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『藤沢周平句集/藤沢周平著・文藝春秋編(文藝春秋)』を妻から借りて読みました。
1999年に第一刷発行されていたものでした。
著者、藤沢周平さんは26歳の冬に肺結核と診断され、郷里から上京し、北多摩の療養所に入院しました。
手術後に句作をはじめ、施設内の同人誌や静岡の俳誌に作品をよせています。
一年半くらいの期間らしいのですが、真剣に俳句に取り組み、充実した時間を過ごしていたとのこと。
この句集を読んでみると、悲歎や諦念を込めた内面が強く出ているものや、いわゆる写生句が多くあり、ご本人は写生句が好みなのではないかと感じました。
作家の句らしく、しかも若い頃の作なので一句一句が個性を発揮し、粒だっている感じでした。
落葉松の木の芽を雨后の月照らす
冬の夜の軒を獣巡るらし
軒を出て狗寒月に照らされる
更衣して痩せしこと言はれけり
ちょっと頁を繰ってみただけでも、“ややっ”ていう感じの句が多いのです。
私が日々詠んでいるような長閑な日記的雰囲気はなく、一句一句が作品として立っている、そんな力強さも感じるのでした。
とても今の私には参考になるような句ではありませんでしたが、今後の句作に少し襟を正しながらの姿勢も取り入れていった方がいいかも・・と感じました。
『句集 鼓動/加藤峰子著(文學の森)』を読みました。
実は私、独学で俳句を詠んできたのですが、無料の俳句講習会があることを新聞で知り、昨年暮れにそこに参加したのをきっかけに、この句集の作者、加藤峰子先生が講師になられている句会に一月から入ることになったのでした。
数回の句会に参加した折に、会員の間で回し読みしているこの本を手渡されました。
講師、加藤峰子先生の句集でした。
2018年発行の句集で、内容は2008年~2018年にかけて詠まれた作品となっていました。
その間に先生は夫を亡くし、そのときの苦労、心境も詠まれていました。
たいへんな状況であったとその作品からも推測されましたが、俳人としての矜持ある静かで秘めたる気持ちをひしひしと感じる作品に、いつも教えていただいている先生のお顔が浮かび息を呑みました。
俳人の精神力、精神性には感服するばかりでした。
また、この句集での先生の作品はスケールが大きいものや、ふとしたことに気づいたそのときの気持ちが私の眼前に立ち上がってくるような作品など、多彩で力強く、優雅な作品まで詠み込まれていて只々驚きました。
先生からは今まで三回の句会に出席し、「有季定型」の大切さについて教わり、自由な感じで詠んできた私は今、“大スランプ”&“精神的な落ち込み”状態で(^_^;)出口がまったく見えない状態なのですが、この句集を読んで、今一度初心者の気持ちを大切に一から出直そうと思いました。
次の句会は再来週なので、それまでこの句集を読むことが出来ます。
身につけたいと思います。
『二度目の大往生/永六輔著(岩波新書)』を古本で見つけ、読みました。
“二度目”と言うからには、「大往生」という本が既にあって、ヒットしたのですが、この第二弾の本は1995年第一刷となっています。
読んでみて驚きましたが、全編とてもいい。
特に最後の1995年に群馬県藤岡市でひらかれた「おすたか・ふれあいの会」での講演を文書化したもので、随所にそのとき永さん自信の観客からの反応に対する心の中での動揺なども実況中継的に挿入されていて、読んでいるこちらも会場にいるような気分でドキドキしました。
内容は宗教についてかなり深いところまで話されていて、しかもあまりにもやさしい言葉の表現で書かれていて、これはぜひ現物を読んでいただきたいと思いました。
私も、常に手元に置いて時々振り返るように読もうと思っているところです。
日本人の宗教観や、科学と不思議な現象の関係、人はなぜ存在していて、何をしているのだろうというこの講演、笑いも交えながらの名講演だと思いました。
さて、それ以外で私の気になったところを少しだけせっかくだからご紹介いたします。
つらいとか、かなしいとか、痛いというのは何とかできるんだけど、いちばん厄介なのは“むなしい”ということ、という部分でした。
自分が誰かの役に立っているという自信のある人は絶対にむなしくならない。
むなしさを感じない暮らしというのが、充実した暮らしだ、とおっしゃっています。
私もそんな気がします。
老人になったときに、見せるべきもの、語るべきもの、伝えるべきものをもっているか。
上記のうち、ひとつでも持っていればいい、とおっしゃっていて、大事なことだとあらためて感じました。
また、最近のご時世に感じることも書かれていました。
