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2025/10/31

俳句を詠んでみる_0600【 カーテンに 日向ぼこする 猫の影 】

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今朝のウチの猫の様子を詠みました。

【 カーテンに 日向ぼこする 猫の影 】

《背景》日向ぼこ[冬]
猫は居心地のいい場所を見つける名人。
近頃は朝が寒くなり、日が昇るとすかさず出窓に行き、朝から日向ぽっこしている。

 

2025/10/30

「風葬/北方謙三」を読みました。

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『風葬/北方謙三著(集英社)』を古本で読みました。というか、途中で読むのをやめました。
1998年第一刷発行の本です。

読み始めたのはよかったのですが、想像通りの“ハードボイルド”で、主人公の刑事が犯人と睨んだ相手を実に怖ろしい攻め方(現代だったら拷問)で、落としていくシーンが何度も出てくるのですが、手錠で柱を抱かせた相手の靴下を脱がせ、その靴下に砂を詰め、脳に衝撃が伝わるように何度も頭に打ち付けるような、読んでいるこちらがゾッとするやり方をするのです。

そういう方法が色々出てきて読んでいるこちらがダメージを受け、具合が悪くなってくるんですね。もう拷問を受けているのが自分みたいに思えて来て、寒気がしてくるのでした。

さらに登場する人物は誰もが人の心を持たず、人を殺すことなんて何とも思っていない人物ばかり。
登場人物も多すぎて覚えるのも大変。
人間味がある人はほとんどいないので、覚えることが難しいのです。
だって、みんな血も涙もない人ばかりだから特徴が無いのです。

若い頃だったら、“パワー”で読み続けることが出来たかもしれないし、話としては面白い展開なので、それなりに読むことが出来たかもしれないけど、途中で自分の心身の状態がひどいことになって来たのに気づき、三分の二まで読んで離脱しました。
その方が自分の健康を害さないと思ったからです。

もうハードボイルド小説は読まないだろうな、そういうものを読める時期は二十年前くらいに終わっていたようです。

ごめんなさい。

 

俳句を詠んでみる_0599【 灯油買い 車で帰宅 冬に入る 】

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冬の気配が急にやってきて一句詠みました。

【 灯油買い 車で帰宅 冬に入る 】

《背景》季語:冬に入る[冬]
あんなに暑かった日々を忘れるような寒さがやって来て、あわてて灯油の準備に車を走らせた。
街はすっかり秋を通り越して冬の様相だ。

 

2025/10/29

俳句を詠んでみる_0598【 豊作の甘柿 分つ うれしさよ 】

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今年の我が家は柿が豊作。また一句詠みました。

【 豊作の甘柿 分つ うれしさよ 】

《背景》季語:甘柿(豊作):[秋]
今年は庭の一本の柿の木が大豊作。
あちこちにもらっていただいたが、今日もまた大収穫。
はてさてどこに配ろうか。
食べていただいた感想もまたうれしい。

 

2025/10/28

俳句を詠んでみる_0597【 葡萄飾るケーキ 記念日に選ぶ 】

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シャインマスカットが乗ったケーキを買って一句詠みました。

【 葡萄飾るケーキ 記念日に選ぶ 】

《背景》季語:葡萄[秋]
何度目かの結婚記念日になるのか、今年もその日が来て、二人とも忘れていた。
お昼頃LINEが来て「すっかり忘れていた」と妻から。
忘れるくらいがちょうど良いと思いながら、近くでシャインマスカットを乗せたケーキがちょっと珍しく、買って来た。
こんなケーキもいいね、と静かな記念日になった。

 

 

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2025/10/27

俳句を詠んでみる_0596【 銀杏黄葉(いちょうもみじ)の議事堂 トランプが来る 】

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あの人が日本に来る・・と聞いて一句詠みました。

【 銀杏黄葉(いちょうもみじ)の議事堂 トランプが来る 】

《背景》季語:銀杏黄葉[秋]
毎日毎日、テレビその他のメディアに登場するその人は、いつもどこかの国や人種にイヤな思いをさせるのを生き甲斐にしているのか、使命だと思っているのか、うれしそうにモニターに映っている。
銀杏黄葉の美しい季節に、この国にやって来るのだそう。
そうですか。そうですか。お帰りはいつですか。

 

 

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2025/10/26

「おぼえていても、いなくても/蛭子能収」を読みました。

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『おぼえていても、いなくても/蛭子能収著・画(毎日新聞出版)』を古本で見つけ読みました。

