『失礼な一言/石原壮一郎著(新潮新書)』を古本で読みました。
2023年発行なので、古本と言っても近年のものです。
著者、石原壮一郎氏はコラムニストで、「大人養成講座」「大人力検定」「大人の言葉の選び方」などの著書があります。
読んでみると、けっこう“やらかし”がちな例がたくさん示されていました。
ペットを亡くした人にかける言葉なども、ついつい言ってしまいそうなことが例示されていて、思わず言ってしまう人がいるだろうという感じでした。
私も役所の窓口で飼い犬の登録に来た人に、窓口の担当者が「犬の登録ですね」と言って、「失礼なっ!ウチの〇〇ちゃんを“犬扱い”しないでください」と怒っている人を見たことがあります。
窓口の担当者は茫然としておりましたが、うしろから係長さんが出てきて「申し訳ありません・・ワンちゃんの登録ですね」と、その場を納めようとしている現場に遭遇したことがあります。
・・難しいよねぇ、犬を犬と言ってはいけないんだものねぇ・・。
とにかく実用的な例示がたくさん載っていました。
「おごる」ときと、「おごられる」ときに言ってはいけないこと。
その人の年齢を知った時の多種多様な“地雷”。
独身者に対して結婚について質問するやつ。
人様の「好き」を否定する人。
冠婚葬祭での“やらかしがち”な落とし穴の数々。
などなど、私自身がやらかしていないか、ドキドキしながら読みました。
カミングアウトされたときの対応、というのもありました。
私も長年、公私ともに遊んだり、仕事でいろいろな付き合いのあった後輩から、実はとLGBTQのGであるとカミングアウトを受けたことがありました。
意外となんとも思わず、ああそうなんだ、と思っただけでした。
そのとき既にカミングアウトを受けていた本人の仲良しの何人かがその場にいて、皆とても自然にしていて、その後もまったく以前と変わりなく付き合うことができました。
本人も年上の人間には私だけにカミングアウトしたのだが、良かったと言っていました。
でも、カミングアウトする人を間違うと、“アウティング”されてしまって大変なことになりかねません。
対応力が試される世の中になったものだと実感した本でした。
特に最近は、たった一言が大変な事態を招いている実例が毎日のようにあって、心休まることのない会社の上層部の人はたくさんいるでしょう。
自分は大丈夫だ、などと慢心せずに、常に相手のことを慮って、対応、言葉遣いに気を付けようと思いました。
『怖い日本語/下重暁子著(ワニブックスPLUS新書)』を読みました。
新刊です。私にしては珍しい(^_^;)
度々下重さんの著作については感想をアップしていますが、厳しいご意見が多いけど、でも同調、同感することばかりです。
最近は、けっこう“腰が引けている”人が多くて、結局人のせいにするような書きぶりで何かを言わんとしているような本がけっこうありますが、下重さんの本はそんなことなく、ビシッと書かれています。
それが気持ち良いのです。
私自身もこのブログに何度か書いていましたが、
「みなさんに勇気を与えたい」だとか、「結婚させていただきました」とか「連休は家族で楽しめたの“かな”と」・・これらは下重さんならずとも私も気持ち悪い・・。
「誤解を恐れずに言えば」ってのも書かれていましたが、最初っから付け加えなくとも良い言葉だと私も思います。
「もしこれによってご不快な思いをされた方がいたとしたらお詫びしたい」ってのも、お詫びしていない典型的な許せない言い回しです。
・・「不快な思いをする人がいるとは思っていないよ、でも意図していなかったけど不快だと言うなら、私はあなたよりも地位が高くて権威もある立場だけど、謝罪してやるからありがたく思いなさい」ということですよね。ほんとに不快っ!