人間がいま生きているっていうことがどんなにありがたいか、いま生きていられるっていうことを誰に感謝したらいいのか、そういう思いがあれば、たったひとつの道具でも、誰かがつくってくれたんだ、ありがたい・・と思うじゃないですか、とおっしゃっています。
今や良識というものさえもどこかに行ってしまうような状況に心強く感じました。
あとは、最後の講演部分についてはぜひ一度ご覧いただきたいということをもう一度うったえまして感想といたします。
『俳句で楽しく文語文法/山西雅子著(角川選書)』を古本で見つけ、読みました。
俳句を詠み始めて二年。
独学でやっていましたが、昨年暮れに無料の俳句講習会に出たことをきっかけに句会に入り、自分には初めてのことばかり、それに“歯が立たない”状態も経験し、今、あらためて勉強し直しだな、と思っているところです。
句会の先生からも文語文法について教わることが多く、思い切ってこの本を手に入れてみたのです。
読んでみましたが、やはり難しい。
何となくわかるのですが、その法則・規則的なものについては複雑に感じてしまい、理解度は二割程度でした。
なので、例示されている俳句を一生懸命に読み、文語表現に慣れ親しむことに重点を置き、今できることをやってみようと努力してみました。
文語文法についての参考書は、もう一冊手に入れてあるので、少し文語の俳句に慣れてからまた読み直し、勉強しようと思いました。
『「型」で学ぶ はじめての俳句ドリル/岸本尚毅・夏井いつき(祥伝社)』を読みました。
古本で手に入れ、2018年初版発行となっていました。
岸本さんも夏井さんも、NHKの俳句番組やTBSのプレバトなどで今もよく拝見している先生で、私もいつも勉強させてもらっている、分かりやすい解説をしてくださる方々です。
お馴染みの名前を見て、すぐにこの本に手が出たわけです。
この本の中では、夏井さんが“チーム裾野”の代弁者として、初心者が考えがち、陥りがちなことをどんどん挙げて、それについて岸本さんが「こうしたら」とか「こんな実例がある」と回答していくのが基本的な流れになっていました。
そして、夏井さんも的確な補足をしていくのでした。
最初は基本的なことの確認、そして途中からタイトルどおりの「ドリル」に突入します。
私もやってみたのですが、難しいというか、過去の名句などの知識が少ないので、対応できないことが多々ありました。
それに季語や語彙などの基礎的な素養が不足していることも痛感するのでした・・情けない。
咄嗟の“アドリブ力”には少しばかり自信があったのですが、やはり基本的なところが出来ていないので、まともにこういうドリルに向かうことになると難しいことばかりでした。
この本に例示された俳句も、もう一度鑑賞し直しつつ、さらに名句集なども何冊か手元にあるので、勉強し直していこうと思いました。
映画『カミング・ホーム(Jules)/2023年 アメリカ 監督:マーク・タートルトーブ 脚本:ギャビン・ステクラー 出演:ベン・キングズレー、ゾーイ・ウィンターズ、ハリエット・サンソム・ハリス、ジェーン・カーティン、アンナ・ジョージ』を見て来ました。
ペンシルベニアの小さな町で暮らしている79歳の男性が主人公ですが、認知症の初期症状を娘に心配されつつも、自らの事態については認めたくない、そして一人暮らしという状況で物語は始まります。
最初、この映画のチラシを見ただけだと、その主人公の家にUFOが墜落して、周囲に訴えても誰も信じてくれないという展開だと書いてあって・・てっきりUFOの墜落は、認知症が進行しての妄想から物語が展開するのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。
UFOは本当に家の裏に墜落し、そこからは宇宙人が負傷して出てきて・・。
という私の予想外に物語は進展していくのでした。
そこに同年代の隣人女性二人がそれを目撃することになり、その秘密を共有することになってしまい、さらに互いに老いての孤独という共通な悩みを抱えていた三人は何か大切な人生の忘れ物のようなものを取り戻していく・・ということになります。
上記が一番の見どころかもしれませんが、宇宙人をかくまう中での三人と宇宙人の不思議な心の交流。
また、認知症初期症状の主人公と主人公の家族が、やはり今までなかなか踏み込めなかった家族の大切な領域に互いに歩み寄るような部分もあり、見ていたら面白いシーンがたくさんあるのですが、実際描かれていることは深いものがあると感じました。
これも見た方がいい、おすすめな作品だと感じたことをお伝えして今回の映画の感想といたします。
『俳句交換句ッ記 才人と俳人/堀本祐樹著(集英社)』を古本で見つけ、読んでみました。