毎日新聞とサンデー毎日に掲載されたものから抜粋し、加筆再構成されたもので、2021年に発行されたものです。

私の蛭子さん像っていうと、ちょっと怠惰というか億劫なことはしない人で、仕事の場でもけっこう自分勝手、思わず本当に思っていることを口に出してしまいヒンシュクを買う・・というような印象で、もし一緒に仕事することになったら困ったタイプ、あるいは親類縁者の中にいたら近づきたくない人・・^_^;そんな感じでした。

でも、この本を読んで人の見方なんて、ほんとに一面しか見ていないのだなと反省いたしました。

蛭子さんは正直なんです。
色々な行い、言動は、私たちが生きていくうえで、そして仕事上で“ぐぐっ”とこらえて、とにかく“心にもないこと”でもいいから発言したり、行動したりして事なきを得る・・それをしないだけなんです。

読んでみたら、蛭子さんの幼少期、少年期はかなり貧しく、しかも家族はそれぞれの都合で母親と二人きりのことが多かったようで、兄に面倒をみてもらい、何とか高校は出てもその後の仕事も厳しい状況で、母をおいて東京に出てきたことについても、自分のやりたかったことをやってみたい、自分の人生だからということで、自らの心に正直に生きていくことを中心に置いているということがわかりました。

テレビ番組で見えていた奇異な行動や、あり得ないと思えるような発言も、蛭子さんの心の奥から聞こえてくる叫びのようなものだと感じだしました。

人の見え方って、心のチャンネルを変えてみたり、見る方向を変えてみると、それはそれなりに何かがみえてくるのだと、あらためて知りました。
両親、奥さん、その他仕事で接することのあった太川陽介さんらについても感謝の気持ちをかなり詳しく書かれていました。

終盤で、テレビ番組の企画の中から自分の「認知症」が発覚してからの、今後の生き方、奥さんとの過ごし方について書かれていて、それもなかなか私のような凡人にはできないような決意がありました。

実際はとても面白い話ばかり、可笑しい漫画付きっていう本なのですが、私にとっては学ぶことがたくさんあった本でした。

 

俳句を詠んでみる_0595【 秋寒に あの駅で降り あの店へ 】

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今頃の季節を感じると思い出す光景で一句詠みました。

【 秋寒に あの駅で降り あの店へ 】

《背景》季語:秋寒[秋]

お酒が恋しい季節になると、あの駅で降り、あの人と待ち合わせ、あの店へと歩いたことを思い出す。
それは映画のフィルムの様に頭の中に描かれ、動き出す。

 

 

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2025/10/25

俳句を詠んでみる_0594【 やしろ 池に映え 秋惜しむ 散策 】

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涼しいというより、寒さを感じる秋の日に神社を囲む池の周りを散策して一句詠みました。

【 やしろ 池に映え 秋惜しむ 散策 】

《背景》季語:秋惜しむ[秋]
津田沼の「菊田神社」には大きな池があり、外周をゆっくり妻と歩いた。
心落ち着き、今年の短かった秋を惜しんだ。

 

 

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2025/10/24

俳句を詠んでみる_0593【 晩秋に 新たな朱印帳 求め 】

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初めて訪れた気持ちの良い神社で、朱印帳を新調することにした。

【 晩秋に 新たな朱印帳 求め 】

《背景》季語:晩秋[秋]
妻と津田沼にある「菊田神社」に初めて詣でた。
今年も二人で様々な寺社にお参りしたが、もう晩秋。
ここで気分も新たに気持ちの良い神社と感じた菊田神社で朱印帳を新調することにした。

 

 

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2025/10/23

「私訳 歎異抄/五木寛之」を読みました。

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『私訳 歎異抄/五木寛之著(東京書籍)』を古本で見つけ、読んでみました。

2007年に第一刷発行されたもので、作家・五木寛之氏による“私訳”、つまり意訳をさらに超えて、著者・五木氏が自分はこう感じた、こう理解した、こう考えたという主観的な視線から書かれた現代語訳版『歎異抄』と言えると思います。

歎異抄については、その存在は学校でも習ったし、よくラジオなどで「歎異抄」について簡単に読めるようにした本などの紹介もされていて、一度は読んでみたいと思いつつ、手が出なかったものでした。

ひとつには歎異抄は、弱者を押しのけるような生き方をしてきた人、人としてどうかというような生きのび方をしてきた人、そんな人の記憶の闇に一条の光が射されるような、そんな存在なのか、と思っていて、そのくらいしか自分には情報がありませんでした。

でも、この平易に書かれた(言葉面は誰にでもわかるような、やさしい文)私訳は、結局うまく理解することが出来ませんでした。

事前の知識・理解が不足し過ぎていたこともあるかもしれませんが、読んでいくと、一生懸命に何かしらを極めようとして生きている人と、酷いこと、悪辣なことをする人も結局“往生”するのだ・・ということになって、「そんなんでいいのか」と言うような人は何もわかっていない・・という結論になり、なんだか真面目に生きても損しちゃうんじゃないの、って思ってしまう超凡人な私がいるのです。

