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『田中水桜季語別全句集/田中水桜(梅里書房)』という句集を古本で見つけて読みました。
2005年発行のものでしたが、俳人・田中水桜(すいおう)は、大正10年生まれ、松野自得に師事、その後「さいかち」を主宰された方でした。
私も俳句については初心者で、自分で詠みはじめてから2年、俳句関連の書籍や、句集なども、この2年で何冊も読みましたが、ほんとうにまだまだ知らないことばかり、わからないことばかりです。
この句集の田中水桜その人についても存じ上げませんでしたが、本屋で手に取り、読んでみて、難しい言葉、表現ばかりで歯が立たない句ばかりでしたが、でも、「これは勉強になる」と直感し、そして『季語別』に句を編集しているというのが実に面白く、また参考になると感じたのでした。
他の句集などでも感じたのですが、大正時代から昭和初期にかけての俳人の句って、けっこう新鮮で“攻めてくる”感じの句が目立つのです。
たとえば次の句
ヒッチコックの鴉を殖やし濃紫陽花
・・大正生まれの人の句なんて思えないでしょう。
五指拡げて足らざる湖の風の色
・・今の人みたいな新鮮な表現
難しいものも多かったのですが、上記のような今の私でも、「ややや、これは」というものもたくさんありました。
今後も、歳時記の近くに置いて句作の参考にしたいと思います。
『日々談笑 -小沢昭一的人生- /小沢昭一著(晶文社)』を古本で読みました。
2000年に初版発行されているものでした。
小沢昭一さんは、あの名物ラジオ番組「小沢昭一的こころ」の名調子が多くの人の耳に残っているかと思いますが、この本では噺家の柳家小三治師匠、俳人の金子兜太、女優の清川虹子、そのほか、井上ひさし、関敬六、阿川佐和子、立木義浩、黒鉄ヒロシなど多彩な方々と対談されている様子がつぶさに記されておりました。
小三治師匠と能登に行ったときの話などは、もう二人の掛け合いが止まらない!
話芸の達人の二人が思う存分、これでもかと面白い話をするのです。
この冒頭の部分だけでも読む価値がありました。
内海好江さんとのかつての浅草界隈の様子を語る部分も、私自身がその時代をまったく知らないのに、見てきたようにその様子がわかるのです。
金子兜太さんとの話は、ぐっとシリアスになって、二人が軍隊に入ったときのこと、その時の心の内を正直に話しているのですが、江戸っ子の小沢さんと、埼玉から出てきた金子さんとではかなり異なる様相が語られていて、当時の軍隊の様子と実際に入隊した人の心模様まで細かに書かれていて、今現代の若い人にも読んでもらいたくなりました。
関敬六さんから聞いた浅草時代の渥美清さんの話も、今まで一度も聞いたことのないもので、渥美さんの“寅さん”からは考えられない一面も知ることが出来ました。
そのほか、どの人との対談も奥が深いし、間口も広い。
小沢さんが亡くなってしまい、ずいぶんと時が経ちましたが、残された文や、音声の録音などは貴重なものであると、あらためて感じました。
まだまだ私が読んでいない小沢さんの本はたくさんあると思いますので、今後も古本屋などで探して読み続けたいと思います。
『旅立つあなたへ -自分を愛するための20章-/五木寛之著(毎日新聞出版)』を古本で見つけ、読みました。
50年にわたる著者、五木さんの文章が集められ、懐古ではなく、きたるべき未知の世界に足を踏み出す時に自己の足場を確認しておきたいという本でした。
2019年発行となっておりました。
タイトルに「旅立つあなたへ」とあるように、自分に死というものが近づいてきたときに、今までの過去をどう思うのか、死というものが自分にとってどういうものとして捉えたらよいのか・・という本だと理解しました。
いくつか気になったところを抜き出してみると
世の中で立派な仕事を為し、功績を残した人には拍手をするが、必ずしも尊敬する必要はないのではないか。
そんな人は、人並はずれた野心、才能を持って生まれてきたことを、謙虚に感謝すべきであり、それ以上の必要はない。
というわけです。私もいつもそう思っていたことでした。
