にも共感できないし、吐き気のするような言葉のやり取りがあって、本当に吐きそうになりながら読みました。
人や人がつくっている世の中が大嫌いで、破滅してしまえばいい、自分なんか死んでしまった方がいいのだ、友達などいなくていいと言いながら友達を呼んだり、呼ばれたりしてさらに破滅的、破壊的な展開が続き、これを乗り越えたというか、読了してやり過ごした後に何かが見えてくるのだ・・ということなのかもしれませんが、私の精神力、体力では持ちこたえることが出来ませんでした。
かなり心も体も具合が悪くなりました。
そこから何か見えるかなあ・・見えていないな・・。
私には何かが見えませんでしたが、実際、この小説の世界は現在の若者の多くが共感するような世界なのだということはわかります。
でも、すべて破壊・破滅してからでは、廃墟の中では何も見えてこないんじゃないかと私は思ってしまうのです。
吐きそうで倒れそうになりながら感想を書いてみました。
冷やかに感じる空に浮かんだ雲を見て、世の中の不穏を詠みました。
【 冷やか 雲に映る 世の斑(はだれ) 】
《背景》季語:冷やか[秋]
長く暑かった夏もようやく峠を越したようで、秋の冷やかさを感じます。
でも、空を見上げると、暗雲が世の動きのように斑模様を見せています。
同じ人間なのに、作る必要の無い仮想敵を作り、人種や民族、性別、その他人が元々そうであるものを否定して平気で差別する。
挙句に武器を持て、軍隊を作れ、よその国ではそうして拡大した武器を使い、軍隊が殺戮を繰り返し、地獄絵図です。
あなたが差別されている側、殺されている側の人として生まれていたのなら、何を思いますか、と聞いてみたい。
世の斑は止むことを知りません。
『父でもなく、城山三郎でもなく/井上紀子著(毎日新聞社)』を古本で見つけ、読みました。
2007年に亡くなられた作家・城山三郎さんの娘さんである井上紀子さんが、城山さんが亡くなられた一年後の2008年に書き下ろしで出版されたものです。
城山三郎さんが亡くなる7年前に奥様が亡くなられていますが、著者・井上紀子さんが書かれたこの本には、そのお母さんと城山三郎さんの仲睦まじい夫婦の様子も書かれていました。
そして、お母さんが亡くなる前の異変に気づいた様子、お母さんとの思い出、お母さんが亡くなってから父である城山三郎さんを支える井上さんの様子も書かれ、我がことのように読みました。
城山さんが奥さんが亡くなられたあとに書かれた「そうか、もうきみはいないのか」の印象も強く、奥さんへの気持ち、家族への気持ちを思い、あとを追って亡くなられた城山さんのことを書いてくれた著者・井上紀子さんが真正面から取り組んだこの本には心動かされました。
巻末で井上さんが書かれていたお父さんの姿は、
たとえ道に迷い、行先を見失っても、その道すがら、そっと足元を照らす月明り。そんな父だった。
と書かれていました。
私もとても大切なことだと思い、心に刻んでおこうと思った言葉も以下のように書かれていました。
人は迷って悩んで考える。
この人として当たり前のことすらできなかった時代がある。
すべての自由、命までもが奪われる戦争。
選択、判断の術もなく、言論、表現もままならない。
二度とこんな不幸な世にならぬよう、力を蓄え、光を求め進みゆく。
城山三郎(本名:杉浦英一)さんが残したメッセージです。
今、世界も日本も上記のような時代にわざわざ進んで足を踏み出そうとしているような危機感を覚えます。
再度、心に刻みます。
『名句鑑賞読本 -茜の巻-/行方克巳・西村和子(角川書店)』を古本で見つけて読みました。
1997年に刊行された「名句鑑賞読本」の新装版として2005年に発行されたものでした。
著者のお二人が名だたる名句を鑑賞していく形で進められて行く本でした。
私は特に西村和子さんがNHK俳句大会で選者としてテレビで見事に、そして愛ある解説をされるのが好きで、西村さんのお名前を見て、すぐに買い求めることにしました。
色々な名句鑑賞本でお見かけした俳句もありましたが、少し気になったり、ドキドキしたりするような句や、初めて見る俳句もありました。
ちょっとだけそれらを挙げてみます。
〇瀧落ちて群青世界とゞろけり 水原秋櫻子
