『カツ丼わしづかみ食いの法則 -ナマコのからえばり9-/椎名誠著(毎日新聞社)』を読みました。
2014年発行の本で、『サンデー毎日』2013~2014年に連載されたエッセイをまとめたものとなっていました。
この頃の椎名さんは、海外への冒険のようなことに対しての強い意欲は、体力的なことや、かつてかなり危険なことがあったことも含め、あまりないようです。
少し前に「死」についての本も書かれていて、海外での冒険時には“死とスレスレ”だったことをこの本の中で思い出しています。
お孫さんもできて、これ以上は無理だろうと思っているようでした。
しかし、相変わらずの国内での仲間たちとの楽しい旅や企画、飲み、など(*^^*)は続行されていて安心いたしました。
すこし気になったところは、
「世界遺産ってなんだ」という項目。
富士山が世界遺産に認定された頃で、もうみんな遺産だと思っているんだからいいじゃないの、って言っています、簡単に言うと。
私もその頃も、今も思っていますが、世界遺産と聞くと今まで何の興味もなかった人まで続々と詰めかけ、ゴミは溢れ、トイレも溢れ、サンダルで日本最高峰の山に登ろうとする輩も現れる・・。
みんな心の中でいいものだと思っているんだからそれでいいじゃないの、と思うのです。
今年もTシャツに短パン、そこいらへんを歩くカジュアルな靴で登山しようとしている人がいたようです、ましてや外国人までそんな状態。
だから椎名さんに同感です。
もうひとつ「新聞やテレビを見なくなってしまったのは、日本のそれらが信用できなくなっているからだ」と書かれていました。
外国での報道を見聞きすると、日本のことなのに日本人が一番本当のことを知らない国民になってしまうのではないかという危惧があるとおっしゃっています。
当時、椎名さんがミャンマーに行ったら、「9.11アメリカ同時多発テロ」について国民が知らされていないことを書かれていて、軍事政権のメディア操作の恐ろしさを知ったとのこと。
椎名さんは、当時の特定秘密保護法について国会が揺れているのに、食品偽装問題や猪瀬知事の事件で大騒ぎしていて、マスコミの記者は自分の顔・名前が出ないと強引になるが、そうでないと、あられもなく狼狽する“さもしい”人達だとおっしゃっていて、これも同感です。
大切なことを十分に報道しない・・この姿勢は独裁国家化の一歩だと・・ヒタヒタと恐ろしいことが近づいている・・と私も今感じています。
何時起きるかわからない戦争突入への第一歩となるかもしれない重大事をくわしく知らないうちに許してしまうことになるのです。
憲法から国民の基本的人権の項目を削除しようとしたり、いつの間にやら国防軍を組織する項目が追加されたりしている改正案について大きく報道すべきだと思います。
椎名さんの本の読後感であまり上記のようなことは書いたことがなかったかと思いますが、特に気になったので書いてみました。
『忖度(そんたく)バカ/鎌田實著(小学館新書)』を読みました。
2017年に第一刷発行されたもので、古本で手に入れました。
著者、鎌田實先生については、毎日曜日の朝早くにやっているラジオ番組「日曜はがんばらない」をよく聞いています。
7年前の本で、タイトルにもある「忖度」という言葉が森友・加計問題に端を発して大きくクローズアップされていた頃です。
著者の指摘は鋭く、“忖度”という言葉を日本社会に深く巣食う「病理」を表す言葉であると書かれています。
あの頃の首相や、国会議員、官僚の発言や実際に行ったこと、それらは私達国民に不信感を抱かせ、さらに公文書の改竄という重大な問題も引き起こしました。
そして、それらは7年後の今現在の社会でも何ら変わっていないと感じます。
“忖度”という言葉は、今や本来的な意味とは既に異なる意味で使われている感じがしますが、兵庫県知事の公益通報者保護法を逸脱したと言える行為は“忖度”のバリアの中で横暴かつ強権的な振舞いを許してしまった例と言えるのではないかと感じています。
そして、そんな人がまだまだいると思われます。