競争社会で生き抜くようなファイトに欠ける優しい心の持ち主、誘惑に負けやすい人柄、欲望というものが希薄な人、野心のない人、・・・これ私のことか・・そんな人が競争社会で脱落したり、無名で平凡な一生を終えたとして、それは本人の責任ではない。
ましてやつまらない人生でもない。
とも書かれていました。
私もそう思います。
それから人間というものは、老い衰えていく肉体と長く共生しなければならない。
どんなに資産があっても、大きな権力を握ろうと、優れた知性を身につけようと、生涯この貧弱な肉体と共に生きるのだ。
というお話にも、深く共感いたしました。
最後にもうひとつ。
人間は誰もが心の中に鬱屈とか、憂鬱な気持ち、暗い気持ちを持っている。
それは表に出しにくいので、皆、仮面をかぶってお互いにそれらを見せずにつきあっている。
そうなんだよな、そうなのに強く見せようとして“突っ張って”いる人を多く見ます。
私もここ数年、「死」について考えることが多くなりましたが、この本を読んだ今は、今までのことを卑下せずに、なるべく肯定しつつ、悩みながらも苦しみながらも死に対峙していきたいと思いました。
『プロ野球、あの名選手の「最後の1年」がすごい!/飯尾哲司著(詩想社新書)』を古本で見つけて読んでみました。
2025年第一刷発行となっていました。
著者は、「週刊ベースボール」出身で、プロ野球現場取材歴は35年、野村克也氏や広岡達郎氏他多数の書籍の取材・構成を担当されています。
で、この本はプロ野球の名選手中で最後の1年の様子、特に「これで引退はもったいない、なんで?」というような選手について取り上げているのでした。
14人の選手を取り上げていますが、せっかくですから私の印象に残った選手の最後の1年を少しご紹介。
ジャイアンツ、9連覇のメンバー、巨人軍の二塁手「土井正三」選手。
現役最終年に規定打席に到達しています。規定打席って、「チームの全試合数 × 3.1」だったと思いますからほとんど出場しています。
しかも、その年の最終打率が自己最高の2割8分5厘です。年齢は36歳の時のことです。
球団側はセカンドにメジャーリーグからデーブ・ジョンソンや大洋のジョン・シピンなどを入団させますが、それらをライトや三塁に追いやりレギュラーポジションを守ったのもベテランにしてすごいことだと思いました。
ロッテの村田兆治投手。
フォークボールを身に付けてからの大活躍の後、肘の故障で選手生命絶望と思われたが、今では当たり前となったトミー・ジョン手術を受け復活。
その後も再び活躍し、リリーフや休養十分に登板間隔を空けるなどすればまだまだ出来たであろうに、「人生先発完投」が座右の銘の“サンデー兆治”はあっさりと先発以外はやらないと現役を引退してしまいました。
この人もすごい投手でした。現役引退後も140キロ以上のスピードボールを投げていましたっけ。
ジャイアンツから新人だった江川との交換で阪神に行った小林繁投手も、この本を読むと最後まであの「空白の一日事件」が心の中に残り、阪神最初の年の意地の快刀乱麻以後、成績は良くとも、心の中は「あの一年で僕は燃え尽きた」と言っていた・・と書かれていました。
抜け殻のような状態で野球をやっていたなんて。
阪神に移ってからも22勝、15勝、16勝、11勝、13勝と立派な成績のまま引退しています。
他にも、広島の山本浩二選手、衣笠祥雄選手、阪神の赤星憲広選手などの話題にしみじみとしたり、涙したりしました。
著者の、“選手の身になって”書かれたような温かい気持ちを感じるいい本でした。
『私はそれを我慢できない/鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)著(新潮文庫)』を古本で見つけ、読みました。
1995年に大和書房から刊行されたエッセイ集の文庫化で1998年に発行されたものでした。
タイトルにある「我慢できない私」の大解放というか、著者鷲沢さんが“怒っている”エッセイを著者自ら時間をかけて集めたものとなっていました。
