
『徳川慶喜家の食卓/-徳川慶喜家当主- 徳川慶朝著(文春文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
著者の徳川慶朝氏は、日本の写真家ですが、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の曾孫で、旧公爵徳川慶喜家第4代当主。母方を通じて松平容保の曾孫でもあるのです。
この本は2005年に刊行され、2008年に文庫化されたものです。
著者の徳川慶朝氏は、2017年に亡くなられています。
この本には、最後の将軍・徳川慶喜は大政奉還した後の生活では、割と質素な食生活であったことが書かれていましたが、それでもやがて東京の第六天町の屋敷に住まっていた時には、その敷地三千坪、屋敷内には五十人の人がいたそうです。
著者の父は、その屋敷で育ったとのこと。
興味深かったのは、大政奉還のあった年の三月二十五日から四月一日にわたって、慶喜公が大阪城に英、仏、米、蘭の四国の公使を招き、接見し、フランス料理で饗応したという部分でした。゜
慶喜公が密かに目論んでいた大君絶対王政の政治形態にもっていくための環境を整えようとしていたのではないか、ということでしたが、開国を迫る列強に、みずからの権威と存在感をアピールしようとしていたようです。
そのときのメニューが載っていましたが、凄いです。
何ページにも渡る豪華な料理で、ここを読むだけでこの本を読む価値があるくらいの内容でした。気になる方はぜひご確認を。
あの渋沢栄一は、若いときに一橋家の家臣で、慶喜公の弟、昭武氏といっしょにパリ万博に行った仲であったとのことで、第六天町の屋敷にも寄っていて、慶喜公がその頃食べていたもの、そして好きだった酒の種類についても書かれたものが残っていて、これもまた興味深いものでした。
著者の慶朝氏は、慶喜公も好きであったらしい珈琲が好きで、やがて茨城県ひたちなか市の「サザコーヒー」からの依頼で講演する機会があり、その際焙煎をしてみたいとお願いして、意外や本格的な珈琲豆を生み出し、「徳川将軍コーヒー」という名で売り出すことになり、かなりの売れ行きとなったことも書かれていました。
かなり深煎り(慶喜公も著者も、それにミルクを入れて飲むのが好きだった)だが、とても評判が良かったようです。
とにかく慶喜公についても、著者の慶朝氏についても、今まで知らなかったことが多かったのですが、次から次へと面白く、興味深い事実が明らかになって、楽しく読みました。
残念ながら徳川慶喜家第四代当主の慶朝氏は結婚しておらず、跡継ぎ無きまま亡くなられてしまいました。子供さんがいらっしゃれば、残された資料等からまだまだ新しい事実が世に出たかもしれません。
貴重な本を読ませてもらいました。
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