・・・那智の滝の観瀑台に立って詠んだ句らしいのですが、「群青世界」という表現にただ驚きました。
〇一生の楽しきころのソーダ水 富安風生
・・・ソーダ水を飲んで楽しい頃の学生時代と、これを詠めるようになった世代の感覚が同時に感じられていい句だと思いました。
〇雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子
〇雄鹿の前吾もあらあらしき息す 橋本多佳子
・・・上記両句ともになまなましく、作者の情念を感じさせ、今私が読んでもドキドキします。
〇妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 中村草田男
・・・他の本でも何度もお見かけした句ですが(^^;なんだかいいですよねぇ。
〇万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
・・・これも他の本その他教則本などでも繰り返し見た句ですが、なんといっても「万緑」という季語はこの句から始まり、あっという間に認められ、今や堂々の季語となった大元の句で、やはりとても力のある句だと今でも感じます。
というわけで、どの句もどの句も衝撃を受けるような句でした。
今後の参考にもなります。
この本は机上に置き、折に触れ勉強したいと思います。
『続 失踪願望。 -さらば友よ編-/椎名誠著(集英社)』を古本で見つけ、読みました。
この9月頭に「失踪願望。 -コロナふらふら格闘編」を読んでおりましたので、その続編です。
この本の中で椎名さんは80歳を迎えています。
前回のブログにも書きましたが、椎名さんがそんな歳になっている、時は流れた・・と感慨深く、若い頃に夢中になって椎名さんの本や、「本の雑誌」の草創期の頃を思い出しました。
そしてその「本の雑誌」を共に作り上げた「目黒考二」さんが亡くなられたときのことも書かれていました。
椎名さんにストレートに鋭い指摘、意見もする人でした。
文芸評論家として舌鋒鋭い方でもありました。
椎名さんの全著作を「椎名の仕事」として、順番に読み、批評していくということもされて、私も読みましたが、たいへんな調査・分析・読解力に舌を巻きました。
さらにその目黒さんからは、椎名さんに対し「私小説の怒涛の奔流はセスクアリスだぜ。お前はのらりくらりとして書いてこなかった。ずるいぜ。逃げるなよ。」という指摘も受けた椎名さん・・ついにこの本でかなり強烈で驚くべき文を書き、その指摘に応えています。私も読んで驚きました。
今までの椎名さんとはまったく異なる人格、世界が描かれていました。
目黒さんの具合がかなり悪くなり、連絡が取れなかったときに本人から電話が有り、励ましの言葉はいらないから楽しい思い出を話そうと言われ、お二人がしたお話しについても書かれていました。
そして「じゃあな」「じゃあな」のやり取りが最後となり、そのあとに椎名さんは長い手紙を書き送っています。
その手紙はお棺に入れられたそうです。
そんな話も聞き、今の椎名さんはどのような心境なのか・・学生時代から椎名さんの本を読んできた自分もちょっと寂しいような気持ちになりました。
椎名さんは、これからの自分ことを、この本で書かれています。
若い頃から色々あった奥さんとのことについても、今まで読むことのなかったことが書かれていました。
そんなときに世界中に出かけて行った頃とはまた異なる今の椎名さん、そして奥さんとの今の生活、生き方を感じることができました。
私にとっても、これからの自分を色々と考えるきっかけになりました。
『80歳、不良老人です。/太田和彦著(亜紀書房)』を古本で見つけ、読みました。
古本と言っても、2025年1月発行の本なので、もう新刊です。
太田さんは「70歳、これからは湯豆腐 -私の方丈記-」「75歳、油揚がある」と、節目節目に“これはいったい何が言いたいのか”というタイトルの本を出されていて、今回80歳の大台を前にして『不良老人』というキーワードを出してきました(^_^;)・・おもしろいなあ・・。
八十歳という年齢を前にして、「もう自分はこういうふうに生きる、そう決めた」という宣言といえるような内容でした。