「他人ごととしてではなく、自分ごととして考えたい」ってのも薄気味悪いです。
当事者意識を一応持っているかもね、ってところでしょうか。
言っている人自体何にも違和感を感じていないのでしょう。
というわけで、上記のような例はほんの一例です。
私には溜飲が下がる思いでしたが、ふだんから何も感じずにこれらの言葉を使っている人には何が何やらわからないでしょう。ご愁傷様です。
『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談/パオロ・マッツァリーノ著(二見書房)』という本を古本で見つけ、一度も読んだことのない著者の本を読んでみました。
いつ発行したものかも本自体には記されていませんでしたが、どうやら調べてみると2011年ではないかと思われます。
著者経歴にある大学は実在せず、この「パオロ・マッツァリーノ」という名前も、イタリア生まれと本人が書いていますが、国籍もなんだかあやしい感じ・・ちょっと何者かがわかりません。
何者かがわからないにもかかわらず、この本、この文章、この考え方はどうにもこうにも魅力的でした。
日本人の名前(氏ではなく、名の方です)について、その変遷を遡って色々な文献を徹底的に調べて意外な結果を発表したり、よく芸能人などが結婚発表時につかう「笑いの絶えない家庭にしたい」という言葉に疑問を持ち、いったい何時、誰が言いだしたのかを調べたり、どうでもよさそうだけど、でも興味を持ってしまうような事案について、データを検証し尽くして結論を導き出す・・という手法がとても面白く、食い入るように読んでしまいました。
漫画家に対して、その出版元というか、編集者から「先生にはげましのお便りをだそう」という、私が子供の頃から馴染みある少年誌などの巻末にあった文についても、「先生」という言葉の使い方や、“はげまし”という・・“感想”ではない言い方についてもふれていて、それは今まで私もなんとなくひっかかっていたことでした。
イタリア生まれで、現在は千葉県民、イタリアン大学日本文化研究科卒という存在しない大学を経歴で名乗っているのもあやしいし、日本人だよなあきっと・・という不信感もありましたが、でも、朝日・読売の一般人では利用できないデータベースを使って調べた情報はとても詳細で驚くべき調査力でもありました。
奇妙だが説得力あるこの本、今までに読んだことのない「文化史」という括りだけではない世界が見えてくる本でした。
面白かった。
『おじさんはどう生きるか/松任谷正隆著(中公文庫)』を読みました。
2021年に中央公論社から刊行されたもので、2024年文庫化にあたり二編の書き下ろしエッセイとジェーン・スーさんとの対談も追加収録されています。
以前にも(今年の4月)松任谷さんの著書(クルマに関する本)をこのブログでご紹介しました。
そのときにも感じましたが、松任谷さんのエッセイは読む人を“ググっと”惹き付けます。
松任谷さんはジェーン・スーさんとの対談でも言われていましたが、1951年生まれの人とは思えないような若い感覚が目立つのですが、でも時々親の教えから来たのか、とても古風な考え方が見え隠れするときもあります。
実際に読んでみると、松任谷さんのエッセイはその両面がうまくミックスされていて、面白さがより濃くなっていく感じでした。
女性に対して過敏なまでに神経を使うかと思うと、けっこう奥さんのユーミンには横暴な時もある。
友達や周囲の人についても、同様に神経質な部分と大胆なところもあるのです。
それに育ちの良さも手伝ってか、ご本人が意識せずとも“オシャレ”なセンスが随所でキラリと光るのでした。
数十年ぶりにバンドを組んでアルバムを作る話題もありましたが、まさにかつてバンドマンだった人の感覚が見事に書かれていて、その文章力にも驚き、私自身もこのブログなど色々書いているので勉強になりました。
舞台の演出や、脚本を書いたり、プロデュースをしたり、音楽を作り、自らも演奏する中で若い人達との出逢いの機会も多く、そこで時代とのギャップをうまく調整しているのではないかと思いました。
自分の古いことに固執するクセ反省する機会にもなりました。
面白く“目から鱗が落ちる”ような感覚になった本でした。
『失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方/野口恵子(光文社新書)』を読みました。
著者、野口恵子氏は日本語、フランス語教師で、フランス語通訳を経て大学で教鞭を取っている方とのこと。
著書には、「かなり気がかりな日本語」「バカ丁寧化する日本語」などがあります。
この本自体は2013年6月に初版発行となっています。
私自身、気になる言葉づかいや、よく耳にする不思議な敬語などがあり、このブログでも折に触れて書いてきました。