親鸞その人の筆ではなく、第三者をとおして描かれた回想録ということもあり、その著者の嘆きの書であることから、ますます理解することが困難なことになってしまうのでした。

あらゆる煩悩にとり囲まれている身はどんな修行によっても生死(しょうじ)の迷いからはなれることはできない・・そのことを憐れに思って立てられた誓いこそ、すべての悩める衆生(しゅうじょう)を救うという阿弥陀仏の約束なのだ、というわけですが、まだ何だかわからないのです・・。

この世に生きている者はことごとく深い業を背負っている・・これはわかった。

私たちは、すべて悪人であり、そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に帰依する人々こそ、仏に真っ先に救われなければならない対象なのだ・・という・・何となくわかったような気になった。

おのれの悪に気づかぬ“傲慢な善人”・・世の中、こんな人だらけなような気もする・・でさえも往生できるのだから、まして悪人は往生できるのだ、って、ここでまた最初のわからない自分が現れる(^_^;)・・最後までぐるぐる頭の中が回ってしまう本でした。

 

俳句を詠んでみる_0592【 飯岡灯台に 秋の波 寄せる 】

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中学時代の先生、奥様と飯岡の灯台まで行って、海を見た。

【 飯岡灯台に 秋の波 寄せる 】

《背景》季語:秋の波[秋]
雨の飯岡灯台に行き、海を見渡した。
白波を立てて寄せる波に、夏が終わり、秋が来て、向こうに冬まで見えてくるようだった。

 

 

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俳句を詠んでみる_0591【 秋雨 津波の記憶残る漁港 】

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漁港で、「あの日には底が見え、そのあと船は全部持っていかれた」と教わった。

【 秋雨 津波の記憶残る漁港 】

《背景》季語:秋雨[秋]
旭市飯岡に行き、旭市に住む中学時代の先生に案内され、東日本大震災時に大きな被害を受けた飯岡の漁港を回り、その後上から見渡せる飯岡灯台の展望台に行った。
雨が降り、静かな漁港を見ながら当時のことに思いを馳せた。

 

2025/10/21

俳句を詠んでみる_0590【 宵寒 猫膝に来て 吾も温もる 】

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寒くなってくると猫がそっと膝に乗って来ます。そんなときに一句詠みました。

【 宵寒 猫膝に来て 吾も温もる 】

《背景》季語:宵寒[秋]
日も落ち、夜になってくると増々冷えるようになってきた。
猫も温かさを求めて私の膝に乗ってきた。
ついでに私も温かくなった。

 

2025/10/20

俳句を詠んでみる_0589【 秋の声 寂しくも それは良いのだと 】

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寂しいってことは人間なのだと書かれていたものを読み、一句詠みました。

【 秋の声 寂しくも それは良いのだと 】

《背景》季語:秋の声[秋]
草木のそよぎや、人の声が、秋の爽やかさと寂しさを感じさせる。
急にとても寂しくなるが、それはそれで良いことなのだと、今読んでいる作家のエッセイに書かれていて安心した。

 

2025/10/19

映画「キッズ・アー・オールライト(The Kids Are Alright)」を見ました。

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映画『キッズ・アー・オールライト(The Kids Are Alright)/1979年 イギリス 監督:ジェフ・スタイン 音楽監督:ジョン・エントウィッスル 出演:ザ・フー(ロジャー・ダルトリー、ジョン・エントウィッスル、キース・ムーン、ピート・タウンゼント)、リンゴ・スター』を千葉劇場で上映していると知り見て来ました。

レコード・デビュー60周年記念、日本初劇場公開 HDレストア版・・ということでした。

この映画があるということは知っていましたが、見たことがありませんでした。
一部映像は何かのきっかけで見たことがあったり、インタビュー音声や演奏についても音源は何かしらのレコードなどで聞いたことのある記憶が蘇ってきました。

とにかくインタビュー以外はほぼ「ザ・フー」の演奏シーンばかりです。
スッゴイです!これがロックの姿だというのをひしひしと感じました。

 

 

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驚いたのは、ジョン・エントウィッスルのベースでした。
今まであまり強い印象を持ってはいなかったのですが、この映画の中の音は劇場の大きなスピーカーを通しているからということもありますが、彼が素晴らしいプレイをしていたことがよくわかりました。

フレーズも素晴らしいし、こんなにバンドを引っ張っていたのかと驚きました。
ピート・タウンゼントがタンバリンだけ叩いているシーンのベースなど、ジョン・エントウィッスルのベースそれだけで音楽になっていて、ハーモニーまで感じました。

