カセットテープや、今やほとんど見ることのないMDに15年以上前に録音したラジオ番組が残されています。それを聞きながら一句詠みました。
【 古いラジオの録音聞く 夏座敷 】
《背景》季語:夏座敷[夏]
ここ最近、15年以上前のラジオ番組の録音をあらためて聞いている。
そんなに変わり無いのかと思ったら、話しのテンポも掛かる曲も割とゆったりしていて、しかも今と違ってどうでもいいような話しは少なく、心に残る内容が多いことに驚いた。
こんなラジオ番組を聞くには、夏を涼しく過ごそうとした昔の夏座敷が似合うと思った。
襖や障子を取り外して風を通したり、籐の敷物や茣蓙などを敷き、麻の座布団にしたり・・そんな夏の座敷を懐かしく思った。
『暮らし自分流/下重曉子著(海竜社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2018年第一刷発行となっていて、過去様々なところから出版された著者の文から「住まい」「おしゃれ」「いいもの、好きなものをつかう」「七十歳からの着物」「暮らしの立ち居振る舞い」「心を遊ばせる時間」などの項目ごとに編集して構成されていました。
いつも下重さんの本を読んでいると、“迷い”が無いです。
それは他の人にはあまり見られないことだと感じました。
「こうしてみよう」と思ったらすぐに実行してみる、その行動力が下重さんのいくつものベストセラーを生む結果を導き出しているのだと思います。
良いと思えば軽井沢で長く住まわれていた家を別荘として手に入れ、そこに仕事場を設けたり、そこが冬寒いとなると、冬用の別荘もすぐ隣に購入して、友人達を招いて宿泊させたりもしていました。
親の残した古い家具なども運び込んで、自分の気に入った家具を気に入ったようにレイアウトし、自分らしい住まいをつくりだしています。
骨董に興味があり、勧められると骨董商の資格免許を取って、骨董商まで始めてしまいます。
何年かやってずっと赤字だとスパっとやめています。
そういうところの決断力もすごい。
服装にしても、自分はこれこれこういうものが好きだし、自分はこういうものが似合って、コーディネイトはこうするのがいいと決めると迷いのないファッションを心がけています。
そして人との付き合い方も自分の考え方と実際のやり方がしっかりと決まっていて、ちょっと凡人には難しくて真似出来ないこともあるよなぁと思ったりもしましたが。
でも年齢を重ねてくると、あれこれ迷って何か月も何年も経ってしまうような人が多い中、下重さんのような感覚で物事を決め、実行していくことによって、自分でも納得できる生き方、住まい方が出来るだろうと思いました。
私もある程度考え方を決めておいて、家のことや、家族その他のことについてもうまく判断・決断しながら生きて行こうと思いました。
『京都暮らしの四季 -極楽のあまり風-/麻生圭子著(文春文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
麻生さんの京都町屋暮らしについて書かれた本については過去このブログで「東京育ちの京町屋暮らし」という本をご紹介したことがあります。
著者の麻生さんがいよいよ京都の町屋を手に入れ、修復、改築しながら町屋暮らしを実現しようと奮闘するお話しでした。
今回ご紹介する本では、京都町屋暮らしを始めて、あらためて京都の過酷ともいえる夏や冬の環境の中でどうやってその暮らしを楽しみながら営み続けるか、ということが書かれていました。
京都の町屋というものが、独特の奥に細長い形状で、さらにいくつもの扉、障子などを開けて部屋の中を通り抜けるものであったり、中庭や土間がある中での生活がどのように四季と関わっていくのか・・また、そんな状況を楽しめるのか、そんなことが書かれていましたが、著者は戸惑いつつもやがて「これが京都の町屋暮らしだ」と気づき、その良さや風情に喜びを感じていく様子がわかりました。