最初っからその怒りっぷりが可笑しく、吹き出してしまったのですが、この本が刊行された頃の様子がカバーの最終ページや著者紹介の部分に記されていて、数々の大きな賞の候補にノミネートされたり、実際に受賞した作品もあり、有名人であったことがわかるのに・・私が今現在でこの方の作品にふれていない、そしてお名前も聞いていないことに不思議を感じ調べてみました。
この怒りのエッセイが著者二十代の頃のことばかり書かれていたのですが、著者は35歳で亡くなっていていた(自死)ことがわかりました。
笑いながら読んでいたのに、そんなことが途中でわかってしまい、複雑な気持ちになってしまいました。
このエッセイの中でも二十代初めに離婚したことや、たぶん六本木あたりで知り合った覚えてもいない人から深夜に電話をもらったりしている話、住まいをかなりの頻度で変えたり、最初は匿名で書いているのに、思わず名前を出してしまいながらエピソードを紹介してしまったり、友達のことをふざけながらではありますが、“悪し様”に批判したり、クルマには男に惚れるがごとくに乗り換えたり・・と、けっこうやりたい放題な生き方が男勝りだと感じたりもしながら読みました。
だから、このエッセイの“怒り”の話題が光り輝いて面白かったのです。
でも、35歳でこの世を去ったことが頭から離れず、どうやら遺書らしきものも無かったということも調べているうちにわかり、ますます謎めいた著者の存在にあらためて奇妙な魅力や著者との古本での出会いに何か因縁めいたものまで感じているところなのです。
とにかく面白かった、でも何だか不思議な空気が漂っていた。
そんな印象で読了いたしました。
『俳句のはじまる場所 -実力俳人への道-/小澤實著(角川選書)』を古本で見つけ、読みました。
1997年から1999年に富士見書房の「俳句研究」誌上に掲載された『実力俳人への道』を大幅に加筆修正し、構成されたもので、初版発行は2007年となっています。
俳句を私達は何のために詠むのか、俳句の成り立ち、などをちょっと難しい部分もあるのですが、著者の情熱でもって丁寧に書かれたものでした。
俳句を志すひとへの言葉で始まるこの本は、最初は割と初心者である私にも読みやすく、“入ってくる”感じが強くあり、「俳句を始めてよかった」と、心強く感じました。
そして、子規における俳句と虚子における俳句についての記述、さらに俳句と俳諧についても詳しく解説がなされ、私にもけっこう良く理解できたのでした。
それから、「句会」の大切さについても力説されていましたが、今、まさに句会に入ってみて、様々なことを経験し、入って良かったことの方が圧倒的に多く、一人で詠んでいては得られなかったことがこんなにたくさんあったのか、と思っているところで、これまた句会の大切さの記述も十分理解できました。
そこから「横書」と「縦書」について、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いについて、季語の大切さについて、五七五の定型について、切字について、文語と口語について・・と深い話になっていくと、例示されている句そのものが私の勉強不足で読み切ることが出来ず、大変苦労しました。
でも、上記のような俳句の基本的なことがいかに大事かはとてもよくわかりました。
まだまだ私はこれから俳句世界の未知の領域を数々体験、経験することになるのだなと覚悟も出来ましたが、むしろそれらが楽しみにもなってきました。
俳句があることで、何か大変大きな“味方”というか、心の支えになるものだと最近感じていることがあながち間違いではなかったと、この本を読んであらためて感じましたので、初めての体験を怖れずに、日々俳句を詠んでいこうと思った、それが今回この本を読んでの感想です。
『はじめてのやさしい俳句のつくりかた/辻桃子・安部元気著(日本文芸社)』を古本で妻が見つけてくれて、読んでみました。
2014年第一刷発行となっていました。
辻桃子さん、安部元気さん共著となっていましたが、多くの例句などは辻さんのものが多く、「私ならこうする」という、例句のあとにさらに“駄目を押す”見事なお手本は辻さんのものでした。
今まで辻桃子さん、安部元気さんの名前が入った俳句関係のものでは、主婦の友社の歳時記がありましたが、今回の本同様にとても分かりやすい、見やすい、親しみやすいの三拍子整った良いものでした。