皆、一様に同じ目つき、表情をしているのも不気味ですが、今のネット社会ではそんな人に群がって“持ち上げる”人も多く、さらに「忖度」を指摘するような人に対し、ネット上で攻撃する人も多々見受けられます。
日本は、暗黒社会の入口から既に数メートル入っている状況だと思います。
「言いたいことを言える日本がいい」と著者は書いていますが、どうでしょう、今の日本で言いたいことが言えているのか・・疑問は深く残ります。
中学時代の担任の先生ともよく電話でお話しをするのですが、だんだん忖度なしに、遠慮なく話せる人が先生以外には少なくなっているように感じます。
この本では、軍備の拡大や、原子力発電の今後などについてもふれていますが、著者が政治的なことにも忖度なく自身の意見を述べているのを読んで、こうありたいと思いました。
X(旧Twitter)でも、私は忖度のない発言をしていますが、何処かからか圧力を掛けてくることがあるのではないかと危惧している気持ちもあります。
この本を読んで、あの頃感じていたことが整理された感じがしました。
そして、その頃の気持ちを大切にして、これからもいらぬ忖度はせぬように、このブログ等も書いていきたいと思います。
『日本語 根掘り葉掘り/森本哲郎著(新潮文庫)』を読みました。
この本は、1991年に新潮社より刊行され、4年後に文庫化されたものです。
三十年以上前の本ですが、読めばいろいろと今のこの時代に思い当たることがいくつもありました。
当時、日本語の「けじめ」は、アメリカ人も「Kejime」として英語にはない言葉であるとしていたとのことですが、そのアメリカ人から著者・森本さんは「日本人は“ケジメレス”だ」と言われたエピソードが書かれていました。
「けじめ」に英語の否定の接尾辞「less」を合成し、結局『日本人は“けじめ”がつけられないのだ』とい言われてしまったわけです。
今の時代はさらにそれが顕在化して、裏金議員も、特定宗教団体と関係を持つ議員も、もうすぐ辞める首相も『ケジメレス』です。
また、「厳粛に受けとめる」という表現は、良心がそう言わせるのでなく、世間に向かってただ神妙な顔をしてみせるポーズに過ぎないと、当時の森本さんが書かれているのです。
閣僚の不祥事が起こると、どっかの総理がいつも神妙な顔をして、「厳粛に受けとめ」てましたねぇ・・。
さらに、情報化だなんて言っているが、人は必ずしも何もかも知りたいとは思っていない。なのに否応なしに“耳目をそばだたせる”ような表現をとり、大仰な言葉を使って人の関心や興味をむりやりに引きつけようとする・・とも書かれていました。
これなどまさに今のネット社会、SNS、動画サイトに大きく反映されているのではないかと思いました。30年以上経って、どんどん事は大きくなっている。
最後にもうひとつ私が気になったこと。
当時の討論番組などで、やたらに大声を張り上げたり、不作法で、攻撃的で、粗雑な人間ほど受けている・・と書かれていました。
今はその不作法なヤツらばかりでコメンテーターを構成している番組が目白押しです。
私はもう見ていない。吐き気がする。
ということで、30年前に恐れていたことが今やほぼ毎日当たり前に起こっていると言わざるを得ない状況だと思いました。
マスメディアも安い構成の番組しか作らず、ジャーナリストと言えるような人は激減しています。
どんどん心が暗くなるので、本日はここまで・・。
『余計な一言/斎藤孝著(新潮新書)』を古本で見つけて読みました。
2014年発行となっていますので、かれこれ10年前の本になります。
著者はベストセラー多数の斎藤孝さん、古い本とはいえ、「余計な一言」を言わないように参考として読んでみようと思ったのです。
いくつか実際の事例で経験したことと似たものがあったので、すこし挙げてみようと思います。
(女性)A「私の新しい彼なの(と紹介)」
(女性)B「へえ、あなたがAの新しい彼氏なの。やさしそうな方でよかった。彼女、これまで男では苦労してきたから」
・・新しい彼氏の前で女性の過去を暴露するという、やや“確信犯”的なケースです。
著者は、この場合、「ついうっかり」というよりも、嫉妬による言動である可能性が大だと言っています。・・そうかも ^_^;