キース・ムーンのドラムはズドドコ・ズドドコと、ずうっと雷が鳴っているようだし、しかも“おっそろしく”正確で淀みのないものでした。
さらにビートルズのリンゴ・スターとインタビュー形式で会話しているときの“ぶっ飛び”具合もさすがでした。

ロジャー・ダルトリーは、風貌もカッコよく、しかもシャウトするのに安定していて、歌詞もよくわかり、パワフルで、ロックの手本だといいたいくらいの良さ。

そしてピート・タウンゼント。
こんなギター・スタイルの人は後にも先にもこの人だけだし、あの腕を振り回す奏法も随所に飛び出し、ギターを破壊し、でも時には美しい音色のメロディーも奏でる。
ピート・タウンゼントがステージ上で飛び跳ね、ものすごいアクションでギターを弾く姿も今まであまり見る機会が無かった私には、こたえられない爽快さでした。

滅茶滅茶激しいのに、芸術性もあり、狂気もあり、人間らしさもあり、荒々しいロックバンドなのに交響曲のように聞こえる時もある。

見てよかった鮮烈のロック映画でした。

 

「みみずくの夜メール 2/五木寛之」を読みました。

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『みみずくの夜メール 2/五木寛之著(朝日新聞社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2005年に第一刷発行されたもので、当時、三年間にわたって朝日新聞に連載されたコラムの後半部分に他のいくつかの文章を加えたものであるとされていました。

エッセイとまではいかないが、日々の暮らしの中から、不平を言ったり、ため息をついたりするような感じで文字にしたようなもの、と著者ご本人が書かれています。

ということで、私がブックオフで手にしたときに、「これは読みやすそう」とすぐに思いました。
そして、そのとおりの“読みやすさ”でした。

また、この頃は五木さんが「百寺巡礼」をされていた真っ最中であり、さらに「千所千泊」という目標を立てて、日本列島の知らない町や村を千箇所訪れて、そこに泊まるというようなこともされていたようで、原稿執筆と共にされていたわけですから、体力的にも大変なことをされていたことがわかりました。

そんな中でも、市井の芸術家について興味を持ち、その人と作品についても紹介されています。
地方に行けば、上記のような芸術家に出会うこともあるでしょうし、運転免許を取ろうとして車の歴史や構造などについても徹底的に調べてから免許センターに行ったりもしています(^^;

歌謡曲の作詞を手掛けたり、独自の健康法を身に付け、体力的なピンチを乗り越えたり、まだ「男の更年期」などということが世間で言われる前からそれが存在すると、お医者さんとやり合ったりもしていました(^_^;)

心血をそそいで色々なことに取り組むのもいいのでしょうが、五木さんのようにどこか力を抜けるところは抜きながら生きていく、そんなスタイルに憧れてしまいました。

何せ二十年前の本ですが、でも、今の私にはとても参考になることがたくさん書かれていました。

まだ五木さんの本で未読な「歎異抄」についての本も手に入れてありますので、また読みましたら読後の感想を書きたいと思います。

 

 

俳句を詠んでみる_0588【 運命が 育ててくれた 秋の空 】

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秋の空を見ていて、今までの運命的な出来事が自分を形成してくれたのだ、などと思い一句詠みました。

【 運命が 育ててくれた 秋の空 】

《背景》季語:秋の空[秋]
生きてきて、生き抜いてきて、今、自分が何とか一人の人間としてあるのは、様々な仕事、出会い、つらいこと、悲しかったこと、喜び、病などの運命が育ててくれたからではないのかと思うようになった。

 

2025/10/18

俳句を詠んでみる_0587【 柿の秋 豊作 妻と穫り切れず 】

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庭の柿、今年は豊作で収穫もたいへんだった・・ということで、一句詠みました。

【 柿の秋 豊作 妻と穫り切れず 】

《背景》季語:柿の秋[秋]
昨年は不作だった我が家の柿。
今年は“たわわ”に実った。
妻とふたり、不要な枝を落としつつ頑張って穫ったが、容れ物の関係も有り、まだまだ残して今日の作業を終えた。
※写真の柿の木は、収穫後、まだまだ残っている柿の実の様子です。

 

 

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2025/10/17

俳句を詠んでみる_0586【 爽籟(そうらい)の中に 御神木佇む 】

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爽やかな秋風が木々を渡って響く音の中に立派な御神木・・思わず詠んだ句です。