まさに“はじめて”俳句をやってみようという方には“うってつけ”の本であると感じました。
俳句歴二年の私にも大いに勉強になりました。
そうか、こうすればいいんだ!と、納得することばかりでした。
例題として書かれていた句(※素人が思わず詠んでしまうような句)については・・あぁ、私がいかにも作ってしまうような句がどんどこ登場してきて ^_^; そうだよなあ、やっちゃうよなあ・・とあらためて自分の未熟さを感じたのでした。
それに引きかえ、辻桃子さんの“お直し”は、なんとも自然体で、はんなりとした、やさしく、美しい句でした。
思わず「こんな句を一度でいいから詠んでみたい」と心に強く念じたのでした。
「今日のこと、いまのことを自分のことばで」
「つくり続けることが力となります」
「推敲の大切さを知りましょう」
辻さんのお言葉。
まさに毎日私が大切だと思っていることです。
これからも日々上記の言葉を忘れずに俳句と共に歩んで行きたいと思います。
『部長の大晩年/城山三郎著(新潮文庫)』を古本で見つけ、読みました。
1998年に朝日新聞社より刊行されたものの文庫化で、2004年に発行されたものでした。
「永田耕衣」という人を私はこの本を読むまで存じ上げませんでした。
三菱製紙高砂工場で定年まで勤め、ナンバー3の部長までになったものの、会社勤めはある意味“つまらん仕事”でしかなかった(実際は工場で右腕に大きな障害を負うなど、苦労は大きかったことが、この本を読むとわかる)、そして55歳の定年以後が人生の熱意を俳句や書、読書、様々なことの勉強に費やし、特に俳句については“異端の俳人”としての人生を歩んだ人であることがわかりました。
97歳の大往生をするまでを辿り、晩年をいかにして生きるかを描き、さらに俳人としての人物評伝となっていました。
こういうものは、もちろん城山三郎さんの真骨頂が発揮される分野です。
鮮やかに「永田耕衣」の人生が書かれていました。
俳人と聞いて、私が所有している「名句鑑賞辞典」を引いてみましたら、確かに永田耕衣は俳人として掲載され、代表句も紹介されていました。
句のタイプとしては、花鳥風月などよりかは、人としての生き方や考え方、哲学的な内容が強く押し出されていて、今まで私が見てきた俳句とは大きく異なるものであると感じました。
しかし、永田耕衣氏の生き方が会社に対しても、家族に対しても、俳句の仲間にも、その他人生にとって大きな影響を与えてくれた人物達にも“真っ直ぐ”に対峙して、おどおどしたり、回り道したり、卑怯なことなどすることもなく、堂々としていて、俳句も実際に臆することのない、力強く、自らの生き方を表現したものになっていました。
初めてこういうタイプの俳句に触れましたが、それはそれなりに私の心にしっかりと認識され、その姿勢は参考になるものがありました。
これからも永田耕衣の名を目にすることがあると思いますが、その際にはこの本に書かれていた彼の人生を思い起こしながら、その句を味わおうと思います。
『蕎麦湯が来ない/せきしろ・又吉直樹(マガジンハウス)』を古本で見つけ、読んでみました。
二人の著者共演による『自由律俳句集』です。
2020年第一刷発行となっていました。
以前にもこのお二人の自由律俳句の本についてご紹介したことがありましたが、“性懲りもなく”二冊目の読後感です(^_^;)
“自由律”ということなので、五七五で詠まれているわけではなく、もちろん季語も原則として入ってはおらず、私が今詠んでいる「有季定型」とは対極のところにある句なのです。
じゃあ嫌いなのか、というとそんなことはなく、独特の間が存在し、ドキッとするようなことを何気なくつぶやいている・・お二人の句は“癖になる”ような魅力があるのです。
「鬼才と奇才」と、本の帯に謳われていましたが、どちらが鬼才で、どちらが奇才なのかはわかりませんが(^-^; 絶妙のコンビネーションを見せて、とても良い句集となっておりました。
また、自由律俳句だけでなく、お二人のエッセイというか、雑感というか、そんな文章がどんどん句と句の間に登場して、これもまた見どころになっています。
