« 2026年7月 | トップページ | 2026年9月 »
『気張る男/城山三郎著(文春文庫)』を古本で読みました。・・と言いたいところですが、途中で挫折しました。
初出誌は、文藝春秋に1999年~2000年にかけ連載され、その後同じ2000年に単行本化されたものです。
文庫化は2003年です。
十歳にして赤貧から志を持って家出。
銀行、鉄道、紡績、ビール会社など、次々と創業し、“西の渋沢栄一”と言われた「松本重太郎」の生涯を描いた長編作でした。
中盤まではなんとか読み進みましたが、なんというかこの主人公に共感してついていくような気持ちになれなかったのです。
次から次へと目端を効かせて奔走し、新しい商売、事業を興すのですが、その目的がよくわからなかったのです。
立身出世物語の中で突っ走り続けた男の潔い生涯そこにあるという結論がやがて出てくるのでしょうが、そこまで私自身がもちませんでした。
あまりにも急に次の一手に打って出て、周囲の人達のことをどう思い、どんなふうに使っていったのか、というのも駆け足で書かれていて、私の読み取り方が悪いのかもしれませんが、理解が及びませんでした。
どんどん疲れてきて、途中でギブアップしました。
佐高信さんが解説を書かれていましたが、私が辿り着かなかったところで描かれていたのは、著者城山三郎さんがそのひと言を書くためにこの小説をものにしたという部分でした。
自らの創設した第百三十銀行が苦境に陥った時、それを助けようとした安田善次郎に会った主人公松本重太郎は、個人資産について、「それは、みな出しなさるか」と問われ、「悉皆(しっかい)出します」と答えるのでした。
現在にはいない人間の品格を感じる松本重太郎を描きたかったのでしょう。
ちょっと豪雨被害後、精神的にも体力的にも衰弱気味な私にはヘヴィーだったのかもしれません。
また心身充実した時に読めるかもしれません。
今回は中途半端ですが「気張る男」の読後感を書きました。
『命売ります/三島由紀夫著(ちくま文庫)』を古本で読みました。
この作品の当時の発表誌が、若者向きの雑誌「プレイボーイ」だったということで、スリラー漫画風でもあり、ハードボイルド色も感じ、乱暴な感じの映画作品のようであったりして三島作品としては異色なものだったのかもしれません。
テキストとしては1974年の三島由紀夫全集十六巻を使用していて、今の人権意識に照らせば不適切な表現があちらこちらに見られました。
文庫としては1998年に第一刷発行され、手にしたものは2015年の第二十三刷でした。
そもそも何の不自由もなく生活していた男が会社を辞めて、新しい商売が「命売ります」と看板を掲げ、新聞に広告を出すのですが、その主人公の命を買いに来る謎の人物達が主人公に輪をかけて奇妙で怪しい人ばかりというお話でした。
もともと人間が自らの命を惜しまず、死んでも別にどうでもいいという感覚を持てるのか、という問題がありますが、死んでも全然OKというのが主人公なのです。
かなり怖い目にあっても微動だにせず、脈拍もむしろ下がる・・なんて考えられない人物が主人公でした。
次々と命を買いにくる人達は明らかに怪しい組織の構成員という感じで、読んでいるこちらはドキドキ・ハラハラするのに、主人公はいたって平気という・・・信じられないもので、先は読みたいけど、変な登場人物ばかりが奇異な行動をするので、なんだかちょっとこちらの具合が悪くなりそうでした。
ハードボイルド色が強いと冒頭で書きましたが、プレイボーイに掲載されていただけあって、少しエロティックな場面もありました。なので、命を買った人の中の女性達も妙に色香漂う人ばかりで、そういう面でもストーリーに幅がありました。
そして三島作品であるからには、やはり人物描写というか、人間の“業”のようなものがうまく描かれていると感じました。
奇想天外なストーリーでありながら、細かい考察が必要なくらいのお膳立てなどもうまく作用し、最後までまったく飽きずに読みました。
三島由紀夫のまたあらたな別の面を垣間見るような作品でした。