【 爽籟(そうらい)の中に 御神木佇む 】

《背景》季語:爽籟[秋]
いすみ市苅谷にある「国吉神社」に妻と詣でた。
本殿裏には立派な御神木が立っていて、妻がある本から「御神木のような古い木には光と水が何よりの“ご馳走”で、水などは今まで味わったことのない地の水に喜ぶ」という知識を得て、静岡の自然水を買ってきて、木の周りから差し上げた。
その途端、爽やかな風が吹き、枝が揺れた。
御神木はどっしりと佇んでいた。

 

 

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映画「ムガリッツ(MUGARITZ)」を見てきました。

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映画『ムガリッツ パンもデザートもない(MUGARITZ No Bread No Dessert)/2024年 スペイン 監督:パコ・プラサ 脚本:パコ・プラサ、マパ・パストール』を見てきました。

「ムガリッツ」というミシュラン常連の名門店は、毎年11~4月の期間、メニュー開発のために休業し、革新的な料理を誕生させているのだそうで、その開発状況をドキュメンタリー映画にしたものでした。

とても期待して妻と見に行ったのですが、上記メニュー開発についてのコンセプトというか、哲学というか、とても料理についての論争とは思えない話し合いが続き、申し訳ないけど何を言っているのかよくわかりませんでした。

美食の枠を超え、料理の提供ではなく、クリエイティブな生態系の形成だ・・というのは・・わからない・・。

シェフ、スタッフ、アーティストなど自律的な細胞たちが、年に一度、メニュー開発イコール調和を求め集まってくる・・ってことなんだけど・・ちいと難し過ぎて映画として楽しめない^_^;

開発段階の各人の奮闘ぶり、ミーティングなどのドキュメントもさることながら、二回にわたる試食会がこの映画のクライマックスなんだろうけど、料理がどんなものなのか映像だけではよくわからなかったのです。

しかもどういう味なのか、というのも哲学的な解説ばかりでこれまたさっぱりわからなかった。

 

 

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料理自体のビジュアルをもっとカメラを寄せてクリアに見せてくれて、しかもどういう具材をどんなふうに料理し、奇妙な食べ方をさせるのは何故なのか、というのもわかりやすくしてほしかった、というのが感想です。

ミシュラン常連のレストランの料理の映画なのに、どんな料理なのか最後までよくわかりませんでした。
専門家が見るような映画なのでしょうか。
ちょっとお手上げでした。

 

2025/10/16

「小泉八雲とセツ -その言葉と人生-/四條たか子」を読みました。

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『小泉八雲とセツ -その言葉と人生-/四條たか子著・小泉凡監修(宝島社)』を読みました。
今年の9月刊行の新刊なのに古本で安く手に入りました。
今、NHKの朝の連続テレビ小説で小泉八雲と妻のセツさんの物語をやっていて、とても興味があったので読もうと思ったのです。
この本の監修の小泉凡氏は八雲の曾孫です。

読んでみて八雲とセツさんの色々な時代、シーン、周囲の人達の写真も“ふんだん”で、それだけでも貴重なものだし、今現在テレビを見ている自分からしても親近感を感じ、実際に出雲、松江に何度か旅行しているので感慨深いものがありました。

また、二人の結婚前の様子から、その後亡くなるまでのことが実にわかりやすく、そしてどのような人達が二人に関わって、どんな出来事があって、八雲は松江から転居しつつ、その地その地でどういう生活、仕事をしていたのか、執筆してきた作品についてなどについてもまとめられていて、このページ数でよくこれだけ網羅できたものだと感心しました。

また、巻末に「雪女」「ろくろ首」「貉(むじな)」「耳無芳一の話」も収録されていて、名作を味わうことも出来ました。

私自身、今まで出雲、松江には三度出かけていて、八雲が住まっていたあたりの風情などにいつも惹かれるものがあり、八雲に関する本も何冊か読み、旧居や記念館を訪ねるなどして興味津々のところにテレビでドラマをやるということで、所謂「朝ドラ」というものを見たことはありませんでしたが、今回は毎回見ています。
実話とは異なり、脚色された部分も既に多くありますが、それでも面白く見ています。

あらためて小泉八雲と妻のセツさんについてドラマ共々色々な文献もあたりながらお二人の歴史を辿ってみたいと思っています。

 

2025/10/15

俳句を詠んでみる_0585【 秋の浜 稲佐に神が訪れる 】

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一昨年に出雲に行ったときに朝一番に出かけた「稲佐の浜」を詠んでみました。

【 秋の浜 稲佐に神が訪れる 】

《背景》季語:秋の浜[秋]
10月、神無月には全国八百万の神々が出雲に集まり、その月は出雲では神在(かみあり)月と呼ばれています。
その神々が出雲を訪れる玄関口がこの稲佐の浜です。
吹く海風も爽やかでした。

 

 

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2025/10/14

俳句を詠んでみる_0584【 八雲旧居 座敷に入り 秋気澄む 】

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朝ドラを見ていて一昨年の出雲・松江の旅を思い出して詠みました。