又吉さんとせきしろさんの出会いのきっかけについても終盤にふれられていました。
偶然が偶然を生み、お二人の共著が出来上がったのだと、感慨深いものがありました。
ATMに先輩が並んでいる 又吉直樹
リュックを降ろさずに呑む人といる 又吉直樹
新幹線で宿題をする子 せきしろ
バイキングで誰もテーブルにいない時間 せきしろ
・・・私は“いいと思う”!!^_^;
とにかく一度読んでみないとわからない、そんな自由律俳句集でした。
『愚の力/大谷光真著(文春新書)』を古本で見つけ、読んでみました。
著者、大谷光真氏は浄土真宗本願寺派第24代門主、著書も多数あるようです。
2009年に第一刷発行されたものでした。
浄土真宗の信徒でなくとも親鸞聖人の教えがわかるように、やさしく書かれていました。
後半、宗教的に深いところまで入っていくと、理解が届かないこともありましたが、それでも人が生きていくうえで基本的な考え方については「そうかもしれないな」と思うことがたくさんありました。
特に今や世界的な世相がそうなっていますが、人間が中心となった物事の考え方が地球全体をおかしくしているというような部分には同感するところ多かったのです。
人間がリード(管理)して世界を地球を運営していくことなど、“思い上がり”も甚だしいと、日々ニュースなどを見ていて思います。
また、現代において「豊かさ」とか「成功」は、自分の視野をせばめる(都合の悪いものは見ないで満足したふりをする)ことでかろうじて成立している・・という話にも共感しました。
視野の狭さが社会全体に行き渡っている、という言葉には胸を痛くする人もいるかと思いますが、その意味さえわからない人も多いような社会になっていると私も感じます。
スピリチュアルなことや、癒しブームなどは、割り切れないことを割り切ったことにして思考停止する危うさがある、という考え方にも「そうだと思う」と思わずつぶやいてしまいました。
「あなたに霊がとりついている」などと、悪者を仕立て上げて責任を全部押しつけるようなことにも十分注意しなければならないと感じました。
また安易な癒しを救いとするようなすぐに解答が得られるものにも注意が必要です。
私もそうですが、今や「不安の時代」に人は生きていると思います。
不安であっても、それを安易に簡単に解消しようとはせずに、不安に耐えることが必要であると書かれていましたが、やはりそうだと思いました。
そこで浄土教の教えの「凡夫」や「愚者」の自覚が一助になるのだと書かれていました。
浄土教にふれることなどほとんど無い人でも読んでみれば「なるほどね」と思うことの多い、しかも自分の考え方について勉強になる本でした。
映画『Rhapsody Rhapsody ラプソディー・ラプソディー/2026年 日本 監督・脚本:利重剛 音楽:大西順子 出演:高橋一生、呉城久美 他』を見ました。
高橋一生さんが主演という映画なのに、千葉劇場というマイナー作品専門みたいな上映館での公開となっています。映画事情がよくわからない私は、事前知識無しのまま出かけました。
さらに音楽は私の好きな、気になるジャズ・ピアニストの大西順子さんでした。
上記の理由だけで、“ただならぬ”雰囲気を感じつつ見に行ったのでした。
ストーリー的には、いきなりな展開で、真面目な会社員とお見受けする主人公の高橋一生さんが、パスポートの更新をしようと戸籍謄本を取ってみたら、自分がまったく知らない女性と結婚している・・(゚Д゚;)というところから始まりました。
調べてみるがまったく誰だかわからず、でも偶然通りかかった花屋の店員の会話から相手を突きとめ、そこからがその謎の女性との驚きの、そして長く、さらに心のやり取りがジェットコースターのように展開することとなります。
もうねえ、居眠りなんかしているヒマありませんよ!^_^;
怒涛のストーリー展開です。
その相手役の女性を演じる呉城久美さんの“やさぐれ”て、さらに突拍子もなく、しかも過去、家族関係があまりに寂しい境遇に胸が痛くなります。
それをやさしく見守るあまりにも“人のいい”高橋一生さん。