「青春と読書」2020年~2023年に初出したものと、又吉直樹さんとの対談を書き下ろし、加筆・修正を行ったもので、2023年に第一刷発行されたものです。
いとうせいこうさんや川上弘美さん、土井善晴さん、穂村弘さんなど多彩な方々と交換日記ならぬ交換“句ッ記”ということで、文書と共に俳句を交換していくという形で成り立っている本でした。
ただ、私が読んでみると、それぞれの俳句に“響いてくる”ものが無く・・って、私の感性がまったく寄り添えなくて駄目なんだろうけど・・どの人の文章も俳句も“ピカ~ん”と鋭いものがあるのはわかりましたが、俳句として楽しめない、非常に個人的な領域の中で、それぞれの人の頭脳の中で輝きを放っているような、そんな感じの句ばかりでした。
交換日記的というか、互いの気持ちのやり取りが俳句と文で交わされていて、でもそれはあまり私には関係ない世界ばかりで、途中でつまらなくなってしまいました。
自分の俳句づくりの参考としよう、などという考え方には似合わぬ本でした。
ちょっと“寝かせて”おいて、また何年後かに読んでみようと思います。
聞けば、先生、軽のバンで何往復もして自宅から運び込んだとのことで、来年はたしか傘寿のお歳だったと思いますが、そのバイタリティー、体力、作品づくり・展示に対する意欲にはただただ恐れ入るばかりです。
作品もますます輝きを放ち、傘寿を前にしてさらに新しい展開を感じました。
私も見習いたいと言いたいところですが、見習えるようなことではありません。
今の私にこのようなことが出来るのかと自分の胸に聞いてみましたが、いやいやとても無理です。
先生は、次の展開をもう見据えているようでした。私も元生徒として、ファンとしてうれしいことです。
奥様と会場でお話ししていたら、先生の“ガラ携”には、アドレスが入力されていないとのこと。
「えっ、じゃ私が掛けた時には先生の携帯の画面には私の名前が表示されていないんですか?」と聞くと、「そうだ」と。
電話番号を見れば誰だかわかる!と力強く語り、自分から掛けるときも一人も登録が無いので、覚えている番号を打つのだそうです。
でも、「先生の知り合い関係の人数はただ事じゃないと思いますけど」と聞きましたが、「いや、だいたい覚えている」・・んだって( ゚Д゚)
アドレス帳入力して差し上げようかと思いましたが、いや、このままの方が先生は元気なままでいられる、と、そのままにすることにしました。
昨日、3月14日をもって展示は終了しましたが、先生ますますお元気で安心したことと、先生の意欲はますます健在であることが確認出来ました。
ほんとうによかった。
『悩むことはない/金子兜太著(文藝春秋)』を古本で見つけ、読みました。
2011年第一刷発行のもので、第一章は語り下ろし(問われて答う)、第二章も語り下ろし(生い立ち来たるところ)、第三章は戦争と俳句、戦地で俳句と訣別し、戦地でふたたび俳句に会う・・初出『文藝春秋くりま 2010年5月号』という構成になっていました。
金子兜太さんというと、テレビNHK俳句の表彰式で、稲畑汀子さんと丁々発止のやり取りをしていた、お歳に似合わぬ“血気盛ん”な様子を思い出します。
最後は互いににこにこしていて、緊張していた会場も思わず和む感じがまだ心に残っています。
この本でも、兜太さん、自らの信じるところ、真っ直ぐで、でも人情溢れるような生きる姿がそのまま文章になっていました。
兜太さんの俳句は人の生き方を問うているというか、読んでいるこちらも自分がどれだけ本気で生きているかを胸中に刻んでおかないと鑑賞することが出来ないように思います。
そして、「それでいいんだ」という寛容な心も必要だと感じます。
実際に読み進むと悩んでいる自分の背中をトンっと押してくれている、そんな本になっていました。
第三章は戦争に行かれた時のこと、そしてその中での俳句との対峙について書かれていました。
金子兜太さん以外にも、今まで城山三郎さんや、柴田錬三郎さんなどの本を読むと、それぞれに戦地での過酷な様子が書かれていて、志願して行った人もいるのに、それは戦争の悲惨さと共に人間の醜さ、酷さが露わになっていました。
この本も同様、読んでいてあまりのことに体の具合が悪くなりそうでしたが、どの著作からも戦争などするに“大儀”など無いのだということが書かれています。
そんな本を読んでいる最中も中東では懲りない人類が過去の反省も無く、またもや戦を行ない、互いを罵り合っています。
地球上の生物で一番下等な種類は人類ではないかと思ってしまいます。
『まひるの散歩/角田光代著(オレンジページ)』を古本で見つけ、読んでみました。
オレンジページ内の「夜中の散歩」2009年~2012年を再構成したもので、2012年に第一刷発行されています。
直木賞作家の著者、角田さん。