【 八雲旧居 座敷に入り 秋気澄む 】

《背景》季語:秋気澄む[秋]
一昨年、妻と松江の小泉八雲旧居を訪ねた。
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」が始まり、懐かしい風景も見えたりして、その日の旧居内の雰囲気が蘇ってきた。
八雲と妻のセツさんが生活していた澄んだ空気がそこにあるように感じられた。

 

 

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2025/10/13

俳句を詠んでみる_0583【 秋の風 珈琲84度に 】

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秋になり気温も下がってきましたが、深煎りの珈琲豆を選んで一句詠みました。

【 秋の風 珈琲84度に 】

《背景》季語:秋の風[秋]
庭に吹く風も秋めいてきました。
ちょっと深煎りの珈琲豆を低めの84度で淹れて、家族に飲んでもらいました。

 

 

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「日日是口実(にちにちこれこうじつ) -「お茶が教えてくれた15のしあわせ-/森下典子」を読みました。

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『日日是口実(にちにちこれこうじつ) -「お茶が教えてくれた15のしあわせ-/森下典子著(新潮文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。

ルポライター、エッセイストである森下典子さんの「お茶」・・茶道の教室に通って色々なことを感じていく・・に関するこの本、古本で時々見つけ、ずっと気になっていたので読んでみました。
“帯”に黒木華さん、樹木希林さん出演で映画化された、とありましたので、きっと内容も面白いものだろうと思い、背を押された感じです。

2002年に飛鳥新社から刊行され、この文庫本は2008年に文庫化されたもので、私が手にしたものは、2018年において“三十一刷”を重ねています。

著者は大学を卒業しても出版社でのアルバイトをしていて、友達は就職先が決まったり、その後結婚したりと、今後の方向性が見いだせず、本人にはちょっと“キツい”状況である中、母親に勧められて「お茶」の教室に通うようになります。
そこからの本人の気持ちや“気づき”がこの本に書かれていることです。

先生は一つひとつの作法は厳しく教えますが、雑談的なことや“人生の教え”みたいなことは一切しないのです。
著者の不満は時々爆発しそうになるのですが、でも・・実際には決まりごとを淡々としていく茶道の動きの中で四季の移ろいを感じ、集中する中で自らの心と対峙する瞬間を感じたりしていきます。

それが、その様子がとてもいいのです。
巻末の「解説」を落語家の柳家小三治さんが書かれていて、小三治さんが独演会の時に落語をやらずにこの本の朗読をしたことがあるとのことで、私はたいへん驚きました。
小三治さんが読んでいて泣いてしまう・・というのです。

今、この本を読み終えて、私はその気持ちがよくわかります。
人は人それぞれの小さくて弱い心を持っていて、でも日日の移ろいの中でその小さな心を少しずつだけど元気づけて生きて行きます。
そんな著者の気持ちに共感して思わず涙してしまうのです。

お茶は季節の移り変わりに沿って日本人の暮らしの美学と哲学を自分の体に経験させながら知ることだった、と書かれていました。たしかにその様子はこの本に丁寧に書かれていました。

本当に知るには時間がかかるけど、「あっ、そうか」とわかった瞬間、それは血となり肉となる・・これもその瞬間のことがわかりやすくこの本に書かれていました。

著者は力強く「会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。」ときっぱりと書いています。

私もそう思います。

だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とはそういうこと。

肝に銘じます。

 

2025/10/12

俳句を詠んでみる_0582【 秋の海 付かず離れず 鷗(かもめ)居り 】

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九十九里浜に行くと、鴎が居たが近づこうとしても距離が縮まらなくて一句。

【 秋の海 付かず離れず 鷗(かもめ)居り 】

《背景》季語:秋の海[秋]
九十九里浜の波打ち際を歩いていると、鷗も波打ち際に居て、こちらとの距離が詰まると一定の距離を取るように歩いていた。
これは人間同士の関係にも当てはまるのではないかと思った。
相手に近づき過ぎない。離れ過ぎてもいけない。
鷗に教わった。

 

 

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2025/10/11

俳句を詠んでみる_0581≪The Beatles 俳句「アルバム Abbey Road の B面を詠む」≫【 B面に入り 蟋蟀(こおろぎ)鳴き始め 】

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そろそろコオロギの鳴き声が聞こえてくる季節になりました。コオロギと言えば思い出すビートルズのレコード盤を詠みました。

