「私訳 歎異抄/五木寛之」を読みました。
『私訳 歎異抄/五木寛之著(東京書籍)』を古本で見つけ、読んでみました。
2007年に第一刷発行されたもので、作家・五木寛之氏による“私訳”、つまり意訳をさらに超えて、著者・五木氏が自分はこう感じた、こう理解した、こう考えたという主観的な視線から書かれた現代語訳版『歎異抄』と言えると思います。
歎異抄については、その存在は学校でも習ったし、よくラジオなどで「歎異抄」について簡単に読めるようにした本などの紹介もされていて、一度は読んでみたいと思いつつ、手が出なかったものでした。
ひとつには歎異抄は、弱者を押しのけるような生き方をしてきた人、人としてどうかというような生きのび方をしてきた人、そんな人の記憶の闇に一条の光が射されるような、そんな存在なのか、と思っていて、そのくらいしか自分には情報がありませんでした。
でも、この平易に書かれた(言葉面は誰にでもわかるような、やさしい文)私訳は、結局うまく理解することが出来ませんでした。
事前の知識・理解が不足し過ぎていたこともあるかもしれませんが、読んでいくと、一生懸命に何かしらを極めようとして生きている人と、酷いこと、悪辣なことをする人も結局“往生”するのだ・・ということになって、「そんなんでいいのか」と言うような人は何もわかっていない・・という結論になり、なんだか真面目に生きても損しちゃうんじゃないの、って思ってしまう超凡人な私がいるのです。
親鸞その人の筆ではなく、第三者をとおして描かれた回想録ということもあり、その著者の嘆きの書であることから、ますます理解することが困難なことになってしまうのでした。
あらゆる煩悩にとり囲まれている身はどんな修行によっても生死(しょうじ)の迷いからはなれることはできない・・そのことを憐れに思って立てられた誓いこそ、すべての悩める衆生(しゅうじょう)を救うという阿弥陀仏の約束なのだ、というわけですが、まだ何だかわからないのです・・。
この世に生きている者はことごとく深い業を背負っている・・これはわかった。
私たちは、すべて悪人であり、そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に帰依する人々こそ、仏に真っ先に救われなければならない対象なのだ・・という・・何となくわかったような気になった。
おのれの悪に気づかぬ“傲慢な善人”・・世の中、こんな人だらけなような気もする・・でさえも往生できるのだから、まして悪人は往生できるのだ、って、ここでまた最初のわからない自分が現れる(^_^;)・・最後までぐるぐる頭の中が回ってしまう本でした。
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