朝起きてからのストレッチ的な運動やスクワット、割と長距離の散歩、そしてきちんと健診を受けて身体の管理をするなど、決して“不良老人”ではないきちんとした老人宣言もしていました。
そして、酒量も落ちているらしい太田さんですが、旅に出ることについても「ひとり旅」がいちばんいいと、これからも出かけることが多そうです。
俳句を詠み、美術展にも事あるごとに足を運び、私も見習いたいです。
太田さんの「不良老人宣言」は、家にいてやることもなく、だんだんと“引きこもり”的になっていく傾向にある高齢者にはならないぞ、ということなんだと思います。
後半は、古酒について、太田さんと大きな関りのあるサントリーと資生堂についての思い出、生活の中でのオーディオや音楽について、函館、山陰、宇和島、静岡、故郷松本、京都などの名居酒屋と銘酒について、さらに63年ぶりの同級会に参加したことなども書かれていました。
これだけ書ける人生、素晴らしいです。
私にはまだ未踏の年齢域ですが、これからじわじわと参考になってくるのだと思います。
味わい深い本でした。
『安心感/加藤諦三著(PHP文庫)』を古本で見つけ、読みました。
1982年に大和書房から刊行されたものを、1994年に単行本化したものでした。
時代は古いが「自己不安」を抱える人という問題は今もなお一向に減らずに存在しているという気がして手に取ったわけです。
著者の加藤諦三先生については、ラジオ・ニッポン放送の「テレフォン人生相談」で昔から私にはお馴染みです。
1938年生まれの加藤先生は、今でも“矍鑠(かくしゃく)”とされていますが、この本の時代ではまさに全盛期だと思われます。
永遠のテーマに挑まれていて、しかも内容は“本気も本気”モードで書かれていて、読むのには体力が必要でした。
難しくて内容を読み切れたかというと、私の読解力ではまだまだ読み切れなかったわけですが、不安というものは「受け身の人間」が傷つきやすいという心理が発端である・・というふうに読み取りました。
甘えから出てくる要求 → 他人からどう扱われるか → 甘えた人間は傷つきやすい → 甘えと受け身的依存心 → 劣等感を持つ人間は他人の評価を気にする・・・という流れになってくる。
これは今の時代も変っていないんじゃないかと思いました。
そんな内容の中、気になった部分は・・
「自分が加害者であるという立場にもかかわらず、被害者意識に立ってものをいうということは非常に楽である。 自分は加害者でありながらも、被害者的立場を意識的にとることは、気持ちの上では楽なことである。 “悪いのは、自分ではなくて、あの人である”“自分はこれだけ誠意を持ってやったのに、あの人は自分を裏切った”その他諸々、われわれにとって、被害者意識に立ってものをいうことは楽なのである。」
というところでした。
昨今の選挙活動で、SNSで、選挙で選ばれたあとに色々なことが発覚してしまった人の行動で、たぁくさんそんな人をお見かけしました。
1980年代から40年以上も経て、問題はより顕在化し、雪だるまのように膨れているような気がしました。
この本を読んで、解決方法のヒントにはなるけれども、問題はよりモンスター化しているので、またまた新たな分析、解析が必要な世の中の状況なのだな・・と思ったのでした。
『十年不倫の男たち/衿野未矢著(新潮文庫)』を古本で見つけて読みました。
2009年の文庫書き下ろしとなっていました。
読んでみると、この本の前段には「十年不倫」というノンフィクション作品があり、それはかなり話題となり、売れていたようです。
この「十年不倫の男たち」は、好評につき、その続編として書かれていました。
著者には前作の影響もあり、自ら「話を聞いてくれ」と“不倫の状況”について語ろうとする人も現れ、逆に“よくもあんなこと書いてくれたな”みたいな怒っている人もいたりして、ネタに事欠かない状況であったことがわかりました。
不倫というのは、人に語りたくなる人の割合の方が多いようです。この本を読んでの感想ですが。
また、タイトルには“男たち”となっていますが、不倫を語る女の人も登場していて、全体的な感想を言うと、とても意外な感じでした。
もっと、やむにやまれぬ“愛”について語られるのかと思っていたのです。