【 B面に入り 蟋蟀(こおろぎ)鳴き始め 】

《背景》季語:蟋蟀(こおろぎ)[秋]
久しぶりのビートルズ俳句。
ビートルズが最後に作ったアルバム「アビーロード」(※Let It Be は最後に発表したアルバム)は美しい作品だったが、アナログ盤でのB面のメドレーが“聞き物”になっていた。
「You Never Give Me Your Money」と「Sun King」のつなぎ部分にコオロギの鳴き声が聞こえる。
「ああ、これから怒涛のメドレーが始まる」と思う瞬間だ。

 

 

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2025/10/10

俳句を詠んでみる_0580【 秋の空 一時(いっとき) 世の不穏忘れ 】

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いやなことばかりの世の中や、これからの自分について青空を見て思った。

【 秋の空 一時(いっとき) 世の不穏忘れ 】

《背景》季語:秋の空[秋]
台風一過、さわやかな青空を見上げていると、国外での紛争や、国内の政情などの不穏な様子も一時忘れることができる。
今年、自分がまだやっていないことへの意欲も出てきたような気がする。

 

2025/10/09

「ドナルド・キーン自伝/角地幸男訳」を読みました。

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『ドナルド・キーン自伝/ドナルド・キーン[角地幸男訳](中公文庫)』を古本で見つけ、読みました。

360頁もあるもので、キーンさんの幼少期から晩年まで実に事細かく振り返っていて、9歳の時に父親の仕事について行ってヨーロッパの船旅をしたり(この時のこともかなり細かく記憶されている)、海軍日本語学校へ入ったときのこと、戦死した日本兵の日記に感動したこと、日本人捕虜との交流、大学時代の日本研究、京都に住んでいたときのこと・・どのエピソードも興味深く、面白く、しかも日本文学についてのキーン氏の知識、理解、研究度合の深さなどに驚愕したのでした。

川端康成、大江健三郎、阿部公房、吉田健一、谷崎潤一郎、有吉佐和子などが、どんどん登場してその思い出や大きな出来事なども実に興味深く読みました。

特に三島由紀夫との交流については、ほんとうに死の直前までの様子が細かに書かれていました。
あの事件の直後に三島の机に残されていたキーン氏への手紙は、三島の奥さんがそのままアメリカに帰っているキーン氏に投函され、届いているのですが、キーン氏も書かれているように、本来なら警察が押収するような“事件関連の資料”と言えるようなものだったのかもしれません。

文中に出てくる日本の風景、様子なども実に貴重なものでした。特に京都についての記述が克明で、日本を、京都を愛する氏の心が伝わってきました。

キーン氏の著書については何冊か読み、まだ数冊手に入れていますので、それらを読みましたらまた感想を書こうと思っています。

 

俳句を詠んでみる_0579【 秋の昼 あの仕事した シャツ始末 】

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仕事を離れてからそのままになっていたシャツ類を始末して一句詠みました。

【 秋の昼 あの仕事した シャツ始末 】

《背景》季語:秋の昼[秋]
病に倒れ、仕事を離れ、あれから数年、妻から声が掛かり、ワイシャツがたくさん下がったままになっているので、いらない分を処分しようということになり、数十枚のシャツを袋に詰めた。
「これはどうする?」と聞かれるたびに「ああ、そのシャツはあの仕事をした時、このシャツはあそこで仕事をしていた時のもの」と、記憶が鮮明に蘇った。
「“戦闘服”みたいなものだ」と、そっと言うと、妻は静かに頷いた。

 

2025/10/08

俳句を詠んでみる_0578【 水澄む 登戸神社 心なよやか 】

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市内なのに、今まで出かけたことの無かった登渡神社(通称・登戸神社)に初めて詣でて一句詠みました。

【 水澄む 登戸神社 心なよやか 】

《背景》季語:水澄む[秋]
千葉市中央区登戸にある「登渡(とわたり)神社」は、通称「登戸神社」と言われ、地元の人々に親しまれている。
妻と私は市内なのに初めて訪れ、湧いている清らかな水に気持ちもあらたに、そして青空を見上げ、心なよやかになった。

 

 

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2025/10/07

俳句を詠んでみる_0577【 秋涼 寶登山(ほどさん)分け入る バスツアー 】

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神社巡りのバスツアーに参加する人は、皆よく調べ、祈願する目的がはっきりしていると感じて一句詠みました。

【 秋涼 寶登山(ほどさん)分け入る バスツアー 】

《背景》季語:秋涼[秋]
「秩父三社巡り」というバスツアーに妻と参加した。
最初に行った寶登山でも、本殿のみでなく、山道を分け入り、宝玉稲荷(※倉稲魂・うかのみたまのみこと)へ向かう人が多く、皆、神社についてはよく知っているようだった。

 

 

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2025/10/06

俳句を詠んでみる_0576【 高秋(こうしゅう)に つなぎの龍 踊らんとす 】

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秩父三社巡りで訪れた秩父神社「つなぎの龍」の生き生きとした姿を見て詠みました。