このエッセイでは、飾らず、気取らず、ありのままの日々が綴られていて、あまりにも庶民的で共感するとともに、よくぞそこまで恥ずかしがらずに書けたものだと ^_^; 思いました。
ふつうはけっこう“カッコつけて”書きたがるようなところも正直な感じで書かれていました。
ラーメン屋、回転寿司、居酒屋の三つはどうしてもひとりで行けないなんて書いておきながら、いつの間にかその内二つをクリアしていたり、大掃除は人間は絶対にしなければならないと思っていたのに、友人に聞いたら「そんなの一度もしたことない」と言われ、じゃあ今までの自分は何っ!と驚きまくったり。
空港に行くとなぜかたいしてお腹も空いていないのに、時間ギリギリでも食堂・レストランなどに飛び込んだり、弁当づくりは嫌いと言っておきながら、いざ自分でつくってみるとやめられなくなったりもしています。
機械音痴のくせに、家電好きで、ホームベーカリーを買ってしまい、食べてみるとそこそこウマいが、やっぱり近所のパン屋さんの方が美味しいと言ったり、こういう人ってクラスに一人、ご近所に一人はいそうですが、関わり合うとけっこう面倒くさい人だったりします。
というわけで、まるで他人事として読んでいるうちは面白おかしく読んでいましたが、なんだかウチの奥さんに似ているところがいくつか見受けられて、ちょっと不安になったり、怖くなって思わずページを閉じてしまうこともありました(^_^;)
でもまあ、気軽に“他人事”として読めば、こんなに面白いものはないという本でした。
『うらやましいボケかた/五木寛之著(新潮新書)』を古本で見つけ、読みました。
初出は「週刊新潮」に連載された『生き抜くヒント!』で、それをまとめ新書版としたものでした。
2023年発行のものなので、そんなに古くはありませんでした。
文中では、五木先生、90歳を目前にして、いろいろ悩んだり、決意したり、あきらめたり、やる気を出したり・・ ^_^; 要するに「ああでもない、こうでもない」と心の中は“行ったり来たり”の状態のようでした。
60、70、80の壁というのをよく聞きますが、さすがに90の壁を経験できる人は少なく、先生の周囲の人達もその壁が立ちふさがる前に故人となられている人が多いようです。
だから、あまり参考意見を聞こうにも聞く人がいない。
私は読んでいて、五木先生は、「よし、こうしよう」と思ったら、それが正しいのだと先ずは思い込んで実行してみることにしていて、“後付け”でそれが良い理由も考えられています。
それが一番かもしれないと思いました。
そして、上手くいかなかったら割とすぐに方向転換するのも潔くてさすがだと思いました。
転ばないようにするには
ボケるにもうまい“ボケかた”の実例も紹介
運転はできるけどしない(免許はあるが運転はしない)
コロナ禍以降の夜型から朝型への転換
体は枯れても、心は枯れない
などなど、興味深い話はどんどんと続きます。先生、全然ぼけてないです!
まだまだ私はそんな年齢には達していませんが、もの凄いスピードで時間が過ぎていくように感じる昨今、この本での先生の考え方は参考になりました。
うまく歳を取りたいと思います。
『その癖、嫌われます/竹内一郎著(幻冬舎新書)』を古本で見つけて読んでみました。
著者、竹内一郎氏は演出家、劇作家、漫画原作者、大学教授でもあります。
この本自体は2012年に第一刷発行されたものです。
嫌われる“癖”っていうと、まず思い当たるのは「貧乏ゆすり」でしょうか。
この本にも書かれていましたが、イライラするんでしょうね、かつての私の上司にも貧乏ゆすりグセのある人がいて、私が話し出すともの凄い勢いで貧乏ゆすりが始まりました。
丁寧に説明しても、聞いている時間が無駄だと思うのでしょう、端っから聞く気なんてないのです。自分の思い通りならなきゃ気が済まない人でした。
上記のようなことで私が気になっていたクセについてもいくつか書かれていたので、それを挙げてみて、この本の感想にしたいと思います。
「ペンまわし」って、普通の人は見ていて“カッコいい”と思っていて、なんか気に障ると感じていたのは自分だけかと思っていましたが気になる人は意外と多いようです。
人が話しているのに、ペンをくるくる回していて、会話のリズムが崩れます。
目がそっちに行ってしまい、実にイヤなものだと私は感じていました。
きっと最初は練習したのでしょう、華麗にペンを回せるようになったら人前でやりたくなるのだと思います。
でも、そのクセのある人・・やめた方がいいと思います。一人のときに思う存分やった方がいい。
それと少し関連があるかと思いますが、ドラムを叩くときにくるくるとスティックを回すドラマーがよくいますが、私は不誠実な感じがしてイヤだったのです。初めて言いました。
私もドラムを叩きますが、ホントいうと、とてもイヤ!