私も実際の結婚披露宴で、新婦の友人のスピーチで「〇子から新郎の〇〇さんを初めて紹介されたときに、“今度の彼氏は”なかなかいいじゃない、と思いました」と挨拶しているのを聞いたことがあります。
会場、ざわめきました・・(^-^;
次の事例
私が同窓会の幹事をやったときにも経験したことですが、出欠の返事を「行きたいんだけど、行ければ行くってことで」という形でもらうことです。
どっちかにしてもらいたいと、・・思いますよねぇ。
私の場合は席も料理も一人分増やして予約しても来なかった場合、皆でその分割り勘にするのもなんだかなぁと思ったので、席も料理も予約しませんでした。
・・そしたら開始から40分くらいしてやってきて「ひどい、席を取っておいてくれなかったの?料理はどうするの?」と騒ぎだし・・どっちがひどいのかと思いつつ、そのあと席をひとつなんとか増やして、料理は途中から出してもらい、料金もその分少し安くなるようにお店に頼んでなんとかなりました。
悪いけど、自分勝手な人だと思いました。その日に連絡をくれても良かったし、会が始まってからでも「行けるぞ」と連絡をくれれはよいのです。
でも、そんな人ならもともと「行ければ行く」という発言にはならないでしょう。
ついでに、もうひとつ事例を。
当時のこの本に書かれていたのは、「AKB48が好きなんですよ」と言った相手に「あれは売り出し方がうまいだけじゃないの、誰が誰だかよくわからないよね」という余計な反応が載せられていました。
「誰が好きなの?」とか「好きな曲は何?」などと言えば話がはずむのに・・と思います。
私の実例で言うと、すでにこのブログでご紹介したことがありますが、
上司「昨日は勤務終了してすぐに帰ったけど何処かに行ったの?今朝から上機嫌じゃないの」
と聞かれたので、
「宝塚歌劇の夜の部に行って来ました。とてもいいお話しでした。」
と言うと、
「あんな厚化粧の気持ち悪い“婆あ”がやってるもの見に行ったの、おおやだ!」
と言われ、言葉もありませんでした。
自分で聞いておいて、なんてひどい人かと思いました。ましてや上司。
もうひとつ同様のことがありました。
またまた朝に上司から「昨日、急ぎ足で帰ったけど何処かに出かけたの?」
と聞かれ、もういくらなんでもあんなひどいことは言わないだろうと思い、
「ポール・マッカートニーの東京ドームコンサートに行って来ました。中学生の頃から聞いていた曲も歌ってくれて、涙が出ました」
というと、
上司は「えぇっ!あんなくだらない曲しか作れない歌のヘタな男の音楽を聞きに行っただって?考えられない」
とのこと・・。
嫌がらせにもほどがあると、あまりに腹が立って詰め寄ったところを若い女性職員に「我慢してっ!ここはあなたしか大人になれませんよ」と止められ、事なきを得ましたが、とても後味の悪い出来事でした。
・・ついつい自分の出来事で興奮してしまいましたが、要するに、“余計な一言”には、注意しようとあらためて思いました。
この本には、たくさんの「余計な一言」の事例が示されていました。
私も気を付けようと思います。
『いまどきの「常識」/香山リカ著(岩波新書)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2005年第一刷発行となっていました。
約二十年前のものですが、読んでみると、もうこの頃からこんな現象が出ていたのか、というようなことが書かれていました。
たとえば、「泣くと決めて観る映画」なんてフレーズが週刊誌はじめ、けっこう流布していたことがわかりました。それは今も変わっていないみたい。
現実離れしていようが、内容はさほどたいしたものでなくても、困難や、恋愛、難病などを表面的に描いただけのドラマなどについて「泣けたよね~」「超感動」などというフレーズで当時の人が夢中になっている様子がわかりました。
その他にも、「あの人はバカ」と先に言ってしまえば自分はバカじゃないと思う人。
