『「意識高い系」の研究/古谷経衡著(文春新書)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2017年第一刷発行となっていましたので、かれこれ8年前のものになります。
そうか、「意識高い系」という言葉があちらこちらで聞かれるようになったのは、そんなに前だったのかと思いました。
著者の古谷経衡(ふるや つねひら)さんの声は、ここ数年ラジオの文化放送で聞くことがあります。
語り口はやわらかいが、現在起きている事象について、けっこう突き詰めていく姿勢が独特のやり方で印象に残ります。
この本では、「意識高い系」と、さらにそれと混同しやすい「リア充」の区別についても“くどい”くらい章を立ててまで、とことん分析しています。
・・で、私はここで早くも“挫折”の予感がしてまいりました。
こんなに憎々しくも、徹底的にそれぞれを分析することに意味があるのだろうか、と思い始めてしまったのです。
「意識高い系」についての考察も、“これでもか”というくらいに徹底的にやっていて、もうどうでもいいんじゃないだろうか、勝手に言わせて、やらせておけば・・と思い、最後はこっちの具合が悪くなってきて読了という具合でした。
この本の中で使われていた“スクールカースト”という言葉も初めて聞きましたが、そんなことが原因になるのか、とも思いつつ、著者自身に被害者意識が過剰にあるんじゃないか、とも思ってしまいました。
読み始めた時には、面白い本だろうと思っていたのですが、読んで行くうちに疲れてしまい、後半は力なく読み終えたという感じになりました。
『最後の花時計/遠藤周作著(文藝春秋)』を古本で手に入れ、読みました。
初出は「産経新聞」の1993年12月~1995年4月に連載されたもので、この「最後の花時計」が刊行されたのは、1997年1月となっておりました。
読んでみて、三十年以上前のものですが政治的なことにかなり踏み込み、他国との国際的な関りについて政府、政治家にもモノを言い、しかもそれはかなり強い語調です。
医師からの深刻な病名の告知のやり方や、治療方法について、看護師(当時は看護婦と書かれています)の立派な仕事ぶりに病院側は環境を整備してあげなさいとの提言も繰り返しありました。
老いることの辛さや、自らどう感じているのか、作家仲間の死についても書かれていました。
正直言って、私には自分が中学時代に読んだ「ぐうたらシリーズ」の印象が強かったため、こんなにシリアスな文章ばかりの内容に驚きました。
また、当時はここまで書いても大丈夫だったのだな、とあらためて感じました。
“炎上”なんてものは、インターネット以前だし、そんなものはありません。
また、これほど自由な発言が出来たことに、当時の寛容な感覚がわかりました。
今や、とにかく重箱の隅を楊枝でほじくるような“いいがかり”“逆ぎれ”が横行していて、かえって“不自由”で、言いたいことも言えない空気が漂っているような感じがします。
遠藤氏の文を読んで、けっこう現在露呈し始めた社会の歪みがこの頃に芽生え始めていたのだとも感じました。
薄っすらとその当時の世間で感じられていたことが今現実化し、あらゆる分野で“ぐずぐず”となり、あと数年も経つと修復不能な世界になっているんじゃないかと不安にもなりました。
人間の愚かさを、今にしてその結果が見えてきたこの段階で、あらためて再確認するような読書となりました。
『人生にムダなことはひとつもない/佐藤優・ナイツ(塙宣之、土屋伸之)(潮出版社)』という本をブックオフで見つけ、読んでみました。
タレント本の棚にあったのですが、今までこの本を見たこともなく、存在も知りませんでした。
ナイツの塙さんが出した本などはCM、PRもよくされているので知っているはずだし、佐藤優さんの著書についてもその多くは見かけたことがあったのに、今で気づかなかったのか、と思っていましたが、読んでみてなんとなくわかりました。
ナイツのお二人は創価大学出身で、たぶん学会の人だとは思っていましたが、学会関係の人に対して主に向けた本なのではないかというものでした。
創価学会の専門用語が幾度も飛び出し、佐藤さんは学会への理解もかなり深く、外務省にいた時にも丁寧な扱いを受けていたらしく、関係は良さそうに読んでいて感じました。