さらにいうと、“純愛”的な展開でこのノンフィクションは書かれているのではないかと思い、「よし、その「思いのたけ」、聞いてやろうじゃないの」と思っていたのです(^_^;)が・・。
現実は、もっともっと打算的であったり、惰性的であったり、投げやりな様子であったりで、妻(夫)に対しても不倫相手に対しても、どっちつかずの放置されたような“荒れた”状態というのが不倫を続ける人たちの正体だったように感じました。
・・ベストセラーになっていたようなので、私の感じ方が極端で、もっと不倫している人の愛情についてセンサーを効かせて感情移入するくらいの読み方をする必要があったのかもしれませんが。
私は300頁を超えるこの本の半ばあたりで、もう降参状態になり、あとは流し読みになってしまいました。
この本に求めているものが“そぐわなかった”のだと思います。
ちょっと期待していたものではなかったのですが、読めばそれは“読み応え”のあるドキュメンタリーが書かれていました。
また、人間の“サガ”が痛いほどわかる本でもありました。
不倫をしている人も、これからする人も、興味のある人も、不倫に対して正義感を振りかざす人も一度は読んでみた方がいい本かもしれません。
『わたしの失敗Ⅲ/産経新聞文化部編著(産経新聞社の本)』というものを古本で見つけ、読みました。
第3弾と謳われているので、当時(2008年刊)はかなり好評な企画だったようですが、私は存じ上げておりませんでした。
なので、新鮮な気持ちで読むことができました。
表紙にも書かれていますが、そうそうたる顔ぶれの方々の「失敗談」を含めたエピソードが語られていました。
登場する方々それぞれに担当者が異なってまとめられているので、けっこう“テイスト”が個々に異なっていました。
本格的な失敗談もあれば、結局“自慢話”的な展開もあり、いろいろでした。
漫画家・ちばてつやさんは、私も子供の頃から作品をよく読んでいたので、とても興味深く読みました。
あしたのジョーでは、主人公のジョーが少年院で力石と出会い、闘うのですが、それがプロになって闘うと原作者から聞かされた展開に驚き・・二人の体格がまったく異なるのに闘うことはない・・と困ったことが失敗談として書かれていました。
それに辻褄を合わせるために力石は命を削って減量するという物語になり、多くの人が知っている結末を迎えるわけです。
力石の葬儀が現実世界で行われるということに、ちば先生は予想外の驚きをもっておられたことを知りました。
荒俣宏さんの想像を絶する“奇人”ぶりにも驚きましたし、小林亜星さんの“無頼”な感じも今にない人の生き方だと驚きました、意外でした。
また、笹野高史さん、伊武雅刀さん、津川雅彦さん、滝田栄さん、柄本明さんら役者の方々の、今の人には理解できないようなそれぞれの突破力にも驚きました。
また古い本でもあるので、すでに亡くなられている人も何人もいらっしゃいました。
その人達についても、「ああ、そうだったのか、そんなことがあったのか」と知ることが多く、人にはいろいろな人生があり、人知れずたいへんな思いをされていたのだと、しみじみしました。
また、笑福亭鶴瓶さん、桂小金治さんなどは師匠に恵まれ、結果的にとても良い方向に向かわれたのだ、と初めて知って、人ごとながら、よかったよかったと思うことになりました。
個々のエピソードにかなり密度の差があり、スイスイとは読めませんでしたが、良い本でした。
『不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち/五百田達成(いおた・たつなり)著(Discover)』を古本で見つけ、読んでみました。
2016年11月に第一刷発行となっていて、この本は2017年4月発行のものですが、すでに“第十一刷”となっていて、表カバーにも書かれていますが、半年も経たぬうちに10万部突破していたことがわかります。
「きょうだい型」性格分析&コミュニケーションを謳った本で、仕事や恋愛、友人関係などの様々な人間関係に「長子」「中間子」「一人っ子」「末っ子」の“きょうだい型”を当てはめて考察していくこの本、想像するに人事関係の人まで参考にしていたんじゃないかと思います。