すべてお金が人生・生活の基本となっている人、現実がいかに捻じ曲がっていても、その現実には従うしかないという人、いつもゆっくりしたい、ラクしたいと言っている人、男は男らしく、女は女らしくというが大前提の人、すべてを自己責任という言葉で片付ける人、外国人はとにかく危険という人、平和・反戦にとらわれるのは頭が古いという人、何よりも人権よりも国益優先という人、戦争にならぬよう外交努力をするよりも軍隊を持ってこその普通の国だという人、ナショナリズムは普通で健全で自然・・という人などなど・・(^_^;)
二十年前から変わっていない・・というよりも悪化しているのが現在じゃないかと思いました。
そして、今まさにその“膿”が出始めたところなんじゃないでしょうか。
でも、“膿”は出たがらないねぇ(^-^;
どなたかが「X(Twitter)」で書かれていましたが、脱税している奴らが納税を訴え、法律を守らない奴らが憲法改正を叫び、戦争へ行かない奴らが戦争の準備をしている・・。
そんな膿が今、果たして出切るのか・・と思いつつ読了いたしました。
『巷談辞典/井上ひさし著・山藤章二画(河出文庫)』という本をブックオフで見つけて読んでみました。
初出は「夕刊フジ」。昭和49年~50年に掲載され、のちに「巷談辞典」として単行本化されたものです。
“歯に衣着せぬ”というか、“遠慮会釈”のない文と絵で、450頁を超えるボリュームでした。
巻末にも書かれていますが、本文中には、今日では考えられないような差別表現が横行しておりました・・。作品の時代背景とその価値にかんがみ、底本のままとしたとのことですが、私も驚きながら読みました。
最初は、気楽な感じで書かれた読物かと思っていましたが、自分が見合いをした相手の容姿について関係者が見たらわかってしまうのに酷い例えで表現したり、女性はまるで男にとって“道具”や“性欲を満たす対象”として書かれていて、途中で気持ち悪くなってしまい、あとは“流し読み”状態に入りました。
「物には限度」というものがある、というのが今回の私の感想でした。
何の恨みがあってか、女子大の名称を別の漢字を使って酷い表現をしたりしていて、もう「アウト」でした。
その他のエピソードなども、今の私にはちょっ理解できない話の展開があってどうにもいけない状態になりました。
昔のサラリーマンなどの男達はこんな感じで物事を考えていたのか、ということについては勉強になりました。
そんな人達が上司になったり、地位を得たりして今の世の中が出来上がったのかと思うと、妙に納得してしまったのでした。
『「夏彦の写真コラム傑作選 1 /山本夏彦著・藤原正彦編(新潮文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。一般の書店でも、古本でもすっかり見かけることが無くなった山本夏彦氏の本です。
氏が1979年から1991年の間に書いたコラムから数学者の藤原正彦氏が傑作を選んで編んだものです。
山本夏彦翁の本は、学生時代によく読みました。
当時としてはけっこう社会状況や、世相に反して思い切ったことが書かれていたと感じました。
読んでいると、その時代から変わっていないことも多くあるが(あのときは、今後も変わることはないだろうと思って読んでいた)、近年になってよりひどくなったと感じることもあります。
政治家は我らと同じ人間で、悪いこともするがそれなりに「政」はきちんとやる部分もある・・というような内容の記述がありましたが、今はよりひどく、政党交付金なんて制度もその後出来たせいか、政治というよりも自ら“金儲け”“うまい話”“自党存続”以外に政治家としての目的が無いような人が殆どであると私は感じます。
そんなことないよ、という人がいるかもしれないけれど、やはり今の政治は酷い。
上記のような悪巧みをモットーとする政党の第二の存在になりたいだとか、アクセルになりたいだとか抜かしている人間がいて、市井の人たち、地道に必死に生きている人のことなど一度も考えたことがないような政治家があまりにも多いと思う。
どんどん時代はひどくなっていると思います。
国会での論議も経ずにどんどん勝手に物事を決めていく様子に、皆、恐怖を感じないのかなと思うこと多々です。
夏彦翁のこの本にも書かれていましたが、新聞は一大論陣をはってもいいのにはらない。