【 高秋(こうしゅう)に つなぎの龍 踊らんとす 】

《背景》季語:高秋[秋]
バスツアーで訪れた秩父神社には、名工、左甚五郎が社殿彫刻に施したものと伝えられ、夜な夜な近くの池に現れたために鎖で繋ぎ留められたという「つなぎの龍」がいる。
初めて見たが、今まさに踊るように飛び上がらんとしているかの如く見事なものだった。

 

2025/10/05

俳句を詠んでみる_0575【 素秋の三峯に登り 雲に入る 】

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妻は二度目だが、私は初めて行った三峰神社。神の領域に入って行くのを感じて詠みました。

【 素秋の三峯に登り 雲に入る 】

《背景》季語:素秋[秋]
妻とバスツアーで三峯神社に詣でたが、どんどん山の上の方に向かい、バスを降りて歩きだすと、空気は冷たく、湿気を帯びて、いつの間にか雲の中にいた。

 

 

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2025/10/03

俳句を詠んでみる_0574【 雨蛙 緑あざやか 海厳寺 】

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妻とお寺参りしたときに“あちこち”でこちらを見ているかのような雨蛙を見て詠みました。

【 雨蛙 緑あざやか 海厳寺 】

《背景》季語:雨蛙[夏]
その緑色がとても鮮やかだった雨蛙。
インスタグラムにもアップしてみましたが、句にも詠んでみようと思いました。
山武市木戸の「海厳寺」、住職(ご高齢の方で先代か)が一緒に歩きながらお話をしてくださって、辯天堂も開けていただきお参りしました。
辯天堂の扉の格子には、何匹もの雨蛙がいて、出迎えてくれたかのようでした。

 

 

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2025/10/02

「落語と私/桂米朝」を読みました。

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『落語と私/桂米朝著(ポプラ社)』を古本で読みました。
1975年に発行されたものを改訂し、2005年に新装発行されたものです。

内容は、小沢昭一氏が寄せている文に「これ一冊で落語論は十分。親切に平易に述べられている。落語の実演家ならではの指摘、日本伝統芸能についての独自な見解に教えられることが多い。」と書かれていて、読後の私も同感しました。

米朝さんの落語はUSENの落語チャンネルでよく聞きましたが、どんな噺もこの本のように平易でわかりやすく、ちょっと聞いている人が迷いそうな表現や、耳慣れない昔の慣習などがあると、ちょっと簡単に説明してくれたりするし、淀みないし、くすぐるような小さな笑いから、爆笑まで、寄せては返す大波小波のような見事な落語でした。
しかも品がある。

さらにこの本でも書かれていましたが、落語の成り立ちや、今までの形態の変化や、お客さんや社会状況などについても身体に染ませた上での落語は味も深みもあるもので、いつも感服しておりました。

また、米朝さんは今ではまったくどの噺家も取り上げないネタをよく取り上げられていました。
しかも、絶対に面白い見せ場のようなものがない噺で、ご本人曰く「私もどこが面白いのか最初はわかりませんでしたが、やってみるとそこはかとなく可笑しい噺だったりします」と、見事な出来栄えで誰もやらぬネタを復活させていました。でもって米朝さんが語れば、今聞いてもなんだか可笑しいのです。

この本では、上方と東京の落語の違い、またその在り方についても異なる部分が多いとわかりやすく説明されていました。

たぶん小中学生が読んでも落語の歴史的な経緯から、その面白さの醍醐味までわかってくるんじゃないかと思われるこの本、“楽しい教科書”となっておりました。

 

俳句を詠んでみる_0573【 川辺の彼岸花 見つけ くるま 降り 】

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妻とクルマで走っているときに見つけた光景から一句詠みました。

【 川辺の彼岸花 見つけ くるま 降り 】

《背景》季語:彼岸花[秋]
妻と山武市の海厳寺にお参りした帰りの車中で遠くに彼岸花の群生を見つけた。
「行ってみよう」と車の方向を変え、その川辺の群生地に降りてみた。
時を忘れるような不思議な感覚になった。

 

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2025/10/01

俳句を詠んでみる_0572【 消沈 帰宅し 帰り花に気づく 】

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突然視界にスッと入ってきた赤い色・・何かと思ったという句。

【 消沈 帰宅し 帰り花に気づく 】

《背景》季語:帰り花[冬]
雨模様の帰宅、やや消沈気味。
下を向いて家に入ろうとすると、視界の隅に赤いものを感じた。
ハッとして見ると、夏の日に盛りだったダリアがまた花を咲かせていて驚いた。
少しばかり慰められた。

 

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