長嶋さんのスクラップの続き
長嶋さんが亡くなってから探し出した、昔の、少年時代のスクラップから、今度は長嶋さん引退会見翌日の朝刊の切り抜きを見つけました。
会見の席、隣にいるのは川上哲治監督です。
当時の私が思ったのは、「長嶋が引退したらプロ野球は解散するのかな?」でした。
それほど長嶋抜きのプロ野球なんて考えられないことだったのです。
でも、翌年もプロ野球はやっていました(^^;)
長嶋選手を実際にテレビ中継で見ていて、私の少年時代の記憶に残っているのは、阪神戦で当時絶好調だった上田二朗投手が九回二死までジャイアンツをノーヒットノーランに押さえていたシーンです。
いよいよ最後の打者は長嶋茂雄。
長嶋でノーヒットノーランやられちゃうのか・・とドキドキしながら見ていましたが、上田投手と田淵捕手が何やら打合せしてからの第一球を長嶋はちょっと引っかけ気味でしたが三遊間(だったか、二遊間だったか)を抜き、見事にノーヒットノーランを免れました。
上田投手はがっくりとひざを落としていましたが、長嶋選手は一塁上で何か上田投手に手の平を見せながら声をかけていたようでした。
「すまん、すまん」とでも言っていたのかもしれませんが、上田投手が帽子を脱いで頭を下げていたようです。
私と真剣勝負してくれてありがとうございました・・ということだったんじゃないでしょうか。
いいシーンだなと思いました。
長嶋選手にはこんなエピソードがたくさんあるようです。
そんな長嶋選手だったから、私が父親に連れられて後楽園球場に観戦に行った時の状況は、長嶋がネクスト・バッターズ・サークルに入っただけで球場は敵味方の客席に関係なく既にざわめきが始まり、いざバッターボックスに入ると歓声はマックスとなり、当時球場にあったエキサイトタワーという電光掲示板(早い話が騒音計)は振り切っていました。
また、長嶋の守るサードに打球が行くと、観客は息を呑み、見事な送球でアウトを取ると、割れんばかりの歓声が上りました。これも敵味方関係なく球場全体の状況でした。
当時は、応援団なども無かったので、球場は基本的に静かだったのですが、長嶋が登場、あるいは好プレーを見せると球場が揺れるような歓声で包まれていました。
そんな選手だったのだ、とあらためて思い起こしつつ、きょうはこれまで。
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