でも、高橋一生さん自体も穏やかでやさしく寛容な性格、生き方が、実は本来の性格の裏返しだったという、またもや“脳みそ”急展開の進行で、見ているこっちはハラハラ、ドキドキどころでは収まらず、人間の心の奥にある自分の闇の部分と社会に出ているときの自分のギャップに悶え、私自身、自らに問いかけることになりました。
朝ドラ「ばけばけ」で素晴らしい演技を見せてくれた池脇千鶴さんが高橋一生さんの会社の同僚として登場するのですが、ドラマの中で“決定的”な「キー」となる発言、やり取りをします。
高橋さんに対し、「あなたは女心が全然わかっていない」という発言を聞いたときには、私は高橋さんを自分になぞらえ、「わっ」と泣いてしまいました(T_T)不覚・・。
その他登場する高橋さんの叔父さんの不思議とやさしい性格、呉城さんが勤めていた花屋の店員で“ゲイ”の役どころだった方の人間味あふれる演技も特筆ものの素晴らしさでした。
すごい映画を見た!というのが今回の感想です。
いい映画でした。
今を生きる人たちの心の寂しさ、そして渇望しているものにふれることができる作品でした。
『歌人入門⑪ 若山牧水の百首/伊藤一彦著(ふらんす堂)』を古本で読みました。
歌人入門として「〇〇〇〇の百首」というシリーズで編まれたものでした。
2024年初版発行されたもので、著者伊藤一彦氏は若山牧水記念文学館館長もされている方とのこと。
以前にも牧水の短歌本を読み、ここでもご紹介したことがありましたが、俳句ばかり詠んで(読んで)いる私にも、牧水の短歌はとても心に訴えかけてくるものがあり、あっという間に読んでしまいました。
牧水の魅力というか、私の心をとらえてくるのは策を弄することのない、牧水の“心のまま”、感じたまま、を歌にする姿勢です。
牧水というと、まずは「お酒」が好きで、酒に関する作品も多いし、酒を飲みながら自らの生き方についてしみじみと噛み締める姿がこれもまた魅力です。
それから貧しい家庭であるのに、「旅」に出て作品づくりをする姿も印象に残ります。
さらにエロティックとさえ感じるような「女性」についての作品も数多く、妻以外にも出会った女性について書かれている作品は不思議な魅力があります。
さらに家族についてのことを、多く作品にしていて、奥さんと四人の子供についての愛情も強く、そしてなぜか寂しさを感じるものも多いのです。
そして、いつも牧水関連の本を読んでいると、牧水は貧しい家庭環境の中、どんな生活をしていたのだろうと思います。
また、通常、短歌を読んでも、あまり俳句を作る時に参考にならなかったり、影響を受けたりすることが無かったのですが、牧水の短歌は景色を歌っても、家族などの人との関係について歌ったものでも、お酒について歌ったものでも、とても素直な作り方をしていて参考になるのでした。
牧水については、今後も追いかけてみようかと思っています。
『一度きりの人生だから -大人の男の遊び方2-/伊集院静著(双葉文庫)』を古本で見つけて読みました。
2019年に単行本として刊行されたものを2022年に加筆・修正して文庫化したものです。
旅とはどういうものか、カジノに行くのには、スコッチウイスキーの故郷を訪ねて、手紙の作法、理不尽の必要性、松井秀喜や武豊との交流、麻雀の打ち方などなど、いつもの伊集院節が冴えわたっておりました。
でももう、伊集院さんはいないんですよね・・。
いつもどおりの感想になってしまうので、今回一番印象に残ったことを書きます。
伊集院さんが人生で出逢ってきた人たち、出逢いこそが生きることのすべてかもしれないと語っていました。
誰一人、出逢わなくて済んだ人がいない、ともおっしゃっています。
逆に言うと、一人でも欠けていれば、今の自分はないだろうとも。
さらに別離した人々に対しても同じこととおっしゃっていました。
私も長いこと生きてきて、“あの人と出逢っていなかったら”今の自分はないと思う人が何人もいました。
そして、死別や悲しい別離もありました。
それも私の考え方に大きく影響していると思います。
人との出逢いの大切さをあらためて感じた一冊になりました。
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