テレビもはらないこと同じである。
三大新聞または五大テレビがあるというが実はわが国にはマスコミは一つしかないのである。
【かくて国民はどこへつれて行かれるか知れないこと、あの戦前と全く同じなのである】
と、書かれていました。
まったくもって、今現在もその状態です。そんな状態がよりひどくなっていると思いました。
マイナンバーカード、及びマイナンバーシステムについて毎日のようにトラブル、事故、不具合、事件と呼べるようなものまでが報道され、それに連れてカードの返納が報じられています。その数、報道されているものだけでも47万件とのこと。
そんな中で気づいたことがありました。
Twitterでは、返納した事例の紹介や、返納した人のツイートに対して、誹謗、脅し、嘲笑などのコメント、返信がかなりの数見受けられました。誰に言われてやっているのか、誰からお金をもらってやっているのかわかりませんが。
カードの取得は任意であり、いったん取得しても返納するのは個人の自由です。
だから返納届も用意されていて(※住所異動時や戸籍届出に伴い券面に記載する欄が溢れた時もいったん返納して、必要あれば再度取得の申請をするという・・なんとも不始末な運用に伴う返納もあることは知っています)、ただ返納しているだけなのに、ラサール石井さんなどの有名人に対しても、同じ芸能人から非難のコメントがなされたりしているのを見て、まったく正当で自由な行為への攻撃は怖ろしく、しかも卑怯なことだと感じました。
芸能人だけでなく、一般の人にも攻撃の手は止みません。
その際にテンプレートのように“捨て台詞”みたいに同様の言葉が吐きかけられていることに気づきました。
「カードを返しても、マイナンバーシステムは存在して、お前はもうマイナンバーシステム無しには社会生活は出来ないのだ。カードを返してしまって、その不便に後悔するぞ」
というのです。
でもねえ、そんなこと皆んな知っているんですよ。
全員にマイナンバーが振られているのは、当初通知カードが送られてきてとっくにわかっています。だからシステム上に自分が登録されていることも誰もが知っているのです。
誹謗している人達がむしろうっかり忘れているとか、知らないとか・・カッコ悪いことになっているのじゃないかと思いました。
でね、“語るに落ちる”とはこのことだと思いました。
だって、もう番号は振られているなら、カードが無くてもマイナンバーシステムと、他の紐づけされようとしているシステム同士で紐づけ出来ちゃうんじゃないの、と思ったのです。
要するにカード自体、最初からいらないじゃないの、と。
カードが必要なのは、マイナンバーが始まった当初の「運転免許証などを持っていなくて、写真付きの公の機関が発行した証明書の無い人はマイナンバーカードを作っておくと良いですよ」というやわらかいアナウンスがされていましたが、そんな目的で作るくらいじゃないでしょうか。
そしてそれを立証するニュース動画を見ました。
ほとんどの人が注目していないのでがっかりですが、立憲民主党が厚労省とのマイナンバーカードについてのヒアリングのやり取りです。これは誰でも見ることが出来ます。
長妻議員が、「まだ保険証と紐づけ作業をしていないカードでも、マイナポータルから入ってみると、すでに《保険証等とは紐づけされていて》( ゚Д゚)・・・自分の医療情報が全て見られるようになっています。紐づけが誤っていると他人のものが見えてしまうが、それへのセキュリティー対策はどうなっていますか?」
という質問をしていて、さらに驚くことに厚労省の課長の答弁は
「それは既に承知しています。今後、この事象に対するセキュリティー対策を進めたいと思います。」と答えているのです。
・・・(;゚Д゚)・・・ってことは、もう保険証とマイナンバーの紐づけは、カードが有ろうが、無かろうが、カードとの紐づけをしていようが、いなかろうが、もう終わっているということです。
だからね ^_^; 実際は保険証さえあれば、首相、総務省、厚労省やデジタル大臣が言っている「よりよい医療」と言っていることは実現できちゃっているんですよ。驚きですっ!