内容としては、ナイツの主にお笑いという仕事に対する向き合い方と、佐藤優さんのあの逮捕劇を含む今までの人生について対談形式で書かれていて、読みごたえはたしかにありました。
学会の話に割と強引に持っていくようなところを除けば、読み物として、そして生き方の指標というか、参考になることが多く語られていたのです。
佐藤さんは作家として「国家の罠」などで様々な賞を受け、ナイツはラジオ番組のレギュラーがほとんど毎日に近いくらいある売れっ子であり、佐藤さんの著書も何冊も読みましたし、ナイツのラジオはよく聞きます。
そんな二組の対談なので、面白くないはずがありません。楽しむことが出来ました。
『魔法使い・山本夏彦の知恵/小池亮一著(東洋経済新報社)』を古本で見つけ、初めて見る本で、すかさず買い求めました。
私が山本夏彦を知ったのは大学時代。
たぶん「日常茶飯事」を文庫で読んだのが初めてだったと思います。
その後、この“変わった人”は何者だ?!と、読めば読むほどわかることと、わからないことが渦巻き、それが妙な気持ちを起こさせ、かなりの冊数を読むことになりました。
その山本夏彦の弟子と自称し、夏彦翁の著書、言動について夢中になって記し、研究し、解析し、心酔するのが、この本の著者・小池亮一氏です。
テレビに出ず(※私はラジオに出たのを二度ほど聞いたことがある)、講演せず、手形を切らず、金を貸さず、激辛で毒のあるコラムを書き続ける夏彦翁を徹底的に追い、追うだけならまだしも傍にピタリとくっついているかのような印象の本でした。
死んだ人と生きている人の区別なくコラムに登場させる夏彦翁の文、そして明治の文語体を駆使する翁の文章は格調高いのか、なかなか文語が理解できない私のような読者を嘲笑う如く、そしてけむに巻くかのように話は先へ先へと進み、半分くらいわかったところで終わってしまうのです。
だから、もう一度読み、こんなことかもしれないと思っていると、別の著書を本屋で見つけ、またまた同じように悶絶しながら読み、なんだか面白いと無限地獄の夏彦翁の世界に引きずり込まれていくのでした。
そして山本夏彦の魅力はそこにあるのではないかと思うのです。
著者、小池氏はまさにその沼にはまり、あまりの居心地の良さに“つかり続けて”いるというわけです。
巻末の方に書かれている米国からの原爆投下に対する夏彦翁の怒りの様子は、この本を読んで初めて知りました。
そこでまたそれについて書かれた本がないのかと探そうとしている自分がいます。
亡くなってから二十年以上も経っていると思いますが、まだまだ私の心の中には翁の考えていたことにもっとふれてみたいという気持ちがあります。
『本を読む/安野光雅著(山川出版社)』を古本で見つけ、読みました。
2016年発行の本です。挿し絵はもちろん、著者・安野さんご本人で、簡素だけど実に味わいのある絵でした。
安野さんが興味を持って読んだ本の色々を、その一部を引用しつつ、本を読むことがどんなに楽しいことか、わくわくすることか、そして自分の中に何ごとかをもたらせてくれることか、ということが、とても安野さんらしい熱心さで書かれていました。
あとがきなどにも書かれていましたが、2016年のこの頃でも本はどんどん読まれなくなっていたようです。
2024年の今は、さらにその状況は加速し、本屋さんの無い市町村もますます増えているようです。
安野さんも書かれていますが、明らかにテレビやインターネットなどで得るものとは、本を読むことで得るものは異なると私も思います。
本は読みながら自分で考えていかないと先に進まないし、それが個々の“考え方”に大きな影響を与えていると思います。
つい先ごろの選挙等でも、自分で考えずに他人が垂れ流ししたものを丸ごと信じてしまい、いったん自分の中で考え、意見・意志を構築する段階がすっ飛ばされているように感じます。
それを安野さんは読んだ本文の引用と、自分が得た考え方を丁寧に書き表して、とても心地よい本に仕上げてくれていました。
こういう本、読んだ方がいいよなぁ・・と思いながら読了いたしました。
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