『ああ、恥ずかし/阿川佐和子ほか(新潮文庫)』を古本で読みました。
1994年から「小説新潮」に連載されていたコラム「ああ、恥ずかし」を編集したものであると記されていました。
この文庫本自体は2003年に発行され、2008年に十五刷となっていました。
要するに“売れていた”本です。
内容はというと、それこそタイトルどおり「ああ、恥ずかし」と思ったことを勇気ある女性たち総勢七十名が書いた文集です(^_^;)
さすがに女性が書かれたものだけあって、服装のことでの大失敗のエピソードが多かったです。
学校に行ってコートを脱いだらスカートをはいていなかった、なんていうのはたしか二件ありました^^;
あとはお酒の上での失敗も多かったです。
杉本彩さんのご本人も言っている外見と異なる“大ボケ”ぶりも面白かったのですが、ネタばれになるのでその内容については控えておきます。
私も読書好きなのに、友人から私の知らない作家の作品について話をされて、“知ったかぶり”をしてふんふんと頷いていたら、「ほんとうは知らないでしょ」と言われ真っ赤になったことがありました。
その作家が村山由香さんでした。
あまりにもみっともなかったので、その後村山さんの作品を何冊かあわてて読みました。
でも、私がそれまで手をつけていなかったというのは、なんとなく自分に合わないという予感がしていたからだと思います。
実際に読んでみて、面白いけれども自分には、こういう世界はあまり関係ないように思いました。
というわけで、いろいろありますね、恥ずかしかったこと・・。
機会あれば読んでみてください。
自分がその立場になったらと思うと、ムズムズするというか、居ても立っても居られない感じになりますよ(*^^*)
いろいろありましたが、頑張って俳句を詠み続けます。
今回は季語にある「敗戦忌」で詠みました。
【 敗戦忌 大将中将と呼べと言ふ 】
《背景》季語:敗戦忌[初秋]
8月15日は季寄せに「敗戦忌」と載っている。
今、ニュースにもならぬまま昔の日本軍の階級呼称を復活させる準備を政府とそれに与する政党が“いまのうちに”と着々と進めているのをご存知か。
大将・中将・少将、大佐・中佐・少佐・・そんなふうに。
現在の幕僚長や将官、佐官の呼称というのは、戦後に政府からこう説明されている。
『自衛隊は軍隊ではないので、軍のような階級呼称をしていないのだ。軍ではないとわかるように。』と。
しかし、今、政府とそれに与する政党は階級呼称のみならず、さらに自衛隊を「国防軍」と呼称するよう改憲を急げと言っている。
渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句が、今また私の心に響いている。
13日(木)夕刻からの千葉の豪雨は、よく「想像を絶する」なんて言いますが、想像する前にあっという間に、とんでもない事態がそれこそ秒刻みに悪化の一途を真っ逆さまに辿りました。
現在15日(土)の午前11時45分ですが、昨日から今に至るまで一日中ヘリコプターの飛ぶ音、救急車、消防車、パトロールカーのサイレンなど止むことがありません。
テレビなどの報道でも恐ろしい光景が映し出されています。
千葉市の中央区稲荷町のあの大きなアンダーパスが完全水没するなんて思ったこともありませんでした。千葉駅周囲、蘇我駅のロータリーの様子、大網駅の周囲の状況など信じられません。
私と家族は義父の墓参りに出かけ、義母・義妹と食事をしたあと夕方に帰路についたのですが、その後長男は自宅に無事帰ったとLINEがあり、安心していた私と妻と長女はそのあと大変なことになり、死に直面しました。
思いだしても精神的におかしくなりそうなので、後々振り返ることが出来るような心身状態となった頃に書こうと思いますが、ほんの十数分で状況が地獄のように変わることを経験しました。
そして私達を見つけて助けてくれた家族があり、その人達のおかけで今私・妻・長女は生きています。
感謝、お礼、そんな言葉では片付けられないほどお世話になりました。