ただ、読んでいて感じたのは、今や少子化で、この本でいう「中間子」という兄・姉がいて弟あるいは妹がいるという人(※私もそうです)が少なくなっていて、つまり三人以上の兄弟関係が少なくなっている、また長男・長女として生まれたが、第二子・・つまり末っ子あるいは中間子となる人が生まれるまでに長い期間がある人もいるのではないかと思います。
要するに、「長子」なんだけど、「一人っ子」期間が長い人がいて、一人っ子的要素を持っている人も、この本が出た頃に比べて多いのではないかと思われます。
ですが、それを抜きにして読むと、とても面白い。
思い当たることばかりで思わず笑ってしまいました。
私も妻も三人兄弟だからです。私は中間子で、妻は長子。
表紙にも書かれていますが、長子は「きまじめな王様」、中間子は「永遠の思春期」、末っ子は「したたかなアイドル」、一人っ子は「マイペースな天才肌」・・というような調子で始まり、実例がたくさん示され、なるほど思い当たる“フシ”ばかりです(^_^;)
それぞれの立場の人達の仕事・結婚・恋愛・友達にはどの立場の人がよいのか、などという表もあって楽しく読んでしまいました。
褒められたときに長子は「私なんてまだまだ」と謙遜し、末っ子は「自分はすごい」と増長し、中間子は「裏があるのでは」と深読みし、一人っ子は「・・・!」と動揺するなんて書かれていましたが、中間子の私には思い当たるフシがあります(^_^)
価値観については、長子は「やるべきことをやる」、末っ子は「やれそうなことをやる」、中間子は「みんながやらないことをやる」、一人っ子は「やりたいことだけやる」・・・だってさ。
もひとつおまけに“欠けているもの”も挙げておきましょう。
長子「デリカシーがない」、末っ子「ガッツがない」、中間子「素直さがない」一人っ子「常識がない」・・・(^o^)
最後まで面白く読みました(*^^*)
『失踪願望。 -コロナふらふら格闘編-/椎名誠著(集英社)』を古本で見つけ、読んでみました。
古本と言っても、2022年発行のものなので、つい最近の、この本のタイトルどおり、コロナ・ウィルスが猛威を奮っていた真っ最中の頃のものです。
その時点で椎名さん、78歳。
知らなかったのですが、当時、椎名さんはコロナに感染し、かなりの重症で救急搬送されていました。
この本の中でも椎名さんは、搬送当時の記憶もほとんど無く、いきなり病院で目が覚めますが、身体も動かせず、意識もはっきりとしていません。後に原稿用紙などを事務所から取り寄せますが、思考能力も入院時はとうとう回復せず、一枚も原稿を書くことはありませんでした。
個室にずっと閉じ込められ、精神的にもかなりきつい状況であったことがわかりました。
この状況は、私も同様の経験を奇しくも同じ頃に経験しており、死を覚悟したのも同じです。
この本は椎名さんを取り巻くチームで作られたと後半に書かれていましたが、椎名さんの記憶も混濁していて辻褄が合わなかったり、文章もおかしな部分があったようで、丁寧に修正されている痕跡が見受けられました。
さらに、椎名さんの文の下には、注釈がいくつもあって、その文を書いていた時期の社会の様子なども克明に記されていました。これはけっこう“発見”でした。
エッセイなどに、このような注釈を入れることによって、その文が書かれたその時に社会では何が起こっていたか手に取るようにわかり、「ああ、あの頃にこんなことになっていたんだ」と、とても読み進めることが容易というか、時間的な理解度が深まったような気がしましまた。
ショックだったのは、椎名さん、やはり“年相応”に老齢化しているのがよくわかり、周囲の人達の心配の様子も書かれていましたが、若い頃から椎名さんの文を読んでいた私も「あの椎名さんも老人になるんだ」と、当たり前のことなのに、しんみりしてしまいました。
でも、そんな状況でも奥様の力を借り、スタッフの協力を得て、タイトルは“失踪願望”とありながらも、それでも今までのように文を書き、まだ前に進んでいる椎名さんの姿に最終的には心を強くしました。
椎名さん、がんばって! 私も何度も倒れたり、入院したりと大変でしたが、がんばります。
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