保険証をお医者さんの窓口に持っていくだけでいいのです。
ただ、たぶん医療側のシステムはまだ全ての患者さんのデータ等がうまく見られるように整備されているとは思えませんが・・。
じゃ、なんでカードを作って、紐づけろ、保険証廃止しちゃうぞと言っているかというと、これはもうカードを作ることでの利権が一番大きな理由なんじゃないでしょうか。
カードを作ることが余程の利権、利益、天下り先を生むのでしょう。
それと、個々人の口座番号はなかなか把握できないので、国民に自分でやらせて口座を把握したい・・というのも大きな理由だと思います。口座を押さえちゃえば「こっちのものだ」とほくそ笑んでいるのだと思いますよ。
それにしても、そのお先棒を担いでいる誹謗、中傷、恫喝、嘲笑ツイートをしている人達、・・あんた達も“トカゲの尻尾”だよ、と伝えたいです。
ええと、まだまだ奥には色々な理由が存在していることは容易に考えられ、書こうと思えば書けますが、それについてはまた後日にします。
大長編になってしまうので。
それではまた。
まだまだ出てくる、毎日出てくる、「マイナンバーカード」の誤登録や、不具合、年金情報などの他人への情報漏洩、口座のひもづけ誤りなどなど・・。
それを謝る大臣たちの謝るというよりも怒っている(^_^;)ような会見はなんでしょうね?!
いつも威張っていて、謝ったことがないからあんなんなっちゃうんでしょうね。
例のデジタル庁担当大臣は、「今後はもう誤登録は起こりません」と言い切ってしまい、まったく根拠のないものだと誰もが思っていると存じます。
逆に誤登録などの問題が今後発生したら、デジタル庁の職員は大臣に報告しずらくなりました。それにより報告が遅れ、さらに後手後手に対応することになってしまいます。
最初っから氏名の「読み仮名」のデータを住民登録から取得しておけばよかったのに、それがなくて口座名義人と登録者のひもづけチェックが出来ず、あらたに漢字から読み仮名を推測するアプリケーションを作製し、チェック出来るようにするという・・考えられない金と時間のムダを本気でやろうとしている。キラキラネームなんか読み仮名推測できませんよ、住民登録されている読み仮名を今でも接続されている住民基本台帳データから取得すればいいだけです。
まったく仕組みがわかっていない人をエラいところに据えてはいけないということが如実にわかってきました。
あと、個人だけでなく世帯の把握と続き柄(夫、妻、子、父、母、子の子など)も住民記録から取得しないと様々な国民へのサービスシステムを有効に動かすことは出来ないでしょう。今は、それが無い・・。
年金情報や、個人の医療情報まで別人のものが見えている事故についても、もしこれが企業のカードだったらその企業は倒産しますよ、何をぼやぼやしているのでしょうか。
そもそも国民全員に個人番号はもう振られているのだから、カード無しでも保険証と個人番号をひもづけさせてしまえばそれで今政府が言っている「医療の向上」は出来ます。
わざわざせっかく出来ている保険証の制度を廃止する必要もなく、個人でカードを取得したうえに面倒な作業もすることもないのです。
さあ、なんのためにカードを作るのでしょうか。ITゼネコンやマイナンバーカードの取り扱いをしている天下り先の団体などに大金が流れ、政党への寄付もそこから何億も来ているとのことです。
ゼネコンから下請け、孫請けなどに中抜きされた金が回り、仕事はズサンになり、そして今の体たらくです。東京オリンピックみたい。
またマイナンバーカードがここのところ多くのものとひもづけされようとしています。
医療や年金、個人口座、やがては買物や読書歴、人そのものの移動履歴・・・カードを持たされた人間は何を考えるかというと、自分の行動や財産、病歴、思想その他あらゆるものが権力者から見えているのかもしれないという疑心暗鬼です。
これがこわいのです。監視していてもしていなくても、国民は自分の行動や発言について遠慮したり、控え目になったりしていくことになります。
それも狙い目のひとつですよ。
もっとも権力者になれば、人間というものは呆れるほどその地位保全に全力を注ぐので、大量のデータを保持していれば、それを見て利用したくなるのは当たり前です。
どこかの国を見てもそうでしょう?!
たぶんマイナンバーカードというシステム、制度は破綻すると思われ(すでに現在の状態が破綻しているが)ますが、注意しないと国民は多額の税金を使われてこのポンコツシステムを維持させられ、財産も口座も思想信条までもが抑え込まれることになります。
もっとこのことをはっきり言える議員はいないのかね、しかもシステムの欠点を技術的な面からも指摘できるような人は。
それが国民のために動いてくれる国会議員だと思うのですが。
きょうの言いたいことは以上です。
みんな何をおそれて言いたいことを言わないのか、そんなことを思いつつ書きました。
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