『考えないヒント アイデアはこうして生まれる/小山薫堂著(幻冬舎新書)』を古本で手に入れ読みました。
2006年第一刷発行とありますから、かれこれ20年前の本ということになります。
テレビ「カノッサの屈辱」や「料理の鉄人」「世界遺産」などの話題作を企画した人、コラムや小説、脚本、ラジオパーソナリティー、企業の顧問、ブランドアドバイザーなど多岐に渡って活躍されている方というのは存知上げていましたが、この本を読んでその止まることのない活動というか、反射神経的に何かに喰いついていく動きの早さに驚きます。
最初から日光金谷ホテルという日本最古の西洋式ホテルの顧問になって、“ガンガン”新しい手を打つ話が出て来ましたが、ここでは人と人の出会いがさらに出会いを生み、機会を生み、そこから新しい企画が生まれ、その企画がまた新しい企業との縁を結ぶというような小山薫堂さん得意の手法が書かれていました。
電車を乗り間違えて逆方向に行ってしまっても、その先にはまた何か発見があり、新しいことに結びつく・・というようなことも書かれていましたが、それがまた奇跡的にうまくいったりして、まさに“薫堂マジック”というような感じです。
アドバイザーなどの本業だけでなく、自分の店を持ち、そこに集まる人がある意味ちょっと特殊というか、特異な考えや技能、場所を持っていたりして、またそこで科学反応があるという・・そんな話も書かれていました。
たまたま深夜の開いていた店に入り、それがきっかけでどんどん枝葉が伸びて人とのつながりが出来ていく過程なども書かれていて、「そんなにうまくいくんかいな?」と思いましたが、失敗したことにくよくよせず忘れてしまう、反省ばかりしないという著者の性格がうまくいった話ばかりになってしまうことになっているのであろうとも思いました。
それでも面白いエビソードは数知れず、最後まで一気に読みました。
私の悲観的で臆病な考え方が少しでも変わったらいいな、と思いました。
ちょっとばかり無理やりにでも考え方を変えてみようかな・・よし、やってみるか・・という気持ちになっているところです。
『自註現代俳句シリーズ・11期42 村上喜代子集/村上喜代子作(社団法人俳人協会)』を妻が持っていて、勧められ読んでみました。
俳人・村上喜代子氏は昭和18年生まれ、大野林火主宰「濱」に入会、「濱」賞受賞。
俳人協会新人賞や鳳声賞などを受賞された方です。
「百鳥」同人、退会後は「いには」を創刊、主宰されています。
読んでみると、とても身近な共感する句が多く、読むほどにこちらの心がほぐれていくような感じがしました。
十三夜床屋帰りの夫(つま)匂ふ
・・などはその典型で、日常がそっと囁かれているようでいいなと思いました。
墓地といふ冬あたたかきところかな
・・これも素朴で静かで、気に入りました。
雪吊を解かれし松の所在なし
・・雪吊の縄を解く現場での句のようですが、松が所在なく立っているように感じたのでしょう。うまい表現で、私も見習いたいと思いました。
最後までその時々に自分が感じたことを素直に表現される素敵な俳句ばかりで、心なごみました。
この気持ち、忘れぬようにします。
『作家の贅沢すぎる時間/伊集院静著(双葉社)』を古本で見つけて読みました。
「週間大衆」に連載された「作家の遊び方」から抜粋し、加筆・修正し、2020年に発行されたものです。
そしてとても珍しく、著者、伊集院氏の馴染みの店、食について書かれたものが大半を占めます。
ふだんから男が“食べ物の美味い不味い”なんか言うもんじゃない、というのが氏の考えだったわけですが、知っている店が主の高齢化などにより閉店していることを知り、少しでも今までの恩返し含め紹介してもいいのではないかと書かれたものになっていました。
とにかく、競馬、麻雀などのギャンブルで“すってんてん”になって、わずかばかり財布に残った金で訪ね、食べ物と心遣いを貰ったお店の紹介が多く、“ギャンブラー”な氏の生き方がしみじみとわかりました。・・私には縁のないような話でしたが。
さらに気になった氏の発言を一つ二つご紹介いたしましょう。
防衛問題に詳しい新聞記者から北朝鮮などからのミサイル攻撃があったときのことについて質問があった際に、
「防衛問題なんぞに詳しくたって何の役にも立たないのが戦争だ。そうならぐずぐず考えるより、そうなったらなった時のことで、生き抜いてやるってこころ構えがありゃいいんだ。他に何かできることがあるのか?
・・・私も似たような考えです。結局、戦争となれば死に直面するのは私たち国民・市民です。
次、
「私はオリンピックというものに、まったくと言ってもイイほど興味がない。なぜ興味がないかと訊かれても、メダルを取ることが、それほどの名誉などとは思えないし、第一、名誉というものが怪しいものだと思っている」
・・・これもまた私も似ています。もう、オリンピックの役目はとうに終わったものだと思っています。巨額の金が動いたり、人の怪しい思惑が蠢く感じがもういらない、と思わせるのです。
「ディズニーランドへ出かけて、いったい何を見るのだろうかと思う。白雪姫だろうが、御伽の国だろうが、そんなもの見りゃそれでおしまいで、乗り物に乗ったところで周囲の者が悲鳴を上げるのを聞くだけのことではないかと思ってしまう。大勢の人が集まったり、群れる場所へついつい出かけるという行動はあまりよろしくない。なぜ人が皆集まったり、何かをしている所に、身を置くかと言うと、それは安堵、安心を求めるからである。」
・・・けっこうきついこと言っていますが、でもこれも同じ考えなのです。信じられないかもしれないけど。
だから私は千葉に住んでいるけど、ディズニーランドには行ったことがないし、行く気もないのです。
以上、相変わらずの“伊集院節”の本でした。
伊集院さん、亡くなってしまいましたが、最後まで自分の意志を通した人でした。
『よそ見津々/柴崎友香著(日本経済新聞出版社)』を古本で見つけて読みました。
2010年第一刷発行の本で、内容は2004年から2010年にかけて作者の書いた文を様々なジャンルに分けてまとめたものになっていました。
350頁もあるので、一つひとつの文は軽く面白いものが多いのですが、読み切るのは大変でした。
大阪生まれの著者が東京に出てきての違和感みたいなものについて書かれた文なども、とても素直に自然に書かれていて読みやすいものでした。
大阪の蝉と東京の蝉、料理のことなど色々書かれていましたが、親戚の子が書いているようなそんな気分で読みました。
旅行についての行動力などについても、こんな人私の周りにもいるよ、という感じ。
この本に載っているエッセイを書かれている時点で、カメラはフィルムカメラを好み、今やそんな人は数少ないわけですが、そんなことどこ吹く風なのがよかった。
2026年の今現在、“コスパ”だ“タイパ”だ、“映え”だなんだかんだで、つまならくて理屈っぽいヤツばかりの世の中、堂々と潔くて私も清々しました。
そして、この本のような自分の気分だとか、ふと思ったことなどをこうして文章にして著すことなど、もうあと五年もしたら出来ない人間だらけになると思います。
AIに頼めば、って思っている輩もどんどん周囲に増殖してきている。
いろいろ頼っていると、どんどん技量が落ちます。
しかも、自分で苦労して何かを生み出すという人としての醍醐味さえも忘れてしまいます。
そういうことをこの本を読みながら考えてしまいました。
最近、日々そんなことが頭の中をよぎり、なんか暗い気分になることが多いのです。
だから外に出て何かを見てきたり、それを文にしたり、俳句にしてみたり、そんなことが大事なのだと思わせてくれたのがこの本になりました。
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