著者、野口氏は実例を丁寧に挙げて解説をしていますが、野口氏の大学の生徒が実際にそうであったように、何度説明しても、その人が育ってきた過程で、親も既に日本語が怪しい・・(^_^;)というようなこともあり、何がおかしいのか、どこがいけないのか理解に苦しんでいる生徒の様子も書かれていました。
私の年代でも、私自身でも、これが果たして正しい使い方なのか、と分らなくなり、戸惑うようなこともあります。
そのあたりも、著者は丁寧に書かれていて、長年の疑問が解消したものもありました。
“議員敬語”みたいなものも気になっていたのですが、例えば「皆様方に“ご議論を”いただいて」「ぜひ“お寄りを”いただいて“ご覧を”いただきたいと思います」「“円高を”“是正を”していきます」など、わざわざ“を”を入れる気持ちのわるい使い方も指摘されていました。
あと、お店でよく聞く「こちら天丼に“なります”」「こちらの商品は二千円に“なります”」「五百円のお返しに“なります”」など、“なります”症候群(^^;)
私もあちこちでよく聞きましたが、「お待たせしました。天丼です」「こちらの商品は二千円です」「五百円のお返しです」でいいですよね。これは既に定着化していると感じています。
ついでにもうひとつ、公務員、特に国家公務員などに多い「になってございます」という謎の言葉遣い。
国会の委員会答弁などで官僚が「すでに先生ご案内かと存じますが、〇〇の数値については資料3ページのとおり“になってございます”」っていうヤツです^_^;
議員同士で「先生」と呼び合うことや、官僚が「先生」と呼ぶこともなんだか変だと思いますし、「すでにご案内」って表現も“なんかイヤ”じゃありませんか。
そもそも“なってござい”ってなんだよ!
上記は、氷山の一角で、実に数多い事例が掲載されていますので、敬語の使い方がもう何がなんだかわからなくなってきた、という私同様の方にはもって来いの本だったと思います。
『納豆に砂糖を入れますか? -ニッポン食文化の境界線- /野瀬泰申著(新潮文庫)』という本を読みました。
以前、このブログで同じ著者の「天ぷらにソースをかけますか?」という本をご紹介したことがあるのですが、その続編にあたるものとなっていました。
この文庫本は2013年発行となっています。
さて、タイトルにもなっている「納豆に砂糖をいれるのか」という問題ですが、そもそも私には“納豆に砂糖を入れる”と、どんな味になるのか、まったく想像も出来ず、そんな人いるのかよ、と思いましたが・・・いるんですよねぇ(#^.^#)
地域としては、「入れる派」は北海道、東北地方に多いようです。「なかには入れる人もいる」というのは関東・中部地方あたりに“ぼちぼち”見ることが出来ます。
「そんなこととんでもない派」は、関西・中国・四国・九州にかなり多く、広島と九州の一部には意外と砂糖を入れる派も散見されています。
砂糖は味を甘くするよりも、納豆のねばりを強くし、糸を多く引かせる目的の方が主となっているように読めました。
前回の「天ぷらにソース?」と同様、とても珍しいことではないことがわかりました。
その他には、「メンチ」と「ミンチ」の呼び方について(*^^*)
私は関東で圧倒的な「メンチ」に耳馴染みがありますが、関西方面では「ミンチに決まっとるじゃろが!」派が優勢です(^_^;)
この本のアンケート結果では、関西にミンチ派が集結しているようでした。
さらにコロッケには何をかけるか?という・・私にとっては「中濃ソースでしょ、もちろん」という結果が予想されましたが、いやいや醤油や、ウスターソース、とんかつソース、何もかけるかそんなもん・・という(^^;)回答もあり、混沌としておりました。
実におもしろいっ!(*^^*)
飴を「飴ちゃん」と呼ぶか否かとか、居酒屋などに行って最初に出てくるのは「突き出し」と言うか「お通し」というか・・という問題もありました。
比較的関西が「突き出し派」で、要りもしないのに突き出される感覚があるのでは、という推測も出ていました。
ご飯に味噌汁をかけて食べるのは、行儀が悪いのか否か、というのもありましたが、それと同系統の郷土料理も有ったりして、難しい問題となっていました。
私としては、自分の小さい頃、ちょっと貧しくておかずもあまり無いのでそうしているのではないかと勝手に想像して、つらい気持ちになり、自分は食べるということはほとんどありませんでした。
・・・などなど、食文化的にも興味深い問題を今回も著者は、楽しそうに探っていました。
とても面白い着眼点で、私も楽しく読めました。
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