昨日も何気なく俳句をひとつアップしましたが、日常の平静な心身状態に戻すべくというか、いつもどおりのことをして少しずつ落ち着こうとしているようなそんなことなのです。
このブログをアップして以降も今までどおりな感じで“ふり”をして(^_^;)ブログ、Facebook、Instagramなどを淡々と続けていきます。今、生きていることに感謝して。
なので「こいつ、のんきにほのぼのしたことアップしやがって」などと思わずにご覧いただけることを願います。
最近には珍しく今の気持ちを書いてみました。
『NHK俳句 俳句づくりに役立つ! 旧かな入門/山西雅子著(NHK出版)』を手に入れ、勉強しました。
2018年第一刷発行で、2022年時点で第六刷発行となっていました。
俳句づくりには「旧仮名遣い」が必須であるということは、実は私が今年に入って句会に入会し、実際にその場に出て初めて知ることになりました。
それまで自己流で日々つくっていた俳句は、現代仮名遣いしか用いていませんでした。
また、参考書などにも、どちらでも可というような表現がなされていて、あまり気にしなかったのです。
でも、「もらう」などと書いて提出すると「もらふ」ですよと先生から指導を受け、「そっと」と書いたら「そつと」ですよとまた指導をいただきました。
その他の会員の方も私同様の初心者で参加して提出した句では、やはり「旧仮名遣い」の指摘が多々ありました。
今回ご紹介するこの本でも、実際に詠まれた句を見ると、あえて旧仮名遣いを用いて詠まれた句には、それなりの理由と、旧仮名遣いが醸し出す独特のニュアンスが非常に大切なのだということがわかりました。
何か法則のようなものがあるのかと読み進めましたが、あるようでいて、例外的なものもあり、まるまる覚えてしまった方が良いという感じもしました。
「潮さゐ」なんて全部漢字で表現するよりも何か典雅な感じもいたします。
「ゑ」「ゐ」など、今まで使う場面はほとんどありませんでしたが、俳句を読むには必須といえるくらい大事だと思いましたが、さてどんなときに「ゑ」なのか「ゐ」なのか、例示されている句を見て必死に覚えるような読書になりました。
あふせ(逢瀬)、かげろふ(陽炎)など今まで気づきもしませんでした。
また、ここで旧仮名遣いに親しんでおけば、句会時に「披講(ひこう:句会で参加者の作った俳句を声に出して読み上げ、作者を発表する)」を任された時におおいに役立つだろうと思いました。
まだまだ全然駄目ですけど、少しずつ覚えていこうと思っています。
『万葉と沙羅/中江有里著(文春文庫)』を読みました。
主人公の万葉(男性)と沙羅(女性)は、幼なじみだったが、万葉の家庭の事情でその後の音信はなく、二人が再会したのは通信制の高校でのこと。
二人とも自分の進んで来た道は険しく複雑でいろいろな事情を抱えていて、さらに今後の進路についても悩みは深く尽きない・・そんなシチュエーションの中、出会う人、出かける地方などの縁ある場所、そして本との出会いが絡み合って物語はあっちにゆらゆら、こっちにぐらぐと進んで行くのでした。
2017年7月から2021年2月にかけて「オール讀物」「産経新聞 九州・山口版」に連載されたものがまとめられ、2021年10月に単行本として刊行、さらに2024年5月にこの文庫化となっています。
読んでいて強く感じたのは、この主人公のうち女性の沙羅は、著者の中江さんの若かりし頃が投影されているのだろうな、ということです。
中江さんは高校を四校転々とし、最後に通信制高校に進まれています。その当時の経験も大きく影響して書かれたのではないかと思いました。
私の記憶には、高校生くらいの年齢だった中江さんがグリコのチョコレートのCMに出ていたことなどが残っていますが、あのように輝いていたと見えていた中江さんもきっと悩み多く、深い時を過ごしていたのだろうと、あらためて感じました。
万葉と沙羅が出会う人の中にはとても貴重な後押しのようなことをしてくれる人がいて(きっと中江さんにもいたのでしょう。児玉清さんもその一人かもしれない)、さらにこの物語の中心にあるのは「本」です。