ヤモリも出れば、ホタルも出る、夜中に起きて用を足せばその音が隣近所に筒抜けになる、建具は季節によって“衣替え”をするなど、いいんだかなんだか私にはわからない部分もありましたが、でも麻生さんが選んだ「京町屋暮らし」は人生の貴重な部分を占めているのではないかと思いました。
ただこの本が発行されたのが、二十年以上前のことなので、現在の日本中“酷暑”に見舞われる中で、果たしてエアコン無しの京町屋暮らしが可能なんだろうか、と思ってしまいました。
最近のラジオで聞いた話題が「日本は四季ではなく、“二季”になりつつあるんじゃないか」というもので、夏と冬の「二季」にほんの少しの間の春と秋みたいになってきていて、京都の古来の四季の過ごし方・・今はどうなっているのか・・と思ってしまいました。
『河童が覗いたトイレまんだら/妹尾河童(文春文庫)』という本を、これまたブックオフで見つけて読んで(見)みました。
1990年の単行本で、その文庫化、かなり古いです。
登場される方でお亡くなりになっている方もけっこういました。
妹尾河童さんがこの本では、いろいろな有名人のトイレを見せてもらい、それを事細かに描写しているのです。
テーマが「トイレ」とは!と驚きました。
特に女優さんなどは断ってくるんじゃないかと思ったのですが、意外とあっさり取材OKの方が多かったようです。
トイレをひとつの部屋のようにして、自分好みのインテリア・スタイルが素晴らしい人がいたり、本棚があったり、書き物が出来る用意がしてあったりの書斎の一部的な使い方をしている人もいました。
また、自分の家の自分用に考えたトイレでないと用を足せない・・という人もいて、出来れば遠出の出張があっても帰宅してから用を足すなんて人もいました。
けっこう「自分にとってのトイレとは」と語り出す人も多かった。
トイレを見せてもらうことで、色々なものが見えてくることに驚きました。
我が家のトイレは、とあらためて見てみても、全然ふつうだなぁ(^_^;)と思いました。
この本に出てきた人のように長時間籠ることもないし・・。
でも、不思議なことに小さい頃からの記憶を辿ると、親戚や色々なところに出かけて行った記憶の中に、明らかにトイレの印象が強く残っています。
家の中がどうだったか覚えていなくても、トイレについてはハッキリとした記憶があるのです。
やはり、トイレには何か独特の主張のようなものがあるのかもしれません。
400頁を越えるボリュームでしたが、面白く読みました。
『骨董市で家を買う -ハットリ邸古民家新築プロジェクト-/服部真澄著(中公文庫)』という本を読みました。
タイトルにあるように、骨董市で骨董と一緒に「古民家」が売られているのを見て、著者の作家・服部真澄さんが本当に買ってしまう・・というドキュメンタリー的小説です。
で、それを見てハラハラしたり、驚いたり、応援したり、冷静にアドバイスしたり、うろたえたりする夫もそこにいる、というものでした(^^;)
そもそもが骨董市で「古民家あります」みたいな売られ方をしているということがあるんですね!という驚きがありました。
そして、実際にその古民家を地方から解体して運び、東京に持ってきて使いやすいように再構築するという手法が実際にこの本の中でリアル・ドキュメンタリーとして物語られるのですが、1990年代後半くらいにこの本が刊行されているところから逆算すると、まさに古民家移築の“先駆者”と言ってもいいくらいの時代です。
それをこの著者は“向こう見ず”というか、度胸があるというか、果敢に挑むわけです。
自らの空想の中に描いていた理想的な古民家をアレンジした住まい&仕事場を求めて!