パソコンのキーボードを叩く音がうるさい人も無用に音がデカいと思っていましたが、この本にも書かれていました。
特に「エンターキー」を打つときの“スタ~ンッ”てのが、本人には快感かと思いますが、こちらは不快感です。
そもそも本当に速く打てる人は空中にほとんど指が浮かずに滑るようにタイプするので音なんかそんなにしないのです。
この本には、なぜ人にはクセというものがあり、それは直すことによって実際に生きていくこと、仕事をしていく上で良い結果を生むということが書かれていましたが、それはこの本を読んでみて納得してくださいね(^_^;)以上が感想です。
『五七五の力 -金子兜太と語る-/石寒太編(毎日新聞社)』を古本で見つけ、読みました。
大きい項目でいうと、「季語を考える」「五七五の力」「“切れ”と近代」に分けて、俳人の金子兜太中心に語り尽くしている感がありましたが、内容は深く、歴史的にも国際的にも考察の範囲は広く、“昨日今日”に俳句を詠み始め、句集などに少しふれてきただけの私には難しくて難しくて半分も理解出来ませんでした。
海外でも俳句が詠まれ、「季語」というものの必要性や、国外での理解度がとても低かったことも初めて知りました。
唯一わかりやすくて共感出来たのは、アンケート「私の季語感」という小項目でした。
小沢昭一、櫂未知子、塩田丸男、西村和子、ねじめ正一、藤眞奈美、黛まどか、吉行和子ら、よく知る各氏の季語に対する正直な意見は私にもよくわかりました。
嵐山光三郎氏の、「従来の季語は旧暦をもとにしているから、時代にあったものに変えたほうがいい。歳時記を参考にして、今は使われなくなった季語をとってつけた句は、紋付を着て靴をはいているみたいです」というのは、私も日頃感じていたことです。
小沢昭一氏の、歳時記から消えてしまった「吉原の夜桜」について、往時の華やかな廓の夜桜・・など、絶滅種に思いをかよわせてはいけないのでしょうか。
いま、眼前のものを見る、感じるだけが俳句なんでしょうか、という言葉も実に深く、これもまた私も共感するところがありました。
黛まどか氏の、冬の「第九」、夏の「冷し中華」などが既に季語として認められ、歳時記に収められているという言葉に、それはよかったなあと思いました。
新季語の提案として、新年の「初メール」や、春の「義理チョコ」などを提案されていて、そうかまだ季語としては認められていなかったのか、と少し驚きました。
「白日傘」から「黒日傘」への変更、「UVカット」「クリオネ」「ボージョレ・ヌーボー」「キムチチゲ」などについても地域や国を越えて共同感覚と成り得る時代になってきた、などの言葉にもなるほどと感じました。
吉行和子氏の、いつの日か、なるほど、というような季語を入れて、自分らしい句をつくるのが夢です。
という言葉は、今、まさに私が日々思い続けていることでした。
もうあと数年経ってからこの本を読むと、三分の二くらいまでは理解出来そうな気がします。
これからも日々俳句に向き合おうと決意をあらたにいたしました。
映画『落語家の業(ごう)/2025年 日本 監督・撮影・編集 榎園喬介 出演:快楽亭ブラック、立川談之介、鈴々舎馬るこ、げんきいいぞう、大本営八俵』を見て来ました。
快楽亭ブラックという噺家がいることは随分前から知っておりました。
でも、実際にその人の落語を聞いたことはなく、この映画にて初めて接したことになります。
「全ての出来事を、笑い飛ばす了見を『粋』と言う」と言っている快楽亭ブラック師匠ですが、当時師匠だった立川談志から預かった貯金通帳のお金を競馬に使い・・(^_^;)破門が解かれてからもタブーを犯し、もう一般的な寄席からは殆ど出入り禁止となり、裸に亀甲縛りで高座に上がったり、弟子から訴訟を起こされたり・・映画を見ていて“うんざり”しました(^^;)
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