「本」との出会いは人生にとって不思議な影響を及ぼします。
物語中に出てくる本についても知っているものもありましたが、「それはぜひ読みたい」という本がたくさん出て来ました。
万葉も、沙羅も、さらにその友人達にも大切な宝物的な存在となる「本」は、中江さんの人生にとっても、もっとも重要なものなのだということが本好きの私にはよくわかりました。
若い頃、人生の方向に迷うときの様子、そして人との出会いとともに本との出会いが、とても大切なのだと思いました。
そんな中江さん、インスタで阪神タイガースの応援を本気でやり、歌手活動もされ、本の評論関係にも活躍されていて、いつも眩しく見ています。
「俳句入学/鷹羽狩行」を読みました。
『俳句入学/鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)著(NHK出版)』を古本で見つけて読みました。そして勉強しました。
2002年第一刷発行の本でした。
著者、鷹羽狩行氏のお名前は、私も二年ほど前から俳句を勉強し、詠み、色々な俳句関係の本にふれる中で何度も何度も拝見しました。
山口誓子、秋元不死男に師事。「狩」を創刊、主宰されています。
NHKの俳句関連番組にも多く出演され、新聞社の俳壇選者なども務められていて、俳句をやっている人で知らない人はいないと思われます。
「俳句入学」なんてタイトルが付けられていたので、初心者の私は跳び付きました ^_^;
一年十二カ月の季語を丁寧に解説し、例句も挙げ、解説も理解しやすく、最初から取っつきやすい本でした。
定型、季語、切れ、言葉の発見、効果的な表現、深さ新しさ・・など次々とわかりやすい解説がなされていました。
よんでいるうちに自分の実力が上がったような気になって・・(^_^;)・・すぐに錯覚だと気づきました。
俳句と「数」の関係や、色、地名などについても“なあるほど”の理解度でしたが、それがすぐに見に着くかというと、なかなか難しいのですが。
推敲という大事なことについても、表現を変えたり、無駄を省いたり、季語まで再考したりと勉強になりました。
最後に「名句」を鑑賞する章がありましたが、もう唸るばかり(^-^;
これからも日々勉強だ、と意を決したのでした。
『NHK俳句 夏井いつきの「凡人俳句」からの脱出/夏井いつき著(NHK出版)』を読み、勉強しました。
2025年発行の本です。
この本に収録されているテレビの「NHK俳句」の中での凡人俳句からの脱出の指導の様子は、一部私も見た記憶のあるものでした。
夏井先生の指導はいつも楽しく、時には辛口になったりして愉快な感じ、それがこの本にも生きていました。
俳句初心者の私もついに今年、句会に参加することになり、まさに“凡人俳句”を自分が提出してしまったり、また、誰だろう?この“あるある”な、思わず皆が詠んでしまいそうな俳句を作った人は!
などというシーンが多々ありました(^_^;)
うちの句会でいうと、「背」を句に読み込め、という宿題が出たときには、想像どおり“父の背中”や“母の背中”に哀愁や、苦労やその他を詠んでいる句ばかりだったような気がします。
私もそれは想像できたので、まったく異なる「背」を持ってきたことがありましたら、それは、やはり先生に褒められました。
ある意味、誰もが思いつかなかった視点に目をつけることが大事で、それをこの本はとにかく事例を示し、しつこいくらいに教えてくれるのでした。
例えば兼題が「夏休み」だとすると、皆、「宿題」「絵日記」「いとこ」などを句の中に詠んで番組宛に投句してくるのだそうです。
これも“あるある”ですよね。私も十分注意しようと思いました。
「おでん」の兼題には「コンビニ」がついてくるし、「朝顔」の兼題には「蔓(つる)」「空」「天」がついてくる、「入学試験」の兼題には「お守り」がついてくる^_^;
注意したいと思います。
様々な事例と、方向修正の方法が書かれていましたので、次回の句会に私も生かしたいと思います。
最近のコメント