骨董屋さんから紹介されたいくつかの古民家から気に入ったものを決め、解体、運搬、実際に建築する時のために切ったり削ったり、番号付けをしたり、実際に家として成立するまでは想像を絶する苦難が待ち受けていたのですが(それも三度、四度、五度、六度と何度でも大ピンチが訪れる)、総合プロデューサ的役割を骨董屋さんがやり(途中宗教にハマってしまったりして仕事は遅々として進まない(T_T))、設計士が入り、工務店が入り、建具も古民家で使われていたものを小さくしたり調整したりして使えるようにする建具屋さんも入り、漆喰も専門家を読んだり、さらにさらに様々な専門家が来て予算は膨らみ、工期は延長に次ぐ延長を重ねるのでした。
この奮闘記を読んでいるだけで、こちらもハラハラドキドキするわけですが、でも徐々に著者の考えている古民家移築の姿が見え始め、添えられている写真にも個々の部分の素敵な設えが見えてくるとワクワクしてくるのです、読んでいる私も(#^.^#)
実に見事な展開と巧みな文章で最後まで一気に読ませてもらいました。
いやもう、スリルとサスペンスまで味わいながら楽しく読ませていただきました。
古民家・・以前から興味を持っていたのですが、いいなあと思いつつ読了いたしました。
『東京暮らしの京町屋暮らし/麻生圭子著(文藝春秋)』を読みました。
いつもどおりのブックオフで安価にて購入。
2000年7月発行の本です。
著者、麻生圭子さんはエッセイストで、作詞家としても吉川晃司、小泉今日子、中森明菜などの曲を手がけている方だと知りました。
その麻生さんが京都のいわゆる“町屋”暮らしをしようとするのですが、その町屋を借りようとして大家さんに会うと、「町屋かなんか知らんけど、あんたみたいなよそから来た人間がやな、勝手に、そんないい方してるだけや。我々、京都の人間はそんなことば、使いませんな」・・と、初っ端から痛い洗礼を受けます。
ま、一筋縄ではいかないわけで、不動産屋さんから知人、その他あらゆる“つて”を頼って町屋を探し、借りる際の改修をどこまでやっていいのかという条件などの擦り合わせも大変なことになりました。
いったん借りることが出来、契約もきちんとして、その後、夫も含め多くの人の手を借りて床を漆で塗ったりたいへんな作業をするものの、途中で話がご破算になり、苦労が水の泡となることもありました。
しかし、著者、麻生さんの町屋に対する「住んでみたい」という願望は最後まで衰えることはなく、本を読んでいるだけでもこちらが気絶しそうなくらい大変な思いと作業を経て“町屋暮らし”に漕ぎ着けるのでした。
そして、町屋暮らし・・優雅でいいじゃない、と思うと、それは現代の快適な環境、たとえばエアコンや水、給湯関係などが麻生さんが住もうとしている町屋では、昭和三十年代のような暮らしをしなければならないことになるのです。
冬は外と同じくらいの寒さの中で暮らさなければならず、台所などは土間にあり、足の先から芯まで冷たくなるらしく、夏はエアコンもないので当然あちこち開けて暮らすわけで、だから蚊帳を吊るのは当然のこと・・。
冷蔵庫も今どきの大型のものを置く場所もなく、小型で冷凍庫もない生活を選びます。
とうてい現代人には耐え難いような環境かと思いますが、でも、それでも“町屋暮らし”をしたいという気持ちはなんだか理解できます。
現代社会の皆が共有している、いわゆる“便利で快適”な生活よりも大きく深い喜びがきっと町屋暮らしにはあるのだと思います。
掲載されている写真を見ていると、なんだか私も憧れてしまいそうな“豊かさ”を感じてしまいます。
このあいだ、またもブックオフで麻生さんの「京都暮らしの四季」について書かれた本を見つけ、購入いたしましたので、読みましたらまたここでご紹介したいと思います。
今回は、京都の町屋暮らしって、なんだか良さそう・・というところまでの読後感ご紹介でした。
Jazz Jazz Album を CDで聞いていく The Beatles The Beatles 研究室・復刻版 お怒りモード憑依 お酒 こんな出来事あんな出来事 しみじみモード、私の気持ち はっPのアナログ探訪 ウェブログ・ココログ関連 オトナのグッズ クルマ グルメ・クッキング スポーツ ニュース パソコン・インターネット ファッション・アクセサリ ペット 不思議&恐怖体験 些細な気になること 仕事で生き生き 住まい・インテリア 俳句を詠んでみる 南先生の玉手箱 妄想対談 学問・資格 宝塚 家族・親子 建物・風景 心と体 恋愛 想い出交錯 携帯・デジカメ 文化・芸術 旅行・地域 日々発見 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 書籍・雑誌 書籍・雑誌その2 様々な交流 社会の出来事 経済・政治・国際 自然・四季 芸能・アイドル 行ってみた、喰ってみた、飲んでみた、酔ってみた 街で発見 言葉 趣味 過去にあった人、出来事 音楽
最近のコメント